家相は迷信?それとも何か根拠がある?
家相は宗教や民間信仰の影響を受けている
「家相とは?風水とは?何によって何を判断する?」でもお話致しましたが、家相とは古代中国で発祥した住環境を整える為の先人の知恵の集大成です。それが伝承した国により道教や儒教・仏教などの種種雑多な思想と併合されて現在に至っています。
それらの思想や民間信仰が、家相に[占い的な要素]を加味してきました。人の世には人知を超えた出来事も多く、その人知を超えた部分の対策を家相に求めたのです。
ただ一見迷信と思われることでも、その起源を調べるときちんとした理由があるものも有ります。そして勿論、今の時代にも大切で十分に通用する内容もたくさんあります。
文明の発展と風土の違いによって迷信化した家相も
文明の発展と風土の違いによって迷信化した家相も 逆に全く根拠を感じられない、占いとしか思えないようなものは、長い歴史と文明の発展がその根拠を無意味なものに変えてしまったものです。
また中国と日本という、違う土地柄なのにもかかわらず、そのまま伝承してしまったものなどは、方位の意味等が形骸化してしまっているものもあります。
では、家相で良く言われる事の起源について何例かご説明しましょう。
[門・玄関]
門は東南に構えると子孫が繁栄する。玄関も東南、西北が大吉、東、南も吉。ただし、門の真正面を避けるのがよい。
古代中国の家屋は外郭でぐるっと取り囲まれた城壁都市内に建てられていました。全ての家が一軒の大きな屋敷の中にある離れ屋のような感じです。 その城壁は外敵[北東の匈奴]や南西風[偏西風]から住民や家屋を守っていました。当然門は外敵や強風の心配の無い場所が良く、各戸の玄関もその城壁の門から真っ直ぐに入るような方向へ向ける事は敬遠されたわけです。
日本では北東には蝦夷[朝廷に反抗する勢力]、南西から台風の脅威がありました。
[井戸]
甲方、乙方を大吉とし、男子は出世する。庚、辛、壬、葵、巳、亥を吉とする。坤、艮の方位は大凶で、南は重病にかかる。
この大凶の坤・艮の方位とは鬼門・裏鬼門のことです。鬼門へ井戸をおくことは、外敵[北東の匈奴]の井戸への毒物混入、水源を敵に押さえられると言う事を恐れて敬遠されていました。
裏鬼門は南西の強い[偏西風]のために井戸にゴミが入り易く、また南の井戸は夏の日差しで水の中に雑菌が繁殖し易いために避ける、という生活の知恵です。
[トイレ]
東北、西南と東西南北の正位を避ける。 トイレの北向き、北窓も凶とされる。
これも、衛生面と外敵からの配慮です。中国のトイレは川の流水を利用した天然の水洗トイレでした。 鬼門にトイレを作ると言う事は城壁の鬼門側に水門を設けるという事ですので北東から来る外敵の侵入を許すことになってしまいます。当然風の強い場所でトイレに入ることも避けたいので南西向きも嫌われました。
[倉庫]
坤、艮は大凶。西、乾、巽は大吉。南方、西方も吉。北は壬によせ、東は乙によせれば差支えない。
古代中国は黄河流域の一部の地域を中原と呼び、そこに国家を形成していました。そこには黄河の氾濫により肥沃な土砂が運ばれ、黄河の水上交通の便により海産物が持ちこまれました。
黄河は西から東へと流れています。つまり黄河によって東と西から富がもたらされていたと言うわけです。蔵が西か東が良いとされたのは搬入の便を考えてのことでした。当然大凶は鬼門・裏鬼門になっています。
[牛馬小屋]
巳、亥、甲、乙、庚、辛の方位は吉で、痩馬肥馬となる。艮、坤の方にあれば家人、牛馬に障りが多い。
吉方位は東から南にかけて、すなわち東南方向になっています。当時、家畜は農耕用に使役されていました。 そして東には富をもたらす肥沃な農耕地が広がっていました。当然、家畜はこの農耕地にいるのが便利だと言うわけです。
根底に流れる大切な考え方は、暮らしやすい住まいづくり
一例をご紹介しましたが、このように当時としては常識的な事も、4000年を経た現代では通用しないものが多くなってきています。当然ながら日本と中国という国の違いも大きな要因です。
しかし、家相の根底に流れる一番大切な考え方は [暮らしやすい住まい作り] と言うことです。そしてこれは今も昔も変わらず、とても大切な事に違いはありません。先人が残した住環境を考えるという家相の基本理念を忘れずに住み易い家を考えるよう心がけて下さい。
村上瑞祥
初出掲載日:2001年6月30日
最終更新日:2025年3月20日
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