青木タカオ「ちょくら・おん・まい・でいず」

過去ログ・カバン編 [今月にもどる]

「はじまり」9/1

 はじまり、それはやっぱりランドセルだろう。今、僕の記憶で、思い出せる初めのカバンはランドセル。小学校に上がる前、何度も棚の上を見上げた。その数年後にはボロンボロンになるなんて、夢にも思わないで・・・

 それにしても、よくあれだけボロボロにランドセルがなったものだ。でもたしか、破れたりしなかった。嘘みたいな話。やっぱり革製のカバンは違うんだね。信じられないけど、どこにでも、投げたりしてたものね。ひどい。だから、一番最初に僕が謝らなくちゃならないカバンはランドセル。この場をかりて今、謝ろう。「ランドセルよ、ありがとう」

 僕は、とてもカバンが好きだ。カバンの話なら。100だってできる。カバンの話を聴くのも好きだ。カバンを愛するひとの気持ちはよくわかる。そしてカバンの不思議を知るのは、例のマジソンバックの登場を待たなければならない。あれは、珍事でしたね。その話はまた後日。さあ、カバンの旅に出よう。8/31 ああ、新シリーズになってしまった。前回はつい、本気になって書いてしまった。でもしかたがない。ギターだもん。カバンはいいね。閻魔様の前に行く時もないと不安だな。ではでは、ひと月、楽しもっと。

「ジャックと豆の木とアオキ」9/2

 今もあるのかなぁ。平たくて、ちょっと大きめ(?)な画版みたいな、横にチャックがびゃーと付いてて、表面がビニールで出来てるヤツ。名前はわからない。それは、今から、ずーと戻って、小学2年のこと。

 色はブルー。僕は名前が青木だから、まあそれはいいとして、表面にでかでか「ジャックと豆の木」のイラストが描かれていた。(今、思い出すと、ピーターパンみたいな、ジャックだったなぁ。) 僕は、平たいビニールカバンが欲しくて、それを買ってもらった。たしか、とっても安かったはず。ジャックのことはなんとかなるだろうと思っていた。

 ところが、学校に持ってゆくと、「オ、コレ、ジャック? ヘェー」となんだか、そのイラストの方が注目されてしまった。「いゃ、これは、たまたまさぁ、買ったのがさぁ・・」僕はそのひらたいカバンが、ただ好きだったのに。

 それは一学期の終わりの日だったと思う。学校でみんなにジャック、ジャックといわれたので、イラストの面をひっくり返して、町を歩いて帰った。二学期には、もう持って行かなかった。どうしてこんなにはっきり憶えているのかというと、そのカバンは押し入れの中に新品のまま、いつまでもあったからだ。

 今でも、よく憶えている。たしか、ピーターパンみたいなジャックだった。ジャックよ、すまない。そのカバンはたぶんまだ、田舎の押し入れにある。9/1 今日、両国はお祭りでした。出店で、巨大なビニールジュース缶が売ってました。それも体にはさんで背負えるようになってました。「POCARI SWEET 」「COFFEE BOZU 」「なんちゃんて」(なっちゃん、じゃなくて)子供たちがすげぇ喜んでました。ちなみにBOZUは、ぼうずの男のイラストでした。

「ショルダーバック」9/3

 ほんとのことを言うと、小学5年までは、確かランドセルだったので、あまり他のバックの記憶がない。ただ6年になった僕はショルダーバックを肩から下げていた。たしかクリーム色の旅行かばんだったように思う。それも家にはじめからあったやつだ。

 ショルダーバックはどちらかの肩に下げる。たぶん歩くとき、人はバランスをとって、少し傾いて歩いているのかもしれない。僕はたいがい、バックが右側に来る。なぜかはわからない。そしてマフラーはたいがい左側にたらす。理由はよくわかる。

 僕はいつも出かけるとき、肩にバックがないと不安だ。なんだか、歩いていて、バランスがとれない。というか、歩いているような気がしない。人間として、バックがないと、未完成のような気がしてくる。バックがあると落ち着く。

 はじめて肩にショルダーバックを下げたときは、なんて、バランスが悪いんだろうと一日くらいは僕だって思っただろう。肩だってそう思ったはずだ。そして、今はないとバランスが変だ。

 椅子やシートに座る時、右のバックを手前のももの上に移動して乗せる。その、一瞬の、ショルダーバックの法則的な右から手前への移動の仕方。その感じがとっても好きなんだけど、僕だけ? 9/2 すげぇ暑い。脳を冷やさないと、ぼーとしちゃぅよー。昨日、たまたまプールの販売店の前を通りました。水中メガネ他・なんだか、なんにも変わってないように見えたけど、進化してるのかなぁ。耳栓ってまだあるのかなぁ。プールなんて、ずーと行ってないよ。みなさんもカバンの思い出を掲示板に書いてってください。待ってます。

「醤油を塗られた、たすきがけの白い布カバンの話」9/4

 「男一匹ガキ大将」という本宮ひろ志のマンガが、僕は小さい頃、熱狂的に好きだった。破れた学生帽にガクラン。それに、たすきがけの白い布製の学生鞄が、登場するあらくれ学生達の、おきまりの姿だった。

 白い布かばん。あの太い肩掛けベルト。そして、なんといっても、あの平たくて四角い形がいい。僕の中学時代はもちろん、例の黒い革製の手提げカバンだった。この鞄じゃ、あの「男一匹ガキ大将」の学生達はさまにならない。やっぱり、白い布かばんじゃなくちゃね。憧れたさ。ずっとね。でも、僕の田舎では、その布かばんさえ、見かけることはなかった。

 東京に出てきて2年位した頃、とある一軒の小さなかばん屋で、白い布かばんを見つけた。「学生じゃなくても、買えるんですか?」そして僕は、白い布かばんを手に入れた。憧れのかばんだ。でも、ベルトにクラスを書く名札が付いてて、ちょっとこまるなぁー。

 アパートに帰る。かけてみる。意外とでかい。カガミを見る。ちょっと派手? 町を歩いてみる。何か変だ。どうもしっくりこない。わかった! かばんがあまりにも、白すぎるのだ。そこで僕は砂場で砂を塗ってみた。どうもうまくゆかない。

 この話はもうそろそろ終わる。答えはみんなの思っている通りだ。僕は白い布かばんを自然の茶色にしようと、醤油を塗ってしまったのだ。大失敗。洗っても、その匂いは消えなかった。結局ねぇ、その布かばんはビニール袋に厳重に入れられて、それきりまた、押し入れの中。ときどき、思い出したように、開けてみたけど、かなーしい、醤油の匂いがしました。みなさんくれぐれも、かばんに醤油はぬらないように。9/3 今日は一日創作。テーブルにノートを置いて、後は布団を敷いて、横になって、思い付いたことを書いてゆくだけ。楽っすよ。歌4曲80パーセントまとめる。夜はニヒル牛へ。なんて夢多いスペースなんだろうと思ってしまう。

「マジソンバック登場」9/5

 '74年頃、マジソンバックが流行った。僕の住んでた新潟・柏崎では、少なくとも町中の人が持っていた。(大げさか?) 東京では、どうだったんだろう。やっぱり流行っていただろうか? そう信じて、この文章を書こう。

 マジソンバックのことを知らない若者もいるだろう。見たこともない人もいるだろう。色は紺色、ザラっとしてテラテラとした表面。形はカマボコ型。バックのまん中より下に書かれたMADISON SOUARE GARDENの文字。そしてなんといっても、特徴的なのは銀色のふちどり。資料によれば、'68年にACEバッグより発売されて、10年間で2000万バッグを売ったという。

 僕も資料をみて'68年に発売されたとは知らなかった。東京からだんだん流行ってきて、やっと'74年頃、新潟・柏崎に来たんだろうか? もしそうだったらすごい。あれはたしか僕が中2の時。友達と商店街のカバン屋に寄った。そこのすみにあったマジソンバック。僕らはそれを見た瞬間に気に入ってしまった。そして、僕はその場で買ったのだ。専門的な話になるが、そのバッグ屋はACEバッグの特約店だったのだ。

 なぜだろう、マジソンバックをレジに持っていった時、店員のおじさんがニコニコしながらこう言ったのだ。「このバッグいいでしょう。まだ柏崎に2つ、3つしか入ってきていないんだよ」そのおじさんは終始、嬉しそうだった。もう、なにもかもわかっていたのかもしれない。その頃、東京では、ブームになっていたのかもしれない。

 そう僕の買ったのは、オリジナルのACEのマジソンバックだったのだ。そのあと、すぐ他のメーカーのヤツが出た。右下のACEと書かれた所にUSAと書かれたヤツ。もうブームになってからは、ほとんどがUSAだったものね。ACEのヤツは生地が厚くて、値段も高かった。みんな信用してくれないかもしれないけど、この話は本当。僕はマジソンバックが流行ってたから、買ったんじゃなくて、見た瞬間、震えるほど、かっこよかったのだ。

 今でも思う、マジソンバックは本当にカッコよかったと。あの銀のふちどり。それがとても、マジソンバックらしさをつくっていたけれど、今、ほとんど見かけなくなった理由のひとつは、あの銀のふちどりにあると思う。まあ、この話はまたあとでするとして、もう次の日から、僕は学校にマジソンバックを持って行った。さりげなく、どきどきしながら。だって、なんだか大人っぽいからね。

 昨日、一緒に行った友とも会う。もうそいつもマジソンバックのとりこになっていた。そして数日後、友は言った。
「青ちゃん、俺も今日買うよ、つきあって」
そして、僕らはまた、例のカバン屋に行ったのだ。しかし探せど、もうひとつあったはずの、紺のマジソンバックがない。どうももう売れた様子だった。そこにあるのは、クリーム色の同じマジソンバック。「俺も紺がいいなぁー」といいながら、友は渋々、クリーム色のマジソンバックを買った。もちろん紺がいいに決まっていた。
「青ちゃん、俺、やっばり紺がいいなぁー」
「クリームもなかなかいいんじゃない?」

 後日、友はどこからか見つけてきた、USA の紺のマジソンバックを持っていた。そして、徐々にマジソンバックは柏崎を占領しつつあった。(つづく)

9/4 いゃあ、熱くなっちゃったよ。俺って何? でもどーしても、これは、外せない。今日、友達と100円寿司食べました。7皿、全部100円。友もぜんぶ100円。毎回そう。 

「マジソンバックのゆくえ」9/6

 まるで百科事典の1ページを切り取られたように、今、2000年にマジソンバックはどこかに消えてしまって、見つけることさえできない。あれだけ流行ったなんて、嘘のよう。今ここは三鷹行きの総武線の中、僕はうとうとしながら、マジソンバックのことを考えている。その昔(?)ふとここで目を開ければ、向こうにもここにも、マジソンバックを持った若者がいただろう。

 なぜ、もう誰もマジソンバックを持たないのか? 今20才の若者はそのバックさえ、知らない人もいるだろうに。まったく知らない人にマジソンバックを見せて、その印象をきいてみたい。「なーんか古くさーい感じ」とか言われてしまうだろうか? それとも「この銀の縁取りが、ださぁーい」とか言われてしまうだろうか?

