小田急線問題は、今後とも、連続立体交差事業の問題として継続して、取り上げていきます。下北沢再開発問題と共に、経堂の再開発問題もこれから起こってきます。碁盤の目のように整備しようという道路問題として存在しますが、このページでは、小法廷判決までをひとつの区切りとして、小田急高架問題を中心に扱います。
判決時のコメントや、掲載記事、論文に加え、当選以来3期、木下が小田急線問題について取り上げてきた議会論戦の軌跡もここに掲載します。振り返ると、不十分な質問や論理展開もあると思いますが、行政との生のぶつかり合いだけに、臨場感はあると思います。ひとつのドキュメントとしてお読み下さい。
なお、区議当選後、一年足らずで、小田急線問題を巡り、社民党からの排斥問題が起こり、木下は1996年10月に、「無党派市民」の旗を掲げて独立しました。また2期再選後は小田急高架線増連立事業推進団体となってしまった「経堂駅周辺街づくり協議会」役員の資格問題の議会質疑を巡り、2000年10月、区議会からは問責決議を受け、後に、当事者からは名誉毀損で訴えられるという事態も起きました。これらの事態は、行政権力が後ろ盾となっていた事件であったと考えています。質問の合間に、本命の事業認可取消し訴訟の推移とともに記載しておきました。
名誉毀損問題では高裁から議会での発言の自由は個人のプライバシーより優先するとの画期的な判決を受け、最高裁もこれを支持し確定しています。
小田急線高架訴訟の全体の流れは「もぐれ小田急線」で追って下さい。
(2006年11月2日 記)
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