北方四島の現状



北方四島の広さ

択捉島:3184ku(鳥取県より少し狭い)
国後島:1499ku(沖縄本島より広く、沖縄県全体とほぼ同じ広さ)
色丹島:253ku(徳之島とほぼ同じ広さ)
歯舞群島:総面積100ku
 歯舞群島は、志発島・貝殻島・水晶島・秋勇留島・勇留島・多楽島などの小島からなっている。

 陸地面積だけを見ると、歯舞・色丹を合せても、全体の7%程度にしかならない。しかし、200カイリ経済水域を見ると、歯舞・色丹の影響は大きく、二島だけで全体の40%に達するとの試算もある。



地形

 根室半島から連なる、歯舞・色丹は、根室半島の先端部分が海中に没した後に残ったような地形で、歯舞群島の島々はほとんど低地である。色丹島は、なだらかに起伏のある丘陵地で、色丹島の一番高いところは、東に位置する斜古丹山で標高は405mである。
 これに対して、国後島・択捉島は、千島列島を構成する火山地帯で、急峻な山岳地帯を伴う。国後島の最高峰は標高1819mのチャチャ岳(Tyatya)であり、そのほかに、標高887mの羅臼岳も有名である。択捉島の最高峰は標高1634mの単冠山(Stokap)であるが、そのほかにも標高1000mを越える山がいくつもある。国後島・択捉島には温泉が多い。



気候

 最果ての地であるため、寒冷であるようなイメージもあるが、実際には海流の影響を受けているため、それほど寒冷ではない。冬季の気温は、釧路地方よりむしろ温暖である。
 夏季になると、この地方特有の海霧のため日照時間が少なくなり、さらに、海上からの冷涼な気塊の侵入によって気温は、根釧地方より若干低目である。

 雪の初日は、本道中央部と変りなく十月下旬頃であるが、終日は根室と比べて十日以上遅いことが多い。流氷の接岸は、東方に北上するにつれて若干遅くなるが、国後北端でだいたい、2月20頃である。流氷がなくなるのは、根室近海・ウルップ島では4月上旬頃、国後・択捉では4月20頃となる。

 この地方は四季何れを問わず低気圧の径路にあって、風が強い。特に冬季は雪を交えた猛烈な偏西風が吹き続き月間二十日内外の暴風となる。夏季になると極めて平穏な日が続くことも有るが、低気圧の通過直前に急激に天気が悪化し、1週間程度の暴風雨になることも多い。



動植物相

 千島の植物分布は、エトロフ島とウルップ島の間にひかれた『宮部線』が有名だった。明治17年(1884年)植物学者・宮部金吾はシコタン島・エトロフ島に合計4日上陸して植物採集を行ったほか、ウルップ島を船上から望見した。宮部線は、短期間の調査を元に植物分界として大雑把にひかれたものだった。
 択捉島南部の低地はトドマツなどの高木林がみられるが、択捉島高地や択捉島北部以北ではダケカンバなどの低木林となる。島ごとに見れば、択捉島とウルップ島で異なることになるので、大雑把な理解では宮部線でも間違いではない。
 ウルップ島・シムシル島を隔てるブッソル海峡は、水深2000mを超え、オホーツク海から太平洋に流出する強い海流がある。ロシア人研究者バルコフ等は、1,400種あまりの維管束植物分布を詳細に検討した結果、ブッソル線に千島の主要な植物分界があることを報告した。また、バルコフ等の研究では、宮部線は択捉島南部と北部の間に引かれた分界線に訂正されている。

 動物分布では、爬虫類・両生類に於いて、国後島以南と択捉島以北では大きく異なる。国後島ではヘビやカエルがいるのだが、択捉島には、それらは一般に見られない。この動物相の境界線を、『八田ライン』と言う。八田ラインは、元々、北海道とサハリンを分けるものとして、八田三郎により提唱されたが、国後島と択捉島の間にも及んでいる。ただし、千島列島に於いては明瞭ではない。


