北方領土問題



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サンフランシスコ条約の注意点

Q 北方領土を日本は放棄したか?

A サンフランシスコ条約は次のようになっています。

第二条
 (c) 日本国は,千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。

 樺太については、ポーツマス条約…の記述があるのに、千島列島には何のコメントもありません。すなわち、千島列島は無条件で放棄する事が定められているわけです。
 無条件である以上、「千島樺太交換条約の結果として獲得した」領域はもちろん「下田条約の結果として認められた」領域も、そこが千島列島であるならば、当然に放棄しています。千島列島でなかった領域がその後千島列島に編入されたとした場合でも、同様に放棄しなくてはなりません。
 もし、この条文どおりに解釈すると、国後・択捉はもとより色丹島も放棄した範囲に明白に含まれると言う事になります。
 ところが、英・仏・西語版では「千島列島」ではなく、「クリルアイランズ」となっています。このため、クリルアイランズの範囲がどこであるかが問題になります。
 「北方四島は一度も外国領になった事が無いので、日本が放棄した範囲に含まれない」という論拠は、サンフランシスコ条約では、通用しません。もう一度繰り返します。サンフランシスコ条約日本語訳文では、日本は無条件で千島列島を放棄しました。サンフランシスコ条約英文等では、日本は無条件でクリルアイランズを放棄しました。

 そこで、日本が無条件で放棄した「クリルアイランズ」がどこであるかが問題になります。既存の条約で、「クリルアイランズ」が定義されているならば、それが有効です。そうでない場合、行政範囲等で定められている場合は、それが有効です。それも無い場合は、一般的用法になります。
 ここが、曖昧なのです。それで、いろいろな主張が出てきます。

 既存の条約で、「クリルアイランズ」が定義されているか。微妙ですが、定義されているとは言えないと思います。
 サンクトペテルブルグ条約(千島・樺太交換条約)の日本語誤訳では、クリルアイアイランズをウルップ以北と定義されているように読めますが、これは日本政府の作った私訳なので効力は有りません。同条約のフランス語正文は、「クリルアイランズ」の範囲を定義していません。下田条約(日露修好条約)の日本語訳(誤訳であることがわかっているが正文)は無理をすれば、ウルップ以北と定義されているとも読めるとの説があります。しかし、同条約のロシア語・オランダ語・中国語(すべて正文)は、「クリルアイランズ」の範囲を定義していません。これらのことから、下田条約の日本語誤訳を根拠に、クリルアイアイランズをウルップ以北であるとする主張もあります。この考えは、日本国内では通用しても、世界では、まったく説得力は有りません。
 行政範囲等で「クリルアイランズ」が定義されていることは無いでしょう。サンクトペテルブルグ条約後の半年程度の期間、日本では、ウルップ以北を「クリル諸島」と公文書の中で暫定的に使用されていました。このため、日本が放棄した「クリルアイランズ」はウルップ以北との論拠が出てきます。しかし、あくまで日本政府内部で一時的に使用した用語なので、これを根拠にするには無理があります。
 日本国が千島の行政権を失う事になった、GHQ指令677号英文では『the Kurile (Chishima) Islands, the Habomai(Hapomaze)Island Group and Shikotan Island』となっているので、これを根拠にすると、千島とクリルアイランズは同じもので、国後・択捉を含み、歯舞・色丹は含まない事になります。
 サンフランシスコ条約日本語文に従って、英語の「クリルアイランズ」は日本語の「千島列島」に相当し、日本が放棄した領域は「千島国」との解釈があります。千島国の範囲は、布告等で明確に定められており、色丹・国後・択捉およびウルップ以北です。歯舞は根室国なので千島国に含まれません。
 一般的用法では、「クリルアイランズ」には、国後・択捉・色丹・歯舞すべてを含むと考えられます。色丹・歯舞は「クリルアイランズ」に含めない場合もあります。



Q 南樺太・千島列島はロシア領か?
 
