青木タカオの「ちょっくら・おん・まい・でいず」  今月に戻る
過去ログ「私の作ったノートたち」日記付き'02.6月〜8月

vol.1「一日一行日記」(6/3)

 まず、ノートありきだ。ノートがなくっちゃ始まらない。

 23才。高校を卒業して、5年目。いままですぐに思い出せていた言葉や名前が、ド忘れするときが出てきた。

 (もしかしたら、記憶力が・・)

 それまでは、出来事はみんなおぼえているつもりだった。しかし書いておかなければ、やがては忘れてしまうだろう。とは言っても「日記」というものも書いたことがない。

 (とりあえず、一日、一行なら書けるだろう)と、言うことで、大学ノートを買ってきて、その表紙に私は「一日一行日記」と書いた。それは、振り返れば、私のノート人生の始まりだった。

 「一日一行日記」。これは実に楽だった。毎日、続けるということの方が価値がある。一行だって、かなりの内容を書くことだってできる。日記を書く楽しみも知った。

 日記を書くのは楽しい。そうなのだ、一日一行じゃ無理があった。結局、ひと月後には、5行くらいになってしまった。そしてやがては・・。

 続けることは、大事だ。たとえ、一日一行でも。


vol.2「日々の唄種」ノート(6/6)

 これは、私の作ったノートの中でも、歴史が古く、かなりの思い出がある。「日々の唄種」ノート。新曲用のノートだ。A4。いつもカバンに入っていた。

 新曲を作るためのノートは、唄を作る人たちはみんな持っているだろう。シンプルに「創作ノート」と書いている人が、30パーセントかな? 「アイデア帳」とか付けている人が、20パーセントかな。「歌のヒント」って、付けている人が、10パーセントくらいか・・。

 どうやって、歌を作ってゆくかによっても、ノートの性格が変わってくる。人によっては、直接、歌詞を作ってゆく人もいるだろう。人によっては、教室の黒板のように斜め文字が走っている人もいるだろう。僕の場合、はじめ、タイトルのイメージをひとつ書いて、あとは思い浮かぶ事を箇条書きで書いてゆく。

 この方法はとても便利だ。どこでも続きが書けるし、三・四ページあれば、一曲の歌詞を作るには、必要なヒントには出てくる。バイト帰りの電車の中、公園のベンチ、どこかの待合い所でも、続きを書いてゆくだけでいい。楽だ。

 歌を作るとき、次に登場するのが「何でも帳」だ。このノートは無地で、歌詞をいろいろ実験しながら作ってゆく。だから、「創作ノート」でも「日々の唄種」ノートは、とてもシンプルで、長持ちするノートだ。

 「日々の唄種」(1) 「日々の唄種」(2) そして(3)(4)とつづく。。一冊、書き終わるまでに、一年から二年もかかる。しかしいつでもカバンの中に入っていて、毎日のように、書き込んでいると、そのうち背がボロボロになってしまう。

 ペラペラと、最初のページの方を見てゆくと、なんとも懐かしい。ちゃんと歌になっていったものもある。ボツ作になったものもある。しかしこのノートの中では、同じようにパワーいっぱいで書かれている。


vol.3「漢字を練習するって、おまえは決めたろ帳」(6/9)

 一度はそう決めたことでも、いざ、それをやろうとすると、突然に眠くなってしまうことが多い。漢字練習。これは毎日続けるには、かなりのパワーが必要だ。

 一冊のノートに向かう。B5。漢字の練習帳になるノートだ。これからタイトルを書くところ。『漢字練習帳』では、たぶん続けるには無理だ。パワーがない。僕は自分の考えうる言葉の中で、一番の喝のあるタイトルを書いてみる。

 『漢字を練習するっておまえは決めたろ帳』。これだ。これしかない。これで毎日、漢字を僕は勉強することになるだろう。タイトルが長い分、強い意志を感じるではないか。

 「ノートに向かうと眠くなる病」がある。しかし、そこで負けてしまっては、次には進めない。せめて15分。いや10分でもがんばれる言葉をトップにつけるべきだ。

 自分に問いかける言葉のタイトルは、意外と成功する。僕は、毎日続けることができた。でも、そのパワーも、他のノートに付けてしまっては慣れてしまう。

 最初に、こんなタイトルを付けたノートが、漢字練習帳で良かった。一度目の正直というところかな。(6/9)


vol.4「memo memo ノート」(6/12)

