「お地蔵さん」'25.3/22
住んでるアパートから、コンピニ向かう細道の途中、
道から見える少し登ったところに、三体のお地蔵さんが列んでいる。
赤い布をかぶっている。周りには大きめな樹木が生えている。
いったいいつからあるんだろうと思うが、ここに縁が深いお地蔵さんだろう。
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一度、そのお地蔵さんのところまで登り、お祈りした事がある。
2020年だと思う。新型コロナの最初の頃。
マスクをしながら、コンビニに向かう途中、いつも三体のお地蔵さんを見上げて、
いったいいつこのコロナの地獄から抜け出せるんだろうと、思いながら。
2025年の今年、やっとコロナも落ち着いて来た。
でも、2020年、2021年、2022年、2023年、2024年と流行った。
ほぼ5年だ。5年もかかった。
でも最初の二年ほどは先がまったく見えなかった。
「助けてください」とお地蔵さんにお願いした。
何と答えたかはわからない。そのときの気持ちは覚えている。
今もそこを通るたびに、その時の気持ちを思い出す。
年一回の「健康診断」に行って来た。
胃カメラも飲んで。
ほぼ健康だが、それがどこまで続くんだろうと思う。
そのうち、重要な検査も必要になるかもしれない。
今回も「ああ、めんどくさい」なんて、心で思っていたが、
そのうち「ほんとに感謝」なんて思う日も来るかもしれない。
沢山の調査項目があった。
ほとんどの対応してくれた人は、一人ひとりとちゃんと会話してくれていた。
中には流れ作業的になっている人もいた。
ちょっと、こちらも気持ちを改めてみるかな。
「お願いします」と、心から言ってみるか。
それにしても待っている間、スマホ観てる人、多かった、
「そうなったらそうなったで」'25.1/26
昨年買ったスマート・ウオッチ。
安かったというせいもあるが、ベルト部分が壊れてしまった。
そんなのベルトを交換すれば、いいじゃんと思えるけど、なんと本体の方が壊れてしまった。
本体をまた買うとなると、お金は多少かかる。困った。
検索すると、本体の時計をまるごと外から囲めるベルトが発売されていて、なんとかなった。
たぶん、そうなってしまった人用に作ったベルトであろう。
・・・・・・・・・
かけていたメガネのフレームが壊れた。バネのある特殊なフレーム。
買ったメガネチェーン店のHPを見たら、もうそのフレームの在庫はないとある。
では、なるべく近いもので、あれやこれやと調べてからお店に行った。
フレームが壊れたことを伝えて、代わりのフレームの事まで伝えると、
「あっ、同じフレーム、ここにありますよ」と言う。えっ、HPではなかったに。
結局、また同じメガネをかけることが出来た。
・・・・・・・・・・・
明後日、年金事務所に向かう。
小難しい書類の提出がある。さっぱりわからないところもある。
心配もあり、年金相談に電話したら、
「わからないところは書いていかないで、職員の人と一緒に書いていきますから」と言う。
・・・・・・・・・・
結局、そうなってみると、それなりにやり方があるとういう事だなー。
同じようにそこで、苦労している人はいて、なんとかなる。
「健康診断」'24.10/29
年一回の「健康診断」に行って来た。
胃カメラも飲んで。
ほぼ健康だが、それがどこまで続くんだろうと思う。
そのうち、重要な検査も必要になるかもしれない。
今回も「ああ、めんどくさい」なんて、心で思っていたが、
そのうち「ほんとに感謝」なんて思う日も来るかもしれない。
沢山の調査項目があった。
ほとんどの対応してくれた人は、一人ひとりとちゃんと会話してくれていた。
中には流れ作業的になっている人もいた。
ちょっと、こちらも気持ちを改めてみるかな。
「お願いします」と、心から言ってみるか。
それにしても待っている間、スマホ観てる人、多かった、
「半世紀のギター」'24.9/8
1969年に作られたヤマハFG180のギター。
1988年ごろに質屋の店頭で見つけた。それもかなり弾かれたあとに。
定価は18000円。その質屋でも18000円で買ったと思う。
実はこのFG180は名器と呼ばれている一本。数多くのミュージシャンが使っている。
それから2005年にギルドのギターを買うまで、ずっとこのヤマハを弾き続けた。
状態はいつもベストだった。信じられないことだけど。
