青木タカオの「ちょっくら・おん・まい・でいず」 TOPに戻る
過去ログ「どこかで聞いたら、よろしくと」'03.7月〜9月

 「世界のこちらから」7/15

 いろんな名盤がある。それは、人それぞれにちがうだろう。

 僕にとって、宝物になっているレコードやCDは、たまたま見つけたものが多い。ロック・フォークに限らず、民族音楽も多い。ブルースもある。

 友達が送ってくれた音源もある。ラジオのFMで聴いて見つけたものもある。有名なものもある。今では手に入らないものもある。

 約30枚、ここで紹介しようと思うけれど、それらの音源はなかなか手には入らないだろう。そしてなおかつ、文章なので音を伝えることはかなり難しい。

 どこかで聴いたら、よろしくと!!

 精一杯がんばってみます。音やイメージがうまく伝わるといいけど。僕の予想では、みんなが一生聞くこともない可能性も大きい。しかし、いつか出会う可能性もある。

 それは、このページを見ているここからはじまり、はるばるの遠くにもありえる話だ。

 はるばるの向こうから来るもの。それは一枚のレコードやCDとも同じだろう。

 僕の駅にようこそ。商店街はこちら。


 vol.1「カムアライブ・イン・コンサート/ジャグジット・アンド・チトラ シーン (india)1979」7/20

 参考曲一曲目(リアル・オーディオram)

 砂漠のような暑さ。もしも僕らが、そんな街にいたらどうしているだろう。

 Tシャツを着て、水で体をしめらし、クーラーのある部屋で横になっているかもしれない。かたわらには、いつもコップとジュース・・。

 しかし実際の灼熱の街にゆくと、そこでは、白い布の服を身にまとった人々が、さっそうと角を曲がってくる。砂漠にいても同じだ。Tシャツになるという発想は、僕らの世界のものだ。よく冷えたコーラよりも、熱い一杯のチャイが体を涼しくしてくれる。

 世界中に一羽の鳥がいる。それはスズメかもしれない。日本にもいる、ヨーロッパにもいる、アジアにもいる。その姿は、たぶんどこにいても同じだ。そんなふうに、住む場所が変わっても、人々はそれなりにやってゆく。ただ回りを包む気候が違うだけだ。

 笑い声はどこからかいつも響いているだろう。

 でも、それにもある程度の限界はある。あまりにも暑くなれば、日中、外も歩くことはできないだろう。それにもし雨さえも毎日降らなかったら。。つらいのはわかっているけれど、なんとか楽しみを見つけてゆくだろう。それは、同じように一日が行ってしまうからだ。

 世界中の子供たちが、数ページの絵本を作ってくる。日本でも、チャイナでも、ヨーロッパでも、インドでも、アフリカでも、、。同じ教室で、その絵本をお互いに見せ合う。描きたいことはみんないっぱいだ。描ききれないことも多い。

 ・・同じページ数の中の、明るい絵と言葉たち。

 1979にインドで発売された、ジャグジット・アンド・チトラーシーンによる『カム・アライブ』というレコードがある。これは「ガザル」と呼ばれるジャンルの音楽で、古い形式にのった楽曲構成でありながら、現代風のアレンジで、演奏されるものだ。しかし電気楽器は使われていない(エレキベースは入っているが・・)。新古典軽音楽と呼ぶにふさわしい。

 インドのポップスと言えば、インド映画に代表されるような、陽気で電気楽器を駆使したノリのいいサウンドを誰しも思い出すだろう。それはまるで、インドの街角にある手描きの映画看板のように派手だ。

 この『カム・アライブ』のレコードの中にある音は、決して派手な音ではない。しかしライブ盤であるために、常に観客の歓声が入っている。インド人の歓声は底抜けに陽気だ。手拍子もあり、楽しい空気に包まれて進んでゆく。

 演奏される曲は、伝統的な古いリズムもある。それはみんなもわかっている様子だ。そして流れてくるサウンドは、実に新しい。それは古くて新しい響きだ。奇跡に近いサウンドで聞こえてくる。

 イメージ的には、コンピューターに頼らない新しいサーカスという感じか。

 '60年代に入り、電気楽器がサウンドを圧倒してゆく中で、このレコードでは、伝統音楽の復活がみごとな形で実現されている。「やってのけた」という印象だ。

 その歌とサウンドの響きには、昔ながらのインディアのまじないが生きてるようだ。何かをのりこえる秘密がある。暑い日の熱いチャイのようだ。頭と心を抜けて、一本の涼しい小川が流れてゆく。


  vol.2「アライブ・オン・アライバル/スティーヴ・フォーバート1979」7/24

参考曲試聴・アルバム紹介

 一匹の夏の虫がいる。

 昇り行ゆく太陽に包まれ、一日は渦を描くように時間を乗せてゆく。

 図書館に朝一番で本が入ってくるよりも早く、目の前に広がる新しい物語・・。

 ある夏の日のその虫の物語には、世界中のどの新聞も参加していないだろう。誰ひとりそれを見ている人もいないだろう。しかし素晴らしいリアリティーを持って、話は展開されてゆく。