 蟻ん子たちは、どこからかやってくる。またみんな巣に戻ってゆくように、僕にも、集められたメモのノートがある。

 「memo memo ノート」。日々感じた事は、小さなICレコーダーに録音され、たまったところで、 memo memoノートに書き写される。すべてはそこから始まる。まるで巣のようだ。 

 書き並べられたアイデアは、歌になりそうなもの。エッセイで書きたいもの。詩になりそうなもの。ホームページに載せたいもの。ミニコミに載せたいもの。ライブで話したいこと。その他、にチェックされてゆく。いろんなアイデアや、見つけた面白い言葉も書いてあり、ノートは僕の百科事典のようだ。

 しかし大量に書いてあるわりには、チェックされているものは、意外と少ない。ほとんどがボツのアイデアだ。そのへんがまた、いい感じのB5のノートだ。そしてこのノートがないと、たぶん何も進んでいかない。ボツになってしまったアイデアは、なかなか復活することはない。我ながら厳しいノートだ。

 思い浮かんだことはすぐICレコーダーに入れる。たまたま持っていないときは、憶えておいてあとでノートに書こうと思う。しかし忘れてしまって、ほとんど思い出せない。その悲しさと言ったらない。

 たぶん、ふと思い浮かんだことは、忘れやすいこと、まちがいない。(6/12)


vol.5「思い出帳」(6/15)

 突然に、ふと思い出せなくなってしまった。

 名前とか出てこないのだ。やばい・・。それは僕自身にとって、初めてのシヨックであり、ある予感が生まれた。 

 (もしかしたら、そのうち全部忘れてしまうかもしれない・・)

 25才になった頃、僕は一念発起して、ありったけの憶えていることを、ノートに書いてゆくことに決めた。人の名前が特に大事だ。いずれ忘れてゆくなんて思ってもみなかったのだ。日記なんて、まったく書いてこなかった。

 小さい頃からの事を思い出せるだけ書いていった。「思い出帳、vol.1」イラスト付。今書いておかなければ、もう誰も思い出してはくれないだろう。

 幼稚園に上がるまえのことや、小学校時代、その一年一年、先生の名前、友達の名前。顔のイラスト。ありったけの出来事・・。しかし書き始めてみると、意外と、そんなに大量にないこともわかった。そして中学時代、高校時代。東京に来てからのこと、みんなに知り合った頃のことまで・・。

 ありったけの思い出を書き上げるまで、約2年。頭の中の全部とは言えないが。

 ・・・僕の思い出は僕しか憶えていないだろう・・

 そのノートが出来てから、またさらに15年以上たった。もう一度、ノートを見てみれば、なんとなくやっぱり憶えている。しかし人名までは、さすがに記憶の中から消えかかっていた。書いていて良かったよ・・。

 あっというまにたった15年。東京に来てからのことは、まだビデオテープのように記憶の中にある。日記にも書いてある。最近は写真も撮っている。写真は大事だ。

 僕は東京に出てくるまでは、写真をほとんど撮らなかった。「思い出になる」という意識が、なかったのだ。


vol.6「彷徨帳」(6/18)

 外歩きは楽しい。僕は、小さな紙のカードをポケットに、夕方にかけて散歩に出かけた。

 「散歩」というよりも、それは「うろつく」という感じだ。ただ歩くわけではなく、求めさまようのだ。

 ・・・では、何を?

