青木タカオ
10月の「ちょっくら・おん・まい・でいず」 
TOPに戻る
過去ログ2000年[8月・ギター編]  [9月・カバン編]  [10月・田舎編] [11月はじめての東京編] [12月・犬物語編] 2001年[1月・フォーク狂時代] [2月・文房具編]  [3月市場の頃]  [4月チャイナ編] [5月チベット編]  [6月ネパール編] [7月インド編1]  [8月インド編2] [9月インド編3] [10月インド編4] [11月トルコ編] [12月ヨーロッパ編]2002年[1月パリ編]  [2月パリ編・帰国編]  [5月新しい日々]  [6〜7月私の作ったノートたち] [8月〜11月卓球時代]2003年[12月〜'03-3月ブクロの頃(前半)] [3〜7月ブクロの頃(後半)] [7〜9月どこかで聴いたら、よろしくと(前半)] [9〜11月どこかで聴いたら、よろしくと(後半)]2004年[03-11〜04-2月 ケララ・エピソード] [2月〜5月 もう一度、蕪村] 2004年〜5年 ['04.6月〜'05.10月 私的解釈・・カミングズとスティーヴンズ]
今月のテーマ・・「メガネ話・30」

 vol.1「メガネ話」'05.11/12

 もしも宇宙人が地球にやってきたら、人類の不思議な特徴をすぐに発見するだろう。

 それはメガネだ。

 彼らの宇宙辞典の僕らの紹介ページには「顔に変にものを付けている生物」と載るであろう。

 僕もまたそのひとり。

 なんの疑問も持たずに、当然のように小学5年のときメガネを作ってしまった。

 あれからもうはるばると30年以上。長いつきあいということになるだろう。

 あるとき、目の悪くない友達と少しメガネについて話したときがあった。メガネ事情については、あまり縁がないということもわかった。

 「じゃあ、メガネのエッセイ書いてみようかな・・」

 目の良い人には、メガネ話は、もしかしたら知らない外国にゆくような経験かもしれない。

 とりあえずメガネ歴30年の僕がエッセイを書いてみよう。メガネ人口の代表とは言えないが・・。

 たまたま地球に初めて立ち寄った宇宙人も、インターネットを見てるかもしれない。

 メガネ話、宇宙人さんも楽しみに待ってて下さいな。ブックマークよろしく!!


 vol.2「きっかけは算数の授業」'05.11/19

 小学校の頃は、席替えという恒例行事がある。

 小5・6の高学年のとき、僕は大変に物わかりの素晴らしい先生が担当となった。そう、席替えは「好きなもの同士のグループ」で良かったのだ。教室の後ろになるほうが、席としたらやっぱりベストでしょう。そして僕らは教室の後ろの方になった。

 それは算数の授業のときの事。

 小学校の高学年にもなったので、二乗・三乗の数字も出てくるようになった。あの例の数字の斜め上に付く小さな「2」とか「3」の事だ。

 先生が僕に質問をした。「アオキ、これはいくつだ?」

 それは二乗か三乗のどちらかの数字だったが、文字が小さくてはっきりと見えなかった。

 僕は答えた。「文字が小さくて二乗だか三乗だかわかりません!!」

 「そうか、ホントに見えないか・・?」。先生は怒りはしなかった。。

 ・・・・・

 次の日、僕は「お母さんへ」という一通の封筒を先生よりもらった。

 家に帰って読んでもらうと、僕の目が悪くなっているので、メガネを作ってあげてくださいという内容だった。僕の父も兄もメガネをかけていたので、母はそれもそうだと思ったのであろう。僕はメガネを作ってもらうことになった。

 作ってもらうのは良かったのだけれど、次の日から僕は席が前に方になってしまった。好きな友達から離されて。。そのくやしかったこと!!

 まだ学年全員でも、メガネをしている子は数人しかいなかったと思う。やがてはそのひとりに僕もなってしまう。教室の前の席だなんて、ふざれられないし、つまんないよー。

 結局、メガネが出来るまで僕は前に席で授業を受けていた。考えてみれば、だいたい、数字の二乗三乗というのは、小さすぎる。教室の後ろじゃよく見えないさ。もっとわかるように大きく書くべきなんだ。

 そう、二乗三乗のもとの数式の方を大きく黒板に、先生は書くべきなんじゃないのか。

 今でも、僕が言ったことはまちがっていなかったと信じている。だからもう一度、ここで言おう。

「先生、二乗だか三乗だか、小さくて見えません !!」


  vol.3「学生メガネ」'05.11/26

 それはきっと日曜だったろう。

 僕は小学5年のとき、はじめてのメガネを作ってもらった。

 まずは度の合ったレンズを決める。もちろん例の視力表を使うのだが、メガネ店の物は小さめの蛍光灯入りで光ってカッコイイ。視力は0.8くらいだったかな。。そして視力測定の後、実際のメガネと同じレンズの度をかけてみるとという、お決まりがある。

 メガネを作ったことのある人ならよく知っている、例の宇宙人のメガネのようなメカニックな検眼用メガネである。初めてかけてみる度の合ったメガネ。床がゆがんでいる。

 「床がゆがんでいます。。」

 「それはそのうち慣れるから」「あっ、はい」

 「大丈夫かな?」 「うん、、大丈夫です。。」

 レンズの度が決まったら、次はフレーム選び。下が半分が透明、上の半分が黒のセルロイドという一般的な学生メガネが当然のように薦められた。選ぶという前に、それで決まりという感じであった。まだメタルフレームが流行る前のことである。

 鏡の中に映る学生メガネをかけた自分の姿。

 「いいですか?」「はいっ」

 それしか答えようがないだろう。

 それから、三日ほどして初眼鏡は出来上がった。お店に取りに行き、実際にかけてみる。

 (うわっ・・、床がゆがんでいる・・)

 「はいっ、大丈夫です」

 そして耳の当たり具合を調整してもらい、眼鏡ケースに入れてもらい店を出るのだ。

 家に帰って、何度も鏡で見る学生メガネをしている自分の顔。毎日毎日、遊びほうけていた自分の顔。

 現在では、「勉強のしすぎでメガネをかけた」という事をいう人はほとんどいない。しかし、僕の頃はまだ、その伝説は生きていた。逆に言えば、メガネをしている子供は真面目で勉強が出来るという事になっていた。学生メガネはその象徴だったのかもしれない。

