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KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY
HANDBOOK.
カナヤマ 日本歴史辞典
日本語版
見出し語 『 へ 』。
メ ニュー (目次)。
■ 次の項目を選び、クリックして下さい。
□ 日本史 辞典 (総合)。
□ へ ● 五十音順 ( あいうえお順)。
□ 見出し語 へいさ。
□ 見出し語 へた。
□ 見出し語 へら。
〇 へい 平安京と平安宮。
(へいあんきょうとへいあんきゅう)。
《都城・京と宮城》。
(= 宮城の平安宮と、平安宮
の都市・平安京)。
HEIAN-KYO CAPITAL AND
HEIAN-KYU PALACE.
(⇒ 平安京)。
No.1。
□ 日本古都ガイドブック。
都(みやこ))。
じょう)>内裏(だいり))。
(だいだいり))。
内裏(だいり)、
大極殿(だいごくでん)、
朝堂院(ちょうどういん)、
曹司(ぞうし))。
○ 都城・京>
宮城(大内裏)>内裏。
○ 平安京の宮城は、大内裏
(だいだいり)ともいう。
○ 平安京の宮城は、大内裏
とも言われる。
○ 平安京= 平安宮の都市。
○ 平安京= 京都市付近の、天
皇の住居、宮殿があった都市。
○ 平安宮= 平安京の宮城
(きゅうじょう、= 天皇の宮殿)。
○ 平安宮= 京都市付近にあっ
た宮城(= 天皇の宮殿)。
■ 平安宮。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、 平安
京の宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)
である。
● 平安宮は、 平安時代(西暦794年
ー1192年)に、 京都府京都市付近に
あった宮城(きゅうじょう、= 天皇の宮殿)
である。
■ 平安京。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 別名
は、 京の都(きょうのみやこ)、京都と言
い、 西暦794年から1869年までの間、
京都市付近の、天皇の住居、宮殿があっ
た都市である。
■ 平安宮。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、平安
京の宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿、
大内裏(だいだいり))であり、 平安京の
北部中央に位置し、東西・約1.2km、
南北・約1.4kmの広さがあった。
平安宮では、 宮城内の南部中央に
朝堂院(ちょうどういん)があり、 その北東
に内裏(だいり、=天皇の住居、宮居、天皇
御所)があり、それらを囲むように諸司百官
の庁舎が建ち並んでいた。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)とは、 別名
は、大内裏(だいだいり)と言い、 日本の
平安時代(西暦794年〜1192年)に、日
本の京都市上京区(かみぎょうく)付近にあ
った、宮城(= 天皇の宮殿)である。
■ 平安京の、平安宮 (へいあんきゅう、=
大内裏(だいだいり)、= 平安京の天皇の宮
殿)は、 日本の平安時代 (西暦794年〜
1192年)末期に、火災などで、消滅した。
その後、平安宮跡地は、内野(うちの)と呼
ばれるようになった。
■ 平安京の内裏。
● 平安京の、平安宮内にあった、内裏(だ
いり、= 天皇の住居)は、平安時代から鎌倉
時代中期まで断続的に続き、 その後は、
1869年(明治2年)まで、本来の内裏跡地
以外の京都(平安京)の各所で、里内裏(さ
とだいり、= 天皇の仮御所)という形式で存
続した。 天皇の東京移動後は、内裏は、
京都御所となり、現存する。
■ 日本の主要な宮城
(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本の主要宮城。
● 日本の主要な宮城(きゅうじょ
う、= 皇城、皇居)には、
(1) 飛鳥諸宮 (あすかしょきゅ
う、= 飛鳥京の諸宮、飛鳥地域
の諸宮城、
奈良県明日香(あすか)村付近、
6世紀頃ー694年)、
(2) 藤原宮(ふじわらきゅう、
= 藤原京の宮城、
奈良県橿原市(かしはらし)付近、
694年ー710年)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、
= 平城京の宮城、
奈良県奈良市(ならし)付近、
710年ー740年・745年ー
784年)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、
= 長岡京の宮城、
京都府向日市(むこうし)付近、
784年ー794年)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、
= 平安京の宮城)、
京都府京都市付近、
本来の平安宮は平安時代末期
まで、京都府京都市上京区(か
みぎょうく)付近、
794年ー1177年頃)、
などがある。
〇 へい 平安京。
(へいあんきょう)。 《都城・京》。
(= 京都、京の都(きょうのみやこ))。
(794年ー1869年)。
HEIAN-KYO CAPITAL.
No.1。
□ 日本古都ガイドブック。
都(みやこ))。
じょう)>内裏(だいり))。
(だいだいり))。
内裏(だいり)、
大極殿(だいごくでん)、
朝堂院(ちょうどういん)、
曹司(ぞうし))。
○ 都城・京>
宮城(大内裏)>内裏。
○ 平安京の宮城は、大内裏
(だいだいり)ともいう。
○ 平安京= 平安宮の宮城の
都市。
○ 平安京= 京都市付近の、
天皇の住居、宮殿があった
都市。
○ 平安宮= 平安京の宮城
(きゅうじょう、= 天皇の宮殿 )。
○ 平安宮= 京都市付近にあ
った 平安京の宮城(= 天皇の
宮殿)。
■ 平安京。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 平安
宮の都市である。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 別名
は、京都、京の都(きょうのみやこ)と言い、
平安時代から明治時代初期まで、794年
から1869年までの間、 京都府・京都市
付近の、天皇の 住居(= 内裏)、天皇の宮
殿(= 宮城)があった都市である。
■ 平安宮。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、 平安
京の宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)
である。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)とは、別名
は、大内裏(だいだいり)と言い、 日本の
平安時代(794年〜1192年)の、794年
から1177年頃まで、日本の京都市上京
区(かみぎょうく)付近にあった、宮城(= 天
皇の宮殿 )である。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、平安京の
宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿、大内裏
(だいだいり))であり、 平安京の北部中央
に位置し、東西・約1.2km、南北・約1.4
kmの広さがあった。
平安宮では、 宮城内の南部中央に
朝堂院(ちょうどういん)があり、 その北東
に内裏(だいり、=天皇の住居、宮居、天皇
御所)があり、それらを囲むように諸司百官
の庁舎が建ち並んでいた。
■ 平安京の、平安宮 (へいあんきゅう、=
大内裏(だいだいり)、= 平安京の天皇の宮
殿)は、 日本の平安時代 (西暦794年〜
1192年)末期に、火災などで、消滅した。
その後、平安宮跡地は、内野(うちの)と呼
ばれるようになった。
■ 平安京の、平安宮内にあった、内裏(だ
いり、= 天皇の住居)は、平安時代から鎌倉
時代中期まで断続的に続き、 その後は、
明治2年(1869年)まで、本来の内裏跡地
以外の京都(平安京)の各所で、里内裏(さ
とだいり、= 天皇の仮御所)という形式で存
続した。
■ 平安京。
■ 794年に、 桓武(かんむ)天皇は、
長岡京から、平安京(794年ー1869年、
京都府京都市付近、別名:京都、京の都
(きょうのみやこ)) に遷都し、 1869年
(明治2年)に、睦仁天皇(むつ ひとてん
のう、明治天皇) は、 東京 (とうきょう、
1869年ー現在、東京都、皇居は東京都
千代田区) に移動する。
■ 都城や京。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本では、 都城や京とは、
宮城(きゅうじょう、皇城、皇居)
を中心とする都市である。
■ 日本では、 都城や京とは、
天皇の住居(御殿)の内廷 と朝
廷(官庁)施設の外朝を合わせ
た、宮城(皇城、皇居)を中心と
する都市である。
● 日本では、都城(とじょう)
や京(きょう)とは、
天皇の住居 (御殿(ごてん))で
ある内廷(ないてい) と
朝廷(官庁)施設である外朝(が
いちょう)を合わせた
宮城 (きゅうじょう、皇城(こうじ
ょう、おうじょう)、皇居)を中心と
する都市である。
■ 日本の都城や京には、
飛鳥京、
藤原京、
平城京、
長岡京、
平安京
などがある。
■ 宮城(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本では、宮城(きゅうじょう)
とは、 天皇の住居(御殿)の内
廷 と その周囲の朝廷(官庁)
施設の外朝を合わせた皇城(皇
居)である。
● 日本では、 宮城(きゅうじ
ょう)とは、 天皇の住居(御殿
(ごてん))である内廷(ないてい)
と その周囲の朝廷(官庁)施設
である外朝(がいちょう)を合わせ
た皇城(こうじょう、おうじょう)、
皇居)である。
■ 日本の宮城(= 皇城、皇居)
には、
飛鳥京内の飛鳥諸宮、
藤原京内の藤原宮、
平城京内の平城宮、
長岡京内の長岡宮、
平安京内の平安宮(大内裏)、
などがある。
■ 宮城(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 皇城、
皇居)は、古代日本の時代に、
藤原宮、平城宮、長岡宮、平安宮
では、
内裏(だいり)、
大極殿(だいごくでん)、
朝堂院(ちょうどういん)、
曹司(ぞうし)、
などで占められていた。
● 宮城 (きゅうじょう、= 皇城、
皇居)は、古代日本の時代では、
藤原宮、平城宮、長岡宮、平安宮
では、
内裏(だいり、=天皇の住居、天
皇御所)、
大極殿 (だいごくでん、国家儀式
等を行う建物)、
朝堂院 (ちょうどういん、国家政
務等を行う建物)、
曹司(ぞうし、官人が実務をとる
中央官庁、官衛(かんが、諸官庁))
などから構成されていた。
■ 内裏。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 内裏 (だいり)とは、
前近代日本の、天皇の住居、居所、
御殿(ごてん)をいう。
■ 日本の主要な都城・京
(= 皇居都市)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 主要な都城・京(= 皇居都市)
の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒
平城京(奈良の都)⇒ 長岡京⇒
平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
■ 日本の主要な都城・京
(= 皇居都市)の変遷。
● 古代日本中期から近世日本
までの、日本の主要な、宮城
(きゅうじょう、= 皇城、皇居)
があった都市 の京とその変遷は、
(1) 飛鳥京 (あすかきょう、
奈良県明日香(あすか)村付近、
7世紀頃から694年まで)、
(2) 藤原京 (ふじわらきょう、
奈良県橿原(かしはら)市付近、
694年ー710年)、
(3) 平城京 (へいじょうきょう、
奈良県奈良市付近、
710年ー740年、
745年ー784年)、
(4) 長岡京 (ながおかきょう、
京都府向日(むこう)市・長岡京
(ながおかきょう)市・京都市南
部付近、
784年ー794年)、
(5) 平安京 (へいあんきょう、
別名:京の都(きょうのみやこ)、
京都、
京都府京都市付近、
794年ー1869年)、
の順序で、概(おおむ)ね、移動
する。
〇 へい 平安京遷都。
(へいあんきょうせんと)。
(794年)。
(⇒ 平安京)。
○ 平安京遷都は、
桓武(かんむ )天皇が実施
する。
○ 平安京と呼ばれた、
京都は、日本の「千年の
都」となる。
〇 へい 平安国風文化。
(へいあんこくふうぶんか)。
(8世紀末〜12世紀末)。
(⇒ 日本の文化)。
〇 へい 平安時代。
(へいあんじだい )。
(= 794年ー
1192年または1185年)。
《日本歴史の時代区分》。
THE HEIAN PERIOD.
