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日のすきま セレクト集(2002年5月〜2003年10月)

2002/05/15 (水)  高原の鯉

 阿武隈と東京湾岸を何度か往復するうちに、春起こしされた田んぼに水が張られ、苗が植えられ、細い茎葉が風に揺れるようになった。
 しかしここ、標高700mの開拓村は、まだこれから水を張るところだ。
 13日、湾岸のアパートを引き払い、漸(ようや)くこの高原の借家に居を据えた。
 三年間人が棲んでいなかったので、床板と畳は腐っていた。
 壁には黴がはびこっていた。
 いまはまだダンボールの山を掻き分けて寝るキャンプのような暮らしである。
 昨日より今日、今日より明日が暮らしやすくなるよう少しずつ片づけてゆけばよい。
 風呂に入ると蛙の多重奏曲が聞こえる。
 茶の間には掘り炬燵があり、炭火のちりちりいう音が聞こえる。
 夜、外便所に出れば、泣けてくるような無数の星だ。
 これからここで生きてゆく。
 なんとか通信環境も整った。
 またよろしくお願いいたします。

2002/05/19 (日)  雨上がり

 物置の横の植込みから音がしたので見ると1m大の蛇だった。
 横腹に赤い斑紋がある。
 ちろちろと舌を動かし、滑らかな水のように動く。
 2丁スコを構えて機を窺ったがわずかな隙に逃げられた。

 風呂上がりに検索をかけてみたが、どうやらジムグリかヤマカガシらしい。
 ヤマカガシは毒があるのでやっかいだ。
 それでも家周りのネズミなどを食べてくれる。
 蛇と決死の間合いを測っている時、あまりの真剣さを妻に笑われた。
 蛇は長すぎて嫌だ。
 
 部屋に入ると天井などに蠅がいる。
 食事前しばらく夫婦で蠅叩きに精を出す。
 今日は合わせて15匹ほどやっつけた。
 「ハイと手を出す感じで軽く叩くのがコツ」とは妻の弁。

 30年前に戻ったような生活。
 毎日少しづつ家周りを整えている。
 やってもやってもキリがない。

 後ろの田んぼは今日が田植え。
 夕暮れ、雷雨が襲った。
 雨上がりひときわ高くなった蛙の声に負けじとカザルスをかける。

2002/05/20 (月)  月

 はじめて通る夜の山道は黄泉へ通じている気がする。
 人家も灯りもなにもない真っ暗の山道をひたすら走る。
 走り抜けて高原に出ると月がある。
 クルマを停めライトを消し外に出て息をする。
 月って明るい。
 
 この高原を抜ければ自分らの栖はもうすぐだ。
 今日はレンジ回りをきれいにし、古錆びた水道栓を取り替え、網戸を洗った。
 明日は洗濯の排水管を設置し、台所の壁紙を張り、棚を作ろう。

 相方の体調がすぐれない。
 夜はまだストーブがいる。

2002/05/21 (火)  組み内

 暗くなるにつれて冷え込んできたので、家の中に作りかけの棚を持ち込んでドリルなど回していたら、「おばんです」と突然組長さんがやってきた。
 先ほど連絡した組み内(集落)との顔合わせの日取りの都合が悪くなったので、知らせに来たのだと言う。
 こちらへ越してきてすぐ、集落内12軒を組長さんと回ったが、昼間は男衆がいないので、改めて席を設けて欲しいと云われていた。
 少し憂鬱だったが、村の人と仲良くするに越したことはないと思い、今度の土曜日の夜に自宅でやりたいと申し出たのだ。
 その土曜日は、行政の方の集まりがあったので日曜日に変更して欲しいと、組長さんはわざわざ伝えにきてくれた。
 上がってもらって茶をすすめて雑談をしているうちに、組長さんの相好は崩れてきた。
 この人は、最初に会った時は私の頭から爪先までじろじろ値踏みするように見る人で、苦手なタイプだなと思っていたが、こちらが村に溶け込む態度を見せるにつれて、だんだん顔つきが違ってきた。
 こちらの不安とあちらの警戒が少し解けて、山奥の暮らしがまた一歩先へ動いたような気がした。
 さて、日曜日までにあちこちの片付けを終えて、客を迎えるに足る家に出来るかどうか…。

2002/05/30 (木)  巣

 今日は雨どいを直し、風呂場周辺を攻めた。
 風呂釜の煙突の蓋をはずし、中を覗いたら向こうに何か詰まっている。
 これだから燃焼が悪かったんだ。
 相方にそう云って、煤払いブラシで押して、反対側から取り出してみたら鳥の巣だった。
 ウズラより小さめの卵が4つ。
 苔で葺いたふかふかの巣。
 こんな上等な巣はみたことがない。

 3年間空家で、縦煙突がはずれてなかったので、小鳥には格好の栖だったのだろう。
 卵は昨日産んだようにきれいな色模様をしていた。
 自分らが棲んでから熱風で何度も炙ってしまった。
 卵にもう命はないだろう。

 色んな殺生をして生きている。
 台所のシンクの陰から可愛いネズミが顔を出したと妻が弾んだ声を挙げた。
 赤毛で腹が白く7〜8cmしかなかったという。
 ネットで調べて、どうやらホンドアカネズミらしいことが分かった。

 妻が歯を磨いていると三日に二日は現われる。
 私は一度も見かけない。
 村の人の話だと、ヤマネズミは家に棲み着くと子どもを殖やし、あちこち糞だらけにしてしまうから、退治したほうがいいという。

 夜は、灯りの下に必ず青やら赤やらのカエルがいて、集まってくる羽虫を狙っている。
 薄暗いから外便所に出る時などふみつけそうになる。

 隣の田んぼからは相変わらず濃厚な生命の音。
 夜は怖くて小便に起きられない。

2002/06/05 (水)  水

 せっかくの山の井戸水だが、苦くてたまらない。
 配管が錆びているらしく、妻は顔を洗うと鉄が肌に刺さると言う。
 井戸ポンプから台所蛇口まで10数メートルある。
 冬季の凍結防止に配管は地下40cmほどに埋め込まれている。
 ポンプの電源を落とし、取りあえず掘ってみることにした。
 蛇が怖いので近くに蚊取り線香を置き、あたりをガサガサさせてからやる。
 このあいだも古トタンの陰に太い蛇紋が動いていた。
 カサッと言ったらそいつがいる。
 それとスズメバチの羽音。
 重低音ですぐ分かる。
 それらを聞き分けながら作業する。
 幸い配管は台所の縦管以外はぜんぶ塩ビ管であることが分かった。
 縦管は外側をボロ布や肥料袋で何重にも巻かれ、内側は発砲スチロールで包まれ、鋼管には電熱線が巻かれていた。
 ここまでしなければ冬の凍結から守れないのか…。
 山を下りてパイプレンチを買って来て縦管を外す。
 古い鋼管でこれがまた大苦労だった。
 外してみると思った通りのゾっとするような赤さび。
 でもこれで原因が分かった、これをよく洗浄すれば大丈夫だ、と思い元に戻す。
 が、…はまらない。
 塩ビ管との接合部分は糊づけしてあり、それを無理矢理外したので、割れてしまったのだ。
 もう夕暮れだというのに水が使えない状態になった。
 妻にゴメンナサイをして、お隣りからバケツで水を貰うことにする。
 風呂水はもう汲んであったが、湧かしすぎたお湯の埋め水がない。
 バケツで何度もリレーする。
 料理はペットボトル。
 洗い物は妻の横に突っ立った私が手元に流水する。
 またもやキャンプ生活。
 水は有り難し。

2002/06/10 (月)  風呂上がり

 今夜も七輪炭火で網焼きする。
 塩鱒。
 ビールを横に置いてじっくりと。
 雑木山の稜線が次第に暗くなる。
 蛙が鳴き、知らない鳥が興奮している。
 夜の生き物が動き出すんだな、

 ひとり酔いながら、
 炭火の色を見、魚の焼けるのを見る。
 目をあげるとまた夜闇は深くなっている。
 今夜は曇って星が見えない、

 妻は台所で味噌汁を作っている。
 今日はお隣のユンボを借りて駐車場を整地した。
 明日は2t一杯の砕石が来るはずだ。
 
 少しずつ方位をつかむ。
 ここは銀河のこの辺りで、
 たぶんキリンはあの森をゆくのだろう。

2002/06/12 (水)  畑仕事

 夕べはお隣で地域の若嫁会があり、うちの山の神も出掛けて飲み食いにいった。
 その間こちらは何をしていたかと言うと、夕闇の中せっせと風呂にバケツで水運びだ。
 くだんの山の神が風呂の止め栓を抜いたまま水を張ったため、井戸水が枯れて出なくなったのだ。
 ここの井戸は風呂一杯、洗濯2回、それと朝夕の炊事分で丁度キャパが切れるらしい。
 奥様たちの談笑する声を聴きながら、お隣の水道と風呂を何度も往復する。
 夜の鳥の声、蛙の声、山、木々のシルエット、星、…、
 明日はここをこうして、あそこをこうしよう。
 そんなことを考えながら、水を運ぶ。

 朝、お隣から余ったキュウリの苗をもらったので植えにゆく。
 雨が降らなかったので心配していたが、トウモロコシはきちんと根付き、ダイコン、チンゲンサイ、ラディシュ、みな小さな芽を出していた。
 はじめての畑仕事…。
 ひとつひとつ穴を掘り、肥料を入れ、苗を植え、上から押さえると、土の柔らかみがなんとも言えない喜びをくれる。 
 カッコーが鳴いている。
 私たちは阿武隈の山に種苗を植えるところまで来たんだな。