 (オレ、ぜんぜん勉強出来ないんだけどなぁ・・)

 鏡の中に映った学生メガネの僕は、まったくの別人だった。


vol.4「初メガネ、初学校」'05.12/4

 僕は小学生。初メガネを作った後で学校に行くのは、きっと月曜だったろう。

 もちろん登校のときはメガネはしない。

 朝のホームルーム(?)の時間に、担任の先生から、僕のメガネについての話がある。

 「今日からアオキくんがメガネをかけるので、あまりあーだこーだゆわないように。。」

 そんな挨拶だったかな。そして僕は立って、みんなの前で照れながらをメガネをかけてみたのだ。あの、いや〜な気持ち。。

 上が黒、下が透明なセルロイド製の学生メガネは、僕を顔を一瞬にして、勉強男に変えてしまう。

 最初はもちろん、授業中だけメガネをかけていた。それも嫌で嫌でしかたがなかった。

 休み時間はもちろん、かけはしない。メガネをしている僕なんて僕ではないのだ。しかし、いつまでもそうは言っていられない。

 ある時、僕は思い切ってメガネをして授業の終わった廊下を走った。小脇には卓球のラケットがあったような気がする。

 学生メガネをしている自分の顔を想像しながら。。学校の階段をかけ降りてゆく僕の姿。誰かに見られないように急いでいた僕の姿。

 その姿をカガミで見たわけではないけれど、僕は今でもよく憶えている。


  vol.5「落ち行く視力」'05.12/18

 だいたい視力が1.0以下になったら、メガネを作るのかな。それはきっと今も変わっていないだろう。

 1.0がどの位の視力なのかは、はっきりとは示せない。文庫本の背文字が見えにくくなるくらいか。「メガネを作ろうかな」と、思って、かけ始めたが最後、その視力は一気に落ちて来てしまう。

 最初は誰もそんな事はきっと想像しない。

 僕は小学5年のときにかけて、一年くらいして、次にメガネ作ったときは視力がガクンと落ちてしまった。それに合わせて、もちろんレンズも厚くなってしまう。

 ショックなんだよね。これが。。

 薄いレンズから、だんだん厚くなるレンズ。その現実。視力は5年もするとみるみる落ちて来てしまい、あっというまに、0.1に近くなってしまう。

 信じられるかい?

 本当なんだ。

 高校3年くらいになると、視力は落ちるだけ落ちてしまう。身長が伸びるのが止まるように。。そしてそれからは視力はだいたいそのままになる。もしかして、その頃メガネをかけると、視力もそんなに落ちないのか?

 そのへんの疑問は僕にはわからない。そうだとしたら、そんな事は誰もまったく言ってくれない。小学生の頃からメガネを作って良いものなのか。僕は断固反対派。医学的な知識はないけれど。。 

 落ち行く視力。しかし、メガネをかけ続けていて、限りなく悪くなるという現実はなく、いずれは止まる。僕もこの十年は、メガネの度数は変わっていないのだ。不思議にもね。

 それはメガネ人生の中でラッキーというしかない。


vol.6「プラスチックレンズ」'05.12/24

 今はもう、かなり一般的になったメガネのプラスチックレンズ。

 割れにくいというのは、最大の特徴だ。半分くらいの人はプラスチックレンズを選んでいるのかな。今現在では、ガラスレンズとそんなには厚さが変わらないという。傷にもかなり強くなっているという。 

 「30年くらい前はねぇ、傷も付きやすくて、かなりガラスレンズよりも厚かったんだよねぇ」と、言ってみても、「へぇ、そうだったんだぁ」と言われてしまうくらいであろう。

 30年ほど前、僕は中学生だった。部活動も始めたので、メガネを新しく作るときに、割れにくいというプラスチックレンズを薦められた。「ちょっとは厚くなりますけどね」と言う。しかし割れにくいレンズは、スポーツ選手にとっては、なんとも代え難い。

 できあがって来たメガネのレンズの厚みを見たときのショックは大きかった。びっくりするくらいに厚くなっていたのだ。たぶんその頃、プラスチックレンズに変えた誰もが、(あれぇー、)と、思ったであろう。

 野球部にいた友達もまた、プラスチックレンズに変えていた。突然に厚くなったレンズの顔で笑う。僕だってそうだ。でも、スポーツ選手なので、しかたがない、しかたがないのだ。。しかし、心の声がする。

 (こんなに視力、悪くないんだけどなぁ・・)と。

 まあ、中学生の頃なので部活動優先でもあり、それはそれでも良かった。しかし、心の声がする。

 (俺の視力、この先どうなるんだろう。どこまでレンズは厚くなるんだろう・・)と。

 ボールとかが激突したときは、プラスチックレンズで良かったと心から思ったであろう。そんな中学時代。プラスチックレンズのみんなは、みんなレンズが厚かった。電子時計も分厚かった。ラジカセも重かった。

 そういうものだったのだ。

 高校に入ってからは、僕はずっとガラスのレンズにしている。もうスポーツはやっていないからだ。

 先日もメガネを作ったとき、プラスチックレンズの事を店員さんに尋ねてみた。お店の人は、「今のプラスチックレンズは、傷にも強く、そんなに厚くなりませんよ」と言ってくれた。

 言ってくれるのだけれど、僕はどうしてもガラスレンズを選んでしまう。


  vol.7「メタルフレームの登場」'06.1/15

 僕が中学生から高校生になる頃、学生のメガネ姿は一変した。

 そう、メタルフレームの登場だ。

 時は1975年頃。まあ、もともとあったはずではあるけれど、一般的になったのはこの頃だ。セルロイドの学生メガネとメタルフレームでは、印象がまったく違う。なにしろメタル感覚だからね。カッコイイの世界だ。

 高校に入り僕も、もちろんメタルフレームに変えた。さよならセルロイドの学生メガネ。セルロイドフレームだった僕の顔よ。それは生活のすべてが変わってしまうような勢いがあった。ああ、メタルフレームバンザイ!!

 銀色のフレームは細い。なんだかすぐに曲がってしまいそうだ。スポーツでボールがぶつかったときは大丈夫だろうか。レンズはすぐに外れたりしないだろうか。。不安だらけではあったけれど、カッコ良さの方が優先だ。

 メタルフレームにも、いろいろある。シルバーのもの、ゴールドのもの、丸いもの、四角のもの、オシャレなもの、学生らしいもの。僕はもちろん、銀色で四角い学生らしいメタルフレームを選んだ。

 ・・・なぜだ? 

