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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 け 』。

 No.4775。

 

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu     

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)

□       ● 事柄順。

 けん  建武時代

                         (けんむじだい)。

          (= 1333年ー

          1338年または1336年)。

          《日本歴史の時代区分》。 

          THE KENMU PERIOD

          <中世日本。

                      中世日本

          (⇒ 日本歴史の時代区分) 。

             ■ 建武時代 (けんむじだい)とは、

             1333年(元弘3年、正慶2年)から 、

             1338年(建武5年・暦応元年、延元

             3年)または1336年まで、の期間で

             ある。

             ■ 建武時代。

              ● 1333年は、 建武政府が成立

              した年である。

              ● 1336年は、 建武政府が事実

              上崩壊し、 室町幕府(= 足利幕府)

              が事実上成立した年である。

              ● 1333年は、 室町幕府(= 足利

              幕府)が名目的に成立した年である。

              ■ 建武時代。

              ● 1333年は、 幕府根拠地の鎌

              倉が陥落し、鎌倉幕府が滅亡し、 

              後醍醐天皇が帰京し、政府機関を設

              置し、建武政府が成立した年である。

              ● 1336年は、 後醍醐天皇が吉

              野に移り、建武(けんむ)政府が事

              実上崩壊し、 足利尊氏が、光明

              (こうみょう)天皇を擁立し、建武式

              目を制定し、室町幕府(= 足利幕府)

              が事実上成立した年である。

              ● 1338年は、 足利尊氏が征夷

              大将軍になり、室町幕府(= 足利幕

              府)が名目的に成立した年である。

             ■ 建武時代は、 中世日本 (= 鎌

             倉時代、建武時代、室町時代;11

             92年頃ー1573年頃) の一時期

             である。

 

 けん  建武政権

             (けんむせいけん)。 《政権》。

             THE KENMU GOVERNMENT.

          (1333年頃ー1336年頃)。

          ○ 建武政権は、

          後醍醐(ごだいご)天皇が樹立

          した政権である。 

          ○ 建武政権は、

          現実を無視し、理想を追求し

          て、崩壊する。 

          (⇒ 日本の政権・政府)。

             ■ 建武 政権 (けんむせいけん、13

             33年頃〜1336年頃)は、 後醍醐

             (ごだいご)天皇が樹立した政権である。

             ■ 後醍醐天皇は、 現実を無視し、

              理想を追求して、日本本土を統治し、

             政権を崩壊させる。

 

 けん  建武の新政

             (けんむのしんせい)。 《政治》。

          (1333年頃〜1336年頃)。

          ○ 建武の新政は、

           後醍醐(ごだいご)天皇が行っ

          た政治である。

          ○ 建武の新政は、

          天皇親政政治を復活させる。

          ○ 建武の新政は、

          現実を無視し、理想を追求し

                     て、統治し、失敗する。

             ■ 建武の新政  (けんむのしんせい、

             1333年頃〜1336年頃)は、 後醍

             醐(ごだいご)天皇が行った政治であ

             る。

             ■ 後醍醐天皇は、 天皇親政政治を

             復活させたが、 現実を無視し、理想

             を追求して、 日本本土を統治し、失敗

             する。

 

 けん   建武

               (けんむ 。 《和暦》。

               THE KENMU ERA.

            ○ 建武時代。

           (⇒ 南北朝競合二重年号

           (⇒ 和暦の二重年号存立

           (⇒ 西暦和暦総括対照表 

           (⇒ 和暦年号一覧表

            ■ 南北朝競合二重年号。

            ● 南朝 (大覚寺統、後醍醐天皇

               系統) 方の 「建武」暦年号。

            ○ 1334年ー1336年。

               1334年・建武元年・1月29日〜

               1336年・建武 3年・2月29日。 

               ● 建武時代の和暦年号。

                ● 南朝 (大覚寺統、後醍醐天皇系

               統)方の暦年号。

               1334年・建武元年・1月29日〜

               1336年・建武 3年・2月29日。 

                ■ 建武 (けんむ、英 :THE 

                             KENMU ERA) とは、 南朝(大

               覚寺統、後醍醐天皇系統)方の和暦

               であり、 建武時代の和暦年号であり、 

              1334年・建武元年・1月29日から

              1336年・建武 3年・2月29日まで

              の期間である。  

              ■ 建武(けんむ)⇒ 延元(えんげん) 

               ⇒ 興国(こうこく)⇒ 正平(しょうへ

               い)⇒ 建徳(けんとく)⇒ 文中(ぶん

               ちゅう)⇒ 天授(てんじゅ)⇒ 弘和

               (こうわ)⇒ 元中(げんちゅう)⇒ 

               暦年号編成中止

           ● 北朝 (持明院統、光厳・光明天

               皇系統) 方の「建武」暦年号。

           ○ 1334年ー1338年。

               1334年・建武元年・1月29日〜

               1338年・建武 5年・8月28日。 

               ● 建武時代の和暦年号。

               ● 北朝 (持明院統、光厳(こうご

               ん)・光明 (こうみょう)天皇系統)方

               の暦年号。

                ■ 建武 (けんむ、英 :THE 

                             KENMU ERA) とは、 北朝(持

               明院統、光厳(こうごん)・光明 (こう

               みょう)天皇系統)方の和暦であり、

               建武時代の和暦年号であり、 

               1334年・建武元年・1月29日から

               1338年・建武 5年・8月28日まで 

               の期間である。  

               ■ 建武(けんむ)⇒ 暦応(りゃくお

               う)⇒ 康永(こうえい)⇒ 貞和(じょ

               うわ)⇒ 観応(かんのう)⇒ 文和

               (ぶんな)⇒ 延文(えんぶん)⇒ 康

               安(こうあん)⇒ 貞治(じょうじ)⇒ 

               応安(おうあん)⇒ 永和(えいわ)⇒ 

               康暦(こうりゃく)⇒ 永徳(えいとく)

               ⇒ 至徳(しとく)⇒ 嘉慶(かきょう)

               ⇒ 康応(こうおう)⇒ 明徳(めいと

               く)。

 

 

□ 日本史辞典の 「け」 基本見出し語の先頭

  ページへ。  

 

■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

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#ke

 

#thekenmuperiod

 

■ 建武時代  

     (けんむ じだい)。

  

   

