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11月13日(木)
『Sister Princess2 PREMIUM FAN DISC』
買ってきました。プレイしています。
公開されている情報、そして、以前のウチの日記でお伝えした内容の通り、内容はとても豪華です。
特に、特典のプレミアムDVD。前作までのムービーが、高解像度のバージョンで再収録されております。これが素晴らしい。特に、2のOPムービーは、必見中の必見。こんな綺麗な映像だったんだ――と、感心することしきりでした。欲をいえば、今作用の新しいムービーもこのクオリティで収録していて欲しかったのですが、それはなし。ちょっと残念。
ファンディスク本体は2枚組。ディスクAの方は丸ごと一枚、今回のための完全に新しいシナリオ『スプリングストーリー』が収まっています。ディスクBには、前作ファンディスク『ピュアストーリーズ』の時と同じような、本編シナリオを妹視点で回想する『サマーストーリーズ』と、あとはCG、BGMモードという構成になってます。ちょうど、前作に関わるものは全部、ディスクBに納まるという形です。
『スプリングストーリー』について、さらに詳しく。
ディスクAをまるまる使っていることからも分かるとおり、ボリュームがかなり凄いです。本編よりはさすがに少ないですが、それは、それぞれの妹はどんなキャラなのかを説明している部分や、妹同士の共通イベントなどを省略したという形を取っているためであり、内容が薄いということはありません。ちょうど良い尺に、良い内容が詰め込まれており、むしろ、今までのシスプリ作品の中では、この『スプリングストーリー』が、バランスや完成度の面においては最も優れているんじゃないか、という感じさえしました。長すぎず、短すぎずで、非常にうまくまとまっています。
そして肝心の、その内容。
……えーと。一応、本当に一応ですが、この『好き好き大好きっ』は、シスプリファンサイトです。実質的な意味で、何の説得力もないというのは十分に自覚しているのですが、それでもシスプリサイトとして考えています。
そんなサイトを見に来てくれている方々ですから、きっと、ある程度はシスプリについて知っている、何かかしらの形でシスプリを楽しんでいる人が多いと思うのです。そんな中には、きっと、俺と同じように、この4年間、ずっとシスプリを追いつづけてきた人も居るでしょう。また、そんなに年季は入ってなくても、今までのシスプリ作品はほとんど制覇し、深く深くその世界を楽しんでおられる方も居ると思います。
そんな人たちには、必ずプレイして欲しいな――と。
まあ、そんな人ならば、俺に言われるまでもなく、楽しんでおられるとは思うのですが。
別に、深く知っていなければ今回の話は楽しめないというわけではありません。むしろ、少しでもシスプリについて知っていればプレイするのに十分です。(さすがに、全くシスプリを知らない人には、まずは1なり2なりからお勧めしたいところですが)
ただ。
シスプリって、別に、続き物のお話というわけでもないのですが――それでも、4年間続いたシリーズだったりはするんですよね。
その間に、語られたエピソード。「妹が、お兄ちゃんのことを大好き」というだけの話ではありますが、それでも、積み重ねてきたそれは、やはり、大きいです。重いです。こと、俺たちのように、シスプリをずっと楽しみ続けてきた人間にとっては。
――4年間。
シスプリが積み重ねてきたものが、ここにある。
そんな感慨に捕らわれたのは、決して、俺の思い込みではない――と思いたいですが。
何がこの『スプリングストーリー』で語られていたかというと。
それは恐らく――成長。
成長というのは、同時に、シスプリが終わってしまうということでもあると思うのです。
シスプリとは。
兄と妹という関係にとって、恐らくは、一番幸せな時期を描いたもの。
前作のファンディスク『ピュアストーリーズ』において、はっと胸をつかれるような文章がありました。
「……たとえ、こうして一緒にいられる時間が、あと少しだとしても……」
そう。
『シスタープリンセス』という世界で描かれている、幸せに包まれた兄と妹の関係は、いずれ必ず終りを迎えてしまうことを運命付けられているのです。
それも、決して、そう遠くない日に。
それはたとえば、非血縁エンドなどで恋人同士になったり、お互いが大人になって、それでも中の良い兄妹のままでいられたりしたとしても、本質的には同じことです。
今のこの、なにものにも捕らわれることなく、兄妹同士の好意をやり取りできる無垢な関係――そこから一歩でも、人間として「成長」してしまうと、それは、シスプリの一番本質的な部分が変わってしまうことになるのです。
なぜ、咲耶という妹を、深く表現しようとしていくと、悲しい話になってしまうのか。
それは咲耶が、「シスプリ」という概念の中に居られる、本当にギリギリのところに立っているからです。咲耶は人間として十分に成長していて、兄妹としての無垢な幸せな時間も長い間過しており、あとはほんの一歩、足を――たとえ、どんな方向だとしても――踏み出してしまうと、咲耶はもう、シスプリの枠の中には居られなくなってしまう。たとえ、踏み出した後、幸せだろうとも。咲耶の台詞や行動が微妙に道化っぽいのは、必死でそれを誤魔化している――という風に俺には見えます。
そして。
『スプリングストーリー』における、咲耶のとあるイベント。
ネタバレになるので詳しくは言いませんが、咲耶が、とある憧れのものに触れるチャンスにめぐり合う場面があるのです。兄は、咲耶が喜ぶだろうと思い、それを勧めるのですが、咲耶は、それを躊躇します。
なぜかというと――憧れてはいたのだけれど、いざ本当に触れられるとなると、やっぱりまだ、自分には早いんじゃないかと――と言って、遠慮するのです。
このあたりの葛藤は、まさに咲耶の……というよりは、シスプリの終端部分を象徴しているように思えました。
その後、咲耶がどうなったかについては、実際にプレイしてみるか、もしくは、後で俺が書こうと思っているプレイレポートにてお楽しみあれ。一言だけ言っておくと、切ないです。とても。
咲耶の他には、花穂のシナリオもプレイし終りました。
これがまた、非常に良いお話なのですが、咲耶と同じく、シスプリという概念が持つ終端部分に、直に触れてくるような感じの内容でもあり、嬉しさと寂しさを覚えました。
ちなみに、花穂のシナリオには、古いシスプリファンにとっては非常に懐かしいあの人が、これまた非常においしい役で出てきてくれます。
……と、色々ととりとめなく書いてきましたが、そのあたりの感慨、他の人がどう思っているのかがちょっと気になっていたりはします。
プレイレポートというよりは、俺にとってのシスプリを総括するような文章を書きたくなりました。