地質鉱物学

 千島列島の各島の間の水道の多くは、水深・数十〜数百mであるが、シムシル島・ウルップ島の間と、マツア島・シャスコタン島の間に、1800mの深度を有する海峡が横たわる。
 大正元年に総合北方文化研究所の学術部員である林欽吾が定めた、地質学的な区分によると、北千島はシュムシュ島からシャスコタン島まで、中部千島はライコケ島からシムシル島まで。南千島はチリポイ島からクナシリ島までとなっている。

   南千島:クナシリ島〜ウルップ島(チリポイ島を含む)
   中千島:シムシル島〜マツア島(ライコケ島を含む)
   北千島:シャスコタン島〜シュムシュ島
 南千島と北千島には酸性から中性の火山岩類が多い。



北方四島のロシア名

択捉:Итуруп Itrup
国後:Кунашир Kunashir
色丹:Шикотан Shikotan
歯舞:特に決まった名称はないが、色丹島と合せてМалая Курильская гряда(小クリル列島)と呼ぶ
  歯舞群島の中で最大の志発島はЗеленый



北方四島の行政区域



 北方四島を含む千島列島はサハリンと共にサハリン州に属する。サハリン州の州都はユジノサハリンスクであり、ここには日本総領事館が置かれている。
 北方四島のうち、国後島、色丹島、歯舞群島はサハリン州南クリル地区である。南クリル地区の行政府庁は国後島古釜布(ユジノクリリスク)に置かれている。
 択捉島は得撫島、新知島とあわせて、サハリン州クリル地区である。クリル地区の行政府庁は択捉島紗那(クリリスク)に置かれている。
 計吐夷島から占守島の北部千島は、サハリン州北クリル地区である。北クリル地区の行政府庁は幌筵島セヴェロクリリスクに置かれている。



返還反対運動

  サハリン州では、周年を通じて北方領土返還反対キャンペーンによる対日強硬論が主張されている。毎年、2月7日の「北方領土の日」には、ユジノサハリンスク日本総領事館前で、日本の領土返還要求に反対する抗議集会が開かれる。さらにサハリン州議会による抗議決議等が繰り返し行われている。2005年12月の州議会決議においては、1956年日ソ共同宣言の一部破棄までが謳われている。

 2002年から2007年まで毎年開催されたユジノサハリンスク日本総領事館前の、領土返還要求に反対する抗議集会は、2008年2月7日は開かれなかった。




北方四島の人口

 北方四島の人口は文献によって多少の違いが有る。一応、手元にある、人口の数値を記すが、正確な数値でない可能性があるので、ご注意ください。

◎サハリン州人口統計局調べ90年1月1日現在の人口は、色丹島が6200人、国後島が7800人、択捉島が11000人。歯舞群島は国境警備隊員が少数駐屯するだけである。

◎総務庁北方対策本部発行『北方四島の概況』(平成10年)によると、97年1月1日現在、択捉島が8300人、国後島が3900人、色丹島が2300人の合計14500人の住民が居住している。(軍人を含まない。)なお、歯舞群島には、「国境警備隊員」以外に定住者はいない。

◎2002年国勢調査によると、南クリル地区 9700人、クリル地区7100人。
 南クリル地区とは歯舞・色丹・国後を合わせた地域。歯舞には住民はほとんどいないので、南クリル地区の人口は色丹・国後の合計と考えられる。クリル地区とは、択捉・得撫・新知であるが、択捉島以外には住民はほとんどいないので、クリル地区の人口は択捉島の人口とほぼ等しいと考えられる。
 即ち、色丹島+国後島=9700人 択捉島=7100人