2002/06/13 (木)  全面対決

 チョコレートを食べようと思ったら中のピーナッツが囓られている。
 シンク下の調味料袋も穴を開けられ散らかされている。
 辺りには細長い種のような固い糞が目立って来た。
 ここまで来ては全面対決だ。
 昔ながらの金網のネズミ捕り、巣に袋ごと持ち帰って食べるという殺鼠剤、スプレー式の忌避剤、そしてゴキブリホイホイを大型化したような粘着シート、ひと揃い全部買ってきた。
 金網のネズミ捕りは、エサだけ取られて逃げられた。
 殺鼠剤は、見向きもしなかった。
 スプレー式は、こちらが臭いに追い出された。
 粘着式は、蛾やガガンボばかりが張り付くばかりで、汚かった。
 どうしたもんかと思っている所へ、隣の奥さんが、粘着シートを折り曲げずに広げて、真ん中にパンなど置いておけばよく捕れると教えてくれた。
 言われた通りにしたその夜、ふいと台所の灯りを点けると、きれいな腹白赤毛の、ホンドアカネズミが粘着シートの上でもがいていた。
 指を近づけるとチューチュー鳴く。
 心臓がドクドク鼓動を打っている。
 肛門から糞をぽろぽろ落としている。
 絶体絶命だ。
 なんだか自分が貼り付いたような気持ちになってくる。
 この有機的装置はどこから来たのか。
 俊敏な動きを封じられ、いま、死に躙(にじ)り寄られている。
 翌朝、身体が硬直し始めていた。
 触れると少し反応した。
 そのままゴミ袋に入れ、
 燃えるゴミに出した。

2002/06/14 (金)  赤松とサッカーと柏餅

 畑を貸してもらっているお礼に上の家の松の手入れにゆく。
 爺さんが若い頃、山から掘ってきてそのままほったらかしにしていたという赤松だ。
 昇龍の面白い姿をしている。
 木に登ると、少し惚けた爺さんが寄ってきては、
 「どこからきなすった」
 「こんな山の中でびっくりしたろう」
 「これでこの松も千年末代…」
 また少し経つと子犬のような目で同じことを言う。
 山からおゲン婆さんが帰ってきて、娘さんを学校へ送ったハルミさんが帰ってきて、やっと爺さんから解放される。
 サッカーが始まると、ハルミさんが逐一試合状況を教えてくれた。
 松の中にも歓声が届く。
 空間の構成する面白さ、ワールドカップを見ていて初めてサッカーが面白いと思う。
 昼間おゲンさんとハルミさんが家の奥でばたんばたんしているので何をしているのかと思ったら、帰り際に柏餅を持たせられた。
 旧暦の節句なのだと言う。
 旧暦でなければ柏の葉が取れないので今作るのだと言う。

2002/06/26 (水)  samusano natuwa...

 冷たい雨が降り続く。
 庭先に植えた茄子の苗が弱ってしまった。
 鳥も蛙も声が少なくなった。
 蛇や蜥蜴も葉陰で動きを鈍くしている。
 夜、村の人から電話があり、大家さんのお婆さんが亡くなったと知らされた。
 妻と二人で雨の中、役場近くの大家さんの家まで暗い山道を下りてゆく。
 昼食後の散歩に出掛けた路上で倒れていたのだという。
 心臓が弱かったらしい。
 82歳。
 「お茶飲んでいかっしょ」と声かけてもらったのが最初で最後だった。
 品のあるやさしい人だった。
 線香を上げ、振舞酒を戴いていると、熊のような村人がやってきて、情(じょう)を吐いた。
 「なじょしたこったぃ…」
 「おらぃの婆さん息止まっちまったぃ…」
 大家さんは淡々と応えながら、弔い客に酒食が行き渡っているか心を配る。
 何も知らない幼子が客人に愛想を振る舞う。
 …………

 今年は冷夏になるのか冷え込みがひどい。
 ストーブを焚く夜もある。
 稼ぎに向かう雨の山道を、
 「サムサノナツハ オロオロアルキ…」
 と呟きながら下りる。
 毎朝、同じ場所ですれ違うバスがある。
 ほとんど無人のバスが上ってくる。
 今日なんの気なしに行き先表示を見たら、
 「天の川」
 とあった。
 出来すぎだ。

2002/07/04 (木)  何処かへ

 5時の定時に仕事を終えても、その後買い物などして帰ると、7時を回ってしまう。
 風呂に入り、ストレッチをし、ビールなど飲んで、一日の火照りを静めていると、もう8時を回る。
 食事をし、一日の出来事などを話し合っていると、すでに9時だ。
 9時を回ると眠いのだ。
 言葉の端々がささくれ立つ。
 夫婦で寡黙に食器を洗う。
 もう少しなんとかならないものかと言う。
 朝は四時半に起きる。
 相方を五時半に起こして弁当を作ってもらう。
 仕事には六時半に出る。
 日の節々。
 上手に折り畳めば襞にもなるだろう。
 その襞を向こうに晒して、
 何処かへ行くべ。

2002/07/05 (金)  蛍

 妻と諍(いさか)った後、ひとりで蛍を見に行く。
 家の灯りから逃れるとそこはもう漆黒の闇になる。
 蛍は田んぼの畦に「つ」「つ」と淡い。
 ときおり魂のように「ふ」と離れ空へ上がる。
 雲の切れ間に星が見える。
 目が慣れると雑木林も田の面も知らない顔をしている。
 闇の中の蒼い異和として自分がある。
 「つ」、「つ」、「ふ」、と蛍。
 黙って帰って布団を敷き、ふて寝していると、
 洗い物をしていた妻が外へ出て、
 「あ」と小さく叫んでいる。

 ほたる。ほたるが飛んでいるよ。

2002/07/14 (日)  暑かったなぃ

 炎天に炙られながらレンガを敷いた。
 何度も水をかぶり、濡れ手拭いを首に巻いて冷やした。
 暑い血を脳にやらないこと。
 それでも時折めまいがした。
 古参の職人は涼しい顔をしている。
 山に入って暑さに弱くなったか。
 それでも東京のようなムシ暑さはない。
 日陰に入れば別世界だ。
 一日の労働を終え、這々の体(ほうほうのてい)で家に帰る。
 クルマを牛小屋前に停めると、妻がうれしそうな顔をしている。
 玄関前の軒先に四十雀が巣を作り、雛が帰ってチィチィ鳴いているのだ。
 色んなものが生まれ代わり死に代わりしている。
 夕闇のなか剪定ゴミを燃やした。
 立ち上がる炎や赤々とした熾を見ていると、
 こんなふうにゆっくり焼かれて骨になりたいと思った。
 いっしょに火を見ていた妻に云うと、法律が許さないと応えた。
 いや、そういうことではなくて…。

2002/07/17 (水)  牛小屋

 昨日は一日トタンを打つ雨音を聞きながら牛小屋の整理をした。
 二度目の雨台風で村内にも土砂崩れが発生した。
 牛小屋は築40年だというが、柱も梁も壁も栗材で出来ており、しっかりしたものだ。
 古壁にこびりついた牛糞を削ぎ落とす。
 土を均し、柔らかい部分は肥料に取っておく。
 窓に打ち付けてあった古トタンを剥がし、風を通す。
 後ろに山を背負って湿気が強いので、高床にするため角材を敷く。
 その上に栗材の厚板を敷く。
 この栗板は井桁をばらしたもので、組み合わせれば籾を貯蔵する大きな桝になる。
 なんだかんだと楽しんでいるうちに夜になった。
 ドラムで電気を引いて現場用の照明をつけて、なをも続けているとブレーカーが落ちた。
 炊事していた家人に、いいかげんにしなさい、と母親のように叱られ、すごすご戻る。
 明日も牛小屋で過ごせたらいいのにな…。

2002/07/27 (土)  ターフェルムジーク

 夜明けの音に目覚めれば、ヒグラシはテレマンの管弦楽だ。
 近く遠く汀が退いて、この世の色がまた塗り込められる。
 一日のはじまりと終わりには、ひとの姿を脱いで、こころが生まれたままにする。
 「ターフェルムジーク」
 意味は知らないがそうつぶやく。
 ヒグラシはもう海に還った。
 また今日も暑くなる。
 妻がむいた白桃を囓ると、ミンミンゼミが啼きだした。

2002/07/31 (水)  真昼

 目覚めると、色んなソフトが立ち上がる。
 夢の中を泳いだOSを、この朝の陸に上げ、肺を脹らませる。
 また今日を始めるのだ。
 昨日の気がかりが繋がる。
 不安定な物語。
 野に置き捨てられた錆びた織機。
 もう何年この装置をやってきたろう。

 ときおり自分との断絶が来る。
 始まりからの固有時。
 存在のざらりとした真昼。
 目を覚ませ、
 …もう真昼だ。

 ああ、
 今日も暑くなるのかな。

2002/08/19 (月)  盆明けの仕事始めは、

 雨で休みになった。
 いちにち牛小屋に籠った。
 早くしないと寒さが来てしまう。
 冬の来る前に断熱材を入れ、壁を張り、床を打ち、窓を付け、扉を付け、薪ストーブの
煙突を付ける。
 そうして厳冬期は、凍結した山道を稼ぎに降りたりしないで、牛小屋に籠って絵を描い
たり、木を削ったり、本を読んだりするんだ。
 いいだろう。
 いい…。

 籠り仕事には阿部薫。
 籠りながら光速で何処かへ離れる。
 ノコギリでコンパネ挽きながら、一心不乱に釘打ちながらどこかへゆく。
 速度。
 はじまり。

 雨は大過なかった。
 モミジが一層濃くなった。
 一週間ぶりに畑にゆくと、巨大化したキュウリが笑っちゃってた。
 トウモロコシに毛が生えた。
 枝豆もふくらんできた。
 サヤインゲンはもうたくさんだ、と言って妻に叱られた。

2002/08/30 (金)  古池

 今日も燃えるような日射し。
 絡まったフジヅルと格闘しているうちに、チェンソーで左の腿を切ってしまった。
 ズボンの生地を巻き込み、少し肉を剔(えぐ)ったところで引き離した。
 傷は浅かった。
 血を見たせいか次第に気分が悪くなった。
 日影で休んでペットボトルに凍らせた水を飲む。
 その水で傷を洗い手拭いで縛る。

 現場の横の古池。
 ときおり鯉の大物の影が浮かび上がる。
 横で人間どもが重機で大騒ぎしているのを知ってか知らずか、悠々と現われまた消える。
 千年同じことをしていたのだろう。

 現場への行き帰り、稲田が実って豊饒だ。
 さわさわさわと、無限の音がする。
 この金の波に身体を預けて、
 向こうの山つきの集落まで、
 ゆうゆうと、
 泳いでいきたいな。

