青木タカオの「ちょっくら・おん・まい・でいず」  今月に戻る
過去ログ「拝啓、文房具様」日記付き'01.2月

「なぜだろう? 文房具」2/1

 新しいノートも好きだけれど、新しいペンも好きだ。

 いままでいったいどのくらいのペンを買っただろう。とりあえず机の引出しには今、いっぱいにペンが入っている。そのすべてが、まだ全部使えるのだ。それでも僕は、また新しいペンを買って来る。「まだ書けるじゃないかあ!!」

 まだ書けるんだけれど、どうしてもまた買ってしまう。新しいペンがそこにある限り、一応買ってみるのだ。もしかしたら、すごく持ちやすいかもしれない。きっと、握りやすいにちがいない。だって、そう書いてあるもの・・。

 コンビニエンスストアーに寄る。するとなぜかいつも文房具のコーナーに行ってしまう。新作のペンを見つけてしまう。(おっ、いいじゃないか!!) なぜそう思うのかは、自分でもわからない。わからないのだが、そのまま、レジに持っていってしまう。

 なんだか、新しい文がいっぱい書けるような気がしてくる。早くバイトが終わらないかなぁ。僕は新しいペンを、バイト用のポシェットの中に忘れないようにしまっておく。

 (また買っちゃったよー) そんなふうに思えるのなら、きっと買ってはいないだろう。それよりも、帰りの電車で、何かいっぱいアイデアがそのペンによって生まれそうで、ウキウキしてしまうのだ。(あの色がいいよなあ。見ているだけで、書けそうな気持ちになるよ。よし、早めに帰るぞ!!)

 新しいノートもまた同じ気分になってしまう。なぜか、書けそうな気がしてくるのだ。実際に気持ちよくスラスラと書けることが多い。

 バイトでひと疲れして、ここはやっと電車の中。いつものようにカバンを開けて、ノートを出す。さてペン。さて・・。(あっ、ポシェットに忘れてきた。大失敗!!)

 そんなこんなで、いっぱいのペンが机の引き出しにある。それでも、なぜか嬉しい。ああ、文房具って不思議さ。1/31 今日はひと休みのはずだったのに、なぜか、いろいろと忙しい。洗濯とかね。大谷と、モーニング。昨日の地下紅白の事を話す。ホントやってよかった。なんだか幸せのぼんやり疲れ状態でした。

「♪ニガイはえんぴつ」2/2

 「えんぴつ」って声に出してみるとなんだか、胸が妙に痛くなって来る。その思い出は、ちょっと苦い。

 それは、ポケットの中にあったり、ランドセルの一番底にあったり、机の中のはしっこにあったり・・。僕の鉛筆は、常に芯が折れていたような気がする。それに、鉛筆は長いはずなのに、僕の使っていた鉛筆は、いつも半分の長さしかなかったように思う。

 HBからはじまって、やがてHへ、そして2H。僕はたいがいHBだった。字のうまいヤツは、小3くらいで、HBを卒業してゆく。きちんとした字。筆箱に並ぶ鉛筆。その先はきちんと削られている。だいたい僕は、文字を書くということさえ、好きではなかった。HBの芯は、とても折れやすい。折れやすいので、いつも僕の鉛筆は折れていて、先がなかった。

 (家に帰って、削ってくるぞ)。 そうは思う。でも、削って来たことなんてなかった。思い出せるわけがない。昨日の鉛筆はもちろん昨日のままだ。折れた芯をなんとか、もう一度、もとに戻してみる。これが意外とうまくゆくんだよね。折れなかった方を上にして、書いてゆく。

 でも結局は、ポキッと折れる。芯の再生不可。さて、必殺技でも出すか。人間えんぴつ削りになって、歯で、芯を出して行くのだ。これが苦いんだ・・。そして芯自身は、まだ丸い。でもさすがに芯は、歯で削れない。字なんて、太くたっていいじゃないか。

 鉛筆はとてもシンプルな筆記具だ。でも、どうも小学校低学年の僕には、使い勝手の悪い筆記具だった。僕の鉛筆の思い出は、かじっていた記憶ばっかりだ。鉛筆の味は苦い。そして、なぜかいつも半分の長さしかない。残りはどこにいったんだろう? きっと食べたのだ。

 いつか、謝れるのなら、僕は鉛筆にこころから謝りたい。鉛筆の方でも、一度僕を殴ってもらいたいくらいだ。2/1 今月のバイト初めは雨。午後4時頃泣きそうになってしまう。帰り秋葉原で、信じられない程、おいしいとは言えないラーメンを食べる。これも泣きそうになってしまう。「看板に偽りあり」って書いておいて欲しいよ。

「キリン消しゴム事件」2/3

 小学校の頃、学校に、遊ぶオモチャは持って行けなかったが、文房具は持って行けた。

 筆入れに始まって、 キャラクターの柄付き鉛筆。イラストの描かれた下敷き。メカニックなシャープペンシルに、匂い付き消しゴム。消しゴム? そう、僕には、消しゴムに、せつなーい思い出がある。

 田舎の文具屋というのは、どこもゴチャゴチャしてて、最近の物から、時代が違うような物まで、一緒に並べられてある。それは、オモチャ屋さんよりも、より神秘的で、こころがときめく。小3の時だったと思う。友達と、町はずれの文具屋に入って、消しゴムを見せてもらったら、普通の消しゴムの5倍もあるような大きさのやつがあった。普通の白色だったけれど、そこにはキリンのイラストが描かれてあった。

 「おー、すげえよこれ!!」。そして、もちろん買った。120円だったと思う。次の日、学校に持ってゆくと、キリン消しゴムは、なかなかの話題になった。どんなに大きくても、消しゴムは消しゴム。オモチャではない。が、筆入れの中に入らないうえ、実際に使うときの、使いづらいこと、使いづらいこと・・。

 ある授業のとき、とうとう先生に、キリン消しゴムは見つかってしまった。「なんだこれはー!!」「消しゴムです」「先生が預かっておく!!」。 キリン消しゴムは、そして取り上げられてしまった。放課後には、返してくれるだろうと思っていたが、「いずれ返すけれど、しばらく預かっておく」との事だった。「えー、先生、消しゴムだぜえー」

 しばらくして、先生にきくと、あの消しゴムは、学年主任のところに預けてあるという。二週間くらいしてからだろうか、僕は職員室に呼び出された。「アオキ、消しゴムはいちおう返すけれど、大事に使うように」そう言って、引き出しの中から、出してくれたナイロン袋。そこには、五等分に切られた、キリン消しゴムが入れられていた。

 「えー!! これ、あんまりですよー」。教室に戻って、キリン消しゴムを机の上で、もう一度イラストどおりつなげてみる。ああ、かわいそうなキリン。それも切り口が、ななめになったりしている。「こんなんじゃー、意味がないよー」。でも、結局は無くなるんだから同じかなとも思った。それにしても、なぜ二週間もしてから、返してくれたのだろうか。

 学年主任は、相談され、考えたのだろう。「じゃあ、この消しゴムは切って渡しましょう。でも、今渡すとショックだろうから、しばらくしてからがいいですね」そう言ったかどうかはしらないが・・。今、思えば、そんな大きな消しゴムを作った所に無理があったようにも思う。どうせ、消しゴムのイラストなんて、すぐ消えちゃうんだけどね。2/2 自転車に乗っていると、前の自転車の後ろの女の子が、ずっと、空を首を後ろにして見上げていた。お母さんは知らないだろうなぁ。僕もああやって動く空をながめていた気がする。

「筆箱よ、君は元気かい?」2/4

  今でも、筆箱と呼ばれているんだろうか?

 しょっちゅう文具屋に行くのだけれど、ここ20年くらい筆箱売り場に立った事がない。筆入れに用がなくなったせいだろう。最近の筆箱事情はどんなだろうか? 想像がつかない。まだマグネット式は出ているんだろうか? 象が踏んでも壊れないヤツはあるんだろうか?

 筆箱には、壊れるヤツと、壊れないヤツがある。マグネット式のふたのヤツは、なんといっても、壊れやすい。使っているうちに、ふたの付け根のところが、さけてくるのだ。それは僕の使い方が荒かったせいかもしれない。きっとそうだ。でも、毎日使う物だもの、そんなにすぐ壊れちゃ、困るよねぇ。

 そして、壊れない方の筆箱だ。僕が小学校に入学した頃、「象が踏んでも壊れない」というCM で、有名になった筆箱が売られていた。なんて言うメーカーだったか忘れてしまったが、なんだか、気が遠くなるほど、長もちしそうな筆箱だ。一生使えそうだ。一生使っている人もいるかもしれない。色付きのプラスチック。太陽をのぞくとキレイなんだよね、あれ。

 今、筆箱はどうなっているんだろうか? 鉛筆が差し入れられる、あの、丸い輪の並びはあるのだろうか? 現代っ子は、きっとシャープペンシルを初めから使うのかもしれない。全部で、三本くらいの筆記具で済むのかもしれない。上下二段になっているのは、まだあるのだろうか? 両面から、マグネットでひらく仕掛けのふたのヤツはまだあるのだろうか?

