北方領土問題 更新情報と連絡

2017.4.16
 尖閣問題のページに、日中漁業協定の説明を書きました。
 樺太国境標石のページに記念郵便印を追記しました。

2016.5.8
 日露・日ソ関係 ゆかりの地 のページに、徳島県美和町日和佐 高知県室戸市佐喜浜 を追記しました。ここは、1771年、鎖国時代にロシア船が来航した地です。

2016.5.8
 日露・日ソ関係 ゆかりの地 のページに、松山 を追記しました。松山には、日露戦争の時、捕虜収容所がおかれました。

2016.5.8
 原発関連のページに、四国電力 伊方原子力発電所 を追記しました。ここは、日本を横断する大断層帯である中央構造線に隣接して場所に建てられた原発です。どうして、こんな危なっかしい場所に作ったのか、理解に苦しみます。

2016.2.16
 やさしい北方領土問題の話のページに「宮部線」について書きました。千島列島の植生分界のことです。また、北方担当大臣が「歯舞」を読めないことがあったので、北方4島の漢字表記について書きました。 

2016.2.16
 尖閣問題問題の関連として、尖閣にソテツはないを書きました。また、ソテツの解説を書きました。

2015.8.23
 尖閣問題の参考図書に幾つかの書籍を追加しました。

2015.8.20
 竹島問題の参考図書に幾つかの書籍を追加しました。
 竹島(独島)問題と日露の関係を追記しました。
 閔妃暗殺は辞書などにどのように書かれているかのページと大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件のページを作りました。日本公使三浦梧楼が朝鮮王妃を殺害した事件です。

2015.6.13
 北方領土関連資料のページに、朝日新聞・論壇(1983/6/23)の記事を追加しました。水産業界団体・大日本水産会専門調査委員による違法操業がまかり通っている事実を告発・批判する投稿です。
 竹島のページニホンアシカ(日本の乱獲により絶滅した鰭脚類)のページを作りました。

2015.5.5
 日露・日ソ関係ゆかりの地のページに、幾つかの市町を追記しました。以下の市町があります。
    北海道 根室・宗谷・稚内・網走・常呂・函館・松前・江別・札幌・小樽・猿払
    密漁の羅臼
    下田・戸田・敦賀・飛騨屋久兵衛と下呂・稲・鴨川

2015.6.6
 千島関連の古絵図・古地図のページに、若干の地図を追加しました。
 
 尖閣問題のページに、琉球の歴史解説として、薩摩藩の闇支配琉球返還と琉球独立運動のページを作りました。

2015.2.27
 尖閣問題のページ竹島問題のページをアサヒネットのサーバーからTOK2のサーバーに移動しました。

2015.2.26
 日露・日ソ関係ゆかりの地のページをアサヒネットのサーバーからTOK2のサーバーに移動しました。

2014.7.6
 尖閣問題を考える上で、琉球史を無視することは出来ないので、尖閣問題を理解する上で、最低限必要と思われる琉球史を書こうと思います。まず手始めに、「米軍占領統治時代」を書きました。B円(米軍軍票)の写真と、占領当地に関連する切手類の写真が中心です。

2014.6.7
 北方領土問題関連資料のページに、 ソ連地区引揚米ソ協定 を追記しました。
 竹島問題の参考図書のページに、いくつかの書籍を追記しました。
 尖閣列島問題の参考図書のページに、いくつかの書籍を追記しました。

2014.5.28
 竹島展示館のページを作りました。

2014.5.6
 「日露・日ソ関係 ゆかりの地」に千葉県鴨川市を追記しました。

2013.4〜2014.4
 「尖閣(釣魚)問題」のページを、ボツボツ書いています。

2013.9.16
 北方領土のページ(詳しい北方領土の話)の中の、「5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ?」の中に、北方領土で使用された切手の画像を追加した。日本は、サンフランシスコ条約で千島列島を蜂起したけれど、北方領土が千島に含まれていることは、切手に押された消印から明白です。

