東京や京都は風水都市って本当?
京都は風水都市・結界都市
「風水と陰陽道の密接な関係とは?」で平安京[京都の町]は風水地理により選ばれ、風水・家相・易経を駆使し造られた町であるとご説明しました。
わが国に家相や風水の考え方が伝来したのはそれよりも前の時代、聖徳太子の指示であった事が歴史に残されています。 京都は町並みの南西の位置に桂川があり、北西から南東に流れています。通常の町の作り方なら、道路もその川に沿って北西から南東方向、もしくはそれと直行する方向に作られる事でしょう。
しかし京都旧市街地図を見てみると道路は東西南北に走らせてあり、碁盤の目のような作りになっていることが解ります。
平安の昔、京都は城郭都市でした。そしてその城郭の外殻のそれぞれ東西南北方向に聖獣を配しました。現在では朱雀門が名残として残っているだけですが、当時は玄武・白虎・青龍などもありました。また城郭内部の道路は東西南北に走らせてあります。これらは全て風水を考えて造営された証です。
風水都市は日本全国に
東京も同じように江戸幕府が開かれた時に風水を取り入れた街割りをしました。鬼門に上野の寛永寺、裏鬼門に芝の増上寺を配してその守りとしました。どちらも徳川家に所縁の深い寺院なのはご存知の通りです。
また江戸が東京府に変わった際にも、明治新政府は風水を考え新都造営に着手しました。その名残りが日本橋付近の欄干や橋飾りに今も残されています。 このように近代日本においても、風水の第一義は
[魔を祓う] という怨霊信仰に基づいていました。日本人にとって風水とは悪霊から身を守るための大切な手段だったのですね。
他にも大きな城下町では風水を取り入れた街があります。地図をご覧になってみて川の向きと主要道路の方向を比べ合わせてみると色々なことが解って楽しいかもしれませんね。
村上瑞祥
初出掲載日:2001年6月30日
最終更新日:2025年3月20日
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