 机の上に置く。もちろん筆箱は床に落ちる。ガチャーン。あたり一面に飛び散る筆記具。「ヤッター」。何がヤッターなのかは知らないが、授業はいっとき中断。特に、ふたをかぶせるタイプのプラスチックのヤツは、床に落ちたときの衝撃が激しい。「おぉー、芯がおれてるっや!!」。でもこの音がないと、授業が物足りない。筆箱の落ちる音は、バンザイのように、なんだか嬉しい。

 僕が気に入っていたのは、深緑色の透明なプラスチック製の、かぶせるふたのタイプのヤツだ。小さなレンズみたいな丸がいくつも付いていて、何度ながめても、吸い込まれるようにきれいなのだ。その記憶が今も強く残っていて、神秘の色の象徴のようになっている。やがて中学生になると、チャック付きの布製のペンケースを使うようになった。黄色いラインマーカーが、いつも入っていた。そして今は、ひとつも筆入れは持っていない。

 ひとつの気に入った筆入れを見つけられたら、僕は幸せだったかもしれない。でも、僕の筆箱の季節は、机から「ガチャーン」と落としているうちに、終わってしまったようだ。筆箱よ、君は元気かい? 2/3 たった二日間バイトをしただけで、体がへとへとになってしまい。午後は眠ってしまう。どこかにひとつの磁石があり、週に一度、くっ付いてしまうようだ。

「シャーペンライフ」2/5

 大正時代から、シャープペンシルは、あったらしいんだけどね・・。 知ってるかい?

 知ってるよ。知り合いのおじいちゃんが持ってたもの。押すんじゃなくてね、回すんだよね。へんな感じがしたものさ。シャーペンと言えば、 カチッカチッとメカニックな音がして、まるで精密機械のよう。と言うか、マシンだ。ポケットにマシン・・。筆入れにマシン。

 「これからは、シャーペンだよ」小3になった頃、僕は、ノック式のシャーペンを買ってもらった。いや、自分で買ったのだ。300円だったと思う。カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、そして芯が出る。耳を近付けて聞いてみる。これがいい音なんだよねぇ。

 上半分はつや消しの銀色。軸は黒。先っぽはシルバー。それはノック式シャーペンの最初の定番。300円。三菱製。でも、筆箱の中には、シャーペン用のスペースがあるようでない。一番使うところは、えんぴつ用に設定されてあるのだ。そう、例のえんぴつ差し込み用の輪っかの並びだ。

 むりやり、シャーペンをそこに差し込む。もちろんシャーペンの方が太いので、えんぴつ用の輪っかは、広がってしまう。ビニールだから、伸びたらもう戻らない。そのうちブチンと切れる。切れたものはもう戻らない。セメダインで付くかなって思ってしまう。きっと付くと信じてはみる。でも、汚しておわり。悲しーい。

 悲しいと言えば、シャーペンの芯が折れるのも悲しい。いくら押しても、芯が出なくなってしまうときがある。さて、分解だ。キャップを落としちゃだめだよ、授業中なんだから。でも落ちちゃうんだよね。(おーい、ひろってくれー)。 芯は入れ過ぎちゃだめだよ。つまっちゃうからさあ。

 消しゴムが見つからないからって、シャーペンの後ろをあんまり使っちゃだめだ。すぐなくなっちゃうから。ほら、また使ってるう。消しゴムが平らになってるじゃないか。もう一生出てこないんだぜ、シャーペンの消しゴムはばかだなぁ・・。

 そしてシャーペンだけは、落としちゃだめだよ。落としたときは、まず祈るんだ。先っぽから落ちなかったようにね。先が曲がったら、もうお手上げだよ。直そうとして、逆に曲げてみると、つぶれちゃうからね。

 シャーペンだけは、落としちゃだめだよ。2/4 先日ビデオデッキがこわれてしまった。修理には、一万円前後かかるという。それよりも新型の同じデッキが、新品で一万三千円なのだ。さて、どうしょう? 直すべきか、買うべきか? あーあ、買っちゃった。

「シャーペンライフ part2」2/6

 えんぴつと言ったら、みんなほとんど一緒だ。安いボールペンも、やっぱり筒状で一緒だ。それなのに、シャーペンは・・。

 シャーペンには、握りやすさがある。この握りやすさの神秘は、まだ解明されていない。まだ解明されていないので、まるで洗剤のように、次々と握りやすいグリップが出る。これじゃあ、何本買っても、終わりがないよう。

 もともと僕は字が下手だ。文具屋に入って、新しいペンを試し書きする。(すげえー、握りやすいよー) そう思いながら、紙に、サラサラっと何か書いてみる。なぜか、いい文字なのだ。(やっぱり、握りやすさだよね。ああ、欲しい。『この書きやすさ!!』とか書いてあるよー。)

 しかしいくらなんでも、シャーペンを持っているのに、また新しく買うなんてね・・。そこまで僕も、衝動買いはしなかった。そして次の日。授業のノート書き。あいらわらずの字の汚さだ。(ああ、昨日のあのシャーペン握りやすかったなぁ。あのシャーペン買いたいなぁ。よし、今度このシャーペンが壊れたら買うぞ!!) 

 そして、小遣いの入ったあとの放課後、ついつい買いに行ってしまうのだった。僕の頭の中の誰かがしゃべる。「きっと、勉強が楽しくなるぞうー。このシャーペンさえあればね!! ) 「500円です。スタンプカードは持ってますか?」。あーあ、買っちゃったよ、また。

 しばらくは、ノートを取るのも楽しくって、字もきれいだ。(我が、シャーペンに悔い無し!!) なーんちゃって。しかし、シャーペンは、握りやすさとはまた別の、メカニックな部分でも、進化してゆくのだった。芯を出すための押すボタンが、握るところに付いたヤツ、胴体自身が、クニョっと曲がって芯が出るヤツ、そしてペンを振るだけで、芯が出るタイプも出てきた。

 そのたびに「すげぇー」と思って、買ってみるのだけれど、どれも一番困るのが、芯がちょっとだけつまったときだ。普通なら、親指で何回も、カチッカチッカチッっと、勢いよく押せるので、つまりかけた芯も一緒に出てくる。しかし、横に押すところが付いていたりすると、うまく早く押すことができない。それに指が疲れてしまう・・。

 シャーペンは、なぜか0.3ミリの世界に、一度行こうとしたことがあった。なぜかそれが「美」とされていた時代がいっときあったのだ。0.3ミリ・・。それは細いというだけだ。細いぶんだけ折れやすい。刺さると痛い。落ちた芯を拾うのが大変・・。それでも、それが「美」とされた時代があった。そんなこと言ったら、えんぴつの立場はどうなるんだろうか?

 ああ、いつのまにか、勉強机の引き出しにたまってゆくシャーペンの数。一本、二本、三本。いつか使えるとか思っちゃうんだよね。そしてシャーペンの寿命は長い。今も使えるものばかり。そんなシャーペンライフ。2/5 できたばかりの靴屋さんが、バーゲンをやっていた。とおりかかると、ひとりのおばさんが、ためしばきをして、「うわー、完璧だー」とか言っていた。なんだか、僕もその靴が欲しくなった。

「コンパスのちっこい世界」2/7

 コンパスはとっても原始的だ。線から線にちゃんと戻ってくるコンパス。不思議なようで、不思議じゃないそのしかけ。

 コンパスは、文房具の中にはなくてはならない存在だ。そして、シャーペンとはちがうもう一つのメカニックを、僕らにくれた。精密機械と呼んでいいんだろうか? でも、ちょっとだけ人の足に似ている。

 安いコンパスは、安かった。芯のある方が、一体化になっている。そして、ちょっとだけ高いコンパスは、ちょっとだけ高い。芯のある方が、角度調節できるようになっている。おまけにプラスチックのケース入りだ。ここが、コンパスだけのいい所だった。

 あやふやな記憶だけれど、たしか、菱形の3センチくらいのキャップ付ケースの中に、コンパスの替え芯が入っていたよね。キャップが黒で。このキャップケースがまた、いい感じに小さかった。授業中ひまになると、なぜかコンパスが恋しくなり、いろいろと遊んだ。消しゴムを足でチョキンと切ったりね。針で、手の甲をさして、(痛ッ)っと思ってみたり。なかなか楽しめた。

 そのうち、短い鉛筆が使える、画期的なコンパスが登場した。「こりゃ、すごいよ!!」。針のほうはそのままで、芯の方に短い鉛筆を挟むのだ。一石二鳥とはこのことだった。コンパスの未来ここにありと思えた。すぐに買って使ってみる。調子がいいような、悪いような。クルっと回してみる。ごついね。かっこいいような、かっこ悪いような・・。これはコンパスか?