◎2006年8月ノーボスチ通信の記事。
 マラホフ・サハリン州知事によると、現在、クリル諸島の人口は1万9000人をほんの少し上回る程度だが、ロシア政府により採択されたクリル諸島社会経済発展計画が実現すれば、2015年までには2万8000人から3万人に増加するよう計画には盛り込まれている、とのことである。
 [注]クリル諸島の人口は、北方四島を除くと、幌筵島に2500人程度居住している以外は、ほとんど無人であるので、現在の北方四島の人口は16500人程度と言うことになる。これは、2002年国勢調査の数値とほぼ同じ。

 以上まとめると、90年:24000人、97年:14500人、2002年:17000人 となる。
 92年のソ連崩壊によって、北方四島は経済的苦境に陥り、そのため人口が減少した。特に、1994年に色丹島を襲った大地震(北海道東方沖地震)で、色丹島の缶詰工場が被災し、このため、色丹島の人口が激減した。近年、ロシア経済の好調さも手伝って、北方四島の人口も増加に転じている。特に、国後島の人口が増加しているようでする。ただし、色丹島は回復していない。

北方四島の日本人居住者:
 現在、北方四島には日本人は居住していない。
 戦後になっても日本に帰国せず、現地に残留した日本人がいた。彼らは、その後、サハリンなどのソ連各地に移住したため、北方四島の日本人居住者はいなくなった。しかし、彼らの2世3世の中には、北方四島へ移住するものが現れた。このため、現在では、日本人旧島民の2世3世4世が若干名北方四島に居住しているとのことである。ただし、彼らの国籍はロシア人である。


産業とギドロストロイ


 北方四島の主要産業は、日本統治時代から、一貫して漁業・水産加工業である。
 ゴルバチョフ政権からソ連崩壊に至る過程で、ソ連の経済は大混乱したが、北方四島の経済はより一層混乱した。この時期、北方四島の人口は減少した。さらに、1994年の北海道東方沖地震で、色丹島の最大産業である水産物加工工場が被災し、産業の停滞に一層の拍車をかけた。また、漁民はカニ・ウニなどの高級魚をロシア水産加工会社に渡さず、日本に直輸出したので、水産加工工場は原材料の入手にも事欠くこととなり、休業状態が続いた。なお、北方四島からの輸入は日本では認められていないが、サハリンの漁船であるとの名目で、日本に輸出されている。

 このような苦境状態の中、ロシア人実業家アレクサンドル・グリゴリエビッチ・ベルホスキーはギドロストロイ社(Гидрострой Gidrostroy)を設立し、択捉島に水産加工工場を設立した。(正しくは、国営企業を買収して、ギドロストロイ社を設立、多角経営の中で、択捉島に水産加工工場を設立している。)
 ギドロストロイの経営は好調で、サハリン州全体の税収の40%をギドロストロイが出しているとの話もある(サハリン州の残りの税収は石油・ガス関連)。ギドロストロイは水産加工工場のほかに、銀行も設立、さらに、択捉島の埠頭建設、体育館の建設等、択捉島はさながら、ギドロストロイの企業城下町になっている。さらに、ギドロストロイは色丹島にも水産加工子会社を設立している。ギドロストロイの水産加工工場は択捉島に三箇所、色丹島に一箇所ある。これらの工場には、アメリカ製の最新鋭機械が稼動しているとのことである。

ギドロストロイの水産加工工場所在地:
 択捉島:
  別飛(ベットブ)=レイドヴォ(Reydovo Рейдово)
  内岡(ナヨカ)=キトヴィ(Kitovyy Китовый)
  有萌(アリモエ)=ルイバキ(Rybaki Рыбаки)
 色丹島(子会社クラボザポーツクに所属):
  穴澗(アナマ)=クラボザボツコエ(Krabozavodskoye Крабозаводское)

(ギドロストロイのマーク)

 ギドロストロイの色丹島子会社クラボザポーツクが、日本人の指導の下、周辺水域で漁獲したサンマを水揚げしていることが、2002年2月の北海道新聞により報道された。

 ギドロストロイのホームページは以下にあります(ロシア語のみ)。
 http://www.gidrostroy.com

キトヴィのギドロストロイ工場(2007年5月)





