KhasyaReport/2006-02/qa112
スリランカ内戦終結の条件とは何だったのか?
 日本の関与したスリ・ランカ和平 2002-05年の動向


 2003年6月、東京でスリランカ和平と復興に関するドナー国会議が開かれた。会議開催に至る日本の対スリランカ援助は新しい対外援助の試行を模索していた。従来型の‘資金援助と技術協力‘というお決まりのパターンから1歩を踏み出し、他国あるいは多国間における和平構築という国際政治の課題へも日本がかかわるという日本の新たなODA大綱の大義を携えて国際戦略の転換をスリランカを通じて図ったのである。
 だが、関係者の周到な準備と果敢な努力にもかかわらず東京会議へのLTTE参加は叶わなかった。
 LTTEは東京会議においてスリランカ政府と席を並べるはずの和平会議での一方の当事者である。一方の当事者を欠いたまま東京会議は進行した。
 日本は東京会議を前にして対スリランカの援助資金を潤沢に確保していた。日本の卓越した調停者の采配によってスリランカ政府が腰を抜かすほどの対スリランカ融資を事前に約束した。しかし、和平進展に日本がかかわるという国際協力の新戦略はその端緒ですでに破綻していたのである。

 ノルウエーが切り開いたスリランカ和平交渉はオスロー会議で停戦協定樹立を得た。東京会議直前に開かれたバンコク会議ではスリランカ国内のタミル人難民の定住がスリランカ政府とLTTEによって話し合われていた。つぎは日本がその和平進展を図る番だった。しかし、LTTE不在の会議になってしまっては和平への新たな展開を生むことなどできるはずがなかった。
 LTTE不在の東京会議となった理由はいくつかあげられている。LTTE自身は会議開催日程の順延を申し出でていた。しかし、LTTEは国家転覆を図るテロル集団であると認定したアメリカの主張へ抗議して会議を蹴ったとか、LTTEは東京会議で約束される復興貸付金の返済リスクをスリランカ政府に押し付けるために会議を欠席したという金融筋の見解がまことしやかに流布している。

日本は東京会議に至って尚、スリランカ政府とLTTEの和平構築という課題を解決するに当たって「平和の分け前」を紛争当事者の鼻先にぶら下げるという旧手法を用いた。両者が「平和の分け前」にあずかれるのは和平成立後のこととする、という条件をつけたが、東京会議後、和平はまったく進展しなかったものの、「分け前」が潤沢に供与されたことを見ればその条件が経済外交の建前に過ぎなかったことを見抜く識者は多かっただろう。
 東京会議開催に至るまで日本政府特別代表が当事者たちに試みた折衝は精力的だった。東京会議以降もその努力は重ねられた。しかし、スリランカ危機への日本の調停は2006年2月の時点に至って尚、無効であった。

 スリランカ紛争解決の調停役を買って出た日本が目指した和平の枠組みは、スリランカ内戦を終結させ、その上でスリランカ全体を経済・社会の両面で復興させることだった。
 現時点でのその目標達成への日本の自己評価は、進展もなく後退もない、である。だが、従来型の資金援助と技術協力は成功したものの、日本が目指した国際社会の和平構築という新たなODA戦略は東京会議とそれ以降の状況展開を見る限り調停失敗という評価をせざるを得ない。オスロー会議の休戦協定を止揚する政治的な成果は何もなかった。
 なぜだろうか。進展もなく後退もないという結果、調停失敗という現実。その日本に代わって再びノルウエーが調停に乗り出した2006年2月。日本はスリランカ和平を進展させられなかった理由をいま、問わなくてはならない。


スリランカ紛争に関する日本の調査報告書はごく少ない。
 2003年、東京会議直後にJBICの報告書「スリランカの開発政策と復興支援」が平和構築を踏まえて編まれた。新ODA大綱に沿った内容である。報告書には中村尚司がかかわっている。そこに描かれた復興プランには中村尚司理念と呼ぶべき平和社会構築の理想が印されている。翌2004年には平和構築研究会による「スリランカにおける平和構築の現状」が人間の安全保障という視点から編まれた。これはJBIC報告書に記された事実関係を踏まえながら国内難民の現状把握に主眼をおいたルポである。
 二つの報告書は問題の視点を異にしている。だが、LTTEからの視点による紛争問題の解析が弱い点において同様である。

 スリランカ紛争はスリランカの国内問題であった。フランスはスリランカ紛争を国内問題として位置付けし紛争解決そのものにはかかわりを持たないと言明した。しかし、スリランカ紛争はすでにスリランカだけの問題ではない。アジアの大国が絡み、地球の警備保障を一手に引き受ける世界の大国が国連トップの座を絡めてスリランカに急接近を始めたからだ。今年、国連事務総長のポストをスリランカ人が握る可能性が高いのである。

 日本は大平内閣以降、他の国々がまったく追随できない巨額の投資をスリランカに対して始めた。同様の行為をスリランカ和平にも行って取り組んで来た。スリランカへの対外援助協力金額は上位6位にある。その理由は今は問わない。スリランカは小国だが日本にとっては経済政治の両面で最重要の位置にある。
 その重要性はこの秋に向けて更に高まるだろう。次期国連事務総長をスリランカから出すという動きが昨年から本格化している。アメリカはアジアからの選出にこだわらないとしながらもスリランカに対して特に軍事面において過度な接近を始めた。中国はタイの代表を候補に推すことを前提としながらスリランカとの交流を深めている。チャンドリカ前大統領は両国に対して果敢な外交をすすめている。スリランカ和平に取り組む私たちの日本はこの件に関してまだ態度を鮮明にしていない。
 日本の国連常任理事国入りが取り沙汰された時、国連での演説でチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領は強力に日本を援護し常任理事国入りを熱烈支持した。占領下日本が独立国日本となったサンフランシスコ平和会議の時のJRセイロン全権大使の日本支持演説のように能弁に、である。
 先の大戦以降の日本とスリランカの関係を踏まえれば、日本は他の国々を凌いでスリランカ問題解決に真剣に取り組まなければならない。
 日本政府のスリランカ援助が国際貢献への好ましい結果を残せないのであれば、更なる重税にあえぐこの国の納税者はこの国の外交を納得しまい。スリランカ紛争を解決するのは巨額の投資ではないということを知るべきではないか。


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2006-03-20/03-30/04-05 Khasya Report