 親戚の家に遊びに行ったとき、僕よりも、3つくらい年下のいとこの男の子が、「いいものを見せてあげようかぁ」と言って、勉強机の引き出しを開けて、小さなコンパスを僕に見せてくれた。一番小さなサイズのコンパス。「ほら!!」と言って、コンパスの足を開けたり閉めたり。小学一年だったかな。彼にとっての宝物だったのだ。そして円を描いてくれた。

 そして円を描いてくれたコンパス。小さな丸、中位の丸、最大限の丸。線から線に戻ってくるコンパス。そのちっこい世界。そのコンパスをもう僕は、20年以上使っていない。いつか遠い曲り角で、コンパスと偶然に出会って、酒でも飲んでみたい。2/6 両国の蕪村展に行って来る。閉館30分前、「もうチケット終了です」と何度も言われたが、むりやり売ってもらう。700円。たぶん、過去最大の蕪村展だろう。あと三回は行こうと思っている。蕪村の事を語れる友がいないのが、不思議でしょうがない。

「ボールペンな日々」2/8

 ボールペンは、なんとも、便利でやっかいなペンだった。使いやすくて、使いずらい。なんだか値段も、中途半端に高かったり、安かったり・・。「字が太すぎるんだよね、この黄色いボールペンは」。小学生の僕は、BICのボールペンの良さもわからず、ポイと机に転がした。

 「なんでボールペンで書いたんだよう!! 」そう何度自分に言ったことか・・。書いたボールペンの修正の仕方は、たった二つ。黒くクシャクシャと文字を消すか、なんとか線をつないで、正しい文字に直すかだ。「まっ、いいっか」。でも、どうしてものときは、砂消しがあった。灰色と白の部分が半分ずつになってる、あの消しゴム。今もあるんだろうなぁ。間違って書いてしまった文字は、とりあえず砂消しで消すのだ。でもうまく消せたこと、なし。

 そして、ボールペンは、ちょっとだけわがままだった。「そんなあ、いいがかりだよう・・」その通り。何か原因はきっとあるのだった。何か原因があって、急にインクが出なくなる。使い続けられても、インクがあと3センチくらいになると、ボールペンの先にインクの玉ができちゃって、書いてるとノートを汚してしまう。あれは、困ったものだ。だから、ボールペンは最後までインクの芯を使ったことがない。なぜそうなってしまうんだろう? 誰も教えてくれないが、それがボールペンだった。

 印象的なボールペンがあった。例のBICの黄色いボールペンだ。まず、あのキャラクターの絵が変だった。顔全部が黒丸だなんて・・。そして、妙に目立つあの黄色い軸。試し書きとかすると、書きやすいんだけれど、太い。でも、なぜか気になるボールペンだった。好きとか嫌いとかではなくて、まったく別の世界がそこにはあった。

 「字が太すぎるんだよね、この黄色いボールペンは」。小学生の僕は、BICのボールペンの良さもわからず、ポイと机に転がした。

 転がされた、六角の黄色いBICのボールペン。それは机のはしっこでカタカタカタと止まる。それでも足りなくて、僕のノートに押されて、机の後ろに落ちてしまう。そしていくつもの正月と夏の日・・。部屋にはロックが流れ、僕は高校生になっている。ふいに机の後ろから見つかる、埃まみれのBICの黄色いボールペン。

 「意外と書き味いいじゃん」。その頃になって、 BICのボールペンの階段をひとつ登るのだった。そして今は、仕事で、毎日BICのボールペンを使う日々だ。「ちょっとは僕のこと、わかってくれたかなぁ」。あの、黒丸の顔の、BICのキャラクターボーイが、そう言ってるようだ。2/7 今日は雨。冬の雨は冷たい。軍手をしているのだが、すぐ濡れてしまう。「うわっ」とか思って、外してみると、これがもっと寒い。で、また濡れた軍手をはめる。不思議だ。

「ボールペン復活術」2/9

 ボールペンの芯は突然に出なくなる。こいつが困る。きっとたった今、困っている人がいる。

 「あれ、出ないよ!!」。そして、芯を見てみる。先の方が、3センチくらい隙間ができていたらアウト。どんなにがんばっても振っても、インクは戻ってくれない。また復活するなんて奇跡に近い。

 「あれ、出ないよ!!」。そして、芯を見てみる。つながっている。なぜ出ないんだ? なにかの気まぐれか。ゆっくりと書いてみる。(やっぱり出るじゃーん)。 でもまたすぐ出なくなってしまう。(またかあ・・)

 さてここからが勝負なのだ。授業中なら、方法は三つしかない。『書く、振る、吸う』だ。結局はインクがつながればいいのだ。まず、やってみることは、根気よく円を描いてみるのだ。あったかい息をはーっと、かけながらね。これで出るようになる可能性は、30パーセントくらい。

 (だめだあ・・)。 でもあきらめちゃいけない。次は振ってみるのだ。もちろんペン先を下にしてね。気を込めないとだめ。そして、そーっと書いてみるのだ。出る可能性は5パーセントだね。でもやってみないと、もっと出ないんだ。それでもだめなときは、それでもだめなときは・・、授業中だけれど、ボールペンの先を強く吸ってみるのだ。

 強く吸って、その吸引力で、インクがつながることもあるだろう。チュウー・・。(つながれー)。 そして、また円を書いてみる。復活する可能性は2パーセントくらいだ。あー、疲れた。だめかぁー。

 家に帰る。くやしーい。でも、大丈夫。そう信じよう。ここは家だもの、なんでもある。やってみよう。さあ、ボールペンの復活劇だ。まずは、お湯だね。これでもうばっちり。なべにお湯を湧かして、インク先をつけるのだ(みんな知ってるか・・)。 ぐつぐつぐつ・・。さあOK!! もうOK。さあ、なめらかに書いてみようよ。チラシの裏に書いてみる。おっ、出る出る。やりました。完璧です。

 の、はずなのに、またしばらくすると、パタっと出なくなってしまう。その可能性50パーセント。「なんでだよー」。怒りのパワーは止まらない。最後の手段に出よう。もうやさしくなんてしていられない。僕は、ペン先を直接ストーブにつける。熱くなってもいい。もうこれしかない。よーし、出るか? 出そうな予感。出ろ!! でも出ない。もう一回だ。

 クニョ・・。芯が熱で曲がってしまった・・。大失敗。またやっちゃった。僕は、なんとか芯をペン軸に戻して、そっと引き出しの中に、ボールペンをしまうのだった。ふーう。2/8 ここ最近、レコードを続けて5枚も中古で買ってしまった。発禁になっていて、CDになっていないのだ。すごく有名なレコードなのに、こんな事になっていたとは・・。それも2枚も。

「アイデアペン達」2/10

 「コリャ傑作だ!!」。作った人はそう思っただろう。アイデア文具は、信じられないほど栄光があったはずなのに、なぜか特殊文房具扱いだった。

 僕はその鉛筆に感動した。削ってある芯が、いくつも小さなキャップになって、その軸の中をうめていたのだ。15個くらい入っていただろうか? 出ている芯が減ってきたら、その芯を外して、後ろに差すと、新しい削ってある芯が押し出されて先に出てくるしかけ。なんと素晴らしい!!

 時代はいずれ、この押し出し式の鉛筆になるとさえ僕には思えた。値段はたしか30円くらいだったはずだ。しかしこの押し出し式鉛筆には、ひとつ欠点があった。それは、授業中ひまになると、どうしてもこの鉛筆で遊んでしまうことだった。中に入っている小さな削られてある芯を、出してみたりしてるうちに、結局なくなってしまう。そして、もう一本買ってしまう。(そうだ、二本を一本にすればいんだ)。 そうやってまた分解の日々・・。

 「なんかすごいの持ってるね」。友達が持っていたその色鉛筆に、僕は感動した。それは、軸の所に20色くらいの色鉛筆の芯が、入っていて、使いたい色の芯を取り出して、さして使うのだった。全体に四角いペンだった。その軸の部分はなんとも、色鮮やかで、美しかった。「やってみせてよー」そう言うと、友達はちょっと嫌な顔をした。しかし、今思うと、とても使いづらそうだ。現在も売っているのだろうか?

 ああ、ここでアイデアペンの真打ち登場だ。たぶん今も形を変えて売っているだろう。それは20色ボールペンだ。これは伝統芸の一部に入るのかもしれない。多色ボールペンは、カッコイイ。ペン上部にある、あの細長い所を下に引くと、その色が出てくるのだ。2色、3色、4色・・。そして理論的には、どんどん色数は増やせるはずだ。軸さえ太くすれば・・。

 僕の小学生の頃、ボールペン売り場に、まるで妖怪のように、その太いペンはあった。8色、そして10色使えるボールペン。軸の色は黒。噂では、20色まであると言う。中学に上がったとき、同じクラスの、ちょっと変わった男が、そのペンを学生服の胸ポケットに差していた。「おお、すげぇ、見せてよ」。そのペンは20色あった(18色か?)。なんともゴツくて、ペンの王様と言うより、ペンの妖怪だった。

 試しに使わせてもらうと、書きにくいことこの上ない。色を押すたびに、バネの音がする。(これがあのペンか・・。筆箱には入らないなぁ・・)。「すげえよー、このボールペン。俺ホシー!!」「あげないよ」。友達はまた、学生服の胸ポケットにそのペンを差した。値段も高かったはずだ。たぶん家で使うには、たいへん便利なボールペンだ。そして、引き出しの右すみ。そこが似合っているようだ。

 アイデアペン達は、アイデアはとてもいいのだけれど、なぜかみんな使いづらい。2/9 毎日、朝の2時ごろまで、起きていたら、日付けが一日ずれてしまい。今日のあらゆる公式書類に2/10と書いてしまった。銀行の手続きの紙、申し込み書、他。夜になって気付いた。気をつけないとね。

「ノートブックの楽しみ」2/11

 ああ、ノートだけの本棚って作ってみたいな・・。

 いったいどれくらい今まで、ノートを買ってきただろう。学習ノートからはじまったノートブックの旅。新しい学年になるちょっと前には、もちろんひとそろえ買った来た。国語・算数・理科・社会。ノート代をおふくろからもらって、当たり前のように買いに行く。おんなじノートが何冊もあることの嬉しさ。

 さて、タイトル書き。ノートを買ったらタイトルを書かないとね。このタイトル書きが命だよね。タイトル文字だけは、まちがえないようにしないと。まちがうと悲しいよ。失敗と言う次元ではない。ほんのちょっとしたことだけれど、どうにも直せない。やっぱり全部のノートのタイトルは失敗なく決めたい。そして、また足は文具屋へ向かう・・。