そのヤマハFG180が、この夏、調子悪くなった。ボディのほうの原因だと思う。
弦高が高くなってしまった。弾きづらくチューニングも合わなくなった。
ずっと使ってきたギターなので、なんとか直してあげたいと思っている。
しかし、もうチューニングはあまり合わないかもしれない。
そうなると、ライブで使うのはむずかしい。
作られてから半世紀のギター。55歳のギター。
ものすごく弾かれたギター。もういろいろ限界も来ているだろう。
もし、修理に出して「チューニングは合いませんよ」と言われたら、引退でもいいかなと思う。
なぜかというと、18000円のギターだからだ。
すごくがんばった。しかし、昨年、今年の夏の猛暑には耐えられなかったのかもしれない。
だいたい18000円のギターに求めたものが大きかったのだ。
そこもわかるべきだ。引退でもいいかなと思っている。
「YouTube」'24.8/4
先日、また新しく動画をYouTubeにアップした。
「こんなふうな夢があるなんて」という歌。
たまたま13年前の自分のライブDVDを観ていて、YouTubeにアップしたいと思ったのだ。
その歌は作ったばかりで、もう歌わなくなり、ボツにしてしまった歌なので、すっかり忘れていた。
しかし今聴いてみると、なんとリアリティのある表現だったなぁと感じた。
それは作品の完成度が、ひまひとつで、なんとかしよう思ったのだろう。
聴いていくと、その歌の世界にすっかり入り歌っている。まるでその時のように。
これが歌い慣れた歌だったら、「歌い慣れた歌」のように聴こえていただろう。
これは「夢」という言葉は出てくるが、いわゆる眠って見る「夢」の事ではなくて、
よく「夢がかなった」と使うときの「夢」である。が、聞き手がそれぞれにイメージしてかまわない。
このテイクを聴いていると、どの言葉もフレーズも自然でしっかりと歌われている。
なかなか、こんなテイクは出来ない。それは自分でわかる。
そして一番大きな事は「YouTube」にアップしている気がすると感じた事だ。
その感じを大事にしたい。とても大切にしている事なので。
「Easy And Slow」'24.7/7
アイルランドの古いラブバラッド「Easy And Slow」を、先日のライブで歌い、それをYouTubeにアップした。
今年のはじめにボブ・ディランがローリング・サンダー・レビューライブのリハで歌った音源を聴いて、すっかりはまってしまった。
その音源は、ダブリンの話であり、もう前の時代の前の話でもあるのに、その歌の主人公のように歌っていた。
そのせいもあって、どのフレーズも、感情豊かに歌われていた。同じフレーズであるのに、ちがったように聴こえた。
しかしディランはリハでは歌ったが本番では歌わず、その後も歌わなかった。
・・・・・・・・・・・・
それですっかり「Easy And Slow」にはまってしまったので、YouTubeでいろいろ検索したら、
よいテイクがいろいろ出てきた。ダブリンの町を歩きながら歌ったもの。
ゲストを呼び、コンサートで即興のように歌ってもらった味のあるテイク。
そんなテイクを観ていたら、自分も紳士のように品のある歌い方で歌ってみると良いなと思えて来た。
昔から伝わる歌を、なぞるように、、歌への想いを込めて。
それで、ライブで何回か歌ってみたが、まるで雰囲気が伝わらなかった。
原因がわからない。壁に当たってしまった。
そこで、原点に帰って、最初にディランのテイクを聴いたときとなるべく近く歌おうと思った。
・・・・・・・・・・・・
それで、ライブで歌い始めてみると、自分がその歌の主人公になった感じだった。
まるでディランのテイクを最初に聴いたときのように、最後まで歌えた。
ぜったいこのテイクを動画でアップしようと思った。
こんな感じでは二度と歌えない気がして。
思うに、ディランもほんと久し振りで歌ってみて、その歌の主人公のように歌えたのではないか。
同じように、今回の自分も。
編集でいろいろあったが、なんとか無事にアップ出来た。
再生してみると、その事がよく伝わっていていいテイクだ。
たぶんこの時だけのテイクはないだろうかと思う。
「本読み」'24.5/29
最近、また本をいろいろ読んでいるのだけど、
ネットの文章に慣れてしまったせいか、長い文や知らない単語が出てくる文は、
集中力がなかなか続かない。30分も読んだら、へとへとになってしまう。
どうしてこんな事になってしまったのか??
