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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 す 』。

 

 

#jpmenu     

メ ニュー (目次)。  

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)

□     ● 五十音順 ( あいうえお順)。

□ 見出し語 すか

□ 見出し語 すさ

□ 見出し語 すな

□ 見出し語 すま

□ 見出し語 すら

 

 

〇 すい  推古天皇。

             (すいこてんのう)。 《女性天皇》。

          (推古天皇在位:

           592年ー628年)。

                   EMPEROR SUIKO.

          (⇒ 女性天皇)。

          ○ 推古天皇は、 実在の、

          最初の女性天皇(= 女帝)で

          ある。

             ■ 推古天皇 (すいこてんのう、在

                位:592年ー628年、英:EMPER-

              OR SUIKO) は、 飛鳥白鳳時代

             女性 天皇(= 女帝)で あり、 日本

             の実在の最初の女性天皇(= 女帝)

                       である。 

             ■ 推古天皇は、 甥(おい)の厩戸

             皇子 (うまやとのみこ・おうじ、聖徳

             太子) や 蘇我馬子(そがのうまこ)

             と協力して、多くの政策を行い、小

             墾田宮(おわりだのみや)遷都を行

             ったり、飛鳥(あすか)文化を現出さ

             せたりした。

              ◆ 女性天皇 (8人10代)

           (⇒ 女性天皇)。   

           (⇒ 推古(すいこ)天皇)。

           (⇒ 皇極斉明(こうぎょく

                (さいめい))天皇)。

           (⇒ 持統(じとう)天皇)。

           (⇒ 元明(げんめい)天皇)。

           (⇒ 元正(げんしょう)天皇)。

           (⇒ 孝謙称徳(こうけん

                (しょうとく))天皇)。

           (⇒ 明正(めいしょう)天皇)。

           (⇒ 後桜町(ごさくらまち)天皇)。

             ■ 日本の女性天皇・8人10代。

             ● 日本の古代から現代までの間

             に、日本の女性天皇は、 

              (a) 飛鳥白鳳(あすかはくほう)時

             代、奈良(なら)時代に天皇に即位

                          就任)した、

             (1) 推古(すいこ)天皇、

                          (2) 皇極(斉明)(こうぎょく(さい

                            めい))天皇、

             (3) 持統(じとう)天皇、

             (4) 元明(げんめい)天皇、

             (5) 元正(げんしょう)天皇、

             (6) 孝謙(称徳)(こうけん(しょう

               とく))天皇

             の6人8代の天皇 や、 

             (b) 江戸(えど)時代に天皇に

             即位(就 任)した、

             (7) 明正(めいしょう)天皇、

             (8) 後桜町(ごさくらまち)天皇

             の2人2代の天皇がいて、

             合計して8人10代の日本の女性

             天皇(= 女帝がいる。

 

〇 すう  崇源院

            (すうげんいん)。 《人名》。

          (別名、 (ごう)お江(おごう)

          小督(おごう)お江与(おえよ)

          (1573年ー1626年)。

          ○ 浅井3姉妹の一人。

          ○ 江戸幕府・第2代将軍・徳

          川秀忠の正室・夫人。 

          ○ 3代将軍・徳川家光の生母。

          ○ 淀の方の妹。

           (⇒ 崇源院(お江)関連出来事

             (年代順・詳細)

          (⇒ 崇源院(お江)簡略年表)。

          (⇒ 崇源院(お江)詳細年表)。

 

〇 すう  数呼称時刻。

            (すうこしょうじこく)。

                         (= 時鐘数表示時刻)。

         (⇒ 時刻法前近代日本

            の時刻・時法)。

            ■ 数呼称時刻 (すうこしょうじこく、= 時鐘

            数表示時刻)は、 日本で使われた時刻法

            (時法)の、時刻表示方式 (西洋式表示時刻、

             十二支表示時刻、 時鐘数表示時刻)3つの

             1つである。

            ● 数呼称時刻 (= 時鐘数表示時刻)は、

             前近代日本で使われた、不定時法の、 時

             鐘(じしょう)の数で表示する時刻である。 

            ● 数呼称時刻 (= 時鐘数表示時刻)は、

             前近代日本使用の1日12等分制の、不定

             時法・時鐘数表示時刻 である。 

 

 すお  周防 国。 

             (すおう のくに)。

          (旧国(令制国))。 《旧地域名》。

          = 防州(ぼうしゅう)、周州(しゅうしゅう))。 

          (≒ 概ね、現・山口県東部の相

          当地域)。

              SUO PROVINCE.

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の旧国(令制

           国)の正式名)。

                    (⇒ 防州周州)。

                    (⇒ 山口県)。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

          ■ 周防 国。

             <山陽道・旧広域地方。

             <五畿七道 (ごきしちどう、日本本土)。

          (⇒ 山陽道・旧広域地方)。

                   (⇒ 五畿七道)。

                          ■ (RWM) 日本の、中地域名の変遷。

             ● 国造・県主分国⇒ 旧国(令制国)

              ⇒ 旧都道府県⇒ 現47都道府県。

             ■ 周防 国 (すおう のくに,= 防州(ぼう

             しゅう)周州(しゅうしゅう))  は、 概(お

             おむ)ね、現・ 中国地方の、現在の山口県

             東部に相当する地域であり、 前近代日本

             の、旧国(令制国)である。

           (⇒ 中国地方)。

                   (⇒ 都道府県)。

             ■ 周防 国 (すおう のくに)は、 律令制

             定後・古代・中世・近世日本・旧地域名の、

             旧国名(令制国)の正式名である

             ■ 周防 国(= 防州周州)は、 五畿七

             道 (ごきしちどう)の山陽道(さんようどう)・

                           旧広域地方に属する。

             ■ 周防 国(= 防州周州)は、 約68旧

             国(令制国)の1つであり、 山陽道(さんよ

                           うどう)・旧広域地方の1国である。

             ■ 防州( ぼうしゅう)や周州(しゅうしゅう)

             は、 律令制定後・古代・中世・近世日本・

             旧地域名の、旧国 名(令制国)正式名の、

             周防 国 (すおう のくに)の 別称である。

             ■ 旧国(令制国)(きゅうこく(りょうせい

             こく))は、 前近代日本の、飛鳥白鳳時代

             末期から江戸時代まで、 紀元(後)701

             年頃から1868年頃まで、 日本で使用さ

             れた地方行政区分の地域名である。

 

#suka

 

 すが  菅原 道真

             (すがわらの みちざね)。 《人名》。

          (845年ー903年)。

          ○ 平安前期の学者、政治家。

          ○ 右大臣を失脚し、大宰府に

          左遷され、そこで死す。

                ○ 天神様。

 

 すぎ  杉 梅太郎 

             (すぎ うめたろう)。 《人名》。

             (= 杉 民治(すぎ みんじ)、杉 修道)。

          (1828年−1910年)。

                      ○ 杉家当主の杉 百合之助(常

          道)の長男、跡取り。

                      ○ 吉田松陰(杉 寅之助や楫取 美

                     和子(杉 文)の兄。

                      ■ 杉 梅太郎 (= 杉 民治(すぎ みんじ)、

             杉 修道、1828 年−1910年) は、

             杉家当主の杉 百合之助(常道)の長男、

             跡取りであり、 吉田松陰(杉 寅之助) や

                        楫取 美和子(杉 文)の兄である。

                      ■ 杉 梅太郎(民治)は、 幕末の思想家・

             吉田松陰 (よしだしょういん、杉 寅之助(す

             ぎ とらのすけ、幼名)、吉田寅次郎(よしだ

             とらじろう、吉田家に養子後)) や 、 楫取

             美和子(かとり みわこ、文(ふみ)、杉 文(す

             ぎふみ)、美和(みわ)) の 兄である。

 

 すぎ  杉 滝。

             (すぎ たき)。 《人名》。

             (= 児玉 滝)。

                     ○ 吉田 松陰、杉 文の実母。

                     ○ 杉家当主・杉 百合之助

          (常道)の夫人。

       (⇒ 杉 百合之助(常道))。

            (⇒ 楫取 美和子吉田 松陰)。

            (⇒ 楫取 久子杉 梅太郎)。

          (⇒ 久坂 玄瑞)。

             ■ 杉 滝 (すぎ たき、= 児玉 滝)は、

             吉田 松陰、杉 文の実母であり、杉家

             当主・杉 百合之助(常道)の夫人であ

             る。

             ■ 杉 滝(すぎ たき)(= 児玉 滝)は、

             杉家当主・杉 百合之助(常道)の夫人

             であり、 杉 百合之助(常道)との間に

             三男・四女(梅太郎、寅之助、敏三郎、

             芳子、寿(ひさ)、艶(つや)、文(ふみ)

