職人のしきたり
植木屋になって面食らい、また面白く思ったのは職人独特のしきたりや慣習だった。以下いくつか挙げてみる。
一日でも仕事を早く始めた方が格上となる。年齢は関係ない。
だが、腕が悪ければ表向きには立てられても、実質的には敬遠され軽んじられる。この辺りは芸人の世界に似ている。
自分の場合、9歳下のいとことその同級生が兄弟子で、子供の頃からかい遊んだ相手に、容赦なくどやされしごかれた。
場を取り仕切らない経験の少ない職人を一般に「若い衆」と言う。これも年齢に関係なく言う。60歳でも若い衆だ。若い衆は兄弟子、弟弟子で格差がある。さらに親方の補佐役、実際に現場で仕切る者を「代貸し」という。店で言えば番頭にあたる。
十時、昼、三時のお茶の準備はその場の一番下っ端がやる。
自分はこれが分からず、しばらく白い目で見られた。
下っ端は一番最後まで働いて、お茶も最後にいただくものだと思っていたのだ。客からすれば下っ端に頑張ってもらうより、腕のいい職人たちに動いてもらいたいわけで、仕事の仕上がりも、そのほうがもちろん良いのである。下っ端は常に上の者が動きやすいように気を配らなければならない。だが、だからと言って下っ端が勝手に時計を見て、お茶を煎れるのはもっとよくない。仕切るのはあくまで親方や兄弟子で、下っ端が何かを判断してはいけないのだ。まず、客筋の方から「お茶どうぞ」という声がかかる。親方が「ありがとうございます」と言って受ける。しばらくしてから「おい、お茶を煎れろ」と松の上あたりから声を出す。その時初めて下っ端はお茶煎れに動く。茶はなみなみいっぱいに注がない。「酒じゃねえぞ」と叱られる。「酒はなみなみ、茶は六分目」という。茶が入ったら、親方から順番に知らせてゆく。大きな庭の場合、職人達はあちこちに散らばっている。皆に知らせ皆が茶を飲み出して初めて自分も飲める。飲みながら茶碗の空きに心を配り、こまめに注ぎ回る。茶菓子が残ったら下っ端が残さず食べる。このとき食べっぷりがいいほど喜ばれる。
歩くときは爪先で歩く。べたべた歩かない。しゃがむときは立て膝。腰掛けない。
職人は歩き方で分かると言われた。確かに身のこなしが軽いひとと重いひとがいる。疲れるとべた足になる。だからと言って爪先立ちで歩けるものじゃない。走れということなんだ。何か指示されたら小走りで動け。しゃがむときは腰をおろすな。立て膝でいろ。立て膝なら咄嗟の動きがとりやすい。まるで忍者だ。
大工は棟梁、鳶は頭(カシラ)、植木屋その他は親方と呼ぶ。
最近は、社長や会長でも事足りるが、一応の区分を知っておかないと恥をかく。だいたい、大工や鳶の方が植木屋よりも格上のようだ。家を建てるときは地元の大工や鳶に相談し、その手配で植木屋や左官屋、ペンキ屋、建具屋などが決まるからだ。だが、いまはほとんど大手の建築会社や住宅会社に地域の市場を牛耳られ、職人達は地域性を無視した規格品を設計通りに作らされている。職人たちは腕のふるいどころがなく、若いもんは勉強の場がなく、腕の磨きようがない。
給与は日給月給で月2回、ケガと弁当は自分持ち。
14日と30日が給料日で、職人達はこれを「みそか」とか「勘定」とか言う。この日は仕事上がりに親方の家に呼ばれ、一杯ご馳走になる。職人はそれぞれ腕に応じた日当が決まっており、出勤した日数分の給料をもらう。昔はこの翌日が唯一の公休日で、職人達は色街へ繰り出し羽目を外した。
いまは労災に入っているところがほとんどだが、個人庭園専門の江戸職人の流れを汲む植木屋には、保険や保証はない。みな個人的な生命保険に入るか、「一人親方」といわれる個人事業主用の労働保険に入る。
木に触るときは素手で、足袋は紺足袋、手甲も忘れずに。
「手入れ」は木の中に手を入れるから手入れと言う。直肌で感じなければ木は分からない。掃除の時以外は手袋を禁じられた。ピラカンサやバラやユズやザクロやボケやヒイラギ、痛くて痛くてたまらない。冬場はすぐに引っかき、血を出し、あかぎれ、しもやけた。
足袋は藍染めのコハゼが10枚の足裏のゴムが柔らかい紺足袋。
ゴムが柔らかくなければ木にのぼりにくい。黒足袋や12枚足袋は土方足袋、地下足袋と卑しんだ。
手甲は袖口を引き締めると同時に、手首の血管を守り、筋力を高める。またいかにも職人らしく見えるので、「格好だけでも一人前になれ」と言われ、忘れると「手甲してない奴に手間は払えねえ」と取りに帰された。
以上、とりとめもなく挙げた。
(最後の項 → 最近は堕落して、ピラカンやバラいじるのに革手袋は欠かせないし、足袋は安い「力王」の地下足袋、手甲は夏半そでの時以外あんまりしなくなった。ヘルメットのいる現場ばかりやってるとこんなことになる。)
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