Khasya Report/2006-02/qa112
スリランカ和平関係主要記事一覧 2002年11月11日~2006年2月24日
 日本の関与したスリ・ランカ和平 2002年から05年までのスリ ランカ和平とその解析


 2月22、3日の両日、スイス・ジュネーブで4年ぶりに再開されたスリランカ政府とLTTEの協議は差し迫った全面戦争の再燃回避を双方が確認して終えた。また、次回の和平協議が4月下旬の3日間、同じくジュネーブで開かれることも決まった。
 スリランカ政府とLTTEの和平交渉は日本の外務省が主催した2003年6月10日の東京ドナー会議にLTTEが欠席した時から決裂したままになっていた。今回のジュネーブ協議は2002年にノルウエーで行われたオスロー会議の時点に時計を戻して再開された。 

 2006年2月23日という日付が協議の日に設定されたのには意味がある。今回のジュネーブ協議はオスロー会議からの再出発と位置付けされているからだ。2月23日は4年前のオスロー会議で休戦協定が結ばれた日である。

 昨日、2月23日のジュネーブ協議で双方が確認したのは“信頼の確認“だった。スイス政府外務省とノルウエーのエリック・ソルヘイム和平特使がこの会議に意を注いで取り組んだのはスリランカ政府とLTTE双方が信頼を回復することにあった。

 再開されたノルウエーとスイスが主導する和平交渉は4年後の2010年2月22日を目標達成の日としている。4年後のその日までに「人間の安全保障
ヒューマン・セキュリテイ」をスリランカで確立すると調停者は宣言した。

 2002年のオスロー会議以降、日本はスリランカ和平を引き継いで交渉に当たってきたが事態は一向に進展せず、2005年後半から06年2月にかけては全面戦闘再開の危機が迫っていた。危機再燃は日本のスリランカ和平取り組みの方法に問題があって生じたのか。あるいは別の理由か。今、あらためてスリランカ内戦終結の条件とは何であったのかを問い返し、スリランカ国内の記事を中心にして追ってみたい。 

参考 日本が関与したスリランカ和平2002-05年の動向スリランカ内戦終結の条件とは何だったのか

Khasya Peport スリランカ和平関係主要記事一覧 2002年11月11日~2006年2月24日  
2002年東京会議以降、スリランカ復興支援の流れ / 流動するスリランカ和平支援策 / 混迷のスリランカ和平交渉
※黄色枠は日本側資料。和平外交への基礎資料となるもの。JBIC資料は重要である。  
  

2006‐02-24
ジュネーブ協議が勝ち得た“信頼“
和平の進展は見られないと政治アナリストによって読まれていたジュネーブ会議が昨日、2日間の日程を終えた。スリランカ政府とLTTEは“信頼“を互いに取り戻すことで和平協議の再開を誓った。
2006‐01-21
111 スリランカ和平調停に元IRAの闘士
空港に降り立ったマックギネスは言う。「われわれが抱えた北アイルランド紛争はスリランカの民族紛争と似ているところがある。私が体験した紛争解決への手順がスリランカに適用できるなら多いにお役に立ちたい」
2006‐01-15
110 Super Dvora Mk II