 それは、そこにある出来事だ。たとえば「背高あわだち草が、伸びすぎて倒れていた。」まあ、こんな感じだ。こんな感じのメモをポケットの紙のカードに書いてゆく。

 住んでいるアパートから、毎日出かけて、心のままに歩いてゆく。40分くらいかなぁ。やがて、紙のカードの表はいっぱいになり、裏面へ。そして、帰ってくるのだ。

 (今日は大漁だ・・)

 夜になって、その紙のカードに書いた走り書きの文字を、B5の「彷徨(うろつき)帳」に、書き写してゆく。今日はこんな事があった。そんな日々が、二年間くらい続いた。

 今も散歩にはよく出かける。しかし、この頃にようには歩けない。商店街はまた、商店街に戻った。

 「彷徨帳」は、いつのまにか、終わってしまった。忙しくなったきっかけがあったのだろう。今、読み返してみると、その夕方が、そのまま思い出せる。


vol.7「TAKAO TOWN」(6/22)

 さて、旅に出なくてはいけない。

 A4の「TAKAO TOWN」ノートを開く。そのノートには、TAKAO TOWNでの出来事が書かれている。

 TAKAO TAWN はどこにある。そこは、僕のA4のノートの中だ。そこは僕の中の街の話。自由に物が動き、あらゆることの時間が、解き放たれている。欲しいものがそこにあり、登場人物は、そこにいるべき人がいる。

 前から創作のひとつとして、いろんな出来事を想像して書いてきたけれど、それをひとつのノートに書いてゆくことは初めてだった。

 「闇の中から聞こえて来たバイオリンの音色。私は音だという、もうずっと前からさまよっている音だという」

 「電車の床に足がズボリと入り抜けなくなってる人がいた。彼はいったいどこまで電車に乗るのだろう」

 こんな感じで続いてゆく。それはひとつの幸せだ。

 みんな自分の街の話を作ってみるといい。このノートは、僕としては珍しく「vol.3」まで作られていた。


vol.8「IKARI NO TECHO」(6/25)

 「怒りの手帖」。

 スタインベックの小説に「怒りの葡萄」というものがある。1930年代、砂嵐に追われてゆく人たちを描いた小説だ。それはまた、ウディ・ガスリーの歌の舞台にもなっている。ウディ・ガスリー。それは僕の憧れ・・。

 ウディ・ガスリーは、歌にメッセージを込めて歌い出した人でもある。メッセージフォークの元祖(?)と言われてもいる。メッセージと言えば、怒りが大事だ。そこで登場するのが「怒りの手帖」だ。

 これは小さなB6のノート。日々のいろんな怒りを書いてゆくノートだ。愚痴の書きだめではない。歌になることが前提に書いてゆくのだ。自分で作っておきながら、このノートは使えると思った。いいじゃないか。

 「そのうちのことだ。人々は値札のついたまま服を着始めた」「駅のホームのゴミ箱から、鬼の子どもが生まれた」「ため息と一緒に魂が出てきた」「サラバ、帽子は悩むことなく、別れを告げた」「いったい何度、マイウェイを歌うんだ!!」・・。

 あれ? なんだか、日常のポエムになってしまった。おかしい。もっと社会派の「怒り」のノートになるはずだったのに。

 「怒りの手帖」は、約一年で自然消滅した。 


vol.9「一杯のお茶ノート」(6/28)

 文房具屋で、いいノートを見つけた。薄グリーンの表紙の、なかなかに渋い小さなB6の大学ノートだ。

 「これ、いいな。何かノート作ろう。」

 感動的に買って来たものの、さて、何のノートを作ったらいいものか。筆ペンを取り出して、キャップを開けてみるけれど、まだ決まっていない。かすれた筆文字で、書いたのは「一杯のお茶 NOTE」。

 「一杯のお茶 NOTE」とタイトルを書いてみたものの、さて、どんなノートにしたらいいものか。それが決まっていない。B6のノートというのは、意外に小さくて中途半端だ。

 「一杯のお茶 NOTE」というくらいだから、まずお茶を入れてみよう。ノートをひらく。今日の日付を書いて、それから、タイトルなしの小さな詩を一編書いてみた。

 (これしかないな。。)

 いや、待てよ。詩の方を、お茶と考えてみよう。


vol.10「シンプル・ギリシャ神話」(7/1)

 旅の途中で、ギリシャ神話の文庫本を読んだ。それはそれは長い一夜を、僕にプレゼントしてくれた。

 (うわぁ、面白かった・)

