鬱陵島(ウルルン島-ウルルンド)から竹島(独島-トクド)はどのように見えるか

計算で推定(シミュレーション)


 1452年の高麗史地理志に鬱陵島の説明として、「一云、于山、武陵、本二島、相距不遠、風日清明、則可望見(一説に言うには、于山と武陵は2つの島で、互いの距離は遠くない、空気が澄み切った日には、望み見る事ができる) 」と書かれている。鬱陵島から、空気が澄み切った日に望見できる島は竹島しかないので、于山島とは竹島のことであると、説明される。
 ところが、ネットで調べると、竹島日本領説を唱える人の中には、「鬱陵島から竹島を肉眼で見ることはほぼ不可能」などとの主張が見受けられる。
 どの程度の高さに見えるのかは、Excelを使えば簡単に計算できることなので、鬱陵島から竹島がどのように見えるかをシミュレートしたしだいである。高麗史地理誌の記述が正しいなら、高麗史地理志に言う于山と武陵が、現在の竹島と鬱陵島であることは、ほぼ間違いないだろう。記述が正しいかどうかは計算では分からない。 (計算式および計算式の導出はここをクリックしてください


<参考>ウルルン島から竹島を肉眼で見たときと同じ大きさ・同じ状況に見るための方法
 ウルルン島から竹島が見える日は多くはないけれど、良く見える日もあります。2007年にウルルン島の独島展望台から竹島を撮影した写真が、新聞に掲載されました。その写真を参考に、似たような絵を描き、肉眼で見たときと同じ大きさに見えるようにしています。

注)鬱陵島から竹島は遠いので、見える機会は少ないけれど、見えるときはそれなりの大きさに見えます。鬱陵島の独島展望台から竹島を見ると、高さ方向視角5分です。
 納沙布岬から貝殻島灯台を見ると、太さ方向の視角は3.2分です。同じく、納沙布岬から水晶島を見ると、東側の建物があるあたりの高さ方向視角は6分程度、西側の建物があるあたりの高さ方向視角は3分程度です。納沙布岬と貝殻島や水晶島の距離は近いので、見える機会ははるかに多くなりますが、灯台の太さや、水晶島の高さは、同程度かむしろ小さめです。



 この計算は大気屈折率の影響を簡易的に考慮しています。大気屈折率の影響は気温、気圧、水蒸気量によって変わるものですが、ここでは、可視光に対して標準状態として簡易計算に使用する方法−地球半径を1.16倍する方法−を使用しています。

 ウルルン島から竹島を見たらどのように見えるかを計算で推定しました。ウルルン島の海岸からは竹島は見えませんが、小高いところに登ると、空気が澄んだときには、竹島が良く見えるはずです。

 図は、ウルルン島の高度170m〜570mから、竹島がどのようにみえるかを書いています。図の表示範囲は1000mmの望遠レンズの画角です(注1)。(他の焦点距離のレンズの画角はここをクリックしてください。また、標準レンズが見たとおりに写るレンズであると誤解している人が多いので、見たとおりに写るレンズに対して若干の説明を書きましたので、ご覧ください。)
 色と形は2007年11月2日7時ごろに撮影された写真を参考に描いています。ただし、GIF形式の単色ベタ塗りのため、実際の写真とは異なります。黄色の丸は大きさの比較のための太陽の大きさです(月も同じ大きさです)。
 計算では、竹島は標高157m、両島の距離を92kmとしています。なお、ウルルン島は標高984mです。
 ここに示した図は地球の曲率を考慮して計算上推定したもので、大気屈折率の影響を考慮しています。計算では空気の屈折率の影響は、可視光に対して標準状態として簡易計算に使用する方法−地球半径を1.16倍する方法−を使用しています。海水が冷たくて、大気が暖かい等、気象条件によっては、鬱陵島の海岸付近でも竹島が見える可能性があります。

