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TOMOCAのカレーライス


スリランカ料理トモカの食べ方

スリランカ料理トモカの評判







TOMOCA店内イラスト/Spur 1990.10
バティックと熱帯植物とヒッカドゥワの奥の骨董屋で
見つけたmade in occupied Japanの時計と。
 TOMOCAのカレーはカレーじゃない…

TOMOCA (トモカ) のカレーはカレーじゃない。
いや、カレーだ。
いったい、どっち!?
注文するとテーブルに料理の盛られた皿がいくつも並ぶ。
ええ。どれがカレー?

どれもカレーで、どれもカレーじゃありません。
だって、メニューにカレーって書いてありません。
  いつもシンプルに…

料理はいつもシンプルなスタイルで作られます。スリランカのかつお節、小さな玉ねぎ、深煎りや浅煎りのコリアンダー。クミン。沢山の唐辛子と少量の塩。そして、ごく薄いココナツ・ミルク。これらを土鉢に入れてやわらかな火で煮上げると…
 TOMOCAのスリランカ料理が生まれます。
これって、カレー?
それとも…

TOMOCAの料理
週刊朝日1993.12.10
自国自賛の味スリランカ


復刻
TOMOCAの料理

もう店はないの?

はい、閉店したのは
前世紀末です。


それでもたまに懐かしいと言ってメールが届いたりします。


だって、エスニックでしょう?
どこにでもある。

TOMOCAがこだわったのは
シンプルでスマートなこと。田
舎の料理をそのまま東京四谷で再現すること。
これって、
なかなか、できない。


ポル・サンボールやハール・マッソーがテーブルに並ぶのはTOMOCAのスタイル。スローライフ、スローフードの塊。

わかった…ような。
いや、わからない。

…のときは、
こちらも覗いてみてください。



スリランカ料理トモカの食べ方

スリランカ料理トモカの評判



60'sの英国人はTOMOCAを
こう評した。

東京在住の外国人向け雑誌Tokyo Journal。TOMOCAの記事を介して、唯一、そして、正当にスリランカ料理を紹介したのがこれ。

トウキョウ・ジャーナルTokyo Journalが記したトモカ評


 どこか、ふうがわりな…

雑誌のエスニック料理特集では定番のこの店。
何処か風変わりな?
「店が狭くて営業時間がとても短い」と業界の日刊食料新聞でコラムに書かれたこともあります。
それだけじゃない。
風変りというのは…椰子のミルクと唐辛子とスリランカの鰹節が料理のエッセンスだということ。そこにスリランカのふたつのハーブ・カラピンチャとランぺを加えて素焼きの鉢で炊く。それだけ。それだけだった。

 熱帯スリランカ、田舎料理。

TOMOCAのメニューは熱帯スリランカの田舎料理。
南の島では当たり前の調理法です…。
これが日本じゃ通じない。
カレーじゃないとか、なんとか。
そりゃ、日本のカレーっぽくはありません。スリランカだから。
これが本物。アーユルウェーダなのだから。

南の島のカレーライスへ
南の島のカレーライス・スリランカ民族文化論
南船北馬舎刊-1995-の復刻版
kindle book
トモカのカレーが四谷に誕生した背景には南の島スリランカでこんな食の冒険があった。
オリジナル版・南の島のカレーライスへ
オリジナル・南の島のカレーライス・スリランカ民族文化論
1995年版を加筆し、写真・イラストを加えたビジュアル版。2012に発行された紙の本「オリジナル版」をkindle化。
 TOMOCA(トモカ)の主人は「南の島のカレーライス: スリランカ民族文化論」というノンフィクション風の不思議なカレー・グルメの本を出しています。スリランカ料理のレシピ―を正当に伝えるクッキング本「家庭で作れるスリランカのカレーとスパイス料理」(香取薫著)の誕生もこの店での香取さんとTOMOCAとの出会いが発端。学生時代の香取さんもトモカの大ファンだったとか。

「グッ・モーニン!」のウィッキーさんやテレビマンユニオンの「謎学の旅」でブルー・サファイヤを追ってスリランカを訪ねたマリー・クリスチーヌさんも、ハヤマからトモカへ足を運んではトモカのポル・サンボールを気楽に食べにきていました。スリランカの辛みを「ダイナマイト!」と評した畑正憲さんもトモカの料理を食べました。
 『異人たちとの夏』の冒頭、エスニック・レストランでの食事シーン。松竹では二か所のエスニック料理店をロケの候補地に挙げていたのですが、何やかや、TOMOCAが選ばれました。大林監督が五社映画の牙城に初めて乗り込んでカメラを回したのがこの『異人たちとの夏』です。TOMOCAのシーンの奥に厨房が明るく見えていますが、そこに私が潜んでいる。私の肘がファインダーに映り込んで監督に注意されたのは、なんだかうれしかった。
 風間杜夫、永島敏行のお二人の俳優さんはカットの取り直しで何度もアーッパを召し上がって、私は何度もアーッパを焼いて。指で召し上がるエスニック。その作法が自然でした。私の相棒が二人の指を拭いてあげて、さあ、また、撮り直し。撮影の後、大林監督は客席のテーブルに飛び込んで、指で上手にスリランカ料理を召し上がる。「学生の時、スリランカからの留学生が一緒だった」と言いながら、料理をつまんではパクパク。