 今まで、ちゃんと読んだことがなかったけれど、こうしてわかりやすく書かれていると、僕のようなギリシャ神話初心者には、リアルにのめり込むことができた。

 ギリシャ神話は、名前を変えてローマ神話になる。どれもみんな聞いたことのある登場人物ばかりだ。アポロン。アフロディテ。ポセイドン。。これはぜひ、おぼえてしまおう。それがいい・・。

 ギリシャ神話はストーリーだ。登場人物どうしの展開が多い。おぼえようとすればおぼえられるだろう。僕は、ノート1ページに、数行づつ書いて、矢印で、また数行につなげてみた。これは最高にわかりやすい。

 『プロメテウス兄弟とパンドラ』ゼウスの命令にてプロメテウスは赤土から人間を作った。→プロメテウスは人間に狩りや言葉を作った。→ゼウスの命令を裏切り人間にヘリオスからの火を与えた・・・こんな感じだ。

 ノートのタイトルは「シンプル・ギリシャ神話」。やっぱりおぼえごとは、1ページ未満じゃないとね。


vol.11「SF巨編・道子と啓介」(7/5)

 いったいどこがSFなのか・・。

 道子と啓介は、壮大な宇宙への旅に出て、未来に行ったり、過去へ行ったり・・するはずだった。

 しかし、SF小説なんて、なかなか書けない。こんなに難しかったなんて知らなかった。ついつい身近な話題になってしまう。石鹸とかが主役になって、物語が進んでゆく。

 だいたい僕は、SFとはスペース・ファンタジーだと思っていた。調べたら、Science Fictionだった。

 (Science Fictionって何?・・)

 もう、始まりからまちがっている。こんなんじゃ、SF巨編になるわけがない。道子と啓介は、結局、映画「猿の惑星」に似てしまった。

 半ページ書いては、また数週間たって、続きを書いてゆく。いつになったら10ページゆくのか。

 道子と啓介も、待ちきれなくなって勝手に旅に出たらしい。


vol.12「ツラツラ帳」(7/6)

 いろいろなノートを作って来た。しかしあまりに細かく作りすぎて、自由に書けるノートがない。

 そこで、作ったのが「ツラツラ帳」だ。

 題材は自由。ノートを開き、日付を書いて、思ったイメージを書いてゆく。詩のようなときもあるし、ただの文のときもある。誰かへの手紙でもいい。

 そのノートの基本は、思いつくまま「つらつら」と書いてゆくということが大事だ。そうすることで、解放されたアイデアもどんどん出てくるだろう。

 「つらつら」その意味とは・・。僕の中では「思いつくまま」という意味でとらえていた。しかし、いま辞書で調べてみると、『(副)つくづく。よくよく。』になっていた・・。

 (まいったなぁ、意味がちがうじゃないか)

 B5の「ツラツラ帳」。何を書いてもいいと言うことで、いつでも、このノートを僕は持ち歩いていたようだ。そのうち、歌の創作ノートの代わりになり、予定表の代わりになり、メモ帖の代わりになってしまった。

 こうなると「ツラツラ帳」は、ただの何でもノートになってしまった。


vol.13「JAM帳」(7/11)

 JAMと書いて、ジャムと読みます。

 ジャムと言えば、いちごジャムか・・。そして、ジャムセッションのジャム。「ジャム帳」は、ちがうふたつの言葉をつなげるという、言葉の練習帳で作った。

 「おいしい生活」この有名な糸井重里のコピーみたいな感じで書いてゆく予定だった。

 なるべくちがう言葉をつなげてみることは、たいへんに創作に役に立つ。しかし普段から使う訓練をしないとなかなか出て来ない。

 「あくび飛行船」「二杯目の海」「歌ってくだけろ!!」他・・。(これは、なかなかいい。)

 ノートに向かっても、なかなか出て来ないときもうある。あまり考えてはいけないので、そのうち適当に作ってしまう。

 「瞳次郎」「電光ごはん」「腹ぺこ傘」他・・。(ちょっと、ちがうなぁ。)

 「サングラスガラス」「人体コイン」「ミルク反省会」他・・。(これは、変だなぁ。)

