風水師は稀代のエンターテイナー
前回「家相・風水で神様になれる?」で、風水の基となった道教が目指したものは仙人であり、仙人とは神や仏と同じような思想上の一つの概念であるとお話しました。
概念化した神・仏・仙人には、希望的想像の産物としての奇跡の歴史が、世界中の経典や神話の中に編纂されていきます。 そしてこの神・仏・仙人がまだ人であった頃の事績も、歴史の狭間に見え隠れしながら残されています。
そんな古人の足跡を辿ってみましょう。
まずは中国の葛洪が書いた神仙伝という書物にある左慈の話です。左慈は三国時代の人で、正史にもその名が記されている実在の人物です。
あるとき曹操の祝宴に呼ばれた左慈は、曹操が何気なく言った「江東の松江の鱸(スズキ)があればなぁ」の言葉に、「水を張った銅盤と釣り糸を貸してください」と言い、見事に銅盤から鱸を釣り上げたとの逸話が残されています。
また、曹操が一隊(250人位)を率いて教練に出かけた時、ふらっと左慈が現れ、持っていた酒一升(1.8L)と干し肉一斤(600g)を配って、一隊全員を満腹させ酩酊させました。
不審に思った曹操が調べさせた結果、蔵から酒と干し肉が全て無くなっていました。怒った曹操は左慈を捕えましたが、何百人もの左慈が捕えられ、本物は捕えることができませんでした。左慈は市場にいた全員を、己と同じ姿かたちに変えて逃げ去ったのでした。
日本で有名な神仙といえば安倍清明でしょう。大鏡を始めとする歴史物語に多く逸話が残されており、清明が死んだ11世紀にはすでに神話化されたほどです。
清明で有名な逸話は式神です。 大鏡には花山天皇が帝位を捨て出家しようとした時、天文を見てその動向を察知した清明が、式神を朝廷に飛ばして報告したと書かれています。
また、仁和寺の寛朝僧正のところで、同席した公卿たちに陰陽師の腕を見せろとせがまれ、術を用いて手を触れずに庭のカエルを真平らに潰して見せたと記されています。
これらが、古の仙人たちが歴史に残した奇跡の片鱗です。いかがでしょうか。皆さんは何か思い当たることはありませんか? 私は奇術師たちの鮮やかな手際を思い起こします。
各地の歴史には、奇術や手品のようなことを駆使して布教活動をしていたと思われる宗教の様子も書き記されています。人はあまりにも信じがたい出来事を目の当たりにすると、思考を停止して外部からの情報提供を無条件で信じ込んでしまうところがあります。
「これは、手品です」と言われれば、あぁ手品だったんだと思い、「神の御手による奇跡です」と言われれば額ずき頭を垂れてしまいます。
日本に風水の秘伝が伝えられたのは、帰国した吉備真備が金烏玉兎集を持ち帰った時だと言われています。この金烏玉兎集なる書物は未発見で現存していません。誰も中身について知らないのです。私は、この書物は唐国の手品のネタ帳ではなかったのかと半ば本気で疑っています。
村上瑞祥
初出掲載日:2012年6月13日
最終更新日:2025年3月20日
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