青木タカオの「ちょっくら・おん・まい・でいず」  今月に戻る
過去ログ「旅立ち・チャイナ編」日記付き'01.4月

「旅立ちのビックパフェ」4/1

 旅立ちの日。夏はじめのお昼ちょっとまえ。デパートの食堂で、僕は友達とビックパフェを注文した。

 「アオキさん本当にいっちやうんだね」「うん、古賀君も元気でね。とりあえずピックパフェで乾杯しようよ」と、のんびりとする。

 あと数時間したら、リュックをしょっているなんて自分でも信じられない。そして、神戸へ向かうのだ。明日の今頃は、上海に向かう船の上にいるはずだ。でも、今はここ、池袋のデパートの食堂・・。

 友達に「旅に行こうよ」と誘われてから、数ヶ月。陸路で海外を行くなんて、いったいどうなってしまうんだろう? アパート代も先に払って、出かけるのだけれど、僕には帰ってくる旅になるとは思えなかった。

 実際、行ってみないとわからないが、気持ちは、その昔の諸国冒険の旅のよう。パリまで陸路の途中、何が起こるか想像もつかない。今でこそ、自由旅行は当たり前だけれど、'87年のその頃はまだ、「えーっ」と言う感じだったのだ。さて、どうなることやら。

 友達と、ピックパフェを食べながら、いつもどうりに、冗談あいづち話をする。「じゃあ、帰ってきたら、古賀君の彼女に会いたいな」「そういう、青木さんも、カワイイコと一緒に帰ってきたりして!!」「もちろんだよ!! きっと・・」

 今度また、いつこうやって、古賀君と向かい合えるだろう? この食堂を出たら、もう忙しく旅ははじまってしまう。もうちょっとだけ、のんびりしようよ。3/31雪の中、千ちゃんを高速バスまで、送ってゆく。ホント雪の似合う男たよ。 さて、新シリーズです。僕なりの旅行記を書いていこうと思ってます。お楽しみに。

「みんなのくれたもの」4/2

 ちょっと、部屋でリュックを背負ってみたら、意外と重かった。

 午後7時、アパートの大家さん挨拶をして、僕は道へ出た。少し歩いただけでも、息がハアハアしてくる。背中はもう、汗だくだ。まだ駅までも、ずいぶんある。途中で飲んだ、スポーツジュースのおいしかったこと!!

 東京駅、10番線10号車のところで、みんなを待った。ベンチに座っていると、隣に、高山さんによく似た女のコが座っていた。よく、見たら高山さんだった。インド柄の服を来てて、わからなかったのだ。「あれ、高山さん!!」

 向こうから、手を振って、やって来たのは、クリーム色のスカートに袖なしシャツを着た、山田さん。会社からではなくて、一度、家に帰ってから来たと言う。話していると、後ろから背中を叩いてくれた、島田君と一緒のクニちゃん。照れながらやって来たのは、メガネの山下君。そしていつもどうりの健さん。ほろ酔い気分で来たのは、昼まで一緒にいた、古賀君。

 みんな、なんだかそれぞれに、旅にでる僕に、おみやげを持ってきてくれた。「あ、ありがとうー」島田君は、一通の封筒。ク二ちゃんは、おせんべつと言うことで、おせんべい。山田さんは、オニギリとお弁当。そして「無事カエル」のお守り。健さんは、駅の売店で、インドで役立つだろうと、100円ライターを5本買ってきてくれた。高山さんと古賀君のせんべつは、缶ジュース。いいなぁ・・。

 みんな揃ったところで、ホームで記念撮影をする。騒いでいる僕らの回りには、登山にゆく静かな人たちが多くいた。そして、いよいよ、寝台夜行の出発の時間だ。ドアの所に、乗り込んでいると、白いシャツを着た、鈴木のおじさんが、どこからか登場してきて、「その、笑顔で帰って来てくださいよー」と一枚、写真をパチリと撮ってくれた。なんとも鈴木さんらしい。

 「行って来まーす」ベルが鳴る中、手を振りながら、ドアは横に閉まってゆく。そして、横に動いてゆく、列車。はじまりとは、横に動いてゆくことだったのだ・・。

 揺れる列車の中、自分の寝台に寝そべって、島田君のくれた封筒を僕は開けてみた。中からは、一本の7色鉛筆と、一枚の手紙が入っていた。その内容がとても胸にしみた。書き出しは「とうとう、出発の日が来ました・・」と書かれていた。僕は古賀君のくれた缶ジュースを飲みながら、涙ながらに読んだ。4/1 暖かいので花見に行きました。昨年も思ったのだけれど、犬がいっぱい通ってゆく。そのどれもが、知っている、種類のワンちゃんたちだ。これでいいのかなぁ。淋しいよ

「夜行列車の向こうとこちら」4/3

 もう、旅は始まっているというのに、ぜんぜん実感がない。神戸行きの寝台列車の中、僕はぐっすりと眠ってしまった。

 「あれぇ、よく眠っちゃったよ」起きてみると、今日も、暑くなりそうな陽気。朝の通勤列車の通るホームに、大きなリュックを担いで立っていると、ちょっと隣にも、同じように、バックパックを背負っている女のコがいる。(きっと、あの人も神戸港に行くんだろうなぁ・・。声かけようかな・・)

 初めての、旅体験は勇気のないまま、次へと進み、神戸港のポートアイランドへ、到着した。明るい日差しが満ちている。僕は、コンビニエンスストアで、最後の買い物を済ませ、上海行きの船「鑑真号」の受付へと並んだ。

 「おーい」僕に手を振ってくれたのは、この旅に誘ってくれた、前田君だった。この重々しい僕のいでたちに比べて、なんともさわやかな、Tシャツにジャージ姿の彼だった。そして大きな、ウエストバックを付けていた。

 「でっかいねえ」「これが、旅ではGOOなんだよ!!」前田君のきれいな歯が、白くまぶしいほどに嬉しさが顔中にあふれていた。不安なんて、これっぽっちもないようだった。

 潮のにおいと広い建物の中、受付を済ませた僕らは、しばらく建物の中を歩いていた。(どうしてこんなに広いんだろう・・) 一緒に積むと思われる、荷物置き場が見えた。そこで何台も大きな冷蔵庫を荷造りさせている、金持ち風の中国のおばさんがいた。その声が大きく響いていた。

 さて、時間になり「鑑真号」への乗り込みだ。白い大きな船。前田君は大きなウエストバックからカメラを出して、船をバックに僕らの写真を撮った。(帰って来たとき、その写真を懐かしく眺めるのだろうなぁ) 板のような橋を渡って、とうとう船に乗り込む。中国のお姉さんと、お兄さんが並び立って挨拶をしてくれている。さあ、はじまりだ。

 愛らしい中国の女のコが、僕らを船の部屋まで案内してくれた。「ユア・ルーム」僕らはおもわず「シェイシェイ」と答えた。照れて帰ってゆく彼女。「なんか、カワイイねぇ」部屋の方は8人部屋だった。

 出航の時間が来て、僕らもデッキに出ると、汽笛の中、紙テープが投げられていた。大きく手を振っている人達。僕の隣の、中国のおじさんは、出航と同時に目がしらを押さえて泣いてしまった。それでも、元気に手を振ろうとするおじさん。その姿に僕の方が、泣きそうになってしまった。船は離れてゆく。いろんな別れがきっとあるのだ。4/2 仕事始め。なんだかへとへとになる。久々に働いたような気がはてくる。途中、コンビニで情報誌を見る。今、公開中の映画「ブラック・ボード」を観にゆこうと思っているのだ。と、いいながらまた日がたってしまうのだけれど、今回は絶対に行こう。

「鑑真号二泊三日」4/4

 神戸発、上海行「鑑真号」(がんじん号)は、心に懐かしい船だった。

 と、言っても古いわけではなくて、白い客船だ。でもまるで、あの渋谷のハチ公のような、そんな愛しさがあった。そう、神戸と上海を行ったり来たり・・。

 広い甲板に出てみれば、みんな日向ぼっこをしている。空、そして海。カンカン照りって言うのは、こういうことなんだろうか? 船の向こうとこっちを歩く。同じ部屋になったみんなとも会う。「やあ!!」ぜったいどこかで会ってしまうのだ。そして、しばらく座って話す。なんともいい感じだ。

 船の食堂で飲む、青島ビール。友達は言う。「どーして、日本値段なんだよー」と。でも、乾杯。そして中華? 初めて飲む、ジャスミンティー。ああ、これが中国の味か・・。目をつぶって飲んでみる。

 夜になって、部屋のみんなと、楽しく中国の話をする。ちゃんとしたボストンバックを持ってきている、中国のおじさんが、いろいろと、地図を見ながら話をしてくれた。白い半袖シャツに、黒縁メガネ、そして丸顔。いかにもと言う感じ。学校の先生で、南京に住んでいると言う。

 同じ部屋には、日本人だけれど、中国語がぺらぺらなおじさんがいて、二人をみんなで囲んで、中国のこと、中国語について、いろいろと教えてもらった。なんか一日目から、旅の気分が満ちて来てしまっている。いい感じだ。

 ロビーで、僕は旅行の日記を書いていた。書くことがいっぱいあって嬉しい。そこには、一台だけの公衆電話器があり、今夜はまだ、日本に届くと言うので、列ができていた。ある一人の典型的なおばさんが、列になんども並んで、船の報告をしていた。おおげさとも思われる、その内容は、すっかり中国気分だった。

 「それがねえ、すごいのよー!! 」そんなに、すごかったかなぁ・・。僕の日記には、あのおばさんの事を書いておこう。そしてマップを見ながら、(へーえ、このへんかぁ・・)とか思っていた。4/3今日、バイトで、マンションにいたら、掃除のおじさんが、ずっと、鼻歌を歌っていた。よく知っているはずの歌だが、どうしてもわからない。メロディーがうまくつかめないのだ。しぱらく聴いていたが、結局、曲名がわからなかった。なぜ、わからないんだろう? 不思議だった。

「二日目の海の上」4/5

 朝、デッキにて、ひとりサンライズを見る。(ああ、なんてぜいたくな・・)

  見渡す限りの海。そのキラキラと光る、青い水面をながめていたら、大きな魚が、5・6匹一緒になって、飛び上がった。「うわっ!!」それは、生命力にあふれた自然の姿だ。朝から、感動的。

 日中はまた、日向ぼっこの甲板ライフ。友達と中国の話をしたり、仲のいいカップルについての考察やら、太陽の下、船の上の時間は過ぎる。今日もいい天気だ。夕方になって、進行方向の向こうに、なんとも雄大なサンセットが、だんだんと映り始めた。

 デッキの先っぽのほうに、みんな集まって、沈み行く夕日を、しみじみと眺めている。その姿と横顔はまるで、夕日に酔っているかのようだ。友達の前田君は言う。

 「おれ、ああいうの嫌いだよ」

 鑑真号、二日目の夜になった。短い間だったけれど、今夜で船で知り合った友達とも、お別れだ。しゃれたBARとかで、お酒を飲んでみる。「また、会えるかなぁ・・」寝るにはぜんぜん早い。部屋に戻ると、同室になった中国のおじさんもいて、いろいろ静かに二人で話す。

