裏鬼門は日本で作られた
日本には鬼門の反対に裏鬼門があります。家相や風水の発祥の地、中国には裏鬼門は存在しません。山海経に [四辺で囲まれた部屋の角に天門 ・ 風門
・ 鬼門 ・ 人門の四門がある] との記述があるだけです。
そもそも、中国ではこの4つの門に吉凶の感覚はありません。北東の角を鬼門と呼び、南西の角を人門と呼ぶと言うだけのことです。ではなぜ日本では人門が裏鬼門に変わったのでしょうか?
それは平安時代の陰陽師達の都合で変えられたのです。 陰陽思想では4方位の北と西を陰、南と東を陽との2極に分けます。そうなると陰陽の境界線は北東から南西に向かって引かれます。日本の陰陽道では、この境界線を鬼門線と呼び、陰陽が定まらない不吉の場所としていました。
この不吉の場所の出発点である北東が [鬼門] と言う名前なのは実に好都合なのですが、終点が [人門] という生者をイメージさせる名前では都合が悪かったのです。
そこで南西方向は不吉なイメージがする裏鬼門と名付けました。 古来私たちは太平洋側を [陽] 、日本海側を [陰] と呼んでいました。地図を見ると、日本列島はあたかも鬼門線上に横たわっているように見えます。
現在、北東に位置する北方領土も、南西に位置する尖閣諸島もそれぞれに大きな問題を抱えているのが不思議な一致です。
村上瑞祥
初出掲載日:2010年11月11日
最終更新日:2025年3月20日
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