2013.9.11
海外の地図における北方領土の表示」のページに、ランドマクナリー社の、いくつかの地図画像を追加しました。

2013.6.1
 北方領土問題 参考文献 に追記しました。

2013.5.26
 竹島問題の参考図書一覧は、これまで、竹島概要の中にあったが、独立した単一のページにした。あわせて、参考図書の数を増やした。

2013.1〜2013.5
 四島交流等事業使用船舶「えとぴりか」の写真を掲載した。

2012.9〜2012.12
 @千島関連の古絵図・古地図に、いくつかの地図を追加した。
 A日本の学校地図教科書にみる北方領土に、いくつかの地図を追加した。
 B日露関係ゆかりの地 北海道・根室市 北海道・函館市 などに、いくつかの写真を追加した。
 Cその他

2012.8.12〜8.26
@「千島関連の古絵図・古地図」のところに、『大日本海岸全図(1853)整軒玄魚』と『千島全図(1870)松浦武四郎』を追記しました。1853年地図は、一般日本人の北海道認識が遅れていたことを示すものです。松浦武四郎の地図は、明治になってからのもので、今から見ても十分に鑑賞に耐える出来です。

A北方領土問題で、嫌なのは、領土問題を出汁にして、おかしな本を強引に売りつける恐喝まがい行為だ。
2000年代前半に、被害が多かったのが、北方領土問題審議会。ここは、千島連盟・元理事 竹内春雄が会長の政治団体。今回、根室を旅行して、Google Mapで「北方領土問題審議会」とされている場所や、政治資金収支報告書に記載された住所の場所を訪ねたので、その写真を掲載した。街宣車などはないので、強引販売があった場合は、恐れずに毅然とした態度で断ろう。

B北方領土問題ではないけれど「渡来銭」のページの「渡来銭にまつわる話題」のページに、オンコロマナイ遺跡出土の煕寧重宝、常呂遺跡出土の永楽通宝、厚岸町郷土館の「アイヌの針入れ」の写真を追加しました。

2012.7.30 北方領土問題の「羅臼国後展望塔」解説ページを大幅に追記しました。
 先日、「羅臼国後展望塔」を訪ねたら、ちょうど4島交流のロシア人が会議室でビデオを見ていた。日本の領土要求の根拠は、必ずしも正しい歴史知識に立脚したものではなくて、日本に都合の良い事実をつなぎ合わせた所があるので、ロシア人の心をつかむことはないだろう。日本に比べ、ロシアでは、近・現代史の歴史教育が深いので、小中学生のときに、まじめに勉強したロシア人ならば、日本の解説が一面的であることはすぐに見破るだろう。
 羅臼国後展望塔のパネルは、他の北方領土問題啓発館に比べても、日本に都合よく書かれている面が強いように感じた。吉田茂がサンフランシスコ条約で、4島は放棄した千島に含まれないと、説明したかなのように、書かれたパネルはいただけない。史実に反した捏造は良くない。

2011.11.06 第2次世界大戦末期のソ連対日参戦は日ソ平和条約残存期間中に行われたので、日本の一部勢力にはソ連の参戦を国際法違反であるかのように宣伝する人たちがいます。ソ連の参戦は、アメリカ大統領ルーズベルトの要請に基づいて行われ、トルーマンが国際法上合法であるとの見解を示した後に、ソ連は参戦しました。米国公式見解を知らない人も多いようなので、その点を明確にしました。

2011.10.30露・日ソ関係 ゆかりの地のところに、函館を加えました。

2011.3.9  やさしい北方領土の話のところに、戦後、北方領土から帰国した日本人のうちで、ぜひともとどまってほしいとソ連に懇願された人の話を書きました。
 北方領土旧居住者は、希望者全員が日本に帰国し、一部のものは、ソ連に残留しました。当時、ソ連は労働力不足だったため、出来れば帰って欲しくなかったため、残留を懇願された人もいました。しかし、千島連盟を中心に「全員が強制帰国させられた」との、虚偽を吹聴している勢力があります。