 「ワタシ、ニホンニ、イチネンイテ、コトバオボエマシタ」僕はびっくりしてしまった。「エイゴモ、モチロンハナセマス」いろいろと、上海の事とか、教えてもらう。メガネをかけた丸顔で、いつも絵顔で話してくれる。今日も一日、日本の学生と、デッキで、話していたそうだ。

 いろいろと教えてくれた後、中国のおじさんは、急に腕時計を見て、「トテモ、ツカレマシタ。モウネマス・・」と言って、黒縁のメガネを外して、目をこすった。それはとても印象的なシーンだった。

 11時を過ぎて、旅の友の前田君は、デッキに出てみようと言う。なんだかもの凄い風が吹いている。そこにあった、パイプ椅子が飛ばされて、手すりに激突している。「うわっ!!」「アオキさん、デッキの先まで行ってみようぜ」ぜんぜんまともに歩けない。メガネが飛ばされそうだ。

 「おれは、小さい頃から、こういうのが大好きなんだよ!!」前田君は、嬉しそうだ。ふと、夜空を見上げると、透きとおるように、星が見えている。天の川もはっきりと流れていた。「あれぇ、こういうことってあるんだね」

 揺れる船の向こう、海は恐ろしいくらいに真っ暗だった。4/4 バーゲンセールで安かった、服をこの前買って、とても気に入ったので、もう一着欲しいなと思った。しかし、ちょうど今、着ているのだ。友達と一緒だったので、買ってもらうことにした。しかし店頭にはもう出ていない。まだ二・三着あったはずなのに。「あれぇ!!」しかたがないので、お店に入ってレジの人に「これと同じ服、売ってましたよね」ときく。「はいはい、しまってありますよ」バッチリだった。店を出て、友達と笑いあった。

上海・汽水両瓶」4/6

 「もう、そろそろだね」朝に見えて来た街は、上海だった。

 鑑真号の二泊三日の船の旅の後に見る、港と呼ばれるもの。古ぼけたマンションのような建物、そして軍艦のように見える船。その景色は、きっと今も昔も変わっていないだろう。まるで古い映画のフィルムの中に入ってゆくようだ。

 ありがとう、鑑真号のお兄さんとお姉さんたち。なんだかやさしい笑顔だけが心に残っている。なんだか久しぶりのような、リュックを背負って、さて、行こうか、上海。

 友達と一緒に、港から、道へと出る。どこか日本の田舎町のような道路。なんともいえない油のような港の匂い。大きなタイヤのトラックが、ゴーッと通り過ぎてゆく。埃が舞い上がってゆく中、僕らは、どこというわけでもなく歩いてゆく。通りに座って、おばあさんが、ポツンと煮たまごを売っていた。

 とりあえず安い宿を決めて、僕らは街へと出た。夏の盛り、樽を股の間に置いて、一人の恰幅のいいおじさんが、瓶のジュースを売っていた。木の板には、「汽水」と書かれている。僕らが指で二本と示すと、大声で「チースイ・リャーンビーン」と言った。 そして勢いよく栓を抜く、おじさん。

 飲んでみると、炭酸入りだ。(なるほど、チースイか・・) おじさんに瓶を返せば、また手を挙げて大声で何か言った。なんだか市場みたい・・。これが上海のノリなのか。

 そして、次は食事。薄暗いてきとうな店に入ってみれば、ほんと歓迎という感じ。お兄さんに木のテーブルに座れば、手書きのメニューがポイと投げられた。達筆で読めなかったが、「青椒肉絲」だけは読めた。木の耳とかゆうのも読めた。「どれにしょうか?」「何だっていいんだよ」友達はあっさりと言う。

 夕方まえ、僕はひとりで、どんどん歩いてゆき、路地に市場のような通りが見えたので、のぞいてみた。二階建ての背の低い家並みが長屋のように続いている。みんな家の前に出て、椅子に座り、おばさんも、みんな料理とか、話とかしていた。上海の住宅事情についてはガイドブックで読んでいたので、やっぱりなぁと思えた。

 市場というより、適当に野菜を並べているような露天の店。僕は、人々の中、自分では中国の人になったつもりで、歩いてゆく。ずっと、突き当たりまでゆくと、煉瓦塀に囲まれたような大きな工場があった。つんと鼻をつく、油の匂い。全身油の染みた作業服で歩いてくる人。僕はこんな道に会いたかったのだ。

 向こうから、肩を組んで若者のカップルも歩いて来た。ははん、上海の不良カップルかなぁ。自由恋愛もあるんだ。ふと見る、道の脇では、おじさんが路上床屋をやっている。散髪されている、若者の顔・・。目の不自由なおばさんが杖をついてくる。

 まだ、夜には早かった。上海の一日目。僕はカーキ色のシャツと帽子をかぶり、今しばらくその路地をふらふらとしていた。4/6 現在割引中の牛丼の吉野家に入る。入った瞬間、驚いた。なんと片付いていないどんぶりが、テーブルにいくつも残っていて、まだ注文の来ていないお客さんたちが、待っていた。アルバイトの女性は、(仕方ないよ)って顔で、意外とのんびりとやっている。僕の所に牛丼が届いたのも、約10分後だ。別に怒るつもりはないが、あんな吉野家はじめて見た。外に出て、割引中の、のぼりを見たら、確かに、安い、うまいとは出ているが、早いとは書かれていなかった。

上海・南京路行き帰り」4/7

 夜は夜で、僕らは、食事に出かけた。宿の近くを歩いていると、青いスラックスの男が、二階に行け行けって言う。

 食堂と言う感じとは少し違う、テーブルにソファー、それに赤い柱なのだ。しばらくすると、クリーム色のシャレタ服を着た女のコが、「ハロー」っと隣に座った。小柄でなかなかにカワイイ。それに英語がうまい。メニューを見て、どれがいい?って言う。

 「ホワット・イズ・ユア・リコメンド?」友達は、楽しそうに英語で会話をしている。僕はなんか仲間はずれだ。なんか喋れないでいたら、女のコは、そっと手を握ってきた。(いいなぁ。俺も会話がしたいよ) 覚悟していたけれど、普通に飯代だけだった。その夜は、寝る前に悔しくて英語の勉強をした。

 さて、起きて次の日は、上海のメインストリート、南京路に行くためにバスに乗った。ひっきりなしに切符を売るお姉さんは、小さくて華奢な体付きだったけれど、なんだか頑張っていた。小さな布製の鞄と、腰には切符の束の付いていた。行き先を言って、何とか買う。昨日のあの彼女のようにも思えた。バスが走っている間は、ぼんやりと外を眺めている。その横顔が忘れられない。

 降りる所をみんなに言っておくと、教えてくれると聞いていたので、僕らは回りの人に言っておいた。そろそろなのかそろそろじゃないのか? 教えてくれるのか、教えてくれないのか? 不安だ。どんどんにぎやかな街並みになってくる。混んでいるバスの中を抜けて、あの切符売りの彼女が、僕らの所に来て、次だって言う。「シェイシェイ」。回りのみんなも、ここだここだと言う。僕らは、あわてて降りてゆく。「シェイシェーイ」

 上海、南京路。ここは上海いちのモダンな商店街だ。(今もそうだと思うけれど) 僕らは、まず西安行きの列車のチケットを買い、あとは宿で会う事にした。南京路は20年くらい前の日本の印象だった。ちょっと路地に入ると、お祭りをやっているような雰囲気があった。

 人だかりがあり、のぞいてみると、小さな男の子がチャイナ服を着て手品をやっていた。おわんにクルミを隠しては、すぐに手の平を出して、せんべつを欲しがっていた。他にもガラス切りに、オモチャ売り、まるで縁日そのものだ。僕は、30円の鍵をひとつ買った。

 大きなデパートもあった。そして、だれでも休めるロビーがある飯店。青、白、赤に上海と書かれたナイロン製のバックを持って、バス停で並んでいる多くの人たち。お尻の出ている子供と父親の手をつなぐオンボロ服の姿も見た。露天で、うどんのようなうどんを食べてみた。

 さて、帰ろうか。バスに乗ろうと思ったけれど、帰りのバス停の名前を忘れてしまったので、歩いてゆく事にした。どのくらいかかるだろうかね? ずっとずっと続く商店街をぼんやりと歩いていった。

 蒸すような暑さの中、アイスクリームボックスの店を見つけたが、勇気がなくて買えなかった。市場があって、スイカを食べたかったが、一切れなんだか、丸ごとなんだかわからなくて買えなかった。会話って大事なんだなぁ。しかたなく、またチースイを飲みながら、やっと宿に辿り着いた。「えっ? アオキさん、歩いてきたの?」4/7 久しぶりに話題の映画を見にゆく。時間ぎりぎりに行ったので、もう入れないかと思って、「まだ、入れますか?」ときいてしまったが、じっさいは、ガラガラで20人くらいだった。「えっ、なんでえ」今、映画館は大丈夫か?

「ラストDAY上海」4/8

 宿には、なぜかひろーいロビーがあった。たぶんそこは、前は遊技場のようなスペースだったらしい。大きなソファーがあり、夜、宿のみんなが休んでいた。

 明日は、鑑真号に乗って、日本に帰るんだと言う、旅で生髭の伸びた、学生旅行の人。「中国は大変ですよ」と話を聞かせてくれた。僕らはまだ、これからなので、「へぇーっ」と聞くばかり。ひろーいロビーで、ソファーに座り、たばこを吸いながら、彼らは話し続ける。僕らは明日、上海を出て、西安に行く。中国の泊まり客が、彼にタバコをもらいに来ていた。

 旅の終わりと始まりの出会いは不思議だ。次の日は、昨日の彼と、一緒にバス停まで歩いていった。例の赤・白・青のナイロンの上海バックにおみやげを詰めていた。旅を終えて帰る人が、少しうらやましかった。「バスなんて簡単だよ」そう言って、簡単に切符を買ってくれた。

 さて、また南京路。今日は港の方まで歩いて行った。なんとカップルの多いことか。みんな上海の港の景色にうっとりとしているよう。記念写真を撮っている人たちがいる。ベストポジションと言うのがあるらしくて、気おつけをして、次々と交代して撮っていた。「噂どうりだぁ・・」

 列車が出るまでは、ずいぶんと時間があったので、僕らは南京路をひとつ入り、食堂街を探した。どこでも良かったけれど、なんとなく一軒の小さなお店に入った。そこには三人のお姉さんが、いそがしく、お客さんと冗談まじりに話しながら働いていた。僕らもつい乗せられて、青島ビールとか注文してしまった。

 「アオキさん、ビールが安いよ!!」人なつっこいその、三人の女の人はどんどん僕らに話しかけてくる。カタコトの中国語で答えると、三人で顔を見合わせて笑っていた。その一人のお姉さんは、黒いピチッとした服に黒いスカートをはいていて、ちょっとしたBARのマダムと言う感じだった。

 そのお姉さんは、とっても美人で、小粋で、誰もが惚れてしまうのではないかと思えた。友達が、カメラを出して「撮るよ」って言って、カメラを向けると、お姉さんたちは、じっとしてとっても照れているのだった。特に、黒い服のお姉さんはカガミで何度も髪をなおしていた。コックさんたちにもカメラを向けると、彼もまた、おおいに照れるのだった。みんないい人たちだった。