高校の頃なんて、もっと沢山の難しい本も読んでいたのに、、
思うに、当時は、教科書や参考書を読んでいて、
多少の難しい言葉も気にしないで読んでいたんだ。
それが普通で。
ここずっと、そういう本を読んでいないから、
文字が続く本がなかなか読めなくなってなってしまっているんじゃないか??
しらずしらずのうちに、、、
しらずしらずのうちに、、
ふとしたきっっかけで芭蕉の本を探っている。
その前に俳人「山頭火」の本を読んだせいもある。
また、いろんな本を読もうと思っていた頃だった。
俳句はずっと好きで、特に「芭蕉」「蕪村」「一茶」「山頭火」は、多く本も持っている。
また本を読み始めるきっかけは、ここから始まるようだ。かなり燃えている。
・・・・・・・・・・・・
以前のことだけど、聴いてる音楽に新鮮さがなくなった時がしばらくあった。
そんな時、新しいアレンジで再録音された「にほんのうた」のCDシリーズを聴いて、
また一気に音楽を聴くようになった。それは今まで続いている。
きっかけは大切だ。
今は芭蕉の「奥の細道」を追いかけている。
まさに、僕の創作に一本の道がそこからつながっていたようだ。
「みどりの窓口」'24.4/21
もうちょっとしたらほとんどの「みどりの窓口」がなくなると言う。
「みどりの窓口」とは知ってのとおり、切符など買うところだ。
これからは自販機で操作をして欲しいという。
老人にそれが出来るか??
今、支払いもカードやネット決済が多くなって来ている。
若者はそれに付いていくだろう。
食堂に入っても、なんかよくわからない券売機がある。
コンビニでの支払いも自動になって来ている。
スーパーもほぼそうだ。
それが便利と言えば、便利だが、出来ない人はどうすりゃいいのさ??
・・・・・・・・・
しかし、今日の話の本質はそこではない。
わーわー、がーがー言っている間にも時間は過ぎていってしまう。
自分のやりたい事は何かを、しっかりと忘れない事だ。
あっち見たりこっち見たり、そっち見たり、向こう見たりしてるうちに、
時間はたってしまう。何かを切り離そうとしている。
コンビニにパンを買うように、
感情も買えるようになるんじゃないか??