<古代日本。
(⇒ 古代日本) 。
(⇒ 日本歴史の時代区分)。
(⇒ 平安京)。
院政)。
■ 平安時代 (へいあんじだい)と
は、 794年(延暦13年)から 、11
92年(建久3年)または1185年ま
で、の期間である。
■ 平安時代。
● 794年は、 平安京に遷都した
年である。
● 1185年は、 鎌倉幕府が事実
上成立した年である。
● 1192年は、 鎌倉幕府が名目
的に成立した年である。
■ 平安時代。
● 794年は、 桓武(かんむ)天
皇が新京の平安京に遷都した年
である。
● 1185年は、 伊勢平氏が壇
ノ浦で滅亡し、 源頼朝が文治の
勅許(諸国に守護・地頭の設置を
認められること)を得て、鎌倉幕府
が事実上成立した年である。
● 1192年は、 源頼朝が征夷大
将軍になり、鎌倉幕府が名目的に
成立した年である。
■ 平安時代は、 古代日本 (= 古
墳時代、飛鳥・白鳳時代、奈良時代、
平安時代 ; 紀元(後)3世紀頃ー
1192年頃) の一時期である。
〇 へい 平安時代後期の
日本政治。
(へいあんじだいこうきの
にほんせいじ)。
〇 へい 平安時代後期・年表
(詳細)。
(へいあんじだいこうき・ねんぴょう
(しょうさい))。
(⇒ 日本史年表) 。
〇 へい 平家。
(へいけ)。
(⇒ 伊勢平氏)。
〇 「平家」とは、
一般的に、平清盛の一族の
伊勢平氏を意味する。
伊勢平氏は、桓武平氏
の中の武家平氏の一つの
氏族である。
○ 一方、平氏とは、
皇族賜姓(平氏、源氏、在原
氏等)の1つである。
〇 「平氏」には、
桓武平氏、仁明平氏、文徳
平氏、光孝平氏などの臣籍
降下した氏族がある。
〇 へい 平家政権。
(へいけせいけん)。 (武家政権)。
《日本の政権・政府》。
(1167年頃ー1185年頃)。
(⇒ 武家政権)。
(⇒ 日本の政権・政府)。
■ 平家政権 (へいけせいけん)
は、 1167年頃から1185年頃
まで日本を支配した日本の政権・
政府である。
〇 へい 平氏。
(へいし)。
○ 平氏とは、皇族賜姓(平氏、
源氏、在原氏等)の1つである。
(⇒ 桓武平氏)。
(へいし 、たいらうじ)。 《氏族名》。
○ 平氏とは、
皇族賜姓(平氏、源氏、在原
氏等)の1つである。
〇 「平氏」には、
桓武平氏、仁明平氏、文徳
平氏、光孝平氏などの臣籍
降下した氏族がある。
〇 一方、「平家」とは、
一般的に、平清盛の一族の
伊勢平氏を意味する。
伊勢平氏は、桓武平氏の中
の一つの氏族である。
(⇒ 桓武平氏)。
(⇒ 武家平氏)。
(⇒ 伊勢平氏)。
(⇒ 坂東八平氏)。
○ 平氏は、皇族賜姓である。
○ 桓武平氏には、
武家平氏も公家平氏もいる。
〇 へい 平治。
(へいじ)。
○ (1159〜 1160年)。
● 1159年・平治元年・4月20日〜
1160年・平治 2年・1月10日。
● 平安時代後期。
(⇒ 西暦和暦対照表 ・
日本語版)。
(⇒ 和暦年号表 ・日本語版)。
(⇒ 和暦ガイドブック)。
○ へい 平治の乱。
(へいじのらん)。
■ 平治の乱 (へいじのらん)は、
1159年 (平治元年)12月に、京
(都)で行われた、朝廷内の権力
抗争の戦争である。
● 平治の乱は、 1159年(平治
元年)12月6日に始まり同月29日
に終わる。
● 尾張国野間(現・愛知県美浜
町)に逃れた源義朝は、1160年
(平治2年)1月4日 頃に、殺害さ
れる。
○ へい 平城京と平城宮
(へいじょうきょうとへいじょうきゅう)。
《都城・京と宮城》。
(= 宮城の平城宮と、
平城宮の都市・平城京)。
(⇒ 平城京)。
No.1。
□ 日本古都ガイドブック。
都(みやこ))。
じょう)>内裏(だいり))。
(だいだいり))。
○ 京>宮城>内裏。
○ 平城京= 平城宮の都市。
○ 平城京= 奈良市付近の、
天皇の住居、宮殿があった
都市。
○ 平城宮= 平城京の宮城
(きゅうじょう、= 天皇の宮殿)。
○ 平城宮= 奈良市付近に
あった宮城(= 天皇の宮殿)。
■ 平城宮。
■ 平城宮 (へいじょうきゅう)とは、
710年から740年まで、745年から
784年まで、奈良県奈良市(ならし)
付近にあった宮城(きゅうじょう、= 天
皇の宮殿)である。
■ 平城京。
■ 平城京 (へいじょうきょう)は、
宮城の平城宮 (へいじょうきゅう)を
中心とする都市である。
■ 日本の主要な宮城
(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本の主要宮城。
● 日本の主要な宮城(きゅうじょ
う、= 皇城、皇居)には、
(1) 飛鳥諸宮 (あすかしょきゅ
う、= 飛鳥京の諸宮、飛鳥地域
の諸宮城、
奈良県明日香(あすか)村付近、
6世紀頃ー694年)、
(2) 藤原宮(ふじわらきゅう、
= 藤原京の宮城、
奈良県橿原市(かしはらし)付近、
694年ー710年)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、
= 平城京の宮城、
奈良県奈良市(ならし)付近、
710年ー740年・745年ー
784年)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、
= 長岡京の宮城、
京都府向日市(むこうし)付近、
784年ー794年)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、
= 平安京の宮城)、
京都府京都市付近、
本来の平安宮は平安時代末期
まで、京都府京都市上京区(か
みぎょうく)付近、
794年ー1177年頃)、
などがある。
○ へい 平城京。
(へいじょうきょう、へいぜいきょう)。
《都城・京》。
(710年ー740年、
745年ー784年)。
No.1。
□ 日本古都ガイドブック。
都(みやこ))。
じょう)>内裏(だいり))。
(だいだいり))。
内裏(だいり)、
大極殿(だいごくでん)、
朝堂院(ちょうどういん)、
曹司(ぞうし))。
○ 都城・京>宮城>内裏。
○ 平城京= 平城宮の都市。
○ 平城京= 奈良市付近の、天
皇の住居、宮殿があった都市。
○ 平城宮= 平城京の宮城
(きゅうじょう、= 天皇の宮殿 )。
○ 平城宮= 奈良市付近にあ
った宮城(= 天皇の宮殿)。
■ 平城京。
■ 平城京(へいじょうきょう)は、 平城宮
の都市である。
■ 平城京(へいじょうきょう)は、710年
(和銅3年)から740年までの間、745年
から784年(延暦3年)までの間、奈良時
代に、奈良県・奈良市付近の、天皇の 住
居(= 内裏)、天皇の宮殿(= 宮城)があっ
た都市である。
■ 平城宮。
■ 平城宮(へいじょうきゅう)は、 平城
京の宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)
である。
■ 平城宮(へいじょうきゅう)は、 710年
(和銅3年)から740年までの間、745年
から784年(延暦3年)までの間、奈良時
代に、奈良県・奈良市付近にあった、宮
城(= 天皇の宮殿)である。
■ 平城京。
■ 710年に、元明(げんめい)天皇(女
帝)は、藤原京 (ふじわらきょう、都:694
年ー710年、奈良県橿原(かしはら)市付
近) から、 平城京 (へいじょうきょう、
都:710年〜740年・745年〜784年、
年奈良県奈良市付近) に遷都し、
784年に、桓武(かんむ)天皇は、平城
京から、 長岡京 (ながおかきょう、都:
784年ー794年、京都府向日(むこう)
市・長岡京市・京都市南部 付近) に遷
都する。
■ 都城や京。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本では、 都城や京とは、
宮城(きゅうじょう、皇城、皇居)
を中心とする都市である。
■ 日本では、 都城や京とは、
天皇の住居(御殿)の内廷 と朝
廷(官庁)施設の外朝を合わせ
た、宮城(皇城、皇居)を中心と
する都市である。
● 日本では、都城(とじょう)
や京(きょう)とは、
天皇の住居 (御殿(ごてん))で
ある内廷(ないてい) と
朝廷(官庁)施設である外朝(が
いちょう)を合わせた
宮城 (きゅうじょう、皇城(こうじ
ょう、おうじょう)、皇居)を中心と
する都市である。
■ 日本の都城や京には、
飛鳥京、
藤原京、
平城京、
長岡京、
平安京
などがある。
■ 宮城(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 日本では、宮城(きゅうじょう)
とは、 天皇の住居(御殿)の内
廷 と その周囲の朝廷(官庁)
施設の外朝を合わせた皇城(皇
居)である。
● 日本では、 宮城(きゅうじ
ょう)とは、 天皇の住居(御殿
(ごてん))である内廷(ないてい)
と その周囲の朝廷(官庁)施設
である外朝(がいちょう)を合わせ
た皇城(こうじょう、おうじょう)、
皇居)である。
■ 日本の宮城(= 皇城、皇居)
には、
飛鳥京内の飛鳥諸宮、
藤原京内の藤原宮、
平城京内の平城宮、
長岡京内の長岡宮、
平安京内の平安宮(大内裏)、
などがある。
■ 宮城(= 皇城、皇居)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 皇城、
皇居)は、古代日本の時代に、
藤原宮、平城宮、長岡宮、平安宮
では、
内裏(だいり)、
大極殿(だいごくでん)、
朝堂院(ちょうどういん)、
曹司(ぞうし)、
などで占められていた。
● 宮城 (きゅうじょう、= 皇城、
皇居)は、古代日本の時代では、
藤原宮、平城宮、長岡宮、平安宮
では、
内裏(だいり、=天皇の住居、天
皇御所)、
大極殿 (だいごくでん、国家儀式
等を行う建物)、
朝堂院 (ちょうどういん、国家政
務等を行う建物)、
曹司(ぞうし、官人が実務をとる
中央官庁、官衛(かんが、諸官庁))
などから構成されていた。
■ 内裏。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 内裏 (だいり)とは、
前近代日本の、天皇の住居、居所、
御殿(ごてん)をいう。
■ 日本の主要な都城・京
(= 皇居都市)。
(都城・京>宮城(= 皇城、皇居)>
内裏(= 天皇の住居))。
■ 主要な都城・京(= 皇居都市)
の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒
平城京(奈良の都)⇒ 長岡京⇒
平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
■ 日本の主要な都城・京
(= 皇居都市)の変遷。
● 古代日本中期から近世日本
までの、日本の主要な、宮城
(きゅうじょう、= 皇城、皇居)
があった都市 の京とその変遷は、
(1) 飛鳥京 (あすかきょう、
奈良県明日香(あすか)村付近、
7世紀頃から694年まで)、
(2) 藤原京 (ふじわらきょう、
奈良県橿原(かしはら)市付近、
694年ー710年)、
(3) 平城京 (へいじょうきょう、
奈良県奈良市付近、
710年ー740年、
745年ー784年)、
(4) 長岡京 (ながおかきょう、
京都府向日(むこう)市・長岡京
(ながおかきょう)市・京都市南
部付近、
784年ー794年)、
(5) 平安京 (へいあんきょう、
別名:京の都(きょうのみやこ)、
京都、
京都府京都市付近、
794年ー1869年)、
の順序で、概(おおむ)ね、移動
する。
○ へい 平相国。
(へいしょうこく)。
(= 平清盛)。
(⇒ 平清盛)。
〇 へい 平成。
(へいせい) 。 《和暦》。
THE HEISEI ERA.