             をもうける。

 

 すぎ  杉 寅之助。

              (すぎ とらのすけ)。 《人名》。

             (= 吉田松陰)。

          (吉田松陰の幼名)。

           (1830年−1859年)。

                      ○ 杉家当主・杉 百合之助(常

          道)の次男。

          ○ 幕末の思想家・吉田松陰(よ 

             しだしょういん)は、杉 寅之助(すぎ

             とらのすけ、幼名)といい、 杉家より

          吉田家に養子後吉田寅次郎(よ

             しだとらじろう)と名乗る。

          (⇒ 吉田 松陰)。

            (⇒ 楫取 美和子久坂 玄瑞)。

                    (⇒ 杉 百合之助(常道))。

            (⇒ 楫取 久子杉 梅太郎)。

 

 すぎ  杉原 定利

             (すぎはら さだとし)。 《人名》。

          (生年不詳ー1593年)。

          ○ 戦国・安土桃山期の武将。

          ○ 杉原(木下)家定、「おね

             (ねね )」「やや」の実父。

 

 すぎ  杉原 千畝

             (すぎはら ちうね)。 《人名》。

          (1900年ー1986年)。

          ○ 人道主義を貫いた、世界

          に誇る日本の外交官。

          ○ 東洋のシンドラー。

          ○ 第2次大戦中、ヨーロッパ

             で迫害されていたユダヤ人約

          6000人の命(いのち)を救う 。

 

 すぎ  杉 寿。 

            (すぎ ひさ)。 《人名》。

             (= 寿(ひさ)、楫取 久子(かとり ひ

             さこ))。

          (1839年−1881年)。

                     ○ 杉 百合之助(常道)(杉家)の

          三女。

                     ○ 吉田松陰(杉 寅之助の妹、楫

                     取美和子(杉 文)の姉。

          (⇒ 楫取 久子)。

          (⇒ 楫取 素彦楫取 美和子)。

                    (⇒ 杉 百合之助(常道))。

            (⇒ 吉田 松陰杉 梅太郎))。

            (⇒ 久坂 玄瑞)。

                     ■ 杉 寿 (すぎ ひさ、楫取 久子(かとり ひ

             さこ)、1839 年−1881年) は、 杉 百合

             之助(常道)(杉家)の三女であり、 吉田松

             陰(杉 寅之助)の妹、楫 取美和子(杉 文)

             の姉である。

                     ■ 杉 寿(楫取 久子)は、 楫取素彦(かと

             りもとひこ、小田村伊之助(おだむらいのす

             け)) の第1番目の夫人であった。

                     ● 杉 寿(楫取 久子)は、 幕末の思想家・

             吉田松陰 (よしだしょういん、杉 寅之助(す

             ぎ とらのすけ、幼名)、吉田寅次郎(よしだ

             とらじろう、吉田家に養子後)) の妹である。

                     ● 杉 寿(楫取 久子)は、 楫取美和子 (か

             とり みわこ、文(ふみ)、杉 文(すぎふみ)、

             美和(みわ)) の 姉である。

 

 すぎ  杉 文。 

             (すぎ ふみ)。  《人名》。

             (= 文 (ふみ)、美和 (みわ)、杉 美和

             (すぎ みわ)、楫取 美和子 (かとりみ わ

                           こ))。

          (1843年−1921年)。

             ■ 杉 文 (文、杉 美和、楫取 美和子) は、

             1843年より 杉 文(すぎ ふみ)と称し、

             1865年頃より 杉 美和(すぎ みわ)と称し、

             1883年から 楫取 美和子(かとりみわこ)

             と称す。 

                     ○ 長州藩士・杉家当主の杉 百合

          之助(常道)(すぎ ゆりのすけ(つねみ

          ち))の四女。

                     ○ 幕末の思想家・吉田松陰 (

             しだしょういん、杉 寅之助(すぎ とらのすけ、

             幼名)、吉田家に養子後・吉田寅次郎(よし

             だとらじろう)) の妹。

          (⇒ 楫取 美和子)。

          (⇒ 吉田 松陰)。

          (⇒ 久坂 玄瑞楫取 素彦)。

                    (⇒ 杉 百合之助(常道))。

            (⇒ 楫取 久子杉 梅太郎)。

             ■ 杉 文 (すぎ ふみ、杉 美和(すぎ み

             わ)、楫取 美和子(かとりみわこ)) は、

             長州藩士・杉家当主の杉 百合之助(常

          道)(すぎ ゆりのすけ(つねみち)) の四女

             であり、 幕末の思想家・吉田松陰 (よ

             だしょういん、杉 寅之助(すぎ とらのすけ、

             幼名)、吉田家に養子後・吉田寅次郎(よし

             だとらじろう)) の妹である。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             明治維新を描く2015年NHK大河ドラマ

             「花燃ゆ(はなもゆ)」の主人公(ヒロイン)

             である。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             幕末期、1番目の夫・久坂玄瑞(くさかげ

             んずい)の夫人である。

               久坂玄瑞は、禁門の変(きんもんのへ

             ん)で戦死する。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             明治期、2番目の夫・楫取素彦(かとりも

             とひこ)の夫人である。

                楫取 素彦 (かとり もとひこ、旧名・小

             田村伊之助 (おだむら いのすけ)) は、亡

             き姉の夫であり、 群馬県令(ぐんまけんれ

             い、任期1876−84年、現・群馬県知事)

             であり、 1884年から、元老院議官、裁判

                           官、貴族院議員、宮中顧問官、内親王養育

             主任などを歴任する。 1887年には、華族

             (かぞく)の男爵(だんしゃく)となる。

             ● 楫取 美和子(杉 文、杉 美和)は、184

             3年より 杉 文(すぎ ふみ)と称し、1865年

             頃より 杉 美和(すぎ みわ)と称し、1883

             年から 楫取 美和子(かとりみわこ)と称す。 

 

 すぎ  杉 美和。 

             (すぎ みわ)。 

             (= 文 (ふみ)、美和 (みわ)、杉 文(す

             ぎ ふみ)、楫取 美和子 (かとりみ わこ))。

          (1843−1921年)。

             ■ 杉 美和 (文、杉 文、楫取 美和子) は、

             1843年より 杉 文(すぎ ふみ)と称し、

             1865年頃より 杉 美和(すぎ みわ)と称し、

             1883年から 楫取 美和子(かとりみわこ)

             と称す。 

                     ○ 長州藩士・杉家当主の杉 百合

          之助(常道)(すぎ ゆりのすけ(つねみ

          ち))の四女。

                     ○ 幕末の思想家・吉田松陰 (

             しだしょういん、杉 寅之助(すぎ とらのすけ、

             幼名)、吉田家に養子後・吉田寅次郎(よし

             だとらじろう)) の 実妹。

          (⇒ 楫取 美和子)。

          (⇒ 吉田 松陰)。

          (⇒ 久坂 玄瑞楫取 素彦)。

                    (⇒ 杉 百合之助(常道))。

            (⇒ 楫取 久子杉 梅太郎)。

             ■ 杉 文 (すぎ ふみ、杉 美和(すぎ み

             わ)、楫取 美和子(かとりみわこ)) は、

             長州藩士・杉家当主の杉 百合之助(常

          道)(すぎ ゆりのすけ(つねみち)) の四女

             であり、 幕末の思想家・吉田松陰 (よ

             だしょういん、杉 寅之助(すぎ とらのすけ、

             幼名)、吉田家に養子後・吉田寅次郎(よし

             だとらじろう)) の妹である。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             明治維新を描く2015年NHK大河ドラマ

             「花燃ゆ(はなもゆ)」の主人公(ヒロイン)

             である。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             幕末期、1番目の夫・久坂玄瑞(くさかげ

             んずい)の夫人である。

               久坂玄瑞は、禁門の変(きんもんのへ

             ん)で戦死する。

             ● 杉 文 (杉 美和、楫取 美和子)は、

             明治期、2番目の夫・楫取素彦(かとりも

             とひこ)の夫人である。

                楫取 素彦 (かとり もとひこ、旧名・小

             田村伊之助 (おだむら いのすけ)) は、亡

             き姉の夫であり、 群馬県令(ぐんまけんれ

             い、任期1876−84年、現・群馬県知事)

             であり、 1884年から、元老院議官、裁判

                           官、貴族院議員、宮中顧問官、内親王養育

             主任などを歴任する。 1887年には、華族

             (かぞく)の男爵(だんしゃく)となる。

 