「こころ」'24.2/25
1月は熱を出したりして精一杯だったが、
2月はトラブルに2回あった。
どちらもさけがたく。
そんなとき、こころはざわめくものだ。
しかし、それはまったくもって、いい事がない。
身体にも良くない。
たとえば、それがお風呂やブールだとして、
小さな波が、大きく水面を揺らしてくることもあるだろう。
お風呂では特にそうだが、水面に手のひらを乗せると、
波はおさまってくる。
大事なことは波を大きくしないことだろう。
今月の2回のトラブル。
怒りもあるが、それを自分のこころに起こしても、
いいことはない。
常にこころの波を静かにせよ。
息を大きくはいて、すって
常にこころの波を静かにせよ。
「2024年」'24.1/31
2024年の1月ももう終わってしまう。
ほんと、慌ただしく過ぎていった。
いろんな出来事もあった。
体調も崩してしまった。ちゃんと調べてはいないので原因は不明だ。
やっと、復活して来た。
やっと2024年の事を考えている。
ぼーっとしていたら、またぼーっと過ぎてしまうと。
しかし、1月のいろいろで何かがひきしまった。
明日からまた新曲の創作にもかかる。
僕らだって、明日は能登の人々のようになってしまうかもしれない。
無事なときに頑張ろうと思う。
「大晦日の商店街」'23.12/31
大晦日の商店街を買い出しで歩いた。
ざわざわとしてる商店街。
この一年のことを思った。自分は何が出来ただろうかと。
歌は作った。一曲に何ヶ月もかけて。
その中の一曲「どこにも行かない閉店」を昨日、動画サイトにアップした。
それはこの商店街の古いお店の閉店を歌った歌。
四ヶ月ほど、毎日ノートに向かった。たくさん、この商店街の事を想った。
どの一行にも、僕の想いが乗せてある。
魂込めて作った。
それを公開させてもらった。
僕にやれた事といえば、その位かもしれない。
その歌は、この商店街の歌ではあるけれど、
すべての商店街の歌でもある。
その歌に、ほとんどの人は辿り着けないであろう。
でも、そこには僕の四ヶ月間がある。
しぼり出して形になった歌がある。
僕がやれた事。
「最近、思うこと」'23.12/10
もう10年以上「こうしたほうが良いですよ」と言ってても、
直らないならば、きっとこの先もそうだろうと感じる。
もう70歳を過ぎていればなおさら。
「えっ??」と思う事があっても、70歳を過ぎていると、
そうなってしまう事もあるねと思える。
先日、国産のそこそこ高いギターを使っている初老の人がいたが、
何がどうなっているのか、音がメロメロであった。
私の予想では「弦」が大きな原因のひとつだろう。
あとはギター自身の個性か。
弾き方にもある。
そのギターは国産で15万くらいするだろう。
だからと言って、出音が良いわけではない。
でも、年をとってくると、そのギターを変える事も出来なくなる。
わからないんだ。
ガツンと誰かが言っても、たぶんそのまま。
だって自分の出している音がわからないんだもの。
それもその人らしくて、アリだけど。
ギターの弾き方を変えるなんて、ほぼもう無理かもしれない。
弦だって、ずっと使っているものが合っていると信じているだろう。
ピックの種類だって変わらない。
もう私にもよくわからないのですよ。
結局、「もう変わらない」と、思っているのが合っているかも。
自分だって、そういうところはあるだろう。
「風邪」'23.11/3
もう治ったが、ほんと久し振りに風邪をひいた。
コロナが流行り出した2020年以降は、マスクもして大変気をつけていたので、
咳ひとつ出ない生活だった。
今回の風邪では咳はそんなに出なかったが、
思い出すと咳が出そうになった。
そして実際に出た。一回すれば落ち着くのだけれど、
電車の中でもそれはやって来た。
咳を我慢しても、少し出てしまう。
コロナが流行っていた時期、
僕も含めて、咳をしている人にかなり気をつかった。
「あの人、咳をしてる」と、、
しかし実際に自分もその状態になってしまうと、
思い出しただけで、咳が出そうになってしまうのだ。
ああ、そんな人たちの気持ちもわからなかった。
自分がなってしまうと「別にいいじゃん」とか思ってしまう。
咳を我慢するむのは、きびしいものだ。
「夏の身体がおかしい」'23.9/24
外仕事をしている。
この夏はモーレツに暑かった。
そのせいもあって、仕事始めて30分で汗だくになってしまう。
先日は、少し凉しかったが、それでもすぐに汗だくになった。
身体が変なんだ。
すぐに汗をかこうとしている。
もう感覚がおかしい。
身体も必死なのか、、
生命の危機を感じて。
まだしばらくは続きそうだ。
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