2010-5-08 , 2011-2-05 2014-02-18



漱石とコロンボのB・I・ホテル


 名物のライスカレーを喫す

 右の看板、HOTELとありますが、食事を提供する飲食店です。スリランカ第一の経済都市コロンボのフォート地区にあるムダリゲー横丁。その通りにある飲み屋兼食堂の前に掲げられたものです。

 「B・I・HOTEL」とあります。B・Iはブリティッシュ・インディアの略です。
 この名前を117年前、日記に「British India Hotel」と記して「結構大ならず中流以下の旅館なり」と評した日本人がいました。あの夏目漱石です。国費留学生として英国に向かった漱石は…当時はまだ夏目金之助でした…、コロンボに寄港した英国船から降りて、市内を馬車で観光した後にこのホテルで食事を取りました。

 1900年10月1日付。漱石の日記。このホテルで「名物のライスカレを喫す」とあります。

  店に入って見ましょう。入口脇にもう一つ、看板があります ⇒。
 こちらはB・I・ホテルのランチ・メニューを書きこんだものです。
 Today special(今日のお勧め)に「ライス・アンド・カレーrice and curry」とあって「鳥・レバー・魚・海老・牛・たまご」の順で並んでいます。メインのカレー料理の種類を書き並べています。
 ライス・アンド・カレーの下に「COURSESコーサス」とあります。コーサスは酒を飲むときのサイド・メニューです。かなりボリュームがあって3、4人で飲みに入ってもこの一皿でつまみは足りてしまいます。その下には「デビルドDEVILLED」とあります。これも酒のつまみでデビルは「悪魔のように辛い」のことです。
 スリランカで”ホテル゛と言えば、それは多く゛大衆食堂”のこと。ブリティッシュ・インディア・ホテルは夜に勤め帰りのサラリーマンを集めてにぎわいます。漱石がここに寄った英国統治時代のままのメニューを並べて客を誘い込んでいます。ここは南国熱帯スリランカ。名物のライスカレー。今も昔も変わりません。

 B・I・ホテルがこのムダリージ横丁で営業を始めて百年をとうに過ぎました。
 マネージャーのマール・セネウィラトナさんは、
「今のビルに移って15年(2010年時点)。その前はグローブ・ホテルで10年。わたしはフォートには40年住んでいるから、このあたりのことで知らないことはない」
 そう言って,B・I・ホテルの沿革を語ってくれました。
「B・I・ホテルは前の場所から移ったんだよ。よこのグローブ・ホテルの下に食堂があるだろう。そこが以前のB・I・ホテルだった」
 ビルを一つ隔てたところにグローブ・ホテルがあります。その一階が食堂になっていたのです。密造酒を客に提供して営業停止を食らったりの大変な時がありました。また、1983年に始まったスリランカ内戦の時代には強制的に営業を抑えられもしました。

 しかし、スリランカの事情が変わりました。先の選挙でスリランカ自由党から連合国民党を中心にする内閣に政体が変わり、この9月にはタイでLTTEとの平和交渉が持たれたのです。最近は国内の活動も自由になりました。タミルの過激政党がテロ行為から議会政治重視へと方針を変えたので治安が良くなり、経済活動が活発になりました。食堂兼飲み屋のB・I・ホテルが看板を掲げて復活したことの背景にはそうしたスリランカの平和構築への新しい動きが背景にあります。漱石先生の「名物のライスカレ」に出会えたのは平和あればこそです。

 夜になるとこの「B・I・Hotel」と書いた大きな看板を道端に置きます。そのとき、「名物のライスカレー」とデビルド・フィッシュ、椰子酒アラックを売る飲み屋になります。南国の陽気な居酒屋。フォート界隈サラリーマンのオアシス。
 でも、明かりがまぶしいのはB・I・ホテルだけです。ムダリゲー横丁ではほかに開いている店がない。横町の先に、大通りをはさんで大統領官邸があるからです。タイガーのテロを警戒する政府軍が土嚢を積みムダリゲー横町の一本道を遮断して官邸を警護しています。