 実際に、ウルルン島から竹島を肉眼で見た場合、どの程度の大きさ見えるのか簡単に知る方法を説明します。
 図の赤横線の長さをcm単位で測ってください。その数値をmにした位置からディスプレイを見ると、ウルルン島から竹島を肉眼で見た場合と同じ大きさになります。例えば、赤線の長さが1.3cmのディスプレイでは、1.3m離れてみると、ウルルン島から竹島を肉眼で見たときの大きさになります。(画像をクリックすると拡大します。この場合は赤線の長さも長くなるので、それに従って、より遠くから画面を見てください。)


(画像をクリックすると拡大します)

 海岸からこの高さまで登るには、普通の人のハイキングだと30分ほどかかるでしょう。
 島の大きさは、視力1.0の人が分別できる限界の1.5倍程度です。


<参考>
左図の右にあるのリングは上が欠けています。この欠けが見えた場合「視力1.0」です。
 島の高さの半分が見えています。
 海岸からこの高さまで、荷物無しで山慣れた人なら、15分で登る人もいるでしょう。普通の人は40分程度でしょう。
 この程度の大きさならば、天気がよく空気が澄んでいて海が穏やかなときに、普通の視力の人ならば竹島が見えるでしょう。丹沢山系の尊仏山荘あるいは大倉尾根から式根島が見えるそうですが、高さ方向の大きさは、この場合と、ほぼ同じです。
 ただし、この大きさでは、見慣れていない人は、島が見えるのか目の錯覚なのか判断がつかないかもしれません。
 
 竹島の視角は4分、視力2.0の人が見える限界の8倍です。
 海岸からこの高さまで登るには、普通の人のハイキングだと1時間弱かかるでしょう。体力のある人なら、20分もかからないで登るでしょう。山地に住んでいる人なら、山菜採り・きのこ採り・たきぎ拾いなどに、頻繁に登る高度です。
 少年の頃、春になると、近所の山に蕨採りにいきました。このとき登ったのが標高差で大体300m程度でした。私は体力がなかったので、結構ハードに感じたのですが、カブト虫取りにこの程度の標高差を登っていた子もいたようです。
 昔のウルルン島民が、このあたりの標高まで、山菜や芋掘りに頻繁に登っていた可能性は、多いに有ります
 島のほぼ全景が見えます。これ以上登っても、島はこれ以上大きく見えません。竹島の視角は6分です。ただし、竹島を見るための光線は海面ぎりぎりのところを通るので、もっと高いところに登ったほうが、竹島が見える可能性が高くなります。
 この高さまで登るときは、私だったら、水と弁当を持ちたくなります。休日のハイキングには物足りない。

 以前、日光の低山に登りました。駐車場から山頂までの標高差が600m程度でした。2時間弱かかったし、ものすごく疲れました。まったく運動していない出腹・中年おじさんにはハードです。このとき、山頂には70歳代と思しき人もいて、皆さん元気でした。
 この程度の標高差は、70歳代で健康な人なら、普通に登れる高さです。


 昔のウルルン島民がどの程度の高度の地点におもに住んでいたのか詳しいことは分かっていません。ウルルン島民は漁民というよりもむしろ農民だったそうです。ウルルン島は山なので、農民といってもかなり採集をしていたでしょう。このため、標高差300m程度の地点には山菜採り、きのこ採り、芋ほりなど、頻繁に登っていたと思います。
 また、ウルルン島の原生林はどのようなものか知りません。何度か登ったことのある、奥秩父の常緑針葉樹の原生林は、明るく見透しが良くて、気持ちの良い尾根道が続きます。ウルルン島の原生林もこんなでしょうか?
 植林だと同一樹種・同一樹齢が密生して植えられるけれど、天然林だと樹種が豊富で、また樹齢も異なるから、一般に植林に比べ明るい事が多いと思います。見晴らしが良いかどうかは、時と場所によるだろうけれど、天然林は植林と違って、下草が生えないほど鬱蒼とした樹林がえんえん続く事はないでしょう。だから、ウルルン島が原生林だった時代には、遠くまで見通せた場所がたくさん有ったと推定できます。

