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□通信について

 1990年10月から1999年1月まで□通信という名の個人通信を発行した。全部で57号。はじめは月イチで、37号あたりからあやふやになり、40号くらいからは半年に一度になった。送ったのは知り合いばかりの十数人。20人になることはなかった。
 □通信の「□」は、うまい題名を思いつかなかったからで、そのうちいい名がみつかれば入れ込むつもりだった。とにかく始めた頃は書きたいばかりで、書いたことに対して確実に反応をくれる読者が欲しかった。
 10年のうちに100号出すのが目標で、それはほぼ自分の三十歳代と重なるので、この10年で何かを掴むつもりでいた。
 その頃は塾講師をしていたので、時間もある程度自由になった。けれどなぜだか「教える」というのがとても苦痛になって、鬱病のようになった。なんにも書けなくなり、読めなくなった。日雇いの土方に出たり、トラックの助手をやったり、新聞配達したりした。
 それでも生きてる感じがしなくなって、足掛け十年住んだ九州を逃げるように離れ、千葉の植木屋をやってる叔父のもとに転がり込んだ。
 職人の世界でおれは「人間以前」だった。自分を殺し、自分を笑い飛ばし、その時その時の場をつかみ、自分の分をわきまえない輩を「ひと」とは呼んでくれなかった。おれは怒り、理不尽を言いつのり、自我を守った。けれどそんなこんなで「ひと」に揉まれているうちにいつのまにか「鬱」は晴れていた。

 □通信はまだ100号に達していないので未完のままだ。今度既刊部分をこのHPに取り込もうかと再読してみた。久々で面白かったけれど、また「鬱」になりそうだった。
 自我で囲った、自我を外延化した表現は自家中毒する以外ないのだ。そんなことはもちろん分かっていたけれど、ほんとうに何かを分かるためには、世界が世界を走らせていなければならない。世界が世界を走らせる場所は、自己条件と自己状況に立ち向かう場所でしかない。毎日どうやって餌拾って生きてゆくか。懸命にそのことを考え実践するしかないのだ。

 「私は人間の内在的本質といったものを信じていないが、ひとりひとりの人間がそれぞれ独有の自己条件と自己状況に立ち向かう(たたかい屈服する)仕方のなかに、人間の普遍的なものがあらわれることを信じている。」と言ったのは亡くなった小山俊一だった。思えば□通信は小山俊一の通信(「EX-POST通信」「オシャカ通信」「アイゲン通信」「Da通信」)に刺激されて作ったのが始まりだった。小山は希望通り陋巷に窮して死んだが、おれはできれば別荘三つくらい持って死にたいものだ。