 登場するその主人公。名前は何だろう? 彼は、一日のジャングルを抜けて、また葉のそばで休んでいる。その動きは完璧だった。その戦いは見事だった。

 1979年。僕が東京に出て来た年、一枚のレコードがアメリカから届いた。いや、アメリカというよりも、一人の友から届いたと言っていい。

 その友は、柔らかい刀を持っていた。柔らかい声と、柔らかいギターとハーモニカ。力を抜いた瞬間から見えてくる、重力の自然な流れ。柔らかいながらも、刀の切れ味はいい。

 みごとだった。空気の捕まえ方には信じがたいほどの才能を見せていた。それは柔術や武術に近い。どうやって彼はそれを身につけたのだろう・・。

 スティーヴ・フォーバートのファーストアルバム「アランブ・オン・アライバル」に入っている歌はどれも、柔らかくて切れ味がいい。歌もギターもハーモニカも、みごとなまとまり方をしている。聴けば、すぐに彼の演奏と声だとわかる。それは素晴らしいことだ。

 スティーヴの剣術は、予想もしなかったことだった。彼はささやくように、ロックする。その力の向かい方は、どちらかというと内側だ。しかし、そこから生まれてくる空気の振動は、ピーンと遠くまできれいに届く。見えない透明の虎が、走ってゆくようだ。

 一匹の虫が草の間を抜けて飛んでゆく、その姿のみごとさ・・。柔らかい刀を持った、柔らかいハートの歌。。


 vol.3「ジプシー・ミュージック/バログ・カールマン and メータ(ハンガリー)19907/27

 参考曲試聴・アルバム紹介。

 そこにスピーカーがある。部屋のスピーカー、職場のスピーカー、学校のスピーカー、商店街のスピーカー。

 日々の埃をたっぷりとあびて、鳴り続けているスピーカーがある。そこから聞こえてくる音は、どんな音楽も旅をしてどこかの道を歩いてゆくような音になってしまう。表現して言うならば、「道中の音」だ。

 もともと人はどこを歩いてゆくにしても、埃の中を進んで行くのだろう。それは見えないほどでもあり、気にならないほどの埃かもしれない。土埃のときもあるだろう。砂埃のときもあるだろう。

 「道中の音」・・。そのとき、きっと演奏者もやっぱり、一緒に歩いているような気がする。歩きながらの演奏ともなれば、きっとそのリズムもまた、揺れが出てくるだろう。それは食事前で、お腹がすいているかもしれない。そんな「道中の音」・・。

 ハンガリーのジプシーミュージックは、とても有名だ。しかしその印象はどこか暗さもともなっている。1970年に入り、若いハンガリーのミュージシャンたちによって、伝統音楽(トラッド)復興運動が起こり、'83年にはこの若い「メータ」というグループも結成され、トラッド復興運動を広めていったという。

 そしてこのアルバムは、ティンバロムという、ハンマーダルシマを大きくしたような楽器の名手でもある、バログ・カールマンをゲストに迎えて、90年代に入ってから発表されたアルバムだ。バログ・カールマンの演奏は超絶的にうまく、そのキレのよさが、メータの演奏とからみあい、質の高いサウンドになっている。

 熟練の伝統的なミュージシャンの人たちからは、「まだまだ甘いよ」と、言われるのかもしれないが、僕の耳には、とても心地よく、若いメータの演奏が耳に届いてくる。(そのメータの人たちも今では、年をとったかもしれないが・・)

 ハンガリーのジプシー音楽には、基本的にはダンスミュージックではあるけれど、「チャールダッシュ」と呼ばれる音楽はとくに、みんなで踊ることを前提した音楽でノリもいい。民族舞曲と呼ばれていて、とても懐かしい響きを持っている。

 このアルバムにも入っている、その「チャールダッシュ」の音楽は広場でよく演奏されるという。町の遠くから聞こえてくるノリのいいダンスミュージック。それは生演奏かもしれないし、スピーカーの音かもしれない。

 パログ・カールマンの演奏は、文句なしに素晴らしい。そして若いメータの演奏もまた、同じ気持ちで満ちているがよく伝わってくる。ひとつの矢印がそこに見えてくるようだ。その矢印は今に向かっている。


 vol.4「ミックスド・バッグ/リッチー・ヘブンス 19677/30 

 参考曲試聴・アルバム紹介

 一回だけ会う人もいる。

 そこは小さなライブハウスかもしれない。そこは人だかりのある、どこかの路上かもしれない。たまたま覗いた何かのイベントステージだったかもしれない。。

 独特にかき鳴らすギター、そしてその唄と、髭のある風貌の回りには、ひとつの空気があり、その空気はチラッと見ただけでも、人を引き込んでしまう。一度聴いたら忘れられない。

 その男のギターの弾き方は、かなり特徴的だ。親指を指板の上から回すように、スライドさせてゆく。ギターのリズムもまた、どこからやって来たのかと思われるほど、突然に、それも貼り付けたように、曲の途中で披露される。

 しかしなんと言っても、男のボーカルの芯は強く、そのサウンドは自由に動き回れる。たぶん男の心の中では、しっかりと曲が進んでいるのだ。

 通りかかって、たまたま彼の演奏を聴いた人たちは、その男の名前すら記憶にとどめないでしばらくの時間を過ごし、そしてまた家路に向かってゆく。

 すべての場面は、三角形のトライアングルの重なり合いのように、たまたまの偶然がそこにあったと思うべきなのかもしれない。どうしてここにいるのかではなくて、ここがあり、自分がいると実感するべきなのだろう。

 ・・名前は? 