「じゃあ、以前はグローブ・ホテルがB・I・ホテルだったんですか?」
「そうだ。しかし、創業は別のところだった」
「ええ~、それは何処? 100年前、B・I・ホテルがあった場所に行きたいんだけど」
「ふううん」
「なんせ、ソーセキさんという日本の名高いカクル(作家)が、若いときにこのB・I・ホテルで食事しているんです。ソーセキさん、カレー好きだったから」
と説明したけど、マネージャーのセネウィラトナさんにソーセキの名は通用しません。カワバタ・ヤスナリぐらいまで時代を下るとシンハラ翻訳本が売られていて、なんとか通用するのですが。でも、カクルは「作家」を表わす上品なシンハラ語だから、私がどれだけソーセキさんを見上げているか分かってもらえたと思うのですが。

「4年前だけど、ぼくはグローブ・ホテルでチキン・コーサスを注文してアラックを飲んだ。百年前のソーセキさんにあやかってね」
「あんた、いろいろとこのあたり知っているようだけど、私はあんたを見たことがないぞ。グローブ・ホテルで間借り営業したときにも私はこのホテルでマネージャーをしていた」
「私は常連の呑み助じゃないもの、出会えなかったのですよ、セネウィラトナさん。今回は、昨晩カトゥナーヤケ国際空港に着いて、そのままコロンボに来てタプロバーンにバッグを投げおいてすぐにここへ遣って来た」
「そんなにここが気になるのかい?」
「ええ。B・I・ホテルが創業した場所はどのあたり?」と訊いた。
「それじゃ,教えてやるか。ついて来なさい」と、セネウィラトナさんはマネージャーの席を離れた。
 かれは細身のからだを翻して暗いムダリーゲ横丁へ飛び出しました。

「おかしな日本人はあんたで二人目だよ。もう二十年ぐらい前だが、グローブ・ホテルに日本人が一人泊まったことがある。二日間も部屋に篭もったきり出てこない。そういう青年だったよ。かれはひどい下痢をしていてね。車で病院へ連れていってやったんだ。名はなんと言ったか、そう、タケシだった」
 日本人の青年はなぜか部屋に籠って本を読んでいる、と独り言を言いながら足早に歩いて通りの左隣のビルを顎で酌った。
「グローブ・ホテルがそこにあるだろ。その向こうの新しいビルの建っているところが最初のB・I・ホテルがあったところだ」
 そこは現在のB・I・ホテルから100メートルも離れていない。同じムダリゲー横丁の奥に漱石が訪ねたB・I・ホテル発祥の地があった。
 そこには今、建築途中のピンクのビルが建っている。大統領官邸の警戒区域という事で「名物のライスカレ」跡地前には土嚢が積まれ道をふさいでる。銃を抱える兵士が私とセネウィラトナさんに目を向けて詰所のボックスから「ここから先は入れないよ」と声をかけてきました。

 陽が沈む。あたりは闇の中。大統領官邸の木立も漆黒に染まった。もう何も見えない。熱帯の夜だ。
 警護の詰所から明かりが漏れて土嚢を照らしている。その上に動く気配がしました。ニャアと鳴いた。やせ細った子猫でした。
 酔っ払って風呂に落ちた吾輩猫の亡霊か。子猫がこう話しかけてきました。「ようこそ、ここへ。あなたもご主人様のように名物のライスカレを食べに来たの?」




関連 「あの人の愛したカレーライス」雑誌サライ1993年No19
B・I・ホテル
ブリティッシュ・インディア・ホテル(B・I・ホテル)の看板。2002/7/5 撮影


B・I・ホテル
ここが入り口。夜になると
こうこうと明かりがともる。




B・I・ホテル
B・I・ホテルのメニュー。
漱石が食べたのはここの名物ライス・カレー。







↓  ムダリージ横丁。漱石の行った初代のB・I・ホテル。でも、奥に大統領府があるので治安上、写真撮影が禁止された。







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