 すぎ  杉 百合之助 

             (すぎ ゆりのすけ)。 《人名》。

             (= 杉 常道(すぎ つねみち))。

          (1804年−1865年)。

                      ○ 杉家の当主で、 吉田松陰

                     (杉寅之助(幼名) や  楫取 美

             和子(杉 文) の父。

          (⇒ 楫取 美和子吉田 松陰)。

            (⇒ 楫取 久子杉 梅太郎)。

          (⇒ 久坂 玄瑞楫取 素彦)。

             ■ 杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ、杉 常

             道(すぎ つねみち)、1804年−1865年)

             は、 杉家の当主で、 吉田松陰(杉 寅之

             助(幼名)) や  楫取 美和子(杉 文)

             実父である。

             ● 杉 百合之助(常道)は、 次男の寅之助

             (吉田松陰)を、杉 百合之助(常道)の弟の、

             吉田大助の吉田家に養子に出す (1834

             年に吉田大助の仮養子とし、1835年の吉

             田大助の死去により吉田家の家督の家禄・

             57石を相続させた)。

                      ● 杉 百合之助(常道)は、 幕末の思想家・

             吉田松陰 (よしだしょういん、杉 寅之助(す

             ぎ とらのすけ、幼名)、吉田寅次郎 (よしだ

             とらじろう、 吉田家に養子後))  の父である。  

                      ● 杉 百合之助(常道)は、 楫取 美和子

             (かとり みわこ、文(ふみ)、杉 文(すぎふ

             み)、美和(みわ)) の 父である。

                       ● 杉 百合之助(常道)は、 石高26石の

             極貧の武士(長州藩士)であり、農業に従

             事し、7人の子(三男四女)の父 であった。

             ● 杉 百合之助(常道)の家族は、 夫人・

             瀧(たき、滝、1807−90年)、 長男・梅太

             郎(うめたろう、民治、1828−1910年)、 

             次男・寅之助(とらのすけ、吉田松陰、183

             0−59年)、 長女・芳子(よしこ、千代、18

             32−1924年)、 次女・寿(ひさ、1839

             −81年)、 三女・艶(つや、早世、1841−

                         43年)、四女・文(ふみ、楫取美和子(かと

             りみわこ)、1843−1921年)、 三男・敏

             三郎(としさぶろう、1845−76年)である。

 

 すけ  助さん。

             (すけさん) 。 《人名》。

          (=佐々木三郎、佐々三郎)。

                    (⇒ 佐々介三郎)。

          ○ 助さん(すけさん)は、 フィク

          のションの物語「水戸黄門」 お

          供役の助さん(=佐々木助三

          郎)である。

 

 すけ  佐殿。

             (すけどの) 。 《人名》。

          (= 源頼朝)。

             ■ 佐殿(すけどの)とは、 源頼朝

             (になもとのよりとも)のことである。

             ■ 佐殿とは、 かっての官職・右兵

             衛権(うひょうえのごんのすけ)

             にちなんで、源頼朝はそう呼ばれる。

             ■ 数え年13歳の源頼朝は、11

             59年(平治元年)12月に、右兵 衛

             佐 に任じられる。 それ以後、

             1190年(建久元年)11月に権大

             納言・右近衛大将に任じられるまで

             の間、源頼朝は、佐殿と呼ばれる。

 

#susa

 

○ ずざ  朱雀大路

             (すざくおおじ、しゅじゃくおおじ)。

          《京(= 都城)》。

          □ 平城京 画像アルバム 

             No.1

          □ 平安京 画像アルバム

             No.1

          (⇒ 平安京平城京 

          ○ 朱雀大路の一部復元。

          奈良市の平城宮跡地に、

          (復元)朱雀門から延びる

          朱雀大路の出発地部分の

          道路が復元されている。

          ○ 平安京(京都)の朱雀

          大路は、 

          現・京都・千本通り南部の

          相当道路である。

                         ■ 朱雀大路 すざくおおじ、しゅ

             じゃくおおじ)は、 日本の、都城(=

             京)のメインストリートである。

             ■ 平安時代の京(きょう、京都)の

             平安京(へいあんきょう)の朱雀大

             路(すざくおおじ)は、 平安宮 (へ

             いあんきゅう、= 大内裏(だいだいり)、

             平安京の宮城)の正門の朱雀門(す

             ざくもん)から平安京の正門の羅城

             門(らじょうもん)まで続く、幅・約84

             m、長さ・約3.7kmの大規模な道路

             であった。  

             ■ 平安時代の平安京の(京(きょう、

             京都)の)朱雀大路は、 現在の京都

             の千本通り南部に相当する道路であ

             る。

                         ■ 朱雀大路 すざくおおじ)は、 

             日本の、都城(= 京)内の大路(おお

             じ)であり、 都城(= 京)の条坊制(じ 

             ょうぼうせい)の都市 (藤原京、平城

             京、長岡京、平安京等) 内の宮城

             (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)の正面

             から南方に向う道であり、 都城(=

             京)を南北に走る。

             ■ 朱雀大路は、 宮城(きゅうじょう、

             = 天皇の宮殿)の正門・朱雀門(すざ

             くもん)に始まり、 都城(= 京)の正

             羅門・城門(らじょうもん)に終わる。

             ■ 朱雀大路の名称は、 南方の守

             護神の朱雀すざく)に由来する。

 

○ ずし  豆州

             (ずしゅう)。 《旧地域名》。

                           = 伊豆国(いずのくに)の別称)。

          (≒ 概ね、現・静岡県東部の伊

          豆半島 と 東京都伊豆諸島の

          相当地域)。

             ZUSHU AREA.

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の旧国(令制

           国)の別称)。

                   (⇒ 伊豆国)。    

                    (⇒ 静岡県、東京都)。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

                          ■ 豆州 ずしゅう、= 伊豆 国(いずのく

             に)の別称) は、 東海道(とう かいどう)・

                           旧広域地方に属し、 概ね、現・中部地方

             の、現・静岡県東部の伊豆 半島 と、

             現・ 関東地方の、現・東京都伊豆諸島 

                           に相当する地域である。

              ■ 豆州 ずしゅう)は、 律令制定後・古

             代・中世・近世日本・旧地域名の、旧国 

             (令制国)正式名の、伊豆国(いずのくに)  

             の別称である。

 

○ すっ  すっぱ。 

          (= 忍者、忍びの者、らっぱ、

           草(くさ)、軒猿(のきざる)) 。 

             《忍者》。

          (⇒ 忍者

              ■ すっぱ とは、 忍者であり、他に、

             忍者の別称には、忍びの者、らっぱ、

              草(くさ)、軒猿(のきざる) などがある。

             ■ 忍者は、 情報の収集を主な任務

             とし、時には、雇い主の指示で、敵地

             での撹乱(かくらん)や暗殺なども行っ

             た。

 

 すと  崇徳上皇

             (すとくじょうこう )。 《天皇家》。

             (= 崇徳天皇(帝)顕仁(あき

             ひと)親王)。 

                    (⇒ 保元の乱)。

          ○ 崇徳上皇は、鳥羽上皇

          (天皇)の皇子である。

          ○ 崇徳上皇は、藤原頼長

           と協力して、保元の乱(ほう

           げんのらん)を起こし、敗北す

          る。

 

#suna

 

 すの  墨俣一夜城

             (すのまたいちやじょう)。 《 城》。

           ○ 墨俣一夜城(すのまたい

             やちじょう)は、江戸時代の

          (創作架空)の出来事で

          ある。

               (⇒ 豊臣秀吉)。

              ■ 墨俣一夜城は、 豊臣秀吉の

             出世話に出てくるエピソードであり、 

             同時代一次史料にはなく、「絵本

             太平記」「武功夜話」などを典拠

             とする、江戸時代の創作である。

              ■ 墨俣一夜城 (すのまたいちや

             じょう)は、 美濃国(みののくに、

             現・岐阜県南部の相当地域)を支

             配する斎藤龍興(さいとうたつおき) 

             の軍 と、 尾張国(おわりのくに、

             愛知県西部の相当地域)を支配す

             る織田軍との戦いの中で、 織田

             軍の木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)

             が、墨俣一夜城建設に功績をあげ

             た有名な話である。

 

#suma

 

 すみ  敬子

             (すみこ )。

          (= 近衛敬子、篤姫、天璋 院・

          篤姫)。

                (⇒ 篤姫 あつひめ)。

 

#sura

 