2002/09/09 (月)  村の鍛冶屋

 現場の近くの村に鍛冶屋があったので寄ってみた。
 道路に面して八畳くらいの仕事場があり、
 ガラス戸に鍬や鎌や鉈や菜切包丁の仕上がり品を見せていた。
 無骨だがよく鍛えられた刃が光っている。
 仕事場の中には大きな回転砥石と、ベルトで動く鎚打ち機と、鋼を冷やす水槽があるだけで、壁に様々な種類のヤットコがかかっていた。
 オヤジはもう70過ぎだろうか、おだやかに話をする。
 鉈を見せてくれと言うと、新聞紙に包んだ、いかにも手打ちと言う風情のわざものを出してきた。
 樫の柄も手作りで、削り跡がごつごつしている。
 値を訊くと「○千円貰っているんだ」と恥ずかしそうに応えた。
 それはホームセンターの倍以上の値だったが、「貰っている」と言う言い方がうれしかった。
 自分で作って自分で売るから誰のせいにも出来ない。
 モノが傷めば直すし、刃が欠ければハガネを打ち直す。
 どのくらいこの商売しているのかと訊いたら、微かに笑って、生まれた時からここでこうして何処へも行かずに生きてきた、と応えた。
 食える商売じゃない。オレもあと二三年やれればいいと言う。
 鉈の代金を払い、釣りを受け取ると、旧五百円玉が油で汚れていた。

2002/09/15 (日)  御幣と斧

 組長の三郎さんが5つの御幣を持って来た。
 山之神と熊野様と八幡様、水之神、火之神に供えろと言う。
 9月15日はこのあたりの氏神様の祭礼なのだ。
 八幡様は村の中心部にありすぐに分かった。
 水之神、火之神は井戸と台所に供える。
 山之神と熊野様は集落の雑木山の陰に鳥居があり、それを上った処にひっそりとあった。
 どちらも背後に満天星躑躅(ドウダンツツジ)があり、山之神のドウダンは天然記念物級の大きさだった。
 あんなものは初めてみた。
 御神酒を捧げひらひらした御幣を上げる。
 神社仏閣に心を頼んだことはないが、この雑木の中の祠には何故か心惹かれ、手を合わせた。

 物置の奥に錆ついた斧(ヨキ)の頭が転がっていた。
 サンダーで磨き、樫の柄を付け、楔を打ち込んで使えるようにした。
 軽トラで丸太を運び、今日から薪割りを始めた。
 手製の斧は思いの外よく割れる。
 カケヤを使ったくい打ちに比べ造作もないように思えた。
 しかし調子に乗って薪割りを続けたら肘から下がぱんぱんに腫れた。
 木を割ると、その木がどのように空へ向かい、エネルギーを流していったかが見える。
 枝へ分岐してゆく時のうねり具合など見事だ。
 いのちなるかな。
 ここにもこうして世界がある。

2002/09/24 (火)  彼岸

 彼岸花が咲いた。
 休日は軽トラ3台ぶんの薪を割った。
 大上段に構えて天地もろとも叩き割った。
 あんまり力むな。

 薪を割っていたら久しぶりに大家さんが来てくれた。
 墓参りの途中に寄ったのだと言う。
 椎茸のほだ木をたくさんもらったから取りに来いと言う。
 夕方、受け取りに行くと、酒食をご馳走してくれた。
 仏壇にはこの夏急に亡くなったお婆さんが微笑んでいた。

 帰り道、高原牧場にクルマを停めて、十六夜の月を見た。
 地平線から銀河が上り、頭上を越えて、また地平線へ下りた。
 牧草が月光に濡れ銀色になびいていた。
 波間には小島のような黒牛が静かにうずくまり眠っていた。

2002/10/07 (月)  野ざらし

   富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の、哀気に泣有。
  この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露ばかりの
  命待つまと、捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、
  あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、
    猿を聞人捨子に秋の風いかに
   いかにぞや、汝ちちに悪まれたるか、母にうとまれたるか。ちち
  は汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、
  汝が性のつたなきをなけ。
                   (芭蕉『野ざらし紀行』)

 浅く狂う秋、芭蕉の気合いが正気をくれる。
 「唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ」
 芭蕉は捨子に己の孤独を見る。
 芭蕉は捨子を拾って育てようとも保護しようともしない。
 ただ食べ物を与えて通過するだけだ。

  野ざらしを心に風のしむ身かな

 これは悲愴な決意でも嘆きでもない。むしろ快活な狂気だ。
 芭蕉は泣く捨子、野ざらしの髑髏に、己の性のピントを合わせ喜んでいる。
 生も死も造化の妙。
 では、それを見ているこの私とは何者か。
 秋風が身にしむのである。

2002/10/12 (土)  冬支度

 朝から上天気。
 仮止めだったトタン屋根の釘打ちを終わらせた。
 この間の台風で持ってゆかれなくてよかった。
 打ちそこねた釘穴にはアルミの補修テープを貼った。
 流れる雨なら良いが、朝露や雪解け水なら染みこんでしまうだろう。
 屋根の上で、透明な秋の陽を浴びていると、「思い煩うな、ただ今を感じろ」
 という気持ちになってくる。
 少し照れくさく辺りを見まわすと、木々の葉が色づきながらそこにある。

 夕方から牛小屋の中に、「ムロ」を掘った。
 プラスチックの大きな漬け物樽の中に、古くなった断熱シートを張り込んで埋めた。
 二個。
 穴の入口周りに木枠を組んで、蝶番で蓋が開閉出来るようにした。
 これで冬の野菜は貯蔵できるはずだ。
 明日はストーブ周りの壁張り。
 薪はだいぶ積み上げた。

2002/10/13 (日)  断腸花

 今朝は3℃だった。
 朝晩の冷え込みが激しい。
 秋海棠の花がいよいよ朽ちてきた。
 歳時記に秋海棠の別名は「断腸花」とある。
 その理由は記していない。
 色々調べたが解らなかった。
 芭蕉は、芭蕉の葉の傷つきやすさを愛して自分の名にしたのだと言う。
 確かに今頃庭の手入れをすると、痛々しい芭蕉の葉が垂れ下がっている。
 それを根元からすっぱり斬って整理する。
 切り口から驚くほどの水を出す。

 午後、あまりに秋日が美しいので、妻と裏山を歩いた。
 あちこちに山栗が落ちていた。
 日溜まりに知らない赤い実が成っていた。

2002/10/18 (金)  おくれ

 「お〜く〜れ」ということもあったし、「ちょう〜だい」と言うこともあった。
 駄菓子屋の店先。
 ややあって店の奥から婆さんが出てくる。
 藍を煮染めたような前掛けをして少し無愛想だ。
 ヒモの付いた円錐形の飴のクジがあった。
 色とりどりで大きさが違っていた。
 好みの飴をあらかじめ引いておいて、どのヒモかめぼしを付けておく。
 やってきた婆さんに10円払って、かねて手はずのヒモを引っ張る。
 と、あろうことか目当てのきれいで大きな飴ではなしに、
 隣の小さな魅力のない飴を引き当てている。
 婆さんは無愛想に奥へ戻る。
 私は呆然と飴を口に入れる。
 飴は小さい。
 寺の境内の石畳を数えて帰るが、
 そのうちにスキップをはじめる。
 口からヒモを垂らし跳ねる子どもの横で、
 百日紅の幹は滑り、糸檜葉の葉は垂れている。
 本堂の欄干にもたれかかると、
 板戸の隙間から天井の地獄絵が見えた。

2002/10/19 (土)  手紙

 畳をただ5枚並べただけの部屋だった。
 横はどぶ川でいつも臭かった。
 西側のたったひとつの明り戸を開け、地べたに足をつき、煙草を吸った。
 煙草は肺にひりつき、世界の斜めの味がした。
 どぶ川の向こうは神学校だった。
 木立に隠れて何も見えなかった。

 夜は新宿の居酒屋で酒を運んだ。
 板前は陰湿で粗野だった。
 大学出の店長は自信がなく疲れていた。

 店が終わった後、始発まで深夜喫茶で時間を潰した。
 トーストとコーヒーはお代わり自由だった。
 1979年の痩せたボーイがテーブルを回っていた。
 みんな虚ろに朝の来るのを待っていた。

 惰眠の夕暮れ、どぶ川のほとりで煙草を吸った。
 夢は原色だった。
 自分で脚色し、演じながらそれを批評していた。
 寝汗をかいた。

 庭先の小さな赤いポストに、今日も手紙はこない。
 手紙は一度もこない。
 公園に出てブランコに乗った。
 二十歳の身体が振り子になった。

2002/10/21 (月)  窓の雨

 本町の社宅に住んでいた。
 隣に寺があった。
 天明の飢饉の菩提を弔った寺だ。
 私は7歳だった。
 道路に面した曇りガラスに、オマケのシールを貼っていた。
 シールを貼ると、そこだけが透明になった。
 窓の雨を見ていると、近くの染物屋の娘が、
 年上の物言いで、私のコレクションを誉めた。
 傘を差して、道路から声をかける少女の情景を、私は一生覚えてゆくのだろう。

 染物屋の職人は、近くの川でよく反物を洗っていた。
 木橋の上から見ていると、長い布に色が散り、水が流れ、布が泳ぎ、
 そうしてまた色が散るのだった。

 ( きょうは、
   いちにちじゅう、
   雨が降っている。

   山はもうカーニバルだ。
   たくさんの色を散らしている 

2002/10/25 (金)  透明絵具

 ゴルフのグリーンの造成。
 ジョレンとスコップとレーキで赤い砂、白い砂と戯れる。

 朝の山は雑木林のお祭りだ。
 薄く透明な木の葉が色とりどりに舞っている。

 水彩画の絵具に透明な色が出るのがある。
 5年生の頃だったか、図工で校庭のケヤキを描いていた私に、担任の老女教師が、秋のコンクールに出品させるから描けと、透明色の出る水彩絵具を貸してくれた。
 私は誇らしい気持ちでケヤキをスケッチし直し、その頃入院していた母親の病室で丹念に描いた。
 色づいた葉の一枚いちまいの色を、少しづつ変えて描いた。
 母はベットの上から静かに見ていた。
 母は手術で腹に大きな傷跡を作っていた。
 
 その絵を老女教師はあまり評価しなかったように思う。
 コンクールにも入選しなかった。
 この教師は4.5.6年と担任だった。
 愛鳥週間の作文を、勝手に手直しして、その通り書き直させられた。
 その作文は銅賞を取った。
 みなの前で賞状を手渡されながら、私は屈辱を感じていた。
 そんなことを思い出した。

