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和平復興関連 No111


2006‐01-21
第3の男・マーティンマックギネス
Martin McGuiness
スリランカ和平調停に元IRAの闘士

 北アイルランド・シンフェイン党のマーティン・マックギネスがスリランカのNGO・INPACTthe Institute for Political and Conflict Transformationの招きで17日、スリランカ・カトゥナーヤカ国際空港に降り立った。
 彼は北アイルランド共和国軍のナンバー2、同時に武装を放棄したシンフェイン党の議員でもある。マーテイン・マックギネスが共和国のケルト人と連立王国のアングロサクソン人との間に長い間続けられた軍事紛争を和平へと導いたことはよく知られている。その彼がスリランカの民族紛争を「調停」するためにスリランカへやって来た。
 空港に降り立ったマックギネスは言う。「われわれが抱えた北アイルランド紛争はスリランカの民族紛争と似ているところがある。私が体験した紛争解決への手順がスリランカに適用できるなら多いにお役に立ちたい」

 スリランカ政府とLTTEは今、一触即発の状態にある。1983年の黒い6月がいつ再来してもおかしくはない。スリランカ和平にかかわる調停役の手腕が最も期待される事態に至った。
 両者の和平調停はインドが端緒を切った。しかし、インド軍をスリランカに長期駐留させLTTEの嫌悪とスリランカ軍の反発を買った。LTTEにガンジー首相を暗殺されて以降、インドはスリランカ和平の表舞台に立つことはない。
 ノルウエーのエリック・ソルヘイムはインドが手を引いて後、LTTEとの関係を保ちながら和平に乗り出した。スリランカ政府とLTTEが全面戦争に至っていないのは彼の調停で行われたオスロー会議の役割が大きい。
 ノルウエーの調停が切り開いた成果は休戦協定だった。和平はなされなかった。
 オスローの休戦協定が発効してまもなくスリランカ和平を買って出たのは日本政府特使として現れた明石康だった。東京会議とカンディ会議でスリランカ政府が驚くほどの復興資金を集めて銭後復興資金供与を約束したのは彼の貢献だった。
 だが、そのどちらも和平を進展させる方向には道を切り開いていない。
 エリック・ソルヘイムにはその和平への姿勢がLTTE寄りだという批判がある。LTTE幹部との欧州での親密な交際が和平調停役を担う動機だったという履歴が公平な和平という点で彼の調停へのリスクをもたらしている。
 明石康にはそうした因縁がない。だが、同時にスリランカ和平に足を踏み込むべき主観的な理由も見当たらない。客観的にはカンボジアPKOに果敢な取り組みをして一定の成果を得たという実績が明石康にはある。しかし、それはカンボジア和平成立後に入り込んだカンボジアでの国連職員としての仕事であり、和平成立前のスリランカにその実績を持ちこめるかは未定だった。オスロー協定はカンボジア休戦協定ではなく、国連PKOという枠組みもない。自衛隊の派遣もない。

 手詰まりの中、元IRA闘士が和平調停へ名乗りをあげた。マックギネスにはスリランカ和平に取り組む理由があった。
 「スリランカでは1983年からの衝突で7000人の犠牲者が出ている。ここに来て憂慮すべき事件が重なり、和平交渉が行き詰まった。昨年、大統領は北アイルランドを訪問されアイルランド紛争の和平交渉を学ばれた。今回、私がスリランカを訪問したのは、北アイルランドにおける私の経験を双方の当事者と分かち合うためだ。スリランカ休戦協定の遵守を説得するつもりだ」
 マックギネスは17日、カトゥナーヤカ国際空港でそう語った。

 スリランカのマヒンダ・ラージャパクシャ大統領は昨年5月20日、チャンドリカ政権首相のとき、4日間の行程で北アイルランドのベルファーストを訪ねた。ロンドンデリーを含む実質2日間の訪問だったが、ここでマーティン・マックギネスと1時間の会談を持った。また、アルスター大学の教授陣を含めて北アイルランドの武力闘争がどのような形で収束したか、それがスリランカ紛争とどのような共通点を持つか、話し合われた。
 今回のマックギネスのスリランカ訪問は、このマヒンダ現大統領訪問への返礼でもある。
 この双方の交流を進めたのはスリランカのNPO平和団体INPACTだ。あまりにも小さな団体でホームページもない。スリランカで掌握される平和団体の名簿にもその名がない。どのような活動をしているかその全体像はつかめない。代表のシンハラ人ペレーラ氏は2003年から4年に掛けてヨーク大学のACEAssociation for cultual Exchangeに留学し、帰国後再びINPACTに復帰した。
 スリランカ和平に民間ボランティア団体が直接関与したのは初めてのことだった。マックギネスの訪問をいち早く伝えたのがマヒンダ・ラージャパクシャ大統領の公式ホームページだったことも異例だ。
 マックギネスのスリランカ政府、LTTE双方への和平働きかけが成功すればスリランカに根ざす民間NPOの和平貢献がノルウエー、日本のそれを上回ったことになる。ノルウエーが求める利権、日本が求める国益とは別の和平交渉がここに構築されるはずだった。しかし、紛争当事者の一方であるLTTE側はこの訪問をあしらった。
 LTTEの報道はマックギネスの名に直接触れず、LTTEはすでに北アイルランド紛争に関する調査を済ませており、新たな事態は期待しないという趣旨の発言をしている。また、AFPがこの訪問を配信し、インドなどの国外の一部マスコミが記事にしたが、政府系新聞を含めてスリランカ国内のマスコミはマックギネスのスリランカ訪問を取り扱わなかった。

 マックギネスは1972年以来英国政府との交渉に当たり、84年8月31日にIRA軍の軍事活動停止を実現した。中部アルスター地区選出の議員であり、北アイルランド議会では教育大臣を務めた。
 マックギネスは次のようにも語っている。
 北アイルランド紛争はスリランカの民族紛争と似ているところがあり、私が体験した紛争解決への手順がスリランカに適用できるのではないかと見ている。妥協と和解をモットーとし、勝敗を云々しない事が紛争解決への道だ。国際的にはシンフェインが北アイルランド紛争を解決したとしてシンフェインのアドバイスを受けたいと世界各地から相談を持ちかけられるが、今アイルランドでは、パラドックスと言うべきか、シンフェインSFはユニオニストのDUPから協議を拒絶されている。私としては北アイルランドの問題に集中したいが、他の場所でわれわれの経験を学習したいと求められればどこへでも行く。


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