   ● 中世日本の、建武期に活躍した、足利尊氏

    (大河ドラマ「太平記」での足利尊氏フォト)。

 

■ 建武時代。

▲ 1333年 〜 

   1338年または1336年。

■ 名称 : 建武時代 (けんむじだい)。

■ 日本の建武時代とは、 

   1333年から、1338年または1336

   年まで、の時代であり、

   中世日本(1192 年頃〜1573年頃)

   の一時代である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 21739。

 

 

□ 建武時代 (総合

□ 建武時代の政治形態

□ 建武時代の土地人民統治制度

□ 建武時代の和暦

□ 建武時代が登場する、興味深い、

   ドラマ、映画、ドキュメンタリー

 

 

  ■ 日本の建武時代(けんむじだい)とは、 

      1333年から、1338年または1336

     年まで、の時代であり、

     中世日本(1192 年頃〜1573年頃)

     の一時代である。

 

  ■ 建武時代。

   ● 1333年は、 建武政府が成立した年

    である。

 

   ● 1336年は、 建武政府が事実上崩

     壊し、 室町幕府(= 足利幕府)が事

     実上成立した年である。

 

   ● 1333年は、 室町幕府(= 足利幕府)

     が名目的に成立した年である。

 

  ■ 建武時代。

   ● 1333年は、 幕府根拠地の鎌倉が

     陥落し、鎌倉幕府が滅亡し、 後醍

     醐天皇が帰京し、政府機関を設置し、

     建武政府が成立した年である。

 

   ● 1336年は、 後醍醐天皇が吉野に

     移り、建武(けんむ)政府が事実上 

     崩壊し、 足利尊氏が、光明(こうみ

     ょう)天皇を擁立し、建武式目を制

     定し、室町幕府(= 足利幕府)が事

     実上成立した年である。

 

   ● 1338年は、 足利尊氏が征夷大将

     軍になり、室町幕府(= 足利幕府)が

     名目的に成立した年である。

 

 

   ■ 日本の建武時代は、 天皇武士が、 

    政治権力(政治の実権)をもち、 民衆を

    支配した時代 である。

 

   ■ 日本の建武時代は、主に、 天皇親政

     政権武政権) が、日本を支配した時

     代である。

 

   ■ 日本の建武時代は、 1333年から

     1336年までの間は、 天皇親政政治

     (建武の新政)で、天後醍醐天皇

     政治権力(政治の実権)を 握り、民衆

     を支配し、 1336 年 から1338年ま

     での間は、 武家政治で、 武士が政治

     権力(政治の実権)を握り、 民衆を支 

     配した時期である。 

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   ■ 中世日本に関しては、当日本史辞典の 

      『 中世日本 』 を参照して下さい。

   ■ 日本の建武時代の詳細については、

      『 中世日本 ・歴史年表 』  を参照し

      て下さい。

 

 

#thekenmuperiod-general

 

◆ 室町時代 (総合)。

 

● 建武時代  

▲ 1333年 〜 

   1338年または1336年。

● 「建武」年号は、1334年(建武元年)から

   1338年(建武5年)まであるが、 この辞典

    では、便宜上、1333年も 「建武時代」に

   算入している。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 建武時代。

   ● 1333年は、 建武政府が成立した年

    である。

 

   ● 1336年は、 建武政府が事実上崩

     壊し、 室町幕府(= 足利幕府)が事

     実上成立した年である。

 

   ● 1333年は、 室町幕府(= 足利幕府)

     が名目的に成立した年である。

 

  ■ 建武時代。

   ● 1333年は、 幕府根拠地の鎌倉が

     陥落し、鎌倉幕府が滅亡し、 後醍

     醐天皇が帰京し、政府機関を設置し、

     建武政府が成立した年である。

 

   ● 1336年は、 後醍醐天皇が吉野に

     移り、建武(けんむ)政府が事実上 

     崩壊し、 足利尊氏が、光明(こうみ

     ょう)天皇を擁立し、建武式目を制

     定し、室町幕府(= 足利幕府)が事

     実上成立した年である。

 

   ● 1338年は、 足利尊氏が征夷大将

     軍になり、室町幕府(= 足利幕府)が

     名目的に成立した年である。

 

 

● 鎌倉時代      

  ▲ 1192年または1185年 

     〜 1333年。

 

  ★ 南北朝時代:

    1336年〜1392年。 

 

● 室町時代    

  ▲ 1338年または1336年 

     〜 1573年。

 

 

■ 建武政権は、 1333年(元弘3年)に、足利

  尊氏(あしかがたかうじ)、 新田義貞(にったよ

  しさだ)、 楠木正成(くすのきまさしげ、1294

  〜1336年)  などの後醍醐天皇に味方した武

  士が鎌倉幕府を倒して、 後醍醐天皇が樹立し

  た政権である。

 

■ 建武政権の樹立。

    1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し(京

  (都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんどほう)、

  記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょうがた)を

  設置する。 1333年9月に、 後醍醐天皇は、

  雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(む

  しゃどころ)を設置する。

 

■ 建武政権 (けんむせいけん) とは、 1333

  年(元弘3年)から1336年(建武3年)までで、 

  後醍醐天皇が樹立した政権で、 天皇親政政治

  の復活をめざした。

● 後醍醐天皇は、 天皇親政による律令政治の再

  建を唱(とな)え、摂関(摂政関白)を廃止し、公武

  合体の政権を樹立した。

 

■ 建武政権では、 中央には、 記録所、 雑訴決

  断所、 武者所、 恩賞方などを設置し、地方には、 

  守護と国司を併置し、各地域に、 後醍醐天皇の

  親王を置いた。

 

■ 建武政権 は、 公武の不和、 朝令暮改、 論

  功行賞(ろんこうこうしょう)や土地関係訴訟(そし

  ょう)の処理に適正をかき、 課税を増大させ、

  古代的論理による現実無視の政治により、 信望

  を失い、 1336年(建武3年)に、 崩壊した。

 

 

◆ 建武時代  簡略年表。

 

■ 1331年  ◆ 光厳(こうごん)天皇(持明院統(じみょ

          ういんとう)、鎌倉幕府擁立)方の暦年号

          元徳  3年。

          ◆ 後醍醐(ごだいご)天皇(大覚寺統(だ 

          いかくじとう))方の暦年号

           元徳  3

          ( 1月  1日ー 8月 8日)