  ギドロストロイ製イクラの缶詰


 ギドロストロイ製のイクラの缶詰

 エトロフ島産であることがはっきりわかるように、島の図が書かれています。

 北海道の会社がサンプル輸入したもので、日本国内では正式販売されていません。










色丹島のオストロブノイ

 漁業コンビナート<<オストロブノイ>>は旧ソ連時代の1960年に色丹島に設立された、ソ連でも屈指の規模を誇る漁業コンビナートだったが、1992年のソ連崩壊に伴い、経営は苦境に立たされた。さらに、1994年の北海道東方沖地震では、工場が壊滅的な被災をし生産はストップした。1999年に復活し、おもにサンマの缶詰を製造している。

 オストロブノイのホームページは以下にあります(ロシア語・英語)。
 http://www.ostrovnoy.ru/




ソ連崩壊直後頃、色丹島の缶詰工場で作られた、サンマの缶詰のラベル

この缶詰は輸出してなかったようで、日本では見かけませんでした。写真は、グルジアで売っていたもの。



生活・社会基盤

 北方四島の道路の舗装は一般に遅れており、ほとんどは未舗装であり、集落以外の道路状況は一般に悪い。ただし、ギドロストロイ社による道路整備が進んでいる。自動車は日本の中古車が多い。
 電気はディーゼル燃料による発電が一般的だが、一部では地熱発電も行われている。ロシアの他の地域と同じように、各家には、水道のほかに暖房用給湯が行われている場合が多い。港湾設備はギドロストロイ社関連施設があるところでは、ギドロストロイ社による整備が進んでいる。
 教育は12年制の義務教育が行われているが、大学に進学するものも多い。ただし、北方四島に大学は無いので、進学者はサハリンや大陸に渡ることになる。英語教育は盛んで、英語を解する若者は多い。
 家庭菜園付きの別荘(ダーチャ)をもつ住民が多く、彼らは、週末にはダーチャで野菜作りを楽しんでいる。
 テレビは3チャンネル、このほかに、日本のテレビ放送が受信できる地域もある。
 郵便はあるが、郵便配達人は英語が読めない場合があるので、郵便を出す場合、住所はロシア語で書いたほうが良い。




クリル諸島発展連邦特別プログラム

 2005年、ロシア政府によりクリル諸島発展連邦特別プログラムが採択された。これは、北方領土を含むクリル諸島全域のインフラ整備等に巨額の予算・資金を投じるものである。本計画策定以降、大統領の側近であるパトルシェフ連邦保安庁長官、イワノフ国防相ら連邦政府幹部が北方領土を相次いで訪問している。
 さらに、2006年には、「2007-2015年のクリル諸島の社会経済発展」計画が採択された。この計画の実現のために170億ルーブル以上の資金の拠出が予定されている。クリル諸島発展計画が実現すれば、2015年には水産加工産業からの収入は約2倍になり、産業生産量も実質的に1.5倍の増大が見込まれる。計画では、人口を安定的に増加させることも検討されている。現在、クリル諸島の人口は1万9000人をほんの少し上回る程度だが、2015年までには2万8000人から3万人に増加するよう計画には盛り込まれている。



2007年夏、サンクトペテルブルグのスーパーで売っていた缶詰のラベル。サーモンや海老などのフレークの缶詰です。ウクライナの会社が製造したもので、千島列島沖で取れた魚を使っているようです。(http://www.akvamarin.com.ua/)





2007年夏、モスクワのスーパーで売っていたサンマの缶詰のラベル。(このラベルのサンマ缶は、千島とは関係ない北大西洋のサンマかもしれない。)このスーパーには他に数種類のサンマの缶詰が売られていました。






日本で売っていたロシア製のカニ缶詰のラベル。北方領土との関係を示す証拠はないが、ひょっとすると、北方領土近海のタラバガニかもしれない。





最終更新 2016.2

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