ソ連対日参戦の要請−カイロ会談とテヘラン会談



◎米英ソ三国外相会談(モスクワ会談)(1943/10/19〜1943/10/30)

 1943年の夏は、第2次世界大戦にとって重要な転換点であった。ソ連はクルスクにおいて、ドイツとの史上最大規模の戦車戦に勝利し、このとき以降、ドイツを追撃することとなる。一方、日本軍は、ガダルカナルの玉砕をはじめ、敗北の後退期に入った。こうした中、米国では、日本との戦争に、ソ連に参加を求める要請は高まっていった。
 モスクワで開催される外相会談に先立つ10月5日、米国大統領ルーズベルトは国務省スタッフとの会談で、千島列島はソ連に引き渡されるべきである、との見解を示した。ルーズベルトは極秘情報でスターリンが千島列島の領有を希望しているとの情報をつかんでいたのである。
 10月19日から開かれたモスクワ会談の席上、ハル米国務長官は、ソ連外相モロトフに対し、千島列島・南樺太をソ連領とする見返りに、日本との戦争に参戦することを求めた。この要求に対して、ソ連外相モロトフは即答を保留した。モスクワ会談最終日の10月30日、晩餐会の席上で、スターリンは、ハル米国務長官に、ドイツに勝利した後に日本との戦争に参加することを、伝えた。



◎カイロ会談とカイロ宣言(1943/11/22〜1943/11/27)

 米国大統領ルーズベルト、英国首相チャーチル、中華民国総統蒋介石により、対日戦の軍事面での協力と将来の領土について話し合われた。27日にカイロ宣言が発表された。
 カイロ宣言は米・英・中、三国の日本国に対する将来の軍事行動を協定したものであり、日本国の侵略を制止し、日本国を罰する為に、今次の戦争を行っていることが宣言された。この宣言には「右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ(米・英・中の3カ国は、自国のために利益を求めているわけではなく、また、領土を拡張しようととの思いがあるわけではない)」と書かれているが、領土を拡張しないと明示されているわけではない。
 カイロ宣言では、戦争の具体的目的に以下のことが示された。
 ・第1次世界大戦後に日本が奪った太平洋諸島を剥奪する
 ・満州・台湾・澎湖島のように、日本が中国から盗み取った領土を中国に返還する
 ・日本が暴力・貪欲により略取した一切の地域から、日本を駆逐する
 ・朝鮮の人たちは奴隷状態に置かれているので、朝鮮に自由独立をもたらす
 (千島や南樺太については、特に明示されていない。)



◎テヘラン会談(1943/11/28〜1943/12/1):

 テヘラン会談はカイロ会談に引き続き行われた。米国ルーズベルト、英国チャーチル、ソ連スターリンのほか、イギリス外相イーデン、ソ連外相モロトフ、ローズベルト側近ホプキンズ、さらには三国の軍指導者らが出席した。会談の主な目的は連合国側の作戦の調整(第2戦線)であったが、会談での議題は多岐にわたり、戦後の世界平和維持機構の枠組みなどについての意見交換もあった。会談の最大の成果は、北フランス上陸作戦(ノルマンディー上陸作戦)を決行することが了解されたことである。
 この会談の中で、スターリンは、ルーズベルトに対して、ドイツ降伏後、日本との戦争に参戦することを約束している。
 ルーズベルトは帰国後の演説で、ソ連は南樺太と千島の引渡しを望んだと報告している。ただし、会談の公式記録には、報告のような内容はない。

 対ドイツ戦線において、英首相チャーチルは、バルカンからの上陸を主張した。しかし、ルーズベルト・スターリンの意向で、ノルマンディー上陸が決定された。バルカンから米・英軍が上陸すると、戦後の東欧における勢力バランスで、米・英が有利になる。一方、ノルマンディー上陸では、東欧の多くがソ連圏に入ることになる。チャーチルの提案は、戦後の勢力拡大を狙ったものだった。しかし、バルカンからの上陸作戦では、激しいドイツ軍の抵抗が予想され、米・英軍に大きな損害が見込まれた。ルーズベルトは、戦後の勢力拡大よりも、米軍兵士の損害を少なくすることを選んだのだった。
 ルーズベルトは、スターリンに対して、ドイツ戦に勝利した後に、日本との戦争に加わることを求めている。もし、米軍が、満州国の関東軍と戦うことになると、陸上での戦車戦になるので、補給の問題を考えても、米国には過剰な負担を強いられる恐れがあった。スターリンに対する、ルーズベルトの提案は、米軍兵士の損害を、なるべく少なくする目的でなされたものだった。




