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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 く 』。

 

 

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メ ニュー (目次)。

 ■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 □ 日本史 辞典 (総合)

 

□     ● 五十音順 (あいうえお順)。

 

 □ 見出し語 くさ

 □ 見出し語 くな

 □ 見出し語 くま

 □ 見出し語 くら

 

 

〇 くい   九位

             (くい)。 《位階》。

          (⇒ 位階叙位)。

             ■ 近代日本の、職員令の位階

          (20位階)。

             <1869年頃〜1887年頃、使用>。

             ● 正九位 (しょうくい)。

             ● 従九位 (じゅくい)。

          (⇒ 職員令の位階)。

          (⇒ 近・現代日本政府の位階)。

             (1) 九 (くい)は、 近代日本の、職員令

             の位階(20位階)で、 正九位 (しょうくい

             と 従九位 (じゅくい の2つの位階として、

             1869年頃から1887年頃まで使用され た。 

 

〇 ぐう   隅州。  

             (ぐうしゅう)。 《旧地域名》。

          (= 大隅 ( おおすみ のくに)の別

          称)。

          (≒ 概ね、現・鹿児島県の本土

          東部・大隅諸島・奄美群島

          相当地域)。

          GUUSHU AREA.

          (律令制定後・古代・中世・近世

          日本・旧地域名の、

          旧国(令制 国)の別称)。

                    (⇒ 大隅 ( おおすみ のくに))。    

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

                          ■ 州 (ぐうしゅう、= 大隅 国( おおす

             み のくに)の別称) は、 西海道(さいか

             いどう)・旧広域地方に属し、概ね、現・九

             州地方の、現在の鹿児島県の本土東部、

             大隅諸島、奄美群島に相当する地域で

             ある。

              ■ 隅州 (ぐうしゅう)は、  律令制定

             後・古代・中世・近世日本・旧地域名の、

             旧国名(令制国)正式名の、大隅 国 (お 

             おすみ のくに)の別称である。

 

〇 ぐか  愚管抄 

             (ぐかんしょう)。

          (⇒ 日本史・第一級史料リスト)。

          ○ 平安時代末期、鎌倉時代を知

           る史料。 

          ○ 慈円(じえん)が著作し、1220

              年頃成立。 

 

 

〇 くぎ   公暁

             (くぎょう)。 《人名》。

             ■ 公暁 (くぎょう/こうきょう、

             生没年: 1200年〜1219年)は

             源頼家の次男であり、 源頼朝の

             孫の男子である。  

             ■ 公暁は、 源頼家 と、 辻殿

             (加茂重長の娘)(『吾妻鏡』)、

             または、比企能員(ひきよしかず)の

             娘・若狭局(わかさのつぼね)(『尊

             卑分脈』)、または、三浦義澄の娘

             (縣篤岐本『源氏系図』) との間の

             男子である。 

             ■ 公暁の幼名は、善哉(ぜんざい)

             という。 

             ■ 善哉(公暁)は、 1204年(元

             久元年)の父・源頼家暗殺事件後、 

             鎌倉の若宮の別当坊にいたが、

             1211年(建暦元年)に9月に出家

             して法名を公暁とし、祖母・北条政子

             の意向で1217年(建保5年)6月に

             数え年18歳で鶴ヶ岡八幡宮寺別当

             に就任する。

             ■ 公暁は、 1219年(建保7年)

             1月27日に、 数え年20歳で、源

             実朝を暗殺し、追手(おって)に殺害

             される。

             ■ 公暁は、 鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮で

             拝賀を終え退出の途中の源実朝を襲

             い、殺害し、その後、北条義時の追手

             (おって)に殺害される。

 

〇 くぎ   公卿

             (くぎょう)。 《身分・地位》。

          ○ 朝廷の政務の合議に参加で

                    きる身分・地位。  朝廷の公卿会

          議に参加できる。

          (⇒ 朝廷の位階朝廷の官職

          朝廷)。

             ■ 公卿 (くぎょう)は、 

                       朝廷の政務の 合議に参加できる

                           身分・地位 であり、 

             朝廷の公卿会議に参加できる。

             ■ 公卿 (くぎょう)は、前近代の

             朝廷の身分・地位である。 

             ■ 公卿(くぎょう)とは、 

                            古代日本から近世日本まで、

                            官人の階層の名称であり、

             三位(さんみ)以上の者や四位(し

             い)以上で参議の官職にある者

             である。 

                前近代日本の、朝廷(律令

              官制)の、内裏(だいり、天皇御

              所)の、公卿は、朝廷の位階・

                            三位(さんみ)以上の者 や、 

             朝廷の位階・四位(しい)の者で

             参議(さ んぎ)の官職に叙任され

                            た者である。

              ■ 一方、諸大夫(しょだいぶ)とは、

             古代日本から近世日本まで、

             官人の階層の名称であり、 

             四位(しい)、五位(ごい)に叙せら

             れた者である。 

                但し、四位でも参議に任ぜら

             れている者は、公卿(くぎょう)となる。

 

〇 くぎ   公卿の御教書。 

             (くぎょうのみぎょうしょ(みきょうじょ))。   

              《文書》。

        (⇒ 奉書御教書)。

                 ○ 公卿(くぎょう)の命令を下達す

          る(伝える)ときに出す文書。

          ○ 奉書(ほうしょ)の1つ。

 

〇 くげ   公家 

             (くげ) 。 《朝廷》。

             ■ 狭義の、公家 (くげ)は、 主に儀式

                 と文治をもって天皇家に仕(つか)える、 

             「朝廷の貴族」、 堂上家の公家(堂上公

             家)、朝廷の上・中級家臣である。

             ■ 広義の、公家(くげ)は、 武士の武

             家が出現する平安時代中期以後の名称

             であり、 主に武力で天皇家に仕える朝

             廷の官人(役人)の武家と対比して、 

             主に儀式と文治をもって天皇家に仕(つ

             か)える朝 廷の官人(役 人) である。

              「広義の公家」は、堂上家と地下家に

             分かれる。

                 広義の公家には、主に儀式と文治

                  をもって天皇家に仕(つか)える、 昇殿

             が許された堂上家(どうじょうけ)の公家

             と、 昇殿が許されていない地下家(じげ

                          け)の公家 がいた。

 

〇 くげ   公家政権

             (くげせいけん)。 《政権・政府》。

          (= 藤原氏政権)。

               (977年頃 ー1086年頃)。

          (⇒ 日本の政権・政府)。

 

#kusa

 

〇 くさ   草。

             (くさ)。 《忍者》。

             (= 忍者、忍びの者、らっ ぱ、

          すっぱ、軒猿(のきざる))。

         (⇒ 忍者

              ■ 草(くさ) とは、 忍者であり、他

              に、忍者の別称には、すっぱ、らっ

             ぱ、忍びの者 (しのびのもの)、

             軒猿(のきざる)などがある。

             ■ 忍者は、 情報の収集を主な

             任務とし、時には、雇い主の指示

             で、敵地での撹乱(かくらん)や暗

             殺なども行った。

 

〇 くさ   久坂 玄瑞

            (くさか げんずい)。 《人名》。

          (1840年ー1864年)。

          ○ 長州藩士。

          ○ 幕末、尊皇(王)攘夷派・急

           進派の指導者。

             ■ 久坂 玄瑞 (くさか げんずい)は、

             長州藩士で、 幕末、尊皇(王)攘夷派・急

              進派の指導者であった。

                           久坂 玄瑞 は、 吉田松陰の妹・杉 文

              (すぎふみ、文(ふみ)、美和(みわ)、楫取

             美和子(かとり みわこ )) の第1番目の夫

             である。

 

〇 くし    櫛橋 伊定 

             (くしはし これさだ)。 《人名》。

          (= 櫛橋 左京亮(くしはし さきょうの

              すけ))。

          ○ 播磨国(はりまのくに、兵庫県南部)

          の志方城(しかたじょう)の城主。

          ○ 黒田官兵衛(孝高)の正室夫

          人・光(てる)の父。

          ○ 小寺 政職(こでら まさもと)の従

          兄弟(いとこ)

 

〇 くし   櫛橋 伊則。 

            (くしはし これのり)。 《人名》。

         (= 櫛橋 左京進(くしはし さきょうの

             しん))。

          ○ 櫛橋伊定(左京亮)の子。

          ○ 櫛橋光の兄。

         (⇒ 櫛橋 伊定櫛橋 光)。

 

〇 くし   櫛橋 光

            (くしはし てる・みつ)。 《人名》。

          ○ 黒田官兵衛(孝高)の正室夫人。

          ○ 黒田長政(ながまさ)の生母。

          ○ 播磨国志方(はりまのくにしかた)

          主・櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘。

          ○ 黒田官兵衛の第1番目の主君

                                   の小寺政職(こでらまさもと)、の姪(め

             い)

 

〇 くし   櫛橋 光 関連出来事

               (年代順・詳細)

            (くしはし てる・みつ かんれんできごと)。 

             《人物関連出来事》。

 

〇 くじ   九条家。

             (くじょうけ)。 摂関家》。 

             ○ 摂関家(せっかんけ)の五摂家の

          1つ。

          (⇒ 摂関家)。

 

〇 ぐす  グスク。

               》。

          (= 沖縄(琉球)の城砦)。

          (⇒ 沖縄の歴史)。

 

〇 くす   薬師。

             (くすし)。 《 職業》。

          (= 前近代日本の医者)。 

                ○ 医師資格制度はなく、また、

          ヤブ医者も多かった。 

          (⇒ 前近代日本社会

 

〇 くす   楠木 正成。 

             (くすのき まさしげ)。 《人名》。

          ○ 河内(かわち)の豪族。

          ○ 後醍醐天皇に最後まで味方し

          た、武将。 

          (⇒ 建武政権建武の新

        足利尊氏後醍醐天

       

 

〇 くす   楠木 正季。 

             (くすのき まさすえ)。 《人名》。

          ○ 楠木正成の弟。正成を支える。

          (⇒ 楠木 正成)。

          (⇒ 建武政権建武の新

        足利尊氏

 

〇 くす   楠木 正行。

             (くすのき まさつら)。 《人名》。

          ○ 楠木正成の子。 

          ○ 南朝に味方した、武将。

          (⇒ 楠木 正成)。

          (⇒ 南朝、足利尊氏

 

#kuna

 

〇 くに   国替え。 

             (くにがえ)。  《領地》。

             (= 転封(てんぽう)

            移封(いほう))。

          (⇒ 転封)。

          ○ 移封とは、

          領地替えである。

 

〇 くに   国家老。 

             (くにがろう)。 《 藩の家老》。

       (⇒ 参勤交代制)。

          ○ 江戸時代の参勤交代制の

          期の、各大名(各藩)の地元の大

          名領勤めの重役。

          ○ 江戸時代の参勤交代制の

          期に、各大名(各藩)には、江戸

          勤めの江戸家老(えどがろう)と地元

          の大名領勤めの国家老がいた。

 

〇 くに   国定 忠治

             (くにさだ ちゅうじ)。 《人名》。

          (= 長岡忠次郎)。

          (1810年ー1851年)。

 

〇 くに   国衆。

            (くにしゅう)。 《領主》。

         (14世紀ー16世紀)。

            (⇒ 国人)。

             ■ 国衆(くにしゅう)とは、  国人(こくじん)

             であり、 土着・在地領主である。

 

〇 くに   国松。

             (くにまつ)。 《人名》。

          (= 徳川忠長、徳川忠長の幼名)。

          ○ 徳川秀忠三男。

          ○ お江(おごう)の寵愛、偏愛す る

          男子。

            (⇒ 徳川忠長)。 

             ■ 国松 (くにまつ、徳川忠長の幼名)は、 

             徳川忠長であり、 徳川秀忠三男であり、

              お江(おごう)の寵愛、偏愛す る男子である。

             ■ 江戸幕府・第2代将軍・徳川秀忠の実

             子の男子には、 @ 侍女 (秀忠側室夫

              人、名不詳)との間に、 長丸 (ちょうまる;

             長男、早世)、 A お江 (おごう、秀忠正

             室夫人)との間に二人の男子、 徳川家光

             (とくがわいえみつ、幼名:竹千代(たけち

             よ);次男) と 徳川忠長 (とくがわただ

             なが、幼名:国松(くにまつ);三男)、 B 

             お静 (おしず、お志津、浄光院;侍女、秀

             忠側室夫人)との間に、 保科正之 (ほし

             なまさゆき)幼名:幸松(こうまつ、ゆきま

             つ);四男) がいた。 

 

〇 くの   く ノ 一。 

             (くのいち) 。 忍者》。

          (= 女忍者)。

                    (⇒ 忍者)。

             ■ く ノ 一 (くのいち) とは、 女忍者で

                            ある。

 

#kuma

 

 くま   熊本県。

             (くまもとけん)。

          (現・都道府県)。 《現地域名》。

          (現・47都道府県の1つ)。

             ○ 熊本県の地域は、概ね前近

          代日本の、肥後 国 (ひご のくに、

          肥州(ひしゅう、= 肥前国や肥後国)、熊本

          県) の相当地域である。

                         KUMAMOTO PREFECTURE.