 高校に入った頃、メガネの友達は次々とメタルフレームに変えていった。野球部の友達もいた。そして僕もまた、メタルフレームに変える日が来た。素晴らしき日々の始まり。学校に行けば僕の顔を見て、「メガネを変えたね」と言う人がほとんどだ。

 (これからは、これだよ!!)

 新しい僕のメガネ人生。新しい僕のメガネ顔。。

 思えば、それからはるばると、30年のメタルフレームとのつきあいが始まったのだ。


vol.8「朝、起きると」'06.1/22

 寝床で本を読むのは楽しい。

 しかし、メガネをしている人にとっては、たいへんに気をつけなければならない事でもある。それは、メガネをかけたまま眠ってしまう可能性があるからだ。まあ基本的には無意識のうちにメガネを外しているのが理想だ。

 高校生の頃、朝、起きると、いつもあるはずのところにメガネがない。あれーっと思って探してみると、なんと自分の布団の中にある。フレームが曲がり、なおかつ一部は取れてしまっているではないか。

 フレームとはメタルフレームの事である。フレームが壊れたときのショックときたら、たいへんなものである。あの気持ちはなんとも表現しがたいものだ。初めてのときは、どうにもならないと思ってしまう。

 どうにもならない気持ちでメガネ屋に持ってゆくと、これが「なんとかなりますよ」と言われる。『ろう付け』という技術で、もとどおりにくっつけられると言うのだ。本当かなと思ってしまう。

 「早めになんとかならないでしょうか・・」と、オフクロがお願いする。

 「あさってくらいに出来るよう、職人さんにお願いしてみます」と、メガネ屋さん。

 あんなに曲がって、外れもしたフレームはみごとに復活して帰ってきた。「ろう付け」されたところは、少しばかりふくらんでいる程度でぱっと見ではわからない。素晴らしい技術だ。

 その驚きもまた、みんなが経験するであろう。

 それから、長いメガネライフの中、僕は何度も「ろう付け職人」さんにお世話になってしまう。

 ・・・ああ、「ろう付け」の技術があって良かった。

 今日もきっと、メガネ屋さんに、すっかり落ち込んだ気持ちで、壊れたフレームを持ってゆく人がいるだろう。

 「メガネしたまま寝ちゃって・・、起きたら、、」「あっ、直りますよ!!」「直りますかー!!」

 ろう付け職人さん、これからもよろしくお願いします。


  vol.9「変色レンズ」'06.1/29

 高校を卒業するくらいのときは、みんな格好を気にするものだろう。

 僕も、革のブレザーに革のブーツ、革のベルトにウエスタンシャツ、パーマ頭にヘヤトニックと、自分なりにスタイルを見つけていった頃だった。

 そしてメガネレンズを、日光で変色するタイプのものに変えた。今でもあまり知られていないかもしれないけれど、そんなレンズがあるんだよね。

 室内では、うすーく黄色がかった、ほぼ透明なレンズ。外に出ると陽の強さによって茶色に変色してゆく。弱い陽のときは薄い茶色に変色するのだ。

 それはでも、かなりの長い時間、陽に当てていないと変色してこないという特徴があった。

 気に入っていたなぁ。。そんなレンズしている人はいなかったし。

 18才で東京に出てきて、僕はレコード店に勤め、ブレザーとスラックスで通勤。休日には御茶ノ水や秋葉原に出掛けた。ポケットに手を入れて、パーマ頭に変色レンズで。。

 陽の強い日は、すぐにレンズは変色して茶色くなってくれた。僕は何度もメガネをとっては、その変色具合を確かめたものだった。

 早く色が変わって欲しくてレンズを太陽に向けてかざしたものだった。

 そんな時間があった。とんと昔の事。


vol.10「歴代メガネ」'06.2/5 

 新しいメガネを作ったあとでも、もし壊れたときのために、前のメガネを捨てないでおくというのがほとんどであろう。

 そんな理由からか、今までのメガネは部屋のどこかのボックスにしまわれている場合が多い。

 壊れたフレームであっても、レンズの度数が合わなくても、緑青の出ていても。。

 僕の部屋にも、歴代メガネを入れてあるボックスがある。そのどのメガネにも大変に思い出深いものを感じてしまう。直接的に思い出というよりも、毎朝、そのメガネを手にとって、起きている間はかけ続けていた自分がいたのだ。カガミにもいつも写っていた、その頃の僕の顔。

 古い写真には、その当時のメガネがいつも写っている。その頃の僕も年を取り、服だって、もう着ていないし、その場所にも行く事は、この先も無さそうだけれど、メガネだけは部屋のボックスの中に残っている。

 それが妙に、時間の実感を感じさせてくれるのだ。その頃、そのメガネが一番似合っていると思っていた僕がいる。

 今ではあまり僕もカガミを見なくなったけれど、若い頃は、よく見たという記憶がある。哀しいとき、嬉しいとき、そのメガネをいつもかけていたのだ。

 歴代メガネたちは、実にどれも思い出深い。そのフレームを選んだときの気持ちから始まり、いろいろとよみがえってくる。日々の何気ない日常も一緒に。


vol.11「メガネ激突」'06.2/12

 メガネをしていると、どんなに気をつけていても時々は激突してしまう。

 (やっちゃったー!!)