           元弘 (げんこう) 元年 

          ( 8月 9日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1331年5月に、 元弘の変(げんこうの

          へん、1331年5月〜1332年3月)が、起

          こる。

          ● 1331年8月に、 後醍醐天皇が笠置寺

          (かさぎでら、山城・笠置山の寺)に行幸(ぎ

          ょうこう)する。

          ● 1331年9月に、 楠木正成(くすのきま

          さしげ)が、挙兵する。 

            1331年9月に、鎌倉幕府は、持明院統

          (じみょういんとう)の光厳(こうごん)天皇を

          擁立し即位させる。

 

■ 1332年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          元徳  4年

          ( 1月 1日ー 4月27日)

           正慶 (しょうきょう、しょうけい) 元年 

          ( 4月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  2年

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1332年3月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)に配流される。

 

■ 1333年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          正慶 2年

          ( 1月1日ー 5月25日)

          鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  3年

          ● 1333年2月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)から脱出する。

          ● 1333年5月に、 足利尊氏(足利高氏) 

          が、京(都)にある鎌倉幕府六波羅探題

          (ろくはらたんだい)を攻め滅ぼす。 

          ● 1333年5月に、 新田義貞(にったよし

          さだ)が、鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅ぼす。

          ● 1333年6月に、 後醍醐天皇が、京(都)

          に戻り、建武政権(1333〜36年)を樹立す

          る (建武の新政(1333〜36年)を始める)。

          ● 1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し

          (京(都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんど

          ほう)、記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょ

          うがた)を設置する。

          ● 1333年9月に、 後醍醐天皇は、雑訴

          決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(むし

          ゃどころ)を設置する。

 

■ 1334年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  4年

          ( 1月 1日ー 1月28日)

           建武 (けんむ) 元年 

          ( 1月29日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1334年11月に、 足利尊氏を敵視する、

          護良親王(もりよししんのう)が鎌倉に配流(は

          いる)される。

 

■ 1335年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。

          建武  2年。

          ● 1335年7月に、 中先代の乱(なかせ

          んだいのらん)が起こる。 乱中に、足利尊

          氏の実弟の足利直義(ただよし)が、 護良

          親王(もりよししんのう)を殺害する。

          ● 1335年11月に、 足利尊氏が、建武

          政権(1333〜36年) に反する。 

 

■ 1336年  ◆ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうご

          ん・こうみょう)天皇系統)方 の暦年号。

          建武  3年。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)

          方 の暦年号

          建武  3年

          ( 1月  1日ー 2月28日)

           延元 (えんげん) 元年 

          ( 2月29日ー12月29日または30日)

          ● 1336年5月に、足利尊氏は、湊川(み

          なとがわ)の戦いで、勝利を得る。

             足利尊氏に敵対する、楠木正成(くす

          のきまさしげ)が、 湊川(みなとがわ)の戦

          いで敗死する。

          ● 1336年8月に、 足利尊氏は、持明院

          統の光明(こうみょう)天皇を擁立する。

          ● 1336年11月に、 足利尊氏は、建武

          式目を制定する。

          ● 1336年12月に、 後醍醐天皇が、吉

          野に潜幸する (南北朝分立)。

 

■ 1337年  ◆ 北朝(持明院統 方の暦年号。

          建武  4年。

          ◆ 南朝(大覚寺統) 方の暦年号

           延元  2年。

 

■ 1338年  ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。

          建武  5年

          ( 1月 1日ー 8月27日)

           暦応 (りゃくおう、れきおう) 元年 

          ( 8月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  3年。

           ● 1338年5月に、 足利尊氏に敵対する、

          北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、石津(い

          しづ)の戦いで敗死する。

           ● 1338年7月に、 足利尊氏に敵対す

          る、新田義貞(にったよしさだ)が、藤島(ふじ

          しま)の戦いで敗死する。

           ● 1338年8月に、 足利尊氏が、北朝の

          征夷大将軍に就任し、 室町幕府(足利幕

          府)の初 代将軍となる。

 

■ 1339年  ◆ 北朝(持明院統)方 の暦年号。

          暦応  2年。

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  4年。

           ● 1339年8月に、 後醍醐天皇が、崩御

          (ほうぎょ)する(死去する)。

 

 

■ 日本の政権・政府。

■ (P) 日本の政権 と (G) 日本の政府。

■ (P10) 小国分立政権        

          (前1世紀  〜紀元後5世紀)。

  ■ (P10-1) 小国分立自治政権 

          (前1世紀  〜紀元後5世紀)。

■ (P20) 豪族連合政権        

          (  5世紀  〜 701年頃 )。

  ■ (P20-1) ヤマト政権      

          (  5世紀  〜 701年頃 )。

■ (P30) 古代天皇親政政権     

          ( 701年頃〜 977年頃 )。

  ■ (P30-1) 律令政権       

          ( 701年頃〜 977年頃 )。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ (P40) 公家政権           

          ( 977年頃〜1086年頃 )。

  ■ (P40-1) 藤原(氏)政権    

          ( 977年頃〜1086年頃 )。

■ (P50) 上皇政権           

          (1086年頃〜1160年頃 )。

  ■ (P50-1) 院政政権       

          (1086年頃〜1160年頃 )。

■ (P60) 武家政権           

          (1160年〜1333年 )。

  ■ (P60-1) 平氏政権       

          (1160年頃〜1185年頃 )。 

  ■ (P60-2) 源氏政権       

          (1185年頃〜1219年頃 )。 

  ● (G) 鎌倉幕府

          (1192年〜1333年)。

  ■ (P60-3) 北条(氏)政権    

          (1219年頃〜1333年頃 )。 

  ● (G)  鎌倉幕府 

          (1192年〜1333年)。

■ (P70) 中世天皇親政政権      

          (1333年〜1336年 )。 

  ■ (P70-1) 建武政権       

          (1333年頃〜1336年頃 )。 

■ (P80) 武家政権           

          (1336年〜1867年 )。

  ■ (P80-1) 足利(氏)政権    

          (1336年頃〜1573年頃 )。 

  ● (G) 室町幕府 

          (1338年〜1573年)。

  ■ (P80-2) 織田(氏)政権    

          (1573年頃〜1582年頃)。

  ■ (P80-3) 豊臣(氏)政権    

          (1582年頃〜1600年頃)。

  ■ (P80-4) 徳川(氏)政権    

          (1600年頃〜1868年頃)。 

  ● (G) 江戸幕府 

          (1603年〜1867年)。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ (P90) 近現代日本政権       

