青木タカオの「ちょっくら・おん・まい・でいず」  TOPに戻る
過去ログ「どこかで聞いたら、よろしくと」'03.9月〜11月


 vol.15「ラブソングス/岡林信康 19779/14

 帰る故郷が人にはあるというけれど、さて僕には、そんなふうには思えない。

 明日に帰る人がいないように、いつも、道に続きにその場所は現れる。

 僕のほんの短い経験から言っても、だいたいはもう自分の中にその場所があり、新幹線のチケットを買ったり、高速道路を車で走ったり、仕事を何日も休んだりしなくても、家に戻る途中にふと行けたりするものだ。

 「ああ、ここだったのか!!」

 そう思ったときには、でも、もう旅は始まってしまう。ただ、そこに着いたという気持ちの響きは本当のものだろう。

 岡林信康の『ラブソングス』というアルバムが出たのは1977年で、僕はその頃、ボブ・ディランに夢中の高校生だった。僕のフォークの始まりは岡林信康その人で、中学時代は毎日毎日、アルバムを聴いていた。ただ、そのあと岡林信康は演歌に向かったりして、新作については、内心、あまり期待はしていなかったのだ。

 すっかり忘れた頃、僕はこの『ラブソングス』のアルバムを東京で聴いた。

 ギター弾き語り、ロック、演歌とアルバムごとに変化してきた彼だったが、このアルバムは一転して、懐かしい響きをもったアコーステイックなサウンドだった。一曲目「Mr.Oのバラッド」では、自分の半生を語り、そして二曲目からは、フィンガーピッキングによる、家族や日常を素直に歌った内容の歌が続いた。

 それはそれは、力の抜けた、味のある作品だった。

 特にA面の流れは素晴らしかった。「Mr.Oのバラッド」「みのり」「かっらぽの唄」「五年ぶり」。なんだか、田舎道に吹いてくる風にようなイメージの唄だ。その唄から広がって見えてくる、田舎の風景・・。

 実際はそうでなかったのかもしれないが、今までのアルバムには感じられなかったような、素直さが唄からにじみ出ていた。それは、ねらわれたものではなく、本当にそうだった響きが聴こえてくる。

 2003年の今となっては、このアルバムもまた、彼の唄の旅の途中だったと思えることは確実だが、レコードの溝から聴こえてくる響きは、実に広々とした、おいしい空気になっている。


 vol.16「アメリカンレコーディングス/ジョニー・キャッシュ 19959/18

       試聴・アルバム紹介

 生ギターと歌だけの録音なら、この世に数かぎりなくある。

 僕だって中学生の頃から、テープレコーダーで自分の歌を録って来た。しかしその音を再生してこみると、それなりの音でしかなかった。

 もちろん人の歌も歌ってみたが、いつもやっぱりそれなりだった。

 ジョニー・キャッシュは、1950年代より歌い続けているベテランのシンガーだ。一般的には、カントリー界の大御所としてずっとその存在を認められていた人だ。

 1995年に発売されたジョニー・キャッシュの「アメリカンレコーディングス」というアルバムは、ジョニーによる生ギター弾き語りのみの13曲だ。ジャンルとしたらカントリーというふうではなく、弾き語りに入るだろう。ギター弾き語りと言っても、ピックは使わず、指と爪だけでのジョニーなりのギターだ。耳をよく傾けないいいけないくらいに、控えめなギターだ。

 歌の方も、まるですぐそばで歌ってくれているかのような、素の声のままに聞こえてくるシンプルな録音だ。普通に聞いたのならば、もしかして自宅録音かと思えるほどに派手さはなく 、言い方をかえれば、かなり地味なアルバムだ。

 しかし、このアルバムには何かがあり、ちゃんと1995年の音に仕上がっている上に、逆にそのシンプルさが歌をいっそうに引き立てていた。ジョニーの作品以外の曲もかなり入っているが、それらの曲はこわいほどに、ジョニーの歌として表現されている。

 何度も聞いていると、なをいっそう、不思議な感覚にとらわれてくる。なぜこんなにも、歌が実に歌らしく表現されているんだろうと感じる。ギターの音だってそうだ。なぜ、この弾き方で惹き付けるのだろうと。

 ジョニー・キャッシュの歌と声は、誰でもすぐにわかるほど昔から特徴的だ。歌い方もデビュー当時より、一環して低音の響きから発せられている。ジャンル的には「カントリー」と呼ばれてきたけれど、歌そのものを伝える力には驚くものがある。それはジョニーの風貌、そして人生経験から来るものもあるのだろう。

 このアルバム以降、ジョニーはひとりのシンガーとして、ジャンルにしばられることなく、自分の仕事と作品を残していった。そして、この2003年9月12日に他界した。ジョニーはその最後に素晴らしいアルバムを何枚も残していった。

 『アメリカンレコーディング』のライナーノーツには、ジョニー・キャッシュ自身による、音楽の旅がつづられている。記憶に残る文章だ。その最後にこうジョニーは、しめくくっている。

 「演奏するとき、ギターのブランドや色、値段は関係ない。問題なのはギターと私がひとつになれるかどうかだ。その楽器の音が私の歌とと一緒に内側から、はらわたの底から響いてくるように感じられなければいけない。私がほんの3つか4つしかコードを知らないということは問題ではない。フレットの上に左手指をのせ、右手のつけ根でギターのボディを押さえ、右親指がリズムを繰り出すにまかせる。それは時には魔法を生み出す。これら全てをうまく行うことが、私にとってベストの方法だと信じている。ジェシ・バーンヒルがやっていたように。母がやっていたように。」


 vol.17「ザ・アーリー・イヤーズ vol.2/トム・ウエイツ 19929/21
       試聴・アルバム紹介

 どこにでも、眺める道の端には番地がある。

 歩いてゆくとドアがあり、ドアを開けるとそこには、もともとある道と風景。靴があり、友がいて食事に向かう。

 カレンダーも時間も場所も色も季節も違うけれど、その場所からずっと戻りゆくと、世界中の路地に出る道があり、ここにも通じている。

 そんなチケットはないけれど、そんなCDがある。

 しわがれ声で有名なシンガー、トム・ウエイツは'73年にアルバム『クロージングタイム』でデビューした。その二年ほど前、デモで録音されたものが'92年に『ザ・アーリーイヤーズvol.1・vol.2』として発売された。