 ウルルン島は急峻な地形が多く農業にあまり適さない島です。ただし、島の北側に広がる羅里盆地(ナリブンジ)は平地が広がっている場所です。昔のウルルン島民が農耕を営んでいたとしたならば、おそらく、ここに居住していたはずです。羅里盆地からは、東側の尾根が邪魔をして竹島を見ることはできませんが、尾根に登れば、天候によっては、容易に竹島を見ることができます。
 なお、現在、羅里盆地には、ウルルン島最高峰の聖人峰(ソギンボン 984m)の登山口があります。羅里盆地から聖人峰までは、登り3時間・下り2時間です。

 竹島・日本領を主張する人の中には、ウルルン島から竹島はほとんど見えないと主張する人がたくさんいます。外務官僚だった川上健三氏が、そのような説を唱えたことに始まります。『ウルルン島の海岸から竹島は見えない』『かつて竹島は原生林の密林だったので、登ることはなかっただろう』これが、根拠のようです。実際には、ちょっと登れば、竹島を見ることができます。また、かつて竹島住民はユリ根を食べていたそうなので、ユリが自生していたことは確実です。ユリは樹木が密生しているところには生えません。ユリがあるということは、明るく開けた場所が有ったことを意味しています。かつての竹島には密林でない場所が広がっていたことは確実です。もっとも、密林地帯でも、300m程度ならば、簡単に登ることは出来るので、『登ることはなかっただろう』との推測をなぜするのか不思議でなりません。川上氏のような外務官僚は業者の接待で銀座で飲み食いすることが日常なのだろうか。もし、そうなら、山地住民の一般生活が理解できなかったのかも知れません。



ウルルン島から竹島は小さくて見えないだろうか、十分見えるだろうか

 ウルルン島のある程度高いところに登ると、竹島の視角は6分です。視力1.0の人がぎりぎり見える大きさの6倍です。このため、普通の視力の人は楽に見える大きさです。昔の人は、視力4.0程度ならば、普通にいたと思われます(注2)。このような人にとっては、ぎりぎり見える大きさの24倍なので、十分大きく見える大きさです。(視力0.2の人は、裸眼で見ることは不可能です。)

 丹沢の塔ノ岳にある尊仏山荘の山荘主によると、気象条件がよければ、山荘から式根島が見えるそうです(http://www.cnet-sb.ne.jp/sonbutu/sontayo.htm)。式根島の標高は99m、尊仏山荘と式根島の距離は126kmなので、尊仏山荘から式根島を見た場合、ウルルン島から竹島を見たときの半分にも満たない高さです。尊仏山荘まで登らなくても、途中の大倉尾根からも、式根島が見えることがあります。


波浪の影響で見えないことがあるだろうか

 海面近くは波立って、小さな島影が見えにくいことがあります。しかし、これは、海岸付近から遠くの島を見た場合の話です。ウルルン島から竹島を見る場合は、200m以上登らなくてはなりません。200mも登ると、水平線は数十キロ以上遠い位置になります。これほど離れた海面の波を肉眼では見ることは不可能に近いので、波浪の影響はまったく考慮する必要はありません。


ウルルン島から竹島は薄くて見えないだろうか、くっきり見えるだろうか

 遠くの山を見ると、青く薄く見えます。たとえ、天気が晴れていても、空気が澄んでいないときは見えなくなります。ウルルン島、竹島間は90km程度あります。これは、東京と富士山の距離と同じぐらいです。ウルルン島から竹島を見た場合、もし、空気透明度が同程度ならば、東京から富士山を見たときと同程度にくっきり見えます。しかし、ウルルン島から竹島を見る場合、光線が海面近くを通るので、空気透明度が同程度の日は少ないでしょう。(これは高度が低いところは一般に水蒸気量が多いためです。)