          (1868年頃〜  現 在)。

  ■ (P90-1) 近代日本政権     

          (1868年頃〜1945年頃)。 

  ● (G) 近代日本政府 

          (1867年〜1945年)。

  ■ (P90-2) 現代日本民主政権  

          (1945年頃〜  現 在)。 

    (G) 現代日本民主政府 

          (1945年〜 現 在)。

 

■ 日本歴史の時代区分。

■ (Tsjh1) 原始時代・日本 

    (旧石器時代→ 縄文時代→ 弥生時代) ⇒

■ (Tsjh2) 古代日本 

    (大和時代(古墳・飛鳥白鳳時代)→ 奈良時代

    → 平安時代) ⇒

■ (Tsjh3) 中世日本 

    (鎌倉時代→ 建武時代→ 室町時代) ⇒

■ (Tsjh4) 近世日本 

    (安土桃山時代→ 江戸時代) ⇒

■ (Tsjh5) 近代日本 

    (明治時代→ 大正時代→ 昭和・戦前時代) ⇒  

■ (Tsjh6) 現代日本 

    (昭和・戦後時代→ 平成時代

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#thekenmuperiod-politics

 

建武時代の日本の政治。

 (S) 日本の政治形態 や (T) 日

 本の土地人民統治制度で、 日本歴

 史の、政治の、大きな流れをつかもう。

 

■ 建武時代の日本の政治形態。

● 天皇親政政治   (1333年頃〜36年頃)。

● (S5) 武家政治  (1336年頃〜38年頃)。

 

■ 天皇親政政治 とは、 天皇が、 政治の実権

  を握り、 直接または間接的に 政治を動かし、 

 日本を支配する政治形態 である。

 

■ (S5) 武家政治 とは、 武家が、政治の実

    権を握り、日本を支配する政治形態 で、 武

  家の棟梁(とうりょう)と日本各地の封建領主が、

  主従関係 (主君と従者・臣下の関係) を結び、

  成立する、政治形態 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

■ (S) 日本の政治形態。

  ● (S1d) 小国首長政治    

                      (紀元前1世紀〜紀元後5世紀) ⇒

  ● (S1g) 豪族連合政治     

            ( 5〜 7世紀)  ⇒ 

  ● (S2)  律令政治       

            ( 7〜10世紀)  ⇒ 

  ● (S3)  摂関政治       

            (10〜11世紀)  ⇒ 

  ● (S4)  院政政治       

            (11〜12世紀)  ⇒ 

  ● (S5)  武家政治       

            (12〜19世紀)  ⇒ 

  ● (S6)  近代天皇親政政治 

          (近代天皇絶対主義政治)

            (19〜20世紀)  ⇒ 

  ● (S7)  現代国民主権政治  

          (現代主権在民政治)

            (20〜21世紀)。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#thekenmuperiod-governingsystem

 

■ 建武時代の土地人民統

    治制度。

● (T3) 荘園・公領制 

     (10〜16世紀) 

 

■ (T3) 荘園・公領制 (10〜16世紀) とは、 

  荘園と公領を基盤とした土地・人民の支配体制 

  で、 貴族や寺院の支配する「不輸・不入権をも

  つ荘園」 と 国司の支配する「公領」 が、日本

  の国土に、並立し、 民衆を支配(統治)する、荘

  園・公領二重統治体制 である。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

■ (T) 日本の土地人民統治制度。

● (T1d) 小国分立自治制    

          (紀元前1世紀〜 紀元後5世紀) ⇒

● (T1g) 豪族土地人民支配制 

          ( 5〜 7世紀)        ⇒

● (T2)  公地公民制        

          ( 7〜10世紀)          ⇒ 

● (T3)  荘園・公領制       

          (10〜16世紀)        ⇒ 

● (T4)  大名領国制       

          (16〜19世紀)          ⇒ 

● (T5)  近代制限議会内閣制 

          (19〜20世紀)        ⇒ 

● (T6)  現代国民主権民主制 

          (20〜21世紀の現在)。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#thekenmuperiod-thejapanesecalendar

 

◆ 建武時代の和暦

   (1333年〜1338年)。

 

□ 建武時代の西暦和暦対照表

□ 建武時代の和暦年号一覧表

 

 

#thekenmuperiod-thejapanesecalendar(a)

 

■ 建武時代

   の西暦和暦対照表

   (1333年〜1338年)。

 

● 西暦和暦対照表全体(西暦とすべての和暦年

  号の対照)に関しては、「西暦和暦総括対照表

  を参照してください。

 

■ 1333年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          正慶 (しょうきょう、しょうけい)  2年

          ( 1月1日ー 5月25日)

          鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘 (げんこう)  3年

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

■ 1334年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  4年

          ( 1月 1日ー 1月28日)

           建武 (けんむ) 元年 

          ( 1月29日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

■ 1335年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。

          建武  2年。

■ 1336年  ◆ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうご

          ん・こうみょう)天皇系統)方 の暦年号。

          建武  3年。

          ◆ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)

          方 の暦年号

          建武  3年

          ( 1月  1日ー 2月28日)

           延元 (えんげん) 元年 

          ( 2月29日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

■ 1337年  ◆ 北朝(持明院統 方の暦年号。

          建武  4年。

          ◆ 南朝(大覚寺統) 方の暦年号

           延元  2年。

■ 1338年  ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。

          建武  5年

          ( 1月 1日ー 8月27日)

           暦応 (りゃくおう、れきおう) 元年 

          ( 8月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  3年。

 

 

#thekenmuperiod-thejapanesecalendar(b)

 

■ 建武時代

     の和暦年号一覧表

   (1333年〜1338年)。

 

● 和暦年号一覧表全体(すべての和暦年号)

  に関しては、「和暦年号一覧表」を参照して

  ください。

 

 ● 年代順 (時代別)。

 

 ■ 元弘 (げんこう)   (1331〜1334年)。

   ● 後醍醐(ごだいご)天皇 (大覚寺統 

    (だいかくじとう)) 方の和暦年号。

      1331年・元弘元年・ 8月 9日〜

      1334年・元弘 4年・ 1月29日。 

   ● 鎌倉時代後期・建武時代。

   ● (注意) 同時期に、光厳(こうごん)天

    皇 (鎌倉幕府擁立、持明院統(じみょう

    いんとう))方の和暦年号の、 元徳 (げ

    んとく、元年〜4年(1329〜1332年)) 