〇 ずり   受領。

             (ずりょう)。 

          《朝廷の身分、地位》。

          ○ 公領とは、

           平安時代中期以後の国司

          である。

          (⇒ 公領国衙領)。

          (⇒ 国司受領)。

          (⇒ 国衙国府)。

          (⇒ 朝廷)。

             ■ 受領(ずりょう)とは、平安時代

             中期以後の国司(こくし)の別名で

             あり、 国司の仕事が徴税吏的性

             格を強めた事に起因し、受領とも呼

             ばれる。

                平安時代中期以後は、朝廷方

             針変更で、公領(国衙領)では、国

             司(受領)は、徴税方法を人身賦課

             (人身を対象とする賦課)ではなく、

             荘園と同じように、土地賦課(土地

             を対象とする賦課)に切り替え、国

             司(受領)は、朝廷に一定の租税を

             納めるだけとなる。

                平安時代中期以後、主に中下

             級貴族が遥任(ようにん)、成功(じ

             ょうごう)などにより国司(受領)に

             なり巨富を蓄える者が現れ、政治

             的に進出し、院政政権の支持層に

             もなる。

                紫式部をはじめ平安女流作家

             の多くが、受領の娘である。

             ■ 国司(こくし)とは、 律令制成立

             後、朝廷が各地方(令制国の諸国)

             に派遣した地方長官であり、 平安

             時代中期以後は受領(ずりょう)とも

             呼ばれ、 各地方に守護が置かれた

             後、鎌倉時代以後、政治の実権を

             失っていく。

 

〇 する   駿河大納言。

             (するがだいなごん)。 《人名》。

              (= 徳川忠長ただなが、国松(くにま

          、 幼名)) 。

                     ○ 徳川家光の弟。 

           ○ 徳川秀忠三男。

           ○ 徳川秀忠・正室夫人のお江(

          ごう、お江与(おえよ))が寵愛、偏愛

          した男子。

               (⇒ 徳川忠長)。

 

 する  駿河 国。

             (するが のくに)。 《旧地域名》。

                           (= 駿州(すんしゅう))。

          ( 概ね現・静岡県中部の相

          当地域)。

          SURUGA PROVINCE.

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の旧国(令制

           国)の正式名)。

                    (⇒ 駿州(すんしゅう))。

                    (⇒ 静岡県)。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

          ■ 駿河 国。

             <東海道・旧広域地方。

             <五畿七道 (ごきしちどう、日本本土)。

          (⇒ 東海道・旧広域地方)。

                   (⇒ 五畿七道)。

                         ■ (RWM) 日本の、中地域名の変遷。

             ● 国造・県主分国⇒ 旧国(令制国)

              ⇒ 旧都道府県⇒ 現47都道府県。

             ■ 駿河 国(するが のくに、= 駿州(すん

             しゅう))は、 概ね、現・中部地方の、現・

              静岡県中部 に相当する地域であり、 

             前近代日本の、旧国(令制国)である。

           (⇒ 中部地方)。

                   (⇒ 都道府県)。

             ■ 駿河 国(= 駿州)は、 五畿七道の

             東海道(とうかいどう)・旧広域地方に属す

                           る。

             ■ 駿州 (すんしゅう)は、  律令制定後・

             古代・中世・近世日本・旧地域名の、旧国

             (令制国)正式名の、駿河 国 (するが

             のくに)の 別称である。

             ■ 駿河 国(= 駿州)は、 約68旧 国(令

             制国)の1つであり、 東海道(とうか いど

             う)・旧広域地方の1国である。

             ■ 駿河 国 (するが のくに)は、律令制

             定後・古代・中世・近世日本・旧地域名の、

             旧国(令制国)の正式名である

             ■ 旧国(令制国)(きゅうこく(りょうせい

             こく))は、 前近代日本の、飛鳥白鳳時代

             末期から江戸時代まで、 紀元(後)701

             年頃から1868年頃まで、 日本で使用さ

             れた地方行政区分の地域名である。

 

 すわ  諏訪勝頼。 

             (すわ かつより) 。

          (= 武田 勝頼)。

          (1546年ー1582年)。

       (⇒ 武田勝頼)。

 

 すん  駿州

             (すんしゅう)。《旧地域名》。

          (= 駿河国( するが ののくに)の別称)。

          (≒ 概ね、現・静岡県中部の相当

          地域)。

          (律令制定後・古代・中世・近世

           日本・旧地域名の

           旧国(令制国)の別称)。

                    (⇒ 駿河 )。    

                    (⇒ 静岡県)。

                     (⇒ 旧国(= 令制国))。

                     (⇒ 前近代日本の地域名)。

                     (⇒ 旧地域名地域名)。

                     (⇒ 日本の地名)。

                            駿州 (すんしゅう、= 駿河国(するが

             ののくに)の別称)  は、 東海道(とうか

             いどう)・旧広域地方に属し、 概ね、現・

             中部地方の、現在の静岡県中部に相当す

             る地域 である。

             ■ 駿州 (すんしゅう)は、  律令制定

             後・古代・中世・近世日本・旧地域名の、

             旧国名(令制国)正式名の、駿河 国 (す 

             るが のくに) の別称である。

 

 

 

   ● 五十音順 (あいうえお順)。

 

 

   ■  『 現在は、過去の成果であり、

       未来は、現在の成果である。 

         (良き現在は、過去の人々の良き努力

          や活動の積み重ねの成果であり、 

          明るい良き未来は、現在の人々の、

          良き努力や活動の積み重ねによって

          形成される。)

 

 

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□ (KOH) カナヤマ オフィシャル   >

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

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#su

 

◆ 派生見出し語サイト。

■ 「お」 基本・見出し語WEBサイト No. ja−o  

  の、派生見出し語サイト。

 

■ No. ja−o−0326。

● 見出し語項目 す   ( う 03 / げ 26

  付近   第1部・う・カ行グループ )。

〇 すう  崇源院 (すうげんいん) (浅井3

           姉妹の一人、徳川秀忠の正室

         (夫人))(別名、 江(ごう)お江

            (おごう)、小督(おごう)、お江与(お

            えよ)) 。

 

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#sugiyurinosuke

 

 杉 百合之助 

    (すぎ ゆりのすけ)。

 

■ 杉 百合之助。

■ 名称 : 杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ)。

■ 別名 : 杉 常道 (すぎ つねみち)。

■ 生没年 : 1804−1865年。

 

 

■ 杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ、生没年:18

  04−1865年) は、 杉家の当主 であり、

  吉田 松陰 ( よしだ しょういん、杉 寅之助(す

  ぎとらのすけ、幼名))  や 楫取 美和子 (か

  とり みわこ、杉 文(すぎふみ))の父 である。

     杉 百合之助の別名は、 杉 常道 (すぎ

  つねみち) である。

                   

■ 杉 百合之助(常道)は、 幕末の思想家・吉田  

  松陰 (よしだしょういん、杉 寅之助(すぎ とら

  のすけ、幼名)吉田 寅次郎 (よしだ とらじろ

  う、吉田家に養子後)) や、 楫取 美和子(か

  とり みわこ、文(ふみ)、 文(すぎふみ)、美

  和(みわ)) の 父である。

 

■ 杉 百合之助(常道)は、 石高26石の極貧の

  武士(長州藩士)であり、 農業に従事し、 7人

  の子(三男四女)の父 であった。

 

■ 杉 百合之助(常道)の家族は、 夫人・瀧(たき、

  滝、1807−90年)、 長男・梅太郎(うめたろう、

  民治(みんじ)、1828−1910年)、 次男・寅

  之助(とらのすけ、吉田松陰、1830−59年)、 

  長女・芳子(よしこ、千代、1832−1924年)、 

  次女・寿(ひさ、1839−81年)、 三女・艶(つ

  や、早世、 1841−43年)、  四女・文(ふみ、

  楫取美和子(かとりみわこ)、1843−1921年)、 

  三男・敏三郎(としさぶろう、1845−76年) で

  ある。

 

■ 杉 百合之助(常道)は、 次男の寅之助(吉田

  松陰)を、 杉 百合之助(常道)の弟の、吉田大

  助の吉田家に養子に出す (1834年に吉田大

  助の仮養子とし、1835年の吉田大助の死去に

  より吉田家の家督の家禄・57石を相続させた)。

 

 

◆ 杉 百合之助(常道)の一族。

 

■ 杉 百合之助(常道)の杉家の家族。

■ 杉家の家族。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の家

  族は、 

  夫人・児玉 瀧 (こだま たき、滝、1807−90

      年)、 

  長男・梅太郎 (うめたろう、民治(みんじ)、

      梅太郎(修道 )、1828−1910年、杉家

       を継ぐ)、 

  次男・寅之助 (とらのすけ、吉田松陰、1830

      −59年、吉田家・第8代当主)、 

  三男・敏三郎 (としさぶろう、1845−76年)、 

  長女・芳子 (よしこ、千代、1832−1924年)、 

  次女・寿 (ひさ楫取 久子(かとり ひさこ、杉

      寿(すぎ ひさ)、1839−81年)、 

  三女・艶 (つや、早世、1841−43年)、 

  四女 (ふみ、楫取美和子(かとりみわこ、杉

      文(すぎ ふみ)、1843−1921年、久坂

      玄瑞夫人、楫取 素彦(かとりもとひこ)夫

      人、二人の夫との間に子はなかった)、

  長男・梅太郎の夫人・豊子 (とよこ)、

  長男・梅太郎の娘・滝子 (たきこ、 梅太郎

      (民治、修道)と夫人・豊子との間の娘)、

  長男・梅太郎の孫・杉 道助 (すぎ みちすけ、

      1884−1964年、杉 梅太郎(民治、修

      道)の娘・滝子の子、杉家を継ぐ)、

  である。 

 