 名前というよりは、彼の作り出すその空気が彼の名前のようだ。アルバムがある。「ミックスド・バック/リッチー・ヘブンス」。

 僕はこの一枚のアルバムに会えてほんと良かったと思っている。一般的には、生ギターを抱えている写真のために、フォークミュージックアルバムのような見えるかもしれないが、たまたま生ギターを使っているだけだ。

 ベース、ドラムスが自由にリッチーのかき鳴らすギターにからんでゆく。そんな中、ボーカルはしっかりと歌われている。どの曲もリッチーなりなりにアレンジされて、深みのある唄に仕上がっている。

 個人的にとても好きなのが、三曲目の「MORNIG MORNING」で、2分ちょっと唄だ。アルペジオ風の、まるで童謡や唱歌のような歌なのだが、リッチーはみごとに歌いこなしている。5曲目の「FOLLOW」もそうだ。僕だったら、かなり照れてしまうかもしれない。

 このアルバムに限らず、リッチーは実にいろんな歌を自分なりのアレンジに直して歌っている。それは、歌を聴き、そしてリッチーの心と体を通すと、歌が生きてる響きになって再生されるようだ。

 そして何度聞いても、まるで初めてのように、耳が吸い込まれてしまう。

 リッチーの体内を通された歌たちは、実にリッチーが歌うと自然だ。それが原曲とちがうリズムになっていたとしても、すべてがありのままだ。それは、実際にステージで会ってみると、一番良く伝わってくるだろう。

 いつか本当に、リッチーの歌とギターを生で聴いてみたい。


 vol.5「ア・ウイッシュ/ハムザ・エル・ディン(スーダン) 19998/3

 
参考曲試聴 7曲目「ウイッシュ」(リアル・オーディオramファイル) HPより

 願いというものは、どうやって表すことができるのだろう。

 感情を形にするのは無理だと誰かは言う。しかしそれは百科事典のどこかのページにあてはまるかもしれない。

 風を捕まえることも無理だと言う。何か空き缶のようなものに、風をつれてきて、遠く離れた場所でその風を放すということは、まったくのお笑いだと言われるだろう。でも、風に形がないというのならば、それもまた真ではないだろうか?

 一枚の葉っぱがある。その一枚の葉っぱを鞄の上に置く。その葉っぱをパソコンの上に置く。頭の上に乗せてみる。胸にあててみる。屋上から、街の上に乗せてみる・・。

 世の中には、いろんなコンセントがあるけれど、葉っぱのコンセントというものがあってもいいだろう。

 1999年に発売された、スーダンのウード弾きの名手、ハムザ・エル・ディンのアルバム「A WISH」のラストに、「WISH」という歌が入っている。僕はその曲を聴きながら、街のいろんな場所を歩いた。

 すると、夕暮れどきになると、その曲と風景が溶け始めるのがよくわかった。歌詞は何を歌っているのかはわからない。しかし、勝手に僕の中で、そのメロディに合わせて歌詞が出てくる経験をした。

 ウードの響きはとても自然で、一本の樹木のようにも聞こえてくる。その樹からつながっている、土や道、そしてお腹。歌は空気伝達現象なのかもしれない。

 弦を叩くようにして、弾かれるウード。その流れについてゆくと、止まって見えるひとつの絵柄が動き出すようだ。マジックのひとつの葉っぱ。その葉っぱが、ゆっくりとハートの中を回り落ちてくる。それは「?」マークではなくて「♪」の形だ。

 世界中どの場所にいても、このメロディが聞こえてくるようだ。魔法の歌というしかない。


 vol.6「無残の美/友川かずき 19878/8

参考曲 試聴 アルバム紹介 

 1983年。新宿ロフトで、花火を観た。

 そこはライブハウス。ひとりの男を取り囲む演奏者たちは、まるで大道の人たち。どこからかやって来て、自分の芸を披露しているように見えた。

 それは何か奇跡でも起きているようだった。

 ひとつの芝居のようでもあったし、心の音のようでもあった。しかし僕には、はっきりとそれがスターマインの花火に見えた。

 友川さんのことは、デビューの頃より知っていた。。歌詞も歌い方も強烈で、普通の人ならその弾き語りは一度聴いたら忘れられないだろう。

 弾き語りの友川さんも、なかなかに聞き物だけれど、強者どもを引き連れたバンドでの演奏もまた、驚くべきパワーを見せつけていた。それは音楽バンドというよりも、祭りの一団といった方が近いかもしれない。