 ぶつかった一瞬は、気を失うようで、何にぶつかったのかさえわからない。わかっていれば、激突などしないのだから。

 痛さを感じたあと、メガネを見てみると、メタルフレームが思いっきりゆがんでしまっている。その曲がりぐあいときたら、想像を超えるものだ。プラスチックのフレームだったなら、折れていただろう。

 曲がってしまったメタルフレームを手に持ち、さてどうやって直そうかなと思う。何度も何度も僕は経験があるので、うまいやり方を知ってはいるけれど、初めての人にはかなりのショックだろう。

 そのままメガネ屋に持ってゆくという方法のあるが、とりあえず、その場でメガネが必要なので応急処置となる。

 曲がってしまっている場所は90パーセントが、両脇の柄の部分とレンズがつながる部分だ。それをうまく元通りに曲げ直すわけだけれど、慎重の上に慎重に手でゆっくり曲げてゆくのだ。大事なのは、レンズとつながる部分にしっかりと指を添えるという事。

 そうしないと、元から折れちゃうのだ。

 あせらず、あせらず、ちょっとずつ、ちょっとずつ元に戻してゆく。

 「ふーっ」と、溜息をつきながら。。

 メタルフレームは意外と強くて、元通りに直ってしまう。あっぱれだ。

 「よしっ、復活!!」

 今だって、一年に一度は必ず激突している。


 vol.12「憧れの八角メガネ」'06.2/19

 ある朝起きると、突然に八角メガネが欲しくなった。

 メガネ歴20年の頃の話だ。

 なぜ、そう思ったのかは謎。目が覚めて僕はカガミをのぞき、そこに八角メガネをしている自分を想像した。

 かけていたのは普通の銀縁メガネだった。現代風であり、高校時代からそうだったので、それが似合うと思ってきたのだ。

 しかし八角フレームのメガネは、古風な感じがするし、メガネ本来の良さがある。丸メガネもそうあるが、丸メガネはいかにもという感じでかけにくい。八角はいいな。大正から昭和にかけての匂いもする。

 「よしっ、買うぞ!!」

 僕の頭は八角メガネにとりつかれたようになり、アルバイトの仕事が終わり次第、メガネ屋さんに向かった。銀縁メガネをしている今の自分は自分ではないとか思いながら。。

 あるある、あるある。願い通りの古くさい八角メガネのフレームが。。人生バラ色とはいうが、人生八角メガネである。

 一週間もたった頃、僕は完成した八角メガネを取りにメガネ屋さんに向かっていた。新しい人生が始まるような気分で。なんとも晴れやかだった。

 「メガネ、出来てますよー」

 丸いカガミの前で、かけてみる憧れの八角メガネ。フレームの色は黒。

 「ケース、どれにしますか?」

 新品のメガネを買うと、たいがいはメガネケースをサービスしてくれる。しかし、普通はそのメガネケースには、古いメガネが入れられる。

 僕は八角メガネをして、渋谷の街を歩いていった。古い大正から昭和の男になった気持ちで。。ショーウインドウで、ときおり自分を眺めながら。

 部屋に戻って来て、またカガミで自分のメガネの顔をのぞいてみたら、どうもイメージが違う事がわかった。こんなはずではなかったのに。。

 (おかしいなぁ。。)

 結局、その八角メガネは、外仕事専用のメガネとして活躍することになった。現実はこうである。


vol.13「高級レンズ」'06.2/26

 メガネ作り。最近では安いメガネショップもあるが、もともとメガネは高いものだったはずだ。

 メガネは毎日かけるものであり、顔の一部という意識もある。そんなに壊れるものでもないし、なるべくならいい物を作りたい。と、ずっと思っているし、これからもそのつもりであるが、世間の風潮は安いメガネに移りつつあるかもしれない。

 気に入ったいいフレームを選び、視力検査も終えたあと、レンズ選びという作業に入る。色わけされて、とても見やすいボードの紙を出されて、決めてゆくのだ。

 レンズもいろいろあり、高いんだよね。「どうして? 」っていうくらいだ。

 最近では、レンズ付きで5000円のメガネとか、よく街角で見かけるが、高いレンズは一枚2万円以上したりして、値段の次元がちがう。高いレンズは光の屈折率が良くて、同じ度数でもよく薄くなる。度が強くなった人はやっぱり薄いレンズが、軽くてよい。

 そしてレンズは度数によって、値段にかなりの差が出てくるのだった。度の強さになって値段が倍々になってゆく。(かーっ、たけー!!)

 「じゃあ、これにして下さい」

 (あーあ、頼んじゃった・・)

 僕は一番屈折率のよい「NIKON」の高いレンズを選ぶ。一枚定価25000円ほどだ。多少割引があるとしても、やっぱり高いな。

 それでも、レンズが薄くなるのは良い。軽さがちがう。気持ちがちがう。

 ただ、レンズが割れたときは、かなりのショックがある。がっかり感、最高レベルだ。


vol.14「予備メガネ」'06.3/6

 メガネをしている人なら、みんなきっと予備メガネを持っているはずだろう。

 予備メガネが登場するときは、100パーセント、今かけているメガネが壊れているときだ。

 予備メガネと言っても、ほとんどの場合が、ひとつ前に作ったメガネ。それはちょっと度数が合わないもの。若い頃にかけていた古いフレームだ。

 一時しのぎと言えど、ひとつ前のフレームをかけるのは、せつない。カガミをのぞくと、そこに見える前の自分の顔。

 (これは、ちがうよー!!)と、心が叫ぶ。

 しかし、メガネが直るまでは、しかたがない。

 度数が少し合わないので、なんだかすべてが見づらい。見づらいけれど、だんだんと慣れてくる。それが不思議だ。

 友達に会うのは、嫌だな。「メガネ変えたの?」なんて、きかれたくない。似合ってないよ。似合ってない。

 そう思っていても、たいがいは誰もメガネの事はきいてはこない。しかたがないので、自分から言ったりするのだ。

 そんな予備メガネの日々。

 壊れていたいつものメガネが戻ってくると、予備メガネは予備メガネケースの中にまたしまわれる。

 ほんとは感謝しなければいけないのに、ちょっとつらく当たったかなと思いながら。


vol.15「小さなネジ」'06.3/12

 「あれっ!!」

 メガネをかけようとすると、フレームとレンズが外れかけているときがある。よーく見れば、端っこの小さなネジがとれかかっていたのだ。「あぶない、あぶない・・」

 メタルフレームは特に、ネジが外れてしまうとレンズもとれてしまい、落ちて割れたりする。それはせつない。なるべく避けたい。経済的にもあってはならない。心にもよくない。ショックが大きすぎるのだ。

 それを決めるのは、小さなネジのゆるみ具合による。ゆるみに気がつけば、それは救われる。しかし気が付かないと、、レンズが外れてしまう。ほんのひと巻きフレームにくっついていれば、大丈夫なのだ。

 「よかったー!!、ラッキー・オン・ラッキー!!」

 小さなネジは、がんばっていた。その素晴らしさ。

 (ネジをとりあえず止めなきゃなぁ・・)と、思うものの、いざというときは、小さなミニドライバーなんてないものである。そんなときは、爪の先で、なんとかうまくネジを回してゆく。