 「ちょっとデパートに寄ってくるわ」どうしても僕は、上海のデパートが見たかった。なんだか20年前くらいの日本のデパートのようだ。一階に大きなカガミの柱があり、きれいに磨いている人がいた。楽器売り場に行く。人だかりがしている。何だろうと思えば、どこかのじいさんが、安そうな電子キーボードを、ピーポコ弾いていた。奥のガラスケースの中には、ギターもちゃんとあった。「おっ!!」近寄って見てみる。なんだか安そうなのに、高そうだ。

 上海。まだもうちょっとだけ、ここでのんびりとできる。道の真ん中を、浮浪者のおじさんが、なぜか堂々と歩いて行った。大きなバスがその前で止まる。バスの運転手は女性で、(しょうがないなぁ)って顔で、微笑んだのを、僕はちゃんと見た。4/7 ずっと弾いている部屋ギターのギブソン B-25 ちょっと二日くらい弾かないでいると、すごくいい音に変わっている。と感じるだけなんだろうけど。いいギターは、このくらいにいい。

上海・そこで見た待合場」4/9

 さあ、僕らはバスを乗り違えてしまった。

 上海の駅に行くはずだったのに、みっつ目くらいでみんなに、「ちがうちがう降りろ」と言われてしまった。それからが、おおあわての始まり。

 降りてみたものの、駅行きのバス停がわからない。自分たちで探すけれど見つからない。そのうち道に迷ってしまった。列車にまにあわない気がしてくる。友達は、「メモ帖貸して!!」と言って、道のおばさんとかに、バス停をききまくっていた。さすがに困っている人には、みんな優しい。

 なんとか教えてもらい、僕らは早足で歩き抜けてゆく。もう夜になっている。通りには椅子が多く並んでいて、なにやらゲームをやっている人たち。明るく付いてる白黒テレビを囲んで、何十人という人が、じっとのぞき込んでいる。ああ、いったい何の番組だろう・・。僕も見たい・・。

 やっと上海駅行きのバス停を見つける。その嬉しさといったら。ああ、疲れた。バス停の並びにある、雑貨屋さんに寄ってみる。息もはあはあなので、ちょうどいいくらいの水筒をひとつ買った。あとは、バスが来て乗り込むだけだ。そして上海駅。

 上海駅は広い。来るにはきたけれど、今度は自分たちの入る、入口がわからない。きく、さがす、歩く、きく。駅の回りには、とんでもない数の人たちが、新聞紙を敷いて、座って待っていた。家族連れも多い。

 その時だ。なぜか突風が吹いて、新聞紙や、いろんな物が舞い上がった。スカートがひるがえっている。そして大粒の雨が降ってきた。あわてふためく、いっぱいの人の声。水筒のふたを閉めながら、どこかに移動してゆく姿。それは、この世の景色とは思えなかった。

 それでも、僕たちは急いだ。まだ、発車ホームさえ、わからないのだ。時間だけが過ぎてゆく。車掌さんに会えて、ホームを確かめ、間に合った事がわかった。外国人用の待合室に行っていろと言う。その途中、一般の人用の待合い室、いや待合い場がチラッと見えた。もの凄い人の数だ。なんだかどよめいていた。

 (ああ、見たい。見ておくんだ!!) 僕の中で声が聞こえる。でも通り過ぎてしまった。そして、落ち着く間もなく、列車はやって来てしまった。硬座。26時間、西安行き。4/8 イランの映画「ブラック・ボード」を観るために、池袋に出かける。しかし時間が、まにあうかぎりぎりだ。高円寺でも、すぐ電車がくる。新宿でもすぐ電車がくる。そして池袋。映画館のある所を探すがない。交番できくと、駅の反対側だっていう。がっかり・・。

上海〜西安・硬座列車の夜」4/10

 「なかなかきついものを感じるよ」友達は、列車のほぼ直角のシートに座って、そう言った。

 僕らの選んだ硬座の普通列車は、26時間かけて西安に着く。ここはまだ上海。発車前から、なんだか不安な気持ち。でも一応、貧乏旅行だしね。似合っているといえば、似合っていた。

 26時間というのは、どのくらいだろう。このシートに座り続けるのは、なにか無理があるんだろうか? 今にこやかに笑っている、みんなはすっと、どこかの駅で降りてゆくんだろうか? この先が想像つかない。何が起こるのだろう。舞台演劇の始まりのような気分だ。

 ひとりのお金持ち風の若い女性が、同じ車両に乗っていて、なぜか、ある男性の手引きで、僕らと一緒の席に交代した。髪は長く、ホッペタの赤いお化粧をしてて、黒いラメ入りの服を着ていた。18才くらいかなぁ。しばらくすると、缶のコカコーラを開けて、ひとくちふたくち飲んで、窓際の棚に置いた。

 (えっ、コーラ・・) ふつうの瓶ジュースが、0.25元なのに、なぜかコカコーラは上海では7元(その頃の約280円)もして、びっくりしていたところだった。そのコーラを、ひとくち、ふたくち飲んでずっと置いておくなんて。僕はなんだか、いろんな事を考えてしまった。そして、みんなを乗せて列車は出てゆく。

 列車と列車の間の所で、どうやらお湯の配給をやっているらしい。みんなそれぞれにカップを持って、もらいに行っていた。なんだか、大きなカップぱかりだ。僕も、さっき買った水筒をお湯をもらいに行く。給湯員のお姉さんが、大きなやかんでついでくれる。いい感じだ。

 お茶の飲み方が、ここではちょっとちがう。お茶っ葉を、みんな直接カップに浮かべて、ふーふーと葉をよけながら、飲んでゆくのだ。(葉っぱなんてないよ・・) なんともみんな、おいしそうにお茶をすする(?)のだ。なかにはラーメンとか入れてた人もいたけど・・。

 さっき買ったばかりの水筒は、なんとお湯を入れたら、その重みで取り付け金具が、もう、とれそうになっていた。「えーっ、こんな事ってあるの・・」それに答えて、友達は言う。「まあ、そんなもんだよ!!」

 お茶を飲む音と、話し声の中、12時を過ぎてもまだ、みんなぜんぜん眠ろうとしない。斜め前の席の丸メガネのおばあさんは、赤ちゃん揺すって、あやし続けている。顔に深々と刻まれたしわは、中国のおばあさんという感じだ。2時、3時になるとさすがにみんな、うとうとっとしてくる。

 赤ん坊を抱いていたおばあさんは、席の下に新聞紙を敷いて、そっとそこに赤ん坊を押し入れた。そして、こっくりと眠りはじめた。4/9 いつも訪ねるメリヤス裁縫屋さんには、大きなちょっと昔のラジカセが置いてあり、いい音でFMがかかっていた。僕は行く度に聞き惚れていた。しかし今日訪ねると、そのラジカセは安くて、小さなヤツに変わっていた。これは大きな事だ。

上海〜西安・一緒の席のヒゲおじさん」4/11

 朝になった。いっせいに停車駅のホームに出た人たち。そこには何十という水道の蛇口があった。

 まぶしい光りの中、顔を洗うみんな。ほとんど眠れなかった僕らはやっと理解でした。そうか・・朝か。

 列車はまた走り出す。ワイワイ喋ることが、まるで燃料のように。さて、今日は長いぞ。

 僕らと一緒の席になった、ヒゲおじさんが、筆談で話しかけてきた。白髪まじりのアゴ髭にメタルフレームのメガネをかけた、物知りそうなおじさんだ。時間はたっぷりとあるので、ゆっくりと話す。僕が中国語の辞書を使っていると、見せて欲しいと言う。ヒゲおじさんは、熱心に辞書を読み続ける。次は、ガイドブック。なんだか勉強熱心なおじさんだ。

 お昼になり、弁当売りの人が車内にやって来た。僕らが、値段がわからないでいると、ヒゲおじさんは指で示してくれた。それを機会に、指数字をバッチリ教えてもらう。僕らが、お茶の葉を入れないで、お湯を飲んでいるのを知ると、お茶の葉を分けてくれた。そしてまた筆談。

 車中でのゴミは、その列車では、みんな窓から投げ捨てていた。僕らには、そういう習慣がないので、ゴミや瓶の始末に困っていると、ヒゲおじさんは、窓から投げろって言う。僕らに、投げ方まで、見本にみせてくれた。ちょっと心はとがめたが、真似をして窓から投げてみた。うなずくヒゲおじさんの顔。

 昼の盛り、まるでそうゆう国に舞い込んだかのように、ホームに、帽子をかぶった若い女のコが、何人も声を出しながら、箱を抱えて、何かを売り歩いていた。「ビングア・シェガァ」「ビングア・シェガァ」何だろう? ヒゲおじさんは、ジェスチャーで、アイスキャンディだよって言う。その言葉の響きの良かった事・・。特にこもったグウ。僕は、しっかりとメモを取った。

 結局、梨を一袋買った。おいしそうだったし、中国の梨はどんな味がするんだろうと思ったのだ。僕は、アーミーナイフを出して、皮をむいて食べた。田舎の梨という感じだ。そのナイフやらフォークやら、缶切りのついた赤いアーミーナイフが、ヒゲおじさんは、また気に入ったらしく、自分の手にとって、いつまでも見ていた。

 もう、15時間くらい列車に乗り続けていて、お尻がかなり痛い。さすが硬座の言われるだけあるなぁと思った。西安に着くのは、夜中の1時である。4/10 外歩きのバイト中、おんぼろな家の鍵を開けたら、さびてて金具が取れてしまった。不在だ。壊れたままではだめだ。どうしよう。住んでるのは、めったにいないおじいさんなので、直しておくことにする。自転車で、金具と釘抜きを買ってきて、大工をして、何とか直す。ははぁ、新品になってしまった。こんな事をするの、俺だけだろうなぁ。

上海〜西安・四個づつの荷物のある話」4/12

 駅に止まるたびに、それはそれは大騒ぎだった。

 乗り込んでくるみんなは、一人平均、四つは荷物を持っていた。嘘じゃなく。それをまず、窓から列車の中に入れてしまうのだ。布団とかあったなぁ。それに、野菜とか・・。なんだろう? 柔らかいものが多かった。たぶん布? 座っている僕らの顔の前を通ってゆく。まるでそれは、戦いのよう・・。

 列車が走り出せば、ちょっとは落ち着いて、みんな自分の居場所を見つけてゆく。寄りかかるにはいい荷物ばかりだ。そして、車中にさまざまな人が見えてくる。ちょっとはなれた所で、ワイルドなおばさんがワイルドに座っていた。険しい目つきで、ギロギロと見回している。長い髪はターザンのよう。ガツガツとお弁当を食べて、そっと、その透明な容器をしまった。あの人は、どこからきたんだろう?