 僕が思うに、いつの時代にマジソンバックが発売されても、同じ運命を辿っているような、気がする。ちょっと例の銀の縁取りが目立つだろうけど、ほんと最高にかっこいい。バックそのものからニューヨークの空気が伝わってくる。ボクサーたちが持っていたら似合うだろうなぁー。だろうなぁー。...... 「ハロー、ミスター・アオチャン・は・わ・ゆー?」

 ここは新潟・柏崎、マジソンバックはどんどん安くなっていった。1500円時代から1000円へ、そして720円まで下がっていった。バーゲンのカゴに、ビニールに包まれたまま、積まれている、マジソンバック。右下にはそうUSAと書かれている。生地をさわる、ふにゃふにゃだ。マジソンバックはあのカマボコ形の凛々しい感じがいいんだよね。安いヤツはね、すぐ形が型くずれしますよ。あの表面のピンと張った感じは出ません。

 ここはまたニューヨーク。公園にスパーリングにやって来た、首にタオルを巻いたボクサー「ハロー、アオチャン・は・わ・ゆー」僕はリンゴをかじってる手を口から離し、目でサインを送りながら、「ハーイ」と言って答える。後ろには緑鮮やかな樹木が見えている。そして僕は腰かけていた柵を軽く、尻で跳ね、彼のもとへと歩いてゆく。「グッドディ?」「イエース」彼は握り拳を僕に見せる。そして片手にはマジソンバック。あぁ、そのマジソンバックは720円のよれよれであってはいけない。どこかで、マジソンバックはおかしくなってしまったのだ。(つづく) 9/5 今日は雨でしたね。なんだか三日分位疲れてしまいました。そしてずぶぬれの中、ラジオから流れて来た三善英二の「雨」なんだか、一日雨だとロマンテックになれません。

「田んぼの向こうとマジソンバック」9/7

 僕には、20年、会っていない大親友がいる。ヤツとあったのは高2のとき。同じクラスになった。ヤツはバイクでいつも学校に、田んぼの向こうからやって来ていた。ヤツは毎日、僕の話をちゃんと聞いてくれた。ギターの話とか、ボブ・ディランの話。好きなコのこととかね。

 ヤツは学校(商業)にほとんど、長靴で通っていた印象がある。そして白い、全部かぶるタイプのヘルメット。ある時、町の本屋に寄ると、ヘルメットをかぶったまま、立ち読みしている男がいて、誰かなと思ってたら、ヤツだった。「よーう、あおきぃー」「なんだお前かぁー、なんでヘルメットかぶってんの?」「だって、ぬぐのめんどくせぇんだぁっやぁ」そんなヤツだった。

 さて、これはバックの話、それもマジソンバックの。....戻ってみよう。ヤツはバイクで、田んぼの向こうから、学校に通っていた。バイクにいつもくくりつけられていたのは、例のマジソンバック。もう、よれよれなんてもんじゃない。つぶれていた。なんでもそのマジソンバックに入れていた。まあね、その頃はみんなそうだったけど。いや、ヤツがマジソンバックを持っていた頃は、もうブームも終わりかけてた頃。

 「よーう、あおきぃー」ヤツはバイクで、僕を町で見つける。そしてよたよたと運転して、横で変な話をひとつ聞かせてくれる。長靴、そして、くくりつけられているのはマジソンバック。「じゃーのぉー」ぼっこいヤマハのバイクはそのまま遠くなる。もうマジソンバックに原形はない。ヤツはマジソンバックの流行なんて、まったく気にしていないようだった。もうあんまり町でマジソンバックを見かけなくなった頃、マジソンバックはそんなところにあった。またそれが、ヤツに、とってもよく似合っていた。長靴とマジソンバック、そして田んぼ近くの一本道路。50CCのぼっこいヤマハのスポーツバイクと田んぼの香りと受ける風。

 そうやってマジソンバックは人知れず、田んぼの向こうに消えた。農機具置き場、泥の乾いた跡、その隅、放し飼いのニワトリたちの横に、一番似合っているバックはきっと、われらのマジソンバックだろう。ここに最大の愛情をこめて....僕には20年会っていない大親友がいる。9/6 朝・雨・くらーい気持ち、一日雨? どうやって元気になればいいの?またずぶぬれかぁー。電車、30分。今日は寝るよ。駅からバイト先まで15分。まっすぐになんて歩けるものか。今日は一日また雨なんだ。ドアを開ける。もう俺は朝からバッテリーが切れてます。はぁー。「今日も雨っすか?」「いや、午後からすごく熱くなるって、天気予報でいってたよ」ああ、ずっと暗くて損した。天気予報は見てこよう。

「東京都豊島区目白5丁目・佐久間荘7号・部屋まん中」9/8 

 それは偶然ではないけれど、部屋のまん中に、電気(明り)があった。今なら、部屋の明りのスイッチは入り口にあるのかもしれないが。ちょっと時代はもどって、ここは四畳半。部屋のまん中に電気(明り)がある。蛍光灯のヒモか、裸電球のスイッチ。

 一度目の東京は、会社の寮だった。おおきな手提げのバック。他、いっぱい。そしてニ度目の東京は旅行用のショルダーバックとギターのふたつきりの荷物。佐久間荘7号・四畳半。はじめて借りる部屋。夕方そこに着いて、カギを片手に、7号室・茶色いドアをあける。ギィィー。

 薄暗い部屋、部屋のまん中に行き、そこにバックを下ろし、蛍光灯のヒモを引っ張ってみる。つかない。(ハハ。...)ドアのところに戻り、電気のブレーカーをオンにする。(オォ、ついたついた) 今でもよく憶えています。初めての四畳半はひろーく思えたこと。白い壁に立て掛けた、タータンチェックのソフトのギターケース。そして、まん中には、クリーム色の旅行用のショルダーバック。

 運が良かったね、僕は。初めて借りた部屋のまん中に、バックを置いたのだ。今は少しだけ、ひろいアパートに住んでて、荷物もこんなにいっぱいあるけれど、その最初は四畳半。いや、そのまん中に置いたバックから始まっている。

 次は部屋の窓を開けた。まだ木わくと擦りガラスの窓。夕暮れ、そしてまん中のバック。僕はそれを歌にしようと思った。さて、まずは布団を買いにゆこう。9/7 また今日も東京は雨、一度、ものすごく降る。どしゃぶり。ずぶぬれのカッパ姿の僕。なんでだろう。きのうバイト先でもらった新品のカッパには、初めから、帽子が付いていないのだ。なぜだろう。ポケットにも入ってない?もしかして、別売?そんなバカな。髪はずぶぬれ。雨が目にしみる。ちくしょう。明日はシャンプー持参だぜ。

「そんな、ぼっこいバック達」9/9

 バイト用で使う肩掛けバックはすぐ穴が空いたりしてしまうので、いつも、極力、安い肩掛けバックを見つけて使うようにしている。「おー、安いねー、しっかりしてそうだし」そう思っていつも買う。心はそしてつぶやく(今度こそ、バッチリだぜ)

 ぼろぼろになっている古いバックの中身を新しいバックに入れ替える。古いバックをのぞいてみると、4センチ位の穴があいている(知らなかった、コレジャ、みんな落っちゃうよ)新しいヤツは調子が良さそうだ。(知ってる? 例の、バックの底に敷く平たい板。あれをちゃんと敷くんだよね。はじめは。)いい感じ。

 そしてほんの2時間も使っていると、いつのまにか、腰下のあたりにショルダーが下がっている。「あれ? おかしいなぁ」そしてまた肩掛けを縮める。また2時間後。今度は完全に肩掛けが伸びきっている。「なんでぇー」バックはちゃんとしてるんだけどなぁー。

 チャックが壊れるのも哀しい。このまえ買ったヤツは、一回チャックを開け閉めするたびに、カバンの生地がほつれて、チャックに食い込んで、全然だめ。閉まらないし、もう力ずくでするしかない。やがてもちろん、動かなくなった。前にも後ろにも、それっきり。

 それでもやっぱり、安いバックに目がいってしまい、買ってしまう。このまえ買ったヤツは使って2・3回なのに、カバンと肩掛けのつなぎのところが、ふと見ると、ほぼとれかかっていた。ここって一番、丈夫な所じゃないのぉー?