 授業中は暇だったので、ついつい落書きのようにタイトルをいじってしまった。ヒゲのようなもの。だんごのようなもの。だんだん変な文字になってゆくタイトル。それでも完成した形はある。「これ以上はいじれないな」。そして、そのまま、その決定が続けばいいが・・。最後には、まるで岡本太郎の芸術のような、龍文字のデザインになってしまうのだ。「アオキ、なんだよこれ?」「ん? 芸術だよ 」

 20才の時から、ずっと日記を書いているのだが、それはなぜか大学ノートと言うことになっている。もう50冊くらいあるが、ぜーんぶ大学ノートだ。(失敗して、一冊だけ黄色いノートに書いてしまった・・)。 どのノートにも筆ペンで、「日記」と書いてある。どうしても大学ノートでないと、「日記」の文字が似合ってくれない。大学ノートは傑作だ。なくなっちゃ困る。

 ノートを買うときは、日記以外はそんなにこだわりがない。たまたまそこで売っているヤツをいつも選んでしまう。そのどのノートにも、何か英語で、メッセージが書いてある。気にとめた事もあまりないが、きっと素晴らしいメッセージが書いてあるはずだ。ちょっと調べてみよう。なーんだ「ものを書くのに、最適でしょう」とか書いてある。ショック。名言でも書いてあるかと思ったよ。

 そして、どのノートにもNOTE BOOKと書かれている。(最近は無地の表紙もあるけれど)。 NOTE BOOK 。どうして英語でないとノートみたいに見えないのかな? 「帳面」って書かれてあってもいいのにね。

 ノートについていっぱい書こうと思って、またノートを買ってくる。ノートにはそんな楽しみがある。2/10 あるレコードを探していた。26年も前に発売中止になったレコードだ。もちろんCDにもなってはいない。マニアの間では、高値で取り引きされている。すっかりあきらめていたところ、たまたま小さな中古レコード屋さんに入り、そのレコードを見つける。それも普通の中古盤の値段。知らないのだ。嬉しい。欲しいと思ってから三日目のこと。ラッキーとはこの事だ。

「消しゴムの消え具合」2/12

 くやしいけれど「MONO」の消しゴムはよく消えた。

 消しゴムといえば、少しにごった白の、まんまるになる、あの普通の「消しゴム」と呼ばれていた消しゴムの事だった。10円とか20円とか30円。直接英語の文字が表に印刷されていた。その匂いは、消しゴムの匂い。

 そして、もうひとつ消しゴムと言えば「カラー消しゴム」。いろいろな色が重ねられていて、とても綺麗なのだ。おまけに香りまで付いている。一番肝心な、消す能力はいまひとつだったなぁ。おまけによく、柄のところでちぎれたりするんだよね。

 僕が小4くらいだったと思う。消しゴムの「MONO」シリーズが出た。今のようにホワイトではなく、色付きだったはずだ。高かった。150円、200円とかしたのだ。でも、これがよく消えた。友達が持っていて、その消え具合にびっくりした。「ホラ、こんなによく消えるよ!!」。そして消し比べに使われるのが、例の安いホワイト消しゴムだ。

 「ぜーんぜん違うね」そう言われてしまう定番消しゴムの気持ちはいかに・・。しかしカラー消しゴムはもっと消えなかった。そんなカラー消しゴム。あれは、色の模様をうまく、はぐのが面白い。あとは、香りをかいでクラッとするのがいいね。そして消そうとすると、しょっちゅう角がもげていた。

 でも、安心してくれ、カラー消しゴム君。君よりも、もっと消えない消しゴムがあった。それは。それは・・。「ねんど消しゴム」だ。色付きの粘土で、自分の好きな形を作ってお湯で煮る。すると、ねんど消しゴムは堅くなって、完成する。ゴジラとか。顔とか。何でも作れていいんだけど、これが信じられないほど、消えないんだ。なんだか。

 「MONO」の次に衝撃的だった消しゴムは、カスがくっ付くヤツだ。これは面白かった。はじめて使ったときの、驚きといったら・・。「すげえ、変だねえ」「また使えそうだね」そうびっくりしていた僕らだったのに、いつのまにかその消しゴムの事は忘れてしまった。どうしてだろう?きっと使っているうちに、何か使いづらい所があったのかもしれない。それは忘れてしまった。

 この東京のアパートの部屋には、ほんと、ペンがいっぱいある。それに比べて、消しゴムの方は、二つか三つしかない。それも10年くらい使っているヤツだ。ぜんぜん大きさも変わっていない。鉛筆をほとんど使わないからだ。なんだか、ふと気付くと、20年30年も、おんなじ消しゴムを使ってしまいそうだ。

 「おーい、もっと使ってくれよー。ひまでしょーがないよー。あんなに仲良しだったじゃないかあ!!」2/12 夜、池袋に歌いに行く。千ちゃんと大谷の「シンシア」はききものだった。ラーメン屋に行って、食って話して、外に出て駅に向かっていると、ギターがない。うわー、大ショック。もちろんラーメン屋にあったけれど、ギターを忘れるなんて・・。

「万年筆の旅・予告編」2/13

 あのペン先の金色が、僕の何かに火を付けてしまった。

 小学生だった僕にも、万年筆を持てるチャンスがやって来た。それは小六の最後、「中一コース」「中一時代」という、月刊学習雑誌を予約すると、プレゼントでもらえたのだ。学生服と万年筆はとてもよく似合っている。憎い事するよね。

 さて、初めての万年筆。これがまた、短いながらも僕の文房具人生に、革命をくれたのだった。まさに「書き味」の「味」を教えてくれたのだ。プレゼントの万年筆。これは、万年筆として、どのくらいの書き味があるんだろう? そんな疑問も生まれた。

 でも、万年筆は大人の象徴だ。ポケットにさす喜び。これは小学生にはないね。まず書くのは、学年手帖の名前の欄だ。ちゃんとした字で書かないとだめだぞ。あ〜あ、乾かないうちにさわっちゃうからだよ。どーすんのさ。

 万年筆は僕に、書く喜びを教えてくれた。力を入れてもしょうがないんだよね。住所を書く。そして名前。また住所を書くそして名前。自分の名前。好きなコの名前。自分の名前。ダメダメ。消し消し。

 友達の持っている万年筆を借りて書いてみる。(あれ、ぜんぜん書き味がちがうよう)。 ペン先を見てみる。22金とか書いてある。おっと、僕のヤツは・・。12金。22金はペン先の金の幅も大きい。スラスラと書けるじゃないか。えー。ペン先の金の数の大きさはどう関係があるんだ? でも、多いほど、よさそうじゃないか!!

 それから、はるばると続く、万年筆の旅。万年と言うくらいだから、ずっと使えるのだろうけどね。お気に入りを学生服の胸ポケットにさして、生活をする。これが最高と思って、使う。やがて替えインクが無くなって、ペン先が乾く。また出て来るんじゃなんかと、ペン先をむりやり紙に押し付ける。そして本当にインクが出てくると、なんかおかしい。うまく線にならないのだ。

 「あれ、ペン先がだめだあ」。元に戻そうと、ペン先をいじってしまうと、もう、書き味どころの騒ぎではない。「あーあ、こわれちゃった」。そうやって、初めての万年筆は短いドラマを終えてしまう。教訓1。

 その、ひと月後には、もう新しい万年筆を胸にさしていたのだった。 2/12 「文殊の知恵熱」の公演を観に、下北沢に行く。若者がいっぱいの町だ。ここに来る度、自分が高円寺一派だと、感じてしまう。下北の人も、高円寺に来るとそう感じるだろうか?

「ラインマーカー登場」2/14

 ラインマーカーは今、文房具の定番になった。その最初、一般的に「ラインマーカー」と呼ばれるようになったのは、たぶん「サクラ・ラインマーカー」からだと思う。値段はたしか、250円。'73年頃の話だ。まだマーカーの軸が太くて、マーカーの先も大きかった。黄色とピンクがあったように思う。

 これは、勉強するのに画期的だった。と言っても、黄色い色鉛筆でぬるのと、幅が違うだけだったようだけど、知っての通り、とっても目立ったのだ。「サクラ・ラインマーカー」の時代は、どのくらい続いたんだろう。次には、普通のペンサイズのラインマーカーが出た。ここで一気にブレイク。「えー、お前もってないのー」

 勉強と言えばラインマーカー。ラインマーカーを引くことが、すなわち勉強。ああ、教科書は、黄色い線だらけ。そしてマーカーブームがはじまって、10ヶ月後くらいだろうか。とうとう蛍光シリーズが出てしまう。これにはびっくりした。びっくりどころか、目がチカチカした。

 「アオキ、これだよ、これ」「いいなぁ。俺も帰りに買おう!!」。蛍光ペンは目立ちすぎるほど目立った。教科書の今までのマーカーの部分が地味に見えてくる。そして急に、このページから蛍光ペンの世界だ。なんか罪をおかしているような気分。目がチカチカする。普通の文のところが、目立たなすぎる。それになんだか教科書がきたない感じだ。やっぱり元に戻そう。

 でもなぁ。目立つことはいい事だよな。そしてまた蛍光ペンに戻る。んー、どうしよう? そんなことに悩んでいる間に、ラインマーカーは、また新シリーズが出てしまう。それは「太い・細い」のダブルキャップの蛍光ペンだ。「あー、こりゃいいよ。買わなきゃ」。そしてまたラインマーカーを買う。ほんの短期間で、何本買ったんだろう?

