『アウトサイダー』(『THE NATURE OF THE NEW MIND』)
“何々人”“何々国”という災い
Identity epidemic
“鳥居的丹田”の本源的“自由”とは何でしょうか?
“鳥居的丹田”の本源的“美”とは何でしょうか?
“鳥居的丹田”の“カタルシス”とは何でしょうか?
球磨川の爆流と清流のエネルギーは“鳥居的丹田”のエネルギーと同質でしょうか?
“はかられうるものは真理ではありません”(『クリシュナムルティ・ノート』)
思考の産物:数;時間;コンピューター・アルゴリズム;観念;概念;美醜:正邪;好悪;善悪;文化;価値;伝統;歴史;分析;文学;芸術;思想;宗教
美人の美と美女の“不可能の美”との違いとは何でしょうか?―デュシャン版“モナリザ”
“師を超えて行かない弟子は哀れです”―レオナルド・ダ・ヴィンチ
シデザクラの先に広がる天空の青は“鳥居的丹田”でしょうか?
ヤマボウシが仰ぐ曇天の広がりは“鳥居的丹田”でしょうか?
カラタネオガタマに触れる早朝の冷気は“鳥居的丹田”でしょうか?
福島第一原発の核廃棄物の中の半減期数十万年は思考の無能の謂いでしょうか?
“かくして放射性廃棄物は、どのような形で管理・処分されようとも、数十万年から数百万年の桁の期間、生物のすむ環境から厳密に隔離されている必要が生じる”“しかし、何十万年もの管理の間、貯蔵施設が天災や人為的破壊から守られ続けるという保証はないのである”“放射能廃棄物の処分に対して、どんなに楽観的な予測をもつ人でも、処分の対象にプルトニウムを含めることはないだろう”“いったん生産されたプルトニウムは、消え去ることはなく、処分することもできない。いかなる形にせよ、永遠に管理し続けるしかない”“長い寿命をもった放射性廃棄物やプルトニウムの管理は、何十万年、何百万年の安全性を見通して考えられなければならない。それはこれまで人類が経験したことのないような、時間的ひろがりをもった問題である”(高木仁三郎)
十万年一秒の“鳥居的丹田”とは何でしょうか?
『非常に遠くへ行くためには、非常に近くに来なければなりません』(J.クリシュナムルティ)
我々に必要なのは時間的思考的蛸壺の外の“鳥居的丹田の五官”でしょうか?
“BLACK LIVES MATTER”as“ALL LIVES MATTER”:我々は依然として思考の蛸壺の中でしょうか?
我々の思考的“惰性”(同)とは何でしょうか?
とりわけ現代において親が子を産むのは親の“科”(盤珪永琢)でしょうか?
我が子が愛らしいのは物心つくまでで“そのあとは野となれ山となれ”(J.クリシュナムルティ)でしょうか?
“鳥居的丹田”が触れてやりすごす“時と場”とは何でしょうか?
人の世や“現実”を食べ尽くす“毛虫”かな
鳥居立つ路傍に雑草の丹田かな
『新しいものを見るのは大いなる喜びです;もしあなたが自ら大いなる発見をするなら、それはあなたに途轍もないエネルギーをもたらします...』(同)
鳥居立つ時間の外の丹田かな
思考とは時間の中を這いずり回る“虫のような奴”(稲垣足穂)でしょうか?
国策の“虫”が“人”を食い物にして“人”を“数字”に変えるのでしょうか?
“人”を競わせて賞罰を課す“何々人何々国”という“蛸壺”の合理的効率的国策経営とは何でしょうか?
囚人番号;兵士認識番号;国民番号;マイナンバー
“鳥居的丹田”の“生死不二”の“美”とは何でしょうか?
“動不動”“生死不生”の“美”を“斎う”のは何でしょうか?