                     (⇒ 肥後 国)。

                      (⇒ 都道府県)。

                      (⇒ 前近代日本の地域名)。

                      (⇒ 旧国(= 令制国))。

                      (⇒ 旧地域名地域名)。

                      (⇒ 日本の地名)。

           ■ 熊本県の地域

             <九州地方。

             <日本本土 (本州、四国、九州)

             <日本国

             ● 熊本県 (くまもとけん、英:KUMA-

             MOTO  PREFECTURE)は、九州地方

             に属する。

                      (⇒ 九州地方)。

           ■ 熊本県の地域 

          (肥後 国)。

             <西海道(さいかいどう)・旧広域地方。

             <五畿七道 (ごきしちどう、日本本土)。

          (⇒ 西海道・旧広域地方)。

                   (⇒ 五畿七道)。

             ■ 熊本県(くまもとけん)の地域は、概ね

             前近代日本(古代〜江戸時代)の、 旧国

             (令制国)の、肥後 国 (ひご のくに、肥州

             (ひしゅう、= 肥前国や肥後国))の相当地

             域である。

 

#kura

 

 くら   倉田 典膳。

             (くらた でんぜん)。 《架空の人物》。 

        (⇒ 幕末期の尊王志士)。

          ○ 倉田 典膳は、

          架空の人物で、 フィクションの

           テレビドラマ「鞍馬天狗」で、

          主役として、鞍馬天狗に変身し

          て登場する、架空の、幕末期

          の勤皇(尊王)志士である。

 

 くら   グラバー

                    《人名》。

          (= トーマス・グラバー)。

          ○ 幕末、明治期の在日イギリス

          人商人。

 

 くら   鞍馬天狗。

             (くらまてんぐ)。 《架空の人物》。

        (⇒ 幕末期の尊王志士)。

          ○ フィクションの「鞍馬天狗」で、

          主人公として、登場する、架空の、

          幕末期の勤皇(尊王)志士。

 

 ぐれ  グレゴリオ暦。

            (ぐれごりおれき)。《暦》。

         (太陽暦)。 

         (= グレゴリウス暦、グレゴリー暦)。

         (1582年制定)。

              THE GREGORIAN 

         CALENDAR

        (⇒ グレゴリオ暦 天文学辞典)。

        (⇒ 太陽暦 日本史辞典)。

         (⇒ 太陽暦ユリウス暦)。

         ● 日本の現行暦 

         ● 日本の新暦 (しんれき) 

          太陽暦の1つ。

          現行西暦、 新太陽暦 。

           現行西暦の、太陽暦。

                   ● 現在使用の世界標準の西暦

                   ● 現行西暦は、太陽暦のグレゴ

         リオ暦。

         ● 現代世界の中心暦。

           世界の現行中心暦や日本の

         現行暦。

          紀元(後)1582年〜現在、

         使用。

             グレゴリウス13世が1582

         年に制定した太陽暦。

           太陽暦には、  現行西暦の、

          グレゴリオ暦 と、 前西暦の、

          ユリウス暦  などがある。

          日本では、太陽暦のグレゴリ

         オ暦を、1873年(明治6年)から

         現在まで使用している。

              グレゴリオ暦 ぐれごりおれき、= グレ

             ゴリウス暦、グレゴリー暦、英:THE 

                         GREGORIAN  CALENDAR) は、 

               太陽暦の1つであり、 現行西暦で、 新

            太陽暦 である。

                         ● グレゴリオ暦 (= グレゴリウス暦、グレ

             ゴリー暦) は、 現行西暦の太陽暦であり、

             世界の現行中心暦や日本の現行暦である。

              グレゴリオ暦は、 現行西暦の、太陽暦

            であり、現在使用の世界標準の西暦 である。

             現行西暦は、  太陽暦のグレゴリオ暦で

            ある。

              世界の現行中心暦や日本の現行暦は、

             太陽暦の、グレゴリオ暦である。

             グレゴリオ暦は、 現在、 世界中で使わ

                        れている太陽暦であり、 現代世界の中心

            暦である。

            ● グレゴリオ暦は、 紀元(後)1582年 か

            ら現在まで使用されている。

             グレゴリオ暦は、グレゴリウス13世が

            1582年に制定した太陽暦である。

              グレゴリオ暦 (= グレゴリウス暦、グレ

            ゴリー暦)は、 ローマ教皇の、グレゴリウ

            ス13世が、ユリウス暦を改良して、紀元

            (後)1582年に制定した太陽暦 である。 

            グレゴリオ暦は、 1年を365.2425

            とした。

              太陽暦には、  現行西暦の、グレゴリオ

             暦(新太陽暦) と 、 前西暦の、ユリウス暦

             (旧太陽暦)  などがある。

            ● 太陽暦には、 現行西暦の、グレゴリオ

             暦 (1年を365.2425日とする) や 旧

             西暦の、ユリウス暦 (1年を365.25日と

             する) などがある。

 

〇 くろ   蔵人

             (くろうど)。 《役職》。

          (= 秘書役)。

          (= 平安時代以後の、天皇、院

          (= 上皇)、摂関家などの秘書役)。 

          (⇒ 朝廷の官職朝廷)。         

                    □ 天皇の秘書役は、内裏の蔵

          人。

          ○ 内裏の蔵人(だいりのくろうど)

          は、天皇の秘書役で、内裏(=

          だいり、天皇の住居)の蔵人所

          (くろうどどころ)の職員。

          ○ 内裏の蔵人は、宮中の雑事

            (事務、行事等)の処理に当たる。

          ○ 内裏の蔵人は、朝廷の位階・

          6位以上で天皇より蔵人に叙任

          された者。

          ○ 内裏の蔵人は、殿上人(てん

          じょうびと)の身分・ 地位。

             ■ 蔵人(くろうど)とは、 秘書役であり、 

             平安時代以後の、天皇、院(= 上皇)、

             摂関家などの秘書役である。

             ● 蔵人(くろうど)は、 内裏(だいり、天

             皇の住居)の他に、院の御所や摂関家の

             御殿などでも置かれた。

             ■ 天皇の秘書役は、内裏の蔵人である。

             ■ 内裏の蔵人(だいりのくろうど )は、

             天皇の秘書役で、 内裏(= だいり、天皇

             の住居)の蔵人所(くろうどどころ)の職員

             である。

             ■ 内裏の蔵人は、 宮中の雑事(事務、

             行事等)の処理に当たる。

             ■ 内裏の蔵人は、 朝廷の官職であり、 

             朝廷の位階 ・6位以上で天皇より蔵人に

             叙任された者であり、 天皇より 昇殿

             (しょうでん)を許された、殿上人(てん じ

             ょうびと)の身分・地位である。

 

〇 くろ   黒田 官兵衛

             (くろだ かんべえ)。 《人名》。

          (= 黒田孝高(よしたか)、黒田如

          水(じょすい)、小寺孝高(こでらよし

          たか)、小寺官兵衛)。

          (1546ー1604年)。

             □ 天才軍師。

          ○ 室町時代後期(戦国時代)、

          安土桃山時代、江戸時代初期

          の武将、軍師。

             □ 1567年頃〜1579年

          小寺政職(こでらまさもと)の家老、

          小寺氏の姫路城の城代。

           □ 1579〜1598年、

          豊臣秀吉(羽柴秀吉)の参謀、

          側近として活躍する。 

          □ 1600年、

          「天下分け目の戦い」で徳川方

          に味方して、九州で石田方と戦

                  い活躍する。

             ■  黒田 官兵衛 (くろだ かんべえ、黒田

             孝高(よしたか)、黒田如水(じょすい)、

             小寺孝高(こでらよし たか)、小寺官兵衛、

             1546ー1604年) は、 天才軍師である。

             ●  黒田 官兵衛は、 室町時代後期(戦

             国時代)、安土桃山時代、江戸時代初期

             の武将、軍師である。

             ●  黒田 官兵衛は、 1567年頃から15

             79年まで、 小寺政職(こでらまさもと) の

             家老、小寺氏の姫路城の城代であった。

             ●  黒田 官兵衛は、1579年から1598

             年まで、豊臣秀吉(羽柴秀吉)の参謀、 側

             近として活躍する。 

             ●  黒田 官兵衛は、1600年に、「天下

             分け目の戦い」で徳川方に味方して、九

             州で石田方と戦 い、活躍する。

 

〇 くろ   黒田 官兵衛 関連出来事

       (年代順・詳細)

             (くろだ かんべえ かんれんできごと 

             (ねんだいじゅん・しょうさい))。 

          《人物関連出来事》。

 

〇 くろ   黒田 重隆。

             (くろだ しげたか)。 《人名》。

          ○ 黒田官兵衛(孝高)の祖父。

             ○ 目薬の製造・販売人で、姫

          路の土豪で、小寺政職(こでらま

          さもと)の家臣となる。

          (⇒ 黒田 職隆黒田 官

        兵衛)。

              ■ 黒田 重隆 (くろだ しげたか)は、黒田

             官兵衛(孝高、如水)の祖父であり、 目薬

             の製造・販売人で、姫路の土豪であり、

             寺政職(こでらまさもと)の家臣となる。

 

〇 くろ   黒田 長政

             (くろだ ながまさ)。 《人名》。

          (1568 年 ー1623年)。 

             ○ 黒田官兵衛(孝高、如水)の子。

          ○ 「天下分け目の戦い」で徳川方

          に味方して戦い、関ヶ原の戦いで

          東軍の部将として戦い、活躍する。

             ○ (江戸時代) 福岡藩藩主、

          祖。

              ■ 黒田 長政 (くろだ ながまさ、1568 ー

             1623年は、 黒田官兵衛(孝高、如水)の

             子であり、 「天下分け目の戦い」で徳川方

             に味方して戦い、関ヶ原の戦いで 東軍の部

             将として戦い、活躍する。

              ● 黒田 長政は、 江戸時代に、福岡藩

             藩主、藩 祖である。

 

〇 くろ   黒田 職隆

             (くろだ もとたか)。  《人名》。

          (= 小寺職隆、黒田宗円(隠居後の

             号))。

          (1524 年ー1585年)。 

             ○ 黒田官兵衛(孝高)の父。

             ○ 小寺政職(こでらまさもと)の家老、

          小寺氏の姫路城の城代。

              ■ 黒田 職隆 (くろだ もとたか、= 小寺職

             隆、黒田宗円(隠居後の号)、1524 ー15

             85年) は、 黒田官兵衛(孝高)の父であ

             り、 小寺政職(こでらまさもと)の家老、 小

             寺氏の姫路城の城代であった。

 

〇 ぐん  軍国主義

            (ぐんこくしゅぎ)。

            《 戦前の近代日本》。

            (⇒ 統帥権の独立)。

            (⇒ 軍部大臣現役武官制)。

            (⇒ 二・二六事件)。

            ■ 日本の軍国主義 (ぐんこくしゅぎ)

            とは、全体主義の1種であり、 戦争と

            軍事力強化を国家や国民生活中で優

            位に置き、政治、経済、教育、文化等を

            日本の軍部に従属させようとするイデ

            オロギーや体制である。

            ■ 戦前の近代日本では、明治時代

            以後、富国強兵をスローガンとし、旧

            憲法では天皇に軍統帥権をもたせ軍

            隊を直属させていたため、常に、軍国

            主義の傾向はあった。

            ■ 日本の軍国主義の強化

               昭和・戦前時代(1926年〜19

            45年)に、統帥権の独立、軍部大臣

            現役武官制、二・二六事件などが、

            軍部の勢力(権力)を拡大させ、軍国

            主義を強化させ、戦争へ の道を突き

            進む誘因となり、 日本は日中戦争・

            太平洋戦争へと向かう。

 

〇 ぐん  軍部大臣現役武官制。

            (ぐんぶだいじんげんえきぶかんせい)。

            《戦前の日本政府》。

            (1900年ー1913年、

          1936年ー1945年)。

            (⇒ 軍国主義)。

            (⇒ 統帥権の独立)。

            ■ 軍部大臣現役武官制 (ぐんぶだ

            いじんげんえきぶかんせい) とは、 

            戦前の、陸海軍大臣は、陸海軍の現

                     役武官に制限するという制度である。 

            ● 軍部大臣現役武官制下では、

            政府の内閣の組閣時(形成時)、陸海

            軍大臣には陸海軍の現役武官しか就

            任できず、また、陸海軍大臣が辞意を

            表明した時後任の現役武官が見つか

            らないと内閣総辞職となり、 軍部 の

            意向なしでは、近代日本政府は、内閣

            を組閣(形成)し、維持できない状況が

            生まれた。

            ● 軍部大臣現役武官制は、 

            1900年(明治33年)から1913年

            (大正2年)まで存在したが、取りやめ

            る。 その後、1936年(昭和11年)

            に、広田弘毅(ひろたこうき)内閣で

            復活し、敗戦の1945年まで続いた。

            ● 「軍部大臣現役武官制」は、 

            「統帥権の独立」と共に、昭和・戦前

            の日本(1926年〜1945年)で、

            旧日本軍の軍部が選挙で選ばれた

            議院内閣制の戦前の近代日本政府 

            の命令に従わず、文民統制(シビリ

            アン・コントロール)ができなくなる。

               「軍部大臣現役武官制」は、昭

            和・戦前の日本(1926年〜1945

            年)で、軍部の勢力(権力)を拡大さ

            せ、軍国主義を強化させ、戦争への

            道を突き進む誘因となり、 日本は

            日中戦争・太平洋戦争へと向かう。

 

〇 ぐん  群馬県。

             (ぐんまけん)。

          (現・都道府県)。 《現地域名》。

          (現・47都道府県の1つ)。

                GUNMA PREFECTURE.