「あの組織の連中はハラキリをするんだよ、LTTEは自分の腹を掻っ捌くやつらだから----こんなことをするんだ」

2006‐01-08
109 イルメナイト戦争
プルモッダイのイルメナイトは高純度を誇る。プルモッダイに産するものは古代からタミルのものであるとLTTEは主張する。だが、スリランカ政府はそれを政府の財貨であると主張した。
2005‐12‐16
107 再び日本が誘う和平への道
先週日曜日、スリランカを訪問した日本政府代表明石和平使節は和平交渉の調停役になることを申し入れ、頓挫している和平交渉の開催を日本で行う意思を示した。
2005‐9‐29
103 アンナン、ノルウエーに苦言
国連本部でアナン事務総長がノルウエー外相ヤン・ピーターセンと会談した際、ノルウエーがLTTEの暗殺テロ、少年兵の徴集を非難することなく寛大であるのはなぜか、和平交渉進展に対して受身であるのはなぜかと、暗にノルウエーを批判した
2005‐9‐04
101 スリランカと中国、共同声明を発表
次期国連事務総長の選出に関して、両国は連携してアジアからの選任を国連加盟各国に主張し、歩調を共にして選任に対処するとの意見を共有した。
2005‐8‐19
097 或る外相の死
反政府の武装集団がスリランカ外相を銃撃し暗殺した。その結果、スリランカの和平交渉は遠のき、再び内戦の気運が高まる、と日本のマスコミは書くが報道の論調に首を傾げた。
2005‐7‐29
094 すべてはペラヘラのあとに
スリランカ最高裁、P-TOMSの協約の一部をを違憲として一時停止命令に
2005‐7‐22
093 ブラットシンハラ君のブログ
ブラットシンハラ君がこんなことをブログで言っている―トリンコマリーを大国の脅威から救えと。
2005‐7‐15
090 Kentucky fried opinion
「政府は打つ手を使い果たした。一方、タイガーは津波資金の配分を政府の保証のもとに受け、ノルウエーの仲介のもとに恒久的な停戦を政府と結ぶ」
2005‐5‐20
081 支援額は目標を超えたが
ランカ・ビジネス・オンラインは世界銀行がスリランカ政府に対し、ドナー各国からの支援・援助で経済政策を進めれば国内は止めど無いインフレーションを引き起こし、国際収支には計り知れない危機をもたらすとかねてから警告していたことを報じてもいる。
2005-05-06
079 星が消えたタミルネットのシワラム氏、暗殺される
暗殺者は不明だ。LTTEと敵対関係にあるカルナ派の反抗だとする見方がある。LTTEとカルナ派は双方の通信員を互いに殺害している。しかし、カルナ派は犯行声明を出していない。タミル議員と繋がりのあるスリランカ政府軍の犯行という見方がLTTE内部にある。もちろん政府軍は否定している。
2005-04-22
078 ミレニアム・チャレンジ・アカウント・カントリー
 UN次期総長にジャヤンタ・ダナパーラ氏/年始の預金額過去最高に
①アメリカはスリランカに恒久平和をもたらすことによってスリランカに繁栄をもたらしテロの恐怖を減少させる。②アメリカはスリランカの経済成長とスリランカへの投資促進が平和を支えると考える。③アメリカはスリランカの民主主義を強固にし、スリランカ人の人権を守る。
2004‐12‐17
063 ドナー3国、JVPを批判
15日、スリランカ政府に手渡された3国の共同声明によればスリランカ連立政権を支えるJVPは左翼政党であり、偏狭的な愛国者政党であるため,和平交渉を妨害しているとしている。
2004‐12‐03
062日本政府、266億円を提供
この資金援助はデイリー・ミラー紙が11月始めに報じた「日本政府は和平交渉の進展がなくとも人道支援の援助を行うと言明した」という記事が誤りでなかったことを実証したことになる。
2004-11-12
060シンハラとタミル「季刊・民族学1
コロンボに住むタミル人商店主の話を引用し、「シンハラ人との間に境界線を引くようなタミルの祖国建設には何ら関心はない」というくだりがある。記事の最後の部分だ。シンハラ人が多数を占める地区に暮らすタミル人の思いはその商店主と同じだろう。
2004-11-05
059 楽天か? スリランカ和平交渉
明石氏はスリランカ北部東部の復興に関し、今以上の和平交渉の進展がなくとも人道支援として復興資金の融資をするとLTTEに約束したことを報じている。
