平成103回定例会(自924日 至1022日)

世田谷区議会会議碌

1998年10月22日 平成九年度決算認定への反対討論


○(土田正人議長) 意見の申し出がありますので、順次発言を許します。

 なお、意見についての発言は、議事の都合により一人十分以内といたします。

 三十七番木下泰之議員。

   〔三十七番木下泰之議員登壇〕

◆三十七番(木下泰之議員) 星谷知久平議員がおやめになりました。その理由を明らかにしないままおやめになったものですから、その理由の子細は伝わってまいりません。しかし、国有地不法占有の問題が新聞には載っておりましたが、「せたがやの家」の問題がこの議会の冒頭問題になったということから考えまして、この「せたがやの家」についても責任をとっておやめになられた、そういうふうに理解するものであります。

 問題は区の対応であります。一方がおやめになるという形で責任をとられているのに、区は「せたがやの家」の問題について何ら反省を示すようなことを表明していないのであります。裁判でこの問題については徹底してさらに追及していく。そのことをここで明らかにしていきたいというふうに思います。

 平成九年度一般会計歳入歳出決算外三件について、反対の立場から討論を行います。決算認定については、大場区政不信任ということで、私はすべてについて反対するという立場をまず申し上げておきます。

 さて、今回の決算審議を通じて私は、小田急線高架問題のみならず、環境政策の課題の具体的な処理のあり方の論議を通じて世田谷区の都市政策の根本を批判し、その転換を求めてまいりました。騒音、排ガス、道路、再開発と緑について世田谷区がどのような対応をとるかは、都市の自治体である以上、最重要課題であり、そのことが世田谷区政を決定づけるのみならず、国の政策判断、ひいては経済政策にも大きな影響を与えるからであります。

 バブルが崩壊したことを教訓に、最高裁判所は一九九五年七月に重要な決定を下しました。神戸の国道四三号線の道路公害訴訟で日平均等価騒音レベルで六十デシベルを受忍限度とし、これを超える沿道騒音被害者に対し国に対して賠償を命じたのでありました。今夏、小田急線の騒音被害者に対して、政府の公害等調整委員会が小田急電鉄に損害賠償を命ずる責任裁定を下したのも、この判決が背景にあることは言うまでもありません。小田急騒音についての政府公害等調整委員会の受忍限度を七十デシベルとする決定は、明らかに最高裁判決に対する反動です。十デシベルといえば、デシベルは対数ですから音のエネルギー量について十倍の開きがあります。道路と鉄道との違いはあるけれども、同じ騒音で十倍の差をつけるというのは尋常な対応ではありません。当然のことながら、この決定に対しては、沿線被害者住民は訴訟を起こしておるということはご承知のことだと思います。しかしながら、この七十デシベルという小田急に対して極めて甘い決定でさえ、区の担当者も認めているように、小田急線が高架複々線とした際にクリアできる保証はないのであります。その意味で、世田谷区も進めてきた高架複々線事業は、最高裁判決は言うに及ばず、政府決定からしても違法な事業であります。

 さて、十月五日の朝日新聞が報じた自動車排ガスに含まれる環境ホルモンがマウスの生殖機能に影響を与えたという実験結果の報道は、環境問題を真剣に考えている者にとっては衝撃的な報道でした。化学物質に含まれる環境ホルモンの存在が、人類の生殖機能をなくし、人類の未来を奪う危険として認識されたのはつい最近のことですが、排ガスにも含まれるということは都市生活者にとっては無視できない脅威です。空気を吸わなければ生きていけないわけですから、大気汚染のとりわけ車の排ガスの対策は必須となりました。もはや排ガス対策は人類の未来を左右するものであり、都市政策の根本的転換が求められているのです。

 委員会でも問題にしたとおり、騒音は世田谷区内の幹線道路沿いの公的な観測点のすべてで環境基準を超えているのみならず、都道府県知事が道路管理者に改善命令を要請できる要請基準限度さえもすべて超えています。大気汚染についても、これまたすべての観測点で、環境ホルモンとして注目されている浮遊粒子状物質が環境基準を超えており、発がん物質として指摘されている窒素酸化物に関しては、二十年前に三倍に緩和されたにもかかわらず、緩和された〇・〇六ppmさえ砧の観測点以外はすべて超えております。つまり、世田谷で道路新設・拡幅や再開発を考える際には、この現実を避けて通ることはできません。