             ○ 群馬県の地域は、 概ね、

          前近代日本の、上野 国 (こうず

           け・こうづけ のくに、上州(じょうしゅう)、

             群馬県) の相当 地域である。

                     (⇒ 上野 国)。

                      (⇒ 都道府県)。

                      (⇒ 前近代日本の地域名)。

                      (⇒ 旧国(= 令制国))。

                      (⇒ 旧地域名地域名)。

                      (⇒ 日本の地名)。

           ■ 群馬県の地域

             <関東地方。

             <日本本土 (本州、四国、九州)

             <日本国

             ● 群馬県 (ぐんまけん、英:GUNMA 

             PREFECTURE)は、関東地方に属する。

                      (⇒ 関東地方)。

           ■ 群馬県の地域 

          (上野 国)。

             <東山道(とうさんどう)・旧広域地方。

             <五畿七道 (ごきしちどう、日本本土)。

          (⇒ 東山道・旧広域地方)。

                   (⇒ 五畿七道)。

             ■ 群馬県 (ぐんまけん)の地域は、 

             前近代日本(古代〜江戸時代)の、 旧国

             (令制国)の、概ね上野 国 (こうずけ・

             こうづけ のくに、上州(じょうしゅう)) の

             相当地域である。

 

 

   ● 五十音順 (アイウエオ順)。

 

 

   ■  『 現在は、過去の成果であり、

       未来は、現在の成果である。 

         (良き現在は、過去の人々の良き努力

          や活動の積み重ねの成果であり、 

          良き未来は、現在の人々の、良き努力

          や活動の積み重ねにより形成される。)

 

 

■ 上位のWEBサイト。 

 □ (KOH) カナヤマ オフィシャル   >

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#jpdictionary(general)

 

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#ku

 

◆ 派生見出し語サイト。

■ 「く」 基本・見出し語WEBサイト No. ja−ku 

  の、派生見出し語サイト

 

 No. ja−ku−4542。

● 見出し語項目 く   ( 45 ろ / 42   

   付近   第1部・ろ・タ行グループ )。

〇 くろ  黒田 官兵衛

           (くろだ かんべえ)。

 

 

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#militarism

 

■ 軍国主義。 

     (ぐんこくしゅぎ)。

 

■ 軍国主義。

■ 名称 : 軍国主義 (ぐんこくしゅぎ)。

■ 英語名 : militarism.

■ 《 戦前の近代日本》。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 11418。

 

 

 ○ 軍国主義の強化。

  □ 統帥権の独立

  □ 軍部大臣現役武官制

  □ 二・二六事件

 

 

◆ 軍国主義。

  ■ 日本の軍国主義 (ぐんこくしゅぎ)

     とは、全体主義の1種であり、 戦争と

     軍事力強化を国家や国民生活中で優

     位に置き、政治、経済、教育、文化等を

     日本の軍部に従属させようとするイデ

     オロギーや体制である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

◆ 軍国主義。

  ■ 戦前の近代日本では、  明治時代

    以後、富国強兵をスローガンとし、旧

    憲法では天皇に軍統帥権をもたせ軍

    隊を直属させていたため、常に、軍国

    主義の傾向はあった。  

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

◆ 軍国主義の強化。

  ■ 日本の軍国主義の強化

       昭和・戦前時代(1926年〜19

    45年)に、統帥権の独立、軍部大臣

    現役武官制、二・二六事件などが、

    軍部の力を拡大させ、軍国主義の

    強化に向かわせ、戦争への道を突き

    進む誘因となり、 日本は日中戦争・

    太平洋戦争へと向かう。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

♪♪ 軍国主義が登場する興味 深い、

    ドキュメンタリー、ドラマ、映画。

 

 ★ 軍国主義が登場する、興味深い

    関連ドキュメンタリー。 

 

 ■ 『 全貌 二、二六事件 

     完全版 前編・後編 』。 

     (NHKテレビ・2020年2月23日・

      本放送ドキュメンタリー番組)。 

 

  ■ 二・二六事件の事実を詳しく述べる。

 

  ■ 日本の軍部の力の拡大、軍国主義

    の強化を述べる。

 

 

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#kuroudosecretaries

 

■ 蔵人。 

     (くろうど)

 

■ 蔵人。

■ 名称 : 蔵人 (くろうど)。

 

■ 蔵人は、秘書役である。 

 

■ 蔵人は、

  平安時代以後の、天皇、院(= 上皇)、摂関

     家などの秘書役である。

 

 内裏の蔵人(だいりのくろうど)  とは

  天皇の秘書役で、 蔵人所(くろうどどころ)の

  職員である。

 

■ 内裏の蔵人は、 朝廷の官職の1つ である。  

 内裏の蔵人は、

  朝廷の位階・六位以上で天皇により蔵人に

  叙任された者である。  

 内裏の蔵人は、天皇より 昇殿(しょうでん)

  を許された、殿上人(てん じょうびと)である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 41918。

 

 

◆ 蔵人。

 

  ■ 蔵人(くろうど)とは、 秘書役であり、 平安

    時代以後の、天皇、院(= 上皇)、摂関家など

      の秘書役である。

 

  ● 蔵人(くろうど)は、 内裏(だいり、天皇の住

    居)の他に、院の御所や摂関家の御殿などで

    も置かれた。

 

  ■ 英語名 :

   蔵人 : Kurodo Private Secretary of 

       the Imperial Court。 

   内裏の蔵人 : Kurodo Private Secretary 

       to an Emperor and the 

       Imperial Family。 

 

 

 ◆ 内裏の蔵人。

 

  ■ 天皇の秘書役は、内裏の蔵人(だいりのくろ

    うど)である。

 

  ■ 内裏の蔵人(だいりのくろうど )は、 

    秘書役であり、 内裏(だいり、= 天皇の住居)

    の蔵人所(くろうどどころ)の職員である。

 

  ● 蔵人所(くろうどどころ)は、 内裏の蔵人が事

    務を行う場所で、内裏内の殿舎(建物)の1つで

    ある校書殿(きょうしょでん)の北部に置かれた。

 

  ■ 内裏の蔵人は、 宮中の雑事(事務、行事等)

    の処理に当たる。

 

  ■ 内裏の蔵人は、朝廷の官職の1つであり、 

    朝廷の位階・六位以上で天皇より蔵人に叙任

    された者であり、   天皇より 昇殿(しょうでん)

    を許された、殿上人(てん じょうびと)の身分・

    地位である。

 

  ■ 内裏の蔵人は、 令外官(りょうげのかん、律

    令制の職員令に規定されていない官職)である。 

 

  ■ 内裏の蔵人は、 朝廷では平安 時代初期に置

    かれ、天皇家(王家,皇室)の文書を保管する

    倉(くら)を管理する蔵人所(くろうどどころ)の役

    職であ り、 次第に天皇(家)に近侍して朝廷の

    政務に 関与するようになり、要職となった。  

 

  ■ 内裏の蔵人は、 当初は機密文書・訴訟などを

    扱(あつか)い、後には、宮中の雑事(事務、行

    事等)の処理にも当たり、更に、詔勅(しょうちょ

    く)や上奏(じょうそう)の伝達、天皇の警護、事

    務、雑務等の、天皇の常御所(つねごてん、日

    常の居所)である「清涼殿」(せいりょうでん)の、

    「殿上間」(てんじょうのま)のあらゆることを取

    り仕切る機関となる。

 

 

◆ 内裏の蔵人。

 

  ■ 蔵人 (くろうど)。

    蔵人(くろうど )は、 朝廷の位階・六位以

  上の者で、 天皇により蔵人に叙任された者 

  である。

    天皇との関係では、蔵人は、内裏の、殿上

  である。

    蔵人(くろうど)は、 朝廷の官職で、 蔵人

  所(くろうどどころ)の職員で、 天皇(家)の秘

  書官で、 雑務を担当した。 

       蔵人所は、 蔵人の事務を行う場所である。

    蔵人所は、 平安京の本来の内裏では、

  安京の内裏(だいり、天皇御所)の、清涼殿(せ

  いりょうでん)の南に位置する、校書殿(きょう

  しょでん)にあった。

    蔵人は、 朝廷では平安初期に置かれ、

  皇家(王家,皇室)の文書を保管する倉(くら)

  を管理する蔵人所(くろうどどころ)の役職であ

  り、次第に天皇(家)に近侍して朝廷の政務に

  関与するようになり、 要職となった。  

    蔵人は、  当初は機密文書・訴訟などを扱

  (あつか)い、 後には、宮中の雑事の処理に

  も当たった。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 蔵人(くろうど)は、 朝廷の官職で、 内裏

  (だいり、天皇御所)の、蔵人所(くろうどどこ

  ろ)の職員で、 天皇家)の秘書官で、

  朝廷の雑務を担当した。 

    天皇だけではなく、天皇の、一族の、天皇

  夫人、上皇、女院、皇子などの天皇家の秘書

  官でもあった。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 蔵人所 (くろうどどころ) とは、 蔵人(くろう

  ど)が 事務を執(と)った役所 である。

    蔵人頭 (くろうどのとう)は、 蔵人所の長

  (チーフ) である。

   蔵人は、 朝廷の官職の侍従 (じじゅう)や

  少納言(しょうなごん)の役割も(にな)った。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 蔵人は、 令外官(りょうげのかん)である。

   令外官 (りょうげのかん) とは、 律令制

  度成立時の令(りょう)の規定になかった官職

  である。  

    令外官は、 朝廷の官職で、 律令制度成

  立時、即ち、 大宝律令(大宝令(たいほうりょ

  う))や養老律令(養老令)の官位令に規定さ

  れていない官職 である。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

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#kurodamototaka

 

■ 黒田 職隆  

     (くろだ もとたか)

 

■ 黒田 職隆。

■ 名称 : 黒田 職隆 (くろだ もとたか)。

■ 別称 : 小寺職隆、 黒田宗円(隠居後の号)。

■ 生没年 : 1524〜1585年

■ 黒田 官兵衛(孝高)(くろだかんべい(よしたか))

  の父。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 黒田 職隆 (くろだ もとたか、生没年:1524〜

  1585年) は、 黒田 官兵衛(孝高)(くろだか

  んべい(よしたか))の父 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 黒田 職隆の別名は、 小寺職隆、 黒田宗円

  (隠居後の号) である。

 

■ 黒田 職隆は、 武将で、小寺政職(こでらまさも

  と)の家老 で、 小寺氏の姫路城の城代 であ

  った。

 