 友川さんの歌の激しさと、歌自身の持つイメージの傑作性を表現すべく、バンドの音は'80年代に入り、ひとつの完成に近づいていった感があった。

 その頃、ライブではギルドの最高機種のF-50のギターを使っていて、それがなんとも濃厚で品が良くみごとにサウンドとマッチしていた。

 '81年発売の「海静か、魂(こえ)は病み」そして'86年の「無残の美」は、発売年こそ離れているけれど、発見されたひとつのサウンドで結ばれている。大きな場所に出たという音だ。フォークとか弾き語りとかいうジャンルを越えて、おどろおどろしくもシンプルな激しさを兼ね備えた歌に仕上がっていた。

 バンドの音も良いし、それにもましてこの頃の作品がいい。詞と曲とサウンドとボーカルがひとつの満ちた時間に達したのかもしれない。名曲がかなりある。

 跳ね踊る言葉と、そのサウンド。ライブでの空間は友川さんの音のイメージの独壇場だった。それはその場にいるだけで、鳥肌が立ってくる。

 レコードやCDはいろんな制限があるけれど、ライブはとても立体的だ。あの頃の友川さんのバンドを生で観た人はそのうねりを体験しただろう。偶然にも僕も聴くことができた。

 この頃の二枚の音源は、それでもそれが伝わってくる。まず何と言っても作品がいい。その完成度は、聴いてると歌が空まで舞い上がってゆくようだ。



 vol.7
「ダスト・ボウル・バラッツ/ウディ・ガスリー 1940
8/13

  参考曲 試聴 アルバム紹介 

 LP盤のレコードの溝は黒い。その中をゆっくりと進んでゆくレコードの針。

 その盤面から聞こえてくる乾いた音がある。レコード針と盤面の間に、砂ぼこり舞う中を歩いてくるひとりのギターを持った人が見えてくる。

 1940年録音。『ダスト・ボウル・バラッツ』・・砂嵐の物語・・。ウディ・ガスリーは、実際に砂嵐に追われて、旅に出た一人だった。スタインベックの小説『怒りの葡萄』でも、書かれている同じ砂嵐。

 ウディ・ガスリーは、アルバム何枚かの音源を残した。「子供たち」のための歌。「砂嵐」の物語の歌。「サコとバンゼッティ」の物語の歌。。「フォークトラディショナル」の歌・・。

 1940年の、この「砂嵐の物語」のレコードは、砂嵐の歌を集めて編集されたものなのか、最初から曲順まで考えられて作られたアルバムなのかは、僕にはわからない。しかし、そこに納められている歌の数々は、どれも小さな物語で満ちていて、歌の面白さもそなえられていた。

 「あっ、この歌だ。。そしてこの歌か。。それからこれか・・」そんなふうに、アルバムは進んでゆく。

 ウディの歌には、いつもユーモアがある。同じことを伝えるにしても、どこか情景的に、頬がつりあがってしまう。

 アルバムのラストの曲の終わりはこうだ。

 ♪教会はすし詰め満員だった。吹き荒れる砂ぼこりは真っ黒で、牧師は聖書が読めなかった。そしてメガネをたたんでこう言った。

 「友よ、知り合えて良かった。知り合えて良かったよ。このほこりっぽい砂が家の中まで入ってきたおかげで、旅に出なくちゃ・・」

 ひとつの物語のシーンをメロディにのせて歌うウディ。乾いた声に乾いたギター。砂嵐のバラッド。

 僕は、この「ダスト・ボウル・バラッズ」のレコードをホントによく聴いた。18才の頃だ。全部日本語に直して、自分で全曲、テープに録音して聴いたりもした。

 ・・歌い方もギターもそっくりに。。

 今聴いてみても、ウディの作品はどれも軽さに満ちている。軽さという言い方は適当ではないかもしれない。馬車に揺られてゆく、その重さに似ている。

 はるばるとした時間がたった後で、またこうしてスピーカーから流れてくるウディ・ガスリーの声。すでに知っているはずなのに、なぜか、その物語にひきこまれていってしまう。古い雑貨店のどこかのすみに、今も置いてある品物のようだ。

 ライナーノーツにて、ウディは「みんながすでに知っていることを語った人間として知られたい」と、言ったとつづられている。僕には今だに、この言葉の真意がよくつかめない。よくつかめないが、なんとなくわかる。

 ウディの歌が新鮮なのは、そんなところにあるようだ。



vol.8
「サンシャイン・スーパーマン/ドノヴァン 1966
8/18

参考曲 試聴 アルバム紹介 ドノバンHP(歌流れます)

 ドノヴァンを聴きながら、僕はさまざまなことを思う。

 ドンヴァンから得たものは実に多い。初期の作品群から1960年代のアルバムなら、ほとんど生活の一部のように聴き続けた。

 みんながドノヴァンに求めたものがあり、ドノヴァンもまたそれに答えてくれた。

 『魔法のように音と言葉をあやつり、まるで絵画のように仕上げてゆくドノバンのその世界』とはよく言われるが、僕もまたそんなふうにドノパンを聴いていた一人だ。

 そしてドノヴァンの歩んだ道がある。魔法のようなその音楽は永遠に生まれてくるようにも予感させた。

 ドノヴァンの作品は、初期のボブ・ディラン風の弾き語りも含めて、どれも聞きあきない。'60年代に発表されたアルバムは、みな魅力ある作品ばかりだ。その中でも「サンシャイン・スーパーマン」は、ひとつのアルバムしたら地味と言えば地味だけれど、ひとつの完成された世界を作り出している。