■ 杉 百合之助(常道)の親戚(親類)。

■ 杉家の親戚(親類)。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の親

  戚には、 次のような人々がいた。

 杉家(すぎけ)の当主は、 杉 百合之助(常道) 

  (すぎ ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年)

  である。

 

● 玉木 文之進 (たまき ぶんのしん)は、 杉

  百合之助(常道)の弟であり、 玉木家・第7代

  当主である。

 

● 吉田 大助 (よしだ たいすけ)は、 杉 百合

  之助(常道)の弟であり、 吉田松陰の養子先

  の吉田家の第7代当主である。

● 吉田松陰 (杉 寅之助(幼名)、吉田家養子

  後・吉田寅次郎、1830−59年) は、 杉 百

  合之助(常道)次男 ・寅之助(とらのすけ)で

  あり、 吉田家に養子に入り、吉田家の第8代

  当主である。

 

●  梅太郎 (すぎ うめたろう、杉 民治(みん

  じ)、杉 修道、1828−1910年) は、 

  百合之助(常道)の長男 であり、 杉家を継ぐ。 

● 吉田 小太郎は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第9代当主である。

● 吉田 道子は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第10代当主である。

 

● 杉 文 (すぎ ふみ、(ふみ)、楫取美和子

  (かとりみわこ)、1843−1921年) は、 

  百合之助(常道)四女 であり、 久坂玄瑞

  人、楫取 素彦(かとりもとひこ)夫人であり、 

  二人の夫との間に子はなかった。

  久坂玄瑞 (くさか げんずい )は、 杉 文(す

  ぎ ふみ、楫取 美和子(かとりみわこ)の第1番

  目の夫である。

● 久坂秀次郎 (くさか ひでじろう)は、 久坂玄

  と京都妻との間の男子であり、 久坂家を継

    ぐ。

 

● 杉 寿 (すぎ ひさ、寿(ひさ)、楫取 久子(かと

  り ひさこ、1839−81年 は、 杉 百合之助

  (常道)次女 である。

● 楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村伊之助

  (1829−1912年) は、 楫取 久子(かとり

  ひ さこ、杉 寿(すぎ ひさ))の夫であり、 楫取

  美和子(かとりみわこ、杉 文(すぎ ふみ)の第

  2番目の夫である。

● 小田村希家は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)

  の長男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であ

  り、 小田村家を継ぐ 。

● 楫取 道明は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)の

  次男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であり、 

  楫取家を継ぐ。

● 楫取 三郎は、 楫取 道明の子であり、 楫取

  家を継ぐ。

 

● 杉 芳子 (すぎ よしこ、千代、1832−1924

  年) は、  百合之助(常道)の長女である。

● 児玉 祐之は、 杉 芳子(千代)の夫 である。

● 吉田 庫三は、 児玉 祐之の子 (杉 芳子(千

     代)と の間の子) であり、 吉田家・第11代当

   主である。

 

 

♪♪ 杉 百合之助(常道)が登場する

  興味深 い、ドキュメタンリー、ドラマ、

   映画。

 

★ 杉 百合之助(常道) が登場する

  興味深 い、ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 

   歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

   実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ

   ています。 また、 現代風にアレンジしてあ

   ります。

 

■ 『 花燃ゆ (はなもゆ) 』 。 

   (NHKテレビ・2015年大河ドラマ)。

■ 日本の明治維新、幕末、明治時代の時代

  状況やその時代に活躍した人々を描く。

■ 吉田松陰(よしだしょういん)の実妹・文

  (ふみ)の生涯を描く。

 

● 杉 百合之助を演じる俳優 : 

  長塚 京三 (ながつか きょうぞう)。

     杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ)は、

  文(ふみ)、吉田松陰(よしだしょういん)、寿

  (ひさ)の実父である。 

 

● 文を演じる女優 : 

     井上 真央 (いのうえ まお)。

         文 (ふみ、杉 文(すぎ ふみ)、杉 美和

  (すぎ みわ)、楫取 美和子(かとりみわこ)) 

  は、 吉田松陰の妹である。

● 吉田 松陰を演じる俳優 :   

   伊勢谷 友介 (いせや ゆうすけ)。

       吉田 松陰 (よしだ しょういん、杉 寅之

  助(すぎ とらのすけ)、吉田 寅次郎(よし

  だとらじろう)) は、文(ふみ)の実兄である。 

● 久坂玄瑞を演じる俳優 :  

  東出 昌大 (ひがしで まさひろ)

     久坂玄瑞 (くさかげんずい)は、文(ふ

  み)の1番目の夫である。 

● 楫取 素彦を演じる俳優 : 

  大沢 たかお (おおさわ たかお)。

     楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村

  伊之助(おだむら いのすけ)) は、 文(ふ

  み)の2番目の夫である。 

● 寿を演 じる女優 : 

  優香 (ゆうか)。

     寿  (ひさ、杉 寿(すぎ ひさ)、楫取 久

  子(かとり ひさこ))は、文(ふみ)の実姉で

  ある。 

● 杉 梅太郎を演じる俳優 : 

  原田 泰造 (はらだ たいぞう)。

     杉 梅太郎  (すぎうめたろう、杉 民治

  (みんじ)、杉 修道)は、文(ふみ)の実兄で

  ある。 

● 滝を演じる女優 : 

  檀 ふみ (だん ふみ)。

     滝 (たき、児玉 滝(こだま たき)、杉

  滝(すぎ たき))は、 杉 百合之助(すぎ ゆ

  りのすけ)夫人で、文(ふみ)、吉田 松陰

  (よしだしょういん)、寿(ひさ )の実母である。 

 

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#sugiumetaro

 

 杉 梅太郎 

    (すぎ うめたろう)。

 

■ 杉 梅太郎。

■ 名称 : 杉 梅太郎 (すぎ うめたろう)。

■ 別名 : 杉 民治 (すぎ みんじ)、

   杉 修道。

■ 生没年 : 1828−1910年。

 

 

■ 杉 梅太郎 (すぎ うめたろう、生没年:1828

  −1910年) は、 杉家の当主の、杉 百合之

  助(常道)の、長男、跡取り である。

    杉 梅太郎の、別名は、杉 民治 (すぎ みん

  じ)、 杉 修道 である。

 

■ 杉 梅太郎(民治、修道)は、 吉田松陰 (杉

  寅之助(幼名)、吉田寅次郎)  や 楫取 美

  子 (杉 文)の兄 である。

 

■ 杉 梅太郎(民治、修道)は、 幕末の思想家・

  吉田松陰 (よしだしょういん、杉 寅之助(すぎ

  とらのすけ、幼名)、吉田寅次郎(よしだ とら

  じろう、吉田家に養子後)) の 兄である。

 

■ 杉 梅太郎(民治、修道)は、 楫取 美和子

  (かとり みわこ、文(ふみ)、杉 文(すぎふみ)、

  美和(みわ)) の 兄である。

 

 

◆ 杉 梅太郎(民治、修道)の一族。

 

■ 杉 梅太郎(民治、修道)の家族。

■ 杉家の家族。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の家

  族は、 

  夫人・児玉 瀧 (こだま たき、滝、1807−90

      年)、 

  長男・梅太郎 (うめたろう、民治(みんじ)、

      梅太郎(修道)、1828−1910年、杉家

       を継ぐ)、 

  次男・寅之助 (とらのすけ、吉田松陰、1830

      −59年、吉田家・第8代当主)、 

  三男・敏三郎 (としさぶろう、1845−76年)、 

  長女・芳子 (よしこ、千代、1832−1924年)、 

  次女・寿 (ひさ楫取 久子(かとり ひさこ、杉

      寿(すぎ ひさ)、1839−81年)、 

  三女・艶 (つや、早世、1841−43年)、 

  四女 (ふみ、楫取美和子(かとりみわこ、杉

      文(すぎ ふみ)、1843−1921年、久坂

      玄瑞夫人、楫取 素彦(かとりもとひこ)夫

      人、二人の夫との間に子はなかった)、

  長男・梅太郎の夫人・豊子 (とよこ)、

  長男・梅太郎の娘・滝子 (たきこ、 梅太郎

      (民治、修道)と夫人・豊子との間の娘)、

  長男・梅太郎の孫・杉 道助 (すぎ みちすけ、

      1884−1964年、杉 梅太郎(民治、修

      道)の娘・滝子の子、杉家を継ぐ)、

  である。 

 