2011.1.10 北方領土問題関連の終戦前後の年表に、大陸命、大海令を追記しました。大陸命、大海令とは、天皇の陸・海軍に対する統帥命令です。ソ連が北方領土を占領したのは終戦以降だったという人がいます。終戦を正しく理解するためには、玉音放送だけではなくて、このような史実を理解することが必要です。さらに、米軍占領地の降伏日を追記しました。北方領土をソ連が占領した日と、米国が日本各地を占領した日を容易に比較できることを目的としています。
 また、北方領土問題関連資料連合国軍代表最高司令官総司令部 布告第1号、第2号、第3号を掲載しました。

2010.12.4 北方領土問題をネタに、高額図書を強引に売りつける犯罪があります。エセ北方領土返還運動です。この中の団体等の解説に、今年の7月に逮捕されたエス・ビー・ビーを追記しました。また、エセ北方領土返還運動で、最も被害報告の多い「北方領土問題審議会」が総務省に提出した政治資金収支報告のリンクをつけました。「北方領土問題審議会」は公益法人・干島歯舞諸島居住者連盟(元)理事竹内春雄が会長の政治団体ですが、今年の1月に解散の収支報告書が提出されています。

2010.12.3 千島の日本軍のところに、「暁 第6193部隊」所属兵士が差し出した軍事郵便はがきを記載しました。

2010.10.25 日本の学校地図教科書にみる北方領土のところに、昭和23年発行の中学生用地図における北方領土表記を記載しました。初版は、敗戦翌年に発行されています。

2010.10.25 千島関連の古絵図・古地図のところに、林子平の三国通覧図説の地図の一部を追加しました。北方図としては、特に目新しいことはありませんが、琉球図に尖閣諸島の島が記載され、中国領土を示す色に着色されています。ただし、このページは、尖閣問題は扱っていないので、当該箇所は割愛しています。

2010.10.11 やさしい北方領土のはなしのページに、戦前・戦後の日本の領土範囲を追記しました。また、日本の学校地図教科書にみる北方領土に地図を追加しました。

2010.10.11 渡来銭のページに、「北方地域出土の寛永通宝」など、追記しました。

2010.9.12 択捉島で寛永通宝が見つかったことを理由に「択捉が日本固有の領土であることを証明する1つでもある」とBlogに書いている人がいました。 どうしてこんな発想をするのだろう。日本には、渡来銭(宋銭など)ぐらい、いくらだってあるが、だからといって「日本列島は中国の固有の領土であることを証明する1つでもある」などと考えるような人はいないだろう。
渡来銭をよく知らない人もいるのだろうかと思い、日本に残存数が多い渡来銭解説ページを作りました。
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/1to10/1to10.htm
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/11to20/11to20.htm
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/21to30/21to30.htm
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/31to40/31to40.htm

2010.94 日本の学校地図教科書にみる北方領土のところに、昭和27年発行の教科書地図における北方領土表記を追記しました。日本が、サンフランシスコ条約によって独立を回復した最初の教科書地図です。

2010.6.19 現実には北方四島はソ連・ロシアが実効支配しているが、日本政府は実効支配ということを嫌がることが多い。北方領土問題関連資料のところに、大臣が「実効支配」と説明した事例を記載した。

2010.3.20 日露関係ゆかりの地として、「長崎 稲佐」の日露関係の説明ページを作りました。ロシア人相手の売春が盛んだった土地なので、どこまで詳しく書いたらよいのか、ちょっと思案中です。