 ため息をつく間もなく、今度はいろいろな色の蛍光マーカーが出てしまった。「この色もあった方がいいな」。そして、むちゃくちゃな教科書のマーカー三昧。「サクラ・ラインマーカー」を使っていた頃から、ほんの一年くらいの間に、こんな事になってしまった。教科書が泣いていた。

 そして今、僕が使っているラインマーカーは、あの「サクラ・ラインマーカー」と同じ色の、黄色のヤツだ。レモン色じゃなくて、バナナ色。これが一番自然なんだよね、やっぱり。2/13 最近ずっと歌をくちずさんでいる。とてもギターが弾きたい。時間があれば、何日間でも、弾き続けてみたい。思いきり、声がここで、出せればいいのになあ。さあ、弾くぞ。

「今、下敷は燃えているか?」2/15

 田舎に置いて来た、あの下敷は、あのページにはさんであるままだろう。

 下敷は今、元気だろうか。 文具屋のどこの棚にゆけばあるのだろう。 あいも変わらず、ディズニーとかのキャラクターが描かれているんだろうか。下敷はこの20年、何か進化しただろうか。

 もちろん最初から、下敷はあった。たぶん小学校の初授業の時も、使っていたはずだ。新しいノート。新しいページ。そしてはさまれた新しい下敷。それから、ペンとひと文字め。だから下敷の方が、ペンよりもちょっと先輩なのだ。先輩!!

 小学4年の頃だったか、革命的な下敷が出た。セルロイドの下敷の上に透明なビニールが乗せられていて、ボールペン用に使えたのだ。この下敷には、ダブル効果という以上に、何かがはさめるという素晴らしいアイデアも含んでいた。さて、ここからが下敷の復活が始まるのだった。

 「なんて便利なんだ!!」。下敷は、ステキな友達に変身した。そのビニールとセルロイドの間に、わが心のアイドルの写真(グラビア)をはさむのだった。季節で変えるのも、またいい。中学の頃は、マニアックなフォークシンガーの、グラビア写真をはさんで心の友とした。「オイ、これ誰だよ?」「いいじゃないか、誰だって」

 その下敷は、とりあえず世界で一番良かった。高校時代は、ボブ・ディランの全アルバムのカラー写真のページを切り抜いてはさんだ。僕は下敷を見る度に、何かファイトが湧いた。ときどきは定規にもなった。ときどきはマイナスドライバーにもなった。

 田舎に置いて来た、あの下敷は、あのページにはさんであるままだろう。僕は今、下敷の旅をしている。2/14 墨田区の果てにある小さな中華屋さんは、古いままでいろんな物が残っている。30年前の漫画の単行本とかね。きれい好きの店だから、汚れている印象はない。そこで出てくるカレーライスが、古いままなのだ。アーモンドの形のままのごはんとカレー。数ヶ月にいっぺんだけど、そこで食べるカレーを楽しみにしている。

「ポキポキクレヨン」2/16

 向かいあっている男の子と女の子がお互いの絵を描いている・・。と言う絵で有名なぺんてるクレヨン。きっとほとんどの人がその絵を開いて、クレヨンと出会ったのだろう。僕もそのひとりだ。

 クレヨンのその最初は、いつも夢でいっぱいだ。きれいに並んでいる色。10色、20色。なんだか見ているだけで楽しくなってくる。どの色も、まだひと描きもされていない。紙の絵柄をそろえてみる。ぺんてる、ぺんてる、ぺんてる・・。

 そして、使いはじめの一日目。まずクレヨンの姿は、一変する。先の部分は使ったぶんだけもちろん丸くまる。それがなんだか悲しい。巻いてある紙も、汚れてしまう。それは仕方ないとしても、ふたの裏も汚れてしまう。僕の好きな色は茶色だった。茶色だけが、妙に減っているのも淋しい。

 二回目のクレヨン。絵のバックとかも塗りつぶしたりするので、どんどんその色が減って来る。なんだか絵に集中してきて、つい力がはいってしまう。ポキ。「あー、おれちゃったあ」。でも、クレヨンはつながっている。それは巻いてある紙の中の話だ。そのまま、しばらく使って、そーっと箱の中にしまっておく。

 そして、三回目のクレヨン。紙一枚でつながっていたクレヨンは、見事にふたつになってしまう。ひじょうに持ちにくい。そのうち紙からすっぽ抜けて、汚れる。ああ、最初の姿から遠くなってしまった。もうむちゃくちゃじゃないか。悲しーいクレヨンたちの姿。

 だいたい無理があるんだよね。絵の具もそうなんだけど、青とか茶色とか、使用頻度が高いんだよね。クレヨンは場合はとくに単色なので、その差がはげしい。茶色なんて特に見るも無惨な姿だ。(いっつもこうなっちゃうなあ・・)。 しかし、ふとのぞく友達のクレヨン箱は、きれいに使われている。「えー、なんでぇー」

 10色よりも20色の方がいいに決まっていた。小6の頃には、ちゃんと20色の箱も持っていた。いつもの男の子と女の子の箱の絵だ。でも、ふたを開ければ、いつもの景色。戦いの後がそこにある。ここはどこの戦場だ。

 ビニールのケース付きのクレヨンもあった。いや、それはクレヨンではなく「クレパス」だ。「サクラ」から出ていたやつだ。30色くらいあった。それも、丸ではなく四角なのだ。ふたを開けてもらうと、きれいに色が並んでいた。「うわー、きれいだねー」

 大人になってから僕はそのクレパスを貸してもらった。でも、ほとんど使えないで、きれいなまま友達に返してしまった。ああ・・。2/15 なんだか部屋が片付かない。三日四日前に片付いていたはずなのにいつのまにか、元に戻ってしまう。自分でもわからない。部屋をシンプルにしたいな。80時間くらいあればなあ。

「バインダーの進化」2/17

 発明王エジソンが、もしバインダーを使っていたなら、素晴らしいアイデアを出してくれたかもしれない。

 その仕組みは26コの穴をはさむだけだけれど、バインダーは人知れず進化を続けていった。オリジナルは、あの会社の経理用の分厚いヤツなのかなぁ。それはそれとして、普通のノート代わり使うヤツは、最初、両方の端にX金具が付いていて、それで開け閉めをしていた。僕が出会った頃は、それだったが、その前があったかもしれない。

 X式のヤツは単純だったが、失敗すると指をはさんでしまう可能性があった。(実際はないが・・)。 プラスチックのヤツは折れたりもした。「なんか、こう、ダイナミックじゃないんだよなぁ」そう思っているところに、登場したのが、平たい金具で、上下に開くタイプのヤツだった。

 「お、なかなか考えたね。いいじゃん」。それはバインダーの完成された形であるようにも思われた。かなり画期的だったはずだ。なんとも大胆な所がいい。それに丈夫そうだしね。ただひとつわがままを言えば、閉じるとき、勢いが有り過ぎてバチッと大きな音がするのだった。メカに近いものがあった。

 それからまた、しばらくだって、文具屋へ行くと、バインダーに新方式が現れていた。(うーん、こんなやり方があったか・・)。 それは、上が固定されていて、下を外して、コンパスのように開く方式だった。静かだ。完璧に静かだ。それに、なんだかとってもシンプルじゃないか。よし買うぞ!!

 たしかにそれは、静かだった。でも、ちょっと僕には、ルーズリーフの紙を交換しにくかった。それにいちいち下を外したりするのは、可愛かったかったけれど、ダイナミックさに欠けていた。「アイデアはいいんだけとなぁ・・」。それから、ちょっとバインダーは冬の時代に入る。15年は軽くたってしまった。

 そして、ここ2・3年前に、またまた新しい方式のバインダーが登場した。バインダー売り場に行けばすぐわかった。「ラクラク開閉、スライドとじ具」とか書いてある。新方式が出たのだった。それは、下に引くところが付いていて、引っ張ると、自然にバインダーが開くのだ。これはいい。片手でも、なんとか出来るところもいい。バインダーの夜明けと言う感じだろうか。

 今、僕はスライド方式のバインダーを使っている。たぶん学生向けのヤツは、ほとんどそうだろう。そして、高級なバインダーは、今も平たい金具タイプになっている。あのバチンと言う音が好きな人もいるのだろうな。でかい音か静かかの、どっちかなんて変なの・・。

  金具タイプの方も進化して、システム手帳なんかは、押すところが、小さく平たくなっている。スライド式も、かなりいい感じだ。この先もまだまだこのふたつはバインダーを背負っていきそう。ガンバレ!! とめ具たち。

 しかし、バインダーよ、まだまだ進化して、僕を驚かしてくれ。スライド式のときはちょっと泣きそうになったぜ。2/16 なぜか、電池式腕時計が、今日50分も遅れていた。余裕でバイトをしていたのに、中華屋で、それに気が付いた。「あれ、ここの時計、50分も進んでいるよ」しかし、実際は・・。

「カッター修行」2/18

 カッターには、文具の中でも、特別な想いがある。

 以前、仕事で、約5年間、毎日カッターを片手に持っていた。いろんな絵柄を切り抜くのだ。使いはじめのときは、自分では、ちゃんと切り抜いているつもりなのに、ギザギザな線しか生まれなかった。先輩が言う。