 富士山は、ウルルン島や竹島に比べ、標高が高いので、空気透明度が高いことが多いものです。もう少し、ウルルン島や竹島に近い標高・距離は、東京には適当な地点が思いつきません。神奈川県だと、平塚の湘南平(高麗山公園)・利島がおよそウルルン島・竹島に相当します。竹島と湘南平の標高はどちらも200m弱、利島の標高が507m(宮塚山)なので、湘南平から利島を見たときと、ウルルン島の標高507m地点から竹島を見たときとでは、気象条件が完全に同じならば空気減衰率は同じになります。(見ている方向は逆です。また、湘南平から見た利島の大きさは、ウルルン島から見た竹島の2倍程度の高さに見えます。)冬、晴れた朝に、湘南平(高麗山公園)から南の海を臨むと、視角7度ほどの大きさで伊豆大島が見えます。結構大きく感じます。すぐ右隣に幾分薄く見える島が利島です。(ここに、湘南平から見た利島の写真があります。  ここにも、湘南平から見た利島の写真があります。台風一過だけ有って、驚くほど鮮明です。)湘南平(高麗山公園)は、平塚駅北口から湘南平行きバス30分終点下車5分です。
 千葉の人は鋸山が良いでしょう。鋸山の標高は329m、鋸山と利島の距離は88kmなので、ウルルン島・竹島よりも、見やすいことになります。しかし、実際に見ると、利島は伊豆大島の背後になるので、どれが大島で、どれが利島なのか、見分けがつきにくいでしょう。眼前に見える伊豆大島の左側にちょっとした突起のようなものが見えたら、それが利島です。ここに、鋸山から見た、伊豆大島の写真があります。利島も写っています。この写真の左に見える突起が利島です。

 4月から10月、東京で富士山は見えない日が多いでしょう。11月から3月の良く晴れた日の朝ならば、問題なく見えるでしょう。ウルルン島から竹島を見る場合、光線が海面近くを通るので、東京から富士山を見るよりも見える機会は少ないでしょう。それに、日本海側は、冬は晴天の日が少ないので、なおさら、見える機会が減ります。
 東京から富士山が見えるのは、午後よりも早朝の方が圧倒的に多いですが、ウルルン島から、竹島が見えるのも、午後ではなくて、早朝でしょう。これは、気温が低いと、空気の飽和水蒸気量が減るので、気温が低い方が、空気透明度が大きいためです。

 与那国島から台湾まで100km強だそうです。しかし、与那国島から台湾が見えるのは、年に数日あるいは十数日しかないそうです。これは、与那国島が亜熱帯に属する為、気温が高く、空気水蒸気量が多いので、空気透明度が低い為です。(見えるときは、大きく広がる壁のように見えます。見えないことが多いのは、遠くて小さいからではなくて、空気が濁っているからです。見えないときは、望遠鏡を使っても、見えません。)

 数年に一度ならば、那智山から富士山が見えるそうです。両者の距離は300Kmもあります。良く晴れた寒い日ならば、空気はかなり透明なのです。

 千葉県鋸山ロープウエーでは「良く晴れた日には伊豆大島が見えます」と案内をしています。同じような気象条件ならば、鋸山から伊豆大島が見える可能性は、ウルルン島から竹島が見える可能性とあまり違いないでしょう。晴れているからといって、見えないときも有ります。もし、鋸山ロープウエーから伊豆大島が見えなかったとしても、案内のお姉さんに絡まないでください。
 「ウルルン島から竹島は距離が遠いので薄くてほとんど見えない」との主張もあります。このような主張は、「鋸山ロープウエーからは伊豆大島は見えないぞ」と言って、案内のお姉さんに絡むのと、同レベルです。

 遠くの山を見ると、青く薄く見えます。このため、遠くの山を見た場合、空や海と同じような色になります。つまり、色のコントラストが著しく低下します。このため、微妙な色の違いを見分ける能力が少ない人には、遠くの山は空と区別がつかなくなります。遠くの海を見たとき、水平線付近で、海と空の区別がつかない人には、ウルルン島から竹島を見ることは困難でしょう。