2009.12.29 千島関連の古絵図・古地図のところに、享保日本図、新訂万国地図などを追加しました。

2009.9.22 詳しい北方領土の話の中に、飛騨屋久兵衛と下呂のページを作りました。

2009.9.21 北方領土との交流の一つ、光のメッセージの説明ページを作りました。

2009.7.5 Topicsのページに幾つかの項目を追記しました。関連文献に幾つかの追加をしました。

2009.3.8 詳しい北方領土の話の中に戦前の北方領土のページを作りつつあります。当分完成しません。

2009.3.8 関連文献に幾つかの追加をしました。

2009.3.1 やさしい北方領土の話のページを若干変更しました。

2009.2.7 日露関係ゆかりの地として、「根室」「下田」「戸田」の日露関係の説明ページを作りました。

2008.12.20 詳しい北方領土の話に、『北方領土旅行の方法』を書きました。

2008.12.6 詳しい北方領土の話の章の数が多くなったので、体裁を変更しました。

2008.11.23 ここ数年来、暴力団と見られる組織が、北方領土返還運動関連の高額本を作って、強引に売りつける犯罪が横行しています。これに関連して、2日に、8.1.6 エセ北方領土返還運動(返還運動標榜ゴロ)のページを作りました。高額本の強引販売では『北方領土問題審議会』が出版した本の被害が有名ですが、ここは、公益法人・千島歯舞諸島居住者連盟の幹部会員と密接な関係があるようですが、詳しいことは、良く分かりません。『最北端国境の四島』という高額図書がありますが、この本が何らかのヒントを与えてくれているようなので、奥付・目次を記載しました。

2008.11.21 正保御国絵図の詳しい説明を書きました。

2008.11.12 北方領土問題の概要のページに追記しました。外務省の北方領土問題の概要説明のページの項目が増えたので、体裁を合わせるためです。

2008.11.2 ここ数年来、暴力団と見られる組織が、北方領土返還運動関連の高額本を作って、強引に売りつける犯罪が横行しています。これに関連して、8.1.6 エセ北方領土返還運動(返還運動標榜ゴロ)のページを作りました。また、やさしい北方領土問題の話の最後に、エセ北方領土返還運動の話を書きました。

2008.10.19 8.北方領土返還運動と北方四島交流を大幅に追記しました。最近、根室旅行をしたときの写真がメインです。

2008.9.20 北方領土問題関連資料の中に『降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針』の英語文を追加しました。

2008.8.15 被写界深度の説明を拡充して、写真レンズの焦点距離と描写 あれこれのページを作りました。標準レンズが見たとおりに写るレンズであると誤解している人が多いので、解説を書いたものです。マニュアルカメラを使っている人には常識的な内容です。

2008.8.15 竹島の概況のページに「竹島の気候」を追記しました。韓国側のページ「独島歴史館」に書かれている内容の紹介・解説です。韓国側の説明では、竹島の降水量は多いと感じる記述になっています。朝鮮半島と比べると、降水量が多いのでしょうけれど、日本の他の地点と比べると、むしろ少なめです。

2008.7.27 鬱陵島から竹島を撮影した写真が公開されているので、その写真を参考に、鬱陵島(ウルルン島-ウルルンド)から竹島(独島-トクド)はどのように見えるか のページの図を変更しました。また、類似なページ、鬱陵島(ウルルン島)独島展望台から見た竹島を作りました。さらに、1877年、日本政府は竹島を日本の領土外としたか?1900年、韓国政府は竹島を韓国の領土としたか?のページを作りましたが、このページは冗談半分程度のつもりで読んでください。

2008.6.12 鬱陵島(ウルルン島-ウルルンド)から竹島(独島-トクド)はどのように見えるか のページが有ります。このページを誤読・誤引用している議論がネット上に散見されたので、記述を追記しました。ネット上では、鬱陵島から竹島は小さすぎて見えないと主張する人がいます。このよう主張の多くは、単純な計算ミスなので、算数が苦手な人でも、間違いをしないように、詳しく書きました。

2008.5.30 北方領土問題関連資料のページに以下の資料を追加しました。

1946/6/29 外地在留同胞引揚
1961/10/16 参議院予算委員会(北方四島のソ連支配を政府は不法占拠であると説明)
1977/6/6 衆議院外務委員会 - 25号(政府は、不法占拠とは「法的根拠を有するものではないという意味で」あると説明)
2002/4/9 アジア太平洋戦争時の千島への朝鮮人の連行(今野東衆議院議員の質問と政府答弁)
2005/10/31 「不法占拠」とはどういう意味か(鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁)
2006/2/14 一九五六年の日ソ共同宣言など(鈴木宗男衆議院議員の質問と政府答弁)
2008.4.4  詳しい北方領土問題の話のところに「アイヌが北方領土の先住民」を作りました。