 このまえ買ったヤツはしばらく使っていたら、肩掛けがとれてしまった。(なぜ?)よーく見ると、つなぎの金具が、あっというまにすり減って、もげてしまっていた。頭にきたので、僕は金具の所に肩掛けをしばりつけた。おかげですごく短くなっちゃったよ。でもいい。とれるより。

 ぼっこいバック達は信じられないことを僕に教えてくれる。ある時、安いギターケースを買って、背負ってたら、そのベルトが布を引き裂いていた。それも買ったその日。えー、うっそだろうー。でも本当。ある時は、買って来た帰り道に持つ所がとれた。よく見れば、半分しか留めていなかった。えー、うっそだろうー。でも、本当。そんな、ぼっこいバック達。

 そんな、ぼっこいバック達って、惜しいんだよね。あとちょっとなんだよね。そのあとちょっとが、ぼっこい。9/8 今週の疲れが、今日の昼、午後1頃、急にやって来ました。バイト中だったのですが、凄い睡魔に襲われて、もう世界が4次元(行ったことはないが)。ぐるぐるになって、ジュースの自動販売機の所で座り込んでしまいました。ぜんぜんだめ。はぁー。まずは缶コーヒー。まだだめ。次は缶紅茶。はぁー。まだだめ。次は・・動けなかったッス。(あぁ、伊藤園の「シャキと夏みかん」が飲みたかったぁ。) 

「DAYパックをまだ背負ったことがない」9/10

 あしたのジョーはその1ページ目に、バックを肩に乗せてやって来た。町から町へ、なぜか身軽に旅をする人には、肩のせバックが似合っている。ジョーのバックはたぶん、カーキ色、ひもで上をしぼれるタイプのやつだろう。とってもシンプル。きっとその中身もシンプルだったろう。

 そのバックには長いひもが付いていて、どうしても、どちらかの肩に背負うしかない。「ヘィ、どうしたんだい? 子犬君。」草むらの丸太のそば、バックをさっと下ろし、話しかける。じゃれてくる子犬。こんなシーンには、ひもつき肩のせバックがどうしても似合ってしまう。

 今、ひも付き肩のせバックをもって、町を歩いている人は、あまり見かけないが(というか全然)、それと似たスタイルで、歩いている人は多い。そう、例のDAYパックだ。リュックサックとナップサックの良さをわけたような、DAYパック。前から、あったんだろうね。でも、若者が普段から使いだしたのは、きっとこの20年くらい。

 青春ドラマは今もやっているけど、25年くらい前の主人公たちは、変なジーンズ製のショルダーバックとか、革製のウエスタン調バックが似合っていた。町を大急ぎで、駆けてゆくシーンは、今も昔も青春ドラマの定番だ。そう、取っ手付きの手持ちカバンはどうしても無理がある。現代なら、まちがいなく、DAYパックだろうね。くやしいけれど。

 僕の友達も6割方は、背負えるリュックタイプを普段から使っている。いつのまにか、そうなってしまった。楽なんだろうね。それに、とっても丈夫そうだ。バックとの一体感があるとゆうか、とても自然にその歩く姿は、バックととけあっている。

 それなのに、まだ僕は、一度もリュック型のバックを背負って歩いたことがない。これは嘘のようなホントの話。実はその心地良さが想像できて、背負うのが、恐いのだ。もしそれを僕の定番にしたら、もう二度とショルダーバックに戻ってこれなそうなのだ。だって、みんなそうなんだもの。僕はDAYパックが恐い。

 なぜ、僕はショルダーバックにこだわっているんだろう。理由は自分でもわからない。なんとなく、イメージで表現してみると、はじめて会う人に、「こんにちは」を言って、向かい合ったとき、僕はショルダーバックの人でいたいってことかな。むずかしくてごめん。あしたのジョーも好きなんだけどね。僕のドラマはショルダーバックから始まっている。9/9 今朝は、島田篤志くんと久々にトーストを食べる。台所の棚の中から出したミドリ色のトースター。もう買って18年くらいたった。今でも、全然大丈夫。このトースターは島田くんと朝、トーストが食べたくて買ったトースター。おいしかったぁ。パンとあんまんの話で、盛り上がりました。

「NEW DAY バック探し 」9/11

 新しいバックを持って、家を出る時、気分はいつも新しい。これから始まるそのバックライフの記念すべき一日目。新しいノートを一冊、バックに入れてゆく。犬が吠えたってそれも嬉しい。

 新しい一日のためにはどうしても、新しいバックが必要だ。そして手帳。そしてシャツ。靴も大事。僕には時々、NEW DAYを作る癖がある。その日を境に変わろうと思うのだ。何といっても一番大事なのは、シャツ。たいがいはシャツのほうから、見つかる。そしてそのシャツが新しいイメージをくれる。それからバック。バックはシャツのイメージで探す。靴。靴は高くて、いつも買えなくなってしまう。

 バック探しはとても楽しい。(この話題は三部作でいこうかな。)普段はあまり、バック屋に用があるわけではないが、バック探しとなると、まず最初に訪ねる店がある。それは新宿のとあるカバン屋さんだ。そんなに大きくはない店だが、いつも人でいっぱい。今、どんなバックが流行っているか、よくわかる。そして新作。いいメーカーのヤツはかならず、数年後には、スペースをもらっている。その店に寄ると、だいたいの最近の感じがつかめる。

 (ほほぅ、なかなかいいバックでてるじゃん) バックは確かに進化している。物を入れるだけという、感じはもうなくなっているようだ。(お、このメーカーがんばってるねぇ) いいバックを見るのは、嬉しい。それがただ、僕の欲しいタイプと違うだけ。バック業界は手を抜いていない。いいカバンを見るとホレボレする。でも選ぶのはたったひとつなんだよね。

 その新宿のカバン屋さんを出て、街を歩くと、(へへぇー)と思う。だって、その新宿のカバン屋さんがつかんでいるブームが、街全体で、よくわかるのだ。(なるほどね) そして、そこから僕のバック探しの日々が始まる。電車の中、すれ違う人、バックが気になる。でもまだ欲しいバックのイメージは決まっていない。すてきなカバンのメーカーを チラッと憶えておく。(チェーック)

 そして次のバック探しは、デパートへと向かうのだ(明日につづく) 9/10 僕は歌を作る時、布団をしいて横になるって、前に書いたけど、今日も創作に燃えて、テーブルにノートを置いて、横になってると、すぐ眠っちゃって、全然だめ、それであわてて、起きると歌詞できてる。不思議。そろそろカキゴオリ食べておこうかな。ああ、早く、老人ワルツを買わないと。

「NEW DAY バック探し・デパート編」9/12

 いつも、なんだか信じられないくらい、きれいにバックが並んでいる、デパートのバック売り場。そのはしっこでは店員さんが、何か話をしている。まるで巨大迷路の中に入るように、僕はそっと、デパートのバック売り場に滑り込む。

 もしデパートで欲しいバックが見つかったら、とってもラッキーだ。まず品物がいい。そしてブランドものなら、なかなかないようなデザインのものがある。ちょっと値段は高いけど、NEW DAYバックとしては、いい感じだ。

 そんなに不自然ではないけれど、店にそっと置いてあるバックを見に、ファッション・ブランドの店に入るのは、ちょっと勇気がいる。なるべく自然にね、さっと入る。もちろんお客は僕ひとり、「いらっしゃいませえー」軽く目で挨拶。腕なんか組んだりして、端から眺めてゆく。もちろん服なんて買う気はない。そしてバックの所にきて、しばらく....。店員さんは話かけるタイミングをねらっている。でも大事なのは、触らないこと。だって、みーんな、たかーいんだもの。でもね、一応、チェックしておかないと、後で後悔するからね。

 バックをチェックしたら、さっと他の小物とかチラチラッと見て、話しかけられる前にさっと出る。あー、疲れた。でもね、妥協しないのが、NEW DAYバック探しのルールだから。(誰が決めた?) それにしても信じられない値段が多いね。あと僕なりに言わせてもらえば、センスが外人向きで、オシャレすぎて、僕にはとても似合わないものが多い。センスよすぎ。

 さてまた、デパート自身のすこし大きなバック売り場にもどる。やっぱり少しは落ち着くよ。ちょっと高めだけど、あまり見かけないバックがある。ここでキーポイント。デパートのバック売り場では、おなじ種類でも、いろいろ大きさをひととおりそろえている。そして、一番欲しいサイズのヤツは売れてて、ないことが多い。また大きなバックしか置いてなくても、聞いてみると、小さいサイズが出ていたりもする。一応、店員さんに、きいてみること。それも買う気たっぷりで。

 デパートで、とってもいいバックが見つかることは多い。でも、まだまだ、あせってはいけません。NEW DAYバックは「これだ」という、たったひとつを見つける旅なのだ。(また、明日もでかけよう) 9/11 今日は一日、雨だったすね。僕はカッパの帽子はかぶらない。理由はふたつ。ひとつは自動車の音が聞こえなくなって、とっても危ないってこと。もうひとつは。髪の毛がくさーくなってしまうから。そしてここは、区でやってる、空き缶、収集所。そこにいた、ひとりの初老のおじさん。僕のカッパ姿を見て言う。「俺達の頃は、なんといっとも頭を大事にしたものだ。今の若者は頭を一番大事にしない。時代も変わったものだ。」気持ちはわかるんだけどね。僕ひとりで時代を決めないでください。

「NEW DAY バック探し・下町編」9/13

 新宿のバック屋、そしてデパートと見たら、もう、ひととおり見たようなもの。か? いやいや、まだ下町が残っている。NEW DAYバック探しは、これから。これからが勝負。

 だいたいこんな感じって、欲しいバックの感じもわかってきたら、あとは自分に似合ったバックを見つけるだけ。ここから先はインスピレーション。気に入るひとつは、どこにあるかはわからない。きっと「これだ」と思えるものがあるはず。それは意外と下町にある。

 僕がまず向かうのは、上野。服とかもそうだけど、「えー」とか言うものが見つかる。丈夫さはどれも、もうひとつという感じなんだけど、味のあるバックが見つかる。それは新宿の鞄屋にもデパートにももちろんなかったものだ。いくつかの僕のバックは下町で見つけた。ちょっと大きな古いお店とかに、めっけものがある。もしかしたら、5・6年前の売れ残りかもしれない。でも、バックには年令はない。