 東京から富士山が見える日数を気にする人は多いので、この件に関してはいろいろな参考文献などが有ります。たとえば、http://weather.goo.ne.jp/information/01/28.html 。東京から富士山は、冬は月のうち半分ぐらい見え、夏は、ほとんど見えないことが分ります。
 ここから類推しても、4月から10月はウルルン島から竹島が見えることは、期待できないでしょう。11月から3月ならば、見えるチャンスは有っても、実際に見えるかというと、運しだいでしょうか。竹島日本領を主張する日本の学者に「鬱稜島に行って、連日、東の海を見たけれど、一度も見えなかった」と主張する人がいますが、それは、そうでしょう、当たり前のことです。ゴールンウイークや夏休みの旅行で鬱稜島から竹島を見ようとしても、無理でしょうね。遠くが見渡せるかどうか(これを視程という)は、季節による違いがものすごく大きいので、「自分は1ヶ月間毎日見ようとしたが1日も見えなかった」などという情報は、見えるか見えないかの参考には、ならないのです。

 ウルルン島から竹島を見る状況と、湘南から利島を見る状況は、比較的類似しています。湘南から利島を見る状況が、城山三郎/著『湘南』にあります

 ウィキペディア(Wikipedia)の『藤沢市』には、以下の記述があります(2008年5月現在)。
 『晴れた日の片瀬・鵠沼・辻堂海岸からの眺望は素晴らしく、東から西に三浦半島、江の島、伊豆大島、利島、伊豆半島、烏帽子岩、箱根、富士山、湘南平、丹沢・大山が一望できる。』
 お国自慢のようで、ほほえましい記述です。この中に『利島』が一望できると有りますが、藤沢市と利島の距離は、ウルルン島から竹島を見る場合と同程度です。「晴れた日に利島が一望できる」とするのは、ちょっと大げさな気もします。 

 国土交通省のページによると、千葉県鴨川市の「天富神社の境内展望台から…伊豆大島や利島、三宅島、御蔵島等が一望できる」そうです。天富神社は日蓮宗清澄寺のそばにあります。ウルルン島から竹島を見た場合に比べて、天富神社から御蔵島は150km程と距離が遠いので、だいぶ薄くて見えづらいでしょう。大きさは、水平線下に没する部分が多いので、ウルルン島の標高570m以上の地点から見た竹島と比べると、若干大きい程度で、あまり違いは分らないでしょう。もっとも、水平線下に没する部分の大きさは気象条件(空気屈折率)に依存するので、一概には言えないところです。いずれにしても、天富神社の境内展望台から御蔵島を見る場合に比べたら、ウルルン島から竹島は容易に望見することができます。


大気汚染
 遠くを見渡すとき、天候の影響と並んで重要な要因に大気汚染が有ります。大気中の浮遊粉塵が多いと、遠くを見渡す距離(視程)は極端に短くなります。大気中の浮遊粉塵は、人間の産業活動のほかに、黄砂や火山噴火のような自然現象も大きく関係します。産業革命以降の工業化の中で、大気中の浮遊粉塵は大幅に増加しました。さらに近年、中国の経済発展は東アジア地域の大気中の浮遊粉塵量を増大させています。
 大気汚染の影響を考慮すると、現代よりも、中世のほうが、ウルルン島から竹島が見える機会は多かったでしょう。


ウルルン島から竹島はいつでも見えるだろうか

 ウルルン島から竹島は92kmほど離れています。天気が良くない日は絶対に見えません。晴天でも、空気が濁っている春から夏は、見ることは相当困難でしょう。冬の晴天でも、早朝以外は空気が濁ってくるので、見える機会は少ないと思います。冬の晴天の早朝だと、空気が澄んでいることが多いのですが、それでも、竹島がはっきり見えるほど澄んでいることは、多くはないでしょう。ただし、台風一過など特別に空気が澄んでいる日ならば、冬の早朝でなくても見ることは可能かも知れません。
 平塚湘南平から利島を見た場合、距離・標高共に、竹島からウルルン島を見た場合に類似しています。湘南平から利島は冬の期間以外ほとんど見ることができないとの説明を聞いたことがあります。ただし、2008年4月に大磯の照ケ崎海岸から撮影した利島の写真をBlogに掲載している人もいるので、4月でも見えることは有るようです。また、2007年11月に湘南海岸から撮影した利島の鮮明な写真をBlogに掲載している人もいます。さらに二宮町のマンション・ドリム湘南二宮から、4月に撮った利島の写真も有ります。ウルルン島から竹島は見えないと思い込んでる人はこのマンションを購入して実際にお部屋から利島を確認されたらいかがでしょうか。
 ウルルン島から竹島が見えるのは、年に何回なのか知りませんが、湘南平から利島が見える回数よりも少ないでしょう。高麗史地理志には『風日清明、則可望見(空気が澄み切った日には、望み見る事ができる)』とありますが、風日清明でないときに、望見することは不可能でしょう。晴れの日ならばいつでも見えるというものではありません。『風日清明』でなければ見えません。