 まあ、大きな意味で、JAMなんだけれど。


vol.14「リンゴ勉強帳」(7/14)

 愛するということは、ノートを作るということかもしれない・・。

 青果市場でアルバイトをしていた僕は、リンゴとスイカの運搬係になった。どちらの果物ももともと好きだったけれど、何年間もつきあっているうちに、かなり詳しくなってしまった。

 スイカは深い。それにもましてリンゴも深い。時期を分けて市場に入荷してくるそれぞれのリンゴの種類が僕には、まるでやって来る友達のようにも思えて来た。

 リンゴは個性たっぷりで、どの種類でも、それなりに味を持っている。そしてそのどれもが誇らしい。掛け合わせによって生まれたリンゴも多い。

 「ふじ」のリンゴは、「国光」と「デリシャス」の掛け合わせだ。お互いの良さを引き継いで、堅くて甘いリンゴになった。掛け合わせと言っても、個性が鈍るというわけではない。

 いろいろと知ってゆくうちに、とうとうリンゴ勉強帳を自分で作ってしまった。わかればわかるほど、味の増してくるリンゴだち。お気に入りは「紅玉」と「千秋」だ。

 市場を離れて、15年になるけれど、今だっていつだって、リンゴを食べたいと思う。

 リンゴって、愛しいやつだ・・。


vol.15「でさえも帳」(7/17)

 でさえも帳とは何ぞや?

 でさえも帳だけではない。こんなタイトルのノートが、まだ数多くある。「〜のような〜ノート」というものもある。「でさえも帳」とは、〜〜でさえも〜〜という文をつくるノートなのだ。

 こんなノートでさえも、一本の樹の一部だったことにはちがいない。

 こんな感じで、ずっと書いてゆくのだ。「今日のように暑い日差しでさえも、明日には、何ひとつ残っていない・・」

 もともとこんなノートを作るには、ひとつのきっかけがあった。イギリスの詩人の「ディラン・トマス」の若い頃の詩には、ものごとの二面性が常に書かれていて、それは大事だなと、こころから思ったのだ。

 こんなノートを作ったからといって、ディラン・トマスになれるわけではないが・・・

 それでも、思い立ったら、すぐにノートを作ってしまった。

 こんなノートを作った僕でさえも、このノートを最後まで書くことは出来ない。


vol.16「そして私のやったこと帳」(7/21)

 今でも、毎日の計画を書き出す癖が残っている。

 海外から帰ってきてからの一年間、僕はお金もあったせいか、ずっと好きなことを勉強していた。言葉の勉強や、詩や、いろんな国のこととか・・。

 毎日、毎日いろいろやってもその記録がないのは淋しい。そこで僕は「そして私のやったこと帳」というノートを作った。ちなみに、'88年.10月17日はこんな感じだ。

 1.日記(20分)・2.イラスト(10分)・3.辞書(30分)・4.慣用句(20分)・5.ことわざ(20分) -お昼- 6.グリーンノート(15分)・7.いいまわし(30分)・8.英語(15分)・9.俳語(15分)・10.古語(10分)・11.詩研No1(30分)No2(30分)・12.蕪村(30分)・13.金子光晴(30分)・14.エイミー・ディキンソン(30分)・15.光晴帳(20分)・16.自然表現抜き出し帳(60分)・17.恋愛の詩(30分)・18.ヴェルアーレン(30分)・19.ディラン・トマス(20分) -スイミン-AM1:30

 とか、計画されている。そして実際にやったことには、丸が付けられているのだが、この日は、14くらいまで、ちゃんと実行したようだ。

 今も一日の計画を立てるときは、分刻みまで、書いてしまう。しかしその実行は絶対に無理だ。しかしそう書いてみるのは楽しい。

 ・・まるで、プラモデルの設計図でも、見ているようだ・・。

 こう書いてくると、まるで僕は、几帳面な性格のように思えてしまうかもしれないが、ただ書いてみたいという事なのだ。

 イベントとか計画は苦手。しかし、毎日の計画をするのは好きだ。なぜだろう。


vol.17「OFF NOTE」(7/25)