■ 黒田 職隆の父は、 黒田 重隆(くろだ しげた

  か)であり、 目薬の製造・販売人で、姫路の

  豪で、 小寺政職(こでらまさもと)の家臣となる

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 小寺政職(こでらまさもと)は、 黒田重隆(し

  げたか)・職隆(もとたか)の親子(黒田 官兵衛

  の祖父と父)の能力を認め、家臣とした。

     黒田官兵衛の父の黒田職隆(くろだもとた

  か)は、小寺政職の敵の香川重道を討ち取り、 

  その功績により、 1545年に、小寺政職は、黒

  田氏の黒田職隆を家老に列し (家老職に引き

  上げ)、 黒田職隆に小寺政職の養女(明石宗

  和の娘)を娶(めと)らせ、 小寺の名字を与え、 

  姫路城を任(まか)せ姫路城の城代にした。 

     1545年から1580年頃まで、黒田氏は、

   小寺(こでら)と名乗る。

     また、小寺政職(こでらまさもと)は、黒田氏

  に、橘紋(たちばなもん)の家紋を与えた。 

     1567年頃に、小寺政職は、 黒田 官兵衛

  には、小寺政職の姪(めい)で、 姫路の北東に

  ある志方(しかた)城・城主の櫛橋伊定(くしはし

  これさだ)の娘の光(てる)を、正室夫人とさせた。

     1567年頃に、黒田 官兵衛(小寺孝高)は、 

  父・黒田職隆(小寺職隆)から家督(かとく)と家

  老職を継(つ)ぎ、 小寺政職の姪(めい)で姫路

  の北東にある志方(しかた)城・城主の櫛橋伊定

  (くしはしこれさだ)の娘の光(てる・みつ、櫛形 光

  を正室夫人に迎(むか)え、 姫路城代となる。  

     1567年頃に、黒田 官兵衛(小寺孝高)の

  父・黒田職隆(もとたか、小寺職隆、15 24〜15

  85年)は、 隠居後、黒田宗円と称し、姫路城の

  南東に位置する、国府山城(こうやまじょう)に移

  る。

     1576年に、播磨(はりま、兵庫県南部)は、

  東から織田氏、 西から毛利氏 の大勢力が迫っ

  てきた。 小寺政職は、 家老の黒田 官兵衛(孝

  高)の進言により織田氏に味方した。 

     しかし、小寺政職は、1578年の、別所長治

  (べっしょながはる)の離反 (三木合戦(みきか

  っせん、1578〜80年)) や 織田氏重臣の

  木村重の織田氏への謀反(1578〜79年))に

  同調し、毛利氏に通じて織田氏に敵対したため、 

  小寺政職は、 1580年に織田軍に居城の御着

  城(ごちゃくじょう)を攻撃され敗れ落城し、逃亡し 

  毛利氏のもとへ落ち延びた。

    黒田 官兵衛の父の黒田職隆(くろだもとたか、

  隠居後、黒田宗円)は、 小寺政職が織田軍に敗

  れ落城し、御着城(ごちゃくじょう)から逃亡 し、毛

  利氏のもとへ落ち延びた後、 小寺政職の子 ・斎

  (いつき)を密かに引き取って養育した (織田信

  長が反逆者・小寺政職を許さないため)。 

    斎 (いつき、小寺氏職(こでらうじもと)) は、

  播磨・御着城(ごちゃくじょう)城主・小寺政職(こ

  でらまさもと)の嫡男であり、 1580年の小寺氏

  滅亡後、黒田職隆(くろだもとたか、黒田官兵衛

  (孝高)の父)に育てられ、 後に黒田氏家臣とな

  る。

 

■ 1580年頃から、黒田氏は、小寺氏の名字をや

  め、 黒田の名字を用いる。

 

 

◆ 黒田 職隆 関連出来事 

   (年代順・詳細)。

 1524年(大永4年)に、 黒田職隆 (くろだも

  とたか、1524〜85年) は、 父:黒田重隆(し

  げたか)が在住する、商業都市の備前(びぜん)

  の福岡 (現在の岡山県長船町) で生まれる。

 

 黒田職隆は、 播磨(はりま、兵庫県南部)の、

  御着城主(ごちくじょうしゅ)の小寺政職(こでら

  まさもと)に仕(つか)える。

 

 1543年(天文12年)に、 黒田職隆は、 小寺

  政職(こでらまさもと)の敵の香川重道(かがわし

  げみち)を討ち取る。

 

 1545年(天文14年)に、 黒田職隆は、 それ

  までの功績により、 小寺政職の養女(明石宗和

  の娘)を娶(めと)り、家老に列せられ、 小寺の

  氏を与えられ、 小寺氏の支城の播磨の姫路城

  の城代となる。

    

 1564年(永禄7年)より、 黒田職隆は、 赤松

  政秀(あかまつまさひで)と対立する。

 

 1567年(永禄10年)頃に、 黒田 職隆(くろだも

  とたか)は、 家督(かとく)と家老職を、  子の

  田官兵衛(孝高)(くろだかんべい(よしたか)) に

  譲り、隠居し、姫路城の南東の国府山城(こうやま

  じょう)に移る。

 

 1569年(永禄12年)に、 赤松政秀が、 姫路城

  に、約3000人の兵で攻め込んでくる、青山・土器

  山の戦いが起こる。 黒田職隆は、危機に陥ってい

  た子の黒田 官兵衛(孝高)救援のため、出馬して、

  勝利に貢献する。

 

 1578年(天正6年)に、 子の黒田 官兵衛(孝高)

  が摂津有岡城・城主の荒木村重に幽閉される(捕縛

  され牢に入れられる)。 

     黒田職隆は、 子の官兵衛(孝高)が救出され

  るまでの間、 姫路城に入り、黒田家当主の座に戻

  り、 織田信長に離反した小寺政職には味方せず、

  変わらず織田信長に味方する姿勢を示す。

 

■ 1579年(天正7年)10月に、 織田軍により、

  木村重の 有岡城が落城し、黒田 官兵衛(孝高)は、 

  救出される。

 

 1580年(天正8年)に、 荒木村重の謀反に呼応

  し織田信長に反逆した、御着城主(ごちくじょうしゅ)

  の小寺政職(こでらまさもと)が、 織田軍との戦いに

  敗れ落城し、御着城より逃亡し毛利氏のもとへ落ち

  延び、武家の小寺氏は、ここに滅びる。

 

 1585年(天正13年)8月に、 黒田職隆(くろだも

  とたか) は、享年62歳で、死去する。

 

 

♪♪ 黒田職隆(くろだ もとたか)が登場する

      興味深い、 ドキュメンタリー、ドラマ、

   映画。

 

★ 黒田職隆が登場する、興味深い関連

   ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事が 混じって描かれていま

  す。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 軍師 官兵衛 』。 

   (NHKテレビ・2014年大河ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

● 黒田 官兵衛の父の黒田職隆(もとたか)を

  演じた俳優:柴田 恭兵 (しばた きょうへい)。

 

● 黒田 官兵衛を演じた俳優名: 岡田 准一。

● 黒田 官兵衛の祖父の、黒田重隆(しげた

  か)を演じる俳優:  竜 雷太 (りゅう らいた)。

● 黒田 官兵衛の最初の主君の小寺政職(こ

  でらまさもと)を演じる俳優 : 片岡鶴太郎。

● 黒田職隆の娘・おたつ(仮称)(志織)を演じ

  た女優名 : 南沢 奈央 (みなみさわ・なお)。

 

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#kushihashikoresada

 

■ 櫛橋 伊定  

     (くしはし これさだ)

 

■ 櫛橋 伊定。

■ 名称 : 櫛橋 伊定 (くしはし これさだ)。

■ 別名 : 櫛橋 左京亮 (くしはし さきょうのす

   け)、 櫛橋豊後守。 

■ 生没年 : 生年不詳〜1578年。

■ 播磨国(はりまのくに、兵庫県南部)の、志方城

  (しかたじょう)の、城主。

■ 黒田官兵衛(孝高)の正室夫人・光(てる、櫛橋

  )の父。

■ 黒田長政の生母。

■ 小寺政職(こでらまさもと)の従兄弟(いとこ)。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 42329。

 

□ 櫛橋 光 関連出来事(年代順・詳細)

 

 

■ 櫛橋 伊定 (くしはし これさだ) は、 播磨国(は

  りまのくに、兵庫県南部)の、志方城(しかたじょう)

  の、城主 であった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 伊定の、別名は、 櫛橋 左京亮 (くしはし 

  さきょうのすけ)、 櫛橋豊後守(くしはしぶんごの

  かみ) などである。 

 

■ 櫛橋 伊定(左京亮)は、 黒田官兵衛(孝高)の

  正室夫人・光(てる、櫛橋 光)の父 である。

■ 櫛橋 伊定(左京亮)は、 黒田長政の母方の祖

  父 である。

 

■ 櫛橋 伊定(左京亮)は、 小寺政職(こでらまさ

  もと)の従兄弟(いとこ) である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 伊定(左京亮)の子には、 長男の櫛橋 伊 

   則 (くしはしこれのり、櫛橋 左京進(さきょうの

  しん))、 次男の櫛橋 則政、 長女の妙寿尼(み

  ょうじゅに、実名不詳、法名:遍照院、上月景貞

  (こうづけかげさだ)の夫人)、 次女の櫛橋 光 

  (くしはし てる、法名:照福院、雅号:幸円、黒田

  官兵衛(孝高)の夫人)、 三女 (実名不詳、黒

  田氏重臣・井上之房(いのうえゆきふさ、井上九

  郎右衛門(いのうえくろうえもん)の夫人) などが

  いた。

    上月 景貞 (こうづき かげさだ)は、 播磨・

  上月城主で、 櫛橋光(くしはしてる、黒田官兵衛・

  正室夫人)の姉・妙寿尼(遍照院)の夫であった。

 

■ 1578年3月に、別所長治(べっしょながはる)が

  毛利氏に味方し、織田信長に反旗を翻(ひるがえ)

  すと、 櫛橋 光の父・櫛橋伊定(左京亮)(くしはし

  これさだ(さきょうのすけ)) は、それに追随し、

  田方に敵対することとなった。 

     1578年7月より、櫛橋伊定の居城の志方城

  (しかたじょう)は、 織田方の織田信雄(もぶかつ)

  の軍に包囲され、出撃したが、被害が大きく、 8

  月に、城の兵の命(いのち)の保障と引き換えに、

  櫛橋伊定(左京亮)は、自害する。 そのとき、

  橋伊定(左京亮)の子(櫛橋 光の兄弟)は、許され

  て、その後、黒田氏に仕(つか)える。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 櫛橋 光。

■ 櫛橋 光 (くしはし てる・みつ、生没年:1553

  〜1627年) は、 黒田官兵衛 (くろだかんべ

  い、黒田孝高(くろだよしたか)、1546〜1604

  年) の正室夫人 である。

     黒田官兵衛との櫛橋 光の夫人期間 は、

  1567年頃から1604年まで である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 光 は、 黒田長政 (くろだながまさ、幼名・

  松寿丸(しょうじゅまる)、1568〜1623年) の

  生母 である。

    黒田長政は、 武将で、 筑前国(ちくぜんのく

  に)福岡52万石の福岡藩の始祖 である。

 

■ 櫛橋 光 は、 播磨国志方(はりまのくにしかた)

  城主・櫛橋伊定(左京亮)(くしはしこれさだ(さきょ

  うのすけ))の娘で、  黒田官兵衛の1番目の主君

  の、小寺政職(こでらまさ もと)の従姪 (従兄弟

  (いとこ)の娘) である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 光は、 1567年(永禄10年)頃、 黒田官

  兵衛(孝高)の正室夫人となり、 1568年に黒田

  長政(くろだながまさ、1568〜1623年)を産み、 

  1582年に黒田熊之助(1582〜97年)を産む。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

♪♪ 櫛橋伊定(左京亮)(くしはしこれさ

  だ(さきょうのすけ)) が登場する興味

  深い、ドキュメンタリー、ドラマ、

  画。

 

★ 櫛橋伊定(左京亮) が登場する、

  興味深い関連ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

  実) と 架空の出来事 が混じって描かれ

  ています。 また、 現代風にアレンジしてあ

    ります。

 

■ 『 軍師 官兵衛 』 

   (NHK2014年大河ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

● 櫛橋伊定(左京亮)を演じた俳優名 :

  益岡 徹 (ますおか とおる)。

 

● 黒田 官兵衛を演じる俳優名: 岡田 准一。

● 櫛橋伊定(左京亮)の男子、櫛橋 伊則(左

  京進)(くしはしこれのり(さきょうのしん))を

  演じた俳優名: 金子ノブアキ。

● 櫛橋伊定(左京亮)の娘で櫛橋 光の姉(仮

  称:力)を演じた女優名: 酒井 若菜。

● 上月景貞(こうづきかげさだ)を演じた俳優 

    : 土平 ドンペイ (つちひら どんぺい)。

● 井上 之房(九郎右衛門)(いのうえ ゆきふ

    さ(くろうえもん))を演じた俳優名 : 高橋

  一生。

 