 「力を入れちゃ駄目なんだよ」そう言って、カッターの刃をポキッと一枚折ってくれた。「カッターを動かすんじやなくて、切る方を動かさなくちゃいけないんだ」「そうかあ・・」。そして、カッターとの日々が始まった。力を入れずに切ってゆくのだ。

 薄い、セロファンのようなシートを、絵柄に合わせて切ってゆくのだが、カッターには、ただ二本の指で触れるだけ。カッターの刃は常に切れるようにしておき、カッター自身の重さで、スーと流してゆくのだ。カッターは、ほとんど動かさない。流れを作りながら、下を動かしてゆく。

 心は無でなくてはいけなかった。絵柄そのものの気持ちになって、勢いをつけて、生きてる線を切ってゆくのだ。途中で、カッターを止めてはいけない。最後まで一気に切るのだ。ただ切っただけでは、なんとなく切っただけになってしまう。カッターの線に感情を付けなくては、絵柄を生きたまま切り抜けないのだ。

 何がどう違うとははっきりとは言えないのだが、感情に合わせて、カッターの刃をちょっとだけ、ななめに傾けて、切ってゆくのだ。下の切る方を動かす指さばきが命だ。そしてカッターの刃の傾け具合。ここが肝心。

 修行は、まだまだ続く。心が揺れると、線も揺れる。一番難しいのが、円。次が、小さな粒ツブの絵柄だ。どっちも完璧なことはできない。出来ないけれど、絵柄の心になって切り抜くのだ。そのうちカッターの刃が、どんな筆さきよりも、自由に使えるようになってくる。

 後はスピードだった。ここからがまたひと階段。カッターの切り抜きは、それだけで修行だった。大事なのは、無心になるってことと、力が入っちゃいけないってこと。文房具で、修行ができたなんて、不思議な話だ。2/17 最近、ついさっきのことをすぐ、忘れてしまう。もうどうしていいかわからない。3時に約束があるのに、他の事に集中してて、その3時が思い出せない。なんだかメモリーの増設が必要なようだ。

「万年筆合戦・国内ペンの乱」2/19

 万年筆っていうのに、僕はいったい何本の万年筆を買ったんだろう。

 2本、3本ではない。7本、8本だ。いやもっと買っている。はじめはノーマルに、学生用の黒の万年筆を胸ポケットにさした。例のキャップが長いヤツだ。中学時代は、まあ、中1の時に使ったくらいで、高校に入るまで、忘れていた。

 そして高校に入ったくらいから、万年筆熱が出てしまった。僕は商業高校だったせいもあって、いろいろ書類を書く機会があった。万年筆で書くと、なんだかいい文字になった。特に自分の住所は試し書きの定番だった。

 万年筆で、住所と名前を書く。その頃の僕は右上がりの文字を書いていた。友達から万年筆を借りては、住所と名前を書く。そんなに書いてどうするんだろうと思うほど書いた。授業中、ノート取りに飽きてくると、いつも万年筆に変えて、黒板を写した。できるだけきれいな文字で。それだけが授業の喜びであるかのように。

 そのへんから、僕の万年筆合戦は始まってしまう。18金のペン先が普通だったが、ちょっと値段が高い22金と言うのがあった。お店で見れば見るほど、書き味がいいように思えて来る。22金は、最高に書きいいにちがいない。お金を持っている。「これ、下さい」。22金。それは、たしかに滑らかな書き味。それはそれで、いいのだが・・。なんだか、ひっかかりがなくて、書いてる気がしないのだ。

 「うーん、22金。これはこれでよし!!」そう納得すると、筆入れにいれた。万年筆は、おかしなもので、ときどき思い出したように、使ってみると、新鮮な気持ちで書けるのだ。「さすが22金だぜ」。18金と比べ書く。これが意外と楽しい。

 ここまでは、パイロットとプラチナの、メーカーの話だ。もうひとつセーラー万年筆があった。これは万年筆ファンとしたら、ぜひ、買っておきたい。そして買ってしまう。「これがセーラーか・・」。書き比べても、よくわからないのだが、こころは満足だった。いや、万年筆に満足はない。次の僕の夢中にさせるものが、すぐ現れてしまう。

 「リーダーズ・ダイジェスト」と言う雑誌を兄キが毎月買っていて、そこにはいろいろ、高級外国万年筆のメーカーの広告が、載っていた。「この書き味、大人の時間」とか、書かれてある。見ててもわからないのに、なんとなく、良いように思えてくる。妄想は広がる。そして、心の声が聴こえてくる。(おい、青ちゃん、どうしてパーカーのヤツを持ってないんだ? パーカーは最高だぞ)

 その頃(今もかな・・) 外国の有名メーカーと言えば、パーカー、モンブラン、シェーファーだった。これは、買わなくちゃいけない。この三大メーカーを買わないで、万年筆は語れない。文具屋に寄るたび、高校生の僕は、ショーケースの中をのぞいて帰った。つづく。2/18 いつも通る商店街の、本格中華料理店に行くと、なんだか次々、お客さんが来て満員だ。この店は、半年くらい前に、内装を変えて、すっかり模様替えをした。できた頃は、「えー、何考えてるんだろう。前の店の方が、ずっといいのに」と思っていた。全部手書きの、ちょっと変な日本語が、看板に書かれていたのだ。しかし結局は、こんなに人が入っている。不思議なものだなぁ。つくづく思う。味は一緒なのにね。

「万年筆合戦・西洋ペンの乱」2/20

 「ゆけー」。熱に浮かされて、僕は旗を振りながら、西洋ペンの乱に出かけていった。

 と言っても、ここは新潟のとある田舎町の商店街。僕は来る日も来る日も、外国製の万年筆に憧れていた。イギリスの「パーカー」ドイツの「モンブラン」アメリカの「シェーファー」。憎いのは、みなそれぞれに、トレードマークを持っていたのだ。

 パーカーは矢印。モンブランは、キャップの上の白黒の波のような印。そしてシェーファーは、キャップのクリップのトップに白い丸が付いていた。もうそれがカッコよくてカッコよくて、僕の心は釘付けになった。でも、僕の小遣いでは、一番安いのが、やっと買えるくらいだった。それでも、まだ高い。

 まず買ったのが、ドイツのモンブランだった。3000円だったかなぁ、5000円だったかなぁ。インクの色が、ちょっとグリーンがかっていて、ブルーブラックでも、どちらかといえば深緑色で、書いていると、歴史を感じる気分になってしまう。書き味は、すごくなめらかで、うっとりするくらいだ。高級感もあって、文字を書いているという実感があった。ただ、一番細い「F」でも、漢字を書くには、まだ太かった。むこうはドイツ語だもの、しかたがない。

 しばらく使ってみたけれど、やっぱり太くて、漢字が書けない。ここで、外国製の万年筆の特徴がわかってきた。単純に太いのだ。アルファベットを書くように、やっぱり出来ているのだ。漢字用ではないのだった。ガックリ・・。夢が・・。次はパーカーを買おうと思っていたのに。試し書きを、友達に借りてすると、やっぱりアルファベット用だ。手紙とか書くにはいいだろうけれど、レポート用紙には、太めだった。

 「あーあ、これじゃ買ってもなあー」。実はもっと細いペンが出ていたのかもしれない。今は、漢字のしっかり書けるシリーズも出てるかもしれない。でも、高校生だった僕には、アルファベット用のペンを、書きこなすだけの実力がなかった。

 お金をためて、パーカーの万年筆を買って、学生服の胸ポケットにさして歩く夢は、おあづけになった。今だったら、手紙を書くとか、使いみちもいろいろとあるだろうとは思う。しかし、その頃は使いこなせなかった。でもしかたがないか・・。

 モンブラン、パーカーは、それでも持っている人もいたが、シェーファーは、誰もいなかった。もしかしたら、細い字が書けるかもしれない。僕は町で一番の専門店に行って、シェーファーの「F」の試し書きをした。それは意外にもたいへんに細かった。バッチリだ。すこし高かったけれど、迷わず僕は買った。嬉しい。ホントに。

 次の日から、僕の学生服の胸ポケットには、シェーファーの万年筆がささっていた。白い丸が目印だ。書き味もいい。握り具合もいい。授業のノート書き。他すべて、全部、シェーファーの万年筆になった。

 「ああ、一生使うぞ。きっと使えるぞ」。万年筆とは、よく言ったものだった。何度も何度も、名前と住所を書いてみては、嬉しい気持ちになっていた。2/19 飲みに出かける。一杯飲んで帰るつもりが、友達が来て、結局、3時間いてしまう。エッセイを書いている途中で眠ってしまう。朝起きて、続きを書く。二日酔いじゃなくて、二日書きってヤツ?