 曲目は、のちのファーストとセカンドアルバムに入る作品も多い。聞き慣れた作品の別録音を聞くのは、なんとも不思議だ。そしてそこには聞こえてくる独特の空気感がある。

 僕はこのアルバムを、小さなライブハウスで初めて聞いた。それもなんだかプライベード盤のようなのだった。しかし、とても録音の程度はよい。

 友達と話しながらも、僕の耳はすっかりこのアルバムに心奪われていた。何が良かったのかは、言葉ではうまく説明ができないが、まるですぐそこで歌っているようなのだ。

 ぜったいペライベート盤だと信じた僕は、必ずこの録音を探し出そうと思った。そして意外にも、すぐに手に入れることができた。『ザ・アーリー・イヤーズ』として正式に発売されていたのだった。

 僕の部屋に来た、このアルバムは、実にいろんな時にかけられることとなった。食事のしたくをしているとき、何をかけていいかわからなくなるとき、友達が訪ねてきたとき、なかなか寝付かれない夜、実家に帰るときに持ってゆくとき、僕はこのアルバムを選ぶことが多かった。

 本当なら、発売のされることのなかったこのデモの録音盤は、そんな不思議な魅力のあるアルバムだ。

 vol.1・vol.2と出ているが、個人的には、vol.2の方がより地味でしっくりくる。

 きっと僕は、このアルバムの中に流れている時間と空気が好きなのだろう。飲んだり、食べたり、出かけたり、眠ったり起きたり、手紙を書いたり、、すべてがつながっている時間にあるようだ。


 vol.18「MACIRE/ Boubacar 1992・マリ・9/25
       
試聴(他のアルバムより)

 たとえば葉書。それは大きすぎず小さすぎず、実にちょうどいい大きさだ。

 そんなふうに、誰こだわるわけでもなく、自然にそこにあるものがある。

 郵便配達の人が、まるで葉っぱに書かれた文字であるかのように、届けにくる。そんな一枚の軽さは、世界中のどこにでも行くことができるだろう。

 国や場所もちがい、その文字も内容もわからないが、通じるものがある。朝、ほとんどの人が、目を開けて始まるのが同じように、体感できることがらが、自分の中に言葉や内容を見つけてゆく。

 アフリカのマリのミュージシャン「Boubacar」の音を最初に聞いたのは、とあるライブハウスでのことだった。生ギターを中心にしたその歌とサウンドは、どこか聞きなじみのある日本の民謡のメロディーのようでもあった。

 その懐かしさは、ふだんいつも見慣れているものを、あえてもう一度見るような気持ちと似ていた。科学に裏打ちされた、よく飛ぶ紙ヒコーキというものもあるだろうけれど、彼の歌は自然の法則にのった、よく飛ぶひとつの紙ヒコーキのようだ。

 彼の歌を初めて聴くとしても、その歌を思い出せるだろう。

 その理由はわからない。数多い歌い手の中で、そんな気持ちにさせてくれる「Boubacar」がいる。

 ずっとずっと先、僕がたどり着きたい場所に、すでにこのアルバムはある。

 彼の歌の懐かしさは、人のしぐさに似ている。人が人を見るとき、あえて感じるもののようだ。

 全体的には、実に地味なアコースティックサウンドのアルバムだが、その音には無駄がない。必要なものだけが、ちゃんとそこにある。

 ほとんどの日本人は、このマリの「Boubacar」のことは知らない。彼もまた僕らのことは、知らないだろう。しかし、このアルバムは、文字の書かれた葉っぱのように、いつのまにか僕らの玄関に届いていた。


 vol.19「アーニー・グラハム/ アーニー・グラハム 1971・イギリス10/1
  
試聴(1曲目・リアルramファイル)

 
 ひとりの人が、お茶屋に入ってくる。

 生まれた国もわからない。服装も時代がまるで違っているようすだ。椅子に座り、そしてひと息をつく。

 どこをどう流れてきたのかは、察することはできないが、そこに今いることは確かだ。

 彼の持っている手帖は30年前のままだ。知っているすべての人の住所も連絡先も変わってしまってはいるが、彼にとっては問題ではない。それは、今、彼のことを思っている人がいるからだ。

 はるばると30年間も、旅を続けることは大変だ。そのときどきによって居た場所があるだろう。しかし大事なことは、ここからまたどこかに行けることだ。たとえ持ち物が変わらないとしても、古いお金しか財布の中にはないとしても、夜空を見上げれば、接近した火星を僕らと一緒に見ているだろう。

 アーニー・グ ラハムというイギリスのシンガー・ソング・ライターの出した1971年のアルバムがある。もうとっくの昔に廃盤になったものの、長い間名盤とされ、やっと最近日本のレーベルによってCD化された。

 噂が噂を呼び、僕らもまたこのアルバムを知ることとなった。サウンド的には、みごとに1960年代のフォーク・ロックサウンドである。しかしながら、どの曲もメロディーが実にいい。そしてアルバムでの曲順の位置をみごとに持っている。8曲ではあるけれど、何度聞いても飽きない音の作りになっている。

 特に一曲目「Sebastian」のメロディーと歌唱は、何度聞いても心に届くものがある。この一曲目が、このアルバムをはるばるここまでつれてきたとも言えるだろう。この曲が作れる人が作った一枚のアルバムという感じがする。そして、どの作品も他のアルバムならメインの曲になりえるほど出来ばえだ。