    と、 正慶 (しょうきょう、元年〜2年(13

    32〜1333年) も存立する。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 ■ 正慶           (1332〜1333年)。

     (しょうきょう、しょうけい)

   ● 光厳(こうごん)天皇 (鎌倉幕府擁立、

    持明院統(じみょういんとう)) 方の和暦

    年号。

     1332年・正慶元年・ 4月28日〜

     1333年・正慶 2年・ 5月25日。

         鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。

   ● 鎌倉時代後期。

   ● (注意) 同時期に、後醍醐(ごだいご)

    天皇 (大覚寺統(だいかくじとう)) 方の

    和暦年号の、 元弘 (げんこう、元年〜

    4年(1331〜1334年)) も存立する。

   ● 1333年より後は、 鎌倉幕府に擁立

     された光厳(こうごん)天皇(持明院統)

     方は、 暦年号編成を中止する。

     1333年に、北条執権の鎌倉幕府(11

     92〜1333年)が滅亡したため。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

  

 ■ 建武 (けんむ) 

   ● 北朝 (ほくちょう、持明院統(じみょう

    といんう)、光厳・光明(こうごん・こうみょ

    う)天皇系統) 方の和暦年号。

    ○              (1334〜1338年)。

     1334年・建武元年・ 1月29日〜

     1338年・建武 5年・ 8月28日。 

   ● 南朝 (なんちょう、大覚寺統(だいが

    くじとう)、後醍醐(ごだいご)天皇系統) 

    方の和暦年号。

    ○              (1334〜1336年)。

     1334年・建武元年・ 1月29日〜

     1336年・建武 3年・ 2月29日。 

   ● 建武時代。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 ■ 延元 (えんげん)   (1336〜1340年)。

   ● 南朝 (大覚寺統、後醍醐天皇系統) 

    方の和暦年号。

     1336年・延元元年・ 2月29日〜

     1340年・延元 5年・ 4月28日。

   ● 建武時代・室町時代前期。

   ● (注意) 同時期に、北朝 (持明院統、

        光厳(こうごん)・光明(こうみょう)天皇系

    統) 方の和暦年号の、 「建武」 (けんむ、

    元年〜5年(1334年〜1338年)) と、 

    「暦応」 (りゃくおう、元年〜5年(1338

    〜1342年)) も存立する。

 

 ■ 暦応           (1338〜1342年)。

     (りゃくおう、れきおう) 

   ● 北朝 (持明院統、光明天皇系統)

     方の和暦年号。

     1338年・暦応元年・ 8月28日〜

     1342年・暦応 5年・ 4月27日。 

      ● 室町時代前期。

   ● (注意) 同時期に、 南朝 (大覚寺統、

    後醍醐天皇系統) 方の和暦年号の、延元

    (えんげん、元年〜5年(1336〜1340

    年)) と、 興国 (こうこく、元年〜7年

    (1340〜1346年) も存立する。 

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

#thekenmuperiod-appearingscenes

 

♪♪ 建武時代が登場する、興味深

        い関連ドキュメンタリー、ドラマ、

    映画。 

 

★ 建武時代が登場する、興味深い

   関連ドキュメンタリー。 

 

 ■ BS歴史館 

   『 疾走(しっそう)!足利尊氏 

    南北朝の扉を開く!? 』。 

    (NHKテレビの2014年3月13日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

 

★ 建武時代が登場する、興味深い

   関連ドラマ、映画。 

 

  ● (注意) ドラマ、映画は、フィクションです。 

  歴史のドラマ、映画は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事が 混じって描かれていま

  す。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

 ■ 『 太平記 (たいへいき) 』 。 

     (NHKテレビの1991年大河ドラマ)。

  ■ 日本の鎌倉時代末期、 建武時代、 

    室町時代初期の時代状況を描いたドラマ。 

  ■ 足利尊氏の生涯 と 尊氏の鎌倉幕府

    倒幕、 建武政府との対立、 室町幕府

    の創立と基礎確立を描いたテレビドラマ。

 

   

   ○ ドラマ「太平記」のPRフォト。

 

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#thekenmuera

 

■ 建武 

      (けんむ)。

 

■ 建武。

■ 名称 : 建武 (けんむ)。

■ 日本暦年号(和暦年号、元号)。

■ 南北朝競合二重年号(1336年〜1392年)

  の1つ。

■ 南朝 (大覚寺統の後醍醐天皇系統) 方の

  暦年号。

 ● 「建武」元年〜建武3年(1334〜1336年)。

    1334年・建武元年・1月29日〜

    1336年・建武 3年・2月29日。 

■ 北朝 (持明院統の光厳(こうごん)・光明(こ

  うみょう)天皇系統)  方の暦年号。

 ● 「建武」元年〜建武5年(1334〜1338年)。

    1334年・建武元年・1月29日〜

    1338年・建武 5年・8月28日。 

■ 中世日本の建武時代の年号。

 

 

■ 建武 ( けんむ) は、 日本暦年号(和暦年

  号、元号)で、 中世日本の 建武時代の年号

  であり、 南朝  (大覚寺統の後醍醐天皇系

  統)方の日本暦年号では、 建武元年から

  武3年まで (西暦1334年から1336年まで) 

  であり、 北朝(持明院統の光厳(こうごん)・

  光明(こうみょう)天皇系統) 方の暦年号では、 

  建武元年から建武5年まで(1334年から13 

  38年まで) である。

 

■ 「建武」 (けんむ) は、 日本暦年号(和暦

  年号、元号)で、 中世日本の 建武時代の年

  号 である。

 

■ 「建武」は、 南北朝競合二重年号(1336年

  〜1392年)の1つで、 南朝 (大覚寺統の

  後醍醐天皇 、系統) 方の暦年号としても使用

  され、 北朝 (持明院統の光厳(こうごん)・

  明(こうみょう)天皇系統) 方の暦年号としても

  使用された。

 

■ 南朝 (大覚寺統の後醍醐天皇系統) 方の

  暦年号の、「建武」は、建武元年から建武3年

  まで(西暦1334年から1336年 まで) であ

  り、1334年・建武元年・1月29日から1336

  年・建武3年・2月29日まで である。 

 

