北方領土切手


 2004年1月16日、韓国政府は独島(日本名、竹島)を図案とする切手を発行した。韓国の独島切手発行に対して、日本政府は抗議声明を発表している。
 UPU憲章の前文に『郵便業務の効果的運営によって諸国民間の通信連絡を増進し、かつ、文化、社会及び経済の分野における国際協力という崇高な目的に貢献する』ということが謳ってあり、また、いくつかの大会に於いても同様な趣旨の勧告があるのに、発行する切手がこの精神に沿っていない、との趣旨である。

 日本は2005年8月に、北方領土を図案とする切手4種を発行した



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 現行切手であるため、料金表示のところに黒線を引いています。 図の左側の切手に描かれている建物は、クリリスク郵便局(旧:紗那郵便局)局舎。



 この切手の図案は、UPU憲章の前文の精神に反した、好ましくない切手である。韓国が発行した竹島切手に比べても、より悪質だろう。もし竹島切手が竹島宛郵便物に使われたとしても、何の問題も生じない。しかし、北方領土切手が、北方領土宛郵便に使われた場合、北方領土住民に戦争の不安を与えるものであり、郵便文化の観点からも好ましいことではない。




 旧、紗那郵便局は、択捉島がソ連領になって以降、2006年初めまで、クリリスク郵便局として使われていた。郵便局が移転してからは、空き家となっている。

 写真は、2007年5月の旧郵便局舎。
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 2007年8月下旬、ビザなし交流団が訪問したときは、一部が破壊されていた。(屋根は取り払われ、床や壁も一部壊されている。)ロシア側の管理当局者が、保存運動を知らなかったため、建物を解体しようとしたものだそうである。

 2015年6月、老朽化で危険なため、取り壊された。


 日本は、この切手以前にも、北方領土が描かれている切手を発行しているが、この時は、日本地図の一部に少し入っているだけで、目立たない図案だった。


 左図は、1949年に発行した万国郵便連合75年記念切手。切手4種と小型シートが発行されたが、そのうちの1種。良く見ると、北海道の東に国後島が描かれている。択捉島は描かれていない。

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 左図は、1987年に発行した登記制度100年記念切手。北方領土が描かれているけれど、択捉島は半分切れています。

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紗那郵便局保存に関する日本政府の取り組み 参考資料

2005年6月13日 参議院・沖縄及び北方問題に関する特別委員会における東清内閣府北方対策本部審議官の答弁 (出典:国会会議録)

 先生御指摘の択捉島の水産会事務所、それから紗那郵便局の建物保存につきましては、これは戦前に建設された日本の建物として数少ないものということで、島民の方々の昔をしのぶよりどころということで、返還運動の方々の意見としても是非とも保存に向けた活動をしたいという話を伺っております。
 今年の二月に領土返還要求全国大会で特別決議が行われて、これらを受けまして、民間主導で、幅広い国民の寄附金によってこれらの建物保存を図る動き、そういうものが高まってきていると承知しております。
 政府としては、引き続き、広報啓発等を通じまして、それらの活動が円滑に行われるように側面的な支援を行ってまいりたい、そういうふうに考えております。
2008年4月10日 衆議院・沖縄及び北方問題に関する特別委員会における高村正彦外務大臣の答弁 (出典:国会会議録)
 御指摘の建物でありますが、老朽化を理由として、四島の今の住民の方たちが解体する意向を示しているわけであります。しかし、元島民等関係者の方々から、当時をしのぶよりどころになっているとして、その修復、保存について強い要望がありまして、外務省より、四島側やロシア側に対し、解体を避けるように強く働きかけてきたところでございます。日本側で建物の保存に取り組んでいる関係者が四島交流の枠組みを利用して、現地で修復、保存作業に向けた調査等を行っていると承知しております。
 外務省としては、これらの建物の修復、保存に当たって、北方領土問題に関する我が方の法的立場を害することがないように留意しながら、内閣府、元島民等関係者の方々と緊密に連絡をとりながら適切に取り組んでいく考えでございます。
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