『もしあなたが文字通り何かに目をやるなら、窓の外に目をやるなら、一言も言葉を浮かべずにそうするなら、それは言葉を抑え込むことではありませんが、頭脳の干渉をやり過ごして、ただそうするなら、そこに“手がかり”があります、そこに“鍵”があります』(J.クリシュナムルティ)―“鳥居的丹田”;“不生”(盤珪永琢)
“鳥居的丹田”;“頭脳の活動をやり過ごして”;“美”の“斎く”一千一秒の“不生”かな
首無しの赤い鳥居のカタルシス
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魑魅魍魎とは何でしょうか?
魑と魅と魍と魎の“水の精”(J.クリシュナムルティ)とは何でしょうか?
我々は死から見放された饒舌な生き霊でしょうか?
蛸壺的時間のVRは死と美の今を締め出すのでしょうか?
丹田や死んでやり過ごす笑かな
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“最初の一歩が最後の一歩です”(同)
それは時間的プロセスの“ままごと”(同)ではないのでしょうか?
“もろもろの悩みも消ゆる雪の風”(和田久太郎)
...
人と建物が瞬く間に消え変わる/百年一秒の人類の早回しに通底するのは/丹田の死の美の今の“愛”(J.クリシュナムルティ)でしょうか?
激しく動き回る尻尾(頭脳/精神/心)を“時代”に食わせて、静かに見守る守宮(丹田)の叡智とは何でしょうか?
“落下する毛虫のごとく”;『 Water off a duck's back』(同)
丹田のもたらす“ハーモニー”とは何でしょうか?
“蛸壺”とは何でしょうか?
コンピューター・アルゴリズム(VR)の“偽空間”は人々に、とりわけ若い人たちに不寛容の種を植え付けるのでしょうか?
丹田や笑ってやり過ごす熱気かな
不生の熱気:時間未生以前;思考未生以前;感情未生以前;意識未生以前;言葉未生以前;観念未生以前;ナショナリズム未生以前;日本国未生以前;日本人未生以前
“無垢とは何でしょうか?”(同)
“幸は何ものでもない人にこそあり”(同)
......
クリシュナムルティ 我々は危機の中にいます、世界の途轍もない危機の中にいます、そしてそれは我々の意識の中の、我々の中の危機でもあります。私は差し迫った変化の必要性を見て取ります、根本的な革命の必要性を見て取ります、精神の中の何らかの変質の必要性を見て取ります。私はそれを見て取ります。それが必要です。精神の完全な静寂です、そして精神が沈黙すると壮大な空間が生まれます、そのときにのみ名付けようもない何かが生まれます。ーTHE KRISHNAMURTI PODCAST
“時代”の“現実”を死んでやり過ごす丹田の“守宮の尻尾”の“今””の“熱気”とは何でしょうか?
私たちは“死”(同)から見放された生き霊でしょうか?
蛸壺の日本人日本国の“エンターテイメント”とは何でしょうか?
蛸壺の猥褻性とは何でしょうか?
メディアの猥褻性とは何でしょうか?
“もしあなたが静かにたとえ一分でも、一秒でも耳を澄ませば、あなたは分かるでしょう、その正に静けさの中に、その正に沈黙の中に、全き充溢、豊穣そして美と真理の善き何かがあることを”(同)
“言葉で理解するのではありません、知的に理解するのではありません”(同)―『思考の限界ー知性のまやかし』
“瞑想は、強烈に燃えて、灰を残さない炎です。言葉や感情や思考は、いつも灰を残します。その灰を糧とするのが世の習いです。”(『クリシュナムルティ・ノート』)
生じることも従って滅することもない、不生不滅の、丹田の宇宙未生以前の“不生の美”とは何でしょうか?
守宮の尻尾のごとく、“時代”の虚偽の“現実”を死んでやり過ごす、丹田の“不生の美”とは何でしょうか?