 秋の朝の山はお祭りだ。
 思い出すのは、繋がる出来事の底があるからだろう。
 高い空から見れば、
 無人の野を走るキツネも、山道を急ぐ私も、透明な点の動きだ。

2002/10/27 (日)  蛇を燃やす

 牛小屋の扉はなんとか据え付けた。
 窓はポリカーボネイトの波板で代用した。
 表と裏に張って二重窓にする。
 土間に洗い砂を敷いた。
 薪ストーブの周りにはたっぷり蓄えた。
 蓄熱効果があるらしい。
 物置に道具を取りに行って、「ヒャッ」と声を挙げた。
 ヤマカガシ。
 春と同じ場所。
 ダブルスコップを構えて振り下ろし、手首を痛めた。
 鼻の奥が冷たくなる。
 三分されたヤマカガシは、広いところに出され、時々あくびするように口を開いた。
 その仕草が可愛らしかった。
 毒牙を探したが見あたらなかった。
 さっきまでの滑らかな動き。
 いまは赤子のようなあくびを繰り返している。
 とどめを刺すと尻尾がまだ動いていた。
 火ばさみでつかんでドラム缶に入れ、扉の残材と一緒に燃やした。
 妻が近づいてきたので蛇を燃やしているんだと云うと、
 妻はいつまでも飽きずに火の番をしていた。

2002/10/28 (月)  AJICO

 今朝は薄氷が張り、クルマの窓に真っ白に霜が降りた。
 無益な殺生をした後は寝覚めが悪い。
 私が殺さなければあの個体はこの朝の寒さを感じることが出来たのだ。
 
 今日は大家さんの親戚の山で竹を取らしてもらった。
 30本ほど。
 山の斜面を滑らせて下に集め、2mの長さに節止めして100本ほどになった。
 家に鉄砲垣を作る予定でいる。

 夕方帰ったら、風呂釜の調子が悪いと言う。
 煙突をはずし、バーナーの中を覗いた。
 底にライトを当てると何かふわふわしたものがある。
 つつくと粉々に砕けた。
 春、煙突の中に四十雀が巣を作ったことがある。
 なかにきれいな卵があった。
 親鳥はどうしたかと思っていたが、ここで粉々に砕けていた。

 風呂は妻が灯油を入れ忘れて、給油管に空気が入ったのが原因のようだ。
 狭い隙間に手を入れて、あちこちのジョイントを外してみたが、うまくいかない。
 しんしんと寒さが伝わってくる。

 あきらめて今日は向かいにある村の宿泊施設の風呂に入った。
 歩いて数分なのに、この風呂に入ったのは初めてだった。
 久しぶりの広い風呂で手足を伸ばした。
 妻ははしゃいでいた。

 夜空には星々の間を彷徨うヨットがある。
 生活するということは、瞬間によぎる美しいものを見るということだ。

2002/11/10 (日)  初雪

 きのう今日と父母が遊びに来ていた。
 高速の出口で落ち合って、モミジを見ながら渓流沿いを上ってきた。
 風が強く、山はきのうの雨で冬ざれていた。

 寒さの中、なんとか隙間を塞いだ牛小屋で、父母が買ってきたサンマやイカやホタテを焼いた。
 七輪では小さいので、牛小屋の隅に転がっていた縄文土器のようなもので炭を熾し、網焼きした。
 これはなんと呼ぶのだろう。
 父母は「蒸し器」じゃないかと言った。
 中につば付きの釜を入れ、下から火を焚き、そのまま蓋をして蒸らすのだと言う。

 母は、火を見ていると落ち着くのだと言って薪ストーブから離れない。
 山育ちの母は火熾しがうまい。
 浜育ちの父は、魚捌きがうまい。
 外の流しで手際よくイカのワタを取ってゆく。
 水が冷たいだろうと言うと、井戸水だからあたたかいと言った。

 老いた親と妻と赤々と燃える熾きを見ながらビールを飲んだ。
 背中がしんしんと冷えた。
 ふと窓を見ると外は真っ白だった。
 雪は音もなく降り積もっていた。

2002/11/13 (水)  半月

 半日、ヒノキの焼き丸太を洗う。
 藁束でススを落とし、それからタワシで洗う。
 しだいにいい色が現れてくる。

 半日、青竹を洗う。
 真鍮のタワシでエナメル質を傷つけないように洗う。
 白いカビの部分がなかなか落ちない。
 それでも宝石のような色が現れてくる。

 さっきから梢でいい声の鳥が鳴いている。
 羽かどこかがビロード色をしている。
 この陽を一羽だけで楽しんでいる。

 朝、飛行機に乗る妻を高速バス乗り場まで送った。
 渓谷の紅葉に声を挙げた。
 今日、明日とひとりで過ごすことになった。

 真っ暗な玄関に帰ると群雲から半月が現れた。
 影が冴えている。

2002/11/14 (木)  朝

 星が消え廃鶏が鳴き東の空が明るくなる。
 木々にうっすらと霜がかかり便所のカマドウマも動かない。
 外水道も凍った。
 茶を沸かしながら、ひとりで皿を洗う。
 もっと凍れ、もっと寒くなれ、雪に埋もれろ、閉じこめろ。
 軽トラのエンジンを入れ、フロントガラスに薬缶の湯をかけ、山を下りる。
 道は渓流沿いにある。
 葉の色が落ちるのは音楽のようだ。
 国道には山のケモノが轢かれ張り付いている。
 (血も流さず)
 梢にはきれいな声したビロードの鳥が今日も詩っている。
 (ひとりで)
 岩陰に岩魚は眠るのだろう。
 (月の夜も)
 蛇はからみあって眠るのだろう。
 (雪は降り)
  ………
 ばらばらの美よ。
 私は稼がねばならない。
 私はきょうもヒトの言葉を遣わねばならない。

2002/11/21 (木)  渓谷道

 先週末は祝い事で広島まで行ってきた。
 明日からは東京、鎌倉へ出稼ぎにゆく。
 11月はなかなか忙しい。
 それでもぽっかりすきまの時間があったりして、今日は初めての渓谷道を攻めてきた。
 5万図で見ながら前々から気になっていた道。
 途中「男犬平」という集落がぽつりとあるだけだ。
 「平らな男の犬」とは何だろう。
 朽木や落石をよけながら、渓谷の散り始めた黄葉紅葉を目に映す。
 水力発電の変電所があり、そこから道が心細くなる。
 舗装が切れかかる頃に「男犬平」はあった。
 3軒。
 少しの田畑とハウスがあった。
 どういう暮らしがあるのだろう。
 稼ぎに通うには大変な道だ。
 さらに先に進むと舗装は切れ、切り立った山石がむき出しの道になった。
 渓流は道のすぐ脇を流れ、水にせり出したモミジの枝に紅が泳いでいる。
 何度も引き返そうと思いながら川を遡上した。
 タイヤを石で切らないように低速でゆく。
 誰ともすれ違わない。
 こんなところで物のように死ぬのは怖い。
 そう思う気持ちと、ぞくぞくする気持ち。
 しばらく走ると川向こうに橋を架けた家が現れた。
 煙突から煙が出ている。
 なんてこった。
 雪に閉ざされた冬の暮らしを想う。
 誰も訪れない。
 雑木を渡る風と、水の音、月の光。
 ああ、いいな。
 ぞくぞくするな。

2002/12/02 (月)  忘年会

 きのうは久しぶりにゆっくりした。
 落葉を集め、ドラム缶で焼いた。
 便所を掃除し、家周りを片づけた。
 すっかり裸になった山を見る。
 雪が少しぱらついてきた。

 午後3時から集落の忘年会に出た。
 村の温泉旅館でどんちゃん騒ぎ。
 隣りに大工のマサミさんが座った。
 毎日、一時間半かけて現場に通っている。
 「それが仕事だもの苦とは思わね」
 しぶい声で前川清を唄った。
 「ああ上野駅」がないのを残念がる。
 集団就職ピークの世代。
 左となりはテルオさん。
 村に電気が灯った年に生まれたのでテルオと名付けられた。
 自分で牛の種付けをし、最近60万で売れて喜んでいる。
 山の落葉を集めて敷き藁とし、それを発酵させて堆肥にしている。
 スズメバチ採りの名人だ。
 タコ踊りを踊った土工のマサシさんは、最近クルマを買い替えた。
 「月賦が大変だ」と落ち込んでいる。
 やはり一時間半かけて現場に通っている。

 9時過ぎまで飲み、温泉に浸かって帰ってきた。
 それぞれのクルマが一列になり、同じ集落に向かって帰った。
 それぞれの暮らしへ…。
 これから厳しい寒さが来る。

2002/12/06 (金)  山茶花と金縷梅

 蕾を満載した山茶花を鋏む。
 枝先に花をつけるから、かなりの数を落とす。
 それでも注意深く蕾を残してゆけば、葉と花と幹と枝振りが気持ちのよい比率になる。
 生き物のそれぞれのパーツはそれぞれの自由を求めている。
 それぞれにあくがれて隙間を探し身をよじり伸ばす。
 その調和を考えればよい、…のか。
 よく分からない。
 自分の気持ちに合わせて鋏む。
 もう山茶花だかなんだか分からなくなって、仕事だかなんだかも分からなくなる。
 冬芽になったマンサクを鋏む。
 まだ寒い頃に黄色い紐状の花を咲かせる春告げ花だ。

  金縷梅(まんさく)の花の終わりは雨の中  

 存在の終わりを包む柔らかなものの在りかを匂わせるこの句は、妻の祖母の作だ。
 60歳になる精薄の子を育て、80過ぎの黙狂の夫の介護をし、洋裁で生活を立てている。
 腰を曲げて動き回りながら、因習の強い古い土地で暮らしている。
 あそこの山茶花は弱っていた。
 今年はよく咲いただろうか。

2002/12/07 (土)  昔話

 大粒の雨は山の麓で雪になっていた。
 ハイビームにすると、斜めに降りかかる雪に反射して星間航空しているようだった。
 4wのレバーを引き、峠の七曲がりをゆっくり上ってゆく。
 クルマの中は暖かい。
 降りかかる雪星はタイムトンネルだ。
 ずっと奥へ、どこまでも奥へ、ゆけるところまで、
 住む村はすっかり雪に埋もれていた。
 家々の明りが昔話のように灯っている。