 それはそれは、美味しい40分の食事のようだ。30年前に残された8曲のすばらしいメニュー。

 まだ聞き始めてから、一年もたっていないのに、僕の中ではすっかりと愛聴盤の一枚になっている。不思議なのは、もうずっと前から聞いて来たような気持ちになっているということだ。

 はるばると30年たって、復活したアルバムがある。ひとつの願いが形になったのだ。彼はCDの棚にやって来たけれど、ずっと旅を続けていた。


 vol.20「走れアルマジロ〜拾得ライブ〜 /豊田勇造197710/4
 
 アルバム紹介試聴(※このアルバムの中の曲はなく、1983年の音源よりのmp3)HPより

 1977年制作、自主制作盤レコード。。

 今でこそインディーズと呼ばれ、多くのミュージシャンたちがCDを制作しているけれど、その頃は、自分でレコードを作るということは、いろんな意味で大変な作業だった。

 しかし、自主制作盤であることが、そのアルバムを最大限に、魅力的にさせるときもある。

 フォークブームも一段落した1977年、豊田勇造のライブアルバム「走れアルマジロ」が、自主制作盤で発売された。京都の「拾得」というライブハウスで録音されたものだ。

 それまでライブアルバムというと、どこかのコンサートホールでの録音がほとんどだった。曲の合間に喋りが入り、客席がどっと反応する。そんな中で進んでゆくコンサートだった。しかし、よく考えてみると、それは「歌」を身近に感じられていただろうか? 表情もギターの指使いも、遠くてよく見えないということが・・。

 人気が出てくると、どうしても小さなスペースでのライブは難しくなるだろう。

 このアルバム「走れアルマジロ」には、いくつもの語るべき新しさがある。それは、とうていここでは言い尽くせないけれど、ふたつみっつ書いてみようと思う。

 まず1曲目「ギターが友達」という歌。この曲は、勇造がギターを始めたきっかけから始まり、日本中をギター一本で旅したことのエピソードに続いてゆく、自己紹介も含めた物語SONGだ。この曲は、実に面白く語られていて、誰でもが耳を傾けてしまう傑作になっている。

 その日、初めて勇造の歌を聴くお客さんも、この一曲で勇造のファンになってしまうほどの魅力のある歌だ。それは、このアルバムをどこかで聴く人にも言えることで、まるで、実際にそのライブに聞きに行った気分になれる曲だ。そして勇造というシンガーがとても身近に感じられてくる。

 二曲目以降も、生ギター一本でこのアルバムは続いてゆく。まるで生き物のように聞こえてくるギターの音。それも素晴らしいのだけれど、曲順も含めて、実にバラエティーでいい選曲なのだ。静かな曲、激しい曲、ノリのいい歌、ブルーズ、他・・、あきさせずにライブは進んでゆく。

 それだけでも、このアルバムは語るに充分だが、もうひとつ新しくて重要な良さがあった。それは、日本語が生きてるということなのだ。日本語が生きてるというとなかなか、伝わりにくいけれど、日本語の響きに立ち戻っているということなのだ。歌に出てくるフレーズが的確で、なおかつ印象的であり、メロディーにも呼応しているのだ。

 このアルバムを聴いたあとでは、音楽感のすべてが変わってしまうほどのインパクトがあるのは確実だ。僕自身は、このアルバムが、日本のインディーズシーンの夜明けの一枚だと思っている。

 今は2003年で、もうこのアルバムが出てから25年もたってしまった。数え切れないほどのインディーズCDが発売されている中に、この「走れアルマジロ」のCDもある。


 vol.21「MUSIC OF SOUTH INDIA/ Lyrichord LLST 735810/4
 
    試聴 (リアルオーデイオramファイル)
 

 南インドには、ヴィーナという楽器がある。

 シタールにも似たその楽器の胴は、大きなカボチャで出来ているという。それは南インドでとれたカボチャであろう。

 ヴィーナのカボチャが鳴るとき、それはまるで南インドが響いていようにも思えてくる。

 もう前のことだが、南インドを旅したとき、なんと言ってもその景色の雄大さに僕は圧倒された。広がる水路と続く椰子の木。一年を通して変わらない暖かさ。そしてそこにあるのんびりとした時間。

 南インドで知り合った人々は、みな優しい人が多かった。旅人に親切だったのかもしれないけれど、僕にはそれが、南インド全体につながっている印象を受けた。そして帰国して、この「MUSIC OF SOUTH INDIA」のレコードを見つけた。そしてこのレコードに流れている音楽は、実に南インドを思い出させてくれるのだ。

 そのメロディーは、ゆったりとしていい。そしてどの音を聴いても、人間的なあたたかさを感じる。南インドは広くて豊かだ。

 その音楽の輪郭はどれも丸く、ゆっくりとした弧を描いている。

 まるで大きなカボチャの丸さのように・・・。

 僕には、南インドの音楽がどれも懐かしく、なおかつメロディーに物語を感じる。唄っている人も場所も楽器も空気も、みんなメイド・イン・サウス・インディアというふうに思える。

 そう思える気持ちの中の70パーセント以上は、僕の南インドでの旅の印象によるものだろう。それは自分でもよくわかっている。しかし南インドには、味わいある作品と物語の生まれる環境があるように思う。その作品は、どれもユニークだ。