2008.2.24 北方領土問題の参考文献を追加しました。

2008.2.11 北方領土の現状のところに、缶詰のラベルを追加。北方領土と関係無いかもしれません。

2007.10.21 返還運動のところに若干追記しました。まだ、ほとんど内容がありません。

2007.10.3 千島返還論に『隠れ返還不要論』を追記しました。

2007.9.16  『3.千島列島のロシア領有』の部分に、加筆しました。外務省発行『われらの北方領土』の当該部分を、1969年版および1986年版以降2006年版まですべて読みました。その結果、1992年版から記述が大きく変わっていることが分かりました。1991年の海部・ゴルバチョフ会談で、海部総理は、日本軍少佐水津満の証言(捏造の可能性があります)を根拠に、北方領土の要求をしています。たとえ嘘であっても、日本の総理大臣が主張したことなので、引っ込みがつかなくなったのでしょうか。
 海部・ゴルバチョフ会談と、『われらの北方領土』の記述の変遷はここを参照ください。 
 また、あわせてこちらもご覧ください

2007.7.22 海外の地図における北方領土の表示のところに、オックスフォードの地図を掲載しました。当然、ロシアの領土になっています。
また、日本の学校地図教科書にみる北方領土のところに、現在、日本の中学校教科書でも、北方領土がロシアの領土になっている地図があるを追記しました。

2007.7.12 サハリン州が発行した冊子を掲載しました。北方領土問題に対するロシア側の説明です。

2007.6.24 北方領土関連資料のページに、1959/2/25最高裁決定を掲載しました。千島列島に属する国後島は、日本国には属しないこととなったものと解する、との決定が下りました。

2007.6.24 北方領土切手のところに、クリリスク郵便局舎の写真を掲載しました。北方四島の現状のところに、ギドロストロイ工場の写真を掲載しました。海外の地図における北方領土の表示のところに、Philip's Pocket World Atlasと中国製世界地図を追加しました。

2007.6.3 クナシリ島ユジノクリリスクのパンフレットの内容を掲載しました。北方四島の現地の人たちの考えに近いものです。

2007.5.21 『5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ?』の下のほうに、ステン・ベルクマン宛の封筒の写真を載せました。宛先にはKurile Islandsとあります。

2007.5.21 『1、日本政府の主張と根拠』の前に、日本政府による『北方領土とは』を書きました。また、ブリタニカ百科事典による説明を書きました。

2007.5.17  『3.千島列島のロシア領有』の中にある樺太・千島占領の過程の図の日付を若干変更しました。ソ連が占領した日とはどのときを言えばよいのでしょう。偵察隊が上陸した日、本体が上陸した日、武装解除を始めた日、武装解除が完了した日、等々、いろいろ考えられます。ここでは常識的に、本体が上陸し、武装解除がある程度進んだ日を『ソ連が占領した日』としました。このため、占領日が複数にまたがっている場合があります。
また、やさしい北方領土のはなしのページに『日本政府の説明は、世界の人に理解されているのですか?』の項を追加しています。

2007.5.6 『3.千島列島のロシア領有』の部分に、大幅な加筆をしました。『3.2 ソ連対日参戦から千島占領の過程』のところです。日本軍少佐水津満の証言を根拠に、ソ連も当初、北方領土は千島に含まれないと認識していたと、説明されることがあります。和田春樹は水津の主張を「単純な誤解」としていますが、悪質な捏造である可能性も否定できないので、この点を3.2.4に書きました。

2007.3.10 日本の教科書地図のページに、昭和31年の教科書地図と、昭和41年の教科書地図の説明図を追加しました。

2007.2.25 北方領土問題の概要のページに『2.日本政府の基本的立場と現実』の項を追記しました。外務省の『北方領土問題の概要』のページに似た体裁にしています。
 参考文献のページは、随時、追記しています。