ウルルン島から竹島は望遠鏡を使えば見えるだろうか

 ウルルン島から竹島は視角6分です。視力1.0に人には充分に見える大きさです。ウルルン島から竹島がなかなか見えないのは、小さいからではなくて、空気が濁っているためです。肉眼で見えないときは、望遠鏡を使っても、おそらく見えません。ただし、視力が低い人は望遠鏡を使ったほうが見える機会は増えるでしょう。


朝鮮半島からウルルン島は見えるだろうか

 朝鮮半島からウルルン島の距離は、ウルルン島から竹島の距離の1.5倍あります。このため、ウルルン島から竹島がみえないような気象条件では、朝鮮半島からウルルン島を見えることは全く期待できません。ただし、気象条件がよければ、朝鮮半島の少し高所からはウルルン島を見ることは可能です。ウルルン島から竹島を見るよりも、朝鮮半島からウルルン島を見るほうが難しいでしょう。


(参考)写真撮影

(言い訳)以下に書くことは、マニュアル一眼レフを使ったことのある人ならば、常識以前でしょう。こんな当たり前のことを書くのは恥ずかしいものです。でも、最近は、コンパクトズームデジタルカメラしか知らない人もあって、「竹島が見えるならば携帯電話で撮影できるはずだ、そういう写真がないのは、見えないに違いない」などと、とんでもない勘違いをする人がいるようなので、写真撮影の知識が全くない人のために、あえて、記載します。

 人間の目で見えるものは、すべて標準レンズで撮影できると、思い込んでいる人がいるので、人間の視力と、撮影の関係を説明します。

<解像度> 
 レンズには収差があるので、どんな小さなものでもくっきり写るというものでは有りません。レンズの性能では、フィルム上で0.05mmまで、それなりに写っていれば、通常、満足な画質と言います。(詳しく言うと、35o判カメラにおいては、10本/oのMTFが60%以上であれば画質に満足できると言われます。現代の日本の一眼レフ用レンズは、ほとんどすべて、これ以上の性能を持っています。)
 35o判カメラで、50mmの標準レンズで撮影したとします。視力2.0の人が見える限界は視角0.5分です。これは、フイルム上で0.007mmに相当します。普通の写真用レンズで撮影できる限界を越えています。恐ろしくシャープなレンズ・精密なカメラを作って、0.007mmでも撮影できたとしましょう。これを、葉書サイズに引き伸ばすと、0.03mmになります。ほとんど、見えないですよね。
 視力2.0の人が見える限界は視角0.5分なので、これを、500mmの超望遠レンズで撮影すると、フィルム上で、0.07mmです。一眼レフ用の普及ズームレンズの周辺部の描写性能は、この程度でしょう。(単焦点レンズや高級ズームレンズの描写性能は、もっと優れています。)視力2.0の人が注視している状況を写真に撮ろうとしたら500mm程度の超望遠レンズが必要でしょう。
 視力2.0の人が見えるギリギリの景色を写真に撮って、人に見せて自慢しようとしたら、数十万円〜100万円以上の高級単焦点超望遠レンズを使いたいところです。こういうレンズは、野鳥の写真を撮っている人が普通に持っています。

