雑誌の中のスリランカ料理トモカへ
雑誌の中のスリランカ料理トモカ

スリランカ料理トモカの頃 

の頃、エスニック・ブームだった。フランスへ逃れたベトナムの人々がほそぼそとベトナムのファッションと料理とを広めたのエスニック・ブームの走りだった。
 そこには現代史の欧州の大国の力で捻じ曲げられたアジアがあった。フランスはベトナムを植民地としていた。だからベトナムの難民を受け入れた。
 ベトナムのエスニックな色彩と食欲はパリであだ花のように咲いて、そのブームがすぐに日本へ飛び火した。渋谷の109でベトナム料理が提供されるようになった。日本のエスニックは優しい。109ではエスニックがフランスで主張した現代史の過ちを突く攻撃性が昇華されていた。有体に言って109のエスニックには流行を追う食欲しかなかった。
 ベトナム料理は瞬く間に日本に広がった。なじみの中華料理でさえエスニックに表紙を変えて、食材の卸屋さんは旧来の中華食材をエスニックと呼び変えて売り上げを膨らませた。ここに、タイやカンボジア、そして、スリランカ料理まで加わって雨後の竹の子状態になった。
 スリランカ料理トモカはそうした雨後の竹の子の一つだった。エスニックと肩書きをつければ都会の誰もがブームに乗り遅れるものかと、先を争って新規開店のエスニック・レストランに立ち寄った。  

モカの開店当時、1983年のことだが、すでに2件のスリランカ料理店が東京にあった。大阪と神戸にはそれぞれ1件、スリランカ料理店があった。トモカはそれらのエスニック店との競合を避けた。スリランカはインドと同じくカレー料理を食文化としている。日本のスリランカ・レストランはインドまがいだった。
 トモカはそうした旧来のメニューを一転させた。カレーという表現をメニューから消した。
 スリランカにカレーはない。トモカの主はスリランカの料理のままにスリランカのカレーを提供した。繰り返すけど、スリランカにカレーはない。昔、この島を植民地にしたポルトガル。オランダ、英国の人々が数多あるスリランカの料理を[カレー]と呼んだに過ぎない。だから、トモカの料理はスリランカのシンハラ語で表された。シンハラ文字と、そこにカタカナを添えて。

レーではないスリランカ「カレー」との出会い。このとき、日本で初めてスリランカの料理が生まれた。そのことは今でも、たとえば検索で「ポル・サンボール」と引けばトモカの話をするブログがあるように、何がしかの食文化の導入の痕跡を日本に残したかもしれない。日本のスリランカ料理店が料理の小皿をいくつか並べて出すようになったのも、そのオリジンはトモカだった。

  料理は人々が一人づつ個別に抱える独自性の強い文化だ。大量生産される料理はマス・メディアの生産する経済料理で人間性はない。
 毎年、スリランカへ行って、田舎へ行って、家の土間で、世代をつないで伝えられる料理をひとつづつ教えてもらいながら、トモカの店主はこう思った。田舎の料理をගමේ කෑම ガメー・カェーマと言う。料理は人々が一人づつ、その手の中に持っている文化だ、と。素焼きの鉢に天からの水を受けて、野に生える薬草を入れ、日干しの小魚を入れ、椰子の乳をいれ、仕上げにスパイスを少々。だから、スローでシンプルな文化なのだ、と。



理が流行だった。ananに紹介されてからトモカには雑誌の取材がひっきりなしに訪れた。料理はガチガチのこだわり。経営が変わっていると外食専門誌も書いた。テレビがやってきて面白おかしくトモカの料理を「激辛だ!」と扱った。松竹映画のワン・シーンに登場した。
 そうした乗りで取材のオファーが続いた。店の宣伝にはなったからお客さんが多く訪ねてくれたけど、トモカの店主は段々、取材を断るようになった。トモカのお客さんの傾向がいつの間にか変わっていた。トーキョージャーナルTokyo Journalが勝手に取材して勝手に書いてくれたころの「雲に乗って漂う」トモカが失われていた。「トモカはこのままでいてほしい」と書いたトーキョージャーナルの記事は、トモカ自身の願いでもあった。

 店主がカレーライスの本を書いたのはそのころだった。『椰子・唐辛子・鰹節』という判じ物みたいなタイトルで出版社のノンフィクションに応募したら最終選考に残って、店主の名が雑誌に出て、常連のお客さんから「ノンフィクション大賞に出したでしょう」と声をかけられた。
 常連のお客さんたちがその本を買ってくれ、地方のアジア専門出版社が「うちから出版せてほしい」と言ってきた。
 もうそろそろ、潮時? トモカは開業以来12年目に店を閉じた。

スリランカ料理トモカの評判へ

スリランカ料理トモカの評判

TVチャンピオン
 「トモカの料理に使われている辛味のもとは何?」という疑問に挑戦者が答えた。答えは「コッチ」というスリランカ固有の極小唐辛子。取材が冬だったので、残念ながら東京四谷のトモカの熱帯ベランダで作る生のコッチは木になっていない。撮影スタジオへ持って行ったのは冷凍のコッチ。トモカの店の広いベランダで栽培した東京自家栽培もの。

異人たちとの夏
 撮影は店が休みの日曜日、夕方から行われた。二人の俳優さんがエスニック料理を食べるシーンは、赤坂にあるインド料理店か、四谷のスリランカ料理店かに絞られたけど、結局、四谷のトモカに決まった。大林監督のオーケーが出るまで、取り直しの度に二人の主演者は何枚もアーッパを食べつづけたので俳優さんはえらいなあと思った。
 

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