 次は池袋。そしてお茶の水。いままで見かけなかったバックも見つかる。それもそこそこに丈夫なやつ。もう、このころには、欲しいバックがひとつかふたつ決まっている。それはだいたい同じ形で、丈夫でちょっと高級そうなやつと、自分にぴったりなんだけど、雨に弱かったりして、不安の残る、ちょっと安いバックのふたつだ。そのどちらも「これだ」と思って買おうとして、やめたものだ。だってまだ、お茶の水と池袋が残っているもの。

 (やっぱりね。)かならずいいバックは、もうひとつそこで見つかる。なかなか理想に近いものだ。肩にかけてみる。ここが勝負どころ。本当に。じゃあ最初から、お茶の水や池袋にゆけば? いやいや、NEW DAYバック選びはまず、いっぱいのバックを見なくっちゃ。さて、どうしょう?悩んじゃぅなぁ。カバン屋のおばさんは「いいですよー」とすすめる。「うちは丈夫なやつしか置いてないから」とか言う。僕は苦しみながら悩む。おばさんには、僕が何を悩んでいるのか、想像もつかないはず。僕はNEW DAYの自分とその時に下げているバックの姿を考えているのだ。

 「すいません、また来ます。ほんとにいいバックなんですけどね。」僕は、お茶の水から高円寺に向かうオレンジ色の電車に乗る。とってもお腹がすいている。あとはALL OK。次の日の朝、家を出て、道に出た時、自分の下げているバックがわかるのだ。「よし、決めた。今日の帰り、買いにいこう」(よかったね、青ちゃん) 9/12 今日、バイト先で、財布を忘れたまま、現場に行ってしまった。大失敗。それも、10円も一円もない。電話もかけれない。せめて10円どこかにあれば。...缶ジュースがのめなくて、ひさびさに公園の水飲み場にゆく。あのアイスボンボンのような蛇口。なんだか、遠い友達を訪ねたよう。それでも、なんだか暑さがこたえて、僕は車のそばでしゃがむのに失敗して、コンクリートにお尻を着いてしまった。その時、なんだかいい風が吹いて来て、僕は哀しいながらも、心地よい風を受けた。そして心は思いました (ああ、いなかっぺ大将のだいちゃんもこんな気持ちだったにちがいない)と。.....バイト帰りには、寿司食べました。(もち回転)

「バックの中の旅人」9/14

 こんなおおげさなタイトルをつけちゃったけれど、今日のテーマはバックの中身ってこと。

 新しいバックに入れ替えるとき、ほんといろんなものが出てくる。何年も前のチラシとかね、ひろったキーホルダーとか、いつか使おうと思ってとっておいた、とっくに期限の切れているサービス券とかね。

 僕のバックの中がきれいなのは、ほんと始めだけだ。どうしても、チラシとかたまってしまう。ときどきは整理するのだけど、何年も前のチラシとかも入っている。どこにゆくにも、ずっと持ち歩いていたと思うとおかしい。毎日、僕と家を出て、また家に帰ってくる。バックの中身は変な旅人だ。ああ、今日もいっぱい歩いたね。

 電車の中で暇になると、バックの中を開けて、何かないかなって探す。数年前のチラシになると、もうペチャンコになっている。数年前のクリスマスのチラシとかが入っている。そういえば、このバック重いね。

 お気に入りの詩集とか別ポケットに入れてあったりする。ほんとなら、毎日読んで、暗記でもしようかな、とか思っていた詩集だ。ずっとバックに入れ続けてて、角がもう丸くなっている。しかし、思い出せば、いったい何回、この本を開いただろう。とーきどき、それもきっと数回だ。それなのに、毎日毎日、持ち歩いていた俺って何?

 きっと僕は、なにかお気に入りの詩集がバックの中に入っていることが、好きなのだ。携帯用ステレオカセットの充電池がなくなって、一番聞きたいとき、電池がない事があるように、多分、一番読みたいとき、本がなかったりするんだよね。その詩集を開いた数回はほんとに読みたかったとき。

 何かないかなと、バックを開けるとき、バックのなかに何かある。これが僕のバックの中身の基本である。バックの中の旅人。...すこしテーマが、ずれたけど。9/13 今日は午後2時くらいから、ずっと焼き鳥が食べたくて、バイトが終わったら、駅前の店でひとり、1300円も食べました。一年に一度、こういう日があります。わかるんです。それが今日だと。おいしかったぁー。でもちょっと冷やしトマトがつめたすぎたね。

「たて×よこ、もも2本」9/15

 それは特別な理由ではないんだけれど、電車の横シートに並んで座るとき、どうしても自分のスペースは自分のもも2本しかなくなってしまう。ほんとうは、もうちょっと余裕があるんだろうが、でーんと誰か座っていると、狭くなってしまうのだ。

 そんなとき、いつもバックはももの上だ。よくアタッシュケースを、ももの上に置くサラリーマンがいるけれど、左右にスペースがはみ出てて、なんだか僕はすきじゃない。かばんの大きさにシートを合わせるのも変な話、でーん座りの人が、いる限り、いつもスペースは狭くなってしまう。

 でーん座りの人の気持ちもよくわかるんだけど、なぜ、他の人の幅が狭くなるって思わないんだろう? でもこのテーマはずっと、きっと、クレッション。

 まあ、それとは別に、椅子に座るとき、バックがももの上にピッタリあるのは僕にとって、一番バランスがいい。バックをたてて、何か探すときも、あまりおおげさにならなくていい。だから、自分で買うようになってから、バックの横の長さはずっと、もも2本。

 まあ、それもあるんだけれど、歩いているとき、ぴったりと腰横にきて、一体感があるよね。大きさ的に。ちょっと後ろにまわせばもう見えない。うまく隠れる。そういえば、尻の幅ともあってる。僕はそれ以上の幅の広いバックをどうもうまく、使いこなせない。

 でも、世の人々はいろんな大きさのバックを持っている。ぜんぜん不自由そうではない。今日だって、大きめな革製のバックをぎゅーっと胸のあたりまで上げて、歩いてくる人を見た。すごくデザイン的なバック。(あれじゃあ歩きにくくないのかなぁ) バックはそう、人それぞれです。ただ僕は、横もも2本が一番ピッタリくるんです。9/14 掲示板にも書いたけれど、今日はバッタのことを考えていました。ショウリョウバッタという飛ぶとキチキチと音のするあの、大きな細長いバッタ。好きだったなぁ。感動してたもん、いつも。新潟には、いっぱいいた。小さいショウリョウバッタもね。殿様バッタはめったにいなかった。バッタって捕まえようとすると、飛ぶじゃない? そこが良かった。会いたいよ。でも、今でも、あの大きなショウリョウバッタは飛んでいるんだろうか。誰か報告待ってます。あれは新潟だけの話?

「お客さん、バックなんてね・・」9/16

 僕にとっては一大事だった。約一年になるかもしれない海外旅行、その担ぐバックパック(リュックの大きいヤツ)を買いにその専門店に行った時のこと。

 壁一面に飾られていた大きなバックパック。大きさもいろいろあるし、値段も。それぞれの特徴が、紙にコメントとして書かれている。軽さも違う、丈夫さも、担ぎやすさも。約一年の旅行。どれを選ぶかは悩むところだ。

 まるで知識のないところから行ったので、バックパックについて、勉強しなくてはならなかった。軽さを選ぶこともできたし、いくら担いでも疲れないとか書かれているのもあった。それに値段もいろいろだ。いやその前に、どの大きさにするか、決めなくてはならなかった。壁に飾られたバックパックの前で腕を組んで、考えていた。

 やっぱり、少しくらい値段が高くても、担いでいて、疲れないやつを選んだ方がいいという方向に気持ちは固まっていった。でも、どのバックパックのコメントにも、「なになに方式によりぐーんと軽くなりました」とか「バックパッカーに一番人気」とか、「とにかく軽い」とか、選びきれないコメントが書かれているのだ。それに僕はバックパックを一度も背負ったことがなかった。

 どのくらい時間がたっただろう。一時間くらいは経っていた。すると、店員さんが、僕のところに来てこう言った。

「お客さん、バックパックなんてね、どれ買っても同じだよ。そんなに考えたってしょうがないよ」そう一言いってまた、戻って行ってしまった。店員さんも、悩んでる僕の姿が本当に悩んでいるように見えたのだろう。実際、悩んでいたのだ。

 結局、有名ブランドの高いやつを僕は選んだ。僕にとっては、一大事だったのだ。でも意外と僕がそこにいた店員さんだったら、同じことを言っていたかもしれないとも思う。9/15 今日は上野の水上野外音楽堂にて「アコーステッィクボイス2000」のコンサートに行った。トイメンシャオ・千田佳生と出演。7時間、聞いてました。サントリーが協賛で、ただビールも配られました。みんな気持ち良さそうに歌っててうらやましい。僕なんてきっと出演してたら、いつもの小さなライブハウスの空気を作ろうとするんだろうなぁー。やっぱり「みなさーん、こんばんわー」とか言わないとだめ?