<コントラスト>
 通常のカラーネガフィルムは、プリントしたときに自然な感じに見えるように、コントラストを調整しています。遠くの景色を撮影するときには、色温度調整用のフィルターを付ける事がありますが、このようなフィルターを使っても、コントラストはあまり向上しません。硬調のカラーリバーサルフィルムを使えば、多少は改善されるかも知れません。最近はフィルムカメラはあまり使われず、デジタルカメラが主流ですが、撮像素子の色に対する感度はどうなっているのか良く知りません。なお、一般に遠く風景を撮るとき、PLフィルターはコントラストを上げる効果があります。AFカメラの場合はCPLフィルターを使ってください。
 フィルムを選んだり、フィルターを選んだりすれば、遠く山を、それとわかる程度に撮影することは、ある程度可能です。しかし、人間が見てギリギリ識別できる程度の風景を、写真に撮ることは不可能です。まして、見映えのする写真を撮るなど、到底望めません。ウルルン島から竹島の写真を撮ろうとしたら、気象条件が非常に良いとき、フィルターワーク・レンズワークを駆使し、適切なフィルムを選んでも、見映えのする写真は相当に困難でしょう。
 写真を知らない人は、目に見えるものは、すべて見たとおりに、撮影できると思っているようです。ところが、写真は普通の景色を普通に見たときの感覚に近いように作られています。(ベルビアのように鮮やかな発色をするフィルムも有りましたが。)注視したときのように写す事は困難です。

 遠くの風景で、人間の目で楽に見えるものでも、写真に撮影するとなると、それなりの機材とそれなりの技術が必要です。

 「いや、そんなことはない、自分は最新式のコンパクトデジタルカメラを持っているから、見えるものなら何でも写せる」と思っている人がいたら、試しに、満月を撮影してみてください。目で見える程度に月面の模様を撮影しようと思ったら、結構たいへんです。


ウルルン島からみた竹島の高さ

 ウルルン島−竹島間の距離は92km、竹島の高度は160m程度なのだから、92mの距離のところから、160mmのものを見たときの大きさに相当します。160mmとは、16cmのことです。16cmというと、自動車のナンバープレートの縦サイズが大体この程度です。つまり、ウルルン島から竹島を見たときの大きさは、100m離れたところから、自動車のナンバープレートを見たときの大きさと大体同じです。高速道路には、ところどころに、100mの間隔を示す白線が書かれているので、これを使うと良いでしょう。
 「100mと言われても、どのくらいか分らないよ」そう思う人もいるかもしれません。そういう人は、ナンバープレート全体ではなくて、4桁の数字を見ましょう。4桁の数字は幅1cm程度の線で書かれています。このため、車から6m離れて、4桁の数字を見たときの線の太さが、ウルルン島から見た竹島の高さに相当します。6m離れると、ナンバープレートの4桁の数字が読めない人は、ウルルン島から見た竹島を見ることは、不可能でしょう。6mとは、歩幅で10歩程度です。(ナンバープレートの文字は見やすい色で書かれています。ウルルン島から見た竹島は色のコントラストが無くて、非常に見づらいでしょう。このため、気象条件さえ良ければ、ナンバープレートの4桁の数字が読める人全員が、ウルルン島から竹島が見えるというものでは有りません。)

 アーチェリーというスポーツをご存知ですか。洋弓で的を射るスポーツです。アーチェリーにはいろいろな距離が有りますが、練習に良く使われる50mでは、的全体の直径は80cm、10点の部分は直径は8cmです。ウルルン島から見た竹島の高さは、アーチェリー50m競技の的の10点の部分に相当します。一流選手ならば、たいてい当てます。

 視力検査は、通常5m離れたところから、ランドルト環の切れ目の部分を見ます。視力0.2のところの切れ目幅が75mmです。この大きさが、ウルルン島から見た竹島の高さとだいたい同じです。



 月を見たことがある人ならば、『晴れの海』の大きさ程度だと思えば正解です。晴れの海は直径700km、月までの距離は38万kmなので、ウルルン島から竹島を見たときの大きさと、ほぼ同じになります。ウルルン島から竹島を見るということは、水平線近くにある月の『晴れの海』を見ることと同じようなものです。「見えるか見えないか」と言えば、「見える」が正解です。でも、そう簡単にいつでも見えるというわけでもないのです。

 

 これで終わりです。でも、このように書くと、おかしな誤解をする人がいるので、あえて付け加えます。ウルルン島から竹島が見えるか否かに、大きさはそれほど重要ではありません。だからと言って、いつでも良く見えるというものでもありません。結局、気象条件(視程)に大きく影響されます。