 僕の席のすぐそばに立っていた、二人の若い青年は、僕らと積極的に筆談をしてくれた。ジーンズをはいた現代風の若者だ。二人は少し相談をして、カタコトの英語で、こうきいてきた。「ホワッチャ・ネイム?」「マイ・ネイム・イズ・タカオ・アオーキ」二人は顔を見合わせて喜んでいた。そして今度は「ハウ・オールド・あーゆー?」ときく。「トウエンティ・シックス!!」二人は、やったぜという顔で、誇らしげにしている。回りのみんなも、のぞきこんで楽しそう。

 前の席のヒゲおじさんは、口をぽかーんあけて居眠りをしていた。小さな女の子もつられて、一緒に口をあけ眠っている。首のかしげている方向も一緒だ。なんてカワイイんだろう。日本だったら、だらしないといわれそうな、口あけポカンも、ここでは逆に、自然で似合っている。不思議だ。

 友達の持ってる、カメラと携帯用テープレコーダーを、ずっとずっと見ている男がいた。小さな鼻ヒゲをふたつたくわわえ、白いシャツの袖を巻くしあげて、つり革に掴まっている。その脇の下の糸はほつれていた。短いジーンズには、ギュッとしめた黒くて太いベルト。そしてチャックは壊れたまま。手にはボロ袋を下げていた。

 彼は、友達のカメラから目がはなれなくなっていた。トイレに行くとき、友達は僕に「このカメラちゃんと見てて」と言った。別に、何も起きなかったが、その小柄な男は、目がこっちに向かったきりになっていた。彼はまるで、カメラを見たことがないような気がした。本当かもしれない。

 車窓の外の景色に僕は目をやってみる。大地あり、緑あり、中国大陸の広さをつくづくと感じる。川が見えた。その川で子供らが泳いでいる。畑が見えた。原色の服を着た人々がポツンポツンと立っている。とても生き生きとしていた。西安の都に近くなるにつれ、レンガの家が多くなったように思う・・。

 通路に置いてあった布団の荷物が、僕の腕にずっと当たって、かなりきつい感じになっていた。ものしりヒゲのおじさんは。通路の布団の持ち主の人に、どかすように言ってくれた。なんだか20時間くらい一緒の席にいると、ヒゲおじさんとなんだか、心が通じているようだった。僕らの事を、何が起きても守ってくれるような気がした。そして、みんなを乗せ、とうとう電車は西安に着いた。

 「やっと、着いたよ!!」ながーい硬座の26時間だった。僕らは、あの二人の英語青年に挨拶をして、ホームに降りた。あのヒゲおじさんはもう歩き出していた。僕はかけ寄って、中国語であいさつをした。するとヒゲおじさんは、僕を両手でギュッと出きしめてくれた。ありがとう。そしてきっと、もう会えないんだなと知った。4/11 きょうは秋葉原にCDの作れる機械を買いに出かけた。欲しいヤツが見つからない。輸出用、業務用なのだ。どこにいけばあるのだろう? 探していると、棚にカタログだけを見つけた。店員さんが声をかけてきた。「探しているのはこれでしょ」みれば、棚の上に、売約済みの紙が貼られて置かれてあった。「ああ、これですよ!!」「いいよ、売ってあげるよ」なるほど・・。そして僕は欲しい機械を手に入れたのだった。

「西安にやって来た」4/13

 「寝袋で寝てもいいよ」蒸し暑い、夜中の一時を過ぎた西安の駅で、僕らは寝られそうな場所を探していた。

 柵を乗り越えて外に出てゆく人、口でボーと言う変な声をさせながら、杖をついてゆくおじいさん。妙な雰囲気のある中、駅の外に出てみると、いっぱいの人たちが、横になって眠っていた。100人以上はいたと思う。路上生活の人達も多いようだ。僕らはあっという間に、何人もに囲まれてしまった。

 旅館のプラカードを持った女性、チェンジマネーを誘う人、常に中国語で話し続けるお兄さん。友達はいつ憶えたのか「プーシー、プーシー(いらない)」と答えていた。目の前に見える一番近い、ホテルまで歩いてゆく間にも、多くの路上生活の人達に会った。こんな夜中なのにやっている露店。「なんだか、この町はおもしろそうだぜ」と友達は言う。

 着いた所はホテルの裏口。言葉の不自由そうな路上生活のおじさんが、門を揺すって、ホテルの人を呼んでくれた。なんとか部屋に通され、やっと落ち着くことが出来た。友達が シャーワーを浴びているあいだ、ちょっとだけベットで横になったら、深い眠りに落ちてしまった。それはそれは深い眠りだった。

 「アオキさん、アオキさん!!」友達に起こされてびっくりした。僕が凄い顔して眠っていたという。疲れていたのだろう。その夜は本当にぐっすり眠った。

 翌朝。というか、次の日の昼ちょっと前、まず、軽い食事しに出かける。パオズ(包子)と書かれた看板のある小さな店に入る。ひと皿6個くらい。辛いタレを付けて食べるのだ。うまかった。肉まんみたいと言うか、これが肉まんのもとか・・。前のテーブルのおじさんは本当に美味しそうに食べていた。美味しんだろうなぁ。

 宿を探して歩いていると、道に100人くらいの行列が見えた。みんな弁当箱みたいな物を持っている。ガイドブックにも載っている有名な餃子屋さんだった。お昼どき、こうして買いに来ているんだろうけど、それにしてもこの行列はすごい。

 路上では、あつい氷の上にジュースの汽水(チースイ)の瓶を何本か並べて冷やして売っていた。乗せている瓶の形に氷が減ってゆくのだ。売る人は、瓶を焼きとうもろこしのように回している。いろんな色の炭酸ジュースだ。2.5角(約10円)。この暑さの中、それは清涼感に満ちていた。ついつい買ってしまう。20Mも歩けばどこにでもチースイ屋はいた。

 歩道橋の近くで人だかりがあり、僕ものぞいてみた。ひとりの少年が大道芸をやっている。黒いズボンに穴のあいた紺のシャツ。髪型はブルース・リー。顔もブルース・リー。なんだかおおげさに喋っている。位置を変えて、300人位いるみんなに何かを話している。それはそれは味のある話し方だった。そして気合いを入れて、大きな声と一緒に頭で、レンガを割った。それだけだった。でも、みんな大喜びで拍手をしていた。歩道橋の上も下も人でいっぱい。

 結局、その夜はチェック・アウトの関係で、もう一晩。昨日のおおきなホテルに泊まることになった。部屋の鍵をもらおうとするが、受付に誰もいない。近くで立ち話をしていた女のコが僕を見つけ、一緒にエレベーターに乗った。大きなやかんを持っている。「アイム・ソーリー」彼女は優しく笑う。急に親近感が湧いて、なんだかホレそうになってしまう。

 昨日と同じ部屋の今夜、友達は露店から、透明なお酒と豚足を買ってきた。「ほんとに豚の足だぁ」「アオキさん、これがうまいんだよ」食べてみたら、ホントうまかった。西安、二日目の夜。4/12 夜の11時頃から2時くらいまで、なんだか横 になって眠ってしまう。そして2時間くらいおきてまた眠るのだ。睡眠時間はとっているのに、ずーと時間がつながっているようだ。

西安・ロビーで会った、長期旅行のヒゲの彼」4/14

 西安の街は今日も暑い。 Tシャツ一枚で、うろつき出かけてゆく。大陸の真ん中、そんな、太陽から逃げられない気持ち。広い道路の大きな商店街。ここはかっての長安の都だ。その昔もこんなふうに暑かっただろう。

 どこにいってもフラフラッとするなか、僕と友達はたどり着くように、食堂に入った。「俺はこの辛い麺を食うぜ」何が出てくるかは わからなかったが、辛いことだけはわかった。とぼけたような表情の少年が、いろいろ注文を取ってくれる。無表情なのだけれど、味のある顔だった。

 出てきた麺は、非常に辛かったらしく、友達は「うおぉ」と言って、店の少年に、「あの、ビールを一本をくれ!!」と入口のガラス窓に並べてあった、ラベルのあせたビールを指でさした。少年は振り向いて、目を細めている。友達は言う。「ぜったい、あのビールそのまま持ってくるぞ」案の定、少年は、陽にさらされ続けていた、年代物のビールを持ってきた。道理と言えば道理だけれど・・。やさしさだったのか? おとぼけ君。

 そしてまた、暑い街へ出る。友達とは、ホテル「解放飯店」のロビーで待ち合わせをした。西安でも大きなそのホテルのロビーは、旅行者なら誰でも入れて、冷房も効いていた。お茶とかも飲めたしね。街を歩き疲れると、みんなそのスペースに来ては、ひと休みできたのだ。

 ひとりで歩くのは、自分なりに見られていい。今日もやっぱり目につくのは、路上生活の人たちだ。大人なのに、背が低い紺のボロボロな服を着た坊主頭の彼と、まだ小さなやっぱりボロボロな服を着た子供はずっと一緒に歩いていた。二人で、食堂のガラス窓をのぞいては、何だか楽しそうに話している。その姿は映画「どですかでん」の中のシーンのようだった。

 「ああ、またロビーに行こうかな・・」やっぱり冷房は気持ちがいい。僕が真ん中のスペースに座っていると、ヒゲの旅行者の人が、隣で何か英語の本を読んでいた。地肌にサファリのチョッキ、そして半ズボンをはいていて、日本人と思われた。「日本の方ですか?」「ええ・・」いろいろと話をする。彼は今、二ヶ月、中国を旅行しているという。と言っても、その前の旅が長い。5年計画の旅の途中との事だ。

 彼はまず、オーストラリアに行って、何年か働いたと言う。そこで英語をおぼえ、旅行資金をためて、現在、世界旅行中だった。インドにもネパールにもタイにも、ずいぶんといて、タイ語も喋れるらしい。二ヶ月の中国旅行で、中国語もわかってきたらしい。

 「ひとつの漢字には、ひとつの読み方しかないんだよね。あとはつなげればいいんだよ」と教えてくれる。話していると、前田君がやって来て、三人で喫茶店に入った。前田君とヒゲの彼はとても、話が合っていた。「えーえーえー」うなずく前田君。彼の旅の計画は壮大なものだった。彼は山が好きで、中国でも、けっこう山に入ったと言う。

 その後、三人で餃子(ジャオズ)屋に行った。ヒゲの彼は隣の中国のおじさんに、いろいろと話しかけていた。本当に通じていた。僕はびっくりするばかりだった。市場にも三人で行った。彼は「ハミウリ」を探していると言う。瓜があると、彼はひと切れ買って、かぶりついて食べていた。「ハミウリとちがうなあ」そのだいたんな、かぶりつき方が良かった。

 「俺は、下痢をしても 食べる方だけどね」と言って、軽く笑った。僕には、彼の言ったその言葉が、教訓として残った。そして旅の最後まで、その言葉に元気づけられた。明日は三人で、西安一日バスツアーに行く予定である。4/13 先日買った、CD-Rの機械で、いろいろとアイデアが出て困ってしまう。作りたいCDがいっぱい出来たのだ。なんだか夢があっていいなぁ。これからは、もっといい時代になりそうだ。DVDの3時間録画って出たら、俺泣いちゃうよ。

「西安バスツアー」4/15

 西安一日バスツアー。その日、朝10時に旅行社の前に集まる。僕と前田君と、長期旅行ヒゲの彼も一緒だ。「ヤア!!」みんな昨日と同じ格好。前田君もヒゲの彼も、普段あんまり観光はしないのだけれど、ここは昔の都「長安」だった事もあり、見ておきたいと言う。

 バスが走り出す。ヒゲの彼は中国語で、隣のおじさん、おばさんと話している。そして、フランス人の親子には英語で通訳。 僕らには日本語。中国の人はしきりに話かけていた。ヒゲの彼はうなずいている。「なんて言ってるの?」「んっ、俺がいろんな言葉を話すからびっくりしてるってさ」彼は中国語が話せるだけではなく、英語もタイ語もペラペラなのだった。

 まず、秦の始皇帝の遺跡にバスは止まった。最近見つかった、何百体という土でできた兵隊の大きな像を見る。まだ発掘中だという。大きな体育館のような中にあり、なんだか映画のセットでも作っているようだった。嘘のようなホントのような、光景だった。中国の人はみんな驚いていたなぁ。