2002/12/11 (水)  氷の世界

 雪は50cm近く積もった。
 月火と休んで雪かきや雪下ろしをした。
 終わる頃また雪は降りてきた。
 世界は現実のものとは思えない美しさだ。
 なんてこったろう。
 今朝は零下10℃まで下がった。
 玄関のガラス戸が凍り付いていた。
 つららが高い音でぶら下がっていた。
 きょうは稼ぎに降りてゆく。
 30分ほど早めに出てとろとろゆくつもりだ

2002/12/18 (水)  忘れていた

 ゴジラのような大モミジを移植した。
 大きなものが空をいった。
 瞬時見とれた。
 空の奥よ。

 今朝、アイスバーンを確かめながら峠を下りると、
 まっすぐに跳躍してゆく一瞬の色があった。
 キツネだった。
 厳寒の山が鮮やいた。
 まいったな。
 じぶんがケモノであることをすっかり忘れていた。

2002/12/20 (金)  冬の蛍

 朝、玄関を開けると、前の家の壁に蛍のようなものが群れている。
 なにごとかと外へ出ると北西の方向に満月が濡れていた。
 残雪の上をケモノの影が横切ってゆく。
 山ではゆうべどんな祭りや闘いがあったのだろう。
 生も死も踊るようだったんだろうな。
 幸も不幸も踊るようにあればいい。
 ときどき月や空のものたちが癒してくれるだろう。

2002/12/21 (土)  音もなく

 数寄屋の家に建仁寺の袖垣と筧を作っているうちに雨が降ってきた。
 フリースの上に合羽を羽織り仕事を急いだ。
 早めに帰途についた。

 雨は峠でまた雪になっていた。
 新車の調子を確かめながら雪道を上る。
 峠を越えた、長い下り坂のところで何台かクルマが停まっていた。
 構わず通り過ぎると横転した10t車の腹が現れた。
 積荷の一斗缶を散乱させている。
 近づくと、まだエンジンがかかったままで、中のふたりが這い出すところだった。
 エンジンを止めさせ、怪我の有無を訊いた。
 無傷のようだった。
 上下線にクルマが滞りだした。
 雪は降りしきる。
 靴が滑って歩くのも難儀だ。
 腹を見せたトラックはノーマルのつるつるのタイヤだった。
 「まいったな」と運転手はぼんやり言う。
 汚れた作業服を着て疲れている。
 事故車は幹線道路を完全にふさいでしまっている。
 携帯が通じないので誰かが近くの民家に連絡に走った。
 クルマのライトに音もなく雪は降りしきる。

2002/12/25 (水)  廃園

 黒塀に囲まれた今日の庭はいい石をふんだんに使ってはいるのだがどこか荒れていた。
 モッコクを鋏んでいると車椅子に乗せられた旦那が真っ裸で廊下を通った。
 離れた部屋には枯れ木のような老婆が中空に口を開けて喘いでいる。
 ヘルパーが四人で交替に介助している。
 ここは廃業した医院。
 四人の子どものうち男二人は東京と仙台の大学病院に勤め、ひとり娘が親の面倒を見ている。
 娘はもうひとりいたが若い頃に交通事故で亡くした。
 母親は気が違ったようになり、この木が触っている、この木もダメだと、庭のあちこちの木を切ってしまったのだという。
 隙間の多い、元気のない庭になってしまった。
 残った木々たちはそれでも精一杯葉を茂らせ、モチノキは皮一枚で曲がりながら生きている。
 医者の息子たちは帰ってこない。
 「偉くなりすぎたんだ」と年輩の職人が言う。
 家の廊下をヘルパー達がぱたぱた走り回っている。

2002/12/26 (木)  犬

 峠道をゆくと時々山から犬が近づいてくる。
 冬毛がぼさぼさになったコリー犬で捨てられた猟犬だろうと言う。
 飼い主が戻って来たと思いこんで親しげにクルマに寄ってくるのだ。
 目が合うとおどおどと哀しげな顔をする。
 こんな犬が山のあちこちにいる。
 キノコ採りに山へ入ったら繋がれた母犬が衰弱して横たわっていた。
 腹には子犬が数匹懸命に乳を吸っていた。
 涙が出てきた。
 ワタシは綱を解いて握り飯をやってきたヨ。
 と、一緒に仕事したおかみさんが言った。
 なんであんなことをするのだろ。

 山は今朝もうっすらと雪が降った。
 冬はこれからますます酷くなる。

2002/12/27 (金)  蒼い朝

 水深300m。
 蒼い夜明けの空の下をゆく。
 ゆうべ積もった新雪にはまだクルマの轍がない。
 キツネの足跡だけが点々と続いている。
 左の道脇から右の道脇へ。
 ふいに気まぐれに横切る点の動きは音楽だ。
 水深200m。
 しだいに風景が浮上してくる。
 稜線に立つ裸木のエッチング。
 凛とした枝の向こうにかじかんだ陽が昇る。
 氷柱の凍り付く茅葺きの家。
 牛小屋の牛も目覚めた。
 水深100m。
 峠を下りる。
 山並みの向こうに海の気配。
 永遠から剥がれた太陽が水平に目を射ってくる。
 トンネルごとに雪は失せる。
 長い坂を下りるともう浜通りだ。
 水深10m。
 海岸沿いを走り現場へ向かう。
 砂浜に波が砕け漁船の旗が見える。
 きょうの木に登り潮の匂いをかぐ。
 目を覚ませ。
 もう魚だ。

2003/01/07 (火)  冬の水と星

 内臓が悪いのでしばらくアルコールをやめてみようと水ばかり呷っている。
 けれど冬の井戸水はことの他うまい。
 グラスの中にキラキラした星が入っているようだ。
 水ばかり飲むと夜中に便所に起きるはめになる。
 何枚も重ねた布団の下から凍土の外へエイヤッと立ち上がる。
 部屋の寒暖計は0度、外の寒暖計はマイナス5度。
 今夜は割合あたたかい。
 空を見上げると深夜2時の星。
 夜10時の星よりも朝5時の星よりも煌々としている。
 見ていると星に魅入られ自分が浮いてゆく気がする。
 浮いてゆくというより足下にも星があり、星々に取り囲まれる気がする。
 危ういな、怖いな、愉しいな。

 やっぱり寒いから布団に潜ろう。

2003/01/10 (金)  オス

 ひとり芝庭の草引き。
 鎌を使って小さな雑草をひとつひとつ抜いてゆく。
 黙々と続け、気がつけば冬の陽射しに包まれている。
 半径1mの世界が宇宙のすべてだ。
 いざりながら続けているといつの間にか正座している。
 祈りのようだ。

 祈る私の肩に誰かが手を置く。
 この家のラブラドールレトリバーだ。
 真っ黒いビロードのような毛並みの若い犬で愛嬌がある。
 檻のすきまから前足を出し、しきりに私に触れようとする。
 握手のように握ってやると笑ったような顔になった。
 ふと腹をみると見事なキンタマである。
 陰嚢は丸くはち切れるようで、陰茎は隆々としている。
 ときどき細く赤い亀頭が出る。
 むんむんと男盛りだ。
 見ている私も勃起してきた。
 おう、
 オレもオスだったんだな。

2003/01/20 (月)  スーパー

 スーパーでレジを待っていると虚無にわしづかみにされた気持ちになる。
 買物をたくさんした時ほどそうなる。
 おれは何を消費したのだろう。

 総菜売り場で今日のおかずを物色している孤独な年寄りの暮らしの襞。
 買ったものと伝票とを見くらべている疲れ切った主婦の髪のぱさつき。
 私は疲れた仕事着で明るい店内を漂いながら自分の中の穴に落ちてゆく。

 きのうからまた雪が積もった。
 今朝少しアイスバーンで滑った。

 帰りは吹雪いた。
 今日も終わった。

2003/01/21 (火)  新雪

 夕べの吹雪は15cmくらい積もった。
 国道まで新雪を踏み分けてゆく。
 キツネの足跡がまた続いている。
 どこまでゆくのだろう。
 ずっととおくまでいったのだろう。
 
 今日は北風が強かった。
 フードを被ってダイスギの手入れと四つ目垣作り。
 庭にメジロが遊びに来る。
 つくばいの水を飲んでいる。

 囚われることなく暮らしたい。
 身に降りかかることだけを深く感じれればいい。
 いつか予定調和じゃない死がやってくる。
 ぶちぎるような無が覆う。

 アイスバーンになった山道をノロノロ帰った。
 今夜は月が見えなかった

2003/01/22 (水)  メジロ

 筧(かけひ)を取り替えようとつくばいまでゆくと、きのうのメジロが死んでいた。
 薄く氷の張った水の中にゴミのように浮いていた。
 何も見なくなった目は虚空を写していた。
 死体は反物質のように落ちる。
 永遠に落ちてゆく。
 空を見ると死んだメジロの片割れが梢を渡っていた。
 昨日までずっとつがいで遊んでいた。
 梅の枝の間をうぐいす色に戯れていた。
 今日からは一羽で生きてゆくメジロ。
 おまえもいつかモノのように落ちるのだろう。
 それまでは全天を映して生き唄え。

2003/01/24 (金)  雪休み

 今日は雪で休むと決めていた。
 久しぶりに雪かきをし、外水道にもう一回り覆いをかけて凍らないようにした。
 雪かきはスノーダンプと呼ばれるプラスチックの手押し式のものでする。
 赤いダンプに雪を乗せ、脇の小川まで滑らせて、どっさり落とす。
 空は青い。
 地上は純白。
 様々な色が鮮やかだ。
 風がなければ雪が乱反射してあたたかい。

 夜、風が吹いた。
 木々に凍った雪の固まりが氷になって落ちて来た。
 ばらばらと散ってゆくその音を聴くと、屋根の上を山のものが駆けてゆくように思える。
 夜中に何度かその音で目を覚ました。

2003/01/27 (月)  水底

 今日は雨休み。
 朝方雪が舞ったが、この季節には珍しくずっと雨だった。
 雪と氷で壊された雨樋の穴から雨が迸(ほとばし)っている。
 おかげで涸れかかっていた井戸の水が潤った。
 注意深く使わないと風呂の水が溜まらなくて困っていたのだ。
 今日は音楽をかけなかった。
 トタン屋根を叩く雨音を聞きながらいちにち本を読んだ。
 そのまま炬燵でうたた寝した。