「とっても軽いネパールショルダー」9/17

 ここはネパール。カトマンドゥ。細い路地にいろんな雑貨屋が並ぶ。アメリカ文字の看板、レストランという小さな食堂、露店の果物屋、水たまり、行き交うバックパックの旅人たち。ここに着いた人、ここを出る人、そしてここを気に入った人。

 宿から一歩外に出ると、もういつでも、そこは旅行者達には、まるで天国のようなざわめきが広がっている。「いゃぁ、バックパッカーにとってネパールは天国だよ。ほんとゆっくりできる」そう言ってくれた友の言葉も、何となくわかる。

 こんなカトマンドゥの街は、サンダルや軽い小さなショルダーバックで歩くのが、似合っている。重いバックパックから解放されて、漂うように、街を歩きたい。そんな旅人たちに、もってこいのネパールショルダーが店先に並んでいる。B5のノートが一冊入るくらいの縦長の薄いショルダーバック。ベルトではなく、編まれた幅3センチくらいの肩掛けが付いている。バックというより、もの入れと言った方がいい。二つの木の細長い引っ掛けで上からの布を開け閉めできるのだ。

 ここに着いた旅行者たちは、なぜかほとんどみんな、そのネパールショルダーを買ってしまう。雨には弱いが、街歩きには最高だ。たすき掛けにしないで、片方の肩にかける。いちいち開ける時、木の引っ掛けを外さなくてはならないが、慣れてくると、それもいい感じだ。もう他のショルダーがかけれなくなる。どんなに気に入ったバックを持って来た友も、ネパールショルダーに変わってしまう。そしてそのままインドヘ。そのまま中国へ。

 僕もネパールショルダーを買った。ある一軒の店先の上のほうに飾られていたヤツ。ちょっと他のものとは違い、焦げ茶色で堅い生地だった。「ズィス イズ ベリベリグッド」聞けばヤクと言う牛の毛で編まれたものだという。クリーム色の縦線が端に付いていた。「OK アイ バイ」そしてその日から、日本に帰ってくるまで、そのショルダーをかけ続けた。スペインでも、ドイツでもパリでも、僕の肩にいつもネパールショルダーがあった。(明日に続く)9/16今日久しぶりに近くのスタジオに入って友達と練習をする。最近は利用してなかったが、バンドでやりはじめた頃、しょっちゅうこのスタジオを使った。ずーとここには来なかったけど、練習をしたいろんなことが夢の中のドラマのように、残っていた、遅れて来る友達が、スタジオのドアからよくやって来たよね。待ってた分だけ、いつも嬉しかったし集中して練習をした。たぶん、その時間が目の中に焼き付いているんだな。スタジオは特別な空間だ。

「ネパールショルダーを肩から外した日」9/18

 そう僕の肩にはいつでも、それからネパールショルダーがあった。新しい町に着くと、重たいバックパックを宿に置いて、軽いネパールショルダーひとつで外にでかけるのだ。ヤクという、ヒマラヤの高原に住む毛の長い牛のウールで編まれた、平たい縦長のショルダー。とっても丈夫で、まったく壊れる様子がなかった。

 インドのひと回り。東の漁師町で見つけた、ジャガンナートと言う神様の顔のスマイルマークの丸バッチを右上に付けて、一応、そのネパールショルダーは完成した。そしてその時から、僕の旅も、ひとつの流れが出来てきたようだった。そのショルダーひとつで町を歩く、お店に入る、道をきく、食堂に入る、お茶を飲む。

 トルコ共和国のひと回り、西ヨーロッパのひと回り。ローマの石階段に座っていた夕暮れ、バルセロナの港近く、コロンブスの塔の下、パリの橋の上、ノートルダム寺院の前の大きな広場、バルザックの彫像の隣、僕はネパールショルダーと一緒だった。数少ないその時の写真には、全部ショルダーが写っている。

 こんなふうに軽いバックはほんと、外国の町歩きにいい。ネパールから肩に掛け続けているそのバックは旅そのものの思い出のように、そばにあるだけで、しみじみした。買ってもう10ケ月くらい経つのに、どこも壊れていない。とっても気に入っていた。なくさない限り使い続けようともう決めていたのだ。

 そしてネパールショルダーも僕もバックパックもギターも、同じ日に日本に帰って来た。一年ぶり。帰って来てもまだ旅の続きのようで、お気に入りのネパールショルダーを肩に掛けて、東京の町を旅の時のように、しばらくは出かけ歩いた。もちろん世界で一番似合っていると信じて。

 そんなある日の夜の山手線。なぜか僕の隣のシートが空いているのだ。反側の窓に写る僕の姿。(この変なマフラーの結び方がわるいのかなぁー)。そしてもっとよーく見てみると、なんだかネパールショルダーの肩掛けの部分がほんと、色褪せていたのだ。きれいな、深緑だった線は、黄緑に泥の雨水を付けたような色になっていた。やや白い部分もそう、白ではなく、雑巾色に変わっていた。(これかぁー?)

 (これかぁー)僕はそのショルダーの肩掛けの部分がそんなに色褪せていたなんて、その時、その瞬間まで気が付かなかった。家に帰ってから、まざまざと眺めれば、自分でもびっくりするほどだった。といっても、何か匂うわけではないのだが。僕はその日、やっとネパールショルダーを肩から下ろした。どこも壊れてはいないのだけど。

 インドの東で手に入れた、あのジャガンナートの神様の丸バッチを右上から外したとき、バックはただの色褪せたネパールショルダーに戻ったようだった。そして僕のバックパックの旅の続きも、ひと区切りそこで終わったようだった。9/17今日は雨。この原稿を書いている時、雷が鳴って、マックの電源が切れてしまった。それも最後一行のところで。ショック。こんな経験は初めて。また一行目から、どうやってパワーを持って書けばいいのか? 結局、違うものが出来てしまった。こんなことってあるんだね。そうカミナリがなった瞬間。みんなも経験ある?

「肩かけ袋の不思議」9/19

 このまえちょっと大きな、四角い黒バックを持ってライブに出かけた。ちょっと大きな持ち物があったのだ。とりあえず中身は、ノート、チラシ、MDリトル再生マシン、コンビニで買ったオニギリ、他。そうそう、途中でもらったティッシュも。

 ひと束もらったパンフレットを入れておいたら、いつのまにか中身が、ミックスされまくっていた(えーっ)。 何か探そうとすれば、なおさら、コンフュージョン状態になってしまう。

 「どうやって、入れればいいんだぁ」まぁ、そんなふうには、言ったりはしませんでしたけど。そこで思うのは、よく友達が持っていた、布製のちょっと大きな肩掛け袋のこと。たったひとつの袋でなんでも出し入れしていたけど、思えばとっても不思議だ。

 そんなこと言ったら、リュック型タイプのバックだって、どうやって、いろんなものを入れているんだろう。恥ずかしいことだけど、僕は今まで一度だって、リュック型バックの中身をのぞいたことがない。なんてヤツ。

 「えっ、これ? そうだねぇー、最近のヤツはいろいろ入れる所もついてるしねぇー」そうだったのか・・。リュック型バックの友は僕の質問に答えたくれた。でも、どーなってるかは謎だ。

 そう、もっと謎なのは、あの布製の肩掛け袋だ。持っている人たちは何かもう一つバックを袋に、入れているんだろうか? チラシとかの紙類はどうしているんだろうか?シャーぺンの先とか、出てこないんだろうか? パンはつぶれないんだろうか?

 この話には、きっと答えがない。あの肩掛け袋の中はその人以外、誰も知らない。あの、あしたのジョーだって、ひも付き肩のせ袋にもうひとつ、小さなバックを入れていたかもしれない。それは誰も知らない。きく方が悪い。

 謎があるから「肩掛け袋」がいいのかもしれない。肩掛け袋の不思議。9/18 今年ほど、缶ジュースをよく飲む年も珍しいな。で、最近また、こっそりと言うか、「はちみつレモン」の新製品が出てるけど、僕は前のようなブームは来ないと思うな。あれは、一年の内に、はちみつをみんな取りすぎちゃったんだょ。まだ、早いね。体がはちみつレモンはまだだって言ってる。あせっちゃだめだよ。あと5年はいるね。

「目玉バックの夜明け」9/20

 そう、旅の途中で手に入れたネパールショルダーを肩から下ろした僕は、しばらくどんなバックをかけていいのかわからなかった。それほど、薄いネパールショルダーはもう一体化してしまっていた。(あー、どんなバックを見つければいいの?)

 その頃のバック売り場はまだ、バックバックしたバックばかりだった。えっ、何いってるんだかわからないって? んー、ちょっと高級そうな丈夫そうなバックが並んでいたんだよね。そして僕のバック探しは始まった。

 バック探しは始まって、ここはとある有名デパートのバック売り場。そこで見つけた、ちょい横長四角のショルダー。誰かのブランドものだったかもしれないけれど、その表には、縫った糸だけだが、目玉のマークが付いていた。といってもリアルな目玉ではなく、瞳の部分も表面の生地のままの、輪郭だけの目玉である。よこ12センチくらいの大きさ。

 (いいじゃん)横にちょっとだけ長い四角の大きさ。色は深緑色、生地は光沢のないテラッとしたナイロン。クリーム色の糸だけの目玉のイラストの下には、英語で、たしか「自分の目で素敵なライフを探せ」みたいなことが書いてあったと思う。とっても地味だったけど、僕はすぐに気に入ってしまった。「これだ」

 即買って、もう帰り道には、肩から掛けていた。その目玉バックは他のどのバック売り場でも見かけることがなかった。ちょっと高かったかもしれない。といっても4500円くらい。見れば見るほど、その目玉が地味でいい。

 ネパールショルダーも最高によかったけれど、またこうして、気に入るバックに会えて、本当に嬉しかった。電車の中、ひざの上に乗せる。デザイン的な目玉の糸イラストが、見えている。それが良くて良くて。友達が僕のバックのデザインを見て、「あれ、これもしかして目玉?」って、きいてくるのがまた良くて良くて。

 その頃部屋で撮った一枚の写真には、帰国してまだ髪の長い僕と、見てくれと言わんばかりにお気に入りの目玉バックが一緒に写っている。たすきがけにしている目玉バック。ほんと僕のバックライフの夜明けって感じでした。(写真はたぶん買って二日三日目のころ)9/19 今日から秋だと思っていたのに、まだ昼は暑かったよ。もうここまで毎日暑いと、「夏」っていう言葉が変になってしまう。(そっかー、今って夏? 秋なんだけどなぁ。夏?) 長過ぎてへんな夏。