 長い階段を登っていると、急に雨が降り出してきて、やがて大降りになった。小さな傘を持っていた僕は、隣を歩いていた女のコを、傘に入れたあげた。「ドゥ・ユー・スピーク・イングリッシュ?」ときけば、「アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ」と答えていた。ひとつ傘の中の中国と日本。なんとも言えない気持ちだ。そして丘の上、「サンキュウ」と言って、彼女は走っていった。

 次は楊貴妃がいたと言う宮殿と温泉に寄る。まずは腹ごしらえだ。相席のテーブルに座ると、みんなお皿を何枚も並べて、食事をしていた。僕らが地味に食事をしていると、相席の人たちが「どうぞ食べてください!!」とジェスチャーをした。「シェイシェイ」ありがとう。みんなは、なんだか匂いのきついお酒を、おいしそうに飲んでいた。

 さて、大きな風呂場にゆっくりとつかる。中国の青年たちは、まるでプールのように騒いでいる。いや、よく見たら、みんな水泳帽をかぶっている。やっぱりプールか・・。僕は楊貴妃の気分になってみようと思ったが、どうも無理。

 お風呂あがりに何かジュースを飲もうと、三人で売店に寄った。オジジって言葉がぴったりな、坊主頭のオヤジがいた。どうも耳が遠いらしく、ヒゲの彼が大声で「トイレはどこ?」ときいていた。(トイレの発音はツーソゥ)

 すると、オヤジは、何回も口をすぼめて「ツワッソワァ、ツワッソワァ」と言う。ヒゲの彼いわく「どうもね、西安のトイレの発音は違うらしいんだ。ツワッソァだって言う。こっちの方がいいだろうって言ってんだよ」ヒゲの彼は、そっけないようで、ちゃんとうまくコミニケーションをとっているのだった。

 バスの出発の集合時間になっても、フランス人親子は帰って来ない。そのままバスは、行ってしまうことになった。長期旅行のヒゲの彼は「しかたがないよ、せめてその国の数字くらい憶えてくるのは常識だ」と言った。4/14 旅のエッセイ書き。もとになるメモはあるのだけれど、書きたいことが多すぎて、どれをカットしようか悩んでしまう。こんな苦しみもあるんだなって思った。

西安・はじめてのダウン」4/16

 外は暑い。僕は西安の宿で、ずっと横になっていた。

 どうも昨夜食べた、あのチャーハンの油が合わなかったようなのだ。旅に出て十日目。どうにも動けない。ちょっと外に出ててみても、すぐ気分が悪くなって、道の端にうずくまってしまう。(だめだ、帰ろう・・)

 いったい、このお腹はどうなってしまったんだろうか? 朝から、だんだんひどくなるばかりだ。食欲もゼロ。でも熱はない。横になっていると、一緒の友達は僕を見て、「アオキさん頬がこけたよ・・、この10日、いろいろあったものね」って言った。

 それにしても、昨日のあの飯屋は、おかしな店だった。大通り沿いにあり、店頭にカエルの看板を出していた。お兄さんが、クェックェッっと寄り目でカエルの真似をして英語で呼び込みをしていた。どうも観光客用のお店らしく、メニューも英語。ひとりの女の人が、冗談まじりで英語で話し、明るい店の雰囲気を作っていた。

 お姉さんは、ヨーロッパのダンディな旅行者が好みのよう。あきらかに僕らと接客がちがっていた。友達はカエルが食べようか最後まで悩んでいた。僕はフライドライスを注文した。でも、なんだか油まみれのチャーハンだった。食べながらいやーな予感がした。

 店を出て通りを出ると、呼び込みのお兄さんは、おどけるように、クエックエッってやっていた。それなりに楽しかったが、宿に帰ってからお腹がおかしくなったのだ。一日、トイレに行ったり来たり。熱はないが、こんなに、つらいものとは思わなかった。

 宿の廊下は昼、明かりもなく薄暗くなっていた。コンクリの床のひろいスペースには、木のテーブルが並び、洗面所の蛇口もいくつもあった。廊下の窓越しには庭の、木々が見えている。日中、宿の客は出かけていると思ったのか、Tシャツとオレンジ色の下着のままで、ひとりの若い女性が、鼻唄を歌いながら、洗濯をしていた。

 僕をみつけて、彼女は「ハロー」って、照れながら笑った。香港の女性だと思う。ジーンズでも洗っていたようすだ。かわいかったなぁ・・。また、僕は部屋で横になる。あのオレンジ色の下着が、印象的に目に残っている。どうして次々と好きになりそうになるのだろう。これも旅のマジックのようだ。

 夕方すぎ、友達が宿に帰ってきたので、市場から、リンゴを買ってくてもらった。青いリンゴだった。とてもおいしい。リンゴを見てたら、せつなくなってきてしまった。リンゴもまた僕も友達だったのだ。夜、フラフラになりながら、なんとか街に出て、チースイ屋を見つけて、オレンジ色のチースイを買って飲んだ。ノドにしみたこと、しみたこと。

 次の日も一日、体調はもどらなかった。用がありバスに乗ったのだけれど、世界がグルグルと回ってしまった。やっぱり何か食べないとだめだ。何がいいんだろう? 夜になり、屋台街に友達と出かけた。「アオキさん、あれビーフンじゃないの?」ビーフンなら、油もきつくなさそうだし、お腹にも優しそうだった。

 二日ぶりに食べる、ちゃんとした食事。ああ、汁ビーフンがあってよかった。自分が元気になってゆくのがわかる。同じテーブルで、香港から来たっていう、二人の学生と一緒になった。「ウイ・ユーズ・イングリッシュ・オンリー・スリーイャーズ!!」「リイリー?」「シュワー!!」また出逢いの旅は、始まったようだ。4/15 久しぶりにスタジオに入り、パーカッションの志村君と練習をする。スタジオに入るのも久しぶりだった。やっぱり家とは時間がちがう。スタジオに入ることはいいことだ。楽しいし。

「シーアン、シーニン、プーツー!!」4/17

 その日の夕方近く、お腹も空いて来たので、西安駅の近くの露店市場に寄って、僕は肉まんみたいな、包子(パオズ)を探していた。

 どの店も閉まりかけている中、「包子」の文字を見つけ、その前に立っていると、小柄な、おばさんに「どうぞどうぞ」と言われ店に入った。店と言っても、テーブルがふたつと木の椅子があるだけだ。もう、店は閉めてしまい、僕はとりあえず包子を二つ注文した。出て来た包子は、たしかにちょっと冷えていた。

 おばさんといろいろと筆談をする。列車で、西寧(シーニン)に行く予定だって書いたら、真顔で細かく首を振って、「シーアン、シーニン、プーツープーツー!!」と言った。プーツーとは、通っていないという意味だ。おばさんは近くの店屋さんも含めて、いろいろと情報を集めてくれた。あと、一週間以上は無理だって言う。

 そのあと、おばさんはちょっと待っててくれって僕に頼んだ。おばさんは包子をさらに四つも出してくれた。赤い色のスープも出してくれた。やがてシャレタ青い服を着た、青年がやって来た。

 僕は知ってる限りの中国語で、彼と会話をした。英語はわからないって言う。やがて会話はなくなったが、彼はニコニコしてずっと座っていた。嬉しそうなのはよくわかった。そろそろ行こうと、財布を開けようとしたら、おばさんと「とんでもない」って顔で、細かく手を横に振って「いらないよ」って言う。そう言われるとさすがに払えなかった。

 店の外に出ると、おばさんも店の人も、あの青服の青年も手を大きく振ってくれた。感動的な夕食だった。日本人の僕にこんなに優しくしてくれるなんて・・。列車のことが、ちょっと心配になり、駅に行ってみる。

 すごい人で、西安の駅の情報どころではなかった。そんな中、むこうから、日本人と思われる学生風の青年の姿が見えた。「あのう、すいません」「ユー・アー・ウエルカム!!」彼は中国の青年だった。丈夫そうなバックを肩より前に回し、カーキ色の半ズボンをはき、白いスポーツシューズをはいていた。英語がわかる様子なので、西安〜西寧情報を僕は尋ねた。

 彼は「ジャスト・ア・モーメント」と言って、ごったがえしの人の中をどんどん入って行き、駅員さんに情報を聴いてきてくれた。やっぱり当分だめだって言う。僕は英語でこころから「ありがとう」って言うと、彼は「お礼なんていりません」と答え、西安の駅に入って行った。4/16 なんとこの旅の最初に買った、鍵付けキーホルダーが、昨日、金具のすり減りにより、取れてしまった。買ってから14年。一年の海外旅行のあともずっと、ジーパンに付けておいた鍵付けだ。丈夫だなぁとずっと思っていたが、とうとう限界が来たのだった。

西安・切符買い」4/18

 秘策はあった。あの長期旅行のヒゲの彼が教えてくれたのだ。

 中国では悔しいが、列車には外国人料金と人民料金があった。その差ときたら・・。西寧行きをあきらめて、成都に行きの列車に乗ることになった僕らは、どうしても安い料金で切符を買いたかった。秘策とはこうだ。

 駅の一般の切符売り場の窓口に一緒に並び、行き先と枚数を書いた紙をあらかじめ書いておく。自分の番が来たら、二人分のお金と一緒に紙を出しながら、ぶっきらぼうな口調で、行き先と枚数を言う。そして何かきかれたら、顔をゆがめて「ア〜ッ!!」と答える。ヒゲの彼は、そうやっていつも切符を一般窓口で買っていると言う。「絶対、大丈夫だよ!!」

 そう言ってくれた言葉を信じて、ごったがえす駅の外のごったがえす切符売り場に、僕らはしみる暑さの中、並んだ。窓口だっていくつもあるのに、そのひとつひとつに100人以上は軽く並んでいるのだ。僕と友達は別の列に並んだ。さて何時間かかるだろう・・。

 途中、なんだか柄の悪いお兄さんが、割り込んで来たりしていた。それが僕には許せなくって、にらんでやってら、彼もにらみ返してきた。まあ、そんな事はいいんだけれど、それよりも僕は、切符がうまく買えるかドキドキだった。「成都・硬座予約・二枚」と書いた紙。そして「チョンドウ・リャンジャン!!」(成都・二枚)と言うのだ。ドキドキするなぁ・・。

 二時間ほど並んで、とうとう僕の番が来た。さあ勝負だ。「チョンドウ・リャンジャン!!」そして一緒に紙とお金を渡した。何か言ったぞ。「ア〜ッ」沈黙・・。窓口のおばさんのメガネの奥から、いぶかしそうに見ている。そして、手ではねのけられた・・。だめだったぁ〜。

 隣で並んでいる友達に、目で伝える。今度は友達の番だ。「チョンドウ・リャンジャン!!」「ア〜ッ」同じようにやってみる。おっ、反応がちがう。紙に何か言葉を書いてくれて、予約の方に行けって言う。「やったぜ!!」友達は、こぶしを作って目を見開いた。そして予約窓口に今度は並ぶ。

 やっと番が来て、書いてもらった、予約指定の紙を渡すと「メイヨー !!」(ないよー) と言われてしまった。「あれー、買えなかったよ、どうなってるんだぁ?」友達の僕もすっかり疲れてしまった。「もう、いいよ。旅行社で切符買おう」結局、外国人料金だ。