  水底。
  妻も眠っている。
  ずっと冬眠しているような気がする。

2003/01/29 (水)  快活

 生垣刈込み。
 午後から吹雪いた。
 北風に吹き殴られ次第に気力が失せてきた。
 この稼業もラクじゃねえなと思う。
 山の爺さんから茶飲み話に色々聞いた。
 山を一反持っていれば一家7人が一年楽に暮らせた。山三町あれば一生くらせた。毎年一反ずつ伐採し、30年で一巡したころはまた最初の木が売り出せる。一日の手間賃は大工の2倍、土工の3倍取れた。
 犬を喰ったことがあるが赤も白も大差ない。どちらも旨い。
 キツネは足跡で分かる。キレイに一列に続いている。キツネも喰える。
 タヌキは臭いのがある。特に発情期のタヌキの肉は臭くて喰えない。
 兎は山の北側に多い。山の北側は雪が多いからだ。雪が高いと兎は高い所のエサも喰える。
 猫も食えるが脂身が猫の目のように光って気味が悪いという人がいる。
 小鳥の羽をむしり、濡れ新聞紙で二重巻きにして囲炉裏の脇に転がしておく。子どもは菓子代わりにしゃぶる。
 爺さんは72歳、口うるさいが快活だ。
 快活に歳を取りたいと思う。
 日々の色んなダメージに、
 腹から声を出し、呵々大笑しながら放屁でもしたい。

2003/02/03 (月)  透明な

 今朝は−12℃まで下がった。
 −15℃になれば樹氷も見られる。
 圧雪が轍になってカーブに残っているので、操作を誤ると襞に乗り上げ、崖下に落ちてしまう。
 いつも通う峠は毎年三台は落ちるのだと言う。

 浜も今朝は寒かった。
 木枯らしの吹く日影で竹を洗っていると、零した水がみるみる凍った。
 自分はゴム手袋をしていたが、昔の職人は素手が基本だから、辛かったろう。
 山の大工さんは、小僧の頃、研ぐ刃物が砥石に張り付いて血が滲んだと言っていた。

 透明な空。
 冬は透明な他者だ。
 とおいいところで呼ぶ声がする。

2003/02/05 (水)  朝の順序

 4時50分、目覚ましが鳴って意識が剥がされる。
 ストーブを点けてヤカンの水を取り替える。
 パソコンのスイッチを入れる。
 ストーブの前で仕事着に着替える。
 下駄を突っかけて外便所へゆく。
 コーヒーを煎れる。
 入れ替えに炬燵のスイッチを入れる。
 20Aしかないため電熱系は併用できない。
 コーヒー飲みながらパソコンを眺める。
 6時15分、クルマのエンジンをかけ朝飯を食う。
 6時半、弁当を持って仕事に出る。
 朝の順序。
 毎朝の繰り返し。
 そうして夜7時前、汚れて帰ってくる。
 毎日の繰り返し。

 飽いた。

 たぶんこちら側にいる者が変わったのだろう。
 最近こちら側にいる者が変わった。
 カタチを逸脱して砂を噛んでいる。
 うまく捕まえないと鬱になる。
 ささくれ立つ。

 「人間とはのりこえられるべきあるものである」と言うのは、
 例えばこんな時なんだろう。
 直立する言葉が欲しくなる。
 言葉は私を跳ね返す。
 こちら側をむこう側へ。
 とおく遠くへ。
 そうすればもう少し生きられる

2003/02/15 (土)  月夜の散歩

 月明かりが濃くて山の中へ誘われそうだ。
 陰陽ふたつながら世界を構成している。
 久しぶりにゆっくり散歩に出た。
 月夜の散歩。
 雲が流れている。
 小川の流れ。
 残雪を踏む。
 山へ山へ。
 木々の向こうに月。
 人間を畜群と見た人の距離。
 もっと遠くへ。
 近くを遠くへ。
 迷っているうちは迷わない。
 月夜の散歩。

2003/02/26 (水)  寺

 先週末はクルマで3時間ほど北上して実家に帰った。
 親父がリタイアして完全年金生活に入るというので山歩き用の帽子をやった。
 お疲れ様と言ったら照れたように目をそらした。
 町の図書館にはCD図書が揃っているので何度か往復してダビングした。
 これで通勤の退屈を紛らす。
 子どもの頃遊んだ寺を訪ねた。
 よく登っていた木はタブだった。
 まんじゅう形の大きな木は金木犀だった。
 どちらも傷んでいた。
 手入れも表面だけを刈り込んで「手」を「入れ」ていない粗雑なものだった。
 鐘撞堂の上から境界塀まで、子どものころよく飛んで遊んだものだが、その距離が結構あるのに驚いた。
 いまでは無理かもしれない。
 本堂の木階段にドッジボールを投げつけ、段間にうまくすっぽりはまりこむのを競った悪ガキだった。
 左官屋のせがれとよく遊んだ。
 子持ちの飲み屋の姉さんと結婚したと聞いたがその後どうなったか。
 ここの坊主と野球をしていたとき、坊主の振り切ったバットが私の頭に当たって私は失神した。
 ここでベーゴマをし、ビー玉をし、缶蹴りをし、かけっこをし、かくれんぼをした。
 本堂の床下で食堂の娘と「お医者さんごっこ」をしたような気もする。
 いまは誰もいない。
 私も四十男になった。

2003/03/10 (月)  海辺

 海辺でトベラ植え。
 風が強く波は大荒れだ。
 それでも光は海に明るかった。
 汀(みぎわ)を千鳥が歩く。
 足跡が軽い。
 波が消して、智恵子飛んだ。
 
 日溜まりのベンチに爺さんが座っていた。
 毛糸の帽子を被り、目を瞑り、陽に面(おもて)を向けていた。
 もう船を下りて余生を送っている。
 あるいは無用の人として、集落からも相手にされず、ただ日が経つのを待っている。
 実際は知らない。
 私は一瞥しながらトベラを植えた。
 日溜まりに眠る爺さん。
 存在の真昼。

2003/03/14 (金)  骨

 山の斜面一杯に無秩序に広がった墓地の清掃。
 線香の燃えかすを片づけ草をむしり花生けの花を取り除く。
 彼岸前の大掃除だ。
 爺さん婆さん部隊大勢で何千という墓をきれいにする。
 婆さんたちは特にかしましい。
 手は止めないが大声で品のないことを喋り合う。
 こう言うときは一番下品なものが羽振りをきかす。
 離れて独りで黙々と仕事する人もいる。
 早春の陽を浴びのんのんと続く墓の列。
 いったい何の抽象だろう。
 その中でじっと手を合わせ涙を流す婦人がいた。
 周りの喧噪をよそに墓石に何か語りかけていた。
 カラスが上空を旋回する。
 古い墓の横にコンクリートの蓋があった。
 そっと開けると骨壺があり、倒れた壺からは黄ばんだ頭蓋骨が見えた。
 墓標を見ると陸軍伍長とある。
 二十三歳で死んでいた。

2003/03/16 (日)  困難な言葉

 ブッシュもフセインもコイズミも辞めればいい。
 戦争へ傾斜した権力はすべてダメだ。
 自明なことだがそれに「正義」が絡むと微妙になる。
 正義は立場によって変わる。
 私の正義は「衆の言葉を使うな、個の言葉を使え」だ。

 池澤夏樹がメールマガジンで、抗議デモを呼びかけていた。

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 明日16日は Global Candlelight Vigil for Peace
という催しが世界112か国(現時点での数字)であり
 ます。午後7時に場所を決めて人々が集まり、蝋燭の火
 を灯す。時がたつにつれて光のウェーブが地球を一周す
 るというエレガントな抗議行動です。アメリカの偵察衛
 星からもよく見えることでしょう。

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http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000077116

 池澤夏樹が『イラクの小さな橋を渡って』という本で、縁石に懸命にペンキを塗る仕事をしている男のことを書いていて感心した。
 本の宣伝文だけ目にしたのだが、私の日々のすきまにそのイメージは鮮烈に入り込んだ。
 炎熱に働く男の息遣いが聞こえてきたからだ。
 上記の地球を一周する蝋燭の火のイメージはその対極にあるものだ。
 これは「衆の言葉」だ。
 オルグする池澤夏樹は人々が心を合わせて戦争反対の抗議行動を起こすことに希望を見いだしている。
 「時がたつにつれて光のウェーブが地球を一周する」というイメージに私もたぶん感動するだろう。
 だが陸軍伍長だった二三歳の黄ばんだ骨は「ざらり」と別のことを言うだろう。
 みんな始まりはそうだった。みんな高揚して孤独を忘れた。目を輝かした。

 私は存在の真昼がほしい。
 親鸞は、念仏は唯「親鸞一人が為なり」と言って、自分の幼子が死んだ時にも念仏しなかった。
 マザー・テレサは、もっと政治的に活動すればもっと効率よくその仕事を広められるのになぜそうしないのか、と問い質され、「私はただ私の隣りにいる人に手をさしのべるだけです」と応えた。

 困難な個の言葉だ。
 だが私の知らないところで日々の困難を生き抜いた言葉はたくさんあるはずだ。
 そのことだけが私の希望だ。

2003/04/02 (水)  蕗の薹

 朝夕がどんどん明るくなる。
 麓ではもうウグイスが鳴き出した。
 ときおり虫も入ってくる。
 最近ものを書いていない。

 冬もいいが春もいい。
 季節の変わり目が大好きだ。
 内側で準備されていたものがしだいに広がりあらわれる。
 にんげんであることを忘れる。

 クルマの中で樋口一葉『たけくらべ』の朗読CDを聴いている。
 明治初期、吉原周辺庶民の世態風俗、少年少女の意地の張り合い、葛藤、邪険、恋心。
 美しい、どこか見知らぬくにの宝石のような暮らし。
 一葉の描写はプリズムのように屈曲しながらきらきら流れる。余韻。

 今日は雨の中、竹の切り出しをした。
 飴色になったいい竹があった。
 土手のあちこちに蕗の薹が出ていた。
 「今日は天ぷらにしよう」
 最近伏せりがちの妻に携帯で知らせた。