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#kushihashiteru

 

■ 櫛橋 光  

     (くしはし てる・みつ)

 

■ 櫛橋 光。

■ 名称 : 櫛橋 光 (くしはし てる・みつ)。

■ 別名 : 照福院 (しょうふくいん、法名)、

  幸円 (こうえん、雅号)。

 (注意) 前近代日本では、夫婦別姓 

   前近代日本の人名)。

■ 生没年 : 1553〜1627年。

■ 黒田官兵衛(孝高)の正室夫人

■ 黒田長政の生母。

■ 黒田官兵衛(孝高)の第1番目の主君・小寺政

  (こでらまさもと)  の従姪(従兄弟(いとこ)の

  娘。

■ 播磨国(はりまのくに、兵庫県南部)の、志方城

  (しかたじょう)の、城主・櫛橋伊定(左京亮)(く

  しはしこれさだ(さきょうのすけ))の娘。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

□ 櫛橋 光 関連出来事(年代順・詳細)

 

 

■ 櫛橋 光 (くしはし てる・みつ、生没年:1553

  〜1627年) は、 黒田官兵衛 (くろだかんべ

  い、黒田孝高(くろだよしたか)、1546〜1604

  年) の正室夫人 である。

     黒田官兵衛との櫛橋 光の夫人期間 は、

  1567年頃から1604年まで である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 光 は、 播磨国(はりまのくに、兵庫県南

  部)の、志方城(しかたじょう)の、城主・櫛橋伊定

  (左京亮)(くしはしこれさだ(さきょうのすけ)) の

  娘であり、  黒田官兵衛の第1番目の主君の、

  寺政職(こでらまさ もと)の従姪 (従兄弟(いとこ)

  の娘) である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 光は、 1567年(永禄10年)頃、 黒田

  官兵衛(孝高)の正室夫人となり、 1568年に

  黒田長政(くろだながまさ、1568〜1623年)

  を産み、 1582年に黒田熊之助(1582〜97

  年)を産む。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 櫛橋 光 は、 黒田長政 (くろだながまさ、幼

  名・松寿丸(しょうじゅまる)、1568〜1623年) 

  の生母 である。

    黒田長政は、 武将で、 筑前国(ちくぜんの

  くに)福岡52万石の福岡藩の始祖 である。

 

■ 櫛橋 光 (くしはし てる、法名:照福院、雅号:

  幸円)の実家の家族には、 父の櫛橋 伊定(く

  しはしこれさだ、櫛橋左京亮(さきょうのすけ)、 

  兄の櫛橋 伊則 (くしはしこれのり、櫛橋 左京

  進(さきょうのしん))や櫛橋 則政、 姉の妙寿 

  尼 (みょうじゅに、実名不詳、法名:遍照院、上

  月景貞の夫人)  (実名不詳、黒田氏 重臣・

  井上之房(いのうえゆきふさ、井上九郎右衛門

  (いのうえくろうえもん)の夫人) などがいた。

     上月 景貞 (こうづき かげさだ)は、 播磨・

  上月城主で、 櫛橋光(くしはしてる、黒田官兵

  衛・正室夫人)の姉・妙寿尼(遍照院)の夫であ

  った。

 

■ 櫛橋 光の氏名。

■ 櫛橋 光は、 読み方は、 くしはし てる、 くし

  はし みつ (福岡・圓應寺の古文書の光のルビ

  の「ミツ」より) で、 雅号は、幸円 (こうえん、

  「如水夢想連歌集」の幸圓より) で、 法名(院

  号)は、 照福院 (しょうふくいん) である。

■ 櫛橋 光の一族名(氏・名字)は、櫛橋(くしはし)

  で、個人名(名) は、光 (てる・みつ) である。

■ (注意) 前近代日本の女性は、 夫婦別姓。 

● 前近代日本の女性は、 1872年(明治5年)

  1月施行の壬申戸籍(じんしんこせき)までは、 

  夫婦別姓である。 

● 前近代日本では、日本の女性は、  1872年

  (明治5年)1月施行の壬申(じんしん)戸籍ま

  では、 父の一族名の氏(名字、(例)櫛橋)を

  生涯所持し、 婚儀を結んでも(結婚しても)、

  氏(名字)を変えず、夫の氏(名字、(例)黒田)

  を称さなかった。

 (注意) 前近代日本 の女性は、個人名で自

  他呼称。

● 前近代日本では 、日本の女性は、父の氏(名

  字)を所持していたが、 慣習で、通常、個人名

  ((例)光(てる))のみで自他呼称した。  

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#kushihashiteru-thehappenings

 

◆ 櫛橋 光 関連出来事

  (年代順・詳細)。

 

 1567年頃に、黒田 官兵衛(小寺孝高)は、 父・

  黒田職隆(小寺職隆)から家督(かとく)と家老職

  を継(つ)ぎ、 小寺政職(こでらまさもと、1517

  〜82年)の従姪で、姫路の北東にある志方(しか

  た)城・城主の櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘の

  光 (てる、櫛形 光(くしはし てる・みつ、生没年:

  1553〜1627年)を、正室夫人に迎(むか)え、 

  姫路城代となる。  

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1568年に、 櫛橋 光は、 黒田官兵衛(孝高)と

  の間に、 黒田長政 (くろだながまさ、1568〜

  1623年) をもうける。

 

■ 1578年3月に、別所長治(べっしょながはる)が

  毛利氏に味方し、織田信長に反旗を翻(ひるがえ)

  すと、 櫛橋 光の父・櫛橋伊定(くしはしこれさだ)  

  は、それに追随し、 織田方に敵対するとことなっ

  た。 1578年7月より、櫛橋伊定の居城の志方

  城(しかたじょう)は、 織田方の織田信雄(もぶか

  つ)の軍に包囲され、出撃したが、被害が大きく、

  8月に、城の兵の命(いのち)の保障と引き換えに、

  自害する。 そのとき、櫛橋 光の兄弟は、許されて、 

  その後、黒田氏に仕(つか)える。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1580年9月に、黒田 官兵衛(黒田孝高)は、

  織田信長より、 播磨国福井庄(網干周辺)1万

  石を与えられる。

 

■ 1582年に、 櫛橋 光は、 黒田官兵衛(孝高)

  との間に、 黒田熊之助(1582〜97年)をもう

  ける。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1584年に、黒田 官兵衛(黒田孝高)は、 羽

  柴秀吉(豊臣秀吉)より、 播磨国山崎・篠の丸

  城・5万石を与えられる。

 

 1587年に、 秀吉の九州平定後、 黒田 官

  兵衛(黒田孝高、黒田シメオン、1546〜160

  4年) は、豊臣秀吉より、 豊前国 (ぶぜんの

  くに、福岡県東部)・中津12万石に封(ほう)じ

  られ、 九州北東部の、豊前国中津(なかつ)の

  領主となった。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 1589年に、黒田 官兵衛(黒田孝高)(1546

  〜1604年)は、 隠居し、 「如水軒」と号し、

  黒田如水となり、 1589年に、黒田 官兵衛の

  嫡男・跡継ぎの黒田 長が、 豊前国中津12

  万石の領主となる。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1597年に、櫛橋 光の子の、黒田熊之助は、慶

  長の役の最中に、 父の黒田官兵衛(孝高)や兄

  の黒田長政を追って、 朝鮮半島に渡海しようと

  試み、暴風雨に遭い、遭難死する。

 

■ 1600年に、天下分け目の戦い」 (徳川方

  と石田方の戦い、関が原の戦いその他の戦

  い)の勃発時に、大阪に残っていた、光 (て

  る、櫛形 光 (くしはし てる・みつ、生没年:15

  53〜1627年) は、 黒田長政夫人・栄姫(え

  いひめ)や黒田家家臣と共に、 石田方の監視

  が緩(ゆる)んだ隙(すき)を見計らって、 大阪

  の屋敷から抜け出し、 船で、黒田氏居城の豊

  前国中津城(びせんのくになかつじょう)まで、 

  脱出した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 1600年頃の「天下分け目の戦い」 (徳川方と

  石田方の戦い、関が原の戦いその他の戦い) で、 

  黒田 官兵衛・長政父子は、徳川方に味方して戦

  う。

     戦後、戦功により、 1600年に、徳川家康

  り、 黒田官兵衛(黒田如水、如水円清)の子の黒

  田 長政が、 筑前 国 (ちくぜんのくに、福岡県北

  部)・福岡52万石に封(ほう)じられ、 筑前国福岡

  の領主(大名)となり、 初代福岡藩主となった。 

    以後代々、江戸時代を通じて、黒田氏が福岡

  藩主となった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 1602年に、 櫛橋 光は、出家して、 照福院と

  称し、 その後、福岡・圓應寺などの寺院を建立し

  た。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 1604年に、櫛橋 光の夫・黒田官兵衛(黒田如

  水、如水円清)は、京都伏見の福岡藩邸にて、死

  去する。 享年59歳であった。

 

■ 1627年に、櫛橋 光(くしはし てる・みつ、生没

  年:1553〜1627年) は、筑前国福岡にて、

  去する。 享年75歳であった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

♪♪ 櫛橋 光(くしはしてる) が登場する

  興味深い、ドキュメンタリー、ドラマ、

  映画。

 

★ 櫛橋 光が登場する、興味深い関

  連ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

  実) と 架空の出来事 が混じって描かれ

  ています。 また、 現代風にアレンジしてあ

    ります。

 

■ 『 軍師 官兵衛 』 

   (NHK2014年大河ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

● 櫛橋 光を演じた俳優名 : 中谷 美紀

  (なかたに みき)。

 

● 黒田 官兵衛を演じる俳優名: 岡田 准一。

● 播磨・志方(しかた)城主の櫛橋 伊定(左

  京亮)(くしはしこれさだ(さきょうのすけ)を

  演じた俳優名: 益岡 徹(ますおか とおる)。

● 櫛橋 伊則(左京進)(くしはしこれのり(さき

  ょうのしん))を演じた俳優名:金子ノブアキ。

● 櫛橋 光の姉(仮称:力)を演じた女優名:

  酒井 若菜。

● 上月景貞(こうづきかげさだ)を演じた俳優 

    : 土平 ドンペイ (つちひら どんぺい)。

● 井上 之房(九郎右衛門)(いのうえ ゆきふ

    さ(くろうえもん))を演じた俳優名 : 高橋

  一生。

 

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#the9thrank

 

■ 九位  

     (くい)

 

■ 九位。

■ 名称 : 九位 (くい)。

■ 位階のグループ。

■ 使用期間(叙位期間) : 

  明治時代前期のみ。

  1869年頃〜1887年頃。

■ 職員令の位階 (1869年頃〜1887年頃、

  叙位に使用)。

● 正九位 (しょうくい) と 従九位 (じゅくい

  の2つの位階

■ 明治時代になって、初めて使用された位階。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 位階

 叙位

 

 

■ 九位。

■ 九位 (くい) とは、 正九位 (しょうくい) 

  と 従九位 (じゅくい) の2つの位階 であ

  る。

 

■ 九位(くい)は、 明治時代になって、初めて

  使用された位階 である。

    九位は、 明治時代前期の叙位にのみ、

  1869年頃から1887年頃までの期間の叙

  位にのみ、 使用された。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 九位 (くい)は、 前近代日本(古代〜近世、

  江戸時代まで)にはなかった位階で、 明治

  時代に決められた、新しい位階 である。 

   九位 (くい)は、 明治新政府(近代日本政

  府)の職員令(1869年制定)で規定され、職

  員令による叙位(じょい)でのみ使用された位

  階 である。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 九位。

■ 職員令の位階。

   ● 正九位 (しょうくい)。

   ● 従九位 (じゅくい)。

■ 職員令(1869年制定)の位階。

    <1869年頃〜1887年頃>

 ● 近代日本政府の位階の「一位〜九位、

   初位」の10グループの9番目のグループ

   の位階。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 ● 近代日本政府の20位階の、

   17番目の正九位 (しょうくい)、

   18番目の従九位 (じゅくい)、

   の2つの位階である。

 

 

■ 九位。

■ 職員令(1869年制定)の位階。

  <1869年頃〜1887年頃>

 ● 八位は、 近代日本政府の位階の「一位〜

   九位、初位」の10グループのうちの上から

   9番目のグループの位階である。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 ● 八位は、 正一位(しょういちい)から少初

   位(しょうそい、しょうしょい)までの近代日

   本政府の20位階の、

   17番目の正九位 (しょうくい)、

   18番目の従九位 (じゅくい)、

   の2つの位階である。

 

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#gukansho

 

■ 愚管抄 

       (ぐかんしょう)。

 

