北方領土問題−やさしい北方領土のはなし−北方領土って知っていますか?



注意書き          やさしい北方領土のはなし 本文はこちら

ここは、やさしい北方領土の話の注意書きです。むずかしい話なので、ふつうは読む必要ありません。





記述全般について

この記述は、優秀な小学生ならば理解できるように、やさしい解説をこころがけて作成を始めました。しかし、実際に読んでくれている人は、中学生以上の人が多いので、徐々に記述を増やしました。このため、小・中学生には、不必要と思えるような細かい記述もあります。なお、優秀な小学生に理解できることを目的として記載していますので、高校生以上でも、能力の低い人には、難しすぎる内容です。




島名の表記について

 1964年外務省事務次官通達では「南千島」を使わず「北方領土」の用語を使うように示達されたが、同じ通達の中で「止むをえない場合を除き漢字表示とする」となっている。このため、政府指示に従えば、国後島、択捉島などは、正しくは漢字で書くことになる。
 ロシア語をカタカナ表記する場合は、国後はクナシル、択捉はイトルップであり、色丹は日本語と同じシコタンとなる。





クナシリ島、エトロフ島の放棄

 昭和26年10月19日、衆議院平和条約及び日米安保条約委員会で、西村熊雄政府委員は「この条約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております」と答弁した。
 昭和26年10月26日 衆議院本会議で、田中萬逸・日米安全保障条約特別委員長は「条約第二条によって明らかに千島、樺太の主権を放棄した以上、これらに対しては何らの権限もなくなるわけであって、国際司法裁判所に提起する道は存しておらない、またクリル・アイランドの範囲は、いわゆる北千島、南千島を含むものである」と報告した。
 昭和26年11月6日、参議院平和条約及び日米安保条約委員会で、草葉隆圓政府委員は、「千島列島の中には歯舞、色丹は加えていない。・・・国後及び択捉の問題は国民的感情から申しますと、千島と違うという考え方を持って行くことがむしろ国民的感情かも知れません。併し全体的な立場からすると、これはやつぱり千島としての解釈の下にこの解釈を下すのが妥当であります」と答弁した。

 また、サンフランシスコ条約で、このような放棄を受け入れた理由について、昭和26年10月24日、衆議院平和条約及び日米安保条約委員会で西村熊雄政府委員は「連合国が最終的決定をいたしました以上は、条件をつけないでポツダム宣言を受諾した以上、日本としては男らしくこれを受けるものであるというのが、総理の考え方だと存じます」「日本政府といたしましては、何ら条件をつけないで、これ(ポツダム宣言)をお受けいたしております以上は一国民感情といたしましては、いかに苦しいことがありましても、最終的決定を下された以上は、涙をのんでこれを受けざるを得ないということでございます」と答弁した。

 このように、国後・択捉はすでに放棄したと理解されていたので、昭和28年3月5日の参議院 外務・法務委員会連合審査で、下田武三政府委員は「現在のところ、歯舞、色丹両島と竹島以外に何ら紛争の発生が現実にございませんし、又ありそうな島もない」と答弁した。


日本とロシアの国境(中間線)

 国連海洋法条約(海洋法に関する国際連合条約 )第十五条では、海の国境となる線を『中間線』としている。このため、『中間線』と書くと、線の向こう側が外国の領土であるとの意味になるため、海上保安庁の説明では、中間線とは言わず『参考ライン』という。しかし、マスコミ報道のみならず、北方四島交流でも『中間線』の用語が使われている。
 中間線は『北海道海面漁業調整規則別表第2の2』で定められている。
 




注1)「北方領土はロシアの領土」の意味
 領土概念は複雑なので、簡単に説明することは出来ない。このページは小学生でも理解できることを目的に、詳しい議論は割愛し、領土の用語は一般的な広辞苑の説明に従った意味としている。
 岩波書店広辞苑では、次のように説明されている。
  りょうど【領土】
  @領有する土地。
  A一国の主権を行使し得る地域。一国の統治権の及ぶ範囲。広義には領海・領空を含む。
 このため、ここでは「領土」を「主権を行使しうる地域」の意味に解釈し、北方領土に主権を行使している国家はロシアであり、日本は主権を行使しうる状態に無い現状の説明として、「北方領土はロシアの領土」としている。

