世田谷区議会議員 無党派市民 木下泰之

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一人会派「無党派市民」旗揚げの軌跡

木下は小田急線の高架反対・地下化推進を掲げ、市民派候補として社会党公認で1991年と1995年の区議選を闘いました。91年の43票差の次点惜敗を経て、1995年4月の選挙で当選しました。

ところが、1996年3月の予算議会で公約を貫くため小田急高架予算に反対を表明したところ、社会民主党世田谷区議団から秘密裏に突然はずされるという扱いを受けました。

区や区議会当局が不当に介入していたことから木下は手続きの取り消しを求めて裁判を提訴。

その間のいきさつは、樺嶋秀吉さんの取材により、「週刊金曜日」(1996年9月6日号)に詳しく報じられ、この記事が収録された同氏のルポ「DOKEN天国ニッポン」は後に(1997年10)日本評論社から刊行されました。

「総与党体制にはじき出された住民の声」
(週刊金曜日1996年9月6日号記事、「DOKEN 天国ニッポン」1997年より)

1996年10月の総選挙を前に木下は社民党を「脱党」、無党派宣言を宣し、一人会派「無党派市民」を旗揚げしました。

脱党・無党派宣言

・・・ もし、民主主義が大きな岩であるならば、転げ落ちるのが運命だとしても、喜んで背負おうではないか。民主主義の実現を目指す政治は終わりなき革命なのだから。私は転げ落ちてくることが運命付けられた民主主義を、背負うことに喜びを見いだすシジフォスでありたい。数多の市民シジフォスとの連帯で、新しい政治を切り開く決意である。

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