○ 1989年ー2019年。
● 1989年・平成 元年・1月 8日〜
2019年・平成31年・4月30日。
● 平成時代の和暦年号。
(⇒ 西暦和暦対照表 ・
日本語版)。
(⇒ 和暦年号表・日本語版)。
(⇒ 和暦ガイドブック)。
■ 平成 (へいせい、英: THE
HEISEI ERA) とは、和暦であり、
平成時代の和暦年号であり、
1989年・平成元年・1月 8日から
2019年・平成31年・4月30日まで
である。
■ 〈平成年号の、和暦→西暦/
西暦→和暦の速算法〉。
○ 平成 A年+1988年=西暦 B年 。
○ 西暦 B年ー1988年=平成 A年。
■ 「平成」の前後の和暦年号(元号):
● 昭和 (しょうわ):
1926年ー1989年。
1926年・昭和 元年・12月25日〜
1989年・昭和64年・ 1月 7日。
● 令和 (れいわ):
2019年ー現在。
2019年・令和 元年・ 5月 1日〜
現在。
■ 近現代日本の和暦年号(元号):
慶応元年〜 4年
(1865年〜1868年)⇒
明治元年〜45年
(1868年〜1912年)⇒
大正元年〜15年
(1912年〜1926年)⇒
昭和元年〜64年
(1926年〜1989年)⇒
平成元年〜31年
(1989年〜 2019年)⇒
令和元年〜 現在
(2019年〜現在)。
〇 へい 平成時代。
(へいせいじだい) 。
(= 1989年ー2019年)。
《日本歴史の時代区分》。
THE HEISEI PERIOD.
<現代日本。
(⇒ 現代日本) 。
(⇒ 日本歴史の時代区分)。
■ 平成時代 (へいせいじだい)
とは、 1989年(平成元年)から
2019年(平成31年)までの期間
である。
■ 平成時代は、 現代日本 (= 昭
和・戦後時代、平成時代、令和時代;
1945年ー現在)の一時期である。
〇 ぺー ペークミー
(親雲上、ペーチンと同字)。
(= 琉球王国の上級士族の
1つ)。
(⇒ 琉球王国、
沖縄の歴史)。
■ ペークミー (親雲上、ペーチン
と同字)は、 琉球王国の一般士族
である。
〇 ぺー ペーチン (親雲上)。
(= 琉球王国の一般士族)。
(⇒ 琉球王国、
沖縄の歴史)。
■ ペーチン (親雲上)は、琉球
王国の一般士族である。
〇 べっ 別所長治。
(べっしょながはる)。
○ 別所長治は、
播磨・三木城(みきじょう)の
城主 である。
■ 別所長治 (べっしょながはる)
は、 播磨・三木城(みきじょう)の
城主であり、 播磨(はりま、兵庫県
南部)の東部の東播磨に勢力をも
った豪族である。
〇 べっ 別当。
(べっとう)。
■ 別当 (べっとう)とは、
前近代日本の、長官であり、
(a) 鎌倉幕府の侍所、政所の長官
であり、
(b) 院庁や摂関家の政所の長官で
あり、
(c) 蔵人所(くろうどどころ)、検非
違使庁(けびいしちょう)などの
令外官(りょうげのかん)の長官。
(d) 大寺の寺務を統轄する僧官で
ある。
〇 へや 部屋住。
(へやずみ)。
(= 江戸時代の武家の、跡
継ぎでない男子の武士)。
■ 部屋住み (へやずみ)とは、
江戸時代の武家の、跡継ぎでない
男子の武士である。
● 例えば、水戸藩主の徳川斉昭
(なりあき)の7男の、部屋住みの
徳川慶喜は、跡継ぎでないため、
一橋家へ養子に入り、一橋慶喜と
なる。
〇 ぺり ペリー米・東インド艦隊。
(ぺりーべいひがしいんどかんたい)。
■ アメリカ軍艦の来日の目的は、
軍艦で日本と戦うために来たのでは
なく、アメリカ船の日本での物資補給
や通商などを求めるため、 開国を
要求し、幕末の1853年と1854年
に2回、来日する。
特に、当時、アメリカは、太平洋
航路を開き、中国と通商するため、
途中の日本での船舶の寄港・物資
補給(船の燃料の良質石炭など)を
切望する。
■ 1854年に、江戸幕府は、アメリ
カの要求を一部受け入れ、通商はせ
ず、物資補給のみの日米和親条約を
結び、開国(部分開国)する。
〇 へん 偏諱授与。
(へんきじゅよ)。
(= 一字拝領)。
(⇒ 諱(いみな))。
(⇒ 前近代日本の人名) 。
■ 偏諱授与 (へんきじゅよ、= 一字
拝領) とは、 主君が、自分の諱(いみ
な、個人名の実名)の一字を、主従関
係の証として、 臣下(家臣)に 与える
ことである。
〇 へん 遍照院 。
(へんしょういん)。 《人名》。
(= 妙寿尼)。
○ 遍照院(= 妙寿尼)は、
櫛橋光(くしはしてる、黒田官兵
衛・正室夫人)の姉である。
○ 遍照院(= 妙寿尼)は、
播磨・上月城主の上月 景貞
(こうづきかげさだ)の夫人。
(⇒ 櫛橋伊定(左京
■ 遍照院 (= 妙寿尼)は、 櫛橋
伊定(左京亮)の長女であり、
櫛橋 光(くしはし てる、黒田官兵
衛・正室夫人)の姉であり、 播磨・
上月城主(はりま・こうづきじょうし
ゅ)の上月景貞(こうづき かげさだ)
の夫人である。
■ 遍照院 (= 妙寿尼)は、 NHK
テレビ・大河ドラマ「軍師官兵衛」で
は、力(りき、 仮称)の名称(仮称)
で登場する。
● 五十音順 (あいうえお順)。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
(良き現在は、過去の人々の良き努力
や活動の積み重ねの成果であり、
明るい良き未来は、現在の人々の、
良き努力や活動の積み重ねによって
形成される。)
■ 上位のWEBサイト。
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の、派生見出し語サイト。
■ No. ja−he−0211。
● 見出し語項目 へ い あ ( い 02 / あ 11
付近 第1部・い・ア行グループ )。
〇 へい 平安時代 (へいあんじだい )
(794〜1192年)
(⇒ 古代日本)
(⇒ 日本歴史の時代区分)。
■ No. ja−he−0212。
● 見出し語項目 へ い あ ( い 02 / あ 12
付近 第1部・い・ア行グループ )。
〇 へい 平安時代 後期・詳細年表
(へいあんじだいこうき・しょうさいねんぴょう)
(⇒ 日本史年表) 。
■ No. ja−he−0233。
● 見出し語項目 へ い し ( い 02 / し 33
付近 第1部・い・サ行グループ )。
〇 へい 平氏 (へいし) (= 平家)
(皇族賜姓) (⇒ 桓武平氏)。
〇 へい 平氏政権 (へいしせいけん)
(1160年頃〜1185年頃)
(⇒ 武家政権)
(⇒ 日本の政権・政府)。
■ No. ja−he−0237。
● 見出し語項目 へ い せ ( い 02 / せ 37
付近 第1部・い・サ行グループ )。
〇 へい 平成時代 (へいせいじだい)
(1989年 〜現在)。
(⇒ 現代日本) 。
(⇒ 日本歴史の時代区分)。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 平安京
(へいあんきょう)。
■ 平安京。
■ 名称 : 平安京 (へいあんきょう)。
■ 別名 : 京都、京の都(きょうのみやこ)。
■ 英語名 :
Heiankyo Capital.