 逆にそれは、なんだか出口がないような気がして、僕はしばらく、ちゃんとこのアルバムを聴くことが出来なかった。最近になってやっと普通に最後まで聴けるようになったくらいだ。

 アルバムひとつが、まるでひとつの生き物であるかのように迫ってくる。他のアルバムでも、インドのシタールは出てくるのだけれど、このアルバムではみごとにそれがはまっている。そして弦楽とフルート。それらがひとつの調和になって、ひとつのサウンドを作っていて、時代を超えた音の仕上りになっている。

 1曲目は全米チャートで1位を取った「サンシャイン・スーパーマン」。このアルバムは全体を通しても、この曲にすべてが象徴されているのかもしれない。この曲だけが有名になった感があるけれど、このアルバムは全曲、同じレベルで作られていて、どれも文句なしの楽曲ばかりだ。

 シタール、タブラ、ベース、ギターをメインにしたアレンジのせいもあるかもしれないが、このアルバムは全体的に暗い仕上がりになっている。他の明るいアルバムをここに選ぶことも出来たけれど、あえてこの「サンシャイン・スーパーマン」を選んでみた。

 いろんなマジックが、このアルバム全体を満たしているのがわかる。いつか魔法の国に行ったとき、僕の耳に聞こえてくるのは、まちがいなくドノヴァンの歌だろう。


 vol.9「ザ・ラジオ・ティスダス・セッションズ/ティナリウエン (マリ) 20008/23

 参考曲 (リアルオーディオ)試聴 アルバム紹介 

 朝早く、海岸沿いをずっと歩いたことがあるだろうか。

 よく晴れた空。体の半分から続いてゆく海、そしてどこまでも変わらない海岸の砂。ただ歩いてゆくことには、何の変化もない。しかしどこかそれは快感であり、足は自然とリズムを打ち歩いてしまう。

 振り返っても、前を見ても変わらない景色。ただ足跡だけが続いてゆく。

 アフリカの遠い砂漠でも、そんな気分は変わらずにあるだろう。風と色や熱と景色が混ざり合い、ひとつの音楽を作るとしたらどんな音になるだろう。

 それは自然にそこから生えてくる植物のようなものかもしれない。そこから生まれてくるひとつの感情や時間のようなものかもしれない。

 どこからかやって来たものではなくて、そこから生まれてくるものは、とても自然だ。砂漠のラクダは、プラスマイナスゼロの時間と景色の中を進んでゆく。

 マリ共和国の北、サハラ砂漠のラジオ局で録音されたという、大所帯バンド「ティナリウエン」のアルバムがある。僕は偶然にも、彼らのライブをフランスで、生で見たことがある。ピックアップ付の生ギター、ベース、Eギター、女性コーラス陣。そしてたったひとりのアフリカン太鼓叩き。

 はじめはなんだか変化のない地味なサウンドだと思って聞いていたが、そのうちにだんだんと、彼らのミュージックが伝わって来た。それはずっと僕がやりたいと思っている音にかなり近かった。そう思って作られたわけではないだろうけど、砂漠から来た彼らには自然な音楽だったのだ。

 ひとつのリフをギターがなんとなく始めて、それにパーカッションがついてくる。Eギタとーベースがからみだす。どの曲も無理矢理のワンコードで旋律が組まれている。男性がひとつのフレーズを唄い、それと同じ言葉を女性コーラス陣が繰り返す。

 いつ終わるともしれないようなその曲は、祭りのダンスミュージックのようであり、かなりの陶酔感を作っていた。伝統的な歌を現代風に編み直したようだ。シンプルでいながらも、宇宙的な広がりも作っていた。

 僕が何よりも一番驚いたのは、大所帯バンドではある彼らのたったひとりの太鼓叩きだ。なぜか彼だけがメンバーよりもひとつ前に出て座っていた。柄のほっかむりをかぶり、中くらいのアフリカン太鼓を両足に挟むようにして叩いていた。

 たったひとつのリズムをその曲の間じゅう繰り返していたけれど、彼は何かリズムそのもののように、生きた音を作り出していた。ほっかむりの奥の表情はとても嬉しそうだった。

 ティナリウエンのライブを観ているとき、僕はかなり強いインスピレーションをもらい、新曲のアイデアがいくつも生まれた。体が震える想いだった。彼らの良さは、やっぱり現代風な響きがあるところだと思う。

