平成14年第3回定例会(自918日 至1018日)

世田谷区議会会議録

2002年10月18日 決算認定への反対討論


○新田勝己 議長 これより意見に入ります。
 意見の申し出がありますので、順次発言を許します。
 なお、意見についての発言時間は、議事の都合により一人十分以内といたします。
 五番木下泰之議員。
   〔五番木下泰之議員登壇〕


◆五番(木下泰之 議員) 平成十三年度世田谷区一般会計決算認定外四件について、反対の立場から討論を行います。

 平成十三年度は、現在も違法、不当にも高架計画で工事が進められている小田急線線増連続立体化事業の事業認可が違法だとの歴史的な東京地裁の判決があった年度であります。昨年度、つまり二〇〇一年十月三日にこの判決は下りました。小田急線の高架・複々線問題が日本の高度成長を大きく加速させる要因となったオリンピック開催の年の一九六四年に始まり、その後の高度成長とオイルショック後の低成長期を経て、バブル期とその崩壊を経験し、その後遺症を無策のまま放置した、いわゆる空白の十年を経て、二〇〇一年の違法判決が出たという歴史性を小田急問題に見ておく必要があると思います。

 残念ながら、平成十三年度の決算に示されているとおり、世田谷区の大場区政は、この大規模公共事業にノーを突きつけた判決を一顧だにしないばかりでなく、判決後も違法高架事業を加速させる補正予算を執行してはばからなかったのであります。このような区政の決算認定には同意できるわけがございません。

 かつて世田谷区議会は、一九五六年に始まった旧多摩川線、現田園調布線の地下化要求の区民運動にこたえ、一九五七年に同線の地下化を決議したときから、一九八〇年代初頭に至るまで、本来的に区内を走る高速鉄道の地下化推進を全会派一致で決議してまいりました。一九七〇年と一九七三年には、国や東京都に対して二度にわたって小田急線の地下化要請を全会派一致で決議したことはよく知られていることであります。

 オリンピックはまさに国民的行事でした。この国民的行事を前に、新幹線の整備や首都高を含む高速道路の整備が進み、モータリゼーションも飛躍的に拡大するきっかけをつくったのです。同時進行的に公害が進みました。その後、四大公害訴訟を初めとする反公害の一大ムーブメントが起き、高度成長の負の側面を是正する市民の声が広がり、美濃部都政を初めとする革新自治体が全国に広がっていきました。今では縁もゆかりもなさそうですが、大場区政も一九七五年に初登場したときは、社共、社公のブリッジ共闘で成立した革新区政であったという事実を忘れてはなりますまい。そして、大場区長も小田急線の地下化推進を唱える沿線の市民運動の大会に出席して、市民を激励していたのです。

 戦争ですべてを失い、戦後復興から高度成長へ、その負の遺産としての公害との格闘。経済の国際化と貿易摩擦、ニクソンショック、オイルショックを経て低成長へ。歴史にイフが許されるとしたら、七〇年代に二度のオイルショックを技術力で克服し、高度成長をなし遂げ、国際競争力を得たその自信を、八〇年代に入ってからは、それまで犠牲としてきた高度成長の負の側面にもっと目を向け、国民の築いた富を、それまでないがしろにしてきた環境、福祉、教育や科学基礎研究への投資へと差し向けていたならば、この国のありようはもっと違ったものになっていたはずであります。

 ところが、ジャパン・アズ・ナンバーワンの褒め言葉に有頂天になった日本は、復興経済から続いてきた土建屋国家の体質を転換することなしに、中曽根元首相のアーバンルネッサンスのかけ声とともにバブル期に突入してしまったのであります。

 小田急線問題は、まさにバブル期の土建国家プロジェクトの典型でありました。一九八五年に世田谷区が露払い調査として川上秀光東大名誉教授を座長とする、いわゆる川上委員会を発足させ、一九八七年、八八年の都の国庫補助調査を経て、この時期に企画されたのが小田急線の線増連続立体交差化事業にほかなりません。銀行や損保や生保を第三セクターに引き入れ、これを連続立体交差化事業に参加させることで新設都市計画道路を含む道路の新設、拡幅と沿線の一体的整備が従前の同事業にも増して、より大規模にねらわれていました。