 昭和26年、吉田首相は、沖縄などは、すでに日本の領土権を離れているとの公式見解を示した。
 日本の領土なるものは、四つの大きな島と、これに付属する小さい島とに限られているので、琉球等はすでに日本の領土権を離れている。すでに領土権は離れたが、将来米国の好意によって日本にもどすかという問題がある、と説明した。(昭和26年08月17日 衆議院本会議)


注2)
 北方領土旅行が大変な理由は直行便が無いということ以上にビザの問題があります。日本人がロシア旅行をする場合はビザが必要です。通常、ビザは東京麻布のロシア大使館で取得しますが、ロシア大使館では、日本政府とのトラブルを避けるため、北方領土に限って一般にはビザを発給してなかったので北方領土旅行は大変でした。しかし、近年は旅行要件もだいぶ緩和されているので、以前よりは行きやすくなったと思います。
 2018年からはサハリン州へ8日以内ならば電子ビザで旅行可能になりました。これは、インターネットを使って容易に発行されるものですが、コルサコフ港かユジノサハリンスク空港に限られるので、北方領土旅行は難しいはずです。
 なお、韓国籍の人はロシアはビザなしで行けるので、韓国籍ならば北方領土旅行は日本人よりもずっと容易だと思います。


注3) 注7)
 カイロ宣言に次の条項(terms)があります。

 Japan will also be expelled from all other territories which she has taken by violence and greed. The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.

注3について。
「the enslavement of the people of Korea」をそのまま訳すと実態と乖離する恐れがあるので、単に植民地にした事実のみ記載しました。


注7について。
「she has taken by violence and greed(暴力及貪欲ニ依リ日本国ガ略取シタル)」をそのまま書いています。

 なお、台湾はカイロ宣言では「Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and the Pescadores」とあり、暴虐・貪欲により略取ではなく、「盗取した」と異なった用語が使われていますが、煩雑になるので、並列的に記載しています。満州は形式的には日本領ではなかったので、ここでは省きました。
 南樺太については、ヤルタ協定で「The former rights of Russia violated by the treacherous attack of Japan in 1904 」と規定されています。しかしヤルタ協定は日本が受け入れたものではないので、朝鮮・台湾・南洋群島と並列的に書くことは、正確さを欠いています。

 この部分は北方領土問題とは直接に関係ないので簡便に書きましたが、簡便に過ぎる気もします。日本が受け入れたカイロ宣言や、日中共同宣言に従い、ヤルタ協定を参考に、正確な記述をすれば、たとえば次のようになります。
 『日本には、暴虐や貪欲により周辺諸国から略取した領土がたくさんありました。台湾も中国から盗取したものでした。満州国は独立国のかっこうをしていましたが、実態は日本が中国から盗取した領土でした。さらに、植民地化した朝鮮半島では朝鮮人を奴隷状態として扱ったのを始めとして、侵略した中国では中国国民に多大な災難と損害を与えました。南樺太も日本の領土でしたが、これはロシアの正当な権利を、日本が背信的攻撃に依って侵書したものであると、アメリカ・イギリス等の国から批難を受けていました。』
 このように書けば、ある意味で公平中立正確な記述かも知れませんが(別な意味では一方的ですが)、いかにも長たらしく、難解で堅苦しい文章で、小学生にとても理解できるものではありません。


注4)
 
1998年11月26日の日中共同宣言にある以下の文言の歴史認識を、具体的で平易に表現しています。
 「日本側は、…中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。」