■ 杉 梅太郎(民治、修道)の親戚(親

     類)。

■ 杉家の親戚(親類)。

    杉家の当主の、杉 百合之助(常道) (すぎ

  ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年) の親

  戚には、 次のような人々がいた。

 杉家(すぎけ)の当主は、 杉 百合之助(常道) 

  (すぎ ゆりのすけ(つねみち)、1804−65年)

  である。

●  梅太郎 (すぎ うめたろう、杉 民治(みん

  じ)、杉 修道、1828−1910年) は、 

  百合之助(常道)の長男 であり、 杉家を継ぐ。 

 

● 玉木 文之進 (たまき ぶんのしん)は、 杉

  百合之助(常道)の弟であり、 玉木家・第7代

  当主である。

 

● 吉田 大助 (よしだ たいすけ)は、 杉 百合

  之助(常道)の弟であり、 吉田松陰の養子先

  の吉田家の第7代当主である。

● 吉田松陰 (杉 寅之助(幼名)、吉田家養子

  後・吉田寅次郎、1830−59年) は、 杉 百

  合之助(常道)次男 ・寅之助(とらのすけ)で

  あり、 吉田家に養子に入り、吉田家の第8代

  当主である。

 

● 吉田 小太郎は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第9代当主である。

● 吉田 道子は、 杉 梅太郎(民治、杉 修道)

  の子(夫人・豊子との間の子) であり、 吉田家

  の第10代当主である。

 

● 杉 文 (すぎ ふみ、(ふみ)、楫取美和子

  (かとりみわこ)、1843−1921年) は、 

  百合之助(常道)四女 であり、 久坂玄瑞

  人、楫取 素彦(かとりもとひこ)夫人であり、 

  二人の夫との間に子はなかった。

  久坂玄瑞 (くさか げんずい )は、 杉 文(す

  ぎ ふみ、楫取 美和子(かとりみわこ)の第1番

  目の夫である。

● 久坂秀次郎 (くさか ひでじろう)は、 久坂玄

  と京都妻との間の男子であり、 久坂家を継

    ぐ。

 

● 杉 寿 (すぎ ひさ、寿(ひさ)、楫取 久子(かと

  り ひさこ、1839−81年 は、 杉 百合之助

  (常道)次女 である。

● 楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村伊之助

  (1829−1912年) は、 楫取 久子(かとり

  ひ さこ、杉 寿(すぎ ひさ))の夫であり、 楫取

  美和子(かとりみわこ、杉 文(すぎ ふみ)の第

  2番目の夫である。

● 小田村希家は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)

  の長男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であ

  り、 小田村家を継ぐ 。

● 楫取 道明は、 楫取 素彦(かとりもとひこ)の

  次男 (杉 寿(すぎ ひさ)との間の子) であり、 

  楫取家を継ぐ。

● 楫取 三郎は、 楫取 道明の子であり、 楫取

  家を継ぐ。

 

● 杉 芳子 (すぎ よしこ、千代、1832−1924

  年) は、  百合之助(常道)の長女である。

● 児玉 祐之は、 杉 芳子(千代)の夫 である。

● 吉田 庫三は、 児玉 祐之の子 (杉 芳子(千

     代)と の間の子) であり、 吉田家・第11代当

   主である。

 

 

♪♪ 杉 梅太郎(民治、修道)が登場す

  る興味深 い、ドキュメタンリー、ドラ

  マ、映画。

 

★ 杉 梅太郎(民治、修道)が登場する

  興味深 い、ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 

   歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事

   実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ

   ています。 また、 現代風にアレンジしてあ

   ります。

 

■ 『 花燃ゆ (はなもゆ) 』 。 

   (NHKテレビ・2015年大河ドラマ)。

■ 日本の明治維新、幕末、明治時代の時代

  状況やその時代に活躍した人々を描く。

■ 吉田松陰(よしだしょういん)の実妹・文

  (ふみ)の生涯を描く。

 

● 杉 梅太郎を演じる俳優 : 

  原田 泰造 (はらだ たいぞう)。

     杉 梅太郎  (すぎうめたろう、杉 民治

  (みんじ)、杉 修道)は、文(ふみ)の実兄で

  ある。 

 

● 文を演じる女優 : 

     井上 真央 (いのうえ まお)。

         文 (ふみ、杉 文(すぎ ふみ)、杉 美和

  (すぎ みわ)、楫取 美和子(かとりみわこ)) 

  は、 吉田松陰の妹である。

● 吉田 松陰を演じる俳優 :   

   伊勢谷 友介 (いせや ゆうすけ)。

       吉田 松陰 (よしだ しょういん、杉 寅之

  助(すぎ とらのすけ)、吉田 寅次郎(よし

  だとらじろう)) は、文(ふみ)の実兄である。 

● 久坂玄瑞を演じる俳優 :  

  東出 昌大 (ひがしで まさひろ)

     久坂玄瑞 (くさかげんずい)は、文(ふ

  み)の1番目の夫である。 

● 楫取 素彦を演じる俳優 : 

  大沢 たかお (おおさわ たかお)。

     楫取 素彦 (かとり もとひこ、小田村

  伊之助(おだむら いのすけ)) は、 文(ふ

  み)の2番目の夫である。 

● 寿を演 じる女優 : 

  優香 (ゆうか)。

     寿  (ひさ、杉 寿(すぎ ひさ)、楫取 久

  子(かとり ひさこ))は、文(ふみ)の実姉で

  ある。 

● 杉 百合之助を演じる俳優 : 

  長塚 京三 (ながつか きょうぞう)。

     杉 百合之助 (すぎ ゆりのすけ)は、

  文(ふみ)、吉田松陰(よしだしょういん)、寿

  (ひさ)の実父である。 

● 滝を演じる女優 : 

  檀 ふみ (だん ふみ)。

     滝 (たき、児玉 滝(こだま たき)、杉

  滝(すぎ たき))は、 杉 百合之助(すぎ ゆ

  りのすけ)夫人で、文(ふみ)、吉田 松陰

  (よしだしょういん)、寿(ひさ )の実母である。 

 

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#theretiredemperorsutoku

 

  崇徳上皇 

    (す とくじょうこう)。

 

■ 崇徳上皇。

■ 生没年 : 1119〜1164年。

■ 名称 : 崇徳上皇 (すとくじょうこう)。

● 別名 : 崇徳(すとくいん) 、 讃岐院(さぬ

  きいん)、新院。

● 英名: the retired Emperor Sutoku。

■ 崇徳天皇、 顕仁(あきひと)親王

■ 平安時代末期の天皇上皇

■ 藤原頼長(ふじわらのよりなが)と協力して、

 保元の乱(ほうげんのらん)を 起こし、敗北する。

■ 崇徳天皇 (在位:1123年〜1141年)。

■ 崇徳上皇 (1141年〜1164年)。

■ 鳥羽上皇(とばじょうこう)の皇子(みこ)。

 

 

■ 保元の乱。

   崇徳上皇は、 藤原頼長(ふじわらのよりなが)と

 協力して、保元の乱(ほうげんのらん)を 起こし、敗

 北する。

 

■ 崇徳上皇の皇子(みこ)には、重仁親王(しげひ と

  しんのう) がいた。

 

■ 崇徳(すとく)上皇は、崇徳院政を望み、後白河天

 皇を退(しりぞ)けて、自分の皇子・重仁(しげひと)

 親王を皇位に就け、その父・上皇として、朝廷の実権

 を握ることを望む。

 

■ 崇徳上皇は、 藤原頼長と協力して、後白河天皇

 (ごしらかわてんのう)や関白・藤原 忠通(ふじわら

 のただみち)と敵対して、 保元の乱を起こし、敗北

 する。

■ 崇徳上皇は、保元の乱の敗北後、讃岐(さぬき) 

 へ配流(はいる)となる。

● 保元の乱で、1156年7月11日に、崇徳上皇方

 の本拠地・白河北殿(しらかわきたどの)から逃亡

 していた崇徳上皇は、1156年7月13日に、後白

 河天皇方に出頭した。 後白河天皇方は、配流(は

 いる)すること決定し、崇徳上皇は、寵妃の兵衛佐

 局と共に、1156年7月23日に、鳥羽から船で讃

 岐国(さぬきのくに、四国の香川県)へ下った。 後

 白河天皇方は、崇徳上皇の子の、重仁親王は、出

 家することを条件に不問とした。

   崇徳上皇は、8年後の1164年に、享年46歳で、

 讃岐国で、崩御(ほうぎょ、死去)した。

 