 西安では、夕方になると毎日、大通りに「和平路夜店」という露店屋台が並び出す。僕と友達は、おいしいものを食べに、向かった。「くやしいから、うまいもん食うぞ!!」疲れた一日だった。4/17 帰りの電車の中、グループで乗ってきた女子学生のひとりの、ひょうきんそうな女の子が、アイドルシンガーの浜崎あゆみの顔真似をしていた。例の感情的な歌い方だ。それも可笑しくて可笑しくてたまらなかった。「ねえ、見て見て、ここが難しいのよ」見ちゃうよなぁ・・。

「西安直角散歩」4/19

 西安の町はどこまで行っても、戻ってこれた。碁盤の目のように、道がつながっていたのだ。そう西安は、古い城壁のある、昔の長安の都。

 また今日も、目の前が黄色くなるような暑さだ。僕は広い和平路に沿って、まず歩いてゆく。汽水売り。大きな鍋に浮かぶ、杏仁豆腐のようなもの。何かの看板を首からさげている、ボロボロの男女。チープな大道芸。見える大きな漢字の看板。大通りに重なる、また大通り。

 僕は交差点の階段の所に座って一休みしていた。となりに腰掛けていた、おじさんと目と目が合う。「ウォー・シー・リーベンレン」(私は日本人です) 「リーベン!!」そして筆談。おじさんは、親指を立てて「イーガ? イーガ?」(一人かい?)ときいてくる。(ひとりかい?・・なるほど) 「イーガ、イーガ!!」それはとってもいいことだって言う。

 デパートには、ついつい、いつも寄ってしまう。僕は黒いボールペンを買おうと、文具売り場の店員さんに声をかけた。それがまいった。ぜんぜん通じないのだ。いろいろとインクペンを出してくれる。それは全部「青」だ。

 「ブラック!!」「アー?」黒が通じない。しかたがないので辞書をひいて伝える。いや、その前にボールペンを伝えないと。「ボールペン、ボールペン」(よく考えれば、横文字はだめかぁ・・)店員の女の人は、何人かで相談している。たぶん「これだ!!」とか言っている。「まちがいない」と言うふうに、うなずいている。

 それは、たしかに黒だった。だがボールペンではない。「Be-Pen」と書かれた日本製のインクペンだった。店員さんは、「どうだ」言わんばかりなので、「Be-Pen」を買ってしまった・・。

 お腹が空いたので、大きな餃子屋さんに寄る。今日は思い切って40個注文する。と言っても、ひとつが小さい。それも焼いてなくて、ゆで餃子なのだ。その店には、仕切っているお姉さんと、注文とりの兄さんと、常に餃子を、つくり続けている、ちょっと小太りの紺の帽子をかぶった若いお兄さんがいた。

 餃子作りの彼はとっても忙しそうだ。僕と目と目が合って。彼はアゴで挨拶をしてくる。僕もアゴで挨拶すると、また彼がくりかえす。お姉さんに、常に煽られている。手は止まらない。それでも僕に、目を合わせてくる。やがてそれに、店員さんも気付いた。笑っている。

 また、大通りを歩いてゆく。大きな電気屋さんの前に、ずっと立っている、ボロボロな服を着ている路上生活の親子を見た。肩車をして、ずっと電気屋さんの前にいた。子供は指をさして、何か嬉しそう。そうなんだ、そうなんだよ。これでいいじゃないか。

 夕方、僕は城壁のそばの石に座っていた。中国語の本と英会話の本を出して、ひとり発音の練習した。座り心地のいい、その石にもまた、古い西安の歴史があるようだった。4/18 定価30000円の、ラベル作成器が4000円で、何でも屋に売っていたので、買いたかったが、あいにく財布には50円しかない。銀行の預金も400円しかない。だだVISAガードはある。機械に入れてみると、反応がある、手続きのあと、あとはお金の出てくるだけとなった。「やった、これで買えるぞ」そして出てきた紙は「オトリアツカイ デキマセン」だった。がっかり・・。

西安・スイカ大口論」4/20

 大通りから一本入り、暑さでむっとする路地を歩いていると、人だかりが見えて、大声がみごとに響き渡っていた。

 50人くらい集まっている中、のぞいてみると、 スイカの引き売りの屋台が見えた。でも様子が変。おじさんとおばさんがお客と大口論になっていた。いったい何が、どうだったというのだろう?

 ひっきりなしに言葉が出てきている。それも真剣そのものだ。僕はわからないながらも、いろいろと想像した。(はっはあーん) お客さんは、二つに切られたスイカを合わせている。どうもそれが、ピッタリ合わないって言っているのだ。ホントだ、スキマが出来ている。秤に乗せたりもしている。

 お客いわく、そのスキマの分を、スイカ屋が食べたのだと言う。スイカ屋のおじさんとおばさんは、もうずっと大声で喋りっぱなしだ。そのうち、ちょっと賢そうなひとりのおじさんが、仲裁に入ってきて、ひとりひとりの話を聞き始めた。(おっ、なかなかやるねえ)っと思っていたが、また言い争いに変わってしまい、おじさんは退散した。

 また、言葉だらけになっていると、ひとりのお化粧のきつい、カラフルな服を着たおばさんが、前に出て来た。そして自分の意見をズバズバ言い続けると、だんだん自分で盛り上がって来て、最後にはヒステリックになって、そのまま去って行ってしまった。

 言い合いは、きりがないように続いた。そのうち、胸にバッチを付けた、おじさんが、連れられてやって来た。その人が来ると、さすがに落ち着いた雰囲気になり、まるで何かの時代劇ドラマのように、一件落着となった。

 スイカ屋さんは、まだどうしても理解できないよと言う顔で、屋台を引き出した。集まっていたみんなも、それで、散り散りになっていった。結局、 スカイ屋が悪かったのだろうか? あのそれぞれのみんなは、何と言っていたのだろう。スイカ一切れは、大きな事なんだと知った。4/19 今日はグットマンにて、道草ライブ。久しぶりに志村君のパーカッションもあり、新鮮に歌えた。今日は三人とも、ギターの音色が良かった。杉山君、ギターがうまいなぁ。「ステリオの丘」に行っちゃいそう。

西安ラスト・和平路夜市」4/21

 夜、西安の大通りに今日も多くの露店が並ぶ。さあ、出かけようよ。和平路夜市へ・・。

 明日の午後にはもう、西安を僕は後にしてしまう。だから今夜は、ゆっくりとたっぷりここに居よう。お祭りのようなにぎわいは、毎日の大きな楽しみだった。

 なんと言っても、僕が好きだったのは、その露店通りの最初に店を出していた、背が高い坊主頭の男だ。そのダイナミックな、鍋さばきは凄かった。でかい手鍋を使って、羊の肉と野菜を炒め、火柱を上げながら、バンバーガーのようなものにはさんで売っていた。それはパフォーマンスが半分だ。いつもいつも人だかりで、多くの人が、順番を待っていた。

 「よーし、今日こそぜったい食うぞ!!」と、こころに決めながら、露店通りをまた、歩いてゆく。最後の夜なので、何でも食べてみたい気持ちだ。途中にある露店のラーメン屋さんに寄った。その店では、麺をこねるパフォーマンスをお姉さんがやっていた。

 黒いぴっちりとした、光るラメ入りの服に、短めの黒いスカート。カラフルな靴下。そして、ちょこんと乗せた帽子。お姉さんはとっても可愛くて、まるでアイドルのようだ。麺コネ、アイドル? 続く露店の中で、それはとっても目立っていた。プルプルと揺れる胸も目立っていた。僕らは、そのお姉さんにラーメンを注文。やった、会話してみたかったのだ。

 「けっこう油っぽいね・」そんなふうに思っていると、どこからか、男のガラガラ声の唄と、弦の音が聞こえて来た。汚れた紺の服を着た、目の不自由なおじさんが、胡弓のような楽器を弾きながら、座り込んでダミ声で、のどを鳴らしていた。

 何か琵琶法師のように、物語を語っているらしい。歌い終わると、目の前の露店の人が来て、あっちへ行けって言う。おじさんは、無造作に集まったお金をワシズカミにすると、立ち上がり、ちょっと先の柱の所まで行って、また座り歌い出したのだ。「やるねえー」なんだか嬉しくなってしまった。

 さて、ひとめぐりして、あの最初の名物ボウズのいる、手鍋パフォーマンスをやっている露店に戻ってきた。「よし、今日こそ食べるぞ!!」相変わらずの人だかりだ。カマドに乗せた大きなフライパンでタイナミックに炒めてゆく。その仕上げは、火柱を立てるのだ。「うおーっ」その度に、みんなの声が上がる。

 僕らは、二つ注文したが、なかなか番が回って来ない。やっと僕らの番が来た。すごく嬉しい。僕らのために、鍋パフォーマンスをやってくれる。そして、途中で「この辛いのは入れるか?」とジェスチャーをしてきた。「OK・OK」うなづけば、もう一回確認してくる。「OK・OK」すると、ちょっと少な目に入れてくれた。そしてパンのようなものはさんで完成。まるで羊の肉のハンバーガーだ。熱いうちに、かじりついてみる。

 「うわーっ、辛い!!」僕らの反応に、回りのみんなは大笑いをしていた。ホントに辛いのだ。僕らは、そのまま一番近くのチースイ屋に行って、喉に通した。全然チースイの味がしない。一本では足りなくて、もう一本飲む。辛かったあ・・。でも、友達も僕も満足だった。

 賑わいのまだまだ続く、夜店の裸電球の明かりの中を後にして、宿へと歩いていった。すべてが満ちている夜のようだった。途中、来たばかりの時の買った、くたもの屋さんで、またリンゴを買った。お店の人は僕のことを憶えていて、元気かい?って、きいてくる。

 お腹をこわした。あのカエルの看板のある、中華屋の前も通ってゆく。あの明るいお姉さんが、いつものように手を振ってくれている。僕らも手を振って答える。西安、ラストナイト。ここは、大きくて広い街だった。思い出もまた、広くて大きい。4/20 「ちょっくら〜」のはじめての東京編を綴じ物のするために、まとめる。自分でもよく書いてると思った。その最初の日記には「今月はのんびりと書いて行こうと思ってます」とか書いている。ぜんぜん、のんびり書いてなかった。でも、それでよし。

西安〜成都・サヨナラ西安」4/22

 出発の日、宿を出て駅まで行く途中、僕らは、あの大きな餃子屋さんに寄った。そこには人なつっこい、兄さんたちがいたのだ。

 通り沿いにあり、外との境はない餃子屋さん。大きな鍋に餃子を入れる係りの兄さん。そして鍋の隣りには、ひょうきんな、あの小太りの青年が、餃子を作り続けている。二人とも僕らの姿に気付いたようだ。「よう、また来たよ」

 僕らは、食べれるだけ餃子を、食べてみることにした。みんながやっているように、何皿も積んでみたいじゃないか!! 気合いを入れて、注文してゆく。ひとつが小さいので、いくらでもいけそうな気がしたが、40個で限界だった。もう、お腹がいっぱいだよって、ジェスチャーをすれば、店のふたりも笑っている。でも、もっと食べろって言う。

 ハハハ、ハハハ。そんなコントのような時間の後、僕らは軽く手を振って、道に出た。店のふたりは、僕らの担いでいる大きな荷物を見て、道の向こうから、「ザイジェーン!!」と大声で手を振ってくれた。さよなら、西安。ザイジェン、あんちゃんたち。