■ 《京》。
■ 存在期間 :
794年から1869年までの間 、
平安時代、鎌倉時代、建武時代、室町時代、
安土桃山時代、江戸時代、明治時代初期。
■ 存在場所 : 京都市付近。
■ 平安京とは、京都市付近の、天皇の住居(= 内
裏)、天皇の宮殿(= 宮城)があった都市である。
■ 京の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒ 平城京(奈良の都)⇒
長岡京⇒ 平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
を 参照してください。
▲ 京(きょう)の移動に関しては、 「飛鳥京」、
「平安京」 (京の都、京都)を参照して ください。
▲ 宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)に関して
(だいごくでん)」、 「朝 堂 院(ちょうどういん)」、
「曹司(ぞうし)」 などを参照してください。
▲ 内裏 (だいり、= 天皇の住居)に関しては、
「内 裏」を参照してください。
を参照してください。
▲ 日本の主要なの京(きょう、= 都城)の画像
アルバムに関しては、
を参照してください。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 21514。
◆ 平安京(= 京都、京の都)。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 宮城の平安宮
(へいあんきゅう)の都市である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 山背国(やまし
ろのくに、山城国) の愛宕(おたぎ)、葛野(か
どの)の両郡にまたがる地(現・京都市)に置か
れ、794年(延暦13年)から、形式的には、
1869年(明治2年)の東京遷都まで、続いた。
宮城(きゅうじょう、= 大内裏、天皇の宮殿)
の平安宮(へいあんきゅう)は、 平安時代末期
に、火災等で消滅し、その後、内野(うちの)と
呼ばれる。
鎌倉幕府の成立により、平安京は、政治
都市としての生命を失う。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 東西約4.5km
(1508丈、32町)、 南北約5.3km(1753丈、
38町)を占め、 内部は条・坊・保・町に区分さ
れ、南北9条(一条から九条まで)と東西4坊(一
坊から4坊まで)に分けられ、北部中央に宮城
(= 大内裏)の平安宮を設け、 中央の朱雀大
路を堺として東西に右京(うきょう、西側)と左京
(さきょう、東側)に分けられる。
平安京は、 一条大路(いちじょうおおじ)を
北限とし、九条大路(くじょうおおじ)を南限とし、
一条大路・九条大路間に11本の大路があり、
東京極大路(ひがしきょうごくおおじ)を東限とし、
西京極大路(にしきょうごくおおじ)を西限とし、
東京極大路・西京極大路間に9本の大路があり、
合計20本の大路(おおじ)が、平安京の主要道
路であり、これを基準として、縦横に無数の小道
が敷かれた。
■ 平安京 (へいあんきょう)は、 別名は、京の都(き
ょうのみやこ)、京都と言い、 平安時代から明治 時
代初期まで、794年から 1869年までの間、京都
府・京都市付近の、天皇の住居(= 内裏)、天皇の
宮殿があった都市である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 京の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒ 平城京(奈良の都)⇒
長岡京⇒ 平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
■ 長岡京⇒ 平安京(= 京都、京の都)⇒ 東京。
■ 西暦794年に、桓武(かんむ)天皇は、長岡京か
ら、平安京(794年ー1869年、京都府京都市 付
近、別名:京都、京の都(きょうのみやこ)) に遷
都し、1869年(明治2年)に、睦仁天皇(むつひと
てんのう、明治天皇) は、 東京 (とうきょう、18
69年ー現在、東京 都、皇居は東京都 千代田区)
に移動する。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 平安宮(= 大内裏)。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、 平安京の宮城 (きゅう
じょう、= 天皇の宮殿)である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)とは、別名 は、大内裏(だい
だいり)と言い、 日本の平安時代(794年〜1192年)
の、794年から1177年頃まで、日本の京都市上京区
(かみぎょうく)付近にあった、宮城(= 天皇の宮殿)であ
る。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安宮 (へいあんきゅう)は、平安京の宮城 (きゅうじ
ょう、= 天皇の宮殿、大内裏(だいだいり))であり、平安
京の北部中央に位置し、東西・約1.2km、南北・約1.4
kmの広さがあった。
平安宮では、 宮城内の南部中央に 朝堂院(ちょ
うどういん)があり、 その北東に内裏(だいり、=天皇の住
居、宮居、天皇御所)があり、それらを囲むように諸司百官
の庁舎が建ち並んでいた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安京の、平安宮 (へいあんきゅう、= 大内裏(だいだ
いり)、= 平安京の天皇の宮殿)は、 日本の平安時代
(西暦794年〜1192年)末期に、火災などで、消滅した。
その後、平安宮跡地は、内野(うちの)と呼ばれるように
なった。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 平安京の内裏。
■ 平安京の、平安宮内にあった、内裏(だいり、=天皇の
住居)は、 平安時代から鎌倉時代中期まで断続的に
続き、その後は、明治2年(1869年)まで、本来の内裏
跡地以外の京都(平安京)の各所で、里内裏(さとだい
り、= 天皇の仮御所)という形式で存続した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 京、宮城、内裏。
■ 京 (きょう)とは、 皇居のある土地であり、 天
皇が住む都市であり、 朝廷の所在地であり、
天皇の住居(= 内裏(だいり))、天皇の宮殿(= 宮
城(きゅうじょう))がある都市をいう。
■ 京 (きょう)とは、 天皇の宮殿(= 宮(きゅう))
を中心とする都市である。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 宮(きゅう))とは、 天皇
の宮殿をいう。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 内裏 (だいり)とは、 前近代日本の、天皇の
住居、居所、天皇御所をいう。
■ 天皇の宮殿は、日本の歴史では、 宮城(きゅうじ
ょう)、都宮 (ときゅう)、大内裏(だいだいり))
などと 呼ばれた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)は、 古代日
本の時代において、藤原宮、平城宮、長岡宮、平
安宮では、 内裏 (だいり、=天皇の住居、天皇御
所)、 大極殿 (だいごくでん、国家儀式等を行う
建物)、 朝堂院 (ちょうどういん、国家政務等を
行う建物)、 曹司(ぞうし、官人が実務をとる中央
官庁) などから構成されていた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 古代日本中期から近世日本までの、日本の主要
な、宮城 ( きゅうじょう、= 天皇の宮殿)を中心と
する都市 と その変遷は、
(1) 飛鳥京 (あすかきょう、奈良県明日香
村付近、6世紀頃 から694年まで)、
(2) 藤原京 (ふじわらきょう、奈良県橿原
市付近、694年ー710年)、
(3) 平城京 (へいじょうきょう、奈良県奈
良市付近、710年ー740年・745年
ー784年)、
(4) 長岡京 (ながおかきょう、京都府向日
市・長岡京市・京都市南部付近、784年
ー794年)、
(5) 平安京 (へいあんきょう、京都府京都
市付近、794年ー1869年、別名:京都、
京の都(きょうのみやこ))
の順序で、概(おおむ)ね、移動した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 日本の主要な宮城 ( きゅうじょう、= 天皇の宮
殿) と その変遷は、
(1) 飛鳥宮 (あすかきゅう、飛鳥京の諸宮、
飛鳥地域の諸宮城の総称、奈良県明日香
(あすか)村付近)、
(2) 藤原宮 (ふじわらきゅう、奈良県橿原
市付近)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、奈良県奈
良市付近)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、京都府向日
市付近)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、京都府京都
市付近)
の順序で、概(おおむ)ね、移動した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 日本の主要な宮城( きゅうじょう、= 天皇の宮殿)には、
(1) 飛鳥宮 (あすかきゅう、飛鳥京の諸宮、飛鳥地
域の諸宮城の総称、奈良県明日香(あすか)村付近、
6世紀頃ー694年)、
(2) 藤原宮(ふじわらきゅう、藤原京の宮城、奈良県
橿原市(かしはらし)付近、
694年ー710年)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、平城京の宮城、奈良
県奈良市(ならし)付近、
710年ー740年・745年ー784年)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、長岡京の宮城、京都
府向日市(むこうし)付近、
784年ー794年)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、= 平安京の宮城)、
京都府京都市付近、本来の平安宮は平安時代末
期まで、京都府京都市上京区(かみぎょうく)付近、
794年ー1177年頃)、
などがある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
♪♪ 平安京 が登場する、興味深い、
ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 平安京 が登場する、興味深い、ドラ
マ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事が 混じって描かれ
ています。 また、 現代風にアレンジしてあ
ります。
■ 『 源氏物語 千年の謎 』。
(2011年日本映画)。
■ 平安時代の平安京の様子が描かれている。
■ 平安時代中期の陰陽家の安倍晴明
が、登場する。
● 安倍晴明を演じた俳優 : 窪塚洋介。
■ 『 陰陽師 〜おんみょうじ〜 』。
(2001年日本映画)。
■ 平安時代の平安京の様子が描かれている。
■ 平安時代中期の陰陽家の安倍晴明
が、登場する。
■ 陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)の
活躍を描いたSF時代劇。
● 安部晴明を演じた俳優 :
二世野村萬斎(にせいのむらまんさい、
1966年〜現在、狂言師)。
○ 日本映画(2001年) 『 陰陽師〜おんみょうじ〜 』
のPRフォト (中央の人物が、安倍晴明 (あべのせい
めい、野村 萬斎が演じる))。
■ 『 陰陽師 (おんみょうじ) 』 。
(NHKテレビ・2001年(4〜6月)
放送テレビ・ドラマ、全10話)。
■ 平安時代の平安京の様子が描かれている。
■ 平安時代中期の陰陽家の安倍晴明
が、登場する。
● 安倍晴明 (あべのせいめい)を演じた
俳優: 稲垣 吾郎 (いながき ごろう、
SMAP)。
● 源博雅 (みなもとのひろまさ)を演じた
俳優: 杉本 哲太 (すぎもと てった)。
● 蜜虫 (みつむし)を演じた女優:
本上 まなみ (ほんじょう まなみ)。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 平城京
(へいじょうきょう)。
■ 平城京。
■ 名称 : 平城京 (へいじょうきょう)。
■ 別名 : 奈良の都(ならのみやこ)。
■ 英語名 :
Heijokyo Capital.