“不生でおわせ”(盤珪永琢)
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もし世界的なパンデミックが我々に何かを教えているとするなら、それは良質な関係性が問題解決には必須であるということです。クリシュナムルティは絶えずこの事実を話したり書いたりしました、あらゆる生が関連していて、このことを深く理解することなしに、いかなる問題も適切に向き合えないと。現在の気候変動、環境の劣化、経済的格差、政治的そして宗教的亀裂、ナショナリズムや戦争、これらは関係性の変質なしには完全に解決されえません。―KFT
川のそばに樹木が一つ聳えています、我々はその樹木を日が昇るとき毎日毎日数週間見続けてきました。
太陽が地平線からゆっくり上り出して、その樹木の上に来ると、その樹木はいきなり金色に輝きます。あらゆる木の葉が生き生きと輝きます。そして一日が始まると、日の光を浴びた木の葉は揺らいで、人はその光に大いなる美を感じます。昼になると、その影は深まり、あなたがそこに座ると日差しから守られます、あなたは決して孤独を感じません、木の葉があなたの友になります。
もしあなたがその樹木と関係を築くなら、あなたは人間と関係を築きます。あなたはその樹木と世界中のあらゆる樹木に責任があります。しかし、もしあなたがこの地球上の生き物たちといかなる関係も築かないなら、あなたは人間性や人間たちとのいかなる関係性も失うかもしれません。もし我々が自然との、実際の樹木たちとの、叢林との、花々との、草や瞬く間に流れ去る雲との深い長く永続する関係を築きうるなら、我々はそうしなければなりませんが、我々は決して他の人間をいかなる理由によっても殺戮しないでしょう。
―『KRISHNAMURTI TO HIMSELF』
シデザクラの先に広がる天空の青は“首無しの赤い鳥居の丹田”でしょうか?
ヤマボウシが仰ぐ曇天の広がりは“首無しの赤い鳥居の丹田”でしょうか?
カラタネオガタマに触れる早朝の冷気は“首無しの赤い鳥居の丹田”でしょうか?
“もろもろの悩みも消ゆる雪の風”(和田久太郎)
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コミュニケーションとコミューニオンとの違いとは何でしょうか?
触ると触れるとの違いとは何でしょうか?
“日本”という“水も漏らさない蛸壺”の“ペッキングオーダー”とは何でしょうか?
この日本版“ペッキングオーダー”の頂点に君臨するのが何かは言わずもがなでしょうか?
私は成功という観念を余すことなく否定します―『全く異なる生き方』(『A WHOLLY DIFFERNT WAY OF LIVING』)
“蛸壺”を“死んでやり過ごす”(J.クリシュナムルティ)“今”の“霊妙な空間の美”とは何でしょうか?
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“最初の一歩が最後の一歩です”(同)―それは時間的プロセスの“ままごと”(同)ではないのでしょうか?
首無しの赤い鳥居のカタルシスとは何でしょうか?
三種の神器の一つであるアマテラスオオミカミの鏡とは何でしょうか?
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“言葉で理解するのではありません、知的に理解するのではありません”(同)―『思考の限界ー知性のまやかし』
“言葉はそれが伝えようとするその当のものではありません”(同)
“説明はそれが説明しようとするその当のものではありません”(同)
“分析は分析者が正に分析される当のものです”(同)
“観察は観察者が正に観察される当のものです”(同)
“話し手は重要ではありません。話し手はつまらない男です”(同)
“私の墓は公表しないでください”(同)―高橋重敏氏・談
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“言葉で理解するのではありません、知的に理解するのではありません”(同)―『思考の限界ー知性のまやかし』
丹田の子宮との違いはとは何でしょうか?
“メディア”の猥褻性とは何でしょうか?
“私”の猥褻性とは何でしょうか?
知力とは何でしょうか?(同)
蛸壺とは何でしょうか?(同)
意識とは何でしょうか?(同)
気づきとは何でしょうか?(同)
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『ままごとはそれくらいにしておけ』(天知茂)(『某映画』)
これより女人お断り
況や男おや
我々は様々な蛸壺から抜け出すことができるのでしょうか?
“男と女の間には 深くて暗い河がある 誰も渡れぬ河なれど えんやこら今夜も舟を漕ぐ ROW AND ROW ROW AND ROW 振り返るな ROW ROW”(黒の舟唄)―野坂昭如
美人の美と美女の“不可能の美”との違いとは何でしょうか?―デュシャン版“モナリザ”
“死はお断りする”(同):預金通帳、性別、肌の色、目の色、姿かたち、人種、血統、才能、知力、観念、イデオロギー、宗教、文化、伝統、権威、名誉、経験、知識などなど
“丹田”も同様でしょうか?