2003/04/05 (土)  あえかな

 庭の蔭に福寿草が咲いた。
 柘植の木の下の目立たないところ。
 セリバオウレンも白い線香花火のような花を咲かせた。
 気づかぬところで育まれているあえかなもの達。

 山から切り出した竹で鉄炮垣を作っている。
 ときおりウグイスが聞こえる。
 梅の花が煙る。

 今日は雨休みと決めてゆっくり本でも読もうと思っていた。
 きのう、母方の伯母が亡くなったと報せがあった。
 母に瓜二つで漬け物作りの上手な人だった。
 昨年、亭主を亡くして以来病気がちだった。
 死はどこへゆく。
 あえかなものたちはどこへゆく。

 今朝起きたら雨ではなく雪になっていた。
 これから阿武隈を北上して葬儀に出かける。

2003/04/08 (火)  歌劇

 公園のクスノキの移植。
 北国のクスは元気がない。
 ばらばらと雨が降ってきた。
 合羽を着込んで穴に入る。
 桜はまだだが雨はもうあたたかい。
 
 3時。4tの中で休憩しているとFMからヴェルデイの『椿姫』が流れた。
 今朝4時に躾の悪い隣の犬が暗闇に吠えて睡眠不足だった。
 次々に起る出来事で予定していたことが流れ日々の統覚がとれなかった。
 きょうは雨のスコップ仕事。 憂いた。そこへ歌劇だ。

 椿姫なんぞ、どうせ富裕な遊民の好いた惚れたの話なんだろう。
 それでも人間の朗々と響く歌声に泥だらけの身が何かに連なる。
 九割九分の日常に僅か一分一厘一毛貫く瞬間がある。
 
 棺に入った伯母は母の寝顔にそっくりだった。
 冷たく観てとったのだが、何度目かに妻とふたりで覗き込んだあと不意に涙が溢れた。
 母も父もここに集った親族もいつかこの物語を止める。
 どんな物語が終わるのだろう。

 雨の風景に朗々と響く歌声だけが現前している。
 ラジオのスイッチを消して雨の中に出て行く。
 この日々。

2003/04/15 (火)  久慈川の桜

 一週間、軽トラであちこち泊まり歩いて来た。
 行く先々で友人たちに世話になった。

 水戸から久慈川沿いを遡るとき、満開の桜が雨に幽(かす)んでいた。
 対岸に桜は非在に満ち溢れ、幽かに次元が狂っていた。

 不安定な次元。
 存在の不安定さを言葉にすることで、かろうじて私は私であるのだろう。

 思えばそれだけを頼りに生きてきたような気がする。
 私は私に類型化されないから私なんだと、久慈川の桜に溢れてゆく。

2003/04/17 (木)  やわらかい谷

 久しぶりに弁当を持って稼ぎ仕事へ下りた。
 谷間の木々が新しい生を染めていた。

 この谷間の酷寒風雪の日々を知っている。
 柔らかいものなど何処にもなかった。
 裸枝が叫びのように空に貼り付いていた。

 クルマを停めて崖っぷちに立ち、それからゆっくり浮き上がろう。
 このやわらかい渓谷を夢に眠ろう。

 ・・・・・・・

 家人が村の婆さんと茶飲みしながら、種芋やら苗やらいただいてきた。
 家人は黙って生活する人が好きなのだ。
 今年は畑の面積を倍にするか。

 ・・・・・・・

 明るいうちに家に帰って、きのうの垣根の続きをした。
 夕暮れにも春の鳥の声がした。
 隣の田んぼから僅かに蛙も鳴いた。

2003/04/22 (火)  三椏

 初夏のような陽気で冬支度を外していたのだが、急速にまた冷え込んだ。
 今朝はあやうく霜が降りるところだった。

 昨日の突風で、家周りの杉からばらばら米粒のような雄花が落ちた。
 巨大な赤松に風が渡って空が揺れた。
 ひょうひょうと松韻。

 その下で竹垣を作った。
 余りものの材料なので工夫がいった。
 楽しんでやった。
 あくせくと使われ仕事に通うのが嫌になってきている。
 春はそんな季節なのだろう。

 家の裏の三椏(ミツマタ)が黄色い花をつけた。
 陽を受けて透明に光っている。
 あの凍土を生き抜いてこの色を放つか。

2003/04/27 (日)  ねき

 きのう「ねき」がきた。

 180g、やっと目が開いたばかりの茶トラだ。
 子猫用のミルクを買い、哺乳瓶を買った。

 ゆうべは二時間おきにないた。
 連れ合いがそのつど起きてミルクをやった。

  山に清水が流れるように
  その陽の照った山の上の
  硬い粘土の小さな溝を
  山に清水が流れるように

  何も解せぬ僕の赤子(ぼーや)は
  今夜もこんな寒い真夜中
  硬い粘土の小さな溝を
  流れる清水のやうに泣く…

             中原中也 (『坊や』)

 真夜中に目覚めさせられながら不安になった。
 連れ合いはにわか母親役に気を張っている。
 いろいろ話しかけて気違いじみている。

 山に清水が流れるように、と、中也はうたいながらどんな真夜中に浮かんだのだろう。
 銀河のようにあからさまな命の泣き声。

  その陽の照った山の上の
  硬い粘土の小さな溝を
  さらさらさらと流れるやうに清水のように…

2003/05/04 (日)  遠い記憶

 今日も初夏の陽射し。
 飛び回る蜂の羽音を聞きながら竹垣の結束をする。

 ネキは250gになった。
 ぷるぷると震えながら歩いたりもする。
 刺激を加えなければ出来なかった排尿や排便も自分で垂れ流すようになった。
 最初の便は、練りカラシがチューブから出るみたいに出てきた。
 ほとんど臭いはなかった。
 いまは立派に臭い。
 腸内細菌が増えてきたのだろう。

 口腔から肛門までをひとつの筒と考え、生物共通の形態性を考えたのは三木成夫だった。
 カラダには遠い記憶がある。
 小さなものたちは、その記憶の始まりを思い起こさせてくれる。

 ツゲの刈込みに疲れて風呂が沸くまで眠った。
 目が醒めるとまだ外は明るかった。
 午睡の後はいつも不安定な気持ちになる。
 知らない汀(みぎわ)でじぶんのカタチを思い起こしている。

2003/05/21 (水)  昼は太陽、夜は月と

 仕事帰り渓流で石を拾った。
 雨期の前に飛び石を打ちたかった。
 誰も来ない、誰もいない。
 ぞくぞくした。
 川がつながっている…。

 そのまま林道を走るとぽっかり谷が開け、眼下に一軒の農家が見えた。
 牛小屋があり、田畑があり、池川があり、雑木山がある。
 すり鉢状になった土地に見事な生態系が出来上がっていた。
 親父さんが草刈りしていた。
 ここにも黙って生活している人がいる。

 隠れ里のようなところで、暮らしたいものだと思う。
 向こうの山からこちらの谷まで、見渡す限りがじぶんの身体で、
 昼は太陽、夜は月とつながってゆく。
 作物から樹木から動物まで、
 水や風や光まで、
 かなしかったり、うれしかったり…。

 (それもひとつの襞か)

 いろいろ折りたたんで遊べば、
 もっと自由になれる。

2003/05/25 (日)  オオデマリ

 きのう今日とゆっくり自庭の飛び石を張って過した。
 最近空気との混合比が悪く、不完全燃焼気味だったので、少し本なども読んだ。
 黙って生活するには、別次元へ自由に移行させてくれる遠いものが必要なのだ。
 みんなそれが欲しいんだろ?
 おれはずっとそれが欲しい。

 割れた瓶(かめ)を不燃物に出すと言うので、細かく砕いて雨落ちに撒いた。
 面白い模様になった。
 これでいいじゃねえか。
 無用が砕かれて立派な用になった。

 庭に椅子を出して家人に散髪してもらった。
 小川の横にオオデマリが緑陰をつくり、たくさんの花をつけている。
 こいつはオオデマリだったんだな。
 そんなことに気づいた五月の休日。

2003/06/01 (日)  苧環

 抗鬱剤を飲み忘れると妻は決って悪夢を見る。
 夜中に小さく悲鳴をあげるので手を握ってやる。
 山の静寂(しじま)に蛙のポリフォニー。
 天に満ちて星が遠い。
 
 今日は集落の男衆総出で桜山の下草刈りをやった。
 去年は快晴だったが今年は雨交じりだった。
 作業後、長老の家の軒下でバーベキューをした。
 山奥で暮らしを立てている40代、50代の壮年達。
 一年が経ち、また一年が過ぎる。
 今年は村のソフトボール大会に出ようと盛り上がった。
 雨垂れの下に青いオダマキの花。

2003/06/03 (火)  夕焼け

 去年の暮れに7tの大モミジを移植したお宅の旦那が亡くなった。
 肺癌の手術中に動脈出血して急死したらしい。

 このモミジは先祖から預かったものだから、なんとか生かしてやってくれ、と頼まれていた。
 移植に成功し、若葉が噴き出したのを、縁側で目を細めて眺めていた。
 今度は松の手入れを頼むな、と言われたのがひと月ほど前で、それが最後になってしまった。

 帰り道、誰も通らない鬱蒼とした林道を上ってきた。
 暗い群青の中を、ぼんやり、とろとろと走ってきた。

 山が開けると大きな夕焼けだった。
 まるで産道を通って生まれたみたいな夕焼けだった。
 一面の水田に空が映るので、もう空の中にいるようだった

2003/06/05 (木)  美しいムラ

 晴れた日。
 茶庭の隅で枯れた大ツバキの伐採抜根をした。
 案の定、根が掘れずチェンソー呻らせ悪戦苦闘。
 やっと掘り上げたら三時を回っていた。

 帰り道。
 また迂回して知らないムラを通った。
 石垣の上には花が咲いている。
 田の畦を歩いて水を見回る人。
 向こうの丘で牛が草を食んでいる。
 
 楽な暮らしではないのかもしれない。
 季節を感じるゆとりもなく日々が過ぎゆくのかも知れない。

 道脇には小川が流れ、水草がなびく。
 猫がゆっくりと木橋を渡る。
 異星のように月があがる。

2003/06/13 (金)  うるし

 きのう、雨が上がった仕事帰り、面白い山道を見つけたので、クルマを降りて散策してみた。
 自分が住んでいる集落の、ちょうど裏側が見える道で、人家のない谷間からはウグイスが絵に描いたように鳴いた。
 気が晴れて、しずくに濡れる草むらを掻き分けながら、ぐいぐい進んだ。
 あちこちにウルシの木が枝を垂れていた。
 子どもの頃は、触れるとかぶれるというウルシをひどく怖れていたが、いまは腰鋏で剪りながら歩いてゆける。
 チャドクガだっていまじゃ平気だ。