■ 南朝 (大覚寺統、後醍醐天皇系統)方の

  暦年号。

   建武(けんむ)⇒ 延元(えんげん)⇒ 

  興国(こうこく)⇒ 正平(しょうへい)⇒ 

  建徳(けんとく)⇒ 文中(ぶんちゅう)⇒ 

  天授(てんじゅ)⇒ 弘和(こうわ)⇒ 

  中(げんちゅう)⇒ 暦年号編成中止

 

■ 北朝 (持明院統の光厳(こうごん)・光明(こ

  うみょう)天皇系統)  方の暦年号の、「建武」

  は、 建武元年から建武5年まで (1334 年

  から1338年 まで) であり、 1334年・建

  武元年・1月29日から1338年・建武 5年・

  8月28日まで である。 

 

■ 北朝 (持明院統、光厳(こうごん)・光明(こ

  うみょう)天皇系統) 方の暦年号。

    「建武」(けんむ)⇒ 暦応(りゃくおう)⇒ 

  康永(こうえい)⇒ 貞和(じょうわ)⇒ 観応

  (かんのう)⇒ 文和(ぶんな)⇒ 延文(え

  んぶん)⇒ 康安(こうあん)⇒ 貞治(じょう

  じ)⇒ 応安(おうあん)⇒ 永和(えいわ)⇒ 

  康暦(こうりゃく)⇒ 永徳(えいとく)⇒ 至

  徳(しとく)⇒ 嘉慶(かきょう)⇒ 康応(こう

  おう)⇒ 明徳(めいとく)。

 

 

◆ 南北朝競合二重年号一覧表。

■ 1336年から1392年まで、日本暦年号

  (和暦年号、元号)は、二重存立する。

■ 南朝 (大覚寺統の後醍醐天皇系統) 

  の暦年号。

 ▼ 「建武」(けんむ)⇒ 「延元」(えんげん)

     ⇒ ○○○○ ⇒ 元中(げんちゅう)⇒ 

  暦年号編成中止。

 ● 「建武」 (けんむ) 

   (建武元年〜建武3年、1334〜1336年)。

 ● 「延元」 (えんげん) 

   (延元元年〜延元5年、1336〜1340年)。

 ● 「元中」 (げんちゅう) 

   (元中元年〜元中9年、1384〜1392年)。

■ 北朝 (持明院統の光厳(こうごん)・光明

  (こうみょう)天皇系統) 方の暦年号。

 ▼ 「建武」(けんむ) ⇒ 暦応(りゃくおう)

     ⇒ ○○○○ ⇒ 明徳(めいとく)。

 ● 「建武」 (けんむ) 

   (建武元年〜建武5年、1334〜1338年)。

 ● 「暦応」 (りゃくおう) 

   (暦応元年〜暦応5年、1338〜1342年)。

 ● 「明徳」 (めいとく) 

   (明徳元年〜明徳5年、1390〜1394年)。

 

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#kenmuseiken

 

■ 建武政権 

      (けんむせいけん)。

 

■ 建武政権。

■ 時期 : 1333年(元弘3年)頃〜1336年(建

  武3年)頃。

■ 建武政権 (けんむせいけん)。

■ 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が樹立した政権。

■ 天皇親政政治の復活をめざした。

 

 

■ 建武政権 は、 1333年(元弘3年)に、足利尊

  氏(あしかがたかうじ)、新田義貞(にったよしさだ)、

  楠木正成(くすのきまさしげ、1294〜1336年)

  などの後醍醐天皇に味方した武士が鎌倉幕府を

  倒して、 後醍醐天皇が樹立した政権である。

 

■ 建武政権 (けんむせいけん) とは、 1333年

  (元弘3年)から1336年(建武3年)までで、 後

  醍醐天皇が樹立した政権で、 天皇親政政治の

  復活をめざした。

● 後醍醐天皇は、 天皇親政による律令政治の再

  建を唱(とな)え、摂関(摂政関白)を廃止し、公武

  合体の政権を樹立した。

 

■ 建武政権の樹立。

    1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し(京

  (都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんどほう)、

  記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょうがた)を

  設置する。 1333年9月に、 後醍醐天皇は、

  雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(む

  しゃどころ)を設置する。

 

■ 建武政権の、中央には、 記録所、 雑訴決断

  所、 武者所、 恩賞方などを設置し、 地方に

  は、 守護と国司を併置し、各地域に、後醍醐天

  皇の親王を置いた。

 

■ 建武政権 は、 公武の不和、 朝令暮改、論

  功行賞(ろんこうこうしょう)や土地関係訴訟(そ

  しょう)の処理に適正をかき、 課税を増大させ、

  古代的論理による現実無視の政治により、 信

  望を失い、1336年(建武3年)に、 崩壊した。

 

 

■ 鎌倉幕府倒幕・建武政権樹立に中心

  的役割を果たした人々。

■ 後醍醐天皇に味方し、 北条執権鎌倉幕府

  倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立に協力

  した人々には、 足利 尊氏、 新田 義貞、 楠木

  正成、 護良親王、 北畠 親房、 北畠 顕家 な

  どがいた。

 

■ 足利尊氏。

     足利尊氏(あひかがたかうじ) は、 後醍醐

  天皇に味方し、北条執権の鎌倉幕府を倒し、建武

  政権 (1333〜36年)の樹立に協力した。

     しかし、 1335年(建武2年)11月に、 後

  醍醐天皇の建武政権に反旗を翻(ひるがえ)す。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任し、室町幕府(足

  利幕府)を開く。

 

■ 新田 義貞。

    新田 義貞 (にった よしさだ) は、 後醍醐天

  に味方し、北条執権の鎌倉幕府を倒し、建武政

  権(1333〜36年)の樹立に協力し、 後醍醐天

  皇や南朝に最後まで味方した、武 将 である。 

     1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    新田 義貞は、 足利尊氏方の軍と戦い、 13

  38年閏7月に、 藤島(ふじしま)の戦いで敗死す

  る。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 楠木 正成。

     楠木 正成 (くすのき まさしげ)は、河内(か

  わち)の豪族で、 後醍醐天皇に味方し、北条執

  権の鎌倉幕府を倒し、建武政 権(1333〜36年)