 それがなかなか難しい。至難の業だ。そして最後までしっかりと回し止めることは不可能である。家に帰ればミニドライバーはある。とりあえずそれまで、ネジがもってくれればいいのだ。

 アルバイトの仕事中、何度もフレームのネジが外れてないか確認する。

 心配なので、時々また爪の先で小さなネジを回してしまう。


vol.16「夜、置いたところ」'06.3/19

 メガネをかけたまま眠る人はまずいないだろう。

 本か何か読んでいて、いつのまにか眠ってしまったときも、起きたときはどこかにメガネを置いている。

 それはどこか? それは最初に手を伸ばしたところに、メガネはいつもある。僕だけの話ではないだろうと、信じている。

 ・・・こればかりは不思議。メガネ人間の神秘を感じる。

 僕の場合、眠るときはここといったメガネ置き場があるわけではなくて、テーブルの上のどこかに置いている。しかし、朝、起きたとき手を伸ばせば、だいたいそこにある。

 素晴らしき直感の世界からの始まり。

 それはやっぱり生命論的必然から来ているのではないだろうか。夜中に地震や一大事が来たときに、メガネを探している時間などきっとないのだ。それこそ生命の危機に直結している問題。

 だったら、いつもメガネを置くところを決めていれば良いのだけどね。そうもいかない。

 目覚まし時計が鳴る前に、よく起きることがあるけれど、あれはもしかしたら、夜中に何度も時計を無意識のうちに見ているのかもしれない。

 それと同じで、夜中にメガネの位置を知らず知らずうちに僕は確認しているのではないか。

 なきにしもあらず。

 あはは。

 毎朝、ほぼ90パーセントは、手を伸ばしたところにメガネがあるけれど、ときにはそこに無いときがある。そんなときは、ひやっとして、毎回必死に探す。まるでコメデイ映画のように。


vol.17「映画館での必殺技」'06.3/26

 メガネは度数は、その人によって、強さを決めているものだ。

 2.0が一番良く見えるとしても、そこまで度をあげる人なんていない。僕の場合で、1.2くらいが見えれば良しとしている。

 度をあげればレンズも厚くなり、視界の一番外側のひずみもより強くなるからだ。

 1.2くらいで合わせていると、やっぱり遠くの小さな文字とかが、よく見えない。そんなときはメガネのレンズを斜めに傾けると、度数があがり文字がよく見えるのだ。

 それはメガネをしている人の必殺技だ。いざというときのための。。

 本人にとっては必殺技でも、レンズを斜めにして見る姿は、あまり格好良いものではない。何かの怪獣のようでもある。しかし、その必殺技があるからこそ、僕なんかは1.2でも、なんとかやっていけるのだ。

 友達と街を歩いていて、遠くの文字がよく見えないときは、軽くメガネを持ち上げると、少しだけ度があがるので、そうするが、さすがにメガネを外してレンズを斜めにしたりは出来ない。見えないときは、素直にこう友達にきく。

 「あれ、何て書いてあるの?」

 ・・・・

 一人で映画館にゆくときがある。なるべくはっきりとした映像で見たいので、僕は映画館では、メガネを少し斜めにして観ることにしている。感動もそのぶん違うだろう。それに暗いのでメガネを斜めにかけていても目立たないし、誰も何も言わないからだ。

 上映前、缶ジュースを買ってきて席に座り、カバンからハンケチを出し、レンズに「はーっ」と息を吹きかけ綺麗に磨く。ライトに照らして完璧か確かめる。準備OK!!

 そして、上映のブザーが鳴り、暗くなったところで必殺技を出す。メガネを斜めにして、柄を頭の横にひっかけるのだ。ちょっとした具合を調整しながら。

 やっぱり、映画はきれいな映像で観たいものね。


  vol.18「フレームの左右合わせ」'06.4/2

 メタルフレームのメガネって、やっぱり細い。

 日々いろいろ使っていると、知らず知らずのうちに、フレームの曲がりが出てくるものだ。

 カガミをのぞいてみると、ちょっとだけ左右のどちらかが下がっていたり上がっていたりする。

 「あれ?」

 例によって例よってだ。驚くほどのことではないけれど、いつもの調整が必要だ。

 まずメガネをとって、平らな机の上にフレームをさかさに置いてみる。すると左右のどちらかの柄が持ち上がっていて、(これかぁー)とわかる。

 微妙にゆっくりゆっくり、それを元に戻してゆくのだけれど、フレームのどこかの部分が、それに合わせて曲がっていることは事実だ。そこは、柄の付け根の部分か、、フレームの中心の部分か、、それはわからない。

 「さて、完璧だ」と、言いながらメガネをかけてみると、これが、前よりもさらに左右に曲がってしまっていたりするのだ。えーっ。

 机の上にさかさにフレームを置いてみると、左右はびったりについている。こうなったら、もう謎だ。いろんな原因を考えてみるけれど、あとの調整は勘がたよりだ。素人がやろうとするから失敗するのだろう。

 何度かけても、メガネの左右が合わない。そのうち自分の左右の耳の高さがちがうんじゃないかと思ってしまう。

 結局、どちらがのフレームの柄が少し上がった状態で、なんとか左右が大丈夫になった。

 「まあ、いいか。。」

 メガネの左右合わせの調整は、ほとんどはうまくゆく。うまくいかないときもある。

 しかし、いつもなんとかなる。


vol.19「レンズが割れるとき」'06.4/9

 メガネのレンズは割れては困る。

 プラスチックレンズは割れには強いだろうけれど、ガラスのレンズは必ずや割れる運命にはある。

 僕はレンズはガラス派なので、何度も割ったことがある。

 ロッカー室での着替えのときなど、ちょっとしたことで床に落とす。年に三回から四回以上は落としているだろう。

 「あっ!!」

 落としたものはしかたがない。割れてしまうなら割れる。ラッキーならば割れてはいない。そんな気持ちだ。

 メガネを拾いあげてみる。レンズは大丈夫だ。まあ、こうして落としても、90パーセントは割れないと知っている。しかし、ときどきは本当に割れてしまう。

 「あ゛ーっ!!」

 レンズが高いんだよねー。僕の場合、一枚2万円ほどする。2万円かけて、また同じレンズを入れるだけなのだ。それも今月は2万円生活が厳しくなってしまう。2万円あけば、CDが10枚は買えるだろう。ああ・・、失敗。

