トリル
毎年春にはヒマワリの種を蒔く。
桜が終わる頃からすくすく伸びて、セミの鳴く頃に大きな金色の花を咲かせる。
それから花はしだいに自身の重みにうなだれてゆく。
夜の大気が澄むようになると足元に蟋蟀が鳴き出す。
その声もいつか消え、月と風だけになり、庭はすっかり枯れる。
そうして冷たい冬が来る。
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トリルは冬が一番好きなんだ。みんな黙る。みんなトリルを放っておく。それぞれ自分の巣に篭り、暖まろうとする。冬は誰もいない。「誰もいない」を除いてね。
トリルは子どもの頃からの奇形で、右目が緑色をしている。髪の毛にも所々緑色が混じる。母親はトリルを色んな医者に診せた。医者は突然変異としか説明出来なかった。
学校では毎日のようにいじめられる。トリルが「群れ」に入らないからだ。女の子は同情と物珍しさで近づいて来る。トリルの緑色の右目を覗き込む。髪の毛に触って「きれい」と言う。トリルは無視する。女の子は嫌いだ。
トリルは人には見えないものが見える。モノには光と影がある。それから表と裏がある。けれどトリルにはもう一つ見える。「何でもないもの」だ。
トリルはそれがくっきり見えると、そのものは「死ぬ=壊れる」と言うことを知っている。ある日いじめっ子のひとりの「何でもないもの」が急に濃くなった。トリルは割れたコップを見るようにその子を見つめた。
いじめっ子は、トリルがいつになく自分を見るので、少し顔を赤らめながら喰ってかかった。
「なんだよ!」
「きみはもうすぐ死ぬよ」
トリルは静かに言った。いじめっ子は逆上してめちゃくちゃに殴った。トリルは鼻血を出し、口を切った。けれど緑色の目を冷たく光らせて言った。
「もうすぐなんだ」
いじめっ子は泣いてしまう。「群れ」は一斉にトリルを責めたてる。
キチガイ! かたわ! 妖怪! お前が死ね!…
でもその日その子は本当に死んだんだ。
狂った大人に轢かれてね。
トリルはますます気味悪がられ嫌われる。
ある日、トリルは宝物を見つけたんだ。
それは人気のない神社の境内にあった。高床になった社の縁の薄暗い床下に、まるで即身仏のように座ってひからびた労務者の死体。半眼の目でしっかり虚空を見つめている。
それからトリルはみんなから「キチガイ! かたわ! バケモノ!」と言われる度にこの死体を見に来た。死体は乾いた冬の風の中で少しずつミイラ化していった。
でもね、この死体の「何でもないもの」はトリルにはとても気持よかった。それを見ているとね、トリルは「ぼくだって、いてもいいんだ」「ぼくにだって意味はあるんだ」と思うんだ。
境内の石ころに冬の陽があたっている。石ころの「何でもないもの」も枇杷色に温んでいる。トリルにも陽はあたり、痩せた背中を包んでいる。トリルはやさしい気持になっている。そんな時にトリルは死体の「何でもないもの」と語り合うのさ。
「何も人でなくてもいいのさ」
「うん、ぼくはぼくだものね」
「きみでなくてもいいのさ」
「…わかんないや」
「わかんなくてもいいのさ」
「そうかぁ。わかんなくてもいいのかぁ…」
「そう。わかんなくてもいいんだよ」
「でもぼくもいつか死ぬんでしょ」
「そうだよ」
「…こわいような気がする」
「それでいいのさ」
「それでいいの…」
「いいんだよ」
「わかんないけど…、なんか元気がでたよ」
「おれもさ」
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いつかトリルも「性」に出会うだろう。
それで私は毎年ヒマワリの種を蒔くんだ。
新しい夏の空のためにね。
たくさんのトリルの「恋」のためにね。
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