■「ACT」紙(上)2132004223日掲載(下)2132004年3月8日掲載

小田急線高架訴訟 最高裁に向けての闘い

 

小田急線高架訴訟  最高裁に向けての闘い

木下泰之さん(世田谷区議)に聞く今後の問題提起

 

市計画制度と行政訴訟の問題浮き彫り

苦し紛れの「門前払い」判決だ

 

 昨年十二月十八日、東京の小田急線の高架化事業に反対する周辺住民が原告となり、旧建設省(原告:現国土交通省)の事業認可取消を求めた控訴審判決(矢崎秀一裁判長)が東京高裁で出された。住民側勝訴の画期的な一審判決から二年二ヵ月、その結果は、原告の訴えを退け、国の事業認可を認める判決だった。司法改革が叫ばれ、行政訴訟が変わりつつある今、時代に逆行するかのようなこの判決に対し、原告側はすぐに最高裁への上告を決めた。再び大きな波紋が広がると予測される。今回の判決のポイントと、裁判で焦点となった都市計画決定の問題について、運動を支えてきた世田谷区議の木下泰之さんにお話を伺った(後半部分は次号)。

【写真・構成:加田斎】<写真は略>

 

訴えることができるのは小田急だけ?

 

今回の判決の特徴は、まず、「原告適格」を狭めているという点にあります。

 高架化というのは、上にあげて横に増やす増線連続立体交差事業なのですが、その際、測道が必要になる。これは環境測道という位置づけになっていて、本来は日照の関係で義務づけられているんですが、住民の側からすれば当然、騒音などの公害にも関係してきます。

 一審判決では、この測道の地権者は鉄道の高架事業認可に対して訴えることができるという判断を示しました。それが今回、高架化事業と測道整備を別ものとした。つまり測道の地権者は、側道の事業認可に対して訴えることはできるが、鉄道事業認可に対しては原告となる資格を持たないというわけです。でも、高架をつくることに文句をいえないのに、その近くに住み続けるのを望む人はいないでしょう。だから、訴える利益自体がなくなってしまうような判断をしてるんです。

 それでは、本体事業の地権者だったら訴えられるのか。今回、事業認可の対象として裁判所が認定したのは、もともと電車が走っていた在来線の部分のみです。そこの地権者は誰かといえば、小田急しかない。つまりこの事業の違法性については小田急しか訴えることができないことになる。奇妙な話でしょう。

 

行政裁量権は逸脱していない?

 

 「門前払い」をしたのだから触れなくてもいいようなものではあるけれども、判決は都市計画や事業認可についての判断も行っています。この判断に当たっては、都市計画や事業認可の判断過程に違法性があれば、行政裁量権を制約できるという論理は認めています。この論理は一応は司法改革の流れにそってはいます。しかし、結局はそのなかの個別の問題については、すべて無理矢理こじつけて、国の正当性を擁護するような形になってる。

 たとえば都市計画案の説明会のときに、事業者が大量に押しかけてきて審議を妨害したという事実については、そういうことがあっても、説明会自体が義務づけられたものではないから問題ない≠ニなる。

 また、行政側が高架化と地下化を比較する際(編集部註:住民側は環境面・コスト面から地下式が優れていると主張)、騒音などによる環境影響への配慮を怠ったという点についても、「環境整備」というものを「都市整備」の意味を含んだものと位置づけていて、地下化との比較をきちんとしていないとしても、高架をした後の環境配慮についてやっている以上、裁量権の逸脱とはいえない≠ニかいうんですね。

 

なんとしてもひっくりかえす

 

それから、一九六九年に建設省と運輸省が結んだ「建運協定」に逸脱していることについて<はいくつ>も認める記述がある。建運協定というのは、クルマ社会を支える都市開発をおこなうために、鉄道を含めた都市の開発事業を建設省主導にするという、いわば利権の再配置を本質とするものです。タテマエは立派なもので、国庫補助による環境アセスを含めた調査や住民参加を保障した上での都市計画をこの協定を通じて実現するようにかかれています。行政内の取り決めではありますが、予算の配分なども含めて連続立体交差化事業を決定する規範になっていて、政令に準ずるものといえます。少なくとも官吏は守る義務がある。これに違反していると言っている。つまり、タテマエとはいえ都市計画のために自分たちでつくったルールを自分たちで破っている、と。にもかかわらず、それは法令でも規範でさえもないので、違反しても裁量権の逸脱にはならないという結論になる。

 ある意味メチャクチャですよ。恐らくこのような矛盾は最高裁でも批判されると思います。

 しかし、都市計画や事業認可に逸脱行為が仮にあったとしても、結局、原告要件の部分でシャットアウトできる。そこさえまず認めさせればいいわけです。そういうある意味姑息な手段を、向こうは使ってきている。

 しかし、裏を返せば、向こうは切羽詰まっていたともいえます。今回は、辛うじて首皮一枚でなんとかつなげたというだけです。

 確かに苦し紛れともいえるこの判決を聞いた当日、法廷で「不当判決」と大声で叫びました。裁判所の壁も厚いなと思いました。しかし最高裁は、東京高裁などと比べると、近年、行政訴訟を市民に開かれたものにしようとしています。そこに期待して、なんとかひっくり返すことができればいいんですが。内容的には負けていないと自負しています。

 突破口を開くためにも、全国の方々のご支援をよろしくお願いします。私たちもがんばっていきたいと思います。<以上2004223日付「ACT」紙に掲載>

 

<以下、200434日付「ACT」紙に掲載>

判断過程の行政裁量権の逸脱は違法

官僚システムの闇を追い詰めよう!