■ 崇徳(すとく)上皇は、 弟の後白河天皇(在位、

 1155年〜1158年)と対立し、 1156年7月の

 保元の乱(ほうげんのらん) が勃発する。

 

■ 崇徳(すとく)上皇は、 鳥羽上皇(とばじょうこう)

 により、 弟の近衛天皇に譲位させられたこと、 近

 衛天皇の死後、 後白河天皇が就任したこと (自

 分の皇子・重仁(しげひと)親王が皇位に就けなか

 ったこと) を不満とし、 後に、 藤原頼長(ふじ

 らのよりなが)と共に、 保元の乱(ほうげんのらん)

 を起こしたが、 敗(やぶ)れて、 讃岐国(さぬきの

 くに、四国の香川県) に流された。

 

■ 崇徳(すとく)天皇(上皇)を嫌った、鳥羽上皇。

   院政をひき朝廷の政務の実権を握る、鳥羽上皇

 は、 1141年に、崇徳(すとく)天皇を、無理やり、

 美福門院(藤原得子なりこ・とくこ))の男子の体仁

 (なりひと)親王(近衛(このえ)天皇)に譲位させ、 

 更に、1155年の近衛天皇死去後、 崇徳(すとく)

 上皇の皇子の重仁(しげひと)親王を差し置いて、 

 弟の雅仁(まさひと)親王を、 天皇(後白河(ごし

 らかわ)天皇)に就(つ)かせたので、 非常な不満

 をもった。

   崇徳(すとく)天皇は、 鳥羽上皇死去後、自分

 の皇子の重仁(しげひと)親王を天皇(皇位)に就

 けることを望む。

 

■  崇徳(すとく)天皇(上皇)は、 鳥羽上皇と待賢

 門院(たいけんもんいん、藤原璋子(ふじわらのた

 まこ・しょうし))との間の子であるが、 待賢門院

 (藤原璋子が白河上皇の寵愛をうけた女性であっ

 たため、 鳥羽上皇は、 崇徳(すとく)天皇が自分

 の子ではなく、 祖父の白河上皇と自分の夫人の

 待賢門院(原璋子)との間の子(叔父子(おじこ))

 と見なし、 崇徳(すとく)天皇を嫌ったという説が

 ある。

 

■ 関白・藤原忠通と対立した、崇徳(すとく)天皇。

    崇徳(すとく)天皇の正室夫人(1129年入内、

 1130年〜中宮) は、関白・藤原忠通(ただみち)

 の娘、聖子(皇嘉門院)であっが、夫婦仲は良好

 であったが、長い間、二人の間に子ができなかった。 

 そして、 崇徳(すとく)天皇は、側室夫人の兵衛佐

 局(女房)との間に、1140年に、重仁(しげひと)

 親王を得た。 更に、崇徳(すとく)天皇の寵愛が聖

 子から兵衛佐局に移った。 聖子(皇嘉門院)と聖

 子の父の関白・藤原忠通は、 崇徳(すとく)天皇に

 不快感を抱き、憎むようになった。

 

■ 崇徳(すとく)天皇は、自分の皇子の重仁(しげひ

 と)親王の後見人の一人を、伊勢平氏平忠盛

 いらのただもり)とし、重仁親王の母(うば)を、平

 忠盛の正室夫人藤原宗子(ふじわらのむねこ、池

 尼)と した。

   しかし、1856年7月の保元の乱(ほうげんのら

 ん)が勃発した時、 既に平忠盛は死去し、重仁 (し

 げひと)親王の乳母(うば)の藤原宗子(池禅尼)は、

 崇徳(すとく)上皇方の敗北を予測して、 子の平頼

 たいらのよりもり)に、平清(きよもり)と協力す

 ることを命じたので、 保元の乱では、藤原宗子(池

 禅尼)とその子の平頼盛は、 崇徳(すとく)上皇方

 に味方しなかた。

 

■ 上皇 (じょうこう) とは、 譲位した(退位した)天

 皇(元天皇)である。

■ 崇徳上皇(すとくじょうこう)は、 生没年は、1119

 〜1164年で平安時代末期の天皇上皇 である。

■ 崇徳上皇 は、 鳥羽上皇の皇子で、 崇徳天皇(在

 位:1123年〜1141年) 顕仁(あきひと)親王 で

 ある。 

 

■ 崇徳上皇は、平安時代末期の天皇上皇である。

■ 崇徳上皇(すとくじょうこう)は、 生没年は、

 1119〜1164年であり、 別名は、崇徳院(すとく

 いん)とも言う。 英名は、the retired Emperor 

 Sutoku である。

■ 崇徳上皇 は、鳥羽上皇(とばじょうこう)の皇子

 (みこ) である。

■ 顕仁親王 ((あきひとしんのう) は、1123年に

 即位し、崇徳天皇(天皇即位、1123年〜1141年)

 となり、 1141年に譲位して(退位して)、 崇徳

 皇(1141年〜1164年)となる。

 

 

◆ 平安時代後期・鎌倉時代前期の

   歴代天皇一覧。

■ 日本の平安時代後期・鎌倉時代前期の

  天皇の皇位継承順は、 

  白河(しらかわ)天皇 ⇒

  堀河(ほりかわ)天皇 ⇒ 

  鳥羽(とば)天皇 ⇒ 

  崇徳(すとく)天皇 ⇒ 

  近衛(このえ)天皇 ⇒ 

  後白河(ごしらかわ)天皇 ⇒ 

  二条(にじょう)天皇 ⇒ 

  六条(ろくじょう)天皇 ⇒ 

  高倉(たかくら)天皇 ⇒ 

  安徳(あんとく)天皇 ⇒ 

  後鳥羽(ごとば)天皇 ⇒ 

  土御門(つちみかど)天皇 ⇒ 

  順徳(じゅんとく)天皇 ⇒ 

  仲恭(ちゅうきょう)天皇 ⇒ 

  後堀河(ごほりかわ)天皇 ⇒ 

  四条(しじょう)天皇 ⇒ 

  後嵯峨(ごさが)天皇 

  の順である。

 

◆ 平安時代後期の歴代天皇一覧。

■ 天皇の皇位継承順は、次の通りである。

@ 白河(しらかわ)天皇    (貞仁(さだひと)親王) ⇒

  (天皇在位、1072年〜1086年)

A 堀河(ほりかわ)天皇    (善仁(たるひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1086年〜1107年)

B 鳥羽(とば)天皇       (宗仁(むねひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1107年〜1123年)

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

C 崇徳(すとく)天皇      (顕仁(あきひと)親王)  ⇒

  (天皇在位、1123年〜1141年)

D 近衛(このえ)天皇     (体仁(なりひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1141年〜1155年)

E 後白河(ごしらかわ)天皇 (雅仁(まさひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1155年〜1158年)

F 二条(にじょう)天皇     (守仁(もりひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1158年〜1165年)

G 六条(ろくじょう)天皇    (順仁(のぶひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1165年〜1168年)

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

H 高倉(たかくら)天皇    (憲仁(のりひと)親王)  ⇒ 

  (天皇在位、1168年〜1180年)

I 安徳(あんとく)天皇      (言仁(ときひと)親王) ⇒ 

  (天皇在位、1180年〜1185年)

J 後鳥羽(ごとば)天皇    (尊成(たかひら)親王)

  (天皇在位、1183年〜1198年)。

 

 

♪♪ 崇徳上皇(天皇) が登場する、興

    味深い関連ドキュメンタリー、ドラマ、

    映画。 

★ 崇徳上皇(天皇) が登場する、興味

   深い関連ドキュメンタリー。 

 

■ にっぽん!歴史鑑定 

  『 源平を操った後白河法皇 』。

   (TBSテレビ・ 2017年11月27日・

   本放送・歴史ドキュメンタリー番組)。

■ 崇徳上皇(天皇)を述べる

■ 平安時代後期の政治状況、時代状況や活

   躍した人々を詳細に述べる

■ 後白河上皇(天皇、法王)を詳細に述べる

 

★ 崇徳上皇(天皇) が登場する、 興

   深い、関連ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

   歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実) 

   と 架空の出来事が 混じって描かれています。

   また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 平清盛 (たいらのきよもり) 』 。 

   (NHKテレビ・2012年大河ドラマ)。

■ 崇徳上皇(天皇)描く

■ 平安時代後期を描いたドラマで、平安時

  代後期に活躍した人物、当時の時代状況

  を描く

■ 平清盛の生涯を描く

 

● 大河ドラマの前半部に登場する。

● 崇徳上皇(天皇)演じた 俳優名 : 

  井浦 新。

 

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#sugiharasadatoshi

 

 杉原 定利

    (すぎはら さだとし)。

 