 ・・このアルバムは「LYRICHORD」のいうレーベルから出ていたレコードだが、このレーベルの民族音楽のレコードはどれもよく編集されていた。いまインターネットで調べてみても、CD化はされていないようだし、レコードも出ているか不明だ。もったいない話だと心から思う・・


 vol.22「最近の唄/ レナード・ コーエン 197910/11
         試聴・アルバム紹介


 もう15年以上も前の話。

 僕は6畳の部屋に住んでいて、座っているコタツから見える白い壁の柱に、CDジャケットのコピーが貼ってあった。

 それはレナード・コーエンのアルバム「最近の唄」だった。イラストではあるけれど、前を向いているそのジャケットを、何年間か僕は、毎日眺め続けていた。

 もちろんそれは僕の憧れでもあり、その頃、本気で最高のアルバムだと思っていた。ひとつのイメージの完成。レナード・コーエンという男が、やってのけた傑作。僕の6畳の部屋の中で、コタツからそのイラストまで、長い長い道が続いていた。

 レナード・コーエンはカナダの人で、1950年代の大学在学中に初の詩集を出版し、まず詩人として有名になり、'68年にシンガーソングライターとしてデビューした。表現豊かな歌詞。低音の声とともに、クラシックギターを弾く歌のスタイルは、なんともノスタルジックであり、彼独特の歌世界を作っていた。

 6枚目のとき、エコーサウンドで有名なフィル・スペクター氏のプロデュースにより、派手なサウンドのアルバム「ある女たらしの死」を発表したが、賛否両論持ち上がった。

 しかし、その次のアルバム「最近の唄」では、うって変わって弦楽器を中心にした落ち着いたサウンドになり、楽曲も含め素晴らしいアルバムを制作した。

 なんと言っても、このアルバムタイトル「最近の唄」というのがいい。1979年といえば、ディスコサウンドがまだ次々ヒットしていた頃、このアルバムのサウンドは時代の流れとは逆のようだ。

 そのアルバム「最近の唄」は、ロックと呼ぶには、あまりにアコースティックだった。バイオリン・ベース・クラシックギター・そして民族楽器のウードも印象的に入っている。それらが低音のレナードの声によく合っていた。どの曲もスローであり、地味といえば地味ではあるが、その歌世界は最後まであきさせない力があった。

 とにかく何度聞いても新鮮であり、作品の傑作性も含めて、アルバム「最近の歌」は僕の音楽の宝物となった。そして何よりも僕を感動させてくれるのは、このアルバムが、「ある女たらしの死」の次に発表されたという事実だ。前作でいろいろ言った人たちも、「最近の唄」には文句なしの評価を送っただろう。

 ファーストから始まって、レナード・コーエンは出すアルバムごとに、素晴らしい作品を残して来た。個人的には、どのアルバムも愛聴盤であり、比べることができないが、この「最近の唄」には、僕が好きな作品が数多くが入っている。

 一曲目「客」(ゲスト)は、特に印象深い。「ひとりひとり客が到着する。善意に満ちた人、打ちひしがれた人・・この夜がどこにゆくか誰も知らない。そしてあなたがあなたが必要だ」と唄う。一曲目がいいと思っていると、次々に好きな歌が増えてゆき、結局、アルバムの全曲が気に入ってしまう。

 レナード・コーエンの歌には、豊かな詩情がある。レナード自身も言っていたことだが、詞と曲を作るために相当の時間をかけるらしい。出来上がった作品は、これ以上ないほど言葉が選ばれていて、表現が的確であり、なおかつ新鮮だ。まさに磨かれた輝きがあり、職人に近い。

 そんな「最近の唄」のアルバムジャケットを、いつも目の前に眺め、僕はそこからパワーをもらいたかったのだ。

 「最近の唄」の次のアルバムは6年後の1985年に発表された。そのアルバムには、多くのミュージシャンがとりあげることとなる「ハレルヤ」が入っている。


 vol.23「負ける時もあるだろう/三上寛 197810/15


 トランプがある。どのカードもひっくりかえせば、何かしら数字や絵柄が出てくる。

 そんな中で、一枚だけ表も裏もないカードが混じっている。

 「あれ、君はだれだい?」

 そう問いかけると、カードはこう答えるだろう。

 「もともと、ここにいたんだよ。ただ気付かなかっただけさ」

 日本で出たアルバムの中で、三上寛の「負ける時もあるだろう」は、とても特別の位置にあるように思う。それは、歌の持っているベクトルが、一枚の写真のようなのだ。スピーカーもあり歌も流れて来るのだが、その歌は僕の体を通り、またアルバムに戻ってゆく。

 何十回聞いても、聞いても、このアルバムの歌たちは、「今ではないよ」と問いかけてくる。すっかり食べたつもりの饅頭が、気が付けばまたお皿に乗っている。

 そんな、サヨナラのない一枚のアルバムようだ。

 このアルバムには、全7曲が入っている。「二度までのセリフ」「ストリッパーマン」「ふしだらの傾向」「リゴー遺稿集より」「街で」「海男」「負ける時もあるだろう」全曲通しても約35分と短い。

 正直言って、全曲良い。特に「海男」はすばらしい。かって、こんなふうにリアルに、聞いている人の気持ちを波のように動かせた歌があっただろうか。「ストリッパーマン」もまた、一度聞いたら忘れられない作品だ。

 そしてアルバムのラストは、タイトル曲の「負ける時もあるだろう」でしめられる。8分半もある大作だ。管弦楽をバックに朗々と唄いあげられてゆくひとつのテーマ。

 このラストの歌を聴いていると、もうすでに、カードがひっくりかえっていることに気が付く。裏にしていたカードが、いつのまにか表になっているのだ。

 「負ける時もあるだろう」・・このアルバムは七面にカットされた、何かの原石のようだ。かって誰も想像出来なかった35分がつまっている。

 僕はこのアルバムを名盤の棚に並べようとするけれど、どうもしっくり来ない。棚ではなくて、どこかにすっかり置き忘れてしまいたい気持ちになる。

 いつか、僕の方から探す日がくるだろう。


vol.24IF I SHOULD FALL FROM GRACE WITH GOD /ザ・ポーグス 198810/18
  試聴・アルバム紹介

 
 どんなトンカチが、憂鬱な昼間を壊してくれるだろう。

 どこかに急いで出かけなくてはならないとき、外に走り出すと、たいがいは何か忘れものを思い出す。それでも時間の方が大事で、普通はそのままで向かってしまう。そして、やっと間に合う電車やバス。