 私は、九月三十日に環境庁が騒音問題について緩和告示をしたことについて報告し、世田谷区政にとって重要な問題であることを指摘いたしました。すなわち、幹線道路周辺の特例として室内の騒音基準を新設し、今まで外ではかっていた基準ではなくて、中で四十五デシベル、四十デシベル、そういった値を守られればそれでよいとする、そういった決定が下ったのであります。これは環境行政を全く成り立たせなくする決定であります。このことについてご報告し、区長に対しても、これは非常に大変な問題であるからということで、これについての意見を求めました。区長は国や都の見解を待ってからお答えするというふうに答えましたけれども、この問題は、私は世田谷区長に対しては今回の決算も含めて不信任の立場でありますけれども、これは二十三区の区長会の会長、あるいは世田谷区の住民の命を守るという立場から、ぜひこの基準緩和告示に対しては十分な取り組みをこれからもしていただきたい、そういうふうに思っているところであります。

 ところが、残念ながら、今回の委員会質疑で如実に明らかになったことは、区長以下、区の環境問題の担当者の認識は全くこれらに対して危機感がないということであります。そればかりか、区長がみずからかねて区民に約束してきた緑被率三〇%の目標さえ、緑の基本計画策定に当たっては目標として掲げるのをやめ、かわりに現状維持を目標とする方針に区は転換しようとしているのであります。緑被率三〇%の目標は、建設省がかつて都市の緑のあるべき指標として掲げたものであります。たとえ行政の怠惰で現実性が乏しくなったとしても、あるべき指標であることには変わりがないのであります。これを取っ払ってしまったとすれば、現状維持どころか、緑被率は一〇%台の中ごろに転げ落ちることになるでしょう。区長は、決算委員会答弁では、三〇%にしたいという気持ちは変わらないと言いながらも、この目標を堅持するとは答弁しませんでした。さらに、本来、環境を守るべき環境部長の答弁は、現実には無理だから現実的な現状維持にするんだという答えでした。

 この三〇%目標を外してしまうという問題に関しては、環境審議会の中でも多くの反対意見があり、緑の基本計画策定に当たって最大の争点であるはずであります。ところが、意見を区民から聴取するに当たって、区の広報「せたがや」による説明会の開催の案内にはこの争点は全く示されていないのであります。十月一日付の広報のことであります。これでは緑の基本計画について意見を区民から聞くにしても何の意味もありません。そればかりか、八月一日付の広報「せたがや」は、「減らしたくないよね世田谷の緑」との表題のもと、九八年度の区民意識調査を紹介しておきながら、区民の意識調査の中で際立った極めて健全な回答の事実を意図的に外して紹介しているのです。ここで意図的に外されたのは、まとまった緑を今後どのようにしたらよいと思いますかという問いについて、実に五二・一%の区民が開発の規制強化による保全を求めているという重要な事実であります。つまり、広報「せたがや」は、緑の基本計画策定に向けて、今や開発推進行政となってしまった世田谷区にとっての区民の批判を隠ぺいし、環境審議会で激しく論争されている三〇%目標堅持の是非という争点さえ隠す、そういった先兵の役割を果たしているのであります。世田谷の緑や環境を守れるかどうかは、区が実施した区民意識調査で区民が正しく答えているように、開発行政を転換できるかどうかということがかぎなのであります。

 未曾有の経済不況であります。バブルの終えんで大規模再開発は終えんかと思われていましたが、逆に旧来型の土木中心のニューディールということになれば、世田谷は格好のえじきとなります。小田急高架複々線と一体となった道路新設・拡幅、経堂駅周辺の超高層ビルを含む駅周辺の大規模再開発、二子玉川の超高層大規模再開発、駒沢の超高層ワンルームマンションを含む三軒茶屋から二四六沿道の第二期超高層開発、NHK技術研究所や大蔵病院の建てかえを契機とした超高層化計画は、区民の望む緑豊かな環境のよい世田谷とは全く反対の方向に世田谷が進むということなのであります。その上、ミニバブルの再来は、日本経済を立て直すどころか破滅へと突き進むと断言せざるを得ないでしょう。世田谷区は今、岐路に立っております。

 私は、大都市東京の中で住宅地の自治体が何を主張するかで日本の未来が変わるというふうに確信するものです。七十六万区民がこの世田谷の地に居住し、物やサービスを生産し、消費しております。ゼネコンとは違った観点から新たな経済秩序を構築し、日本経済に決定的影響力を持つのは大都市住民なのであります。大場区長はその長であるわけでありますから、日本の将来や人類の未来にも大きな責任を持たなければならない立場にいらっしゃるわけです。残念ながらそれについて何らの答えも聞くことはできませんでした。そういうことで反対いたします。

○(土田正人議長) 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。