■ 愚管抄

■ 名称 : 愚管抄 (ぐかんしょう)

■ 著者 : 慈円 (じえん)。 

■ 鎌倉時代前期(1220年頃)に成立。 

■ 平安時代末期、鎌倉時代前期を知る一次

  的史料。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 愚管抄は、 平安時代末期、鎌倉時代前期

 を知る一次的史料 である。

 

■ 愚管抄 (ぐかんしょう)は、 著者は、慈円

  (じえん) で、 鎌倉時代前期(1220年頃)

  に成立した。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 「愚管抄」 (ぐかんしょう)は、 慈円(じえ

  ん)が、道理と末法思想によって、平安時代

  末期、鎌倉時代前期の出来事を解釈し、当

  時の政治を論じた、7巻の歴史哲学的歴史

  書 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

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#courtnobles

 

■ 公家 

     (くげ)

 

■ 公家。

■ 名称 : 公家 (くげ)。

■ 英名 : (Imperial) Court Noble(s)。 

■ (狭義) 主に儀式と文治をもって天皇家に

  仕(つか)える、「朝廷の貴族 」。

■ (広義) 主に儀式と文治をもって天皇家に

  仕(つか)える、朝廷の官人(役人)。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 51642。

 

 

■ 公家は、 前近代日本の政治を支配した勢力

  である、 天皇家、 公家、 武家、 寺社(の

  僧侶・神官) 勢力の1つである。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 公家の名門には、 藤原氏(ふじわらし)、 

  原北家(ふじわらほっけ) がある。

 

 

■ 狭義の公家。

■ 狭義の公家は、 主に儀式と文治をもって天

  皇家に仕(つか)える、 朝廷の貴族、 堂上

  家の公家(堂上公家)、 朝廷の上・中級家臣 

  である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 狭義の、公家(くげ) は、 主に儀式と文治を

  もって天皇家に仕(つか)える、「朝廷の貴族 」

    (= 朝廷貴族、宮廷貴族) である。  

     公家の、英名は、(Imperial) Court 

  Noble(s) である。 

 

■ 堂上家 (= 堂上公家)。

■ 堂上家 (どうじょう・とうしょう け、= 堂上公家)

  は、 昇殿を許された公家 である。 堂上は、堂

  の上の意である。

     堂上家は、 主に儀式と文治をもって天皇

  家に仕(つか)える朝廷の官人(役人)である「

  義の公家」の中で、 昇殿を許された(天皇御所

  の清涼殿に昇殿することを許された) 公家 で

  ある。

■ 堂上家には、 だいたい、主に儀式と文治をも

  って天皇家に仕(つか)える、 前近代の朝廷

  の、貴族殿上人(てん じょうびと)、公卿(くぎ

  ょう)  などである。

            

 

■ 広義の公家。

■ 広義の、公家とは、 主に儀式と文治をもって

  天皇家に仕(つか)える、朝廷の官人(役 人)で

  ある。

■ 公家とは、 武士の武家が出現する平安時代

  中期以後の名称であり、 主に武力で天皇家

  に仕える朝廷の官人(役人)の武家と対比して、 

  主に儀式と文治をもって天皇家に仕(つか)え

  る朝廷の官人(役人) である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

            

 広義の公家は、堂上家と地下家に分かれる。

       広義の公家には、 主に儀式と文治 をも

  って天皇家に仕(つか)える、 昇殿が許され

  た堂上家(どうじょうけ)の公家  と、 昇殿が

  許されていない地下家(じげけ)の公家 がい

  た。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 地下家。

■ 地下家 (じげけ、= 地下公家)は、 昇殿を

  許されていない公家 である。

■ 地下家は、 主に儀式と文治をもって天皇家

  に仕(つか)える朝廷の官人(役人)である「

  義の公家」の中で、 昇殿を許されていない

  (天皇御所の清涼殿に昇殿することを許され

  ていない)公家 である。

    地下家は、 だいたい、 主に儀式と文治を

  もって天皇家に仕(つか)える、 前近代の朝

  廷の、 六位以下の官人(役人)(= 地下、地下

  人(=位階・六位以下の官人))、 無位の官人

  (役人) などである。

 

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#kugyocourtnobles

 

■ 公卿 

     (くぎょう)

 

■ 公卿。

■ 名称 : 公卿 (くぎょう)。

● 英名 : Kugyo Court Noble(s)。 

■ 前近代日本の、朝廷の地位 ・身分。 

 

 

■ 公卿 (くぎょう)とは、 前近代日本の、朝廷

  の地位 ・身分 である。

     公卿の、英語名は、 Kugyo Court

  Noble(s) である。  

 

■ 公卿は、 朝廷の政務の合議に参加で きる

    身分・地位 である。  朝廷の公卿会議(朝廷

  の政務合議会議) に参加できる。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 公卿(くぎょう)とは、三位以上の者や参議の

  官職にある者である。 

     前近代日本の、朝廷(律令官制)の、内

  裏(だいり、天皇御所)の、 公卿は、 朝廷の

  位階・三位(さんみ)以上の者 や、 朝廷の

  位階・四位(しい)の者で参議(さ んぎ)の官職

  に叙任された者(叙せられた者) である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 官位相当制により、公卿は、朝廷の位階と連

  動して、 天皇の任命により、太政・左・右・内

  大臣、大・中納言、参議等の高位の廷の官

  役職)になるこができる。

■ 朝廷の高位の官職 には、 高位順に、

  @ 太政大臣 (だいじょうだいじん)、 A 

  左大臣 (さだいじん)、  B 右大臣 (うだ

  いじん)、  C 内大臣 (ないだいじん)、 

  D 大納言 (だいなごん)、 E 中納言 

  (ちゅうなごん)、 F 参議 (さんぎ) など

  がある。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 公卿 とは、 朝廷の官僚制の地位・身分 で、

  朝廷の政務に参与できる地位・身分で、朝廷

  の政務の合議に参加できる地位・身分である。  

    公卿は、朝廷の「公卿会議」(朝廷の政務

  合議会議)に参加する権利を持つ。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

● 公卿(くぎょう) は、 朝廷の地位・身分の1つ

  であり、 特権身分であり、 朝廷の政務の合

  議の公卿会議に参加できる地位(身分、職位)

  である。  公卿は、 朝廷の「公卿会議」(朝廷

  の政務合議会議) に参加する資格(権利)を持

  つ。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 公卿 (くぎょう)は、  前近代日本の、朝廷の

  官僚制 (朝廷律令官制(= 律令制度の官

  僚制)) の地位 ・身分の1つである。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 公卿(くぎょう)は、 前近代日本の、朝廷(律

  令官制) の地位 ・身分の1つである。

 

■ 従三位。

    朝廷の位階の従三位(じゅさんみ)は、

  を除き、 公卿(くぎょう)になるための、朝

  廷の条件の位階である。

     従三位は、 正一位(しょういちい)から

  少初位下(しょうそいのげ)までの朝廷の30

  位階の上から6番目の位階 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 従四位下

    朝廷の位階の従四位下(じゅしいのげ)は、

  公卿(くぎょう) になるための最下位の位階で

  あり、 参議になるための朝廷の最低条件の

  位階 である。

    従四位下は、 正一位から少初位下までの

  朝廷の30位階の上位10番目の位階 である。  

 

 

◆ 公卿の官職。

● 官位相当制で、中納言、大納言、内大臣、左

  大臣、太政大臣は、通常、位階・三位以上で

  ある。

■ 朝廷の中枢部(太政官(だいじょうかん))の

  公卿(くぎょう)の官職。

  ( )は、原則として官職に相当する位階。

● 第1位 太政大臣   (従一位 (以上))。  

  (だいじょうだいじん)  

   臨時の官職 (常設でない官職)。

● 第2位 左大臣     (正二位 (以上))。  

  (さだいじん)

● 第3位 右大臣     (正二位 (以上))。

  (うだいじん)

● 第4位 内大臣     (従二位 (以上))。

  (ないだいじん)

● 第5位 大納言     (正三位 (以上))。

  (だいなごん)

● 第6位 中納言     (従三位 (以上))。  

  (ちゅうなごん)

● 第7位 参議       (四位  (以上))。 

  (さんぎ)

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

● 中納言や参議は、 令外官 (りょうげのかん、

  律令制成立当時の令の規定に無かった官職

  (大宝律令や養老律令の令の規定に無かった

 官職) である。

 

◆ 朝廷の要職。

■ 公卿がなる朝廷の要職には、 次のような役

 があった。

■ 摂政・関白

 摂政 (せっしょう) は、朝廷の役職で、 幼

  少(成人前)または女帝の天皇を補佐して、

  の政務を行う役職 である。

 関白 (かんぱく) は、 朝廷の役職で、成人

  の天皇を補佐して、朝廷の政務を行う役職 で

  ある。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 内覧 (ないらん)。

 内覧(ないらん)は、 朝廷の役職で、天皇に奏

  上(そうじょう)する(提出する)、奏状(そうじょう、

  公文書)を、 天皇が見る前に(天皇に奏聞する

  前に)、臣下が事前に目を通す(内覧、内見する)

  役職 である。

     内覧は、事実上、天皇の政務を代行する役

  職であった。  摂政か関白が、天皇に任命され

  て、更に、内覧となることが多かった。

     例として、藤原道長は、内覧となり、朝廷の

  政務の実権を握(にぎ)り、 更に日本の政治の

  実権を握り、日本の政治を支配した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

◆ 朝廷の位階。

■ 前近代日本 (古代日本の飛鳥白鳳時代〜

  近世日本の江戸時代) の律令官制(律令制

  度の官僚制)の朝廷の位階は、一位から

  八位、初位(そい)までで、30位階があった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

■ 貴族 (きぞく、一位から五位まで)、

  五位以上の位階をもつ者 

   (≒ 殿上人 (てんじょうびと、位階・五位以

    上の者で昇殿を許可された者、または、位

    階・六位以上の者で蔵人(くろうど)に叙任

    された者)

 ● 貴 (き、一位から三位まで) 

  (≒ 公卿 (くぎょう、位階・三位以上の者  や

  位階・四位の者で参議(さんぎ)の官職に叙任

  された者)。

 ● 通貴 (つうき、四位から五位まで)。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

■ 六位以下の位階をもつ者 (六位、七位、八

  位、初位(そい))。

 

 

 前近代日本の朝廷(律令官制)

  位階。

 <古代〜1869年頃> 

 

■ 貴族 、五位以上の位階をもつ者。

 ● 一位から五位までの、14位階の者。

   ( 殿上人

 

 ■ 貴 (一位から三位までの、6位階) 

   (≒ 公卿

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。 

 ■ 一位 (いちい)。  

  ● 正一位 (しょういちい)。

  ● 従一位 (じゅいちい)。

 ■ 二位 (にい)。  

  ● 正二位 (しょうにい)。

  ● 従二位 (じゅにい)。

 ■ 三位 (さん)。  

  ● 正三位 (しょうさん)。

  ● 従三位 (じゅさん)。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 ■ 通貴 (四位から五位までの、8位階)。

 ■ 四位 (しい)。  

  ● 正四位上 (しょうしいのじょう)。

  ● 正四位下 (しょうしいのげ)。

  ● 従四位上 (じゅしいのじょう)。

  ● 従四位下 (じゅしいのげ)。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。 

 

 

♪♪ 公卿 が登場する、興味深い、ド

  キュメンタリー、ドラマ、映画。 

 

★ 公卿 が登場する、興味深い、ドラ

  マ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションです。 

  歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事が、 混じって、描かれてい

  ます。 また、現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 平清盛 (たいらのきよもり) 』 

   (NHK2012年大河ドラマ、50話)。

● 平安時代末期を描いたドラマで、 当時活躍

  した人物や当時の時代状況を描く

● 平清盛が、 四位という位階を叙位され、更

  に参議に叙任され公卿になるシーンが登場

  する。

 

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#kurodanagamasa

 

■ 黒田 長政 

     (くろだ ながまさ)

 

■ 黒田 長政。

■ 生没年 : 1568年〜1623年

■ 名称 : 黒田 長政 (くろだ ながまさ)。

■ 黒田 官兵衛 (くろだ かんべえ、黒田 如水(じ

  ょすい)、黒田 孝高(よしたか)) の子。

■ 安土桃山時代、江戸時代初期の武将、大名。

■ 豊臣秀吉、徳川家康に仕える。

■ 関が原の戦い後、筑前国(ちくぜんのくに)

