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9月3日(水)
唐突ですが、イージーオーの例の「脱・寝取られ」宣言について。先日
言ったことと被りますが。
今年発売され、全国の寝取られ(以下、NTRと表記する)属性の方々に好評を博した『うちの妹のばあい』。ご多分に漏れず、俺もそのNTRは存分に堪能しました。
ただ、『うちの妹のばあい』には、NTRに関しては少々不満――と言うのは贅沢ですが、ちょっと個人的には残念な部分がありました。
実際にうち妹をプレイした人は分かると思いますが、NTRが含まれる、いわゆるBAD系のルートは、普通にプレイしていたらまず入れないのです。たとえ鬱系の選択肢を狙っても、そう簡単には入れない。
これは要するに、NTRルートが嫌な人、そんなシナリオを見たくない人のための配慮です。もちろん、うち妹の基本コンセプトは、妹ゲーという点にあり、この配慮はむしろ正しいと言えます。見たい人だけNTRが見られる。プレイヤーの自由意志を尊重しているわけですから。
しかし。
その配慮が、NTRの純粋な魅力に、一抹の影を落としたと俺は思うのです。
待ち望んだNTR。見たいと望んで見る鬱展開。
難しい選択肢をクリアし、好感度やクリアポイントを調整し、ようやくの思いで到達したそのシナリオ。
これで本当に、鬱やNTRを、心から愉しんでいると言えるのだろうか――と。
覚悟があると、恐怖や苦痛は半減します。もちろん、覚悟があったとしても、それが逆に、待つことへの恐怖を呼び起したりもします。実際、うち妹のBAD系ルートを目指してプレイしていると、シナリオ自体の鬱に加え、「これから先に、鬱な展開が――」という感じで、待つ恐怖をも堪能することができ、それはそれで素晴らしいものがあったということも確かです。
しかし、どんなに待つ恐怖があったところで、その選択は、あらかじめ自由意志で安全装置(セーフティ)を自ら外したがためのもの。あらかじめ見ようと思っていた恐怖を、覚悟して見るという時点で、一番深いところで、どこか予定通りという名の安心を与えられてしまっているのです。
本当に恐ろしいのは、安全装置が作動しているのかしていないのか判別がつかない状態。たとえば――さあ、虎牙が現れた。好感度は? 高い。 では安心して先に進める。さあ、こんどは覚悟を決めてNTRシナリオへ。好感度は低くして……ううっ、どんな酷い展開が待ち受けているのだろう――このような分かりきったプレイでは得られない、暗闇を手探りで歩くようなヒリヒリとした感覚。確かうち妹には、好感度を非表示にする設定もありましたが、あれだけBADシナリオへ行く難易度が高いと、攻略という点では面白くとも、スリルを味わうという役割は果たしていないように思います。
見るからに怖いものは、確かに怖いのですが、見たままの怖さでしかない。怖いと分からない怖いものは、それはもう本当に恐ろしい。
俺がうち妹で望んだのは、ギリギリの選択肢。究極的な選択ばかりを迫られて、しかも、どの選択肢も兄として正しいものばかりで――その中に、最悪なNTR展開のフラグが隠されていたら……と思わずにはいられないのです。露骨に嫌われたり、距離をおくような選択肢など存在せず、本当に思いやりを持った複数の選択の中から、苦悩して選びぬいた結果が、兄として生まれてきたことすら後悔したくなるようなNTR――おお、プレイヤーの精神への陵辱! 愛があり、悲しみもあって、そのうえで陵辱まで用意されているとあっては、もはや哭かざるを得ないッ!
そう。NTRを愉しむということは、すなわち「哭(な)きたい」ということ。NTRを忌避し、しかし結局逃れられなかったという状態こそ、真のNTR。望んで、しかし与えられない。絶望こそが願望というパラドックス。うち妹は素晴らしいゲームでしたが、惜しむらくは、プレイヤーの精神への陵辱だけが足りなかった。それはむしろユーザーフレンドリーですらあるのですが、真に極まったNTRは、その枠に収まらないところにこそ存在している。俺はそう思うのです。
余談ですが、その「プレイヤーの精神への陵辱」が、実に上手く活用されていたのが、もはや説明するまでもない大タイトル『君が望む永遠』のマナマナシナリオでしょう。
多くのプレイヤーに心的外傷(トラウマ)を残した、悪名高きマナマナシナリオ。しかし、実はこのマナマナのシナリオ、君が望む永遠という作品から切り離して、単独の猟奇シナリオとして考えると、それほど強烈なシロモノではないのです。孝之があまりにもあっさり壊れてしまう等、猟奇作品としては、やや俗っぽい。
一番恐ろしいのは、このマナマナという名の悪魔が、悪魔の姿をしていなかったということです。これはもう断言してもいいのですが、マナマナシナリオで一番恐怖を感じたのは、階段から■■■や、その後の陵辱シーンなどではなく、むしろその前の、平然と孝之の部屋に入り込んで、合鍵などを作っていたことを何の気後れもなく告白する瞬間です。ヤバい――こいつはヤバい。気づけなかった。この悪魔を――悪魔と気づけなかった! その後はもう、恐怖の絶頂から予感される展開をなぞっていくだけのものと言っても過言ではありません。
君が望む永遠は、マナマナシナリオに限らず、「プレイヤーの精神への陵辱」を2章以降のあちこちで活用しており、、その代償として、あまりにの陵辱に傾倒しすぎたせいで、鬱とはまた別に人間が求める、爽快感などのカタルシスが味わえるシーンが極僅かになってしまっていました。しかしそれゆえに、その極僅かであるところのカタルシス――大空寺の合鍵投げ捨てや、水月シナリオ終盤の遙などが、これでもかというほどにきらめいたことも確かです。
そう。陵辱があるからこそ、逆に、救いもあるのです。救いを、救いとして感じられるわけで――
救われるように、がんばった。必死に考えて、力の限りを尽くしたけれど――ダメだった。
人によって違いはあるでしょうが、俺は、そのような絶望をこそ、鬱ゲーやNTRには求めたいのです。何故、俺にこのような絶望主義(それだけじゃないけど)が身についたのかというと、実はちょっと心当たりが。
そう、それは、『痕』の千鶴さんシナリオ。トゥルーじゃない方。
俺は、ここ5年以上エロゲーマーを続けているけど、これを超えるような「バッド」エンドを、未だに知りません。