 悲しいな。。

 メガネを落としてレンズが割れるのは、メガネの落ち方にもよるようだ。軽く落ちたなぁと思っても割れることがあるからだ。ちょっとした具合なのだろう。落ち方まで、僕にはどうすることもできない。

 何かに激突しても、ボールが当たっても、まずレンズは割れない。割らない人は何年も割らない。

 レンズが割れるときは運。それしか言いようがない。


vol.20「床屋にて」'06.4/23

 床屋に行く。今ならば、ヘアカットの店という事かな。

 メガネをかけた人が椅子に座るとまず、メガネケースを差し出される。縦に入れるタイプの妙に高級そうなケースだ。それはどの床屋さんでも一緒なので、同じ所で作っている床屋グッズのひとつなのだろう。

 「メガネをどうぞ」と、言われる。そのお決まりな言葉。

 そこに出されるビロードで巻かれたメガネケース。その回りには金色の装飾がついている事が多い。それは何の法則なのか。よくわからないけれど。メガネひとつ外すのに、豪華さがつきまとうなんて。。

 特に悪い気はしないけどね。

 そのまま髪を切ってもらっているあいだ、カガミに写る自分の顔はぼんやりとしている。なんとなく見える程度だ。そんな時間が過ぎる。下を見ると、けっこう髪の毛が落ちている事がある。どのくらい切っているんだろうなぁ。いつもそう思う。

 カットしてくれる人はカガミに向かい、いろいろと僕に話しかけてくる。「あーっ、この位でよろしいですか?」「はい」

 完全にそれは、僕がカガミが見えるものだと話しているようだ。ぜったいにそう思う。まあ見えないときは「見えません」と、答えればいいのだけれど。

 仕上げが終わり、最後にまたもう一度メガネケースを差し出される。幽霊のように布カバーの下から手を伸ばす自分。切った髪型がカガミではっきりと見える。

 (こんなに切ったのか・・)。そしてカガミを使っての後ろ髪の確認をするのだ。

 「よろしいですか? はいっ!!」。確認という世界ではない。すぐさまカガミは閉じられる。

 先日寄った安いヘアカットの店では、その確認さえもメガネを出されなかったことがあった。

 もうちょっとカガミが近いと、もちろん見えるんだけれどなぁ。そんなふうにされた事は一度もないんだよね。

 不思議、不思議、摩訶不思議。床屋さーん、本当は見えないんだよー。


vol.21「雨の日と緑青」'06.4/30

 傘のない雨の日。

 駅から走って家に帰るとしても、メガネも濡れてしまう。もう、これはしかたがない。新品のメガネだったときは、ポケットに入れて走ったこともあったけれど。。

 部屋に着いたなら、本当はメガネを乾かさなくてはいけない。でも、ついつい忘れてしまう。それはフレームにとっては命取りだ。

 メタルフレームにとって、最大の天敵は緑青だ。雨の濡れたままでほっておくと、緑青が出てくる。特にレンズのフレームの間がひどい。半年に一度は、その緑青を取るためにフレームとレンズを外して、きれいに僕は拭いている。

 小さなドライバーにて、レンズを外しメタルフレームの内側を、濡れティッシュで緑青を取ってゆく。でも完全にはとれない。多少は跡が残ってしまう。緑青はメタルフレームを腐食させてゆくようだ。緑青には要注意だ。

 そんな緑青取り。メガネを外した状態で、小さなネジを外してゆくので、失敗して指から落としてしまうことがよくある。

 「あっ、失敗!!」

 (まあ、どこかにあるさ) と、思いながら探す。しかしこれがなかなか見つからない。それもメガネをしていない状態なので、なお見つからない。そのうち、レンズが片方はずれたフレームをかけて、片方の目で探す。よく、こういう事がある。その姿。

 なんとか、小さなネジを見つけて、メガネ解体からの復活に向かう。ついでに、いろんなネジをついでにきちんとしめる。そのおかげで、フレームのメンテナンスを定期的にすることになる。

 そんな時間が半年に一度はある。メガネに悪いなぁと思いながら、緑青を取るのだ。小さなネジを絶対になくさないようにして。

 そしてまた、雨の日がくる。


vol.22「・・・」未筆


vol.23「こんな復活方法もある」'06.5/7

 メガネのガラスレンズの方は割れない限り使えるが、フレームの方はさすがに限界がくる。

 雨の日による緑青がメタルフレームを腐食させてきて、柄の部分がだめになったり、以前ぶつけたところが折れてしまったする。かけられないフフレームではあるけれど、レンズまだ大丈夫なのだ。

 こんなとき、誰でもが考えることがある。それは、レンズを生かして新しいメガネを作れないかということである。同じフレームはないとしたら、、ちょっと小さめのフレームで大丈夫じゃないか? そんなふうに誰でもが思う。

 いろんなフレームがあった方がいいので、庶民的な店ではなくて新宿の大きなメガネ店に向かう。多くのフレームが並ぶ店内を、あちこち回り、いかにもメガネを新しく作りそうな感じだ。しかし、それはちがう。レンズを生かして作ろうというのだ。

 (どのフレームがいいかな?)なんて、選んでいるのではない。ただひたすらに、店員さんに声をかけるチャンスをうかがっているのだ。ぼろぼろな壊れたフレームを見せるのは、ちょっとだけ勇気がいる。声をかけるのが遅くなっても変だし、もうそろそろと声をかける。

 「あのぅ、、すいません、フレームが壊れたんですけれど、、レンズを生かして作れるでしょうか?」

 そして、メガネケースに入れた緑青にまみれたような壊れたフレームを出してみせる。

 「はあはあ、、んー、、大丈夫ですよ」(ラッキー!!)