A サンフランシスコ条約では、日本が放棄した南樺太・千島列島がどの国に属するかについては定められていません。このため、日本政府は日本の教科書には帰属未定地域としてあつかう事を義務付けています。これは、おかしな話です。それなら、これらの地域は権力の存在しない無法地域なのでしょうか。
 「日本が放棄した南樺太・千島列島がどの国に属するかについて、日本国には関与する資格は無い」これだけのことです。

注1)台湾・澎湖諸島も千島列島同様に放棄しています。だからと言って、これら地域が帰属未定地域になったわけではありません。台湾・澎湖諸島については、サンフランシスコ条約により日本が放棄したので、事実として中国領になったとの説、「日本国と中華民国との平和条約」により中華民国(台湾)領との説、どこの領土になったわけではないので住民が決定すべき地域との説があります。
注2)新南群島及び西沙群島も千島列島同様に放棄しています。これらの地域は現在、中国・ベトナム・フィリピンなどで領有権争いが生じており、どこの領土か決められていません。実際は中国が実効支配しています。しかし、これらの領有問題に対して、日本に決定権ありとの主張はありません。



カイロ宣言解釈の注意点

Q カイロ宣言では領土不拡大の原則が宣言されているので、もともと日本領だった北方諸島を、日本は放棄しない事が定められている。この考えは正しいか。

A カイロ宣言には次のように記されています。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ 又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ

 良く読むと、領土不拡大など、どこにも記されていません。「領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ」ですので、領土拡張の気持ちは無いと宣言しているに過ぎません。日本国を罰スル為に、日本の領土を削減し、その結果として、連合国のどこかの領土が広がったとしても、カイロ宣言に抵触するものではありません。
 カイロ宣言では、日本に残す領土については、何も定めていないのです。
 それに、カイロ宣言は文字通り宣言であるので、個々の条項からただちに権利・義務が発生するものでは有りません。

 カイロ宣言はテヘラン会談に先立つ形で行われており、テヘラン会談でソ連対日参戦が合意された、歴史的経緯を見れば、カイロ宣言で北方領土が日本の領土にとどまるとの認識だったとは考えにくいことです。詳しくは『ソ連対日参戦の要請−カイロ会談とテヘラン会談』を参照ください。


ポツダム宣言解釈の注意点

Q 「ポツダム宣言で北海道は日本領になる事が定められているので、北海道の一部である歯舞・色丹は日本の領土である」との主張は正しいか。

A ポツダム宣言の日本語文には次のように記されています。

八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

 北海道とは行政範囲の事でしょうか。それとも、単一の島のことでしょうか。日本語文では、どちらとも判然としません。英語文だと「本州,北海道,九州及四国」の前に、islands of が付いていて、北海道とは行政範囲の事ではなく、島の名前になっています。なぜ、日本語訳文にislands ofが省かれたのかは分りません。
 すなわち、ポツダム宣言で、日本の領土である事が定められた北海道とは、単一の島である北海道島だけであり、国後・択捉はもとより、歯舞・色丹についても、ポツダム宣言では触れられていないのです。

 『日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限』となっています。樺太は四国よりも大きいため、『諸小島』に入らないので、樺太が日本の領土でなくなることは、ポツダム宣言で定められていることです。





過去において日本が暴力・貪欲により略取したのではない領土と、条約等の関連

Q 大西洋憲章、カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言はすべて過去において日本が暴力・貪欲により略取した領土を返還せしめるという趣旨であるため、北方四島は日本が放棄した領域に含まれないのではないか?

A 大西洋憲章、カイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言はすべて過去において日本が暴力・貪欲により略取した領土を返還せしめるという趣旨であるので、これらに該当する領土が日本のものでなくなるのは当然です。しかし、過去において日本が暴力・貪欲により略取したのではない領土が、日本に留まるとはどこにも書いてありません。
 実際、サンフランシスコ講和会議において吉田全権は、南樺太はポーツマス条約の結果日本領となった、ウルップ以北の北千島は千島樺太交換条約の結果日本領となったのであって、南樺太・全千島は暴力・貪欲により略取したのではないと主張しています。しかるに、南樺太等は放棄しているのだから、暴力・貪欲により略取したのではない領土も放棄しています。


 カイロ宣言・ポツダム宣言・サンフランシスコ条約、これらは戦勝国が敗戦国に一方的に押し付けたものです。戦勝国が不利になるような表現はあまりしません。敗戦国が有利になるような条項を見出そうとしても、困難です。




1956年日ソ共同宣言の注意点

Q 日ソ共同宣言で、歯舞・色丹の返還が約束されたにもかかわらず、いまだにロシアは不当占拠しているのか。

A 歯舞・色丹は「返還」では有りません。「引き渡し」となっています。「返還」だと、返還前から日本の領土という事になりますが、「引き渡し」なので、「引き渡し」前から日本の領土であるとの主張は成り立ちません。
 さらに、「平和条約が締結された後に現実に引き渡される」となっています。平和条約締結前にソ連が支配する事は日ソ了解事項なのです。
 共同宣言は両国が対等な立場で行ったものなので、一方の主張のみが反映される事は有りません。この宣言で、将来、歯舞・色丹が日本に引き渡される事が約束されましたが、同時に、平和条約締結前にはソ連・ロシアが支配する事を日本政府は了承したのです。
 実際、昭和31年11月29日 、参議院外務委員会において、下田武三政府委員(条約局長)は、『事実上ソ連がそこを支配することを日本はまあ認めたわけでございまするから、ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない筋合いであると思います』と、政府の立場を説明しています。

