対抗文化としてのアジアン・エスニック
Aroma und Appetit




Aroma und Appetit
Eileen/Haas, Harry Candappa
Beratungsstelle fur Gestaltung
1983


 スリランカとアジアの料理を扱った本だが,編者による前書きがおもしろい。以下はその要点。要点をまとめるには「前書き」にかかれた段落を入れ替える必要がありました。日本人が読むには意味の取りにくい部分があり、その部分を補足しました。

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 男女均等法が生まれてから,名実ともに因習の束縛から開放された女性達はファースト・フードに飛びつくことでキッチンからも開放されました。
 同じように男性達も因習から開放されたから、女性達が見捨てたキッチンに足を踏み入れることができて、その“聖地”を自由の大地にすべく自らの足で踏み固めることができました。
 棚にスパイスの瓶を並べ,怪しげな媚薬にも似た食材をキッチンに持ち込み,摩訶不思議な世界の在り処を教えるエキゾチックなレシピーを広げて何やら料理を作り始めたのです。

 そうした状況の中で、スパイスを使ったアジア料理が流行しています。でも、残念なことに,西欧でのアジア料理の流行は“伝えるべき“アジアの料理文化を伝えていません。本物は伝えられていないのです。
 瓶に詰まったスパイスはオリジナルなものか。いや、はっきりと言い換えて、本物と言えるか。大きくなったスパイス市場では伝統的なスパイスの使い方が無視されています。スパイス市場で生まれた新しいレシピーが独創性もなくコピーされ続けているのです。

人は“正気“というものに敏感です。
「聖」と「俗」、「緊張」と「弛緩」、「美」と「醜」、「直感」と「科学」,「偶然」と「策略」。これらは互いに結合することはないのですが,それらの間にある張り詰めたものが人を“正気“に導きます。
 ところが、そうした相反するものを結ぶ糸はすぐに途切れ,人の心は切り刻まれていくばかりです。こうした現状を切り開く文化はないか。これに反逆できる文化は生み出せないだろうか。切り刻まれて散らばった”部分”を”全体”に帰すことのできる新しい文化を対抗文化として、私達は生み出せないでしょうか。
 アメリカ,オーストリア,ニュージーランドを旅して回りました。そして,知ったことがあります。今の世界は切り刻まれた“部分“がめちゃくちゃに散らばって取り返しのつかない状態にあると。

 途切れてしまった世界。人々の心は切り刻まれ、病んでいます。
 こうした現状を切り開く文化はないか。これに反逆できる文化は生み出せないだろうか。切り刻まれて散らばった”部分”を”全体”に帰すことのできる新しい文化を対抗させられないだろうか。

 そうした対抗文化を生み出そうとする動きは,確かに,いくつか見出されます。このレシピー書もそうした新しい動向の中に生まれたものです。
 いえ、この書が”対抗文化そのもの”だ,と言いきるつもりはありません。私達が目指しているのは“対抗”ではありません。人間の歴史がこれまで歩んできた道をなぞって歩くほうが私達は好きだからです。
 ただ,歩くべきその道を、南アジアの小さな島スリランカに見出してしまったことで、この書が生まれてしまったのです。
 アジアと西欧の”料理の融合”はすでに行われています。私達がこの書を作った目的はそれを発展させること,文化の交換を進めることにあります。