 あらかじめ決められたようにはゆかなくても、だいたいのところはなんとか進んでゆく。ポケットに財布が無かったりすることもあるだろうけれど・・。

 でも忘れて来たものには、何か大事なヒントがあるようにも僕には思える。

 ひとつの場所に待ち合わせをしても、同じ道を通ってくることはほとんどありえない。いろいろと寄り道をして、結局着いた場所でさえも相手とは違うことは多い。同じ場所というところにもともと無理があったのだ。ただ気持ちだけは一緒だったと言えるだろう。

◇◇◇

 アイリッシュトラッド音楽を基盤にしながらも、パンクの臭いを感じさせる「ザ・ポーグス」というバンドがある。(・・もう解散してしまったが)

 ザ・ポーグスのボーカルはシェインは、何かを投げつけるかのようにいつも歌う。しかしそれは実に味わい深く、歌を最大限に表情豊かに歌いあげることの出来るシンガーの一人だ。

 バンド自身はしっかりとしたテクニックで、シェインの歌を支えている。その作りだすサウンドはスピード感にあふれ、トラッドパンク民族楽団という表現がぴったりだ。

 それにしてもシェインのボーカルは魅力的だ。どの楽曲も彼なりに歌いこなしている。

 ひとつの楽曲を歌いこなすことは、かなり大変なことだと思う。とくに自分の作品でないときはなおさらだ。歌といえど人格があり、息をしたり、歩き回ったり、飯を食べたりすることもある。椅子から立ち上がるときには、そこには影が出き、ドアの閉め方にも特徴はあるだろう。 

 そして歌だって、そこに忘れものをする。

 一曲を、感じとるには、ある程度の直感が必要だ。シェインというこのシンガーは、作る作品も含め、シンプルに何かをつかんでいることが伝わってくる。むずかしいと感じさせる歌を歌っていない。

 ザ・ポーグスのサードアルバム「IF I SHOULD FALL FROM GRACE WITH GOD」は、有名すぎる作品だ。しかしやっぱりこのアルバムを、一枚選ぶことにした。作品の流れといい、やっぱり一番だと思うからだ。

 アップテンポのアイリッシュビートのノリが続くなかで、バラード風でメロディーの美しい「Fairytale Of New York」(ニューヨークの夢)はアルバムの中でも、きわだって印象的だ。クリスマスの夜に酔ってあぱれた男が、牢屋の中で若かった頃の夢を観ながら、そこからクリスマスソングと鐘の音を聞くというストーリーが展開される。

 そして、このアルバムはダンスミュージックのジャンルにも入るだろう。聞いている誰もがそのサウンドに体が揺れてくるのは確実だ。理由もなく憂鬱になったりするとき、僕はこのアルバムを聴くことが多い。まるでトンカチのように、そんな気持ちを壊してくれるからだ。



vol.25
ジャスト・アナザー・ダイヤモンドデイ /ヴァシュティ・バニアン 1970
10/23
  試聴・二曲目(リアルmp3)一曲目(リアルmp3) ヴァシュティ・バニアンのHP アルバム紹介

 夏のどこかにカナブンがいる。

 今の季節がいつだとしても、生まれた場所から遠く離れているとしても 、僕らもまた同じ夏に今もいるだろう。

 腕をまくってごらん。

 その風景もまた、陽に焼けて小麦色がかっている。

 ビスケット三個の話は、三個のままで、いつまでもその夏に残り、古くなったりはしないだろう。

 僕がイギリスの女性シンガー、ヴァシュティ・バニアンを知ったのは、テレビの旅番組で少しだけ流れたからだった。クラシックギターとボーカルだけのシンプルな歌だったけれど、そのウイスパーヴォイスの響きには時代を超えた透明さがあり、なおかつ未来を感じさせるものだった。

 調べてゆくと、ヴァシュティ・バニアンは1970年に一枚だけアルバムを出していて、30年の時間を経て数年前にCDが再発されていた。輸入盤で僕も取り寄せ、アルバムを聴くことができた。オリジナルレコードの方は、ものすごく高値でオークションされているという。30万円近い数字も目に入った。

 レコードのCD化をするには、アルバムの権利も含めていろいろと大変なこともあるのだろう。1970年といえば、もう30年もたっているわけで、僕の記憶ではさほど時がたっていないように思えても、レコード時代の多くの名盤が埋もれていっているのは事実だ。しかしこうしてCD化されることで、僕の部屋にもあるということは素晴らしい。

 届いたCDを聞いてみると、それは確かに'70年の録音と音ではあるけれど、このアルバムは、クラシックギター、リコーダー 、ピアノ、バイオリンなどが中心で、ほとんど電気的な楽器が入っていない。最近のアルバムと言われれば信じてしまう。

 逆に、最近に出たアルバムと言われた方が、納得してしまうようだ。

 アルバムが部屋に届いてからずっと聞き続けているが、不思議なヴァシュティ・バニアンのひとつの世界を感じている。それは、まったく時間に対して古くなってゆかない不思議な世界だ。

 理由はわからない。

 そしてこのアルバムには、確かに癒しの効果があるのを感じている。聞き始めてまだ三ヶ月もたっていないけれど、僕の中で、永遠にも似たあるひとつの時間が生まれた。先の先の先にも、このアルバムを手に取っている自分もはっきりとわかる。それは簡単に20年、30年と、たってしまうだろう。

 僕には、このオリジナルレコードに30万円を出したという人の気持ちがわかる。それは一枚の絵のような効果なのかもしれない。ジャケットも実に味わい深い。

 このアルバムに多くの人が出会って欲しいと、僕はこころから願っている。


 vol.26ビューティフル・ビジョン /ヴァン・モリソン1982」10/28
試聴・アルバム紹介 


 
僕はヴァン・モリスンがかって、インタビューで答えた言葉がずっと忘れられない。 

 「一曲を仕上げるためには、強い強い気持ちが必要なんだ」

 僕はいつも歌作りに挫けそうになるとき、このシンプルな言葉を思い出す。

 ヴァン・モリスンのその言葉は、僕のつま先から全身を震えさせてくれる。そして自分に問いてみるのだ。

 (・・それだけの気持ちはあるか?)