「よく言われること」9/21

 友達と一緒に歩いていると、よく「ぶつかってばかりだよー青木さん」と言われる。どうも僕は友達にぶつかりながら歩いているらしいのだ。

 それと同じように、僕のバックはすぐボロボロになってしまう。まずランドセルがそうだった。中学のときのカバンもあっというまに傷だらけになってしまった。そして外歩きのアルバイトで持ち歩いているバックも会社イチ壊れるのが早い。それも人の2倍の早さでボロボロになってしまう。これは僕のバックがいろんな物にぶつかっているとゆう証拠だ。でも自分では記憶がない。

 こころの底の僕の本心を言えば、本当は、革製のバックが好きだ。実際、専門店でオリジナルバックを作ろうとしたこともある。革製のカバンを大事に使っている人に会うと、とてもうらやましくなってしまう。僕は小さい頃、きっと革製のカバンを持つだろうと堅く信じていたので、そのぶん、うらやましいのだ。

 カバンは革がいいよ。だってカバンらしいもん。でも、僕はまだ一度も革のカバンを自分で買ったことがない。それは、すぐボロボロになる事がわかっているのだ。いったいどこにぶつけているんだろう。それは謎だ。だいたい僕は歩いているという意識がない。フラフラっとしてゆくって感じなのだ。きっとそれが原因かもしれない。

 だから、どんなに気に入ったバックでも、僕の場合、耐久年数が短い。ここで思い出すのは、ほらあの、目玉のイラストのバック。あれは、高かったし、とっても丈夫にできていた。ほぼ完璧だったのに、哀しいかな、僕のバックの使い方が荒いのだろう、表の目玉のイラストの糸の線が、こすれてだんだん無くなっていったのだ。

 線がどんどん無くなっていった、その目玉イラストのバック。とっても気に入っていたのだけれど、2年くらいで引退となった。僕の使い方が荒いのだ。わかっているんだけどね。ぶつけている記憶がないのだ。

 わかってはいるのだけれど、僕にはバックを大事に使うことができない。「青木さんってぶつかってばっかりだよー」それはよく言われる事。9/20 帰り道、たぶんPTAのおばさんだと思うけど、家の玄関で、こんな事を言っていた。「あと、書いてほしのはね、どうしてこの絵を書いたかってことね。」そんなぁ、どうしてって言われてもね。困っちゃうよね。

「ベンソンバック物語・1」9/22
 
それはなにげなく見つけて、買ったバックだった。ほぼ真四角な形。肩掛けも細く、チャックが金色だったりして、ちょっと高級そうだった。もしかしたら、女性ものだったかもしれない。ブランドの札には「BENSON」と書かれていた。色は薄緑に近い、ベージュ色。

 それはなにげなくそうして、たすき掛けにしたバックだった。ひもの幅が短くて、片方の肩だけでは、すぐすべってしまいそうなので、たすき掛けにするしかなかった。意外とペニャペニャなバックだったので、腰の横にぴったりと形がはまって、腰の一部のようになった。

 その頃の僕のファッションは、ベージュのジャンパーにベージュの作業ズボン。そしてそのバックは薄緑に近いベージュ色。まるでお揃いのよう。中になんにも入れてないと、バックはいつもペチャンコ。そうやって半年、そして一年。

 とっても良かったことは、そのバックは完全防水で、雨に強かったこと。僕にはなんだか、傘を使わない癖があって、駅からの帰り道、よくずぶぬれになってしまう。ベンソンバックはそんな僕のわがままにもちゃんとつきあってくれた。それに、値段が高かったせいもあるのか、ほんと丈夫だった。

 それは電車の中、そのベンソンバックをももの上に乗せて、いつものように揺られていた。ふと、自分のバックをしみじみと眺めてみたら、色といい、形といい、本当いい感じのバックなんだな、と思った。そう思って、細かいデザインまでもっとよくながめてみたら、すごくセンスがいいのだ。一瞬だったけど、ベンソンバックが気品の高い、格式のある生まれのバックに見えた。(へぇー、こんなにいいバックだったんだ)

 買って一年たっていたけれど、そのバックは何一つ変わっていなかった。肩掛けも糸がほつれてくるようすもなかった。外の表面もちょっと拭けばもとどうりだった。完全防水。いいバックだねぇー。

 僕はそのベンソンバックを眺めるたびに、ホレボレしてしまった。これもやっぱり、ひとつの恋愛なんだろうか? この生活は、いつまでも続くような気がしていた。ベンソンバックとの関係は壊れないと信じていた。(明日につづく)9/21 今日はバイトがお休み。朝からDM書き。夕べの3時頃、眠ったのに(倒れたのに)朝は6時に起きてしまう。どうしても6時に目が覚めちゃうものだから、全然、夢を見ていない。ここ最近、夢を見ていなくて、とっても淋しい。僕もカッキーのような、夢がみたいな。せめて休みの日くらい6時に目がさめないようにしたいな。

「ベンソンバック物語・2」9/23

 幸せな日々は続いた。真四角に近いベージュのベンソンバックは、常に作業ズボンルックの僕には、なくてはならない、ファッションの一部になっていた。ちょっと高級そうでね、そこがまた、作業ズボンとバランスがとれてて、いーい感じ。

 それがね、部屋の中では、ベージュ色なのに、外の陽の光りの下では、すこし緑色が入るんだよね。そこがまた僕をしびれさせた。それにほぼ四角ってところも。防水加工だったことも最高だった。肩掛けも、汚れに強くって、古くならないバックだった。

 ツルツルする素材の肩掛けだったせいもあり、いつも、たすき掛けでバックを肩から掛けていた。すこし細い肩掛けのヒモ。丈夫だ、丈夫だって、思っていたのに、そんなある日。

 そんなある日、いつものように、たすき掛けで掛けていたら、肩掛けベルトがバックから、とれてしまった。(あー)完璧だと思っていたのに・・。ショックだった。付け根が金具でなかったので、たすき掛けで無理がきたのだ。もちろんまた糸で縫い付けた。そうやってまた半年。今度は、赤いインクをカバンに付けてしまった。シンナーで取ろうしたけれど、逆に広がった。(失敗したなぁ、こりゃひどいや)

 僕はまた、同じベンソンバックを手に入れようと思った。ベンソンバックは大きさもいろいろとシリーズで出ていたはずなので、必ずあると確信して、僕はベンソンバックを買った西武 デパートへと出かけた。

 しかし、バックはなかった。そして店員さんは言う。「あー、ベンソンバックですか? もー、うちではやってないんですよ」そこで思い出したのが、京都のデパートにて、二ヶ月前、ベンソンバックシリーズのひと山を僕は見かけていた事だった。(きっとある、絶対ある)

 時は四月はじめ、JRの青春18きっぷの使える時期、(しょうがない、京都に行くか)そして僕はベンソンバックを探しに京都に行こうと決めたのだ。(明日にまたつづく、京都編)9/21 今日、バイト先で、アパートの大家さんに「困ったおじさん」について相談される。困ったおじさんは、アパートの共用の水道で、3万円分も洗濯をしているのだ。そしてちょうど「困ったおじさん」が自転車で帰って来た。僕は大家さんと一緒に声をかけた。顔をみせる「困ったおじさん」はぼさぼさの髪、そして生ヒゲ、一見すると、巨匠の絵書きさんのよう。そして、言った。「ワタシニ、ナンノ、ゴヨウカナ? ワタシニ、ソレデ、ナニガイイタイ? ワタシニ、イッタイ、ドウスレトイウノデスカ?」逆に大家さんを怒っている。そしてちょっと目をはなしたすきに、さっと自転車で、消えてしまった。大家さんは言う。「ほんとあの人には困っちゃって、困っちゃって・・」僕は話を、20分も聞いてしまった。ありったけのこと。大家さん泣きそうでした。

「ベンソンバック物語・3・東京行き最終」9/24

 「ぜったいあるよ」とは彼女は言わなかった。

 その日の夜、青春18きっぷで、大垣行きの最終電車に乗るために、僕は東京駅へ向かった。その前に待ち合わせして、仲のいい友達の女のコと会った。「送ってあげるよ」バックひとつを買いに、日帰りで京都に行ってくる僕を送ってくれるというのだ。

 全然バックとは関係のない話をしながら、11時過ぎの発車時間待ち。近くの古本屋で見つけた、山本周五郎の小説「季節のない街」の話。僕はその本を行き帰りの電車で読もうと思っていた。「それ、映画どですかでんの原作でしょう」「へぇー、そうなんだぁ。ほら、泉谷しげるの春夏秋冬の歌詞で、季節のない街に生まれってあるよね。あれってここから取ったのかなぁ」「そうかもねぇ」

 そして11時すぎ、電車は入って来た。京都に行ったらイノダコーヒーのコーヒーを買ってくる約束をして、なんだか淋しそうな電車に乗り込んだ。彼女は笑いながら手を振ってくれている。「コーヒーはあらびきだからねぇー」なんだか、どこか遠くに旅立つみたい。あるかないかわからないバックひとつを買いに、京都まで行く僕。なんだか最後のガムの一枚みたい。

 電車は出る。では行ってくるよ、大好きな君。日帰りで京都から帰ってくるなんて、18時間以上も電車に乗るんだぜぇ。大垣行き最終。何とか座れてラッキーだった。あぁ、見送ってくれた彼女の姿が、目に残っている。さて、僕は「季節のない街」の小説を1ページ目から、読みはじめる。

 面白い。短編になっていて、そのどれもが、僕のこころにしみた。読みたかったテーマだ。いままで読んだ小説の中で一番おもしろい。真夜中、シーンとした車両の中、どんどん読んでゆく。けっこう長い小説だ。行き帰りで、ぜひ全編読みたいなぁ。一編ごとに、僕は感動していた。そうゆう夜だったのかもしれない。