“日本人”という“ローカル・アイデンティティ”とは何でしょうか?―“日本人に生まれてよかった”;“日本人を返せ”;“岸壁の母”
『昭和』の嘘と誠とは何でしょうか?
我々は“死”から見放されて何やら弾けている生き霊でしょうか?
本当の“生”とは何でしょうか?
死んでやり過ごす守宮の尻尾とは何でしょうか?
“Leave it there”;“Leave it alone”;“Leave it at that ”;“End it there”―(同)
人の世を守宮の尻尾のごとく死んでやり過ごす逆流(ぎゃくる)の空無(くむ)の丹田のMaitreyaとは何でしょうか?
“The Future Is Now”(同)
丹田の今に触れる不生かな
不生でおわせ
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触ると触れるとの違いとは何でしょうか?
穂先の不動の動とは何でしょうか?
“意識”の“人造林”の中に萌え出る“若葉”とは何でしょうか?
これは“暗喩”(同)であって“直喩”ではないのでしょうか?
我々の内と外のあらゆる“動き”もまた地球的自転公転に出自するのでしょうか?
地球的自転公転に逆流(ぎゃくる)する宇宙未生以前の“不動の動”とは何でしょうか?
始まりもなければ終わりもない“創造”(同)とは何でしょうか?
時間とは無縁の“創造”(同);“死”(同);“愛”(同);“瞑想”(同);“無垢”(同);“エネルギー”(同)とは何でしょうか?
生じもしなければ滅しもしない“不生不滅”とは何でしょうか?;不生でおわせ
“先の先”(盤珪永琢)と“後の先”(J.クリシュナムルティ)とは何でしょうか?
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“真剣であること”(同)とは何でしょうか?
“単独であること”(同)とは何でしょうか?
“途方もない男性性”(同)とは何でしょうか?
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電子ゲーム的CONCENTRATIONとATTENTIONとの違いとは何でしょうか?
コンピューター・アルゴリズムの奴隷(同)とは何でしょうか?
あなたの中に月は出ているでしょうか?
触ると触れるとの違いとは何でしょうか?
“私は知りません”(同)とは何でしょうか?
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空間と自由とは何でしょうか?
観念的な今を生きるのではなく、“今”の“真髄”(J.クリシュナムルティ)とは何でしょうか?
死んでやり過ごす守宮の尻尾とは何でしょうか?
首無しの赤い鳥居の丹田とは何でしょうか?
意識の明と暗は地球的自転公転の昼と夜に出自するのでしょうか?
明が虚を照らし、虚が明を照らす、生の全体性とは何でしょうか?
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“蛸壺囚人”(J.クリシュナムルティ)の日本人というアイデンティフィケイションとは何でしょうか?
締まる“蛸壺” 開く“丹田” 射す“光” とは何でしょうか?
時間とは無縁の “今”の “真髄”の “美”の “喜悦”の “浄化” とは何でしょうか?
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“個人”が戦争と暴力について責任を引き受けるところ、そこに平和が足掛かりを見つけます―J.クリシュナムルティ 1948年...
数百あるいは数千年の“形而下”の“処世術”が蹂躙している“形而上”の何かとは何でしょうか?
我々の“形而下”の暴虐な軍事的処世術に終止符を打つのは“形而上”の何かでしょうか?
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“他人”とは何でしょうか?
“家族”とは“他人”を作り出す“システム”でしょうか?
“他人”を作り出す“親の科”とは何でしょうか?
“母親が最も危険な人間です”(笑)―J.クリシュナムルティ
“分断”(同)とは何でしょうか?
通じ合う何かの“コミューニオン”(同)とは何でしょうか?
日本人=日本国という“蛸壺”の“牢獄”(同)とは何でしょうか?