 ヴァン・モリスンの魅力はなんといっても、その特徴あるボーカルにある。その声が聞こえてくるだけで、僕は金縛りのような状態になってしまう。

 なんと言ったらいいか、鉱石のような堅い響きがあり、それでいて飛ぶはねる魚のような自由さもあるボーカルだ。ちょっと気を許して聞いていると、ヴァンの声はいつのまにか、高いテンションに流れの中に入ってしまう。それはまるで試合でのボクサーのパンチのように、耳を打ってくる。

 ・・なぜ、ヴァンは、声のパンチを打ってくるのか?

 そしてそのパンチは、ヴァン自身へと向かっているようにも聞こえてくる。歌の最後にはヴァン自身でさえも、どこかに飛んでいってしまうようだ。

 それもとても自然に・・。ヴァンには、そうなってしまう何かがあるのだろう。

 1982年に発表された「ビューティフル・ビジョン」というアルバムは、デビューしてから15年目になる作品だ。バグパイプをフューチャーした一曲目「ケルティック・レイ」で始まるこのアルバムは、ヴァン・モリスンファンならば、誰もが認める代表作の一枚である。

 特に1曲目「ケルティック・レイ」、2曲目「北の女神」の二曲は、ヴァンの豊かなイメージによって書かれた、傑作のひとつだと僕は思う。「北の女神」の中で、ヴァンがこう歌う。

 「♪北の女神は、堅い大地を、ふるさとを歩いてゆく。知恵の母となり、歩いてゆく。その足どりにあぶなげなところはない。・・・北の女神に会ったら、よろしくと言って欲しい。僕もまたあなたに憧れて、旅をはじめたのだと・・」

 ・・北の女神にあったら、よろしくと言って欲しい・・。このフレーズは、実にヴァンらしい一行であり、それがまたとても似合ってしまうシンガーの一人だ。

 ヴァン・モリスンの魅力は、あげていったらきりがないけれど、僕はその「歌ごころ」に、一番感銘を受ける。どんな歌であれ、ヴァンは堂々と歌いあげてしまう。たとえそれが童謡のような歌であっても・・。

 僕の夢のひとつは、ヴァン・モリスンのコンサートを実際に見ることだ。一度、その歌と声のパワーを浴びてみたい。


 vol.27オール・ザ・ニュース・ザッツ・フィット・トゥ・シング /フィル・オクス1964」10/31
  
試聴・アルバム紹介 

 フィル・オクスはまるで、歌を新しいペンキで塗ってゆくように聞こえる。

   ◇

 僕はフィル・オクスついて、そう多く知っているわけではない。

 フィル・オクスと言えば、アメリカのフォークムーブメント時代に、人気を博した人で、今もその評価は変わっていないかもしれない。

 僕は1966年発売のライブアルバムを、かって一枚持っていた。そのアルバムは、なかなかよく出来ていて、かなりの間、聞き込んだ。その流れるようなボーカルと作品の完成度は、何度聞いてもあきることはなかった。

 そして最近、フィル・オクスの1964年に出したファーストアルバムを、僕は手に入れた。ずっとレコードで探していて、見つからずあきらめていたのだが、CD化されたのを知り、とりあえず買ってみたのだ。

 ジャケットのデザインといい、アルバムタイトルといい、みごとに時代性が出ていて、音もまた想像できるものだった。

 弾き語りシンガーのファーストアルバムは、作品が粒ぞろいであることが多い。このアルバムもフォークアルバムとして、相当に売れたことがわかるほど、アルバムとしてまとまっていた。

 たいがいの場合、まあ、四・五回ほど聞いて、そのままCDラックにしまってしまうことが多いのだが、このアルバムの場合は別だった。

 歌が古くなっていないのだ。

 たぶん本人は、普通に弾き語りフォークミュージックを歌っているつもりだと思うけれど、僕には、歌が銀色の輝きを持ってスピーカーから響いてくるように聞こえる。

 特に四曲目から8曲目にかけては、どの曲も映画の主題歌になってもいいほど、素晴らしい出来であり、時代性もすべて越えてしまうほど、作品とボーカルと演奏の良さが際だっている。

 フィル・オクスは、どこまでも行けたはずだったのにと思う。

 歌の再生能力の素晴らしい持ち主だと僕は思う。

 古い一曲があり、その歌がよみがえるためには、たぶんふたつの道がある。織ったばかりのセピア色の服を着るか、それとも、時間のない服を着てくるかである。

 フィル自身、いつも、そのふたつの間に立っていたのかもしれない。


 vol.28アトラス / PSY・S 1989」11/4
  
試聴・アルバム紹介

 そんな昔のことを、言ってみよう。

 教室。教室は四角い。だいたい歩いて回れば、20秒もかからないほどの広さだ。

 クラスメイト。クラスメイトのみんなでさえも、きっと20秒もかからず、ひと回りすることも出来るだろう。

 人数は約40人。40人って、今思うとやっぱり多いかな。毎日、同じ教室にいながらも、なんだか遠い人たちが居る。

 それは女子のみなさんだ。わいわいがやがや、みんなそれぞれに盛り上がっている休み時間。僕は、ずっとN極とS極の磁石のどちらかの端っこに居たような気がする。

 まるで僕はいつも、セルロイドの下敷越しに、女子のみなさんを眺めていたようだ。

 そんな教室時代。そんな昔の話。

 ◇◇◇

 もうとっくに解散してしまったが、「PSY・S (サイズ)」という男女二人組のユニットが1985年から96年にかけて日本の音楽シーンで、活躍していた。

 オリジナルでは、あるけれど、今で言うとところの「J-POP」と言う表現がぴったりかもしれない。

 たまたまTVで「水のマージナル」のプロモーションビデオを見て、それが相当に良かったのだ。

 それまで僕の聞いて来た音楽と言えば、日本のマイナーフォークとか、ディランとか、レゲェとかばかりで、日本のPOPS系は、ほとんど通りすぎて来た。そんな僕だったけれど、何か強く、心にひっかかったのだ。