■ 杉原 定利。

■ 生没年 : 生年不詳〜1593年。

■ 名称 : 杉原 定利 (すぎはら さだとし)。

 通称は、助左衛門。 別名: 木下定利。

■ 杉原(木下)家定、「ねね(おね)」、「やや(彌々長生院)」の、実

 父。

■ 戦国時代、安土桃山時代の武将。

■ 夫人は、 朝日 で、 浅野長勝(あさの ながかつ、又右衛門)夫

 人・長曲の実姉妹 である。 

● 「ねね(おね)」の祖父・杉原家利の実娘 が、 長曲  と 朝日

 ある

■ 杉原 定利 (すぎはら さだとし) は、 杉原家利の養子で、 杉

 原家利の実娘の朝日の婿養子 である。

■ 実子 は、 杉原(木下)家定、「ねね(おね)」、「やや(長生院)」。

● 「やや(彌々長生院)」 は、 杉原 定利の娘ではなく、 浅野長

 (又右衛門)の実子 という説 もある。

 

 

■ 杉原家利 には、 養子の男子 と 実子の1男2女 がいた。

 家利の養子の男子が、杉原 定利で、 家利の実子の1男2女は、

 杉原家次 と 長曲  と 朝日 である。

 

■ 杉原 定利 (すぎはら さだとし、生年不詳〜1593年) は、通称

 は、助左衛門、 別名は 木下定利 である。

 

■ 杉原 定利 は、 戦国時代、安土桃山時代の武将 である。

 

■ 杉原 定利の夫人 は、 朝日 で、 浅野長勝(あさの ながかつ、

 又右衛門)夫人・長曲の実姉妹 である。

 

■ 杉原 定利の実子 は、 杉原(木下)家定、 「ねね(おね)」、「や

 や(長生院)」 である。

● 「ねね(おね)」の祖父・杉原家利の実娘 が、長曲と朝日である

■ 杉原 定利 (すぎはら さだとし) は、 織田信長に仕え、 その後、

  豊臣秀吉に仕える。

■ 杉原 定利 (すぎはら さだとし) は、 杉原家利の養子で、 杉

 原家利の実娘の朝日の婿養子 である。

 

■ 杉原(木下)家定、 「ねね(おね)」、「やや(長生院)」 は、 杉原

  定利 (すぎはらさだとし) と 朝日(あさひ) との間の、子である。

■ 杉原 定利 は、 杉原(木下)家定、「ねね(おね)」、「やや(長生

 院)」 の実父 である。

● 「ねね(おね)」、「やや(彌々長生院)」 は、 杉原 定利の娘 で

 あり、 浅野長勝(又 右衛門)の養女 となる。

● 「やや(彌々長生院)」 は、 杉原 定利の娘ではなく、 浅野長勝

 (又右衛門)の実娘 という説 もある。

 

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#sugiharachiune

 

■ 杉原 千畝  

    (すぎはら ちうね)。

 

■ 杉原 千畝。

■ 生没年 : 1900年(明治33年)〜1986年(昭和61年)。

■ 名称 : 杉原 千畝(すぎはら ちうね)。

● 英名 : SUGIHARA ‘‘Sempo’’ Chiune。 

■ 人道主義を貫いた、世界に誇る日本の外交官。

■ 東洋のシンドラー。

 第2次大戦中、ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人約6000人

 の命(いのち)を救う。

 

 

■ 杉原 千畝 (すぎはら ちうね) は、 生没年は 1900年(明治

 33年)〜1986年(昭和61年) で、 英名は、SUGIHARA 

 ‘‘Sempo’’ Chiune と呼ばれる。 

 

■ 杉原 千畝 (すぎはら ちうね) は、 人道主義を貫いた、世界に

 誇る、日本の外交官 である。

 

■ 杉原 千畝 は、 東洋のシンドラーと言われる。

 杉原 千畝 は、 第2次大戦中に、ヨーロッパで迫害されていた

 ユダヤ人約6000人の命(いのち)を救った。

● 杉原 千畝 は、 1939年より、リトアニアの在カウナス日本領事

 館・領事代理 となる。

● 1940年に、ナチス・ドイツ占領下のポーランドから隣国のリトアニ

 ア(ソ連(ロシア)占領下)に逃亡してきた多くのユダヤ人難民が、第

 三国へ脱出するため、 在リトアニア・日本領事館へ通過ビザを求め

 て殺到した。 杉原 千畝は、 日本の政府や外務省に、難民への通

 過ビザの発給の許可を求めたが、許可されなかった。 また、 杉原

 千畝は、 ソ連(ロシア)より在リトアニア・日本領事館の閉鎖を求め

 られ、 ソ連政府や日本本国から、再三の退去命令を受ける。

 杉原 千畝 は、 当時の日本の政府や外務省の意に反して、 無

 制限に通過ビザを発給することを決断し、 1940年7月25日より、 

 領事館を閉鎖し退去せざるを得なかった1940年9月5日のギリギ

 リまで、 ユダヤ人難民に、約2100枚以上 (わかっている発給記

 録だけで)、 通過ビザを発給した(書き続けた)。 さらに、印紙が

 なくなり通過ビザが発給できず、 その代わりに、 出国の領事特別

 許可証も発給した(書き続けた)。

  ユダヤ人難民一家族で、1枚の通過ビザまたは出国の領事特別

 許可証で、第三国へ脱出するには十分であったので、 杉原 千畝 

 は、 ユダヤ人難民・約6000人の国外脱出を助けたと推定される

● ソ連(ロシア)占領下の、リトアニア は、 その後、ソ連(ロシア)

 に代わって、 1941年より1944年まで、ナチス・ドイツに占領さ

 れ、その間、 ホロコーストにより、多数のユダヤ人犠牲者がでた。

 

 杉原 千畝 の墓所は、 神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園  にある。

 

 

♪♪ 杉原 千畝 が登場する、面白く、興味深 い、ド

 ラマ、映画、ドキュメンタリー。

 

★ 杉原 千畝が登場する、面白く、興味深い、ドラマ、

 映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 歴史のドラマ、映

 画 は、史実(歴史上の事実) と 架空の出来事 が 混じって描か

 れています。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命

 のビザ 』 ( 終戦60周年記念ドラマ・日本テレビ・テレビドラマ・

 2005年10月11日放送)。

 

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#sugawaramichizane

 

■ 菅原 道真  

     (すがわらの みちざね)。

 

■ 菅原 道真。

■ 生没年 : 845年〜903年。

■ 名称 : 菅原 道真 (すがわらの みちざね)。

■ 平安前期の学者、政治家。

■ 右大臣を失脚し、大宰府(だざいふ)に左遷(させん)され、そこで

 死す。

■ 神社で、 天神 や 学問の神 として祭られている。

 

■ 菅原 道真 (すがわらの みちざね、 生没年 845〜903年) は、

 平安前期の学者、政治家 で、 右大臣を失脚し、大宰府に左遷され、

 そこで死す。

 

■ 菅原 道真 は、菅原是善の子で、文章(もんじょう)博士で、学者で

 あった。 醍醐天皇が即位すると、右大臣となる。 

  しかし、901年に、 左大臣の藤原時平(ときひら)の讒言(ざんげん)

 により、 菅原 道真は、 藤原氏の陰謀により、失脚し、九州の地への

 流罪となり、その後、死す。 即ち、菅原 道真 は、右大臣を失脚し、 

 京都の中央政界から、 九州の大宰府に、太宰権帥(だざいのごんのそ

 ち(そつ))として左遷され (実質流罪、事実上大宰府のある九州の地

 への流罪となり)、 その後、その地で死した。

● 菅原 道真が就任した、太宰権帥(だざいのごんのそち(そつ)) と

 は、 大宰府(だざいふ)の長官である太宰帥(だざいのそち(そつ))、

 の権官(ごんかん、定員外の官人)にあたり、 高い官位は維持したが、 

 この場合は、権力を有しない、名前だけの官職であった。

 

■ 菅原 道真 は、神社で、天神 や 学問の神 として祭られている。

 

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#sumiko

 

■ 敬子  

     (すみこ) (近衛 敬子)

 

■ 敬子。

■ 敬子 すみこ、近衛家の養女後の名) については、 『 篤姫(あつ

 ひめ) 』 を参照して下さい。

□ 日本史 辞典 の見出し語 「あ」 の ページへ 。                 

● 敬子 (すみこ、近衛敬子) は、 於一 (おかつ、 島津本家養女

 入前の名)於一(おかつ)、 篤姫 (あつひめ、 島津本家養女入後の

 名)、 島津 篤子 (しまづ あつこ、 島津本家養女入後の名)、 近衛  

 敬子 (このえ すみこ、 近衛家養女入後の名)、 天璋院 (てんしょ 

 ういん、 落飾後の名) と 同一人物である。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上