日本人=日本国の“蛸壺”の相も変わらずの騒動とは何でしょうか?
“牢獄”(同)の中の“エンターテイメント”(同)とは何でしょうか?
“自由”(同)とは何でしょうか?
内面の“内的宇宙”(同)とは何でしょうか?
宇宙未生以前の不動の動の“美”(同)とは何でしょうか?
“時間とは無縁の何か”(同)とは何でしょうか?
“愛”(同)とは何でしょうか?
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“言葉でではなく、知的にではなく、実際にです”(J.クリシュナムルティ)
“『実践する』という言葉は酷い言葉です”(同)
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“日本人=日本国”という“蛸壺”の“牢獄”(J.クリシュナムルティ)とは何でしょうか?
明治の文明開化期に造語されたと思われる“宗教”という言葉は、底の知れない罪深い言葉でしょうか?
蛸壺囚人、蛸壺芸人、蛸壺タレント、蛸壺エンタメ、蛸壺文化人、蛸壺知識人、蛸壺歴史家、蛸壺文学者、蛸壺学者、蛸壺思想家、蛸壺哲学者、蛸壺評論家、蛸壺メディア、蛸壺政治家、蛸壺総理大臣、蛸壺....とは何でしょうか?
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“沈黙”(K)の“アーティスト”(K)、あるいは、“美”(K)の“不動の動”とは何でしょうか?
“空間”の“美”の“慈しみ”とは何でしょうか?
ロシア=ウクライナ戦争とは何でしょうか?
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......意識の“満ち潮=引き潮”とは何でしょうか?
....あなたの中に“沈黙の月”は出ているでしょうか?
.....ロシア=ウクライナ戦争とは何でしょうか?
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幼子のみなもの慈しむ“い”とは何でしょうか?
命の“い”とは何でしょうか?
生きるの“い”とは何でしょうか?
息の“い”とは何でしょうか?
胃の“い”とは何でしょうか?
丹田の慈しむ“い”とは何でしょうか?
“い”は“叡智”(J.クリシュナムルティ)でしょうか?
あらゆる“表現”を死んでやり過ごす“美”とは何でしょうか?
”不生でおわせ”(盤珪永琢)
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我々が“日本人”である限り、我々は、日本国憲法の、第九条の、殺しもしないし殺されもしない“無防備”(J.クリシュナムルティ)を生きることはできないのでしょうか?
“ナショナリズムは毒薬です”(同)
首無しの、丹田の、赤い鳥居の“Touch Wood”は“瞑想”(同)でしょうか?
それは、沈黙の“マイトレーヤ”(同)の観察する“叡智”(同)でしょうか?
それは、現実の世界に起こりうる、死んでやり過ごす“空”の“奇跡”(同)の“美”でしょうか?
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The prayer is the prayed.
祈り手が、正に、それが祈ろうとするその当のものでしょうか?
“いのる”の“い”とは何でしょうか?
自力と他力は、それぞれのルーツを、その他方に根ざす対極概念でしょうか?
自力でもなく他力でもない何かとは何でしょうか?
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男でもなく女でもない何かとは何でしょうか?...
死霊と生霊に通底する“意識”に、水を遣り、香を焚き、花を生け、鉦を響かせるのは何でしょうか?
“いのる”の“い”“いきる”の“い”とは何でしょうか?
“Love”(J.クリシュナムルティ)とは何でしょうか?
“美”(同)とは何でしょうか?
言の葉の大地に根づく“丹田”かな
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現在、我々が目の当たりにしているのは、欧米=中東的知性及びその東洋的亜流の凄惨な終焉でしょうか?...
あなたの中に“月”は出ていますか?
“私は敵です”(K);“私は時間です”
“生きるとは―“From moment to moment”(K)―死ぬことと見つけたり”
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“日本人”という“ノイズ”ー“Superficial acitivities”(K)ーをやり過ごす、“Without choice”(K)、吸うて見て見て吐く叡智の、“潮の干満”(K)の如く、無尽の空間を、一千一秒、“From moment to moment”(K)呼吸するのは何でしょうか?