 さっそくCDを手に入れた。それがアルバム「ATLAS」だった。chakaさんボーカルは、張りがあり、素直でまっすくな印象をみんな受けるだろう。まるでディランと、正反対のようだ。

 まあ、それは極端な例ではあるけれど、でも、僕の心に届くという意味では、同じだった。

 しかし、僕が、このアルバムやchakaさんについて何か、書こうとしたりすることはきっと出来ない。それは、僕にないものが、そこにあるからだ。

 スピーカーと僕の間には、まだセルロイドがあり、それを通して、ずっと聞いているような気がする。どんなに聞いても、手を伸ばしても届かない位置にある。

 実はずっと、僕はchakaさんのファンだ。(ファンと言っても、応援しているひとりというくらいでしかないが・・)

 chakaさんは今もライブを続けていて、聞きに行こうと思えば、いつでも足を運ぶことも出来るのだけれど、その日はいつやって来るのだろうと思う。

 自分でもわからない。chakaさんの歌をきくと、未だに、あの教室の隅に自分がいるような気がしてくるのだ。


 vol.29グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー / ボブ・ディラン 1992」11/7
  
試聴・アルバム紹介 「蛙の求婚」(リアル・オーディオ音源) (メディアプレーヤー音源) 歌詞



 ボブ・ディラン。

 名前には、響きがある。

 僕がもし、記憶喪失になったとしても、きっと思い出すきっかけになる言葉の響きと声があるだろう。

 耳にとっては、自分の名前よりももしかしたら、ピンと来る響きかもしれない・・。

 ◇◇

 ボビーは今も、「ネバー・エンディング・ツアー」と題して、信じられないほど数のコンサートをバンドでの続けている。一説では、ライブ中毒だという話もある。もうデビューして、40年という年数が過ぎたボビー。今年で、62才。

 僕は、心の中で、ボビーのことを「オヤジ」と呼んでいる。もうちょっと年が近ければ「アニキ」だったかもしれない。

 そのオヤジは、僕らがやりたいと思うことをやって来たシンガーだ。人間、アルバムを30枚も40枚も出していれば、ある程度は限界もやってくるだろう。数年に一度はニューアルバムも出しているが、僕はそれがどんなアルバムであれ、受け止めてゆこうと思う。ここまで来たら、ボビーの人生そのものに最後までつきあいたい。

 そんな、心のオヤジが、1992年に一枚のアルバムを発表した。それは、アメリカのトラディショナルソングを、ギター一本とハーモニカで歌ったアルバムだ。

 それは、アルバムとして特に珍しい企画ではないけれど、堂々とディランが、あえて出したという意味では、記念すべき一枚だ。

 このアルバムが出たとき、ディランがフォークに戻って来たと、誰も騒ぐ人はいなかったと思う。もともとトラディショナルソングをライブでもよく歌っていたので、自然といえば自然なアルバムだ。

 このアルバムを聴いていると、ディラン自身が、トラディショナルソングを大切にしているその気持ちがよく伝わってくる。めだったことをしようとする意図も強くは感じられず、楽曲そのものに向けて演奏と歌は捧げられているようだ。

 僕自身もよく、トラディショナルソングを歌うことがあるけれど、シンプルな歌であればあるほど、個性を出すのは、その歌をよく知らなくては出来ないと思えてくる。

 このアルバムには、トラディショナルのソングの多くパターンが含まれているが、僕がさすがに感心したのは、最後の「蛙の求婚」という、19番もある歌だ。歌詞の内容は、蛙がねずみさんに求婚をし、結婚式を川岸で挙げるのだが、次々とやってくるお客さんが、何もかも食べちゃうというストーリーだ。

 メロディーも歌詞もストーリーも素晴らしいのだけれど、なにしろ19番まであるので、最後まで飽きさせないことがなかなか大変だ。そしてディランはみごとに、歌いこなしている。6分23秒もある歌だ。

 そしてこの歌は、チルドレンソングとしても有名なのだと言う。

 僕はこの歌を歌っているときのディランが本当に好きだ。

 この歌に登場してくる、かえる、ねずみ、コガネムシ、蜂、蚤、雌牛、蛇、猫、ほか、それを歌うときのディランが何とも言えずいい。

 なんだか、「蛙の求婚」の歌の解説みたいになってしまったが、この歌のもうひとつのテーマは、「歌う楽しみ」ということだろう。

 いい歌だ。。僕も同じように歌ってみたけど、ディランのようには歌えなかった。

 心のオヤジは、この歌の終わりのフレーズ、そしてこのアルバムの最後を、「もっと歌いたきゃ、自分でどうぞ」と結んでいる。


 vol.30グッド・サン / ニック・ケイヴ &ザ・バッドシーズ1990」11/11
  
試聴・アルバム紹介 


 御輿は壊れても、祭りはまだここにある。

 かつての船がそこにないとしても、また作ればいい話だ。それは昔と違っているかもしれないが、昔の船もまたそうやって作られたに違いない。

 時を待つということは、日めくりを、もう一度もとに戻していることと同じかもしれない。やがて、めくっていたのはただの紙だったと気付くだろう。

 どこかに行くためには、誰の手足でもなく、自分で歩いてゆくしかない。今日残った荷物は明日にも、枕もとにあるだろう。それでいい。

 ◇◇◇

 ニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズはキャリアの長いバンドだ。僕が知ったのは、ここ数年の話で、聞くきっかけがなかったということもある。イギリスのパンクな若いバンドという印象もあったのだ。