 次の日の朝9時、僕は京都の駅にいた。そして乗り換えて、河原町の駅に着く。とうとうやって来たよ。まだデパートが開くまで、少し時間があったので、商店街をうろうろする。とっても小さな食堂っぽい店があり、のぞくとなんとインスタントラーメンを作って出す店だった。(はぁー、帰りに寄ってみようかな) 10時まではもう少し。

 そして10時、心を決めて、高島屋に入ってゆく。そしてバック売り場。二ヶ月前の記憶をたどってゆく。(二ヶ月前にはドーンと置いてあったからね。絶対あるよ)さあ、イメージイメージ。探してみる。ベンソンバックのシリーズはあるか? 探してみる。しかし見つからない。他の階だったろうか? 他のデパートだったろうか? 不安だ。イメージではもう、見つかっているはずなのに。

 もう70パーセントくらいあきらめながら、僕はある女性の店員さんにたずねた。「あのー、二ヶ月前、この辺にベンソンバックのシリーズがあったはずなんですけど、今ありませんか?」店員さんは言う。「はいはい、ベンソンバックのシリーズね。ありますよ。在庫が」続けて僕が言う。「このくらいの大きさで、ベージュなんですけど」「あっ、たぶんありますよ、少々お待ちください」(ヤッター、ばっちりだぜ、京都まで来たかいがあるってものだ)

 しゃなりしゃなりと歩いて、お姉さんはビニール袋のバックを持って帰って来た。「これですね」そして出してくれた、ベージュのベンソンバック。ほんとはそこで大感動となるはずだったが、お姉さんの持って来たのは、探しているやつより、ほんのひとサイズ小さいやつだったのだ。「あっ、これよりもうちょっとだけ大きいサイズなんですけど」「はいはい、あっそうですか、ありますあります。今、お持ちしますから」今度こそ。

 お待たせと言わんばかりの表情で、お姉さんはバックをまた持って来た。そしてビニールを開けて目の前に見せてくれた。あぁー、確かにベンソンバックなのだが今度はひとサイズ大きいのだ。「あのぉー、この中間なんですけど」お姉さんは、気を悪くする事なく、再度、行ってくれた。そして待つことしばし、とうとうお姉さんが帰って来た。片手には、バックの袋を持っている。あったのだ。

 「こちらですか?」サイズはピッタリなのだが、色がベージュではなく、緑色だった。「ベージュはないでしょうか?」「今、ちょっと、ここには在庫がありませんが、お取り寄せならございますよ」「じゃあ、そうしていただけますか」「念のため、問屋に在庫確認いたしますね」そしてお姉さんは電話できいてくれた。「あのー、ちょうどお求めのサイズだけが、ないようなんですけど、メーカーの方には絶対あるとのことなので、今、確認しますね」

 「あのぉー、私、東京から買いにきたんですけど」「そうなんですか?じゃあ、御自宅の方へバックをお送りしてもよろしいですか」「よろしく、お願いします」メーカーに問い合わせているあいだ、そんな話を交わしていた。そしてお姉さんは、かかって来た電話にいろいろと答えていた。なんか嫌な予感がする。「今ですね、メーカーの方に問い合わせたところ・・」

 「・・残念なんですが、ベンソンバックはつい最近、製造打ち切りになってまして、ちょうど、お客さまのベージュのそのサイズだけがメーカーにもないとのことなんです。こんなことってあるんですね。またこちらの方でも探してみて、あったらお電話しますので、それでよろしいですか?」店員さんは申しわけなさそうだった。「いいですよ。どうもお世話様、ありがとうございましたぁ。」

 どうしてその時、べージュにそこまで、こだわっていたのか自分でもわからない。とにかく、力が抜けてしまった。(ありますって言ってくれたときまでは、調子良かったんだけどなぁー)僕は京都の新京極のあたりを、ぶらぶらして、おたべの人形を眺めながら、通りを抜け、イノダコーヒー店に着いた。そこで、約束のレギュラーコーヒーを、あらびきでひいてもらい、お土産にした。さて、ちょっとのんびりするか・・。高田渡の歌をうたおう・なに好きなコーヒーを少しばかり。・・・

 午後の1時には、もう電車に乗り、僕はまた東京に向かった。着くのは12時だ。また鈍行で行くのだ。帰りの気分は重い。ただひとつ、イノダコーヒーのお土産だけが、僕の救いだった。帰り、落ち込みながら、また「季節のない街」の小説を読み進めてゆく。ちょうど半分、なんとか東京までには、全部読めそうだった。短編をいくつか読んでゆく。やっぱりいい。

 「プールのある家」の所を、読んでてあまりに哀しくて、涙がポロポロ出てきてしまった。乞食のおやじが言う「きみーかんがえたんだぁー、プールをつくろうよ」「そうだね、それがいいね」このフレーズを憶えている人は多いだろう。京都ではバックに会えなかったけれど、この旅は、この本と出会うためだったのかもしれない。

 ガタンガタンガタン。今の車両はこんな音はしないのかもしれないが、品川に着いた時は、たしかにそんな感じだった。12時過ぎ、やっと東京に着いた。ベンソンバックを買いにここを出て京都に向かったのは、そう24時間まえのこと。駅に着いて僕はすぐ、見送ってくれた彼女に電話を入れた。

 「もしもしー、帰って来ました」「バックあったぁ?」「それがねぇー・・」東京は雨が降っていた。僕はイノダーコーヒーのお土産のことを嬉しそうに伝え、本が面白かった事を伝え、近々に会う約束をして、電話を切った。昨日のような、今日のような変な一日。秋葉原からは、また50分くらい家までかかるのだ。雨の中、濡れながらアパートに向かう。電話の声がいつまでもやさしく耳に残っている。

 部屋に着いた。バックを開けるとコーヒーの香りでいっぱい。この香りがここにあって良かった。(あぁー、疲れたよー)ベンソンバックはなかったけれど、もうこれでいい。その日は久しぶりに、コタツで眠った。9/23 こんなに長くなるとは思わなかったけど、どうしてもこの話は書きたかった。うまく伝わったかはどうかはわからないけど、ちょっくら・おん・まい・でいず、こんな一日があったのだ。

「バッチのなくなる日」9/25

 カバンには、いろんなものを付けてきた。シール。ワッペン。キーホルダー。一度貼ったシールをはがすのは、よくないよ。ぜぇーったい失敗するよ。そりや、みんな知ってるか?

 小さい頃、シールはいっぱい貼ったな。鞄に。でも、なんだか気に入らなくて、こすってはがそうとしてね、めちゃくちゃになっちゃうんだよ。そんな思い出ばっかり。

 キーホルダーもよく付けたな。でもいつのまにか、ホルダーからの先がなくなってて、すごく、哀しい。だいたい、お気に入りを付けるんだから、ショックも大きいさ。

 専門用語で申し訳ないが、ガチャガチャで当てたヤツなんて付けるのにいいよね。どこにも売ってなくて、それでいて笑えるし、なくなってもそんなにショックはないしね、もう迷わずに、付けちゃうよ。また、とれやすいんだこれが。

 バックといえば、バッチ? そう思っているのは僕だけかなぁ。バッチはなかなか無くならない。だからほんとに気に入ったものを付けてしまう。気に入ったバッチはいい。だって、昨日と同じところに居てくれるからね。

 当たり前のように、付いていたバックのバッチが、気付いてみると、なくなっている日がある。ちょっと前だけど、木で作られた吠える犬の横姿のバッチがなくなった。一年位付けてたんだよね。そのバッチがあると、犬のトレードマークのバックみたいになっていた。それがないと、ただのバックになってしまう。

 バッチのなくなる日、その日、バッチのとれる音が、小さくこの世に響く。バックのバッチ、それは明日へ向かう、小さな道しるべだ。バッチのなくなる日、その次の日は静かにじっとしていた方がいい。

 バッチのなくなる日、そう、それは双六の一回休み。明日になったら、またサイコロを振ろうよ。9/24 今日、久しぶりに夢を見る。あんまり久しぶりだったので、これが夢だと気が付かなかった。その夢の中に出て来た友達から、偶然にも久しぶりの電話があり、変な気分。僕はその友にどうしても、謝りたかったのだ。(ゴメン・・)

「だいたい家には傘がない」9/26

 朝、出かけに雨が降っている。僕は玄関の前の洗濯機の横に自分の傘があるかどうか、掛けをしなくてはいけない。部屋の中にはもちろん一本も傘はない。洗濯機の横に傘があればラッキー。なければ、さて、どうしょう?