2006.12.12 日本の中学教科書に見る北方領土の表示ページを作りました。また、海外の地図における北方領土の表示のページを作りました。

2006.12.11 関連資料に、1946年11月に外務省が連合軍総司令部に提出した北方領土問題についての調書を追加しました。この資料は、日本政府は公開を拒んでいます。しかし、オーストラリア公文書館で発見され、内容が明らかになっています。日本の北方領土要求に致命的な打撃を与える可能性があります。
 また、年表に若干の事項を追加しました。北方四島の現状のページは一区切り付きました。

2006.10.8  5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ? のページに、UPU25周年紀念絵葉書の写真を掲載しました。1902年逓信省発行の絵葉書では、国後・択捉もKOURILESに含まれています。1902年に、日本では、国後・択捉をKURIELESと認識していたことが分かります。

2006.10.1 北方四島の現状のページを書きつつあります

2006.7.17 各国の教科書に見るソ連対日参戦のページに、イギリス・フランス・イタリア・オーストリア・デンマーク・ポーランドの高校生用歴史教科書の記述を加えました。
 ヨーロッパの歴史教科書は、原爆投下の説明の中に、ソ連対日参戦が、ちょっと顔を出すものが多いようです

2006.6.19 やさしい北方領土の話のページから注意書きを分離しました。キッズGooのフィルタリングで、注意書きの部分が閲覧できないので、そのための対応です。

2006.6.11 北方領土関連資料に、1956年8月14日、日ソ平和条約案を追加しました。日本も、一度は、二島返還と言う現実的対応を考えたことが分かります。

2006.6.1 北方領土関連資料に、ポツダム宣言中国語版を追加しました。

2006.4.1 北方領土関連資料に、幾つかのものを追加しています。
 @情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱:日本政府は、日ソ中立条約を尊守する意思が無かったことを示す公文書です。
 A昭和三十五年三月二日根室において開かれた「日ソ平和条約締結促進根室地方住民大会」宣言:根室では二島返還論であったことを示す大会宣言。
 B昭和26年10月26日 衆議院本会議議事録抜粋
   委員長による委員会報告。通常は委員会議事録で十分なので、この文書は掲載していなかった。しかし、木村汎氏をはじめとする四島返還論者の中には、委員会での政府答弁は条約局長によってなされたものであることを理由に、その重要性を否定するがごとき説明がなされることがある。実際は、衆議院本会議において、委員長が報告しているとおり、「サンフランシスコ条約で日本国が放棄したクリル列島には、南千島(国後・択捉)が含まれている」との説明は、政府の見解であった。

2006.2.18 以下の修正、加筆をしました。
 @第二次大戦中の日ソ関係の年表を作成した。
 A参考文献をいろいろと追加した。
 B千島返還論のページに、『6.10 日本の主要政党の返還論』および『ソ連側から見た、北方領土問題の分析』を追加した。

2005.12.19 カイロ会談の説明で、テヘラン会談との関係を無視しているような解説が多いようなので、カイロ会談とテヘラン会談さらに、それに先立つモスクワでの外相会談の関係の説明を加えました。

2005.11.27 北方領土問題とは関係ないのですが、竹島問題に関連して、韓国・北朝鮮が発行した竹島切手のカバーを掲載しました。

2005.11.13 『5.国後・択捉は千島? クリルアイランズ?』のところに、サンクトペテルブルグ条約日本語訳がどのように誤りであるのかを書きました。本当は誤訳と言うほどのものではありません。条約締結当事、千島列島の定義は問題にならなかったので、Groupの一語を訳し落としたのです。条約締結時から1956年まで問題になったことはありませんでした。1956年以降、日本政府は、ちょっと翻訳が不完全だったところを無理やり持ち出して、国後・択捉が千島に含まれないとの主張をしました。この主張にもともと無理があったのです。

2005.11.7 詳しい北方領土問題の話の『3.千島列島のソ連領有』に『ちょっとわき道(北方領土に残った日本人)』を書きました。

2005.10.8 Blogで書いた内容の一部を私の独り言に転載しました。また、Topicsのページを作りました。

2005.6.5 和人の北海道進出のようすを図示しました。この図は、、「日本北方史の論理(海保嶺夫著)雄山閣、1974年」から引用で、たの書籍にも引用されることがある有名な図です。