 いつ晴れるんだろうと思うような曇り空。

 そんな気分の日々が続くとき、どんなノートに向かっても、どうも書く気が起こらなくなる。

 (さて、どうするかな・・)

 そして作ったのが、「OFF NOTE」だ。

 悩んだとき、人は堂々巡りをしてしまう。しかし書いて考えると、意外と同じことは書かず、どんどんシンプルになってゆく。

 ・・・それに、もしかしたら、書いてるうちにアイデアが浮かぶかもしれない・・。

 「OFF NOTE」は、とにかく何が書いてみようというノートだ。特にテーマがあるわけではない。その書き出しの一行は「どうしたらいいんだろう?」で始まっている。

 どうにもだめなとき、友達からの電話もなかなかないように思えてしまう。誰に会っても、どこか淋しさが残ってしまう。そんな夜は、ノートだけが友達のようだ。

 好きなことをただ書いてゆく。それがいい。


vol.18「四行詩大研究」(7/28)

 起・承・転・結・・物事は、四つに分かれることが多い。

 詩においても、古くから四行で続いてゆく詩が多い。

 (これは、四行詩について勉強しないとなぁ・・)

 持っている詩集の中から、四行の詩を探してゆく。その構成を書き出してゆく。1「問い」2「答え」3「問い」4「答え」・・と、いうように、必ずしも起承転結だけではない。その構成はさまざまだ。

 どんどん書き出していって、とうとうノート一冊分ができてしまった。これさえあれば、創作に役立つだろう。完璧だ。かって、四行詩の構成について、これほど書かれた本があっただろうか? 図書館に行っても見つからないかもしれない。

 完成したとき、かなり満足してしまった。しかし・・、そのノートが見つからない。誰かに貸したのか、どこかに紛れこんでいるのか?

 結局、作ったまま、使われずに今日まで来てしまった。僕の部屋の中の幻のノート「四行詩大研究」。

 (あーあ、大研究したのになぁ・・)

 これも起承転結の流れのひとつのようだ。


vol.19「よくつかわれそうな文句」(8/1)

 言葉を楽しむことはいいことだ。

 僕は一冊のノートを作り「よく使われそうな文句」を集めた。小さなカードをいつもポケットに持っていて、面白い言葉をチェックしてゆく。そして家に帰ってからノートに書き写すのだ。

 雑誌を読んでても、漫画を読んでても、友達と話してても、テレビを観てても、つねに言葉のアンテナは張っていて、「おっ」と思えば、書き写す。それをまた自分が使える楽しさ。

 「今日は大漁だ!!」

 一日に言葉を5つも見つかれば、それは僕にとっては大漁を意味していた。

 たとえば「年がら年じゅう」という言葉をきくと、知ってはいるけれど、普段忘れている言葉だなぁと思う。(よし使えるぞ!!)と、ノートに書いてゆく。そんな言葉が、100、200、300、400・・。

 使えるチャンスさえあれば、いつか使おうと思う。しかしこれがなかなか口から出てこない。やっと思いだして、ちょっとタイミングが遅れながらも使ってみると・・

 使ってみると・・、なかなか、これが、変な感じなのだ・・。

 やっぱり言葉を使うのは、タイミングが大事。そう、タイミングが大事だ。 


vol.20「私の作ったノートたち」(8/5)

 私の作ったノートたち・・。

 その後半はほとんど白紙になっている。

 もうすっかり忘れられた存在ばかりだ。今度はいつそのノートに文字が足されるかは、誰も知らない。

 僕だって知らない。

 ノートたちはやって来て、今も本棚にある。その表紙にはどれも熱い想いがある。

 ・・一本のマッチをする。燃え上がる炎・・。

 その炎は、1.2.3.と数えてる間に、条件反射のように消されてしまう。指に届くまえに振られてしまうのだ。

 しかしノートたちの炎は、指を越えて進んでゆく。表紙の行進だ。

 (ノートたちの炎は、指を越えて進んでゆく。そうだ、そうだ。そうなんだ。)

 その裏表紙には、ありがとうの言葉しか残っていない。

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