カイロ宣言解釈の留意点

 カイロ宣言は文字通り宣言であるので、それ自体が国際法上、効力を有しているというものではなく、正式に効力を持つためには条約などの締結が必要となる。日本は、すでに、サンフランシスコ条約を締結しているので、条約が優先し、カイロ宣言の解釈がどのようであっても、本来はあまり意味のないことである。
 しかし、日本の北方領土返還要求の根拠に、カイロ宣言が利用されることがあるので、カイロ宣言は自分の主張に都合よく解釈される場合が多い。

極端な解釈を2つ掲げる。

(1)カイロ宣言では「日本が暴力・貪欲により略取した一切の地域から、日本を駆逐する」ことが目的に掲げられているが、南樺太は暴力・貪欲により略取した地域ではなく、ポーツマス条約にしたがって日本の領土になった地域なので、カイロ宣言では日本の領土であることが認められている。
 さらに、カイロ宣言では、領土不拡大の原則が宣言されているので、もともと日本の領土であった千島は、日本の領土にとどまることが認められている。


(2)カイロ宣言では「日本が暴力・貪欲により略取した一切の地域から、日本を駆逐する」ことが目的に掲げられているが、南樺太は日本の背信的攻撃によりロシアの正当な権利を侵害して奪った領土あるため(ヤルタ会談の認識)、日本が駆逐されることが、カイロ宣言に示されている。
 さらに、択捉島は、パールハーバーを国際法に違反して攻撃した連合艦隊の出撃基地だった。カイロ宣言の最初に掲げられた目的「日本の侵略を阻止しこれを罰するため」を実現するため、日本の領土から省かれることは、カイロ宣言に明白に示されている。
 


 南樺太は、日露戦争の結果、日本領になった地域である。日露戦争を日本の侵略戦争と見るのか、そうではないと見るのか、この見方によって、南樺太の帰属に対する解釈が変わってくる。実際には、カイロ宣言は文字通り宣言なので、カイロ宣言に示された文言の解釈権限は日本にはない。このため、ヤルタ協定により「日本国ノ背信的攻撃に依り侵書せられたるロシア国の旧権利」との認識が、米・英・中国から示されている以上、(1)の解釈には無理がある。
 しかし、ヤルタ会談はカイロ会談の1年半後のことなので、ヤルタ会談の認識を理由に、カイロ宣言を解釈することにも、十分な説得力があるとはいえない。


 歴史的経緯を見ると、カイロ宣言とりまとめの中心となった米大統領ルーズベルトは、カイロ会談の直前・直後に千島列島・南樺太をソ連領とする見返りに、ソ連の対日参戦を求めている。このため、カイロ宣言の認識は「千島列島・南樺太を日本の領土にとどめることを示している」と解釈することは、できない。

 もし、カイロ宣言で、千島列島・南樺太を日本の領土にとどめることが、明示されていたとしたら、ソ連には対日参戦のメリットがなくなってしまい、ルーズベルトはソ連に対して対日参戦を要求する根拠がなくなってしまう。
 逆に、カイロ宣言で、千島列島・南樺太をソ連領とすることが、明示されていたとしたら、ソ連は対日参戦しなくとも千島列島・南樺太を手に入れることになってしまい、ソ連の対日参戦が得られない可能性が高い。
 ソ連に対日参戦を求めるためには、カイロ宣言では、千島列島・南樺太の帰属について、あいまいな表現にしておくことが必要だろう。実際に、カイロ宣言では、千島列島・南樺太の帰属については、あいまいであり、このため、政治家は自分に都合の良い解釈を主張するわけである。


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