注5)
 ポツダム宣言6,7,8条のことです。


注6)
 「 SCAPlN- 677」および「ソ連邦最高会議彙報一九四六年No.5」のことです。

 日本の敗戦の結果、主な外地は次のようになった。
 サハリン島南部及ぴクリル諸島は、ソ連が1946年2月2日に1945年9月20日にさかのぼって国有化した。
 台湾は、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府軍が上陸し、日本軍の武装解除完了後の1945年10月に、中華民国の領土に編入し、台湾行政公所を設置した。中華人民共和国の施政権は、現在に至るも、台湾に及んでいないが、中華人民共和国では、1945年に台湾が法律上も事実上も中国に復帰したとしている。
 朝鮮は1945年8月15日、日本から解放された後、連合国の占領統治下になった。1948年8月、南朝鮮は独立を宣言し大韓民国となった。北朝鮮では、1948年9月に朝鮮民主主義人民共和国が独立した。
 1952年、サンフランシスコ条約が発効し、樺太・千島・台湾・朝鮮を日本は放棄した。ただし、ソ連・中華民国・中華人民共和国・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国は、サンフランシスコ条約に調印していない。

 ドイツは、第2次大戦敗戦の結果、オーデルナイセ以東の広い領土と、その他若干の領土を失った。
 このうち、アルザス・ロレーヌ地方は、ドイツがフランスを占領した時に、ドイツ領に編入した土地であったが、ドイツ敗戦にともなって、フランスの領土に復帰した。
 オーデルナイセ以東の旧ドイツ領土は、1945年初ごろから、ポーランドの実効支配となり、1945年7月のポツダム会談により、ポーランド領となることが決められた。1945年6月に誕生したポーランド挙国一致臨時政府は、1946年6月30日に国民投票を実施、このうちの第3項はオーデル・ナイセ国境の是非を問うものであったが、圧倒的多数の賛成で承認された(開票の結果は90%以上が是とするものであったが、開票が操作されていたとの説があり、この数値はそのまま信用できるものではない)。ポーランドでは、これら地域は『回復領土』とよばれた。回復領土ではポーランド人の入植が行われた。東西ドイツが独立した後、1950年7月に東ドイツと締結したズゴジェレツ(ゲルリッツ)条約、1970年12月に西ドイツと締結した正常化条約(ワルシャワ条約)、1990年11月に統一ドイツと締結した国境確認条約で、ポーランド領であることが確認された。

注)1970年の正常化条約では、現存国境線はポーランドの西部国境を形成することを一致して確認し(第1条第1項)、国境線が不可侵であることを約した(第1条第2項)。
注)1990年の国境確認条約では、1950年にポーランドと東ドイツとの間で確定された国境等を確認し(第1条)、両国間に現存する国境の不可侵を約した(第2条)。


注8)
 函館市北洋資料館には「大日本アトイヤ」の標柱が展示されている。北洋資料館パンフレット「北洋の夜明け 北洋漁業の先人たち」には、以下の解説がある。 

アトイヤ標柱
 寛政12年(1800)幕府から、開島(日本の領土として住む)の命令を受けた近藤重蔵らは択捉島に渡り、島のロシア人が建てた標柱を倒して「大日本恵登呂府」の標柱を建てました。
 安政6年(1859)この島の警備についた仙台藩士(仙台藩の武士)が、標柱があまりにも、いたんでいたので、「大日本アトイヤ」と書き改めて、建て直しました。
 明治8年(1875)に、日本とロシアの問に樺太千島交換条約が結ばれ、千島が日本の領土となったので、翌年、時任為基が千島の巡察に行った帰りアトイヤ標柱を持ち帰りました。現在、北洋資料館にあるアトイヤ標柱は、その時、持ち帰った物です。

注9)
  クナシリ・メナシの戦いの後、この地域のアイヌに対する弾圧は苛烈を極め、人口は急激に減少した。幕末に数度の蝦夷地探検した松浦武四郎は、当時、既にクナシリのアイヌは激減しており、労働力不足のため、道東アイヌをクナシリに強制的に送っていたこと、および、クナシリ送りは地獄行きのように恐れられていたことを報告している。
 さらに、松浦武四郎によると、夫婦は、仲を引き裂かれ、男だけクナシリ送りとなり、そこで昼夜の別なく奴隷労働に使役され、故郷に帰ることが許されるころには既に老人となっており、子供を残すことができなくなった。また、女は、和人の慰み者にされ、嫌がるものは、寒中戸外に放置するなどの制裁を加え、さらに、妊娠したものには、唐辛子汁を飲ませる等で堕胎させられることにより、子供を残せない体にされた。さらに、和人に性病を移されることなども手伝い、クナシリ・メナシ地方のアイヌ人口は激減した。