 だんだんと西安の駅が見えてくる。今日もまた、むっとする暑さだ。西安・・、この長安の都に、三蔵法師がその昔、過ごしていたという。その頃もまた同じ空だったろうか。古い歴史の渦に巻き込まれそうな街だった。ここにいた10日間。どこにいても飽きなかった。そして、チースイも飲み飽きなかったなぁ。

 発車まで、少し時間があったので、僕らは喫茶店に入った。これからまた、15時間の列車に乗ってゆくのだ。「きつそうだね・・」そこで、また秘策を実行することにした。それは、二等寝台に夜中に替えてもらおうと言うアイデアだ。

 「頭が痛くて、お腹も痛いから、できれば寝台に行きたいと、夜になったら、頼んでみよう」僕ら辞書で、言葉を作ってみた。「よーし、バッチリだぜ!!」さて、どうなることやら。やがて時間。僕らは今回は余裕で、列車に乗ることができた。

 指定された所に行けば、またどこかのおじさんが座っている。そこは僕の席だよ。また他の席でも、指定のことでおじさん二人がもめていた。一人は指定券を持っている。もうひとりにはない。でも、ぜったいあるんだと言う。ポケットを探す。カバンを探す。しかし出てこない。回りには人が集まってきた。おじさんはがんばってるけれど、15対1だ。カバンの中をありったけ探したあと、わめきながら、そのおじさんは列車から出て行った。

 「やってるねー」またいろいろとありそうな予感・・。僕ら前の席には、ピンク色のワンピースを来た、若いお姉さんが一緒になった。窓の外には、見送りのお父さんとお母さんと思われる人。やがて発車時間だ。彼女は、大丈夫という笑顔で手を振っていた。その光景は、日本でも中国でも変わらないんだと知った。4/21 渋谷アピアに行く。知り合いのシンガーの十兵衛さんが、作ったという、楽屋、階段、BAR、カウンターを見る。渋い。それでいて懐かしい配色と材質だ。さすがだと思えた。これが大工さんの仕事なんだなぁ。

西安〜成都・足の出たケンカ」4/23

 列車は走ってゆく。二回目の硬座列車は、少しだけ慣れて、旅の気分も戻ってきた。

 給湯のお姉さんからお湯をもらう。「シェシェ!!」マイカップには、ジャスミンティーのお茶っ葉。窓の外には、チャイナの景色。のんびりのんびり行こうよ。

 それは僕のすぐ近くの通路で起こった。理由は何だろう? ただ、目と目があったということらしかった。ひとりのツッパリふうの若者と、検札のお兄さんが、大口論を始めたのだ。そしてとうとう、若者の足が出てしまった。

 もう、そうなったら、誰にも止められない。とっくみあいのケンカになってしまった。お互い頭に血がのぼると、どうにもならなくなるので、中国の人は、口論をするのかなって思えた。ケンカのテーマは、「おまえは足を出した!!」に変わってしまったようだ。

 しかたなく、みんなでふたりを取り押さえて、左右に離した。押さえられても、足は蹴り続けている。まるで暴れん坊のようだ。ふたりはちょっと離れて、にらみ続けている。列車の中のみんなはどちらかの味方に付いて、お互い言いあっている。それは30分も続いた。

 こんな時は、必ず仲裁に入る人が現れるものだ。男は目に涙を浮かべていた。そして、別の車両に、ひとりは連れていかれた。もういなくなったあとも、男にずっと、相手の行った車両をにらみ続けていた。時々は、発作的に隣の車両に行こうとしていた。みんなは、その度に押さえていた。

 列車は走ってゆく・・。いったい何が原因だったのだろう? 初めて見た、足の出たケンカだった。車両も落ち着いて来て、僕らは、座席のみんなと筆談を始めた。やっと、のんびりとした空気が戻ってきた。

 ピンクのワンピースの彼女は、中国語の四声について教えてくれる。「マア、マー、マーァ、マ〜ァ」そして、中国でも流行っていると言う、「北国の春」を歌ってくれた。途中で歌詞が思い出せなくなると、みんなが助けてくれるのだった。4/22 夜、池袋に歌いにゆく。ラスト一曲で終わろうとしていると、友達が来る。今日は寒かったので、外で歌うのはやめようかなと思っていたのだ。それにしても、ラストに友達が来る時が、とても多い。

西安〜成都・似ていた人」4/24

 不思議な気持ちってあるものだ。それは、遠いところで出会う君の話・・。

 ここは、成都へと向かう、中国の列車の中。はじめからもう、ぎゅうぎゅうなのに、駅に止まるたびに乗り込んでくる、いっぱいの人と荷物。もう席はとっくになく、みんな通路に自分の場所を見つけてはしゃがみこむ。

 僕らはなんとか、席を持っていた。その僕の隣り、通路にひざに抱えて座っている男が、なぜか日本での仲のいい友達にそっくりなのだ。個人名で申し訳ないが、「大谷」という富山の男だ。顔といい、髪型といい、背丈といい、そのままだ。見れば見るほど不思議な気持ちになってくる。

 お湯を配りに来る、お姉さんも本当、日本の女性にしか見えなかった。とても親近感が生まれて来るのがわかる。なんだか気軽に声をかけても、日本語で答えてくるような気がする。そう思って声を掛けてみる。でも「ハァ〜」とか言われてしまう。

 僕の隣りで座っている彼は、一人旅のようだ。なんだか、大谷と一緒に旅をしている気分になってくる。今にも「あおきさーん」って言ってくるような気がしてくる。でも、それはない。遠く離れたここで会う、似ている人の姿ほど、本人を強く感じると知った。

 その彼は、なんだかずっと、ひざを抱えたのままで、前を向いていた。すぐ隣りに僕が居るのだから、何か話とかしてもいいのに・・。僕は事あるごとに、その大谷似の彼に話しかけた。彼は笑顔で笑って答えてくれる。

 お茶の入った瓶を大事そうに、キャップをしながら、大事そうにすすっていた。その仕草が、大谷とそっくりなのだ。(いやぁ、似てるなぁ・・) 彼の腕には、分厚い電子時計がはめられてあり、何度も、大切そうに眺めていた。それはきっと彼の宝物なのだろう。

 もう何時間も、通路に座りっぱなしの彼だったので、僕はどうしても、席をいっときでも替わってあげたかった。いろいろと用事を作り「ちょっと用でここを離れるから、座っていて欲しい」とお願いして、大谷似の彼に席に座ってもらった。僕は、トイレに行ったり、お湯をもらってきたりと、しばらく席に帰って来てからも、彼の隣りで立っていた。

 「いやいや、ありがとう」と言う仕草で、彼は席を立った。そしてまた僕の隣りの床に座った。彼には何がどうなんだか、わかるはずもなかった。でも、いい。僕はいっときでも席を替われて幸せだったのだ。4/23 バイトにて、工場のおやじに、理由もなくあたられてしまう。こういう時は、どう無視するかに限るのだが、なんだろうね。ああいう人って、なんだろうね。

西安〜成都・深夜寝台計画」4/25

 まだまだ続く硬座列車での移動。夜、僕らはひとつの計画を立てていた。

 列車には、寝台が付いていて、予約では取れなかったが、列車の服務員の人に「体調が悪いんです」と伝えると、外国のツーリストは、寝台にゆけると言う噂があったのだ。

 僕らは、辞書でいろいろと調べて、文章を作り上げた。そして夜8時すぎ。計画決行。「よし、ゆくぜ!!」車両の間に在中している、女性の服務員の所に僕らは向かった。ドアを開ける。もちろん、大変苦しそうな顔で・・。

 「私たちは、お腹と頭が大変に苦しい。できれば寝台車両に替わりたい」そう中国語で書かれた紙を、なんだか辛そうに、まだ若い女性服務員さんの、二人の前のテーブルに差し出した。二人は、一緒に紙をのぞき込むように読んだ。

 「メイヨ!!」そのまま、紙をつっかえされ、僕らの寝台トライアルは終わった。「だめだったね」「あっけないよ、ホント」また、硬座の座席に戻ってきた僕ら。だいだい予約の段階でなかったのだから、空いてるわけはないのだ。

 また今夜も硬座での長い夜になる。でも、しかたないさ。もうちょっと、席が柔らかいといいのだけれどなぁ。覚悟を決めていところ、夜12時を過ぎたくらいに、ふたりの服務員のお姉さんが、そっと手招きをしてくれたのだ。

 僕らはさっきの車両の間のテーブルの所に行った。なんだかお姉さんたちはニコニコしている。 僕らのパスポートを見て、「ジャパン!!」と言って、目を丸くしている。「アオキイ、タカオウ?」ゆっくりとローマ字を読んで確認。僕らが病気ではない事は、すっかりわかっている様子だ。

 そして紙に、寝台のある車両の番号を書いて、僕らにくれた。終始にこやかで、若い女のコという印象だった。寝台に替われると言う噂は本当だったのだ。「シェシェ」

 座席に戻り、僕らはリュックを取りに行った。なんだか、せつない気持ちでそこを去らなくてはいけなかった。(これで、よかったのかなぁ) でも、まさか本当に寝台にゆけるとは、思っていなかったのだ。リュックがとても重たい・・。

 紙に書いてある、車両に行ってみると、そこは服務員さんたちの寝台だった。仮眠の場所かもしれない。彼女たちの寝台だったのかもしれない。とにかく、今夜はぐっすり眠れるのだ。明かりを消すと、ゴーと言う音が、響いてくる。窓の外は真っ暗で広い。僕は横になり、目をつぶった。中国大陸を列車は今、走ってゆくのだ。ここは中国・・。とても実感があった。4/24 テレビのお宝番組で、30年ほど前の、グリコの懸賞のおもちゃ。「おとぼけくん」と「せっかちくん」が出ていた。これを知っている人は、どれくらいいるのだろう。集めた集めた。そして手にいれた「おとぼけくん」しゃべるんだぜぇ。誰か憶えていないか?

