議会での言論の自由は「プライバシー」に優先  「名誉毀損訴訟」被告木下、最高裁で勝訴!


■木下、最高裁で勝訴!<2002年10月21日 過去の巻頭言集へ>

▲区長、「最高裁判決は適切と思う」と答弁。木下、一般質問で最高裁勝訴を報告、区長に感想を求む。2002年9月18日

▲最高裁判決全文
▲東京高裁判決全文(この判決が最高裁で確定しました。お急ぎの方はここをお読みください)
▲東京地裁判決全文

▲問題にされた2000年9月の一般質問
▲提出されたが、共産党動議と引き換えに撤回された自民党提出動議
▲共産党提出の発言取り消し動議
▲木下区議への問責決議

▲発言取り消し動議から木下問責決議へ(2000年10月19日の世田谷区議会議事録より)

共産党の動議提出/動議への木下の質疑/動議への木下の反対討論/動議への下条議員の反対討論/動議議決
木下が取り消しを拒否したことの議長報告/休憩動議、議長の休憩宣言
問責決議案提出・提案説明/問責決議への木下の弁明討論/木下退席の後の各会派賛成・反対討論(反対は下条議員のみ)/問責決議可決



■被告として訴えられていた名誉毀損訴訟での勝訴が最高裁判決で確定したことにより、木下は議会での問責決議による汚名を返上したばかりでなく、議会における言論の自由が「プライバシー」に優先するという重要な判例を勝ち取ったことになります。

■既に一審、二審とも勝訴していましたが、この間、私はこの民事訴訟を区議会の場で公にすることをしてきませんでした。事件について報道がなされなかったため、2002年9月20日の区議会での一般質問が最高裁判決についての初めての公表ということになります。

■この9月議会までインターネット上にも公表しなかったのは、区議会の仇は区議会でという思いからでした。区議会一般質問に対しては、大場区長から「最高裁判決は正しいと思います」との回答を得たが、制度上かなわぬことではあるが、本当に問いかけたかった相手は発言取り消しの動議を提出した自民党と共産党、そして下条区議を除くこれに付和雷同した同僚議員の面々です。この言論弾圧攻勢に対して一貫して共に対抗してくださった下条区議にはこの場を借りて感謝を申し上げます。以下、簡単にこの事件の概要を示しておきます。

■2000年の9月議会で木下は建築違反問題3題を取り上げ、区の建築行政・都市計画行政のあり方を徹底批判しました。そのなかで、経堂駅周辺街づくり協議会の会長・役員が大規模駐車場を無届で経営していること、建築違反を行っていること、また同地域出身の自民党区議会議員の後援会長を務めていたことを指摘し、同協議会の役員としてふさわしいかどうかを区長に問いただしました。

■同協議会は世田谷区まちづくり条例に規定された団体として認定され、区から補助金やコンサルタント派遣を受け、区職員による事務の補助がなされているなど公的な性格を持つものです。この協議会は小田急線高架促進・容認派で固められ地下化推進派を排除する運営方針をとったことから、区の傀儡協議会として木下がかねてから指弾してきた団体でもありました。

■この一般質問に対して、当事者から発言の撤回と懲罰を求める要望書が区議会議長宛に提出され、これをきっかけに自民党が発言取り消しの動議を提出。さらに共産党が「個人が特定できる文言の取り消し」動議を提出されると、自民党は自らの動議を撤回、共産党の動議に乗りました。この動議が可決され下条議員を除く全員で可決されるも、木下がこれを拒否すると、今度は、木下問責決議が提出され、やはり下条議員を除く全員でこれが可決され、本人の拒否にもかかわらず、議長権限で該当する文言は削除されてしまいました。奇妙な自共連携による言論弾圧はこのようにしてなされました。

■しかし、言論弾圧攻勢はこれでは済みませんでした。この問責決議をネタに今度は当事者が民事の名誉毀損訴訟でそれぞれ両名に500万円づつ、都合1000万円の賠償と新聞への謝罪広告と議会本会議での謝罪を求めてきたのです。その後の裁判は2001年7月東京地裁で木下勝訴、2001年11月東京高裁で木下勝訴と順調に進み、2002年6月13日最高裁は上告を棄却を判決。木下の勝訴が確定しました。

世田谷区議会議員 木下泰之にご意見をお寄せください。 kinoshita@a.email.ne.jp

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