…斜里、網走では、女は年頃になるとクナシリ(この当時、現地のアイヌは酷使によって全滅していた)に連行されて、諸国からきている和人に体を弄ばれる、男も年頃になると連行され、働ける間は遠い土地で酷使され、病気になり動けなくなって帰るものが多い、夫婦で連行されたものは、夫は遠い漁場で酷使され、妻は番屋で慰み女とされる…そして子供が出来た場合、和人達はそれを突き殺し、押し殺す…そのような事情で、斜里、網走では、漁を行う労働力が無く、老人・病人・子供などが、仕方が無く浜辺で拾い漁を行っている(松浦武四郎 知床日誌)。


注10)
 「この戦争(日露戦争)は日本が勝って」
 ポーツマス条約は「平和及親睦」を宣言しているだけなので、正しくは日露戦争で日本が勝利したわけではありません。しかし、実態と小学校教科書記述を参考にして、分りやすいように「日本が勝って」と書きました。



注11)
 「サハリン島の南半分を日本はうばいとりました」
 「うばいとりました」との表現は美しくないので、もう少し上手な表現が思いついたならば変更します。
 日露戦争は双方の消耗が激しく、双方とも戦争継続が困難になってくる中、米国大統領ルーズベルトは講和勧告をします。日本は講和会談を受け入れる一方、南樺太を急遽占領すべく独立第十三師団を結成し南樺太を占領します。ポーツマス条約は日本の占領を追認する形で締結されました。




注12)
 蝦夷は異民族の意味なので、外国人と書くと正確さに欠けていますが、理解しやすいように外国人と書きました。


注13)
 日本以外の地図では、北方領土がロシアの領土になっている地図が多いことは確かですが、係争中であることを明示してある地図も少なくはありません。ただし、北千島と南樺太の帰属が未定であるような記述になっている地図は日本の地図だけで、このような地図は海外では、ほとんど存在しません。
 多くのまともな地図では、北方領土はロシアの領土になっていますが、これは当たり前の事です。たとえば、あるフランス人が北方領土に旅行しようと思ったら、日本大使館ではなく、ロシア大使館で入国許可を求める必要があります。北方領土が日本の領土と書いてある地図は、たいていの一般人には役に立たないのです。




中立的な記述

『やさしい北方領土のはなし』のページは、中立的な記述にするため、なるべく以下の順で書くようにしています。
@日本が締結した条約等
A日本政府と外国政府との共同宣言等
B日本政府の公式説明
C高校教科書、山川出版「詳説日本史」の記述
 ただし、補足的に日本と無関係な外国間の共同宣言等も引用しています。

 「北方領土は、どうしてロシアの領土なの?」の部分は、カイロ宣言と、日中共同声明の引用がほとんどです。カイロ宣言は、日本が受諾したポツダム宣言に条項の実施が義務付けられていること、および、日本政府の北方領土要求の主たる根拠に使われていることを考慮して、カイロ宣言を重要視した記述にしています。
 現在、日本政府の説明では、北方領土要求の主たる根拠にカイロ宣言の『no thought of territorial expansion』が使われているので、カイロ宣言とは何であるかを理解する必要があります。このような学習を子供達が自己研鑽で行うことを期待して、カイロ宣言を引用しています。日本政府が、北方領土要求の根拠にカイロ宣言を使用しなくなったら、この記述は変更するつもりです。

 また、現在、次のように書いています。「アメリカ・イギリス・中国などの国は、日本が暴力や貪欲により、奪い取ったと、批判していました。日本は戦争に負けたときに、暴力や貪欲により奪い取ったことをを認めました。」この書き方では、歴史的背景説明になってしまいます。北方領土要求の主たる根拠にカイロ宣言を使っている状況を考慮すると、「日本が暴力や貪欲により奪い取った領土でした」と断定的に書いたほうが良いのかもしれません。