「こだわりのグリーン手帖」2/21

 毎年、手帖はたしかに変わる。その度に、住所を書いたりして、テーブルの上に置いておく。

 手帖・・。ここ10年は、ずっと同じ手帖を使っている。初めて使った年の印象がよかった。たまたま深緑色のヤツを買ったのだが、とても使いやすく便利だったのだ。また次の年も買った。緑の手帖が二つ。

 年末になると、また手帖の季節が来たなって思う。もっといい手帖があればもちろん買いたい。そう思って、手帖売り場に立って見るのだけれど、やっぱり、その手帖がいいなって思ってしまう。それも、深緑色のヤツ。他の色もある。黒、赤、紺。でもどれも、今ひとつに思えてしまう。一年の間、緑の手帖ばかり見ていたら、一年の印象が深緑色になってしまった。僕の毎日は、どうも、深緑の中にあるようだ。

 他の手帖にしようと毎年思う。今年も思った。けれどどうしても、同じ手帖を選んでしまう。その深緑の小さな手帖が、もう10冊以上ある。我ながら恐い。こんなことでいいのかと思ってしまう。・・。でも、そう思ってしまうのは、僕だけではないかもしれない。

 同じ深緑色でも、年が前になると、多少古くさい色に変化している。これはこれで味があっていい。

2/20 吉野屋に入った。いつものように、お金を払おうと、席を立って待っていた。やって来て、僕は1000円札を出した。そのおばさんは、「はい、450円でーす」と言って、僕にお釣を渡した。僕の食べたやつは500円以上だ。「あれ今、安いんですか?」「いえ、卵とけんちん定食で、550円ですよ」ほんとだ。450円のお釣だ。いや、おかしい。450円って言ったじゃないか!! もーう、俺がばかみたい。

「筆ペンの奇跡」2/22

 筆ペンには、こころがある。

 最初は、「年賀状書きが、楽になりますよ」って宣伝だったと思う。出た頃の筆ぺンはたしかにそうだった。しかし本物の筆とはちょっとちがっていた。

 その筆先は、堅いスポンジのようなもので、書くと、キュ、キュ、と音がした。本物の筆のような微妙な表現は出来なくて、みんなヒゲの先っぽのような文字になった。「なんか変・・」。でも確かに似てはいた。 

 その、スポンジ筆先シリーズの伝統は、今も受け継がれている。その方がまだ多い。それは、筆ペン文字と言われるものだろう。これは、いいような悪いような、変な文字だ。そして、筆ペンの進化は、本物の筆と変わらないところまでいった。特殊な筆先が、それを実現したのだ。ここからが、筆ペンの命の復活だった。

 うんこのような文字から、本格的な筆文字へ。これは、便利さに加えて、いろいろと役に立つものだった。まず、細かいイラストが筆ペンで書けるようになった。濃淡が出ないのが惜しいけれど、充分に筆の感じは出た。もし筆ペンがなかったら、きっとペン画のままだったろう。

 でも、その微妙な筆ペンのペン先は、扱いが難しかった。使い終わって、キャップをするとき、失敗すると、筆先が割れてしまうのだ。「あー、やっちゃった!!」。そこからが悲劇である。イラストの線が、全部二つの線になった。「これはこれで面白いな」そう言って、いくつもイラストを描いた。キャップには気をつけないと・・。スポンジ式の筆先なら、そうはならないのだろうけどね。

 筆ペンは、いろいろと活躍してくれている。日記の表紙の「日記」の文字。やっぱりこれは筆でないとね。他、題字には、筆ぺンはかかせない。そこで思う。

 そこで思う。もし筆ペンがなかったら、筆の文化と離れていってしまっていたのではないかとね。年賀状を書く時くらいしか、筆を使わなかったのではないか。そのうちそれもなくなって、「え、筆? それワープロの書体?」とか言う日が来ていたのかもしれない。

 でも幸運にも、今、筆ペンを使う機会は多い。なにげなく使いながら、深い歴史を辿っているようだ。でも、その昔は、筆しかなかったんだよね。筆ペンがあって良かった。もしも'70年代に筆ペンが出来ていなかったら、いま誰かが作ってくれていただろうか?

 僕はこれを筆ペンの奇跡って呼びたい。もうなくなることは無いだろう。ペン立てのケースの中に、一緒にちょこんとななめに立ててある筆ペン。ここに歴史あり。2/21 今日はグットマンライブ。今日出来た新曲を歌ってみるけれど、メロディーが思い出せない。一番を歌ってるとき、二番も同じく歌えるかひどく心配した。

「ゲルインク革命」2/23

 いつだったろう? '94年頃だったかなぁ。ゲルインクシリーズのボールペンが出たのは・・。

 僕でなくても、文房具好きの人ならば、その登場に感動したはずだ。はっきりとした黒。それは、今までのボールぺンにはない濃さだった。そんなこと、ここで書かなくても、みんなもう充分に知っていると思うんだけどね。

 それまでは、それまでのボールペンをとっても愛していた。どこに行くにもボールペンと一緒だった。気に入ったヤツも持っていた。それは書き味よりも、握りやすさが勝負。普通のボールペンの替え芯は、太い細いくらいで、そんなに変わらなかったのだ。

 普通のボールペンにけっこう満足していたところに、突然ゲルインクのシリーズが出た。「うわー、新しい!!」。まさに筆記具の革命を感じた。もうこれで、昔のボールペン文化は終わったかなって瞬時に思った。それほど、完璧だったのだ。なんと言っても、見やすかった。そして字のカスレがなかったのだ。

 もうその日から、僕はゲルインクボールペンを使い始めた。まだ、二つか三つくらいしか、ゲルインクシリーズはなかった頃だ。始めは調子がよく、興奮して使っていた。しかし、インク芯の真ん中をこえるあたりから、ペン先にボットリとインク玉が付くようになってしまった。結局は、インクの出が良すぎるんだよね。

 (あーあ、ゲルインクもだめかぁ・・)。 でも、そのはっきりとした色具合は、魅力的だった。そして、ゲルインクは、使った分だけインクが減ってゆくのが、はっきりわかり、それが快感だった。(おー、こんなに使ったよー)。 それは今までのボールペンにはなかったことだ。

 そのうち、文具屋に行く度に、すごいスピードで、ゲルインクボールペンは増殖していった。いろんな色も出た。その中にブルー・ブラックもあった。そう万年筆のインクの色だ。これはよかった。そして、細字や太字、ボタ付きのでないシリーズも出始めた。そして、僕には忘れられない経験をゲルインクはくれるのだった。

 みるみる減ってゆくゲルインク。やがて、残り少なくなり、最後まで使い切ってしまった。もう芯はカラッポ。僕は自慢ではないけれど、ボールペンを最後まで、使い切ったことがなかった。だって使っても使っても、使い切れないか、途中でインクが離れて書けなくなってしまうからだ。

 みごとに使い切ったゲルインクボールペン。それは美しい。ゲルインクは全部なくなったけど、充実感はいっぱい。こういう日を待ってたんだ。2/22 部屋片付け日記帳を作る。こうやって日記風に書いていけば、きっと部屋中がシンプルになってゆくだろう。もちろん書いている主人公は部屋が整理したくてたまらない男。それが生き甲斐の人。 

「駅の売店のミズイロ水性ペン」2/24

 笑っちゃうくらい、僕は同じペンを持っていた。

 ペンがなくってとっても困る所、そこは電車の中だ。ノートはある。書きたいこともある。でもペンがない。そんなとき、どうしよう? そんなときは、電車をおりて、ホームにある駅の売店に行くしかない。

 駅の売店で売っているペン。それは、水色の軸をした水性ペンだ。値段はたしか80円。僕の記憶ちがいかもしれないが、'80年代はじめには、そのペンは売っていたと思う。そして2000年になる前まで、そのペンは売店にあった。黒と赤。'93年くらいからかな、黒赤のツインボールペンが、その他に加わった。でも高い。250円くらいしたのだ。

 家に帰れば、ペンなんていくらでもある。いくらでもあるのだから、250円を出す気持ちにはなれない。で、いつもしかたなく、80円のミズイロ水性ペンを買ってしまう。今のJR、昔の国鉄はそのペンが、よほど好きだったようだ。たしかに、旅って感じがするペンだ。なぜかはわからない。たぶんどこの駅でも売っていたからだろうか? 僕はそのペンを10本以上持っていた。

 別に怒っているわけじゃない。水性ペンは、書きやすいのだけれど、どうも実用性がないのだ。安い紙に書くとにじんでしまうし・・。時刻表には、あまり適していないかもしれない。文具屋に行っても水性ペンを買うことはまずないだろう。それなのに、なぜJRはあのペンばかり売っていたのだろうか? そこには僕らの知らない便利なところがあるのだろうか?

 たしかに、旅とあのミズイロのペンは似合っている。あの軽さと、なめらかさは何か、旅先の気持ちと一緒だ。それ以上に、売店に置いてある景色も似合っている・・。

 いろいろ書いてきたけど、考えれば、いろんな理由があるようにも思える。すべて僕の憶測だけれど・・。たとえば、あのミズイロのペンを大量にJRで持っていて、在庫がなくなるまで、売っていたとか。 他のメーカーを差別しないために、オリジナルを売っていたとか。ね。それとも、極端に気温が冷えても、固まらないペンだったとか・・。

 結局、僕の考えだけでは、答えはわからない。これは文具界の謎の一つだろう。

 ああ、ミズイロ水性ペン10本と、何かほかのものと交換してくれるサービスってないのだろうか。 2/23 今日は、いろんなものを買う。パソコンのメモリー250MB。そして、本棚二つに、整理ボックス。時計も買いそうになった。部屋をシンプルにしないと、もうきっとメモリー不足で・・。

「白い修正ペンのある人生」2/25

 そうなんだよ。彼は白いどこからかやって来て、すっかり自分の場所を見つけてしまった。

 さて、今となっては、昔の事がよく思い出せないのだ。僕らはどうやって、文字を直してしたんだろう? それとも、直さないでいたのかな? すっかり忘れてしまった。君はそんな昔も消してしまった。