2004-10-29
058 和平交渉再開なるか
バーラシンガムの「LTTEは民族自決と分離独立をあきらめてはいない」ということばをタミルネットが報じたのは2002年のオスロ会議でLTTEが連邦制を支持したという見方を誤りと主張する立場からなされたことなどがその内容となっている。
052 ワサビは効いても 「ワサビ」と題されるその辛口のスピーチはスリランカの援助受け取りの態度に対する苦情であった。ドナーが与えてくれるドネーションを安易に享受しているという論旨が注目を集めた理由だった。
2004‐06
  スリランカにおける平和構築の現状
東京会議の失敗を踏まえて平和構築のプロセスを人道支援から行うよう提言する復興支援の報告書。内容は短期間に作成され記述が荒い。先のJBIC報告書に展開されたスリランカ研究の理念は薄い。
報告書参照(外部リンク)→スリランカにおける平和構築の現状
2004-05-21
046 東京会議の援助資金、分配可能と明石氏
昨年の東京会議に欠席したLTTEだが、そのことを踏まえて「早急な進展は考えていない。大切なことは実質的な実りのある交渉が行われることだ」とコロンボ・ヒルトン・ホテルで記者会見に応じた明石氏は述べている。この中で明石氏は、和平交渉再開には少なくとも2ヶ月は掛かるだろうとしている。
2004-05-14
045お気に召さないかもしれないが
皆さんはお気に召さないかもしれないが、彼らJVPは国民によって民主主義で選ばれた。スリランカには民主主義に変わる政治選択などない。先月の選挙で、その最中にも前後にも暴力沙汰が起こらなかったのは”激動の時における大いなる民主主義の勝利”なのだよ。
2004-03-20 
039 日本、監視団を派遣
「日本はスリランカの和平交渉を支えてきている。人道、復興、開発の面で援助をしている。今回の監視団派遣は、そうしたスリランカ復興援助の一貫である」とコロンボの日本大使館は声明を出した。
2004-02-20
035 世銀、LTTEへの直接融資を拒否
ヒンドゥスタン・タイムス(15日)、プレス・トラスト・オブ・インディア(12日)はスリランカ政府とLTTEの間の和平協議ですでにドナー各国の援助復興資金を世銀に一括管理させる案が提起されていたことを紹介している。
2004‐01‐30
033 45億ドルの援助は嘘
援助を受けるということは恐ろしい落とし穴を作る。東京会議で援助を受けると約束した以上は全額使わなければならない。ドナー国からの援助を使わなければ、それだけで年0.5%のペナルティー利子が発生するからだ。実質、支払われない援助金にも利子が発生するということである。
2004‐01‐20
031 各国の援助、凍結か
「非公式だが、和平交渉が進まぬ中で援助は凍結している」と欧州のある外交官は語っている。「東京援助会議で約束された経済援助は和平交渉の進展と明確にリンクしている。しかし、和平の進展はまったく見られない」というのが援助凍結の理由である。
2004‐01-01
028チャンドリカ、米国の批判を拒絶
チャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領は「和平交渉の遅延の責任は大統領にある」という米国の指摘に対して拒絶の意を示し、交渉の再開に対して出来得ることはすべて行っていると反論した。
2003‐12‐29
027危機説は虚構、大統領,討論番組で表明
大統領はまた、この罷免を誤りとラニル首相が指摘することで、首相は自らが犯した和平交渉の失敗を押し隠そうとしていると言い、和平交渉は閣僚罷免がなされる7ヶ月も前に膠着状態にあり、LTTEは当時すでに交渉の席になかった、と述べた。
2003-12-12
024 ノルウエーに道はない
…ノルウエーを公平な仲介役としては、もはや信頼する事が出来ない。彼等はスリランカにタミルの分離独立国家を建設しようと密かに策略している
2003-09-17
019 スリランカへの援助、始まる
スリランカ政府とLTTEの合意を待たず,日本などからの対スリランカ援助は既に行われている
2003-09-14
018 平和回復のため,日本は力を尽くす