 明日は雨がふりそうだなと思って、バイト先から、一本ビニール傘を持って出るのだけど、まともに家まで持って帰れたことがない。コンビニとか本屋さんとか、電車の中とか、かならず忘れてしまう。嘘じゃなく、置いたら思い出せないのだ。そんなこんなで、家にはいつも傘がない。

 ちょっとくらいの雨だったら、僕は傘をさすことがあんまりない。と言うか、傘をさすにはビニール傘を買わなくてはならないのだ。駅に着いて雨が降っていることは多い。そんな時は悩まず、大降りになる前に家に帰ってしまうのだ。濡れる。まあ、服とかはいいんだけどね。問題はそう、バック。バックの話。

 僕だって失敗はイッパイした。バックの中の本が濡れてしまうのが、一番哀しい。もう戻らないしね。僕はまだ経験はないけど、友達から借りている本だったらどうするんだろう? ある程度、大丈夫だと思っていても、だんだんしみてきて、中が濡れてしまう事も多い。特に革のやつなんかね。

 いつでも小型の折りたたみ傘を持ち歩くのも、どうしてもできない。というか、意外と小雨の中を歩くのが好きなんだよね。なにか、思い出すっていうか、生きてるって実感するっていうか、自分でもよくわからないけど、なんだか自分らしいような気がしてくる。

 そんな自分のワガママから、いつもバックを買うときは、ほぼ完全防水のやつを選ぶようにしている。ちょっとくらいの雨どころか、大雨でもだいたい平気だ。バックには悪いと思っている。でも、傘を買いに行くにも、濡れてしまう、今日この頃だ。

 ある時、すごく気に入ったバックを買ったんだけど、防水じゃなくてね、内側にビニールの生地をもう一度貼って、使っていたことがある。もうそれはほんと完全防水。でも、すごく重くなって、中身も小さくなり、使いづらくなったけど、2年も3年も大事にしたバックもありました。9/25 今日も暑かったね。なんか今年はほとんど夏だったような気がする。昨日はやっと秋って気がちょっとしたけど、相変わらずまた夏だね。今日は空をまじまじと見ちゃったよ。実は僕は海っ子で、たぶん今年の夏は海っ子にとって天国だったかも。でも8月終わりでクラゲがいっぱいいたからなぁ。そんなこと、空を見て思ってました。

「1000円バックの不思議」9/27

 バイト先の近くに鞄屋さんがあり、そのショウウインドゥに飾られているバックがALL1000円なのだ。それはショウウインドゥだけじゃない、店の奥へと続く通路に飾られているバックもまた1000円なのだ。

 1000円。そういえばこの前ジーンズ屋で買ったバックも1000円だったなぁ。お茶の水の駅前でダンボールの中にあった、巨大バックも1000円だったなぁ。「倒産品だよー」と言われ、つい買ってしまった。なぜ1000円のバックを買ってしまうんだろう?

 僕は実は商業高校を出てて、その習った授業の中に、値段の購買心理というものがあった。同じシューズでも、780円と値札を付けるのと980円と値札を付けるのでは、980円の方を買ってしまうらしいのだ。さてなぜバックは980円ではなく1000円なんだろう? 1000円の方がいっぱい入るような気がするのかなぁ。

 実際、僕は1000円と言われて(おー、安いね、3000円くらいするぜー)と思った。なぜバックは2000円とか3000円とか、そんな単位で値段のイメージが湧くのだろう。きっとそれは簡単だ。バックが四角いからだ。逆に丸っこいバックなら、880円とか1280円とか似合うんだろうね。

 1000円のバックを買ってしまうのには、きっと他にも理由があるはず。「いくら?」と聞かれて、「980円」って答えられたら、まるで(安くしてるんだよ)という感じだ、しかし「1000円」と言われたら、(いいものが安くできました)って感じじゃないか。

 それに1000円と言われたら、ほら千円札を一枚、思い浮かべるよね。2000円だと二枚。1000円→千円札→四角→バックとイメージされ、(こりゃ、買わなきゃ)と条件反射でつい、お札を出してしまうのかもしれない。その時、僕らの頭の中では、四角いお札が、一枚・二枚と浮かんでしまう。そう、途中がなくなってしまうのだ。きっと心の動きはこうだ。

 (えっ、なに? 1000円? そこで千円札が浮かぶ。そして四角いバックと千円札が映像的に重なる。するとバックがとても軽るーく、思えてしまう。するとその軽さが「安い」に変換される。そしてつい、買ってしまう)

 「これ、ください」そしてつい買ってしまう1000円バック。千円札の四角とおおきなバックの四角との交換。なーんか徳したような気がしちゃうんだよね。980円じゃあ、こうはいかないよ。9/26 今日、大きなバックを持って電車に乗ったら、ドアにバックがはさまれてしまった。こりゃ失敗、次の駅で降りたいのに、反対のドアが開くのだ。もう仕方がないから、バックをドアに付けたままで、本を出したり、ペンを出したり、もうやけでした。

網棚のバック」9/28

 電車の網棚の上に、自分の鞄やバックをさっと乗せられる人がいる。いつも思うのだが、僕にはとても信じられない。

 電話ボックスの電話の上に何か乗せるときは、ほんと要注意だ。だって留守電を聞いたりするとき、もしもショックな内容だったら、電話の上に置いてあったものなんて忘れてしまう。だから僕は、電話器の上に物は置かない。一度手帳をなくして以来、そう決めている。

 バックの中ってすごく大事なものが入っているよね。それをひょいと電車の網棚の上に乗せるなんて、いったいどうゆうつもりなんだろう。一度、網棚の上にバックを置く友にそのことを尋ねたことがある。友の答えはこうだ。

 「忘れるわけないじゃん」そうか・・。そのへんに何か、僕と違いがありそうだな。だって僕の場合は、

 「忘れるに決まってるよぅ」だもの。網棚だけじゃない。普段ひとつしか、バックをもっていないのに、たまたま二つ持ったりすると、切符とか買う時に、バックを置いて、すっかりまた、ひとつだと思って置いてきてしまうのだ。思い出すって行為って意外と大変だと思うんだけど、違う?

 以前、駅から直線で15分の所に住んでいたとき、よっぱらって帰ってくると、その間にあるいくつかの信号のことなんて、まったく記憶がなかった。そんなに酔っていたわけではないんだけどね。僕自身の僕の推測によると、他のことを考えていたんだろう。それしかない。

 僕だけではないと思うけど、他の事に頭の中を奪われてしまうと、まず、思い出せなくなってしまう。意識なく街とか歩いてしまう。だから僕の場合、ファッションではなく必然的に、バックはたすき掛けになってしまう。これなら、ほぼ大丈夫だ。それに運の悪い事(?)に、

 僕はいままで多分バックを一度もなくしたことがない。だから、バックをなくす、教訓が自分の中にないのだ。

 網棚のバック。僕から見れば、それは信じられない奇跡が、おこっているようだ。僕なんか、いっだってたすき掛け。9/27 いよいよ明日はライブの日だ。リラックスして自由自在に声をだしてみたいなぁ。僕が緊張してるようだったら、ぜひ「ちょっくら。ちょっくら。」と声をかけて下さい。

「記念写真」9/29

 たいがいはひとつのバックをこわれるまで、使ってしまう。だから、ある期間はずっとそのバックを肩から掛けている。

 中身をシンプルにしておけば、服のように、バックも着替えられるだろう。服のように、いくつも下げておく習慣もできるかもしれない。

 チャックが壊れるちょっと前に、バックを替える事ができれば、またいつの日か、そのバックを肩から掛けることもできるだろう。でもいつもそれができない。

 記念写真。僕らはポーズをする。Vサイン。そんなシーンの中にバックもある。バックは特別、Vサインをするわけではないが、そっとだまって、自分が隠れないで、写るかなって、ちよっとだけ心配をする。

 知ってるよ。そのバックがその時期にずっとそばにいたってことを。

 記念写真がある。鞄やバックが一緒に写っている。僕はいつも、人と、そしてバックの事を思ってしまう。なにげなくそこにいて、ちょっと肩に重い。9/28 やっと地下のライブが終わりました。新曲3曲。うまく歌えて嬉しかった。特に「この夕暮れの向こうに手紙を届ける方法」っていう歌。原くんバンジョーがベストマッチでした。今年はこの歌が作れたので、ほんとに嬉しい。大事に大事に歌っていきたいです。モザイクフリー、そしてドン・カ・ジョンさん、お疲れさまでした。いよいよ明日でテーマ「かばん」もラストです。来月は「実家・僕の好きだった所30選」です。さてどうなるかな。

「そんなカバン屋さんのメッセージ」9/30

 とある下町の一軒のカバン屋さん。そのカバン屋さんに僕は仕事でよくお邪魔する。狭い店内だけれど、すごくよく整理されていて、それでいて、スッキリと並べられている。でもまるで時代がちがう。

 「お邪魔しまーす」中に入ると、四畳半くらいの居間がひとつあって、いつも老夫婦が座っている。部屋の中もきれいに整理されていて、それでいて、スッキリとしている。なんだか現代のものが置いてないような、部屋みたい。

 ある時、娘さんが二人遊びに来ていたことがあった。僕が声をかけると、娘さんは急いで、二階へ続く階段を登り、通れるスペースをあけてくれた。きっとお客さんが来るとそうしてるんだろうなぁ。

 お店の奥には、小さな木の丸椅子がレジ(?)のところにあって、その椅子はピカピカにつやが出ていた。いやそれだけではない。よく注意してみると、なにもかも、ほんと大事にされているのだ。

 その老夫婦はとっても仲がいい。信じられないくらいに、仲がいい。とっても仲がいいのだけれど、べたっとした感じではなくて、あっさりとしている。ふたりとも小柄な人だ。

 僕はその小さなカバン屋さんにお邪魔するたびに、心洗われる想いがする。几帳面な人の家にもよく、ゆくことはあるけれど、その整理整頓光景にはびっくりする。そんな感じとはちがい、ほんと、どうぞどうぞという空気にそのカバン屋さんは包まれているのだ。

 とっても幸せな気分で、いつもそのお店を後にする。そしてある時のこと、お店を出た僕を、おじさんが呼び止めたのだ。

 「ちょっと、ちょっと、お兄さん。そのカバン、カバンのチヤックが開いているよ。気をつけなぁ。」「あぁ、ほんとだ。どうもありがとう」

 僕の仕事カバンはいつも、基本的にチャックを開けてある。今回だけではない。カバン屋さんのおじさんは、やさしく一言、そう言ってくれたのだ。それは僕のためとそしてカバンのために。

 僕はとってもバックを愛しているって書いて来てるけど、話しかけてもまだバックの方から、答えが帰って来たことはない。でもあのカバン屋さんのおじさんはきっと、カバンと会話ができるのだ。

 僕のバックの中身はゴチャゴチャだ。きっとこれではいけない。バックと話せるようになるには、まだまだ、道は遠いようだ。9/29 一ヶ月どうもありがとうございました。テーマ「カバン」は今日で終わりです。とっても僕なりに、がんばって書いたつもりです。とても楽しい毎日でした。ぜひ感想を掲示板までください。まだまだバックの話は受け付け中です。さて、来月は、僕の田舎にいたころ、好きだった場所30選です。

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