 白い修正液がやって来たのは、いつ頃だろう? '85年くらいかなぁ。インク消しというのはもともとあった。白い修正液もあったかもしれない。あった。「リキッドペーパー」のボトルタンク、キャップ式のヤツがあった。高さ3cmの白いプラスチックのタンク。修正液のペン型になったのは、「ぺんてる」の平たいキャップ付きのヤツが、ごく初めの頃だろう。

 いや、他にも各メーカーで、いろいろ出していた。僕は「ぺんてる修正液」のファンだった。キャップがなくなると恐いので、ケロヨンの指はめ人形を、キャップに差してずっと使った。これはいいアイデアだった。だってキャップが転がっていかないし、外しやすかった。いつもいつも、何かちゃんとしたものを書く時は、平たい、そのケロヨン付き「ぺんてる修正液」がそばにあった。

 あれから、ずいぶんとお世話になっている。もし修正液がなかったら、全部書き直していたものも多いだろう。修正液があるおかけで、いっきに文もかけるようになった。イラスト書きのときもそうだ。そして、塗ってから乾くまでの時間の不思議。まるで、いつかのプラモデル造りのような感じもする。「ふーふー」と息をかける。「そういいかな?」と試しに書いてみる。「まだだぁー、失敗」。そんな事ばかり・・。

 修正液を塗ったあとで、また文字を書き、失敗する。そして、また修正液・・。また失敗する。そして修正液。修正液はもちろん乾く。白いままだ。でも、塗り過ぎて、ごわごわになってくる。それでも、その上からまた文字を書く。するとそのごわごわのでこぼこで、文字が変にゆがんでしまう。(これ以上は塗れないな・・)。 そこで、厚くなった、修正液をカッターで削る。そしてまたきれいに修正液を塗る。

 ああ、疲れた。でも、できあがりはOK。後悔のない文になっている。修正液は、ひとつの戦いだ。紙を裏返して見ると、初めの失敗の文字が写っている・・。「まあ、コピーすれば、いっかぁ!!」。それで、問題はなし。

 そんな、白い修正ペンのある人生だけれど、修正液が似合わないものもある。それは、手紙だ。なぜだろう? なんだか不自然な感じになってしまう。手紙の成分は、紙と文字と切手と糊で出来ていて欲しい願望からだろうか? その昔、人は手紙を墨と筆でかいてきたからだろうか?

 白い修正ペンは、何も言わない。それは、自分を消すことはできないことを知っているのだ。君に幸あれ!! 2/24 今日は朝から、この「ちょっくら〜」の田舎編の冊子作り。すべて完成して、さて納品という時になって、1ページ逆になっている事に気付く。またやり直し。ショック。何度も確かめたのになぁ。

「茶色のボールペン」2/26

 僕は茶色い靴が好きだ。それと同じように、茶色いボールペンも好きだ。

 電車の中、前のシートに座っている人は、ほとんどが黒い靴だったりする。そんなときいつも不思議に思う。「どうして黒なんだろう? 茶色があるじゃないか」って・・。

 ここ何年か前、茶色のゲルインクのボールペンを見つけたとき、僕は最高に嬉しかった。しばらくはずっと、そればかり使っていた。それは僕にとってとてもしっくりくる色。この世の文字の半分は茶色でもいいだろうなって思えるほどだ。世界中の人がなんと言っても、僕の中では、文字は茶色の方が読みやすい。靴の世界では、あれだけ、茶色は定番なのに文字の世界では、まだまだ黒ばかり・・。

 そう言えば、小学生の頃から黒以外のボールペンを使うのが好きだったなぁ。まずそれは青色から始まった。あの青いキャップの色がオモチャみたいでいい。 次にはまったのが、グリーンのボールペン。これはキレイだった。キレイだったけれど、インク玉ができると、きたないんだよね、これが。

 そのあとはずーと飛んで、ブルーブラックのゲルインクボールペン。これは画期的だった。万年筆気分になるのだ。そして、茶色のゲルインクボールペン時代へ・・。それは今も続いている。

 そのゲルインクシリーズには、キャップ式と、ノック式が出ている。人気のある色はノック式に格上げされるのだ。それはとても使いやすい。でも、茶色は、選ばれていない。人気がないようなのだ。なぜだ?

 僕は予想しよう。あと15年もしたら、茶色のボールペン茶色のインク(焦げ茶かな・・) は当たり前のように定番になって、ペン売り場に並んでるのではないかと。ぜったいにそうなると予想しよう。黒と戦える色は、ブルーブラックと茶色しかない。海の色、夜空の色はブルーブラック。そして大地の色は茶色じゃないか。

 まだまだその戦いの道は遠い。そのためにも、僕はせっせと茶色の文字で手紙を書こう。2/25 いろいろと人に会う。渋谷アピアは新しいステージになった。これだけ変わるのも珍しい。生まれたての印象があった。音はいいんだけど、素直すぎて、気が散らない。そこが惜しいなぁ・・。

「引き出しいっぱいの幸せ」2/27

 そしてまた僕は買ってしまう。文具って、そんなに壊れるものではないのに。もしかしたら一生使えるかもしれない。それなのに・・

 それなのに、こんなにしょっちゅうペンを買ってしまうのはなぜだろう? どこかにトリックがある。いままで、買ったペンたちは、使えないわけではない。でもなぜかまた僕は・・。

 でもなぜかまた僕は、新しいペンを欲しくなってしまう。ボールペンなんて、中の芯だけ交換すれば、ずっと使えるだろうに。今でもけっこう僕はボールペンを買っている。自分でもおかしいと思っている。でも、いつか書き味のいいペンと出会えると信じているのだ。

 そのペンは素晴らしい書き味かもしれない。自分にぴったりの握り具合かもしれない。全部コルクで出来ているペンが発売されれば、もちろん買わなくちゃね。「科学の力により、握りやすさを追求」とか書いてあれば、もちろん買ってみなくてはわね。「特殊インクにより、さらになめらか」とか書いてあれば、買わなくちゃね。

 (ああ、また買っちゃったよ・・)と、そう反省するくらいなら、僕も買うのをやめるだろう。でも反省どころか、いつも嬉しくってしかたがない。もちろん、行きの電車で書いていたカバンの中のぺンが、帰りの電車では違うペンになるときは多い。そんなことはしょっちゅうだ。書いてみる。幸せの時間。新製品への努力を手で味わうのだ。

 1本が何千円もするなら、僕もそんなには買えないだろう。でも、安いなら、その進化を受け止めてもいいじゃないか。言い方を変えれば、文房具界の新曲を聴くようなものだ。(ちょっと違うか・・)。 新しいペンの進化は、僕の人生の喜びだ。だからまた足はペン売り場の前に立ってしまう。そしてまた・・。2/26 久しぶりの友と会う。ラーメンを食べようよと言う。一応、有名な店に行くと、「ここ一度入ったよ、おいしくない」と言われる。で、また他の有名にラーメン屋に向かうと、「ここはおいしいけど、食べ過ぎた」と言われる。喫茶店に入る。僕は全部飲んじゃったのに、彼はまだ二口くらいしか飲んでいない。うまくいかないっす。

「ブルーブラック讃歌」2/28

 ブルーブラックは吸い込まれるように深くて、いい色だ。

 おぼえているか? あのガラスのインク入れにペン先を付けて、初めて書いた事を。それはどこか漫画家のイメージ。色はブルーブラック。さて、何か文字を書いてみよう。

 まずは自分の名前だね。それから住所。そして矢吹丈の顔。万年筆ではないけれど、インクペンは不思議さでいっぱい。ブルーブラック。乾いたらにじまないんだぜ。おっと、まださわっちゃだめだよ。ほら、乾いてくると色が少し変わってくるんだ。ここに秘密があるんだよ。

 おふくろの持っていた、たった一本の万年筆。金色のキャップだった。スペアのインクは空になると、カラカラと音がした。銀色の玉が入っていたのだ。それはスペアインクの不思議。透かしてごらん、夜明け空の天体みたいじゃないか。

 ブルーブラックの文字たちの中に住んでいる、大人の世界。書いたら待て、乾くまで待つんだよ。そしたら「永遠」に変わるから。その文字は残るんだ。ちゃんとこころして、書くんだよ。ボールペンとは違うんだ。砂消しでは消えないよ。

 万年筆をはじめて、胸ポケットにさしたのは中一のとき。まず学生手帖に名前と住所を書かなくちゃね。失敗しちゃだめだぞ。そして乾くまで待つんだ。あと何か書くものはないかなぁ。そうだ。サインでも考えようか。サインサイン。かっこよくないとね。

 学習ノートの裏表紙の下に書こうじゃないか。サインと言えば、万年筆だ。勢いが大切だからね。よしOK。あと何か書くものはないかなぁ。教科書にも書いちゃおう。なんでもノートにも書いちゃおう。

 ブルーブラックは青色ではない。もちろん黒でもない。なんと言うか、文字の色なんだよね。インク色というものがあれば、それはブルーブラックのことだろう。その歴史はどのくらい古いのか。何かの染料が使われていたのかな。そういえば、ジーンズも同じ色だなぁ・・。

 さて僕は、空の入り口にいる。「では、ここに名前を・・」。そこにあるのは、インク壺と、羽ペン。名前を書く。それは、夜空からしぼり取った、きっとブルーブラックのインクだ。2/27 ひと月どうもありがとうございました。文具店を何度か回ったりして、懐かしいコンパスの進化や、筆入れの今。ずいぶんと忘れていたものを確認しました。いい万年筆が欲しいなぁ・・。来月のテーマは「市場の頃」です。お楽しみに。

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