  福岡52万石の領主。

■ 福岡藩祖 (福岡藩の始祖)。 福岡藩藩主。

■ 関ヶ原の戦いでは、徳川家康方の東軍に属し、

  活躍し、家康により、戦後、筑前国(ちくぜんの

  くに)福岡52万石に封じられる。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

□ 関ヶ原 画像アルバム  No.1

 

 

■ 黒田 長政 (くろだ ながまさ、 生没年 1568

  〜1623年) は、黒田 官兵衛 (くろだ かんべ

  え、黒田 如水(じょすい)、黒田 孝高(よしたか))

  の子 である。

 

■ 黒田 長政 は、 安土桃山時代、江戸時代初期

  の武将、大名で、 豊臣秀吉、徳川家康に仕える。

 

■ 黒田 長政 は、 朝鮮戦役の文禄・慶長の役(ぶ

  んろく・けいちょのえき)で 朝鮮半島に渡る。

 

■ 黒田長政の、1番目の正室夫人は、 蜂須賀小

  (正勝)の娘の いと で、 後妻(継室)の2番

  目の正室夫人は、 徳川家康の母方の姪(めい)

  の栄姫(えいひめ) である。

 

■ 1600年に、天下分け目の戦い」 (徳川方と

  石田方の戦い、関が原の戦いその他の戦い)

  勃発時に、大阪に残っていた、黒田長政夫人・

  栄姫(えいひめ) は、 光 (てる、櫛形 光 (く

  しはし てる・みつ、生没年:1553〜1627年)や 

  黒田家家臣と共に、 石田方の監視が緩(ゆる)

  んだ隙(すき)を見計らって、 大阪の屋敷から

  け出し、 船で、黒田氏居城の豊前国中津城(ぶ

  せんのくになかつじょう)まで、 脱出した。

 

■ 黒田 長政 は、 豊臣秀吉の家臣であったが、

  豊臣秀吉没後、 1600年頃の「天下分け目の戦

  」(徳川方と石田方の戦い、関が原の戦いその

  他の戦い) では、 徳川方に味方し、関ヶ原の戦

  いで東軍の部将として、石田方の大名と戦う。

    黒田長政は、 「天下分け目の戦い」で徳川

  方で戦い、関ヶ原の戦いで東軍の部将として戦い

  活躍する。

     黒田 長政の父の黒田 官兵衛 は、「天下分

  け目の戦い」で徳川方で戦い、 九州で石田方の

  島津氏などと戦い活躍する。

 

■ 黒田 長政 は、 関ヶ原の戦いでは、徳川家康

  方の東軍に属し、活躍し、家康により、 筑前国

  (ちくぜんのくに)福岡52万石に封じられる。

  岡藩祖 (福岡藩の始祖)となった。

 

■ 黒田 官兵衛 は、 九州北東部に、豊前国(ぶ

  ぜんのくに)中津12万石を領した。

    黒田 官兵衛 は、豊臣秀吉より、1587年

  に、 豊前国(ぶぜんのくに、福岡県東部・大分

  県北部)・中津12万石を与えら(に封じられ)、

  中津城主となる。 

    黒田 官兵衛は1589年に隠居し、1589年

  に、 黒田 官兵衛・長男の黒田 長政が、 豊前

  国中津12万石の領主となる。

    その後、1600年頃の「天下分け目の戦い

  (徳川方と石田方の戦い、関が原の戦いその他

  の戦い) で、 黒田 官兵衛・長政父子は、徳川

  方につき、 戦功により、 1600年に、徳川家

  康より、筑前国(ちくぜんのくに、福岡県北部)・

  福岡52万石に封じられ(を与えられ)、福岡城

  主となり、 黒田長政が筑前国福岡52万の領

  主となり、 初代福岡藩主となった。 以後代々、

  江戸時代、黒田氏が福岡藩主となった。

     黒田氏を領主(藩主)とする、筑前国(ちく

  ぜんのくに)福岡藩は、1600年より1871年

  まで続いた。 

     廃藩置県後、 旧外様大名の黒田氏(家)

  は、1884年(明治17年)に侯爵に列せられた

  (侯爵となり、華族に列した)。

 

 

♪♪ 黒田 長政(くろだ ながまさ) が登場す

  興味深い、 ドキュメンタリー、ドラ

    マ、映画。

 

 ★ 黒田長政が登場する、興味深い

    関連ドラマ、映画。 

 

  ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

   歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実) 

   と 架空の出来事が混じって描かれています。 

   また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 軍師 官兵衛 』 

   (NHK2014年大河ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

● 黒田 官兵衛の嫡男の黒田長政(ながまさ)

  を演じる俳優 : 

  ・(成人期) 

   松坂 桃季 (まつざか とおり)。

  ・(少年期、松寿丸(しょうじゅまる)) 

   若山 耀人 (わかやま きらと)。

  ・(幼少期、松寿丸) 

   秋元 黎 (あきもと れい)。   

 

● 徳川家康の母方の姪で黒田長政(ながまさ)

  の後妻となった栄姫(えいひめ)を演じる女優 

  : 吉本 実憂 (よしもと みゆ)。

● 黒田 官兵衛を演じる俳優名: 岡田 准一。

 

■ 『 戦国疾風伝 (せんごくしっぷうでん)

    二人の軍師〜秀吉に天下を獲ら

   せた男たち 』 

    (日本の2011年テレビ東京・放映テレビ

       ドラマ)。 

 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描いたドラマ。

● 松寿丸(黒田長政)を演じた俳優名: 尾崎

  右宗。

 

● 黒田長政夫人のお栄を演じた女優名: 陽

  月華。

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』 

   (日本の2011年N HK大河ドラマ) 

 

■ 『 天地人 (てんちじん) 』  

   (日本のNHK2009年大河ドラマ)。

 

■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね 

    おんなたいこうき) 』 

   (日本の2009年製作テレビ東京・テレビ

       ドラマ)。 

 

■ 『 功名が辻 (こうみょうがつじ) 』 

   (日本のNHK・2006年大河ドラマ)。

 

■ 『 利家とまつ〜加賀百万石物

    語〜 』 

   (NHK2002年大河ドラマ)。

 

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#kugeseiken

 

■ 公家政権 

     (くげせいけん)。

 

■ 公家政権。

■ 時期 : 977年頃〜1086年頃。

■ 名称 : 公家政権 (くげせいけん)。

■ 藤原(氏)政権 (ふじわら(し)せいけん)。

 

 

■ 977年に、藤原頼忠(ふじわらのよりただ)が、

  関白に就任し、藤原氏により本格的な摂関政

  治を開始し、藤原(氏)政権の公家政権を樹立

  し、 995年に、藤原道長(ふじわらのみちな

  が)が内覧(ないらん)となり、 1086年に、白

  河天皇が上皇となり、院政を開始し、藤原(氏)

  政権の公家政権は、消滅する。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

■ (S3) 摂関政治 とは、摂政・関白(せっしょう・

  かんぱく)が、政治の実権を握り、日本を支配す

  る政治形態で、 天皇の臣下の摂政・関白が、 

  朝廷の実権を握り、 摂政は天皇幼少時、 関白

  は天皇成人後に、 天皇の政治を代行した。

 

■ (S2) ⇒ (S3) 大土地私有の発生と農民

  の過重な負担に対する抵抗により、 10世紀

  頃に急速に崩壊し、 (S2) 律令政治 (7〜

  10世紀) は、 10世紀後半に、「荘園制」を

  基礎とする (S3) 摂関政治 (10〜11世紀) 

  に移行する(へ変わる)。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 摂関政治 は、 朝廷の実権を握る、摂政・関白などの貴族が、日

 本を支配する政治形態で、 10世紀後半から11世紀後半まで、権

 力をふるった。 11世紀末より、 「院政」 にとって代わられた。

 

■ 日本では、 律令政治 (8世紀前前半〜10世紀後半) が、衰えて、 

 摂関政治 (10世紀後半〜11世紀後半) が、 始まる。

 

■ 摂関政治の最盛期は、 11世紀の藤原道長・頼道(みちなが、より

 みち)の時で、 摂関家の藤原道長・頼道は、 広大な荘園を経済的基

 盤とし、天皇の外戚となって、地位を確保した。

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■ 摂政や関白。

● 摂政や関白 は、天皇に代わり、政治を代行する者で、 摂政 (せっ

 しょう) は、 天皇が幼少時、天皇に代わって、政務全体を行う官職で、

 関白 (かんぱく) は、 天皇の成人後、 天皇に代わって、政務全体を

 行う官職 です。 

● 最初の摂政の就任は、 593年、厩戸王(うまやどおう、聖徳太子)で、

 最初の関白の就任は、 884年の藤原 基経(もとつね) でした。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 10世紀後半 (969年安和(あんな)の変) より、 摂政や関白は

 朝廷の常任の官となり (摂関常置されて本格化し)、 藤原北家が、

 摂関家となり、 摂政や関白は 11世紀後半 (1086年院政開始) 

 より権力 (日本を支配する実権) は衰えたが、 藤原北家の摂関

 家が、 江戸末期まで、存続した。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 公家政権 (くげせいけん) は、 977年頃から1086年頃まで

 で、977年に、藤原頼忠(ふじわらのよりただ)が、関白に就任し、藤原氏に

 より本格的な摂関政治を開始し、藤原(氏)政権の公家政権を樹立し、 99

 5年に、藤原道長(ふじわらのみちなが)が内覧(ないらん)となり、 1086

 年に、 白河天皇が上皇となり、院政を開始し、 藤原(氏)政権の公家政権

 は、消滅する。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

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#kusakagenzui

 

■ 久坂玄瑞  

     (くさかげんずい)。 

 

■ 久坂玄瑞。

■ 名称 : 久坂玄瑞 (くさかげんずい)。

■ 生没年 : 1840〜1864年。

■ 尊皇攘夷派・急進派の指導者。

■ 長州藩士。 幕末の志士

■ 吉田松陰の門下生。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 51533。

 

 

■ 久坂玄瑞 (くさかげんずい、生没年:1840〜

  1864年) は、 長州藩で、 幕末の志士で 

  吉田松陰(よしだしょういん)の門下生 であった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 幕末、 久坂玄瑞 は、尊皇攘夷派急進派の

  指導者として、活躍した。

 

■ 1863年(文久3年)8月の八月十八日の政変

  後、 久坂玄瑞 は、 尊 王攘夷派勢力の回復

  を図って、 1864年(元治(げんじ)元年)7月

  に、禁門の変(きんもんのへん)を起こしたが、 

  敗死した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 松下村塾 (しょうかそんじゅく、1857年〜

  59)は、幕末に、吉田 松陰が開いた私塾

  である。

     吉田 松陰が、アメリカ密航に失敗して藩

  地の萩(はぎ)に謹慎(きんしん)中の1857

  年に、 叔父の塾を受け継いで開いた。

     吉田 松陰は、塾生(門下生)に、時事問

  題、尊攘(そんじょう、尊皇攘夷)思想などを教

  え、 多くの明治維新の志士を出した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

  

■ 吉田 松陰の教えを受けた、松下村塾の門下

  生(塾生)には、 秀才の久坂玄瑞 (くさかげ

  んずい)、桂小五郎 (かつらこごろう、木戸孝

  (きどたかよし))、 高杉晋作 (たかすぎし

  んさく)、 伊藤博文 (いとうひろぶみ)、 山

  県有朋 (やまがたありとも) など多くの近代

  日本のリーダーの人材を育成した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

◆ 久坂玄瑞の一族。

 

■ 久坂玄瑞の親戚(親類)。

■ 久坂玄瑞夫人の杉 文(文、美和、楫取美和子)

   の実家の杉家の家族。

■ 杉家の家族。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の家

  族は、 

  夫人・児玉 瀧 (こだま たき、滝、1807−90

      年)、 

  長男・梅太郎 (うめたろう、民治(みんじ)、

      梅太郎(修道)、1828−1910年、杉

       家を継ぐ)、 

  次男・寅之助 (とらのすけ、吉田松陰、1830

      −59年、吉田家・第8代当主)、 

  三男・敏三郎 (としさぶろう、1845−76年)、 

  長女・芳子 (よしこ、千代、1832−1924年)、 

  次女・寿 (ひさ楫取 久子(かとり ひさこ、杉

      寿(すぎ ひさ)、1839−81年)、 

  三女・艶 (つや、早世、1841−43年)、 

  四女 (ふみ、楫取美和子(かとりみわこ、

      杉 文(すぎ ふみ)、1843−1921年、

      久坂玄瑞夫人、楫取 素彦(かとりもとひ

      こ)夫人、二人の夫との間に子はなかっ

      た)、

  長男・梅太郎の夫人・豊子 (とよこ)、

  長男・梅太郎の娘・滝子 (たきこ、 梅太郎

      (民治、修道)と夫人・豊子との間の娘)、

  長男・梅太郎の孫・杉 道助 (すぎ みちすけ、

      1884−1964年、杉 梅太郎(民治、修

      道)の娘・滝子の子、杉家を継ぐ)、

  である。 

 