出口のない日本の不況と、出口の見出せないスリランカの和平とが,期せずして共に求めたのが40億ドルとも45億ドルとも,またそれ以上ともされる援助金を和平交渉のテーブルに積み上げて終わった6月の東京平和会議だった。
2003-09-06
017 明石平和特使,11日にコロンボ入り
GL・ピーリス大臣はこの木曜日,好例の記者会見で日本の明石康平和特使が9月11日、コロンボを訪ね、6月の東京援助国会議で約束された援助基金の完全履行を進める会議を開くことになったと報じた。
2003-08
  JBICスリランカの開発政策と復興支援
JBIC国際金融銀行開発金融研究所編 
この月、日本政府は新ODA大綱を発表する。貧困・人道・環境問題の解決の上に日本の国益優先が乗せられた。
報告書pdf参照(外部リンク)→JBICスリランカの開発政策と復興支援
2003-06
013 東京会議はスリランカでどう報道されたかフレーム版
  東京会議はスリランカでどう報道されたか 非フレーム版
6月9,10の両日,東京の赤坂プリンス・ホテルで行われた「スリランカの復興と回復を図るための東京会議」は、”期待以上の”援助額を提示して幕を閉じた。スリランカは五億ドルの援助を期待していたが、結局、スリランカへの援助額は40億ドルを越え,日本からは3年間で30億ドルの援助が表明された。
012 LTTE、東京会議の延期を要請
2003-05-16
010 インドの出方と6月の東京会議
インドに関してはLTTEが会議に参加するならば不参加の意向を示すだろうと見られている。これまでノルウェーで開かれた和平会議にはインドも使節を送っていたが東京会議では状況が変化している。
2003-05-15
日本政府の声明 スリランカ和平について
日本政府はLTTEがその立場を速やかに再考し、この機会を逸しないことを強く希望する。
2003-04-17
009 アーミテージ、大いに語る
「アメリカの姿勢はクリスタルのように明確だ。
LTTEがテロを名実共に止めるのならばテロ集団の指定を取り消す」
2003-04-02
008 スリランカ、連邦制に移行か
和平交渉の目的はスリランカを連邦制の国として再出発させ、海外から寄せられる戦後復興の資金を政府、LTTE両者に分配することにある。
2003-02‐26
006 27千万ドルを供与
円借款の供与は先月、スリランカを訪問した川口外務大臣のスリランカ国内問題終結へのサポート宣言の後に発表され、在コロンボ日本大使館は「平和がもたらす利益はすべての人々に与えられねばならない」との声明を出した。
2003-05
005 和平会談、東京で
日本政府特別和平特使としてスリランカを訪れた明石康氏は1月20日、スリランカ和平促進のため外国援助を更に押し進め、来るべき東京会議では積極的な和平のルールづくりを提唱すると語り、3日間の訪問を終えた。 
2003‐01
バンコク和平会議
タイのバンコクで1月6日から9日に開催され、停戦地域の確定、国内難民の帰還定住、今後の会議予定がスリランカ政府とLTTEの間で話し合われた。
2002‐11‐11
003 復興に五億ドル
ラニル・ウィクラマシンハ首相はオスロ会議で基調講演を行う予定、これは来年、日本での開催が予定されている復興ドナー会議への足がかりとなる。非公式の見積もりでは道路、通信、鉄道の再建、数十万の難民定住に約五億ドルが必要額。
2002-09-22
  停戦から恒久的な平和へ
キングスレー・ムトゥムニ・デ・シルワ・福岡での講演・2002年福岡アジア文化賞
タミル人の利益を守ると明言して仲介者として紛争に介入したインド軍は、最終的には10万の兵力へと膨れ上がりタミル分離独立派の主流となったLTTEとスリランカの国土において戦いました。
外部リンクpdf参照→停戦から恒久的な平和へ
2001-08-2002-08
  スリランカ内戦の平和的解決
中村尚司メモ/
笹川平和財団や日本外交センターが、和平プロセスへの手がかりにしたスリランカの国民平和評議会(NPC)は、私の眼から見るとキリスト教系の与野党政治家が諸外国から活動資金を獲得するための団体のように見えた。特に現野党の有力政治家が多く、彼らが本気で和平実現を目指すのであれば、前政権時代にもっとやるべきことがあったはずだという思いをぬぐえない。
外部リンクpdf参照→スリランカ内戦の平和的解決