  の樹立に協力し、 後醍醐天皇に最後まで味方し

  た、武将 である。 

    楠木 正季 (くすのき まさすえ)は、 楠木 正

  の弟で、 楠木 正成を支える。

    楠木 正成は、 足利尊氏方の軍と戦い、13

  36年(建武3年)5月に、 湊川(みなとがわ)の

  戦いで敗死する。

    1336年8月に、 足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 護良親王。

    護良親王 (もりよし・もりなが しんのう) は、

  後醍醐天皇の皇子で、 後醍醐天皇に味方し、

  条執権の鎌倉幕府を倒し、建 武政権(1333〜

  36年)の樹立に協力し、 建武政権の征夷大将

  となる。 

    護良親王の別名は、 大塔宮 (おうとうのみ

  や)である。

     しかし、建武政権樹立後、護良親王(大塔宮)

  は、 後醍醐天皇に疎(うと)まれ、 足利氏に身

  柄を預けられ、軟禁される。

     護良親王(大塔宮)は、 1335年(建武2年)

  7月に、軟禁先の鎌倉で、足利尊氏の実弟の足利

  直義(ただよし)に殺害される。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 北畠 親房。

     北畠 親房 (きたばたけ ちかふさ)は、公家・

  大納言で、 後醍醐天皇に味方し、北条執権の

  倉幕府を倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立

  に協力し、 後醍醐天皇や南朝に味方した公家で

  ある。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 北畠 顕家。

     北畠 顕家 (きたばたけ あきいえ)は、公家・

  大納言・北畠親房(ちかふさ)の男子であり、 

  醍醐天皇に味方し、北条執権の鎌倉幕府を倒し、

  建武政権(1333〜36年)の樹立に協力し、 

  醍醐天皇や南朝に最後まで味方した武将 であ

  る。

     1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    北畠 顕家は、 足利尊氏方の軍と戦い、133

  8年5月に、石津(いしづ)の戦いで敗死する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

 

◆ 建武政権  簡略年表。

■ 1331年  ◆ 光厳(こうごん)天皇(持明院統(じみょ

          ういんとう)、鎌倉幕府擁立)方の暦年号

          元徳  3年。

          ◆ 後醍醐(ごだいご)天皇(大覚寺統(だ 

          いかくじとう))方の暦年号

           元徳  3

          ( 1月  1日ー 8月 8日)

           元弘 (げんこう) 元年 

          ( 8月 9日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1331年5月に、 元弘の変(げんこうの

          へん、1331年5月〜1332年3月)が、起

          こる。

          ● 1331年8月に、 後醍醐天皇が笠置寺

          (かさぎでら、山城・笠置山の寺)に行幸(ぎ

          ょうこう)する。

          ● 1331年9月に、 楠木正成(くすのきま

          さしげ)が、挙兵する。 

            1331年9月に、鎌倉幕府は、持明院統

          (じみょういんとう)の光厳(こうごん)天皇を

          擁立し即位させる。

■ 1332年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          元徳  4年

          ( 1月 1日ー 4月27日)

           正慶 (しょうきょう、しょうけい) 元年 

          ( 4月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  2年

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1332年3月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)に配流される。

■ 1333年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          正慶 2年

          ( 1月1日ー 5月25日)

          鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  3年

          ● 1333年2月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)から脱出する。

          ● 1333年5月に、 足利尊氏(足利高氏) 

          が、京(都)にある鎌倉幕府六波羅探題

          (ろくはらたんだい)を攻め滅ぼす。 

          ● 1333年5月に、 新田義貞(にったよし

          さだ)が、鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅ぼす。

          ● 1333年6月に、 後醍醐天皇が、京(都)

          に戻り、建武政権(1333〜36年)を樹立す

          る (建武の新政(1333〜36年)を始める)。

          ● 1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し

          (京(都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんど

          ほう)、記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょ

          うがた)を設置する。

          ● 1333年9月に、 後醍醐天皇は、雑訴

          決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(むし

          ゃどころ)を設置する。

■ 1334年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  4年

          ( 1月 1日ー 1月28日)

           建武 (けんむ) 元年 

          ( 1月29日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1334年11月に、 足利尊氏を敵視する、

          護良親王(もりよししんのう)が鎌倉に配流(は

          いる)される。

■ 1335年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。

          建武  2年。

          ● 1335年7月に、 中先代の乱(なかせ

          んだいのらん)が起こる。 乱中に、足利尊

          氏の実弟の足利直義(ただよし)が、 護良

          親王(もりよししんのう)を殺害する。

          ● 1335年11月に、 足利尊氏が、建武

          政権(1333〜36年) に反する。 

■ 1336年  ◆ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうご

          ん・こうみょう)天皇系統)方 の暦年号。

          建武  3年。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)

          方 の暦年号

          建武  3年

          ( 1月  1日ー 2月28日)

           延元 (えんげん) 元年 

          ( 2月29日ー12月29日または30日)

          ● 1336年5月に、足利尊氏は、湊川(み

          なとがわ)の戦いで、勝利を得る。

             足利尊氏に敵対する、楠木正成(くす

          のきまさしげ)が、 湊川(みなとがわ)の戦

          いで敗死する。

          ● 1336年8月に、 足利尊氏は、持明院

          統の光明(こうみょう)天皇を擁立する。

          ● 1336年11月に、 足利尊氏は、建武

          式目を制定する。

          ● 1336年12月に、 後醍醐天皇が、吉

          野に潜幸する (南北朝分立)。

■ 1337年  ◆ 北朝(持明院統 方の暦年号。

          建武  4年。

          ◆ 南朝(大覚寺統) 方の暦年号

           延元  2年。

■ 1338年  ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。

          建武  5年

          ( 1月 1日ー 8月27日)

           暦応 (りゃくおう、れきおう) 元年 

          ( 8月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  3年。

           ● 1338年5月に、 足利尊氏に敵対する、

          北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、石津(い

          しづ)の戦いで敗死する。

           ● 1338年7月に、 足利尊氏に敵対す

          る、新田義貞(にったよしさだ)が、藤島(ふじ

          しま)の戦いで敗死する。

           ● 1338年8月に、 足利尊氏が、北朝の

          征夷大将軍に就任し、 室町幕府(足利幕

          府)の初 代将軍となる。

■ 1339年  ◆ 北朝(持明院統)方 の暦年号。

          暦応  2年。

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  4年。

           ● 1339年8月に、 後醍醐天皇が、崩御

          (ほうぎょ)する(死去する)。

 

 

