お彼岸にお墓参りをする理由。陰陽師vs.仏教界の戦いのゆくえ
今回は春のお彼岸についてお話しつつ、
以前のお約束を果たしたいと思います。お盆は陰陽道のイベントで、仏教とは関係の無いものなのに、ではなぜ現在はお寺でやっているのか?です。
お彼岸は春と秋にあって、四季を陰陽に分ける境界に当たります。ご先祖様のお墓参りをされる方も多いと思いますが、「なぜお彼岸にお墓参りするの?」
と思いませんか。そもそも彼岸とは 「あちら側」 と言う意味で、仏教では悟りの境地を意味します。
お盆の話の時に、桓武天皇が早良親王の怨霊を恐れ、陰陽師に [御陵会(ごりょうえ)] を行わせたとお話しました。実はそれを遡ること60年ほど前の806年に、仏教の僧に命じて[彼岸会(ひがんえ)]
を行わせていました。
彼岸会とは7日間昼夜を通して [金剛般若経] というお経を読ませるイベントで、「悟りを開くことが一番大事」 という事を説いた経文を早良親王に聞かせることで、「悟りを開いて祟りを辞めて下さい」 と懇願するためのものでした。
しかし、願いも虚しく祟りは収まらず…… 863年に陰陽師たちによって改めて御陵会が行なわれたというわけです。仏教界はこの事件で、陰陽師たちにしてやられた結果となりました。そして陰陽師勢力をおさえて表舞台に返り咲くことが、仏教界の長年の悲願となったのです。
そのチャンスがようやく訪れたのは、徳川幕府成立の時でした。陰陽師たちは平安から江戸初期までの800年間、神道と結び、神社を介して全国に勢力を伸ばしました。
そこで仏教界は、戦国時代に独自の勢力として戦国大名たちと戦いながら、武家社会と繋がりを作っていきました。 そして徳川家康が江戸幕府を開いたのですが、その際、「いかに天皇家の力を弱めるか」
に大変苦心しました。 その家康の策略を影で支えたのが仏教界だったのです。
長い歴史の中で陰陽師が取り込んできた神道とは、まさに天皇を頂点とする信仰による民衆支配。つまり、天皇の影響を弱めたい家康と、陰陽師を追い落としたい仏教界は、利害が一致していたのです。
結果、徳川幕府は神道を仏教の下におきました。日本の神は、仏の仮の姿だと民衆に広めたのです。これにより陰陽師系神道が行っていた [御陵会] は仏教界に取り上げられ、[盂蘭盆会(うらぼんえ)] として継承されていくことになりました。
このように、陰陽師たちに800年振りに勝利を得た仏教界でしたが、その後の明治維新で、またまた陰陽師たちの巻き返しにあうのです。
村上瑞祥
初出掲載日:2011年3月7日
最終更新日:2025年3月20日
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