 「どんへんのフレームになりますかね?」

 「えーっと、これとか、これとか、これとか、、これなんて似ているんじゃないですか?」

 「じゃあ、それでいいです」

 メガネフレームこだわり派の自分であるのに、この決断力の早さときたら・・。そして壊れたメガネを渡し、手続きをする。

 「では、あさって、夕方に仕上げておきますね」「よろしくお願いします」

 外に出れば、夜の新宿の繁華街である。大きなひと仕事が終わった気分だ。

 「ヨシッ!!」。そんなかけ声を自分にかけると、お腹がすいていた事を思い出すのだ。


vol.24「銀縁フレーム・金縁フレーム・黒縁フレーム」'06.5/21

 メタルフレームというくらいだから、色はメタリックなものが多い。

 多いと言っても、シルバーかゴールドか黒が主だ。しかし、それぞれに微妙なちがいも出てくる。最初に作るメタルフレームのメガネは、ほとんどの人が普通の銀縁であろう。それはいかにもメタルフレームらしい。僕もそうだった。学生メガネというかね。

 カガミに写るその顔には、いつもシルバーに輝くフレームがある。さわやかさもあり、新鮮だし、似合う人は多いだろうなぁと思う。しかし高校を卒業して、僕としては、もうちょっと芋くさい方がいいなと思っていた。

 やがて僕は変色レンズ選び、金縁のフレームにした。肌の色に近いかなぁと思って。しかしやっぱり、金縁はどういうか、お金持ちというか、妙にオシャレというかね。光ってましたね。もちろん金縁が似合う人もいる。次はもっと地味で自然なフレームにしようと決めたのだった。

 それで次は黒縁のメタルフレームにしてみた。黒は地味なことは地味なのだけれど、やっぱりどこかメタルな感じがした。不思議だったなぁ。

 そんな経験から、次のメガネフレームは、極力めだたないものにしようと思っていた。東京でも数をそろえている渋谷の有名店に行き、フレーム選びをした。その中に、つや消しの銀と金の中間の色のフレームを見つけた。(・・これだ)。かけてみれば実に自然。嬉しかったなぁ。

 もう製造中止なんですけどね。


vol.25「メガネにまつわる、ちょっと良い話」'06.5/28

 今、かけているフレームは、とても気に入りだ。

 何度か修理にも出しているが、もう12年くらいかけている。色は金と銀の中間で、仕上げは艶消し。形は上はゆるゆかに丸く、下は八角形のようである。かけているととても自然であると自分でもわかる。

 「あれっ、メガネをかけていったっけ?」とよく言われるのは、このメガネが自然だという証であろう。もうずっとこのフレームでもいいかなと思っているほどだ。

 それは8年ほど前のこと、フレームを修理に出したのをきっかけに、もうひとつ同じフレームを予備に買っておこうと思った。いずれは製造中止になるだろうしね。あと一本あれば、一生は無理でも、あと20年くらいはかけていられるかもしれない。

 そのフレームは、そこそこ有名なメーカーであった。東京でも老舗の大きなメガネ店にて買ったフレーム。僕は同じフレームを注文しに出かけた。店員さんが実に親切なメガネ屋さん。メーカーのカタログを見て、メーカーに在庫の確認をしてもらったら、もう製造中止であり僕の欲しい金と銀の中間の色はもうなくて、金のフレームしか今はないという。

 「金しかないそうですよ」「そうですか・・、どうしても、どうしても同じフレームが欲しいんですが・・」

 店員さんはメーカーの人といろいろと話してくれて、少し高くなるけれど、金のフレームに少し銀色をまぶしてくれるというのだ。完全に同じではないけれど、ほぼ似た色になるという。

 「よろしくお願いします!!」

 なんて良いメーカーさんなのだ。メガネ屋さんの店員さんもさすがだなぁ。老舗だからこれは頼めたのであろう。

 10日ほどして、フレームをメガネ屋さんに僕は取りにいった。すると、なんと新品のフレームがそこにあった。店員さんは言う。

 「実はですね。メーカーさんの方で、全国のメガネ店さんの方に残っている在庫を探してくれまして、見つかったとの事だったんです」

 ありがたいな、ありがたい。手間が、かかったんだろうなぁ。ずっと大事にしようと思う。


vol.26「激安メガネ」'06.6/4

 近くの商店街にも、激安メガネショップがある。

 レンズ付きで、3990円。やす〜。その店の存在は知っていたけれど、まったく入るチャンスはなかった。しかし外仕事用のメガネがちょうど壊れてしまったので、どんなものかなと入ってみることにした。

 3990円で、出来るわけがないんだよね。きっと・・。レンズの度数によって、値段が変わってくるはずなんだ。

 気をつけなくてはいけないのは、店員さんにあれよあれよと言われて、高いメガネを作ってしまう事だ。しかし、それを断る自信もないのだが。。

 普段かけているメガネは、6万円くらいするのだから、3990円じゃ、差がありすぎた。いいのか、俺。。こだわりのメガネ男なのに。

 そんなに大きなお店ではないので、基本的に店員さんは一人。欲しいフレームが、あるか心配だけれど、なんとかひとつ見つかった。仕事用なので、そんなにこだわりはない。それも衝撃で、フレームが広がりまた戻るというバネ付きのフレームだ。

 「あのお、、これでメガネ作りたいんですけど。。レンズの度はこれと同じです」

 「ありがとうございまーす。では、そのメガネ少し貸していただけますか?」

 店員さんは、メガネの度数を計ると、「はい、わかりましたー」と言う。

 「レンズ、いくらぐらいになりますかね?」。すると、色つきの一覧表を出して、こう言うのだ。

 「お客さんの度数だと、こちらからのレンズになりますね〜」

 きれいに色分けされてレンズの値段は3990円は軽く超えていた。(度数の強さにもよるわけだけれど・・)。レンズのメーカーは一流メーカーであり、それを考えるとすごく安いわけだ。その思うとしかたがないか。。

 結局、1万五千円くらいかかってしまった。やっぱり、こんなものなんだよね。そう思っていたし一流メーカーのレンズのだし、まあ、いいかなぁ。

 そうやって、僕は激安メガネ店にて作った外仕事用のメガネは充分に使えている。3990円では作れなかったけれどね。


vol.27「フレームが大きい人がいる」'06.7/9

 ときどき電車の中で見かけるのだが、メガネのフレームがとても大きい人がある。

 よく見れば、耳にあたる柄の曲がっている部分が、耳とすきまが出きている。それはフレームの大きさがあっていない証拠だ。

 日本のメガネ屋さんで買ったなら、それはありえない事。その若い女の子は案の定、アジアの他の国からの観光の人であった。しかし、どーして、こんな事が起こるんだろう。その土地では、メガネもまた兄弟からの引継ぎとかあるのだろうか。あるかもしれないが。