<参考>日ソ共同宣言
9 (前半省略)
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。



用語解説

クリル:
 アイヌ語で人のことを「クリ」と言う。この関係で、カムチャツカに住むカムチャダールから呼び名を聞いたロシア人が、アイヌの住むところを「クリル」と呼んだのが広まった、ということのようである。
 ロシア語の〈クリーチ (煙をはく) 〉、またはカムチャダール語の〈クーシ (南方に住む者たち) 〉から出たものともいわれるが、おそらくこの説はこじつけ。
 1700年、アトラーソフのカムチャツカ探検報告で、「クリル」の名称が使われている。
 クリルは本来アイヌの住む土地を意味したので、もともとは千島の他に北海道(マトマエ)を含んでいた。北海道の日本支配が確定すると、クリルに北海道は含まれないようになった。

 
千島:
 平安時代頃から「蝦夷が千島」などと使われているが、このころは特定の地名と言うよりも一般名詞のような使われ方だった。なお、日本でも過去には「クルミセ」と呼んでいたが、こちらは「クリル」と同じ語源と思われる。
 


マトマエと松前:
 アイヌ語で北海道の事をマトマエと言った。この地を治めていた蛎崎氏は、江戸初期に「松前」と改姓する。松平と前田を足して2で割った名前であるが、地名のマトマエからとったことは明白である。
 江戸時代、日本では、北海道の事を「松前」と呼んでいた。


和人地と蝦夷地:
 松前藩は領内で稲作が出来ないので、アイヌとの交易により収入を得ていた。アイヌとの交易を独占するために、和人地と蝦夷地に分け、和人の蝦夷地立ち入り、アイヌの和人地立ち入りを規制し、両者の境界に関所を置いて、出入りを取り締まった。
 和人地の範囲は、松前城下を中心とする比較的狭い範囲だったが、徐々に拡大し、ほぼ渡島半島全体に広がるまでとなった。しかし、北海道全体からみたら、江戸時代を通して、和人地は、一部に過ぎなかった。


場所と場所請負人:
 松前藩は領内で稲作が出来ないので、アイヌとの交易により収入を得ていた。他藩では、家臣に禄米を渡していたわけだが、松前藩では、代わりに場所(区域)を指定して、その場所での交易利益を禄米の代わりとした。場所とは、利益を得るための区域の事である。
 ところで、交易で利益を得るのは商人のほうが得意なので、商人に最委託をする事が行われた。この商人を「場所請負人」と言う。
 また、交易以外にアイヌ労働力をつかっての生産行為までも含めて委託されるようになった。場所請負人は、請負金を超える利潤を生み出すことが目的であるので、アイヌを奴隷化し、不当に利益をはかることが横行した。
 場所請負人の中で、最も有名なのが、厚岸・国後場所請負人、飛騨屋・武川久兵衛である。飛騨屋は請け負った場所で、アイヌを奴隷化し、働きの悪い者は毒殺した。また、男達を使役している間に、和人によるアイヌ女性被害が頻発した。飛騨屋の残虐行為に耐えかねたアイヌは1789年武装蜂起をする。いわゆる、クナシリ・メナシの乱である。

歯舞諸島と珸瑤瑁(ゴヨウマイ)諸島:
 歯舞、珸瑤瑁、共に根室半島東端の地名。歯舞諸島は根室半島東端の村に属するため、村の名前で呼ばれる。
 明治初年は、最東端が花咲郡珸瑤瑁村、その手前が花咲郡歯舞村であったが、大正4年に6ヶ村が合併して花咲郡歯舞村となった。このとき以降、珸瑤瑁村地域は、花咲郡歯舞村大字珸瑤瑁村となる。
 このように、歯舞群島の属している村が、珸瑤瑁村と歯舞村の時があったので、珸瑤瑁諸島とも呼ばれる。
 なお、1959年、歯舞村は根室市と合併したので、日本での建前では、現在、歯舞諸島は、根室市に所属していることになっている。


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