 しかし実際に聞いてみると、ニックの作り出す音楽のルーツには、僕の世代が影響を受けた人たちの流れが、確かにあるのがわかる。

 初期のアルバムは、荒削り風にも聞こえるサウンドが、ニックの存在感のあるボーカルと重なり、混沌の中を突進するような独特な世界をすでに作り出していたが、その数年後、思いがけないほどに豊かなアルバムを作ってくれた。

 1990年に出た「グッド・サン」というアルバムは、一曲目から、ニック・ケイヴの世界をみごとに見せてくれている。そして傑作アルバムの予感をくれる一曲目だ。

 このアルバムを表現するならば、すでにある古代の彫刻を見るような想いがする。スピーカーから流れる音楽が、空気を削ってゆく。全9曲がそれぞれに呼応しあい、大きなエンディングにつながってゆく。

 作品の良さもさることながら、ザ・バットシーズの演奏は、まるで生き物のように耳に迫って来て、その迫力に押されてしまう。普通に聞くと、どこか古くさい音にもきこえるが、よく聞くと、みごとにエレキバンドに再生されている。

 ・・音に彫刻されてしまうのは、聞いてるハートの方かもしれない。

 ニック・ケイヴの見せてくれた、この世界は、まるで生きている沼のようだ。何か神秘が、シーンとなって次々と水面に浮かび上がってくる。そしてニックは、ひたすらに、歌うその語り部だ。

 このアルバムが出た当時のライブが納められたビデオが出ている。ステージでのニックは、アルバムの中のニックよりも、さらにパワーがあり、僕は驚かされた。

 ハンドマイクで、感情のままにステージを動き回っていて、一曲集中という感じであり、そのパフォーマンスは、空気をえぐるかのように、立体的だ。

 長々といろいろ書いてきたけれど、簡単に言うと「ニックは、やったな」ということだ。

 ニックの体からもう一度生まれて来た、新しい音と船がある。


vol.31 ロンサム・ロード・ブルース・15 Years In The Mississippi Delta 1926-41/Yazoo L-1038 11/14

試聴・アルバム紹介 一曲目

 ・・道に最終回はない。

 こんなかっこいい言葉を言ってしまえるような自分でもないのですが、とりあえず、このシリーズはここでひとくぎりとなります。30枚のアルバムを紹介してきましたが、これはひとりの唄うたいが、わがままいっぱいに書いてきた心のエッセイです。

 これでもまだかっこいいことを言ってますね。だいたい人のアルバムのことを語ったり、選んだりは出来ないものです。僕の部屋に遊びに来たとき、何も言わずに、かけてみたいアルバムという感じで思ってください。

 「いやぁ、それにしても青木さん、アルバム選びが偏ってませんか?」

 「どうして、ジョン・レノンやボブ・マーレーやニール・ヤングが出てこないのですか?」

 そんな言葉が聞こえてくるのもよくわかっている。しかし、ここは僕の町の商店街で、駅にやって来たあなたと、30軒のお店に一緒に入ったようなものだと思って欲しい。

 その商店に並んでいる、いろんなもの。

 「見て見て、これ、面白いでしょ」

 まあ、そんな感じかな。また路地に入って、そして僕が言います。

 「こっち、こっち、ここです」

 僕が一緒に寄った店には、どこか共通するものがきっとあるでしょう。

 友達が僕の部屋に遊びに来たとき、こう言いました。

 「引っ越しても、やっぱり青木さんの部屋のにおいがするね」

 それは、僕自身にはわからないものです。

 さて、30番目のアルバムは、古いブルースのレコードを多く出しているYazooの「 ロンサム・ロード・ブルース」。

 日々、ブルースははほとんど聞かない僕ですが、このアルバムはジャケットとタイトルが気に入り、買った一枚です。いろんな人のオムニバスですが、一曲目のビック・ジョー・ウイリアムスの名前だけ知っていました。

 ・・そう、『ジャケ買い』したのです。

 僕はそうやって、よく内容も知らないアルバムを多く買ってきました。三枚に一枚当たれば、最高です。そうやって見つけたアルバムは宝物になってます。

 「ロンサム・ロード・ブルース」。このアルバムをこのエッセイの終わりの一枚としましょう。

 どこかで聞いたらよろしくと!!


「どこかで聞いたら、よろしくと」 (前半)  vol.0〜14
 vol.0「世界のこちらから」 vol.1「カムアライブ・イン・コンサート/ジャグジット・アンド・チトラ シーン (india)1979」vol.2「アライブ・オン・アライバル/スティーヴ・フォーバート1979」 vol.3「ジプシー・ミュージック/バログ・カールマン and メータ(ハンガリー)1990 vol.4「ミックスド・バッグ/リッチー・ヘブンス 1967 vol.5「ア・ウイッシュ/ハムザ・エル・ディン(スーダン) 1999 vol.6「無残の美/友川かずき 1987 vol.7「ダスト・ボウル・バラッツ/ウディ・ガスリー 1940 vol.8「サンシャイン・スーパーマン/ドノヴァン 1966 vol.9「ザ・ラジオ・ティスダス・セッションズ/ティナリウエン (マリ) 2000vol.10「お前まだ春らかや/富所正一 1977 vol.11「青春の詩/よしだたくろう1970 vol.12「Sounds of The Desert/Music from Rajasthan, india1982 vol.13「ビルマの竪琴/演奏 ウ・ミン・マウ 他 1971・78 vol.14「エブリバディズ・トーキン/フレッド・ニール 1969

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