 どう考えても、フレームが大きい。

 ありえないよ。ありえない。お店の人が売ったなんて信じられない。ちがうと言って欲しい。。

 顔を振って、フレームが揺れるなんて、ほんとはあってはいけないのだ。そのフレームが大きさが合っていて、柄の後ろの調整がお店のでちゃんとされているならば。だって、メガネが落ちたらレンズが割れてしまうし、フレームが汗で下がって来たり、顔を振って上下するのは視力にも良くない。

 その辺は、全国、いや世界のメガネ屋さん、しっかりしてね。

 しかし考えてみれば、メガネには、兄弟からのお古がないのはもったいないね。メガネって高いものだし、お金の大事な環境では、ぜひそうしたいであろう。時と場合によっては、フレームだけお古になるかもしれない。それはあるな。

 そうであったとしても、大きすぎるフレームを、いちいち指で上げるような仕草はせつない。最低条件、柄の後ろの調整はしてもらうべきだ。お願いします。


vol.28「ファッションメガネ」'06.9/9

 今は2006年。メガネフレームにも形の傾向というものがあるようだ。

 ここ5年くらいの流行は、セルロイドの色付きフレームで、小さくてちょっと細長いタイプ。メタルフレームならば、縁無しタイプも多いな。全体的としては、いかにも「メガネしてます」というより、「ファッションも含めてメガネしてます」という感じだ。

 しばらくメガネを新しく作ることがなかった僕は、(流行っているんだなぁ・・)とくらいしか思っていなかった。しかし、そこには最近特に増えている安売りメガネ店の方向性があったようだ。

 予備メガネが壊れて、僕もまた安売りメガネ店に入ってみた。そこには例の小さくて細長いタイプが多く置かれているのを知った。まあ、「オシャレさ」があるし、色もいろいろだし、キャラクターもあるし、メガネを作ろうと思う人は選ぶ可能性が高いだろう。

 僕自身は、いつも通りの普通の形のメタルフレームを選ぼうと思ったけれど、ぜったい的な量が少なかった。その中で選んだわけだ。しょうがないけどさ。ほんとは普通の形のセルロイドフレームも欲しかったけれど、思うようなものがなかった。みーんな、今、流行の形。

 メガネのフレームって、流行の形で選ぶものなのかなぁ。。

 とは、思うけれど、この品揃えでは、選ぶしかないのかな。

 僕の本メガネの方は、やっぱり大きな老舗に買いにゆくと思う。そこには世界中のブランドのフレームがあるので、いろいろ選べるはず。世界中のフレームの傾向が、セルロイドの小さくて細長いタイプになっていなければだが。。

 全国的なものは知らないけれど、東京に関してはメガネフレーム選びは変わってしまったな。みんな似てきたなぁ。それはちょっとさびしい。メガネフレームは個性豊かに、いろいろと選んで欲しいなあと思うけれどね。

 これも、ブームのひとつなのかな。


vol.29「メガネをとった世界」'06.9/17

 視力も0.1を切ると、物の形の輪郭がほんとぼんやりしている。

 それでも、何がどこにあるかははっきりするし、夜起きてトイレにいけないということもない。細かい文字だって顔を近づければ読める。

 ただ、目を細めてしまうよね。メガネをとった顔は、人によっては別人のように見えてしまう。それは必然的に目が大きくあけられないのだ。コンタクトレンズにしたら、普通の表情になるだろう。

 夜、離れた街灯がついているのを、メガネをとって眺めると僕の場合、ひとつのライトが20個くらい重なってみえる。それはほんとにきれいだ。夢の世界にでもいるよう。目の良いみんなには見えない世界かもしれないな。

 そうだ。そんな世界が見えるメガネがあってもいいのに。

 眠るときメガネを外す。それはメガネをしている人にとって一日の終わりであり、終わりのスイッチのようなものだ。そして目が覚めるメガネをかける。

 さて、僕は夢の中でメガネをかけていたっけ。その記憶がない。夢の中で横になる僕はメガネを外すだろうか。

 夕暮れの川沿いに座り、僕はメガネを右手で外し、左手で目頭をもむ。それは、(ああ、疲れたよ)っていうしるし。そしてメガネを外した夕暮れの景色をゆっくりと眺める。

 もうひとつの僕の世界。


vol.30「愛しきメガネ選び」'06.10/8 (最終回)

 ♪メガネは顔の一部です〜

 そんなテレビコマーシャルが昔あったが、僕もそう思っている。

 時々、「あれ、アオキさん、メガネかけてたっけ?」と言われるときがある。その言葉は僕にとって、とても嬉しい。

 僕がメガネのフレームを選ぶとき、一番大事にしていることは自然さだ。表情が自然であること、自分が思っている自分の印象と変わらないとこと、メガネだけが目立ちすぎないこと。そんな事をいつも基準に僕は選んでいる。

 渋谷には、老舗の大きなメガネ店がいくつかあるが、僕はメガネを選ぶときは、いつもまずそこに行くことにしている。激安ではない。そのかわり有名メーカーのフレームが揃っている。なるべくいろんなメーカーがそこにある方がいい。そして多くのデザイナーのメガネフレームがあった方がいい。

 やっぱり、高いフレームはいいよ。高級そうということではなくて、品があって、あきないんだよね。そして作りが丈夫。

 メガネフレームを選ぶとき、だいたい自分のお気に入りの形というものもあるだろうけれど、試しに、いろんなフレームをかけてみるといい。意外と似合ったりするものだ。気になったフレームは全部かけてみるといい。色もいろいろ試してみるといい。

 値段は、まず気にしないで。。

 「おっ、これだ!!」と、思ったフレームがあったら、迷わずそれを選ぶといい。値段が高くても後悔はしないと思うよ。もうちょっと安い、他の似たようなフレームを選んでも、気持ちはすぐれないだろう。とにかく、一番似合うフレームを選ぼうよ。

 かけた瞬間に、とても自然さのあるフレームをね。

 どんなフレームも、かけ続けていれば慣れて似合ってくる。でも最初に会う人は、僕らがフレームを最初にかけたときと、ほぼ同じ印象だ。

 僕はメガネ屋さんで、フレームを選ぶたびに、そんな気持ちでいつもカガミをのぞく。

 (やあ、こんにちはー)。そんな挨拶がある。

青木タカオ「ちょっくら〜」メインに戻る

メニューに戻る

ライブ情報

CD「黄色い風、バナナの夢」詳細

TOP   Jungle