 第三セクターは、一九九〇年に東京鉄道立体整備株式会社として設立され、これを連続立体交差事業にかますことで、小田急線のみならず私鉄各線での同種事業がねらわれたのでした。とりわけ経堂駅周辺は、当初、超高層ビル群を林立させることが企画されていたのです。目算が狂ったのは、市民運動とバブルの崩壊です。第三セクターの解散を求める監査請求運動と訴訟で、東京鉄道立体整備は当初から規模の縮小を余儀なくされました。論理矛盾を突かれたために解散を余儀なくされてしまったわけであります。また、後づけで統計を見ますと、一九九一年にはバブルは既にはじけていました。

 さて、今回の決算議会を通じて、私は経堂の駅前広場と関連道路の問題を取り上げました。六千九百平米必要だと当初言われていた駅前広場は、先月提示された区の都市計画案では五千六百平米に縮小されております。しかも、高架下スペースを大きくとってこれを広場に組み入れたことにより、結局は小田急OX自動車駐車場の移転のみで、その他の民間地権者の買収は関連道路による再移転の地権者二世帯のみということになっております。これでは民間を大きく巻き込んだ面的整備が成り立つ余地は全くなくなっております。ちなみに、複々線事業地から移転した者の再移転が二件あるのは、当初の大規模開発計画が大きく変更されてしまった証左にほかなりません。当初計画は、五十二号線、百二十八号線、百三十三号線と駅広一体を整備し、土地区画整理事業も導入し、それらの立ち退き者の移転先を確保することで面的整備を行う。つまりは超高層ビルを建てる予定だったのであります。

 結局、今回の駅広の計画は、再開発の視点から見れば、鉄道が高架である必要は全くなかったということになります。賢明な皆さんは、小田急線の高架反対・地下化推進運動や裁判が果たしてきた役割を喝破されたと思います。この市民運動の裁判提起とその勝利は、既にバブル再開発計画を阻止し、町の乱開発に歯どめをかける役割を大きく果たしているということであります。

 さて、昨年の判決の控訴審が東京高裁で行われておりますが、去る十月一日には四回目の口頭弁論が行われ、十二月十日には五回目を迎えようとしております。回を増すごとに一審判決の的確さが際立って証明される法廷となっております。住民も一審東京地裁判決も、認可の対象を単なる鉄道事業ではなく、都市計画法における都市施設としての連続立体交差事業としてとらえております。ところが、被告国は事業認可の対象を連立事業とせずに、単なる鉄道事業と主張してはばからないのであります。

 連続立体交差事業という範疇をつくっておきながら、これをないと言いくるめる極めて噴飯なへ理屈でありますが、四回目の口頭弁論に国土交通省関連団体がつくった、線路が邪魔だと思ったことはありませんかという広告が示され、線路に分断された町、連続立体交差事業が解決します。現在、全国六十二カ所で実施中です。踏切がなくなり、新しい道路ができると道路交通がスムーズになります。だから、道路整備の一環として鉄道の立体交差事業を行うのです。連続立体交差事業に合わせて、多くの土地で土地区画整理事業などのまちづくりが一体的に実施されています。駅前広場整備や高架下の商業施設の利用なども行われ、新しい町ができますという宣伝文句の存在が突きつけられるに至って、国土交通省の詭弁はみずから崩壊してしまったのであります。

 今紹介しましたように、国は相当に追い込まれております。そういった状況の中で、現在も違法な工事が突貫工事を伴って日々進行し、世田谷区も違法な事業をベースとして各駅周辺まちづくりを推し進めようとしております。こんなことは即刻やめるべきであります。違法な事業を地下化に転換するに当たっての緑のコリドーの代替案については、この壇上から何回か紹介してまいりました。今回の決算議会でもヒートアイランド対策が議論されました。小田急線を全線地下化に転換した上での緑のコリドー代替案を実現することができるならば、エコロジカルニューディールの先駆けとして、政府の都市政策を抜本的に転換させることになるでしょう。

 私たち世田谷区議会の先輩は、一九五七年に、一九七〇年に、一九七三年に、世田谷を通る高速鉄道は地下にと全会派で言えただけの良識を持っていたことを、もう一度思い起こそうではありませんか。昨年の小田急裁判の住民勝利は、かつての世田谷区議会の良識にあずかった力があったと言わなければなりません。小田急線の問題が公共事業の見直し、都市における自然再生にかかわる大きな問題であることを、世田谷区民の半世紀近くにわたる願いにかなっているものであることを念頭に置いていただきたいと思います。

 そのことを申し上げて、一人会派無党派市民の決算認定五件への反対討論とさせていただきます。


○新田勝己 議長 以上で木下泰之議員の意見は終わりました。

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