■ 《京》。
■ 存在期間 :
710年(和銅3年)から740年までの間、
745年から784年(延暦3年)までの間、
奈良時代。
■ 存在場所 : 奈良県・奈良市付近。
■ 平城京とは、奈良市付近の、天皇の住居(= 内
裏)、天皇の宮殿(= 宮城)があった都市である。
■ 京の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒ 平城京(奈良の都)⇒
長岡京⇒ 平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
を 参照してください。
▲ 時代状況に関しては、『奈良時代』を参照して
ください。
▲ 京(きょう)の移動に関しては、 「飛鳥京」、
「平安京」 (京の都、京都)を参照して ください。
▲ 宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)に関して
(だいごくでん)」、 「朝堂 院(ちょうどういん)」、
「曹司(ぞうし)」 などを参照してください。
▲ 内裏 (だいり、= 天皇の住居)に関しては、
「内 裏」を参照してください。
を参照してください。
▲ 日本の主要なの京(きょう、= 都城)の画像
アルバムに関しては、
を参照してください。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 21515。
◆ 平城京(= 奈良の都)。
■ 平城京(へいじょうきょう)は、 平城宮 (へいじょ
うきゅう)の都市である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平城京(へいじょうきょう)は、 710年(和銅3年)
から740年までの間、745年から784年(延暦3
年)までの間、奈良時代に、奈良県・奈良市付近の、
天皇の住居(= 内裏)、天皇の宮殿(= 宮城)があっ
た都市である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 京の移動。
飛鳥京⇒ 藤原京⇒ 平城京(奈良の都)⇒
長岡京⇒ 平安京(京都、京の都)⇒ 東京。
■ 藤原京⇒ 平城京(= 奈良の都)⇒ 長岡京。
■ 710年に、元明(げんめい)天皇(女帝)は、藤原
京 (ふじわらきょう、都:694年ー710年、奈良県
橿原(かしはら)市付近) から、 平城京 (へいじ
ょうきょう、都:710年〜740年・745年〜784年、
年奈良県奈良市付近) に遷都し、784年に、桓
武(かんむ)天皇は、平城京から、 長岡京 (なが
おかきょう、都:784年ー794年、京都府向日(む
こう)市・長岡京市・京都市南部 付近) に遷都す
る。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 平城宮。
■ 平城宮(へいじょうきゅう)は、 平城京の宮城(きゅ
うじょう、= 天皇の宮殿)である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平城宮(へいじょうきゅう)は、 710年(和銅3年)
から740年までの間、745年から784年(延暦3
年)までの間、奈良時代に、奈良県・奈良市付近に
あった、宮城(= 天皇の宮殿)である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 京、宮城、内裏。
■ 京 (きょう)とは、 皇居のある土地であり、 天
皇が住む都市であり、 朝廷の所在地であり、
天皇の住居(= 内裏(だいり))、天皇の宮殿(= 宮
城(きゅうじょう))がある都市をいう。
■ 京 (きょう)とは、 天皇の宮殿(= 宮(きゅう))
を中心とする都市である。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 宮(きゅう))とは、 天皇
の宮殿をいう。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 内裏 (だいり)とは、 前近代日本の、天皇の
住居、居所、天皇御所をいう。
■ 天皇の宮殿は、日本の歴史では、 宮城(きゅうじ
ょう)、都宮 (ときゅう)、大内裏(だいだいり))
などと 呼ばれた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 宮城 (きゅうじょう、= 天皇の宮殿)は、 古代日
本の時代において、藤原宮、平城宮、長岡宮、平
安宮では、 内裏 (だいり、=天皇の住居、天皇御
所)、 大極殿 (だいごくでん、国家儀式等を行う
建物)、 朝堂院 (ちょうどういん、国家政務等を
行う建物)、 曹司(ぞうし、官人が実務をとる中央
官庁) などから構成されていた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 古代日本中期から近世日本までの、日本の主要
な、宮城 ( きゅうじょう、= 天皇の宮殿)を中心と
する都市 と その変遷は、
(1) 飛鳥京 (あすかきょう、奈良県明日香
村付近、6世紀頃 から694年まで)、
(2) 藤原京 (ふじわらきょう、奈良県橿原
市付近、694年ー710年)、
(3) 平城京 (へいじょうきょう、奈良県奈
良市付近、710年ー740年・745年
ー784年)、
(4) 長岡京 (ながおかきょう、京都府向日
市・長岡京市・京都市南部付近、784年
ー794年)、
(5) 平安京 (へいあんきょう、京都府京都
市付近、794年ー1869年、別名:京都、
京の都(きょうのみやこ))
の順序で、概(おおむ)ね、移動した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 日本の主要な宮城 ( きゅうじょう、= 天皇の宮
殿) と その変遷は、
(1) 飛鳥宮 (あすかきゅう、飛鳥京の諸宮、
飛鳥地域の諸宮城の総称、奈良県明日香
(あすか)村付近)、
(2) 藤原宮 (ふじわらきゅう、奈良県橿原
市付近)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、奈良県奈
良市付近)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、京都府向日
市付近)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、京都府京都
市付近)
の順序で、概(おおむ)ね、移動した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 日本の主要な宮城( きゅうじょう、= 天皇の宮殿)には、
(1) 飛鳥宮 (あすかきゅう、飛鳥京の諸宮、飛鳥地
域の諸宮城の総称、奈良県明日香(あすか)村付近、
6世紀頃ー694年)、
(2) 藤原宮(ふじわらきゅう、藤原京の宮城、奈良県
橿原市(かしはらし)付近、
694年ー710年)、
(3) 平城宮 (へいじょうきゅう、平城京の宮城、奈良
県奈良市(ならし)付近、
710年ー740年・745年ー784年)、
(4) 長岡宮 (ながおかきゅう、長岡京の宮城、京都
府向日市(むこうし)付近、
784年ー794年)、
(5) 平安宮 (へいあんきゅう、= 平安京の宮城)、
京都府京都市付近、本来の平安宮は平安時代末
期まで、京都府京都市上京区(かみぎょうく)付近、
794年ー1177年頃)、
などがある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
♪♪ 平城京 が登場する、興味深い、ド
キュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 平城京 が登場する、興味深い、ドキ
ュメタンリー。
■ 歴史秘話ヒストリア 『 大仏ってな
んで大きいの? 〜あなたの知らない
意外な秘密〜 』。
(NHKテレビ・2010年(H22年)3月
31日・本放送・ドキュメタンリー番組)。
■ 奈良時代中期の当時の状況や人々の
活躍を述べる。
■ 大仏建立を述べる。
★ 平城京 が登場する、興味深い、ドラ
マ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事が 混じって描かれ
ています。 また、 現代風にアレンジしてあ
ります。
■ 『 大仏開眼 (だいぶつかいげん) 』 。
(NHKテレビ・2010年4月・本放送・
古代史ドラマスペシャル)。
■ 奈良時代中期の当時の状況や人々の活躍を
描く。
■ 大仏建立を描く。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 別所 長治
(べっしょ ながはる)。
■ 別所 長治。
■ 名称 : 別所 長治 (べっしょながはる)。
■ 播磨・三木城城主。
■ 播磨(はりま、兵庫県南部)の東部の東
播磨に勢力をもった豪族。
■ 別所 長治 (べっしょながはる) は、 播磨(は
りま、兵庫県南部)の東部の東播磨の播磨・三
木城(みきじょう)城主 である。 東播磨(播磨
東部)に勢力をもった豪族であった。
■ 別所 長治 は、 初め織田信長に味方したが、
後に信長に反旗を翻(ひるがえ)し、敵対する。
■ 別所 長治 は、 羽柴秀吉(豊臣秀吉)が指揮
する織田氏の中国地方方面軍の兵糧攻め (ひ
ょうりょうぜめ、黒田官兵衛 (孝高)(くろだかん
べえ(よしたか))の献策) にあい、飢餓(きが)
で降参し、 城兵の助命と引き換えに、自害す
る。
■ 1578年3月に、別所長治(べっしょながはる)
が毛利氏に味方し、織田信長に反旗を翻(ひる
がえ)す。
■ 「三木城兵糧攻め」(三木のひ殺し)。
秀吉軍の播磨の三木城の兵糧攻め。
1580年(天正8年)1月に、 羽柴秀吉(豊
臣秀吉)の織 田軍は、 約2年間の難攻の末、
播磨(はりま、兵庫県南部)の、別所長治 (べっ
しょながはる)の三木城(みきじょう)を落とした。
三木合戦 (みきがっせん、1578〜80年)
は、 兵糧攻め(ひょうりょうぜめ) であった。
「三木のひ殺し」 (みきのひごろし) と言われ
た。
■ 三木合戦。
1578年3月に、別所長治(べっしょながは
る)が、 周辺豪族を引き込んで、織田氏に反
旗を翻(ひるが)し、離反し、 三木合戦(みきが
っせん、1578〜80年)が始まる。
櫛橋 光(くしはしてる、黒田官兵衛兵(孝高)
夫人)の父・櫛橋伊定(くしはしこれさだ) は、そ
れに追随し、 織田方に敵対することとなった。
1578年7月より、 櫛橋伊定の居城の志方 城
(しかたじょう)は、 織田方の織田信雄の軍に
包囲され、出撃したが、被害が大きく、 1578
年8月に、城の兵の命(いのち)の保障と引き換
えに、自害する。 そのとき、櫛橋 光の兄弟た
ちは、許されて、黒田氏に仕える。
♪♪ 別所 長治 が登場する、興味深い、
ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 別所 長治 が登場 する、興味深い
関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。
歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 軍師 官兵衛 』。
(NHKテレビ・2014年大河ドラマ)。
■ 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、
江戸時代初期を描いたドラマ。
● 別所長治を演じた俳優名 : 入江 甚儀
(いりえ じんぎ)。
● 黒田 官兵衛を幽閉する、荒木村重を演じ
た俳優 : 田中 哲司 (たなか てつし)。
● 黒田 官兵衛の最初の主君の小寺政職(こ
でらまさもと)を演じた俳優 :片岡鶴太郎。
● 黒田 官兵衛を演じた俳優名: 岡田 准一。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 別当
(べっとう)。
■ 別当。
■ 名称 : 別当 (べっとう)。
■ 前近代日本の、長官。
■ 蔵人所、検非違使庁などの令外官の
長官。
■ 大寺の寺務を統轄する僧官。
■ 別当 (べっとう)とは、 前近代日本の、長官
である。
蔵人所、検非違使庁などの令外官の長官、大
寺の寺務を統轄する僧官 などである。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
政所(まんどころ)の長官 である。
別当は、鎌倉幕府の、御家人(将軍家臣)
の統制や軍事・警察 を担う政治機関である、
侍所(さむらいどころ)の長官 である。
別当は、鎌倉幕府の、の政治、財政機関
である、政所 (まんどころ)の長官 である。
鎌倉幕府の侍所や政所の別当(長官)を、
鎌倉時代中期以後、北条氏が、 世襲した。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 別当は、 朝廷の、蔵人所(くろうどどころ)、
検非違使庁(けびいしちょう)などの令外官(り
ょうげのかん) の長官 である。
♪♪ 別当 が登場する、興味深い、ド
キュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 別当 が登場する、興味深 い、ドラ
マ、映画。
● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションです。
歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が、 混じって、描かれてい
ます。 また、現代風にアレンジしてあります。
■ 『 太平記 (たいへいき) 』 。
(NHKテレビ・1991年大河ドラマ)。
■ 鎌倉幕府の、侍所 や政所の別当を世襲する、
北条氏が、 登場する。
■ 鎌倉時代末期と室町時代初期の社会状況や
人物の活躍を描いたドラマ。
■ 足利尊氏の生涯 と 尊氏の鎌倉幕府倒幕、
建武政府との対立、 室町幕府の創立と基礎
確立 を描いた テレビドラマ です。
■ 足利 尊氏の生涯、及び 尊氏が、鎌倉幕府
打倒に尽力し、 後醍醐天皇と袂(たもと)を
わかち、 北朝をたて、室町幕府(足利幕府)
を樹立し、 幕府の基礎を確立する活躍を描
いたテレビドラマ。
● 足利 尊氏 を演じた俳優名 : 真田 広之
(さなだ ひろゆき)。
○ 大河ドラマ「太平記」の足利尊氏。
○ 大河ドラマ「太平記」のPRフォト。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 平治の乱
(へいじのらん)。
■ 平治の乱。
■ 名称 : 平治の乱 (へいじのらん)。
■ 平治の乱は、
1159年(平治元年)に京(都)で行われた、
朝廷の権力抗争の戦争である。
■ 平治の乱は、
3つの勢力が対立して、戦争が起こる。
藤原信頼方、
二条天皇方 、
の3つの勢力が対立して、平治の乱という
戦争が起こる。
■ 平治の乱は、
上皇(=院)の院近臣 (いんのきんしん)間
(上皇の重臣間)の対立、
院政派と天皇親政派 との間の対立、
などから起こった朝廷の権力抗争の戦争
である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 31315。
■ 平治の乱。
■ 平治の乱 (へいじのらん) は、 1159年(平治
元年)に京(都)で行われた、朝廷の権力抗争の戦争
である。
平治の乱 は、 後白河上皇(ごしらかわじょうこう)
と二条天皇(にじょうてんのう)との間の対立、 院政
派と天皇親政派 との間の対立、 院政派の上皇(=
院)の院近臣 (いんのきんしん)間 (上皇の重臣間)
の対立、 などから起こった朝廷の権力抗争の戦争
である。
■ 平治の乱 は、後白河上皇と二条天皇が親子で対
立し、 更に、3つの勢力が対立して、起こった戦争で
ある。
後白河(上皇)・主流院政派 の「信西(藤原通憲)、
三条公教の信西・三条公教方」 と、 後白河(上皇)・
非主流院政派 の「藤原信頼方」 と、 二条(天皇)親
政派の「藤原経宗、藤原惟方、美福門院(藤原得子)
の二条天皇方」、 とが対立して起こった戦争である。
■ 「後白河(上皇)・主流院政派の、信西( しんぜい、
藤原通憲(ふじわらのみちのり))、三条公教 (さんじ
ょうきんのり・きみのり)の信西・三条公教側 」 と、
「後白河(上皇)・非主流院政派の、藤原信頼(ふじわ
らののぶより)側」 と、 「二条(天皇)親政派の、藤
原経宗(ふじわらのつねむね)、藤原惟方(ふじわら
のこれかた)、美福門院(びふくもんいん、= 藤原得
子(ふじわらのなりこ・とくし)の二条天皇側」、 が対
立した。
■ 平治の乱。
■ 1159年(平治元年)12月 に、 平治の乱(へいじ
のらん) が起こる。
条天皇方 が敵対して、戦う。
乱の途中で、 信西(藤原通憲)が死去すると、二
条天皇方は、 信西・三条公教方に味方し、 信西・
三条公教方、二条天皇方 と 藤原信頼方 が敵対
して、戦う。 結局、信西・三条公教方、二条天皇方が
勝利を得て、 藤原信頼方が敗北する。
■ 1159年12月に、平治の乱が、起きる。
最初は、 信西派の「信西・三条公教方の後白河
(上皇)・主流院政派 」 と、 「反信西派の藤原信頼方
の後白河(上皇)・非主流院政派 や 二条天皇方の
二条(天皇)親政派」 とが敵対した。
乱(戦争) の途中で、 藤原通憲(信西)が死去する
と、 藤原信頼方の後白河(上皇)・非主流院政派 と、
二条天皇方の二条(天皇)親政派及び 信西 ・三条公
教方の後白河(上皇)・主流院政派 とが、敵対した。
■ 平治の乱。
■ 1159年(平治元年)に、後白河(上皇)・院政派と
二条(天皇)親政派との間で、 後白河(上皇)・院政
派の上皇(=院)の院近臣 の間(上皇の重臣間)で、
対立が発生していた。
1158年より、院政と天皇親政をめぐり、後白河
上皇や後白河(上皇)・主流院政派の信西( 藤原通
憲)・三条公教側と、 二条天皇や二条(天皇)親 政
派の、藤原経宗(ふじわらのつねむね)・藤原惟方
(ふじわらのこれかた)、美福門院(= 藤原得子(なり
こ・とくし)側 が対立していた。
の院近臣(上皇の重臣)の信西(しんぜい、藤原通憲
(ふじわらのみちのり)、三条公教(さんじょうきんのり
・きみのり)の院庁中心勢力の後白河(上皇)・主流
院政派 と 後白河上皇の院近臣(上皇の重臣)の藤
原信頼(ふじわらののぶより)の後白河(上皇)・院庁
非主流院政派 とが対立していた。
■ 後白河上皇・院近臣(上皇の重臣)の藤原信頼 と
二条(天皇)親政派は、 藤原通憲(信西)排除という
点では一致し、 信西(藤原通憲)打倒の機会を伺 (う
かが)っていた。 ここに、信西派の、信西・三条公教
方の後白河(上皇)・主流院政派 と、 反信西派の 、
藤原信頼方の後白河(上皇)・非主流院政派や 二条
天皇方の二条(天皇)親政派 とが敵対した。
藤原信頼方の後白河(上皇)・非主流院政派 は、
源義朝(みなもとのよしとも)の河内源氏を従え、 信
西・三条公教方の後白河(上皇)・主流院政派 は、
平清盛(たいら のきよもり)の伊勢平氏を従えて、11
59年12月の平治の乱を戦った。
服を抱(いだ)き、 後白河上皇と信西(藤原通憲)に対
し不満をもち、 藤原信頼方の後白河(上皇)・非主流
院政派に味方した。
■ 平治の乱。
■ 平治の乱発生後、平清盛は、 中立的立場をとって
いたが(どの勢力に味方するか迷っていたが)、 乱
(戦争)途中で、 信西・三条公教方の後 白河(上皇)・
主流院政派や二条天皇方の二条(天皇)親政派に味
方して、 源義朝の率いる 源氏軍を制圧する。
信西・三条公教方、二条天皇方の平清盛側には、
いらのよりもり、平清盛の異母弟)、 源 頼政 (みな
もとのよりまさ、二条(天皇)親政派、中立であったが、
途中より清盛に味方) が味方した(与力した)。
一方、 藤原信頼方の源義朝側に、源義平(み な
もとのよしひら、源義朝の長男、悪源太義平(あくげん
たよしひら))、 源頼朝(みなもとのよりとも、源義朝 の
三男) が味方した(与力した)。
■ 平治の乱は、 1159年12月に始まり同月に終わ
り、 信西・三条公教方の後白河(上皇)・主流院政派
白河上皇の院御所・三条殿(さんじょうどの)を襲撃し、
藤原通憲(信西)を捕らえよとしたが、 既に逃亡して
いた。 藤原信頼 や源義朝は、後白河上皇を、二条天
皇のいる内裏(だいり)に移す。 このクーデターには、
二条天皇方の二条天皇や二条天皇親政派の同意が
あったと推測される。
12月13日 に、信西(藤原通憲)は、乱の中で、藤
原信頼・源義朝側(軍)に攻められて、自害する。
しかし、内裏(だいり、天皇の御所)に二条天皇と
後白河上皇を確保し政権を奪取した藤原信頼の独断
専行に、 内裏にいた、信西・三条公教方の後白河 (上
皇)・主流院政派の内大臣・三条公教 や 二条天皇方
の二条天皇及び二条天皇親政派 は、 反感を抱き、
また、二条天皇方の二条天皇及び二条天皇親政派の
政敵の信西(藤原通憲)も12月13日に自害し打倒さ
れたので、 二条天皇方の二条天皇及び二条天皇親
政派は、藤原信頼に協力する必要もなくなり、その後、
内裏(だいり)から、二条天皇は、12月20日 に清盛
の六波羅邸へ脱出した。 また、後白河上皇は、25日
に内裏から仁和寺(にんなじ)へ脱 出した。
平清盛は、紀伊国(和歌山県)で、京(都)の異変
を知り、 信西(藤原通憲)と親しかった内大臣・三条
公教(さんじょうきんのり・きみのり)より誘いをうけ、
平清盛は、信西・三条公教方、二条天皇方と密(ひそ)
かに結んで、 攻勢の機会をうかがい、12月26日に、
信西・三条公教方、二条天皇方の、平清 盛側(軍)が、
藤原信頼方の源義朝側(軍) と、内裏や六条河原で
合戦し、勝利を得る。
■ 平治の乱。
■ 平治の乱後、
平治の乱のリーダーの藤原信頼は、出頭したが、
1159年12月に、処刑・ 斬首(ざんしゅ)される。
尾張に逃れた源義朝は、1160年1月に、
謀殺(ぼうさつ)される。
源義平(源義朝の長男、悪源太義平)は、美濃に
逃れて、再び、京(都)へ戻り、1160年1月に捕縛さ
れ、斬首される。
命し、1160年3月に、伊豆に配流(はいる)となる。
二条(天皇)親政派の 藤原経宗(ふじわらのつねむ
ね)・藤原惟方(ふじわらのこれかた)は、後白河上皇
から、藤原通憲(信西) 殺害の共犯者として責任を追