■ 久坂玄瑞の親戚(親類)。

■ 久坂玄瑞夫人の杉 文(文、美和、楫取 美和

  子)の実家の杉家の親戚(親類)。

■ 杉家の親戚(親類)。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の親

  戚には、 次のような人々がいた。

 杉家(すぎけ)の当主は、 杉 百合之助(常道) 

  (すぎ ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年)

  である。

● 杉 文 (すぎ ふみ、(ふみ)、楫取美和子

  (かとりみわこ)、1843−1921年) は、 

  百合之助(常道)四女 であり、 久坂玄瑞

  人、楫取 素彦(かとりもとひこ)夫人であり、 

  二人の夫との間に子はなかった。

  久坂玄瑞 (くさか げんずい )は、 杉 文(す

  ぎ ふみ、楫取 美和子(かとりみわこ)の第1番

  目の夫である。

 

● 久坂秀次郎 (くさか ひでじろう)は、 久坂玄

  と京都妻との間の男子であり、 久坂家を継

    ぐ。

 

● 玉木 文之進 (たまき ぶんのしん)は、 杉

  百合之助(常道)の弟であり、 玉木家・第7代

  当主である。

 

● 吉田 大助 (よしだ たいすけ)は、 杉 百合

  之助(常道)の弟であり、 吉田松陰の養子先

  の吉田家の第7代当主である。

● 吉田松陰 (杉 寅之助(幼名)、吉田家養子

  後・吉田寅次郎、1830−59年) は、 杉 百

  合之助(常道)次男 ・寅之助(とらのすけ)で

  あり、 吉田家に養子に入り、吉田家の第8代

  当主である。

 

●  梅太郎 (すぎ うめたろう、杉 民治(みん

  じ)、杉 修道、1828−1910年) は、 

  百合之助(常道)の長男 であり、 杉家を継ぐ。 

● 吉田 小太郎は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第9代当主である。

● 吉田 道子は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第10代当主である。

 

 

● 杉 寿 (すぎ ひさ、寿(ひさ)、楫取 久子(かと

  り ひさこ、1839−81年 は、 杉 百合之助

  (常道)次女 である。

● 楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村伊之助

  (1829−1912年) は、 楫取 久子(かとり

  ひ さこ、杉 寿(すぎ ひさ))の夫であり、 楫取

  美和子(かとりみわこ、杉 文(すぎ ふみ)の第

  2番目の夫である。

● 小田村希家は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)

  の長男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であ

  り、 小田村家を継ぐ 。

● 楫取 道明は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)の

  次男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であり、 

  楫取家を継ぐ。

● 楫取 三郎は、 楫取 道明の子であり、 楫取

  家を継ぐ。

 

● 杉 芳子 (すぎ よしこ、千代、1832−1924

  年) は、  百合之助(常道)の長女である。

● 児玉 祐之は、 杉 芳子(千代)の夫 である。

● 吉田 庫三は、 児玉 祐之の子 (杉 芳子(千

     代)と の間の子) であり、 吉田家・第11代当

   主である。

 

 

 ♪♪ 久坂玄瑞 が登場する興味深い、

     ドキュメンタリー、ドラマ、映画。

 

 ★ 久坂玄瑞  が登場する、面白く、興

    味深い、ドラマ、映画。

 

  ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

   歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

   実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ

   ています。 また、 現代風にアレンジしてあ

   ります。

 

 ■ 『 花燃ゆ (はなもゆ) 』 。

    (NHKテレビの2015年大河ドラマ)。

 

  ■ 日本の明治維新、幕末、明治時代の時代

    状況やその時代に活躍した人々を描く。

 

  ● 久坂玄瑞を演じる俳優 :  

    東出 昌大 (ひがしで まさひろ)

       久坂玄瑞 (くさかげんずい)は、

    文(ふみ)の1番目の夫である。 

 

  ● 吉田 松陰を演じる俳優 :   

     伊勢谷 友介 (いせや ゆうすけ)。

         吉田 松陰 (よしだ しょういん、杉 寅之

    助(すぎ とらのすけ)、吉田 寅次郎(よし

    だとらじろう)) は、文(ふみ)の実兄である。 

 

  ● 文を演じる女優 : 

       井上 真央 (いのうえ まお)。

            文 (ふみ、杉 文(すぎ ふみ)、杉 美和

    (すぎ みわ)、楫取 美和子(かとりみわこ)) 

    は、 吉田松陰の妹である。

 

  ● 楫取 素彦を演じる俳優 : 

    大沢 たかお (おおさわ たかお)。

       楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村

    伊之助(おだむら いのすけ)) は、 文(ふ

    み)の2番目の夫である。 

 

  ● 寿を演 じる女優 : 

    優香 (ゆうか)。

       寿  (ひさ、杉 寿(すぎ ひさ)、楫取 久

    子(かとり ひさこ))は、文(ふみ)の実姉で

    ある。 

 

  ● 杉 梅太郎を演じる俳優 : 

    原田 泰造 (はらだ たいぞう)。

       杉 梅太郎  (すぎうめたろう、杉 民治

    (みんじ)、杉 修道)は、文(ふみ)の実兄で

    ある。 

 

  ● 杉 百合之助を演じる俳優 : 

    長塚 京三 (ながつか きょうぞう)。

       杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ)は、

    文(ふみ)、吉田松陰(よしだしょういん)、寿

    (ひさ)の実父である。 

 

  ● 滝を演じる女優 : 

    檀 ふみ (だん ふみ)。

       滝 (たき、児玉 滝(こだま たき)、杉

    滝(すぎ たき))は、 杉 百合之助(すぎ ゆ

    りのすけ)夫人で、文(ふみ)、吉田 松陰

    (よしだしょういん)、寿(ひさ )の実母である。 

 

 

 ■ 『 八重の桜 (やえのさくら) 』 。 

      (NHKテレビの2013年大河ドラマ)。

 

  ■ 日本の幕末、明治時代を描いた、ドラマ。

 

 

 ■ 『 JIN−仁 (じん) 』 。 

     (TBSテレビの2009〜2011年

      日曜劇場・テレビドラマ)。

 

   日本の幕末の人々、風習、建物、

       社会状況等を描く。

 

 ■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』 。 

     (NHKテレビの2010年大河ドラマ)。

 

  ■ 日本の幕末の時代状況やその時代に活躍

     した人々を描く。

 

 

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#kunisadachuji

 

 国定 忠治  

     (くにさだ ちゅうじ)。

 

■ 国定 忠治。

■ 生没年 : 1810年(文化7年)〜1850年(嘉永3年)。

■ 名称 : 国定 忠治 (くにさだ ちゅうじ)。 別名 国定 忠次 

 (くにさだ ちゅうじ)。 本名 : 長岡 忠次郎。

■ 博徒(ばくと)、侠客(きょうかく)となって、上州(群馬県)から信

 州(長野県)一帯で活躍。

■ 赤城山(あかぎやま)南麓を、本拠地とし、そこを実質支配した。

 

■ 講談、演劇、映画、ドラマなどのフィクションの世界 では、 

 国定忠治 は、 天保の大飢饉(だいききん)で、 農民を救済し

 た博徒(ばくと)・侠客(きょうかく)として、脚色されている。

● 「赤城(あかぎ)の山も今夜限りか」 は、 有名な場面である。

 

 □ 国定忠治が登場する、 興味深い

    関連ドキュメンタリー、ドラマ、映画

 

 

■ 国定 忠治 (くにさだ ちゅうじ) は、 国定 忠次 (くにさだ ち

 ゅうじ)とも言い、 本名は、 長岡 忠次郎で、 生没年は 1810

 年(文化7年)〜1850年 (嘉永3年) である。

 

■ 国定 忠治 は、 博徒(ばくと、ばくち打ち)、侠客(きょうかく、ヤ

 クザ) となって、上州(群馬県)から信州(長野県)一帯で、活躍した。

■ 国定 忠治 は、 赤城山(あかぎやま)南麓を、本拠地とし、そこ

 を実質支配した。

 

 

 国定 忠治 は、 上野国(こうずけのくに)の国定村 (現在の群馬

 県伊勢崎市国定町) の豪農の家に生まれた。

 

 国定 忠治 は、 対立する、博徒・侠客 や 八州廻り(関東取締

 出役)の目明し(道案内、岡っ引)の三室勘助(みむろかんすけ)を 殺

 害し、 信州街道の大戸関所 (おおとせきしょ、群馬県東吾妻(あが

 つま)町大戸) や 碓氷関所 (うすいせきしょ、群馬県安中市) を

 破った。

 

● 三室勘助殺害により、国定忠治一家は、 八州廻り(関東取締出役)

 から一斉手配を受け、一家の幹部の多くは逮捕され、国定忠治は、会

 津方面へ逃走、4年後上州へ舞い戻ったが、1850年に、八州廻り(関

 東取締出役)によって、捕縛された。

 

● 捕縛後、江戸に移送され、取調べを受け、その後、勘定奉行・道中

 奉行の池田頼方の申し渡しにより、関所破り・殺人他種々の罪名により、

 大戸関所へ移送され、当地で、磔(はりつけ)の刑に処せられた。 

 

■ 群馬県の、伊勢崎市国定町の金城山養寿寺と伊勢崎市曲輪町の

 善應寺に、 国定忠治の墓がある。

 

 

#kunisadachujiappearingscenes

 

♪♪ 国定忠治 が登場する、興味深い関連ド

  キュメンタリー、ドラマ、映画。 

 

◆ 国定忠治 が登場する、面白く、興味深い関連ドキ

  ュメンタリー

 

■ 「歴史秘話ヒストリア」の、 「1件落着!? 桜吹雪

 伝説・遠山の金さん・きまじめ官僚の正体」 天保の改革。 

 (NHK2009年10月本放送)

 

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#thomasblakeglover

 

■ グラバー。

 

■ グラバー。

■ 生没年 : 1838年〜1911年。

■ 名称 : グラバー。 

● フルネームは、トーマス・ブレーク・グラバー

 Thomas Blake GLOVER。

■ 幕末、明治初期の商人。

■ 英国の商人。 グラバー商会を設立。

■ 薩摩藩、長州藩、土佐藩の倒幕派や亀山社中(海援隊)などと取引。

■ 坂本 龍馬を信用し、龍馬と親密な関係を持っていた。

 

■ グラバー(トーマス・グラバー) は、 幕末、 明治初期の英国の商人

 で、 幕末は、薩摩、長州、土佐藩の倒幕派や亀山社中(海援隊)などと

 取引をした。

 

■ 坂本 龍馬 は、 トーマス・グラバーと親密な関係で、長崎のグラバ

 ー商会と関係が深く、 彼の信用を得ていた。

 

■ グラバー商会 は、 当時の東洋最大手のイギリス武器商会の、ジャ

 ーディン・マセソン商会の直系 で、 トーマス・グラバーの肩書き は、

 「ジャーディン・マセソン商会長崎代理人」 であった。

 

■ 坂本 龍馬 が、 幅広く権力者と交流できた理由は、 彼個人の資

 質の他に、イギリス武器商会・ジャーディン・マセソン商会の「営業マン」

 だったから とも言える。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 坂本 龍馬 は、 土佐藩脱藩後に、継続的に接触した、トーマス・グ

 ラバーの影響を強く受けており、 薩長(さっちょう)同盟、 亀山社中(か

 めやましゃちゅう)、 海援隊(かいえんたい)、 船中八策(せんちゅうは

 っさく) は、 坂本龍馬の完全な独創ではなかったという指摘もある。

 

 

♪♪ トーマス・グラバー が登場する、面白く、興味深

 い、ドラマ、映画、ドキュメンタリー。

 

★ トーマス・グラバー が登場する、面白く、興味深い関

 連ドキュメンタリー。 

 

■ 歴史秘話ヒストリア 『 さよなら 愛しの故郷 〜長

 崎・グラバー邸 親子2代の物語〜』 

 (NHKの2010年(平成22年)7月21日本放送、第45回)。

 

★ トーマス・グラバー が登場する、面白く、興味深い、

 ドラマ、映画、ドキュメンタリー。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 歴史のドラマ、映画 

 は、 史実(歴史上の事実) と 架空の出来事 が 混じって描かれて

 います。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』 (2010年NHK大河ドラマ)。

 

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 『 あなたのハートには 

    何が残りましたか? 』。

 

 

以  上。