 

 「門前払い」という、信じられない結果が出た小田急高架訴訟控訴審判決。この判決の根底には、土建国家の官僚システムの問題があると木下議員は指摘する。

 

ぎりぎりに官側を追い詰める

 

 この裁判では、事業認可の前提となる都市計画決定の問題が大きな焦点になりました。しかし、都市計画についてはこれまで政治の場で突っ込んだ議論がされてこなかったのはないでしょうか。理想論としての立法論はあるけれども、残念ながら現実の行政過程での逸脱行為に対して果敢に戦ってこなかった。

 今回の訴訟は一連の小田急の関連訴訟とともに都市計画決定過程での情報の扱い方、環境問題の対応の仕方、住民参加のあり方のすべてについて、現実の法の運用に即して徹底的に争ってきたというべきでしょう。高裁は原告の適格要件で門前払いし、バリアを施した上のことではありますが、判断過程の行政裁量権の逸脱は違法だという法理を認めざるを得ませんでした。

 都市のあり方を大改編し、たった六・四キロの鉄道の立体化に二十五本もの道路の新設ないし拡幅と周辺再開発を行うことで一兆円もの公共投資となる小田急線の連続立体交差事業は、「建運協定」によって律せられています。この旧運輸省と旧建設省の協定は鉄道と道路の「連続立体交差事業」を都市部再開発のマスタープランとして機能させるよう定義づけられています。

 けれども、高裁の判決の論理を借りるとこれには「法的規範」が認められないとしている。それでは官僚は好き放題やれるし、「建運協定」を決めたこと自体に意味がなくなってしまいます。

 市民側の上告は最高裁に、この官僚システムの深い闇に対して法治国家としてどう向き合うのかという厳しい設問を投げかけています。判断過程の行政裁量権の逸脱は違法だという法理を高裁が認めているだけに、ギリギリのところまで官側を追い詰めたともいえます。

 

市民が参加できないまちづくり

 

 いま、地方自治体では盛んに「まちづくり」がいわれていますが、何かそれに参加することが擬似的な「市民運動」になっている気がします。だけど、実際の「まちづくり」は、大まかなことは全部、都市計画のなかで決められていて、その前提で人を集めたりワークショップをやってりしているに過ぎないんです。行政側は、都市計画の重要なところには市民を参加させないで、大枠が決まったところで、トイレのデザインや駅前広場のレイアウトなどチマチマしたことだけをやらせている。

 ですから、本来なら、都市計画を市民の手に取り戻すために、政治セクター、具体的には対抗する野党が、肥大化している行政権について積極的に取り上げて議論し、きちっとした対案を出さなくてはなりません。しかし、これまでそれをやってこなかった。この小田急の問題も、ある時点で政党は逃げてしまい、最終的には共産党まで含めてこの高架計画に賛成しました。

 政党に都市計画の対抗案を作成させることを促すのも市民運動の大きな務めだとも感じています。

 

これからの運動の展望

 

 都市計画問題は既成事実がすべてというようなところがあって、たとえ間違っていても仕方がないと市民自身が思ってしまうことがままあります。決してそうではない、というのが、私たちの立場です。

 すでに立ち上がった小田急線高架を地下に転換し、高架橋は生態コリドー(回廊)にしようとの私たちの提案は、都市に自然環境を取り戻すための問題提起であり、少なくとも一審の東京地裁には理解されました。お隣の韓国でもソウルの清渓川(チョンゲチョン)を暗渠化して建設した高速道路を撤去し、都市に河川と緑を戻す事業が二〇〇三年七月から始まったと報道されています。

 都市再生と称して、超高層ビル群をニョキニョキ建てるよりも、都市に自然を回復する事業に投資をおこななうことが真の意味での都市再生につながることは火を見るよりも明らかです。時代は確実に変わってきています。

 残念ながら、〇四年度中に高架化工事完成予定の区間の地下化への転換と緑のコリドーの実現がなるかどうかは最高裁の判断を待つしかありませんが、運動を通じてすでに地下化への方針を勝ち取った下北沢地区(代々木上原から世田谷代田間)についての鉄道跡地の緑道化の実現は不可能ではありません。実現に向けて頑張りたいと思います。

 一方で、小田急線連続立体交差事業は道路・再開発事業でもありますから、最近、小田急線と交差している道路事業計画が目白押しとなっています。世田谷区長は二倍の速さで道路を整備すると豪語する有様です。

 とりわけ、下北沢に計画されている補助54号線は北口商店街の只中を二十六mの巾で通すとされています。この事業化は歩いて楽しめる下北沢を道路と高層ビルの街に変えようとしているのです。

 最近、下北沢では、補助54号線に反対し、車に頼らず歩いて楽しめる街の魅力を守ろうと、若者を中心に新たな市民運動「SAVE THE 下北沢」が結成され、活動を活発化させています。近くに住む社会学者の小熊英二さんやピアニストのフジコ・へミングさんも賛同を寄せており、新たな展開が望まれます。

 最高裁の裁判での再逆転を展望しつつ、世田谷全域に広がりつつある道路・高層再開発計画と対決し、全国に広がる都市計画見直し運動とも連携しながら、より良い都市環境・住環境創出のために今後とも奮闘していく決意です。<以上、200434日付「ACT」紙に掲載>

 

<「ACT」紙212号(2004223日)(2004223日)と213号(200432日)掲載文を併せたもです。>