(参考)遠くはなぜ見えないか。
 遠くが見えない原因として、主なものには次の3つがあります。
 1)地球は丸いので、遠くの景色は水平線の下になる
 2)空気の影響で光が減衰する。
   この原因は気象条件に大きく影響されます。
 3)遠くのものは小さくなるので見えない
   島や山は大きいので、あまりこの原因で見えなくなることは有りません。

 もし、見えないのだとしたならば、どういう原因で見えないのだろうかということを考えれば、単純な考え違いをすることはないでしょう。『ちょっと小さい=きっと全く見えないに違いない』『見えない=小さいから見えないに違いない』 このような短絡的な思考では、100kmも離れた風景を理解することは不可能です。


注1
 「1000mmの望遠レンズで撮影したものとして計算すると、どのように写るかを計算で推定して図を描いています。」
 普通の人はこの記述で十分理解できると思ったので、これまで、そのように書いていました。しかし、「1000mmの望遠レンズなど持っていない」などと言う、頓珍漢な発言もあるようなので、「図の表示範囲は1000mmの望遠レンズの画角」と記述を変更しました。

 ディスプレイを見る距離を変えれば、ディスプレイ上に表示された大きさの見え方は変化します。このため、何ミリのレンズで撮影したものとして計算した図であっても、ちょうど良い距離でディスプレイを見れば、実際に見た場合と同じ大きさに見えます。このため、何ミリのレンズで撮影したものとして計算しても、本来は、どうでも良いことです。 

 写真を撮って、フイルムを直接見る場合、実際の大きさに見える距離は、焦点距離と同じです。たとえば、300mmのレンズで撮影したフイルムを直接見るとき、30cm離れて見ると、実際に見たときと同じ大きさになります。50ミリの標準レンズで撮ったときは、5cm離れて見ると、実際に見たときと同じ大きさになります。もっとも、よほど近眼の人でもない限り、5cm離れて見ることは不可能ですね。
 フイルムを直接見るのではなくて、引き伸ばしプリントしたものを見るときは、引き伸ばし率に従って遠くで見ると、実際に見たときと同じ大きさになります。たとえば、300mmのレンズで撮影した写真を3倍に拡大したプリントを見るとき、90cm離れて見ると、実際に見たときと同じ大きさになります。50ミリのレンズで撮影した写真を5倍に拡大したプリントを見るときは、25cm離れて見ると、実際に見たときと同じ大きさになります。もっとも、5倍に拡大プリントした写真を25cmの距離で見ると、フイルムの荒れやレンズの収差が目立って、実際のように見えることは無理かもしれません。

注2
 現在、通常使われている視力表は2.0までなので、目の良い人の最高視力の検査値は2.0になります。視力2.0の人は結構たくさんいるので、もし、詳細に調べるならば、視力4.0の人がいるかもしれません。
 ヒトの網膜は中心部に錐体細胞が分布し、周辺部に桿体細胞が分布しています。特に、中心窩の部分には錐体細胞が密に分布しています。網膜の分解能を決めている中心窩の錐体細胞の大きさは2〜3μm程度なので、網膜の解像限界は15秒程度、視力換算すれば約4.0くらいに相当します。
 それから、ヒトの目では瞳の大きさは、個人差が大きいようですが、7mm前後です。光は波動であるため、小さな穴を通過すると、にじみ出る性質があります。穴が小さいと、このにじみが大きくなって、解像度が低下します。穴の大きさと、分解能には次の関係式があります。
 ドーズ限界(秒)=115.8/D (Dはレンズ口径をmmで表したもの)
 つまり、瞳の径を8mmとすると、目のレンズとしての分解能は15秒になり、これを視力に換算すると、視力4.0に相当します。
 多くの人は視力4.0ありませんが、これは、目の屈折異常(近視・乱視など)のために、像がぼやけることが最大の原因です。このため、目の屈折異常がなければ、視力4.0は十分にありうる視力です。
 なお、モンゴル遊牧民やアフリカ・マサイの人の中には視力6.0や8.0が知られています。




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