2005.5.21 鬱陵島から竹島はどのように見えるか。竹島問題をネット上で調べていたら、、「鬱陵島から竹島を肉眼で見ることはほぼ不可能」との説明がありました。それも1つではなく幾つもありました。ちょっと信じがたかったので、どの程度の大きさに見えるかを単純な計算で求めてみました。
 計算の結果「よく見える」ことが分かります。いまだに、なぜ、このような簡単な誤りが横行しているのか、不思議でなりません。

2005.2.23 竹島問題と日露関係のページを作りました。竹島は日本と韓国が領有権争いをしていますが、この問題には触れていません。『無人孤島の正当な領有者は誰か』そんな事知りませんので。
 竹島を日本が領有宣言したのは、日露戦争の関係です。日露戦争は、日本から見れば、韓国併合にロシアが立ちはだかったからなので、日韓関係が原因ともいえます。日本が竹島の支配権を失ったのと、千島の支配権を失ったのは、同じGHQ指令なので、どこと無く繋がっています。 

2005.4.20 年表の最後に、1987年和田論文のことと、1992年の大使館パンフレットのことを追加しました。

2005.4.10 北方領土問題に関する私の独り言 のページを作りました。自分の思いを書いています。

2005.4.2 北方領土問題の概要のページを作りました。日本政府外務省のページに「北方領土問題の概要」があるので、それをまねして作っています。

2005.3.25 細かい事ですが、北方領土問題関連資料のページに、明治九年布告第弐号明治十八年布告第一号を載せました。
 「千島とはもともとウルップ以北のこと」このような史実に反することを言う人がいます。実際には、国後・択捉が千島国になったのは明治2年、ウルップ以北が千島国になったのは明治九年布告第弐号です。
 「色丹島は千島ではない」このような史実に反することを言う人がいます。実際には、明治十八年布告第一号により、色丹島は千島国に編入されています。

2005.3.9 北方領土問題のページのいくつかの語句を変更しました。これらのページはキッズGooからの閲覧があります。しかし、猥褻用語を含むと判断されるとキッズGooでは表示されなくなります。このため、猥褻用語を含むと判断されないように、語句を変更しました。

2005.3.5  第2次大戦末期のソ連対日参戦を不法行為であるかのように言う人がいます。「太平洋戦争はアジアの解放のためだった」「朝鮮の植民地化は朝鮮人のために行った」「従軍慰安婦は現地女性に職場を提供するためだった」。このような主張をする人たちが、「ソ連対日参戦を不法行為」であると主張することは特に驚くに当たりません。しかし、ソ連の対日参戦を不当な行為とする主張は、諸外国では、ほとんど無いようです。この問題に関する唯一の裁判である東京裁判の判決で、ソ連の正当性が認定されているためです。
 参考のため、東京裁判の判決のうち、関連する部分を掲載しました。また、周辺各国の歴史教科書の関連部分の翻訳を掲載しています。また、北方領土問題の解説のところに、コメントを書きました。


2005.1.4 正誤訂正。(大きな誤りがありました。)
 北方領土の解説に誤りがありました。日本で一般に言われている下田条約(日露和親條約)の説明を、明白な事実であるかのような記述にしていました。
<誤>『エトロフ以南がロシアの領土になったことが無いのは、その通りで、これは何人も認めるところです。下田条約(日露和親條約)によって、エトロフ以南が日本領になったというわけではなく、それ以前から日本領だったものを、日露間で確認しあったのが、下田条約だったのです。』
<正>『エトロフ以南がロシア固有の領土になったことが無いのは、その通りで、これは何人も認めるところです。日本で一般に言われている説明では、下田条約(日露和親條約)によって、エトロフ以南が日本領になったというわけではなく、それ以前から日本領だったものを、日露間で確認しあったのが、下田条約だったことになります。』
 歴史的経緯から見た場合、択捉島の領有をロシアが主張する可能性がありました。実際、交渉の中で、ロシア側は択捉をロシア領とする事を主張したこともあります。しかし、当時ロシアは択捉の領有にはあまり関心がなく、それ以上に、日本と友好的に貿易する事を望んでいたのでした。実際、下田条約第一条は、日本とロシアの友好を宣言しています。択捉島をロシアが放棄したのは、友好関係と貿易を重視したためでした。