異人たちとの夏パンフレット
封切映画館で配布したパンフ。このトップページを開くと下のページが出てくる。

異人たちとの夏パンフレット2
パンフの上の写真。拡大すると、主人公の二人、原田英雄と間宮一郎が食事をしているシーン。

異人たちとの夏パンフ・アップ
ええ?、TOMOCAのカレーを二人が手でお召し上がりに?「異人たちとの夏」は熱帯アジアのトモカの風景だったかも。

 後で完成した映画を見たときに、私は映り込んだかもしれない私の肘ばかりを気にしたけど、映画の流れとは何の関係もない。鳥井加南子 (のち、架南子)さんがパンフに「なんだか妙に人恋しい映画」と評していたけど、それは四谷の飲食街のビルの三階で人知れず営業していたTOMOCAの人恋しさだったかも。
 そう言えば、今映される「異夏」のTOMOCAのシーンからはお二人のセリフが流れるだけで、音楽が聞こえてこない。静寂は静寂でいいのだけど、当初はそこにスリランカの田舎に伝わる曲が流れていた。TOMOCAではスニル・ウェッタシンハ、アマラデーワ、ナンダー・マーリニといった人恋しく懐かしいシンハラの曲を流していたのだけど、著作権の関係でそれらは使えないとなった。なんかないか、それなら作者不詳のシンハラ古典民謡なら何とかなるかも、となって、曲を選んでバックに流していたのだけど、今の「異夏」からは聞こえてこない。音源の権利かしら。消えたみたい。なんだか、あの曲が恋しい。TOMOCAに来られていた方は、「異夏」にこのシーンが出てきたら客席に流れていたあの曲の雰囲気を思い出してください。俄然、あの味と雰囲気の懐かしさが倍増します。

レシピー スリランカ料理トモカのカレーライス

スリランカ料理トモカの評判
スリランカ料理トモカの食べ方

 かしゃぐら通信がここにご紹介するトモカの料理はシンプルでスマート。おいしいアジア熱帯の島カレー。



スリランカでご飯を炊く
スリランカ料理トモカのレシピ―33品一覧
オーソドックスなスリランカのカレー。と言っても日本のカレーじゃない。カレーじゃなくてスリランカ料理といってしまうほうがピンと来るかも。
料理はシンプル。この写真、子猫プーサが大好きな女子の手さばき。手と一緒に足指も使って調理中。この風景、日本でなら「おしん」だけど、がんばってるわけでも苦労しているわけでもない。普通なのです。なんで普通かって、土間のキッチンさえとってもスローでスマートだからです。

 

作れる! あなたもスロークッキング。


ハールマッソー
スリランカ料理トモカのハールマッソー

小魚をスリランカ風の煮ものにすると、こんな具合。小魚にスパイスとゴラカをあわせて素焼きの鉢で炊き込みます。汁気の多い少ないは好みで。


スリランカのカレーを作るときの取って置きのコツ

カレーライスQ&A スリランカ料理の疑問を解く
スローフードのスリランカ。特別なテクニックを弄する調理法なんてない。シンプルに作ります。でも、このシンプルが今の私たちには至ってムズカシイ。素材から料理を作るってこと、もう、とうの昔に忘れてしまったのですから。





スリランカ料理 道案内

スリランカ料理道案内
サンバルとゆずコショウ 
ダイコンめし 
カバーの話 
南の食事 
ガンパハういろう
スリランカ梅干
ジャック・マカラルの水煮缶詰


スリランカの野菜ガイド


やさい、やさい、やさい------●
スリランカの野菜一覧

スリランカ料理に使われる野菜ってどんなもの?



スリランカの普通のご飯 日本の食と基本は同じ------●
スリランカの家庭料理
 
偶然の出会いからスリランカ料理にのめり込んでいった日本人進化生態科学者が1986年に書いた本。2014年、仙台で復刊されて評判を呼んでいる。こういう本物が地方にはあるのです。


スロー・フードのスリランカ------●
アロマ ウンド アペティ(香りと食)

スリランカのスローフードに魅せられたドイツ人が作ったスリランカ料理の本。
スリランカ料理に魅せられた自然人の生活と意見。

さらば、ねばねばジャポニカ米------●
スリランカのカレーはパラパラご飯で食べよう
スリランカのパラパラご飯をつくる
おいしい注文の仕方------●
ポル・サンボールには鰹節入ってるかい?
         
神様のくれたポル・サンボール
スリランカ料理の神髄はポル・サンボール。なぜ「神髄」なのかって、ページを開いてこの歌を聴けば一耳瞭然。

ロバート・ノックスのカレーノックスのセイロン島史

 欧州の列強が世界に君臨していた大航海時代のこと。英国の商人ロバート・ノックスはカンデイ王国に囚われカンディ市のはずれで身動きもままならぬ生活を余儀なくされていました。後に王国を逃れ、オランダの手を介して英国に戻り、カンディ国での暮らしを手記にしたら、これが大ヒット。そのノンフィクションンにカレーのことが記されています。

漱石はコロンボでカレーを食べた

 漱石はコロンボでカレーを食べた。 英国留学の船旅でのこと。東京本郷でカレーを食べたのは小説の中の「三四郎」だったけど、漱石自身は熱帯アジアの本場でカレーを食べていた!?
漱石とコロンボのB・I・ホテル




 

 漱石がスリランカのコロンボでカレーを食べたと最初に報じたのは雑誌サライのカレー特集。
 漱石が食べたコロンボ・カレーは一体どんなものだった?
  あの人の愛したライスカレー サライ 1993 No.19