「成都の火鍋」4/26

 雨の中、ゆっくりと列車は駅に着いた。

 ( ここは成都ではないかな・・) そう思って、列車員のおばさんにきくと、「そうだよ」って言う。僕らは、急いで荷物を担いでホームに降りた。そんなふうに、この街は迎えてくれた。

 霧雨の中、成都の駅を出ると、自転車に座席の付いた人たちが、お客を待っていた。その姿はなんとも淋しい。

 「アオキさん、リクシャーだよー」そう友達が言う。これがインドで有名な「自転車リクシャー」らしい。もう行く宿は決めてあったので、僕らはバスを探した。霧雨の中、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。ぜんぜんわからない。順番どうりになっていない。尋ね探して、やっと見つけることが出来た。

 バスの窓から見える、成都の街。ここもまた歴史の古い中国の街だ。大通りをゆっくりと曲がって行く。なんだかここは、あきらかに上海や西安のにぎわいの感じとはちがう。雨と言うせいも、あるかもしれないが、その景色は遠く遠く思えた。街の中心だと思うのだけれど、人があまり歩いていない。ときどき「火鍋」と言う看板の店が目に入った。

 「火鍋ってなんだろうね・・」

 そして宿の近くのバス停にて、僕らは降りた。今まで一番安い宿に決めたのだ。5元 (約200円) の宿。安い宿にしては、なんだかとても広い。いろいろな置物もある。黒のワンピースを着た、愛らしい女性が、部屋まで案内してくれた。歌手のテレサ・テンさんみたい。仕草がとてもセクシーだった。

 僕らは大部屋に入った。8人部屋だやっと落ち着けた僕らは、しばらくひと休みしたあと、来る時に火鍋を食べにゆく事にした。歩いてゆくと、大きな板に赤い文字で看板の立ててある、火鍋屋にたどり着いた。ああ、いかにも辛さそうだ。店の中に入ってみる。

 テーブルには、それぞれ黒い鍋が乗せられてあった。直径30センチくらいだろうか。それは、いくつかレモンのように仕切られてあり、オレンジ色から赤色の汁が入っていた。店の人がメニューを持ってくるが、どう頼んでいいかわからない。「適当に!!」と言うことで、次々と、鍋に入れられた。

 「おい、これはいったい何だろう?」まあ、それは楽しみだったけど、見たことのない肉とか入っていた。その中で、カエルはわかった。「浮いてるよう!!」しかし友達は「これがうめえんだよ」と言って、しゃぶりはじめた。「アオキさんも食べてごらん」もう、なんでも来いの鍋なので、僕もしゃぶってみる。肉はこりこりして美味しい。

 それにしても辛い。友達は「ちょうどいい、ちょうどいい」って言う。たしかに何でも食べられそうな鍋だ。食べるだけ食べてしまった。ほんとに二人前だったのだろうか? さて、いくらだろう? 紙が渡され、40元とか書いてある。高い。宿代が5元だから、その8倍だ・・。

 「日本で食べたら、何万円だよ!!」たしかにそうかもしれない。きっとそうだ。お腹の中が、重たくて変だ。でもなんだろう、この高揚感は・・。「食ったぜー」と言いながら小雨の中、歩いてゆく。その辛い胃袋は、口から火でも吐きそうだった。4/25 雨、日々の寝不足から、午後いっぱい眠ってしまう。また図書館から、本を何冊も借りてきてしまった。先月は、一冊も読まずに返してしまった。この月は読めるか。

成都・ナリって言います・・」4/27

 火鍋の辛さにじーんと、なってるまま、宿のたどり着くと、大部屋のベットのひとつの上に、40歳くらいの小柄のおじさんが、座って本を読んでいた。

 「コンニチハ、日本の方ですか?」僕らが話しかけると、そのおじさんは、本をゆっくりと下ろした。髪の短い坊主頭に、縞の線が入ったTシャツ。ちょっぴり首を斜めにして、そして言った。「ナリって言います。ヨロシク」

 「こちらこそ、よろしく。えっ、いつ来たんですか?」そう尋ねると、ナリさんは答える。「今日ですよ。でももう10年以上ここに、しょっちゅう来てます。ここが、好きなんだよね。この下の通りの人、みんな友達だよ」

 両腕を組んで、ナリさんは、魅力的な低音で続けた。「俺、ほら、名前が成 (ナリ) じゃないすか。そう言う意味もあって、成都が好きなんだ。それにねえ。この宿のちょっと先の、斜め前にある二階の食べ物屋、そこのおばあさんと仲良くなっちゃってね。しょっちゅう来てるんですよ」

 「へえー、他に所へは行ったりしないんですか?」「んー、一応ね、桂林とか有名な行ってみたりもしたんだけど、やっぱりここがよくてねえ。あとで、一緒にそこら歩きますか?」

 ナリさんは、まるでわが家のように、リラックスしている。空港で買ってきたという、干しぶどうを出して、僕らに分けてくれた。「もっともっと、食べてください」

 小雨の降り続く中、僕らは成都の宿で、ゆっくり話した。ナリさんは、本を片手にポツリポツリと話題を進めてゆく。「干しぶどう、食べてくださーい」

 成都の街は、霧雨が降ってて、なんだかやわらかい。音も、景色も、時間も全部。それとも、そういうはじめから街なのか・・。

 ナリさんと話していたら、世界のどこかに落ち着ける場所が、誰にもあるかもしれないと思えた。4/26はげしく夢でうなされて、パッと起きた。 メガネを取ってかけようとしたら、フレームが真ん中から割れていた。たぶん、体でつぶしたのだろう。それにしては、布からメガネが離れていた。自分の手で折ったか、体がそこまで移動したかだ。

成都・カッパかぶりの自転車群」4/28

 僕は水たまりをよけることで、精一杯だった。

 ここをずっとまっすぐに行けば、宿に着けるはずなのだ。薄暗い雨空の下、小さなお店が続く商店街のはしっこを歩いてゆく。道の向こうとこちらからは、カッパをかぶった自転車の群。

 ジャリジャリジャリジャリ。ベルの音が鳴り続けている。黄色くけぶるような、景色の中、なんだか宇宙から来たような、カッパかぶりの自転車が行く。その数と言ったら・・。

 まるで、降る雨は、ほんとに悪者のようだ。見上げれば大空は、なんだかとても広すぎる。やって来る自転車の人たちの、表情はみんな厳しい。「雨なんて大嫌いだ」と言っている。

 かたわらの床屋さんをのぞいた。はげたペンキの白がなんだか淋しい。小さな食堂。そして八百屋さん。お客なんて来るのかと思えるほど、どの店もひっそりとして静かだ。道は泥になり、なんだかみんな、この雨のせいのようだ。いやいや、そんなことはない。

 自転車の群は、切れることなく、まだ走ってくる。そのどの人もカッパ姿だ。もういちど、僕は顔を振って、この景色を眺めてみる。やっぱり変なのだ。なんだか、だんだん慣れてきてしまっている自分がいた。まだ旅は始まったばかりじゃないか。がんばれよ、青ちゃん。

 ずいぶんと歩いて、やっと宿にたどり着いた。ひっそりとした路地にある、ここは、なぜか大きくて、とても安い宿屋。吸い込まれてゆくように、僕は入ってゆく。

 黒いワンピース女性が、毎回、部屋の鍵を開けてくれるのだ。その彼女は、丸い笑顔で言う。「イエース・カモーン」鍵を片手に彼女は、しゃなりしゃなりと歩いて、僕と廊下を一緒にゆく。その歩く早さは、なんともゆっくりだ。

 「シェ シェ」彼女の笑顔が、今はとてもこころにやさしい。ベットに座ると、どっと疲れが出てしまった。(ああ。横になろう・・) 耳には、まだ自転車のベルの音が、いつまでも鳴っているようだった。4/27 友達の引越しを手伝っているが、なんともあわただしい。引越しと言うのは、こんなに大変だったっけ。家一軒の引越しなんて気が遠くなってしまうね。入居届けをよく、もらうバイトをしているが、みんな引越しの日をはっきりと覚えているのは、よほど印象的な日なんだろうなぁ。

「成都ラストナイト」4/29

 明日には、飛行機に乗って、チベットに着いてしまう。

 そこはチベット自治区であり、人も違う。だからチャイナと呼ばれる街は、もうお別れなのだ。列車さえ止まっていなければ、本当はバスを乗り継いで行きたかった。でも、どんな所にも出逢いはあり、ここ成都にも来ているのも、何かの縁だろう。

 僕を友達と、夜、地下の喫茶店に入った。ネオンサインが張り巡らされていて、妙な場所だ。この不思議なバランスが、旅の感じをよく出している。さよならチャイナ。友達はチベットがすごく楽しみだって言う。さて、チベットはどんな所か?

 今日は、なんだか旅のひとくぎりの日だ。ちょっとのんびりしよう。日本を出てから、いろんな事があったような気がする。毎日がながい、まだまだはじまり・・。僕には、ひとつの目的がある。それは、最終的にパリに着くことだ。

 大正時代。洋行と言えば、船に乗って、パリへ行くことだった。僕の好きな、詩人たちもそうやって旅をした。その途中途中に、寄りながら行った人もいる。この現代、僕もその気持ちを味わってみたい。ここで飛行機に乗ってしまうのは、本当はちょっと残念なことだった。

 旅の目的は、もうひとつあった。それはインドに行くことだ。三島由紀夫の小説だったと思うけれど、「人には、人生の内にインドに行く人と、行かない人がいる。それは、はじめから決まっていると言われる。」というようなフレーズがあった。ずっと、それが心にひっかかっていたのだ。

 明日の朝は早い。もう今夜はぐっすりと眠ろう。成都の街は、なんだか、ふかーい霧雨の中にあったようだ。ここに着く旅人はみんな、体中の力が抜けてゆくかもしれない。そんな魅力のある街だった。

 次の日の朝6時。僕らは起きて、ライトを照らしながら、出発の準備をした。一緒の部屋の成さんが「どうぞ、よい旅を!!」と、かすれた低音で送ってくれた。宿のあのお姉さんよ、さようなら。

 バス停まで向かう途中、僕は気がついた。「どうぞ、よい旅をって、英語のハバァ・ナイス・トリップなんだねえ」「そうだよ、アオキさん!!」明けてゆく朝のように、成さんの言葉には、忘れていたさわやかな響きがあった。4/28 「ちょっくら〜」の「はじめての東京編」の綴じ物を作る。なんどもなんども読んでいるのに、読むたびに誤字が見つかる。その度にコピーのやり直し。その落胆といったら・・。

「チャイナSONG」4/30

ほこりの道と大型トラックが
船から降りた僕らを迎えたくれた
ここは上海、港のタウン
油の匂いとぎっしりの家

二台つなげたギューギューバスに乗り
港通りのハイカラタウンへ通う
中華屋姉さん、小粋な美人
黒服姿がよく似合う

外人さんは二階へどうぞ、青スラックスの男が誘う
クリームドレスの女が座り、慣れた言葉で、右手をつかむ

  ジャスミンティーのお茶っぱつめてゆくよ
  ザイジェーン、上海、ここからまたチャイナ

人であふれる上海駅から
各駅停車の26時間
駅々ごとの人と荷物
窓からつめ込む大騒ぎ

お世話になったね徐おじさん
ものしりヒゲが、なんでも教えてくれた
売り子が来るよ「ビングァー、シェガァー」
アイスキャンディー食べるかい?

ケンカだケンカ、車両の中で、徐おじさんが、止めにゆく
僕を見る目もなんだか親代わり、ななめ座席の小さな絆

  ジャスミンティーのお茶っぱつめて行くよ
  ザイジェーン、徐さん、ここからまたチャイナ

抱きしめ別れて、やっと着いた街は
うだる暑さの古くて、広い街さ
ここは西安、昔で長安
三蔵法師がいた都

毎日食べたよ、ジャオズ三皿
どうしてこんなにうまいかわからないまま
夜には夜で、屋台が並ぶ
名物坊主のバンバーガー

「外人さんは、辛子は抜きだ」そう言わないで、入れてくれ
食べたはいいけど、口が火事さ。回りのみんなが、大笑いしてる

  ジャスミンティーのお茶っぱつめてゆくよ
  ザイジェーン、西安、ここからまた、チャイナ・・

4/29 ひと月、どうもありがとうございました。「旅立ち・チャイナ編」は今日で、おしまいです。旅のはじめの、初々しい感じが、うまく出てたらと思います。あの時のパオズやジャオズが、とても食べたい。特に、西安で食べた一口水ギョーザは、日本に来て、同じ味にまだ出会っていない。今度は70個くらい食べたいなぁ。次回は「チベット・ネパール編」です。

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