 先の戦争を理解するために、日中共同宣言を引用しているのは、ソ連対日参戦の評価に関るためです。この問題は、むしろ、極東国際軍事裁判所の裁判書を引用したほうが良いのではないかと思っていますが、たいへんなのでまだ着手していません。
 真珠湾攻撃を「だましうち」と書きました。奇襲攻撃か、そうでないのかとの議論は有りますが、山川出版「詳説日本史」の教授用教科書1992年版を参考に、奇襲攻撃説を採用し、平易な表現「だましうち」と書いています。真珠湾攻撃は、北方領土問題に対して、ソ連ロシア側の主張にとって、重要なポイントになっています。

 現在、日本で行われている歴史教育は、個々の史実をバラバラに教えるようなところがあります。歴史教師は、そのようにならないように努力しているのでしょうけれど、どうしても、テストで点を取るために事項・年号の暗記が中心になってしまいます。竹島問題を考える上で、日露戦争と韓国併合は本来切り離すことができない問題ですが、なかなかそのように教育することは困難なようです。北方領土問題も支那事変・大東亜戦争と切り離すことができない問題です。社会科が得意な優秀な子供達が、そのような歴史認識に思い至るための記述を心がけています。
 「やさしい北方領土問題の話」の記述は小学校5年生の子供達に見てもらいました。北方領土問題は小4で習っているので、より深い理解の補助になったと思います。ただし、進学塾に通っている子供だったので、優秀な子供でした。成績不振の子供にはとても難しすぎて理解困難かもしれません。しかし、成績不振の子供たちを正しく教育することは、私の能力の範囲を越えます。進学塾の講師はしたことがあるのですが、学校教師をしたことが無いので、学習意欲が旺盛で成績の良いお子さんは知っていても、成績不振のお子さんを知らないのです。

 ところで、日本政府の北方領土要求の根拠で、最重要なものは、固有の領土論です。つぎに、カイロ宣言の『no thought of territorial expansion』です。以前は、北方領土は千島に含まれないとの説明が有力だったことがあります。
 「むかし、北方領土が、日本の領土だったってほんとうなの?」「北方領土は、どうしてロシアの領土なの?」「千島列島とはどこですか?」は、おおむね、それぞれの主張に対応し、より深い理解を目的としています。
 かつては、動物性蛋白摂取の問題が、北方領土要求根拠の1つだったことが有りますが、現在では、この説明がされることは無いので、この件に関連した記述は有りません。


以下、カイロ宣言を捨て去れないもう一つの理由を記します。サンフランシスコ条約を理解していることを前提に書きますので、サンフランシスコ条約を知らない人は、最初に、条約の条文をお読みください。

 サンフランシスコ条約二条C項の解釈で、放棄した千島がどこに帰属しているのかと言う問題があります。大きく分けて、ソ連帰属説、連合国帰属説、日本帰属説の3つに分けられます(他にもいろいろありますが)。それぞれ、宮崎繁樹氏、高野雄一氏、田村幸策氏に代表されます。寺澤一氏もソ連帰属説でしょう。鈴木宗男氏が大臣時代に取った行動も、ソ連帰属説に基いているようです。私は、ソ連帰属説を取り、日本帰属説は誤りだと思うのですが、論駁する能力は私にはありませんし、中高生に説明する言葉もありません。
 現在、日本政府は、日本帰属説を主張してはいないようなのですが、どこか、未練があるような書き方も散見され、本当に捨て去ったのかと不安です。日本帰属説を取るならば、二条B項と二十一条の関係で、台湾問題を明確にする必要があります。朝鮮については、二十一条があるので、二条A項は問題ないと思います。
 日本帰属説を取った場合、台湾問題を説明するために、日本は中国から台湾を貪欲によって盗み取ったとの説明が必要のように思います。さらに、朝鮮に対して、enslavement of the people of Koreaとの認識を示しておけば、補足説明に使えます。
 論理的な整合性のために、カイロ宣言が必要になるかもしれないので、あながち無視する気には、なれません。


最終更新 2019.10