2004.12.26 各国の教科書に見るソ連対日参戦のページを作りました。第2次世界大戦末期、ソ連は日本に宣戦布告をし、主に中国を侵略していた関東軍に侵攻します。日本人の中には、ソ連対日参戦を悪い事のように考える人がいます。近隣諸国ではどのように子供達に教えているのか、参考のために、中国・モンゴル・韓国・台湾・香港・インド・ソ連の関連部分の歴史教科書の記述を紹介します。近所の公立図書館の本の記述ですので、興味ある人なら誰でも知っている程度の内容です。


2004.11.21 北方領土問題関連です。サンフランシスコ条約締結時に条約局長が「条約解釈として国後・択捉を放棄した」と説明しましたので、北方領土解説のページは歴史的事実としてその旨記載しています。この記載に対して、「条約局長答弁の趣旨は固有の領土論および四島返還論を主張したものだ」とのご指摘をいただきました。(ご連絡いただきましてありがとうございます。)条約局長答弁に自己の見解を加える事により全く違った内容に改変する事は可能ですが、そのような政治的意図にコメントする立場にありません。しかし、誤解無いように、蛇足になりますが、千島列島はなぜロシア領かのところに注記しました。  北方領土解説ページのミラーサイトはこちら。 


2004.10.31 千島探検家・最上徳内の墓が、東京都文京区に有ります。徳内の墓の写真を、北方領土のページの下につけました。このページの下にリンクしています。写真はZenit-km MC Zenitar-K2 50mmF2で撮影しました。
2004.10.11 北方領土解説のページの資料のところに、下田条約・サンクトペテルブルグ条約の日本語訳文を付けました。また、北海道旧土人保護法をつけました。  北方領土解説ページのミラーサイトはこちら。

2004.9.22 やさしい北方領土のはなし のページに、松村さんが撮影した写真を挿入しました。

2004.9.19  やさしい北方領土のはなし のページに、クナシリ島に旅行した松村さんのページをリンクしました。2002年8月、ピースボートでの旅行です。こちらもどうぞ

2004.9.8 小学生にも分るように、やさしい北方領土のはなし のページを作りました。ほんとうは、小学生の夏休みの宿題に役立つように、夏休み中に作りたかったのですが、間に合いませんでした。

2004.4.10 北方領土問題 について私なりに整理しました。日本政府の4島返還論は根拠が薄弱です。1980年代ごろまで、4島返還論の根拠は、「南千島は千島でない」が前面に出ていました。和田春樹氏の指摘以降、この根拠は後退し、変わって「固有の領土」論が前面に現れています。でも、「北方領土は日本の固有の領土」と強く主張すると、アイヌの存在を無視する事になり、誤った考えです。また、関連する年表を作りました。
 さらに、参考のため北方領土問題を考える上で必要と思われる法令等を掲載しました。 本当は、日露通好条約と千島樺太交換条約の複数言語が必要なのですが、入手していないので、この2つの重要な条約は掲載していません。日本がサンフランシスコ条約で放棄した千島の範囲がどこであるのか「SCAPIN-677」「逓信省令第16号 外国郵便物取扱規則」「衆議院 - 平和条約及び日米安全保委員会」「参議院 - 平和条約及び日米安全保委員会」をご覧下さい。
 ところで、日ソ共同宣言では、歯舞・色丹の引渡しは平和条約締結後であることが、明示されています。平和条約が締結されていない現在、歯舞・色丹がソ連・ロシアの施政下にあることは、日本が了解したことです。
 平和条約締結後、どのくらいの期間を置いて、両島を引き渡すか、これは明示されていません。100年後でも、1000年後でも約束違反にはならないのかどうか、私は知りません。


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