及され、1160年3月に失脚する(配流(はいる)とな
る)。
後白河上皇の 院近臣の藤原通憲(信西)打倒に関
わった者は、 後白河(上皇)・院政派と二条(天皇)親
政派を問わず、政界から一掃された。
平治の乱後、乱勝利の最大の貢献者である平清盛
は、 後白河(上皇)・院政派、二条(天皇)親政派のど
ちらにも組することなく、 慎重に行動した。
■ 平治の乱。
■ フィクションの映画、ドラマなどでは、 平治の乱は、
平家物語、平治物語などフィクションの軍記物語等の
2次的史料により、 源平間の権力抗争の戦争で源氏
対平氏の武士同士が中心で争ったようによく描かれて
いるが、 史実では、 源氏も平氏も、朝廷の権力抗争
の戦争に巻き込まれ、やむを得ず、朝廷のために戦っ
た戦争 であった。
平治の乱の戦後すぐには、(伊勢)平氏も日本の政
治の実権を握ろうとは考えていなかった。 従って、敗
軍のリーダー格の源義朝らは責任をとらされても(殺
害されても)、 それ以外の源義朝に味方した武士達
い限り、厳しい処分は下されなかった。 源義朝の子
供達の源頼朝、源義経などの処分が比較的軽かった
のは (配流、仏門に入るなど)、そのためである。
■ 保元(ほうげん)の乱や平治の乱は、 朝廷内の権
力抗争の戦争で、 武士の武力で勝利を得た紛争で
あった。 これらにより、武士の実力が朝廷に認めら
れ、後に、武士が 日本の政治の実権を握る機会を与
えられた。
■ 平安時代後期の、政権
(日本の政治の実権)の
変遷。
■ (1) 白河上皇・院政政治
(政権)期
(1086〜1129年)。
● 1086年に、白河上皇が、日本の政治の実
権を握り、院政政治を始める。
● 白河天皇は、 皇位を堀河天皇に譲り、
上皇となる。 白河上皇(天皇)は、自らの
天皇親政政治をより強固にするため、院政
政治 (院政により、日本の政治の実権を
握(にぎ)り、日本を支配する政治) を行う。
■ (2) 鳥羽上皇・院政政治
(政権)期
(1129〜1156年)。
● 1129年に、鳥羽上皇が、日本の政治の実
権を握り、院政政治を始める。
● 白河上皇(法皇)が死去し、鳥羽上皇が、
引き続き、院政政治を行う。
■ (3) 後白河天皇・親政政治(政権)期
(1156〜1158年)。
● 1156年に、後白河天皇が、日本の政治の
実権を握り、天皇親政政治を始める。
● 1156年に鳥羽上皇が死去し、保元の乱
が起こり、後白河天皇は、保元の乱に勝利
して反対勢力を退け、天皇親政政治を始め
る。
■ (4) 後白河上皇・二条天皇・
二頭政治(政権)期
(1158〜1161年)。
● 1158年に、後白河上皇と二条天皇が、日
本の政治の実権を握り、二頭政治を始める。
● 1158年に、後白河天皇は、皇位を二条
天皇に譲り、上皇となる。
二条天皇は、即位後、天皇親政を望み、
後白河上皇と対立し、後白河上皇と二条
天皇は、互いに政治権限の一部を保持す
る。
■ (5) 二条天皇・親政政治
(政権)期
(1161〜1165年)。
● 1161年に、二条天皇が、日本の政治の
実権を握り、天皇親政政治を始める。
● 1161年9月に、二条天皇は、後白河上
皇の政治介入を停止し、実権を掌握(し ょ
うあく)する。
■ (6) 伊勢平氏・武家政治
(政権)期
(1165〜1180年) 。
● 1165年に、伊勢平氏が、日本の政治の
実権を握り、武家政治を始める。
● 1165年に、二条天皇が死去する。
二条天皇を軍事面(武力面)で支えていた
伊勢平氏の平清盛が、独立して、日本の政
治の実権を握り、武家政治を始める。
■ (7) 伊勢平氏・河内源氏・武家
(二頭政治政権)期
(1180〜1185年)。
● 1180年に、伊勢平氏と河内源氏が、日本
の政治の実権を握り、武家二頭政治を始め
る。
● 1180年の10月に、 富士川の戦いで、
平氏軍は兵力差を知り撤退し、源 頼朝が、
平氏軍に対し富士川の戦いで勝利を得る。
以後、源 頼朝は、西上(せいじょう)せず、
東国の安定確保に専念する。
■ (8) 河内源氏・武家政治
(政権)期
(1185〜1219年)。
● 1185年に、河内源氏が、武家政治を始
める。 河内源氏3代(源頼朝、源頼家、源
実朝)まで続く。
● 1185年の3月に、壇ノ浦(だんのうら)の
戦いが源平間で起こり、源義経が活躍し、
源氏軍が勝利し、伊勢平氏が滅亡する。
■ 平安時代後期・鎌倉時代前期の
歴代天皇一覧。
■ 日本の平安時代後期・鎌倉時代前期の
天皇の皇位継承順は、
白河(しらかわ)天皇 ⇒
堀河(ほりかわ)天皇 ⇒
鳥羽(とば)天皇 ⇒
崇徳(すとく)天皇 ⇒
近衛(このえ)天皇 ⇒
後白河(ごしらかわ)天皇 ⇒
二条(にじょう)天皇 ⇒
六条(ろくじょう)天皇 ⇒
高倉(たかくら)天皇 ⇒
安徳(あんとく)天皇 ⇒
後鳥羽(ごとば)天皇 ⇒
土御門(つちみかど)天皇 ⇒
順徳(じゅんとく)天皇 ⇒
仲恭(ちゅうきょう)天皇 ⇒
後堀河(ごほりかわ)天皇 ⇒
四条(しじょう)天皇 ⇒
後嵯峨(ごさが)天皇
の順である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安時代後期の歴代天皇一覧。
■ 天皇の皇位継承順は、次の通りである。
@ 白河(しらかわ)天皇 (貞仁(さだひと)親王) ⇒
(天皇在位、1072年〜1086年)
A 堀河(ほりかわ)天皇 (善仁(たるひと)親王) ⇒
(天皇在位、1086年〜1107年)
B 鳥羽(とば)天皇 (宗仁(むねひと)親王) ⇒
(天皇在位、1107年〜1123年)
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
C 崇徳(すとく)天皇 (顕仁(あきひと)親王) ⇒
(天皇在位、1123年〜1141年)
D 近衛(このえ)天皇 (体仁(なりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1141年〜1155年)
E 後白河(ごしらかわ)天皇 (雅仁(まさひと)親王) ⇒
(天皇在位、1155年〜1158年)
F 二条(にじょう)天皇 (守仁(もりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1158年〜1165年)
G 六条(ろくじょう)天皇 (順仁(のぶひと)親王) ⇒
(天皇在位、1165年〜1168年)
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
H 高倉(たかくら)天皇 (憲仁(のりひと)親王) ⇒
(天皇在位、1168年〜1180年)
I 安徳(あんとく)天皇 (言仁(ときひと)親王) ⇒
(天皇在位、1180年〜1185年)
J 後鳥羽(ごとば)天皇 (尊成(たかひら)親王)
(天皇在位、1183年〜1198年)。
♪♪ 平治の乱 が登場する、興味深い
関連 ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 平治の乱 が登場する、興味深い関連
ドキュメンタリー。
■ にっぽん!歴史鑑定
『 源平を操った後白河法皇 』。
(TBSテレビ・ 2017年11月27日・
本放送・歴史ドキュメンタリー番組)。
■ 平安時代後期の政治状況、時代状況
や活 躍した人々を詳細に述べる。
■ 後白河上皇(天皇、法王)を詳細に述べる。
■ 歴史秘話ヒストリア
『 私たち、草食系武士です。
〜新・平家家族物語〜 』。
(NHKテレビ・ 2009年(平成21年)
12月16日・本放送・歴史ドキュメン
タリー番組、第27回)。
★ 平治の乱 が登場する、興味深い、
関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。
歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実)
と 架空の出来事が 混じって描かれています。
また、 現代風にアレンジしてあります。
■ 『 平清盛 (たいらのきよもり) 』 。
(NHKテレビ・2012年大河ドラマ、
全50話)。
■ 平安時代後期を描いたドラマで、平安時
代後期に活躍した人物、当時の時代状況
を描く。
■ 平清盛の生涯を描く。
● 源 義朝 を演じる俳優名 : 玉木 宏。
● 平 清盛 を演じる俳優名 : 松山 ケンイチ。
● 由良御前(ゆらごぜん)を演じる女優名 :
田中 麗奈。
● 常盤御前(ときわごぜん 、源 義朝の側室
夫人)を 演じる女優名 : 武井 桜。
○ ドラマ関連のビデオ・書籍販促のPRフォト。
■ 『 義経 (よしつね) 』 。
(NHKテレビ・2005年大河ドラマ)。
● 古代日本の平安時代後期を描いたドラ
マで、 源 義経(みなもとのよしつね)の
生涯 や、 平安時代末期の色々な武士
の活躍を描いたドラマ です。
● 源 義朝を演じた俳優名 : 加藤 雅也。
● 平 清盛を演じた俳優名 : 渡 哲也。
● 常盤御前(ときわごぜん、源 義朝 の側
室夫人)を 演じた女優名 : 稲森 いずみ。
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■ 平安国風文化
(へいあんこくふうぶんか)。
■ 平安国風文化。
■ 時期 : 9世紀末〜12世紀末。
■ 名称 : 平安国風文化 (へいあんこくふうぶんか)。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
■ 平安時代中期・後期の、貴族を中心とする国風文化。
■ (例) 源氏物語、 平等院鳳凰堂 、 中尊寺金色堂。
■ 平安国風文化 (9世紀末〜12世紀末)。
● 日本の平安国風(へいあんこくふう)文化 (8世紀
末〜12世紀末) とは、 平安時代中期・後期の、 貴
族を中心とする国風文化 である。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
● 平安国風文化の仏教文化は、 末法(まっぽう)思想、
極楽往生(ごくらくおうじょう)、 阿弥陀堂(あみだどう)
建立(こんりゅう)など財力の必要姓、 庶民でも可能な
念仏(ねんぶつ) 等を特徴とする。
■ 平安国風文化の例。
平安国風文化の例として、源氏物語 (げんじも
のがたり、文学作品、長編恋愛小説、紫式部作)、
少納言作)、 平等院鳳凰堂 (びょうどういんほ
うおうどう、建物) 、 中尊寺金色堂 (ちゅうそんじ
こんじきどう、建物) などがある。
■ 源氏物語(げんじものがたり)は、 女流作家・紫
式部により、平安時代中期に書かれた長編恋愛小
説で、およそ54帖よりなる。
源氏物語は、平安時代中期を舞台に、天皇の皇
子(みこ)として生まれ、才能、容姿とも恵まれながら
臣籍降下し源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の
人生及び光源氏の子孫らの人生を描く。
源氏物語は、概(おおむ)ね、三部よりなり、第1
部では、光源氏の数多き恋愛遍歴、栄華を極める
前半生、 第2部では、光源氏の愛情生活の破綻
(はたん)や無常を自覚する後半生や源氏を取り巻
く子女の恋愛、 第3部では、源氏死後の子孫達の