 いつかティナリウエンの太鼓叩きの人と握手をしたい。



 vol.10「お前まだ春らかや/富所正一 19778/26

 1977年。僕はその頃、新潟の実家に居て、高校三年だった。

 数学の授業のとき、普段冗談も言わないような先生がこう言ったのだ。

 「♪おめえまだ春らかや〜。みんな知ってっけ? 今、新潟のラジオ局で、流行ってるてがの。まあ、数学とは関係ねえがのう」

 それを、なんなく憶えていて、あるときラジオにて彼の歌を聴くことが出来た。ほんの20分間くらいなものだった。 今、2003年なので、もうあれからもう25年以上にはなる。

 25年もたつけれど、その20分の中で流れた歌を今もよく憶えているということは、かなり良かったのだ。富所正一さん。僕は彼については多くは知らない。ただ20分ほどラジオで、その歌を聞いたことがあるだけだ。

 ♪おめぇまだ春らかや 人はへぇ秋だってがんに おめぇまだ春らかや 人はへぇ秋だってがんに

 土地の言葉で唄う、アップテンポなギターの弾き語りのその曲は、その頃、新潟のラジオ局で話題になっていた。

 (へえーっ、これが流行っているのかぁ)

 農業高校の歌も良かった。それは実況録音によるもので、かなり笑った。(これらの歌詞はうろ覚え)

 ♪農業高校の 実習の時間 畑に種をまく 〜〜 学校のきゅうり、学校のきゅうり、学校のきゅうり、君らのものじゃない 〜〜 学校のきゅうり、学校のきゅうり、新潟県のもの・・

 (ドードレーミレドラー ドードレーミレドソー ドードレミーレドラー レーレミレードシドー・・)

 次は「通信簿」という歌だった。

 ♪あのの、これがの、つうしんぼうらいの、おれが、もろた、いちらいの・・

 (ドレミー ドレミー ミミレードミー ドレミー ドレミー レレドシドー・・)

 記憶はさだかではないが、歌の終わりでは、重いカバンで帰ろうみたいだったような気がする。

 「通信簿」は本当にいい歌だった。ほんのニ・三曲聞いただけだったけれど、彼は歌は強く僕の中に残った。あれから25年・・。

 1977年。富所さんは25才で自ら遠くの世界へ行ってしまった。そのあと、みんなの力でアルバムが一枚作られたのだ。

 『お前まだ春らかや』富所正一 

 A面・1「お寺の鐘」2「どじょうを取りにゆこうや」3「お前まだ春らかや」4「農業高校」5「どもりの男のうた」6「柿の種」

 B面・1「通信簿」2「私の下にだれかいる」3「一杯飲み屋のおねえさん」4「竹とんぼ」5「泥と汗の結晶」6「いなかもの」

 どれもタイトルがいい。聞いてみたい気持ちになる。名作の予感がする。しかし今、このアルバムが手に入らないのがとても残念だ。それは僕だけではなくて、彼のことを知らないみんなのためにも。。

 (※富所正一さんの文を書くあたりBigBrotherさんのHPを参考にさせていだたきました。)


 vol.11「青春の詩/よしだたくろう19708/29

    アルバム紹介  試聴・MP3で6秒・『一曲目』 『11曲目』 『12曲目』 HPより

 見ている先にステージがあり、パイプ椅子で待っている僕がいる。

 そこにもし拓郎が登場してくれるとしたら、デビュー当時、'70年頃の拓郎に会ってみたい。

 まだ髪が耳くらいまでだったころだ。黒いシャツかなんか着て、ギター一本で唄い出す拓郎。一曲目はなんだろう。

 「♪喫茶店に彼女と二人で入って、コーヒーを注文すること、ああ、それが青春・・」

  '70年のアルバム「青春の詩」を聞いていると、その頃のステージが目に浮かんでくる。弾き語りのスタイルは、拓郎だけのものではないけれど、このアルバムの12曲を聴いていると、メジャーポップス文化をひっくり返すだけの力が、ひそんでいる。

 そんな予感を感じさせるアルバムでもあり、その後の拓郎についてはみんなも知っている通りだ。このアルバムには、あまりに有名すぎる歌も多く入っていて、気恥ずかしさからか、ちゃんと聞くことがなかなか出来なかった。でも30年ほどたって、やっと普通に僕も聞けるようになった。

 ・・いろんなことが、ひと巡りしたのだろう。

 今、2000年を過ぎてあらためて、このころの拓郎の歌とスタイル、そして「青春の詩」のアルバムのサウンドを聴いていると、想像もしていなかった良さに気が付く。

 ジャズ風なドラムとベース、それに即興性のあるエレキのリードギター、どうやって録音をしたのかは知らないのだが、かなりライブ感のある演奏とサウンドで作られている。その音はあきさせず、とても新鮮だ。

 アルバムの構成もなかなかダイナミックでいい。それは実際のライブでもそうであるかとも思えてしまう。名曲も多い。1曲目「青春の詩」。2曲目「とっぽい男のバラード」・・そしてラストの前の曲が「今日までそして明日から」ラストは長編の「イメージの詩」でしめくくられている。