 今朝、顔が痒くて目が醒めた。
 しだいに顔が赤らみ、昼近くからまぶたが腫れぼったく、ものが見えにくくなった。
 鏡を見ると、見たことのない人が立っていた。
 回りが医者に行った方がいいというので、仕事帰りに町医者に寄った。
 六時前だというのに診察してくれ、注射を打った。
 重いまぶたをやっと開き、浪曲「火の車お萬」で気を入れながら、山を帰った。

 家に帰るとあちこち痒くなった。
 最初は心配していた妻は、ぼそぼそ食事している私を見て、「なんて愚鈍な顔なんだ」
 と、笑った。
 「そんなに魯鈍ですかぃ?」と私も笑った。

2003/06/17 (火)  煙雨

 ウルシかぶれはまだ治らない。
 手指が腫れてガマのようだ。
 土曜日、知り合いの手入れに県北へ行った。
 実家の二階で眠りに就いていると、妻の祖父が亡くなったとの報せが入った。
 翌朝、急遽、岡山へ飛んだ。
 軽トラ、高速バス、新幹線、在来線、タクシーを乗り継いだ。
 辿り着くと、もう通夜の読経が始まっていた。
 ウルシで腫れた顔で初めての親戚に挨拶をした。
 式は集落の男衆が仕切って、遺族は何もすることがなかった。
 義父と納棺をし、死装束を着せた。
 老人は八八歳。
 即身成仏のようにやせ細っていた。
 ゆうべ亡くなったばかりだというのに、手足の白蝋化がかなり進んでいた。
 弟だという老人が半眼の目を指で閉じた。
 翌日の葬式はかなりの雨が降った。
 集落の男衆はテントを張り、せまい座敷に祭壇を作った。
 葬儀屋が庭に花輪を飾った。
 女衆は集会所で遺族にちらし寿司を用意してくれた。
 坊主の読経が終わって野辺送りした。
 原色の旗竿の後で棺桶を担いだ。
 山に煙雨。

2003/06/23 (月)  とおいぃ夏

 古寺のアカガシの樹勢回復の仕事が始まった。
 キノコとコケとノキシノブで樹幹はほとんどボロボロになっている。
 二十年前に境内をダスト舗装してから一気に樹勢が落ちた。
 そのダストを剥がして黒土と竹炭で土壌改良する。
 スコップが効かないほど転圧された表土。
 半裸でツルハシを振う。

 日蔭にはアジサイが満開だ。
 なんという色だろう。
 遠い記憶がする。
 とおいぃ記憶。
 
 通う山道には卯の花、ウツギ。
 白い花弁が零れ落ちている。
 したしたと惜しげもなく色を落として、
 そこは次元が違う。
 誰もいないのに、
 夏が来ている。

2003/07/02 (水)  濃霧

 毎日霧が出る。
 今日の帰りの峠道は特に濃かった。
 吹雪の夜よりも視界が効かない。
 時速20キロくらいでノロノロ走る。
 突然道が途絶え崖から落ちそうになる。
 速度は面を引き連れている。
 光は1秒に30万キロという空間を引き連れる。
 視界が僅か2〜3mなら速度を止め、時間を放ったほうがいい。
 クルマを下りると外は乳を溶かしたみたいだった。
 山々が乳に濡れてひんやりと息をしている。
 急坂の真ん中に立って山の傾きを感じた。
 他のクルマが通らないので、自分だけの空間のように思える。
 宇宙の真ん中で息をする。

 霧は峠を越えると晴れ、代わりに爪のような月が見えた。

2003/07/07 (月)  鵺

 ひとりで仕事。
 じたじたと雨が降った。

 田んぼ道を雨に濡れながら歩く人がいた。
 ゆっくりと、一面の青田。
 苗は音もなく伸びる。
 
 このあいだの夜、便所から帰った妻が「鵺(ヌエ)が鳴いている」と飛び込んできた。
 つがいのトラツグミが、高く低く呼び交わし合っていた。

 いい声だねぇ…。
 耳を澄ましながら眠る。
 夜は非在に満ちている。

2003/07/15 (火)  夕焼

 子猫が湯船の横にちょこんと座って、こちらの裸を興味深そうにみている。
 ネコにそんな目で見られては笑うしかない。
 ざぶん、ざぶん、ざぶん、大海原だ。
 雲の上には月もあるし星もある。
 ここだけがすべてではないのだろう。
 日々が繰り返され、なにかが開き、閉じてゆく。
 きょう久々に夕焼けた。
 毎日、山の天辺から下り、山の天辺に帰っている。

2003/07/18 (金)  12歳

 帰り道、軽トラを飛ばし坂を上ると、急に見晴らしが開けるところがある。
 すり鉢状の地形の真ん中に川が流れ、滑走路のような道路が、向こうの山まで一直線に続いている。
 水田、集落、川、林、山、空、、
 いつも通る道だが、きょう不意にこの空間を「所有した」と思った。
 いまこの風景が私の身体だ。
 そのことで意識がどこかへ開かれてゆく。
 こんな唐突さで宇宙が急に立ち現れたとき、意識は、どんな身体を所有するのだろう。

 田舎暮らしを始めて集落の付き合いをこなすうち、この地域共同体がひとつの身体性を持っていることに気づいた。
 草刈りや葬式など、地域の行事は仕事よりも優先される。
 それを通して、共同で所有される意識の身体がある。
 それが嫌で逃だした個もあったのだろう。

 家族の中での自分の振るまいを考えても、それが自分自身との関係性からずれているのが分かる。個我と情愛はあざなわれ、喜怒哀楽する。

 肉体という個の身体に制約されながら、人は、宇宙にも、共同性にも、家族にも開かれた身体を所有する。肉体は死に、開かれた身体は記憶され、共有される。

 様々に所有され開かれた私たちの記憶。
 峠はまた深い霧だった。
 監禁された12歳や、殺人した12歳は、どんな身体や記憶を所有していたのだろう、と考えた。

2003/08/26 (火)  夏の影

 連日猛暑。
 濡れタオルを首に巻いて凌ぐ。
 太陽が焼けている。
 空を背景にシイノキの枝葉を透かす。
 蝉の声。

 不意に「魂」は何処へいったのかと思う。
 この私の死後も、こんな風に枝葉がさやぎ、光があふれる。
 そんなとき「魂」は何処へいったのかと思う。

 きっといま誰かの魂がふれたのだろう。
 私の知らない生活をし、未来を見つめ、逝ってしまった誰かの証しが。

 ここにあるのは、あなたか、私か、それとも誰でもない人の影か。

 夏の影は濃く、眩しく、遠い音が聴こえる

2003/09/30 (火)  天の川

 毎日往復二時間半かけて現場へ通っている。
 家へ帰ったら風呂入ってビール飲んでメシ喰って寝るだけだ。
 カーブばかりの山道にハンドル切る手のひらがこすれる。
 遠い家路。
 なんのためにこんな山奥に住んでいるのだろう。
 疲れた身体は狭い軽トラの車内でギシギシ錆びる。
 エンジンを停めて小便をする。
 虫の集(すだ)き。
 目の高さに月。
 息を吐き、振り仰ぐ。
 全天。
 全天に天の川。

2003/10/02 (木)  月とキツネ

 半月。
 もう十月。
 ヘッドライトにおかしな動きをする動物が映った。
 バックして確認すると木立の中にこちらを見るキツネがいた。
 木の間に半月。
 透明な距離。
 このままクルマを乗り捨てキツネに連れられ山に入ろうか。
 ひとの姿を忘れ世を忘れ夜風に彷徨うか。
 秋の匂い。
 秋は無限の匂いがする。
 木の間にちらちらと半月。
 キツネはまだ見ている。

2003/10/11 (土)  すきまのすきま

 今日は撒いたチラシの初めてのお客の手入れ仕事があった。
 秋陽のなか満開のキンモクセイの生垣を鋏んだ。
 一日で収められるか不安で休憩を取らずにやった。
 困憊。
 もう若くはないなと斜陽を受ける。

 朝はクラシック、帰りはブルースをかけて山を上り下りしている。
 朝は染みるようで、夜はどこか祈るようにカーブを切る。
 日々が過ぎてゆく。

 最近「すきま」をしていない。

 妻がイラク戦争に反対する詩のサイトをみつけた。
 二三分眺めてすぐに閉じた。

 詩は現実を深くするためにある。
 いま、ここが、そのまま世界の向こうであることを示せずして何が詩だろう。
 テロと空爆に驚いている優等生は幸いなるかな。
 私は早くひとりになりたい。
 山を下りないで暮らしたい。

2003/10/24 (金)  カノン

 朝陽の渓谷を下りると、色づいた紅葉が非在を舞うようだ。
 くりかえし、繰り返して、日々は過ぎてゆく。

 ときおり全部が見える。
 そのことが言葉のはじまりだった。

 日暮らしひとりで松の手入れ。
 偶然通りがかりに声をかけたら、思いがけず何日かの仕事になった。

 帰りは何も見えないので月を探す。 星を見る。

2003/10/28 (火)  修行中

 「修行中」と書かれた外便所に籠って本を読んでいると、
 片隅でクモの巣に捕われた毛虫がもがいていた。
 巣の割には大きな毛虫で、外れそうで外れない。
 いつから苦闘していたのか中空で踊るように身をよじらせている。
 巣をかけたクモはとうに息絶えたか、移動したのか、見あたらない。
 誰もいない薄暗がりで、毛虫は延々もがいている。
 外は雨。
 色づいた木々の葉がばらばらと風と一緒に落ちている。

 生きものが生きようとする力は何に依るのか。
 どこから来るのか。
 個体とはなにか。
 生死とは何か。

 便所に籠っていても解らない。
 山を下りて温泉に入りにいった。
 五日連続の松の手入れで、左腕が強張っていた。
 露天風呂は、本降りの雨に濡れていた。
 雨を見ながら左腕を揉みほぐした。