恋と人生 などである。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 平等院鳳凰堂。
■ 平安国風文化の遺産の1つとして、藤原頼通が建
てた平等院鳳凰堂(建物、京都府宇治市)がある。
平等院鳳凰堂 (びょうどういんほうおうどう) は、
摂関家の藤原頼通(ふじわらのよりみち)が、 極楽
往生を願い、 父の藤原 道長(ふじわらのみちなが)
の宇治(うじ)の別荘地「宇治殿」を、1052年 (仏教
の末法の世に入る年、永承(えいしょう)7年)に、 平
等院という寺とし (寺院に改め)、 極彩色(ごくさいし
き)豊かな(現在は約1000年も経ち色は落ちてしまっ
たが)、 鳳凰堂という阿弥陀堂(あみだどう)を、 10
53年に建立(こんりゅう)し(落成し)、「極楽」を再現し
たものである。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
◆ 中尊寺金色堂。
■ 奥州(ほうしゅう、東方地方)の清原(藤原)清衡は、
晩年、 東北人同士が争い、沢山の血が流され、多く
の犠牲者が出た、前九年合戦や後三年合戦での犠牲
者の死者の鎮魂 や 奥州の永久(とわ)の平和と繁
栄を願って、 1124年に、平泉に、中尊寺金色堂(ち
ゅうそんじこんじきどう)を建立(こんりゅう)する。
中尊寺金色堂は、阿弥陀堂(あみだどう)で、奥州
での豊富な金の産出を背景に、内面、外面、須弥壇
(しゃみだん)にいたるまで、黒漆(くろうるし)を塗った
上に金箔(きんぱく)をほどこし、須弥壇や巻柱(まき
ばしら)には、夜光貝をほどこしている。 須弥壇の下
には、藤原清衡、基衡、秀衡の三代の遺骸がミイラの
状態で安置されている。
中尊寺金色堂は、現在、世界遺産の1つとなって
いる。
中国の元に長年滞在したマルコポーロ(1254〜
1324年)の「世界の記述」(東方見聞録)にあるジパ
ングの王宮の記述は、 中尊寺金色堂、毛越寺などの
平泉の黄金文化をさしている可能性がある。 平泉の
黄金文化の噂(うわさ)が、 平泉から東北地方北部
の十三湊(とさみなと)をはじめ日本各地の湊(みなと)
を経て、日本海側・太平洋側日宋・日元貿易ルートか
ら中国の南宋(1127〜1279年)や元(1271〜13
68年) に伝わっていった可能性がある。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
♪♪ 平安国風文化 が登場する、面白く、興
味深い、 ドキュメタンリー、ドラマ、映画。
■ 歴史秘話ヒストリア 『 東北に輝け!幻
の黄金都市〜世界遺産・平泉 奥州藤原
氏100年の夢〜 』 (20 12年(H24年)3月
14日本放送・NHKテレビ・ドキュメンタリー番組)。
■ 清原(藤原)清衡の建てた、中尊寺金色堂 が登場
する。
★ 平安国風文化 が登場する、面白く、興味
深い、 ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 歴史のド
ラマ、映画 は、 史実(歴史上の事実) と 架空の出来
事が 混じって描かれています。 また、 現代風にアレ
ンジしてあります。
■ 『 源氏物語千年の謎 』
(2011年日本映画)。
● 紫式部を演じた女優 : 中谷美紀。
■ 「源氏物語」の作者の紫式部や摂関家の藤原
道長も登場する。
■ 『 千年の恋 ひかる源氏物語 』
(2001年日本映画)。
● 紫式部を演じた女優 : 吉永小百合 (よしな
がさゆり)。
■ 「源氏物語」を描いた映画。
■ 「源氏物語」の作者の紫式部や摂関家の藤原
道長も登場する。
♪♪ 素晴らしい関連写真
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■ 平安京遷都
(へいあんきょうせんと)。
■ 平安京遷都。
■ 名称 : 平安京遷都 (へいあんきょうせ
んと)。
■ 794年。
■ 桓武(かんむ)天皇が遷都を行う。
■ 遷都後、「千年の都」 となる。
■ 長岡京 (ながおかきょう) とは、桓武天皇
が、 一時、都としたところである。 平安京
の西南にあった。
桓武天皇 は、 784年に、 庶政一新の
ため (強大化した仏教勢力を朝廷より遠ざ
けるため)、 奈良の平城京(へいじょうきょう)
からの遷都を計画し、 784年に、長岡京の
都の造営に着手した。 しかし、翌年、長岡京
造営の中心人物の藤原種継(ふじわらのたね
つぐ)が暗殺されたり、 天変地異も多発し、
事業は難航した。 ついに、桓武天皇 は、造
営途中の長岡京を放棄して、 794年に、平
安京へ遷都した。
■ 794年に、 桓武(かんむ)天皇は、 和気
清麻呂(わけのきよまろ)の建議により、 長
岡京(ながおかきょう)から、 山城国 (やま
しろのくに、京都府) 葛野郡宇太野 に遷都
し、 「平安京」(へいあんきょう) と号した。
■ 遷都当時の「平安京」は、 規模は、 奈良
の平城京(へいじょうきょう)よりやや大きく、
南北約5.3KM、東西約4.6KMで、 朱雀
大路(しゅざくおおじ)で左・右両京に分かれ、
南北9条(じょう)、東西4坊(ぼう) に分け
られた。 朱雀大路の南端に、 「平安京」
の正門である羅城門(らじょうも ん)がおかれ
た。
♪♪ 平安京遷都 が登場する、興味
深い、 ドキュメタンリー、ドラマ、映
画。
★ 平安京遷都 が登場する、興味深
い、 ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。
歴史のドラマ、映画 は、 史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ
ています。 また、 現代風にアレンジしてあ
ります。
■ 『 陰陽師 〜おんみょうじ〜 』
(2001年 制作日本映画)。
● 桓武 天皇を演じた俳優 : 木下 ほうか。
● 陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)の活
躍を描いたSF時代劇。
● 安倍清明を演じた俳優: 二世野村萬斎
(にせいのむらまんさい、1966年〜現在、
狂言師)。
● 平安時代中期の 陰陽家の安倍清明が、
登場する。
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■ 部屋住
(へやずみ)。
■ 部屋住。
■ 時期 : 江戸時代。
■ 名称 : 部屋住 (へやずみ)。
■ 江戸時代の武家の、跡継ぎでない男子の武士。
■ 江戸時代は、嫡男・長子(長男)の相続が原則であった。 一般的に
は、家督相続ができない、次男以下の者を部屋住と呼ぶ。 嫡男(ちゃ
くなん)でない男子で、相続をしない間の身分である。
■ 他家へ養子に出ることが多かった。
● (例)水戸藩主の7男の徳川 慶喜(よしのぶ)は、跡継(あとつ)ぎで
ないため、一橋家へ養子に入った。
■ また、上の兄達が、死去したり、または、養子に出たりして、部屋住の
弟が家督をつぐケースもあった。
● (例)部屋住時代があった、徳川吉宗(とくがわよしむね)、井伊直弼
(いいなおすけ)は、家督をつぐべき上の兄達が、死去し、家督をつい
だ。
■ 部屋住 (へやずみ) とは、 江戸時代の武家の、跡継ぎでない男子
の武士 である。
■ 部屋住 (へやずみ) とは、 嫡男(ちゃくなん)でない男子で、一般的
には、家督相続ができない、次男以下の者をいう。 嫡男(ちゃくなん)で
ない男子で、相続をしない間の身分である。
■ 江戸時代の武家では、当時、原則として、嫡男・長子(長男)が、家督
を継ぐのが決まりであった。
■ 部屋住の男子の武士は、 武士の他家へ養子に出ることが多かった。
■ 次男以下の者は、 部屋住で、一生を過ごさないために、他家の武士
の家に養子に出ることが多かった。
● 例えば、 水戸藩主の徳川 斉昭(とくがわ なりあき)の7男の、部屋住
の徳川 慶喜(よしのぶ)は、 跡継(あとつ)ぎでないため、一橋家へ養子
に入り、 一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)となる。
■ 次男以下の者は、 長男が、病死等で死去したり、養子に出たりした
場合、長男の代わりに、その生家の家督を継ぐことができた。
● (例)部屋住時代があった、徳川吉宗(とくがわよしむね)、井伊直弼
(いいなおすけ)は、家督をつぐべき上の兄達が、死去し、家督をつい
だ。
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■ 偏諱授与
(へんきじゅよ) (一字拝領) 。
■ 偏諱授与。
■ 偏諱授与 (へんき じゅよ)。 偏諱授与 (かたいみな じゅよ)。
別名、 一字拝領 (いちじはいりょう)。
■ 主君が、自分の諱(いみな、個人名の実名)の一字を、主従関係の証と
して、 臣下(家臣)に与えること。
■ 臣下(家臣)が、 主君の諱(いみな、個人名の実名)の一字を、主従関
係の証として、 主君より受けること。
■ 諱(いみな、個人名の実名) は、 平安時代中期から、 漢字二字からな
る名が一般的になる。
■ 中世、近世の日本で (鎌倉時代から江戸時代まで)、 貴人が、臣下へ、
恩恵の付与として、 偏諱(へんき)を与える例がよく見られた。
● 中世、近世の日本で (鎌倉時代から江戸時代まで)、 武家で、漢字二字
の諱(いみな、個人名の実名)の一字を、 主従関係の証として、 主君が臣
下(家臣)に与えることが頻繁に行われた (臣下(家臣)が主君より偏諱 (へ
んき)を貰(もら)う習慣があった) 。
■ 実例
● 鎌倉時代に、 鎌倉幕府執権の北条時宗(ほうじょうときむね) は、 鎌倉
幕府の6代将軍の宗尊親王(むねたかしんのう)から「宗」の偏諱 (へんき)を
賜(たまわ)り(一字を貰(もら)い)、時宗と称す。
● 建武時代に、 足利尊氏(あしかがたかうじ) は、 後醍醐天皇の諱(いみ
な)の尊治(たかはる)より「尊」の偏諱 (へんき)を賜り(一字を貰い)、尊氏と
称す。
● 室町時代後期(戦国時代)に、 武田晴信 (たけだはるのぶ、武田信玄)
は、 室町幕府12代将軍足利義晴(あしかがよしはる)より「晴」の偏諱 (へん
き)を賜り(一字を貰い)、晴信と称す。
● 江戸時代に、 徳川光圀 (とくがわみつくに、水戸黄門) は、徳川幕府3
代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)より「光」の偏諱(へんき)を賜り(一字を
貰い)、光圀と称す。
● 江戸時代に、 徳川幕府15代将軍徳川慶喜 (とくがわよしのぶ、一橋慶
喜) は、 徳川幕府12代将軍・徳川家慶(とくがわいえよし)より「慶」の偏諱
(へんき)を賜り(一字を貰い)、慶喜と称す。
■ 偏諱授与 (へんきじゅよ、かたいみなじゅよ) とは、 別名、 一字拝領
(いちじはいりょう) とも言う。
■ 偏諱授与 は、 主君が、自分の諱(いみな、個人名の実名)の一字を、主
従関係の証として、 臣下(家臣)に与えることである。
■ 偏諱授与 は、臣下(家臣)が、主君の諱(いみな、個人名の実名)の一字
を、主従関係の証として、 主君より受けることである。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上。