 「とっぽい男のバラード」は、僕は個人的に、このアルバムの中でも一番好きな歌になってる。歌自身が昔の強い侍のようだ。なかなかこんな歌は生まれてこないだろう。

 このアルバムのラスト3曲の流れが実にいい。「今日までそして明日から」には、手が触れられないくらいに名曲の響きがある。アルバムとしたら曲順で困るところだ。しかし、ラストの広がりのある「イメージの詩」で、うまくバランスがとれている。

 30年ほどたって、やっとまたここに帰って来た音とアルバムがある。

 CD・・PLAY・・ON♪

 それはどこか区民施設の一室。そこに並んでいるパイプ椅子のひとつで待っている、僕がいる。


 vol.12「Sounds of The Desert/Music from Rajasthan, india19829/2
      (Lyrichord Stereo LLST 7377) 
参考試聴CD(他の作品ですが)Vocal Music Of Rajasthan」

 もう前のことだけれど、インドのラジャスターンの砂漠を少しだけ旅したことがある。

 砂漠の夜、お酒で酔ったラクダ使いのハッサムと、大声で唄いながら騒いだ。

 そしてハッサムは僕にこう言った。

 「街には街のライフ、砂漠には砂漠のライフ。」

 そこは砂漠の真ん中なので、馬鹿騒ぎのそばにいたのはラクダくらいなものだろう。

 僕はその言葉が忘れられない。街まで送ってくれたハッサムは、街では別人のように元気がなかった。

 12色の折り紙のように、それぞれのライフの中から見えてくる風景があり、たぶん、それは重なってはいない。

 インド・ラジャスターンの音楽は、言葉では表現できないくらいに、独特の明るさがある。明るく、そして面白さに満ちている。実際、砂漠に近くなればなるほど、人が陽気になってゆく。どこに行っても、誰もがコントでもしているかのようだった。

 窓から差してくる、薄茶色くて淡い光。揺れる列車。揺れるバス。四コマ漫画のような、シーンと会話。

 ずっと一緒だったハッサムは、いつも冗談しか言わなかった。揺れるラクダ。揺れるジープ。

 このアルバムは、いくつかの歌と演奏で、だいたいまとまっている。まず、男どもの歌と演奏。そして演奏だけのもの。それらはダイスミュージックも兼ねている。そして男ののど鳴らしのような歌。そして女性による静かな伝承歌のデュエット。

 タイコ・笛・鈴・カスタネットのような楽器。サーランギと呼ばれる、共鳴する、弓で弾く小さな弦の楽器。これらの楽器が主だ。あと、人の声が重なっている。とてもシンプルだけれど、実に、それは砂漠の空気感をよく出している。

 実際、ラジャスターンの人たちに会ってみると、これらの演奏が実に彼らの世界であることがわかる。その演奏風景が目に浮かぶようだ。

 男どもの歌もなかなかいいが、女性二人による、ユニゾンのデュエットも心遙かな気持ちになれる。一聴の価値はあるだろう。

 目の前のCDラジカセから流れてくる砂漠の音楽。それは僕らのライフの中には、まるでない音のように聞こえる。どんなふうに聞いてみても、その音はCDラジカセの向こうで響いている。

 だいたいCDラジカセの存在そのものが、その音楽とは別の世界の話なのかもしれない。

 砂漠ではあんなに陽気だったハッサムは街に来るとなんだか元気がなかった。レコードの向こうに見えてくる、光と風景。

 そこには、ライフの音が聞こえてくるようだ。ゆっくりとこの部屋をラクダが横切ってゆくなんてことはたぶんない。


vol.13「ビルマの竪琴/演奏 ウ・ミン・マウ 他 1971・789/6
     (キングレコード小泉文夫氏編集)  
参考のページ 
試聴(6秒)rmファイル75KB
     

 世界中に、鏡がある。

 どんなにのぞいても同じ鏡。いや、何度のぞいても同じ顔か・・。

 日本製、イギリス製、中国製、フランス製、どの鏡をのぞいても結局は同じなのか。

 しかし、世の中にはのぞくたびに、吸い込まれるような不思議な鏡があってもおかしくないだろう。

 ミャンマーの竪琴(サウン)は、まるで船のような形をしている。その音色は、軽くてポンポンと跳ねるように鳴る弦の音だ。小さなハープと言った表現は正しいかもしれない。

 キングレコードから出ていた小泉文夫氏編集による世界の民族音楽のシリーズのひとつに、「ビルマの竪琴」があった。僕は図書館でそのレコードを見つけたのだけれど、まずジャケットに驚かされた。

 部屋の中で、ビルマの民族衣装に身を包んだ童顔の人が、竪琴(サウン)を抱えて、やさしい表情で弾いているのだ。そのそばにいる数人の人。

 レコードに針を落として聞こえてきたのは、なんとも繊細な竪琴(サウン)の演奏だった。僕の耳にしてみれば、それは超絶的なテクニックで、どんなふうに弾いているかも想像しえないものだった。

 細かい音の続きなのに、とてもシンプルで小川のように自然に流れてゆく、その演奏。

 それは、ウ・ミン・マウという人の演奏だった。なんともいえない柔らかい空気のジャケットに写っている、竪琴を抱いたその人だろう。

 僕には、このレコードに流れている竪琴(サウン)の音が、この世のものとも思えないほど、音の流れが澄んでいるように聞こえてしかたがない。とにかく軽く、明度があるのだ。指先のマジックというべきか。その絶妙なタイミングをいったいどこで身につけたのだろう。

 他のサウン演奏を聴いたことがないので、なんとも言えないのだが、この人の演奏には、何度聞いても不思議な響きが残る。それは、部屋の中を飛んでゆく小さな羽虫の、ゆっくりとした時間のシーンのようだ。

 A面と、B面で歌を歌っている女性が変わり、特にB面の若い女性の声はなんともいえずいい声をしていて、大変に耳に残る。ウ・ミン・マウのサウン演奏とも、よく合っている。

 この録音を聴くたびに、自分の心が洗われてゆく。



 vol.14「エブリバディズ・トーキン/フレッド・ニール 19699/10
    
参考曲 試聴  アルバム紹介
 

 カードゲームをしている人たちがいる。

 そこはどこだろう。アメリカ西部のウエスタンバーか、ニューヨークの路地の小さなクラブか、暖炉のある部屋のテーブルか、東京の6畳のアパートか、山あいのロッジか、、教室のすみか。。

 時計の音が聞こえている中、トランプを手に持ち、そしてサッと斜め前にカードを投げるように出す。

 そこは1のようなゼロのような、ゲームの世界。トランプが、その手から離れて机に着くまでの、ほんの少しの距離と時間。

 みんなどんなふうに、その瞬間を作るだろう・・。

 フレッド・ニールの歌と演奏を聞いていると、なぜか僕には、トランプゲームをしているときの気持ちがよみがえってしまう。

 1969年に発表されたフレッド・ニールのアルバム「エブリバディズ・トーキン」は、エコーの効いたゆっくりとしたエレキギターではじまる。名曲「ドルフィン」が一曲目だ。やがてからんでくるブズーキの音。かすかに打たれるドラムセット。ベース、そしてリードギター。

 この一曲目を聞いだけでも、そのサウンドの特徴がよく伝わってくる。まるでそれぞれがセッションをしているようであり、それゆえに、音が生き生きとして、たった今、演奏されているかのようだ。それはこの2003年に聞いても、古さを感じさせていない。

 「僕は海でイルカを探してみる。でも君のほうは僕を想ってくれるだろうか?」と唄う。海の中を表現するには完璧なサウンドセットで、何度も聞いていると、これ以上なく美しい響きだ。そのサウンドに乗ってくるフレッド・ニールのボーカルは太く、それでいて、力が抜けている。スローな曲になるほどそれは快い。

 レコードでゆうところのB面の一曲目には、映画「真夜中のカーボーイ」の主題歌でも有名な、「エブリバディズ・トーキン」が入っている。ニルソンの歌でヒットしているが、オリジナルはフレッド・ニールである。このアルバムでは、シンプルながらもイメージ豊かな演奏で唄われている。

 ラストには、どこか東洋風なサウンドの約8分以上にもおよぶセッシヨン演奏が入っている。いつか録られたライブ演奏ようだ。そして実にこのセッションが、このアルバムに合っている。そう思うのは、聞きすぎた僕の耳だからだろうか。いや、ここにはひとつの不思議が隠されているように思う。

 このラストのセッションを聞いた後で、またアルバムの一曲目に戻ると、さらに良くアルバムの演奏が聞こえてくるという不思議だ。そしてその繰り返し・・。今でもよくこのアルバムを僕は聴いているが、かける度に新鮮になってゆくようだ。

 さて、ここでまたトランプに話を戻そう。人生は多少なりともカードゲームと似ている。配られてくるカード。そして手のひらの中に残るその絵柄と数字。クールに一枚また一枚と捨ててゆくときもあるだろう。勝負をかけるときもあるだろう。

 カードが指先から離れて、テーブルに着くまでの短い時間。そのスピードと、そのとき生まれる空気は、フレッド・ニールが12弦ギターを弾きおろすときと似ている。その音が、CDラジカセから僕の耳に届くまでとも似ている。

「どこかで聞いたら、よろしくと」VOL.15〜31を見る

メニューにもどる(地下オン)
今月に戻る

過去ログ2000年[8月・ギター編]  [9月・カバン編]  [10月・田舎編] [11月はじめての東京編] [12月・犬物語編] 2001年[1月・フォーク狂時代] [2月・文房具編]  [3月市場の頃]  [4月チャイナ編] [5月チベット編]  [6月ネパール編] [7月インド編1]  [8月インド編2] [9月インド編3] [10月インド編4] [11月トルコ編] [12月ヨーロッパ編]2002年[1月パリ編]  [2月パリ編・帰国編]  [5月新しい日々]  [6〜7月私の作ったノートたち] [8月〜11月卓球時代]2003年[12月〜'03-3月ブクロの頃(前半)]  ['03-3〜7月ブクロの頃(後半)]

CD「黄色い風、バナナの夢」詳細

TOP   Jungle