■ 日本の政権・政府。

■ (P) 日本の政権 と (G) 日本の政府。

■ (P10) 小国分立政権        

          (前1世紀  〜紀元後5世紀)。

  ■ (P10-1) 小国分立自治政権 

          (前1世紀  〜紀元後5世紀)。

■ (P20) 豪族連合政権        

          (  5世紀  〜 701年頃 )。

  ■ (P20-1) ヤマト政権      

          (  5世紀  〜 701年頃 )。

■ (P30) 古代天皇親政政権     

          ( 701年頃〜 977年頃 )。

  ■ (P30-1) 律令政権       

          ( 701年頃〜 977年頃 )。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ (P40) 公家政権           

          ( 977年頃〜1086年頃 )。

  ■ (P40-1) 藤原(氏)政権    

          ( 977年頃〜1086年頃 )。

■ (P50) 上皇政権           

          (1086年頃〜1160年頃 )。

  ■ (P50-1) 院政政権       

          (1086年頃〜1160年頃 )。

■ (P60) 武家政権           

          (1160年〜1333年 )。

  ■ (P60-1) 平氏政権       

          (1160年頃〜1185年頃 )。 

  ■ (P60-2) 源氏政権       

          (1185年頃〜1219年頃 )。 

  ● (G) 鎌倉幕府

          (1192年〜1333年)。

  ■ (P60-3) 北条(氏)政権    

          (1219年頃〜1333年頃 )。 

  ● (G)  鎌倉幕府 

          (1192年〜1333年)。

■ (P70) 中世天皇親政政権      

          (1333年〜1336年 )。 

  ■ (P70-1) 建武政権       

          (1333年頃〜1336年頃 )。 

■ (P80) 武家政権           

          (1336年〜1867年 )。

  ■ (P80-1) 足利(氏)政権    

          (1336年頃〜1573年頃 )。 

  ● (G) 室町幕府 

          (1338年〜1573年)。

  ■ (P80-2) 織田(氏)政権    

          (1573年頃〜1582年頃)。

  ■ (P80-3) 豊臣(氏)政権    

          (1582年頃〜1600年頃)。

  ■ (P80-4) 徳川(氏)政権    

          (1600年頃〜1868年頃)。 

  ● (G) 江戸幕府 

          (1603年〜1867年)。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ (P90) 近現代日本政権       

          (1868年頃〜  現 在)。

  ■ (P90-1) 近代日本政権     

          (1868年頃〜1945年頃)。 

  ● (G) 近代日本政府 

          (1867年〜1945年)。

  ■ (P90-2) 現代日本民主政権  

          (1945年頃〜  現 在)。 

    (G) 現代日本民主政府 

          (1945年〜 現 在)。

 

 

♪♪ 建武政権 が登場する、興味深い

  関連ドキュメンタリー、ドラマ、映画。 

 

★ 建武政権が登場する、興味深い関

  連ドキュメンタリー。 

 

■ BS歴史館 『 疾走(しっそう)!足

  利尊氏 南北朝の扉を開く!? 』 

   (NHK2014年3月13日・本放送テレビ・

   ドキュメンタリー番組)。

 

★ 建武政権が登場する、興味深い関

  連ドラマ、映画。 

● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画 は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事 が 混じって描かれていま

  す。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 太平記 (たいへいき) 』 

   (NHK1991年大河ドラマ)。

● 日本の鎌倉時代末期、 建武時代、 室町時代

  初期を描いたドラマ 。 

● 足利尊氏の生涯 と 尊氏の鎌倉幕府倒幕、 

  建武政府との対立、 室町幕府の創立と基礎確

  立 を描いた テレビドラマ です。

 

   

  ○ ドラマ「太平記」のPRフォト。

 

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#kenmunoshinsei

 

■ 建武の新政 

      (けんむのしんせい)。

 

■ 建武の新政。

■ 時期 : 1333年(元弘3年)頃〜1336年

  (建武3年)頃。

■ 名称 : 建武の新政 (けんむのしんせい)。

■ 中世天皇親政政治 (ちゅうせいてんのうしん

  せいせいじ)。

■ 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の親政政治。

■ 天皇親政政治の復活をめざした。

 

 

■ 建武政権 は、 1333年(元弘3年)に、 足

  利尊氏(あしかがたかうじ)、 新田義貞(にっ

  たよしさだ)、楠木正成(くすのきまさしげ、12

  94〜1336年)などの後醍醐天皇に味方した

  武士が鎌倉幕府を倒して、 後醍醐天皇が樹

  立した政権 である。

 

■ 建武の新政 は、 1333年(元弘3年)頃から

  1336年(建武3年) 頃まで行われた政治で、

  醍醐天皇(ごだいごてんのう)が行った政治で、 

  天皇親政政治の復活をめざした。

● 後醍醐天皇は、 天皇親政による律令政治の再

  建を唱(とな)え、 摂関(摂政関白)を廃止し、公

  武合体の政権を樹立した。

 

■ 中央には、 記録所、 雑訴決断所、 武者所、 

  恩賞方などを設置し、地方には、 守護と国司を

  併置し、各地域に、後醍醐天皇の親王を置いた。

 

■ 建武の新政 は、 公武の不和、 朝令暮改、 

  論功行賞(ろんこうこうしょう)や土地関係訴訟(そ

  しょう)の処理に適正をかき、 課税を増大させ、 

  古代的論理による現実無視の政治により、 信

  を失い、1336年(建武3年)に、 崩壊した。

 

 

■ 鎌倉幕府倒幕・建武政権樹立に中心

  的役割を果たした人々。

■ 後醍醐天皇に味方し、 北条執権鎌倉幕府

  倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立に協力

  した人々には、 足利 尊氏、 新田 義貞、 楠木

  正成、 護良親王、 北畠 親房、 北畠 顕家 な

  どがいた。

 

■ 足利尊氏。

     足利尊氏(あひかがたかうじ) は、 後醍醐

  天皇に味方し、建武政権 (1333〜36年)の樹立

  に協力した。

     しかし、 1335年(建武2年)11月に、 後

  醍醐天皇の建武政権に反旗を翻(ひるがえ)す。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任し、室町幕府(足

  利幕府)を開く。

 

■ 新田 義貞。

    新田 義貞 (にった よしさだ)は、 後醍醐天皇

  に味方し、建武政権(1333〜36年)の樹立に協

  力し、 後醍醐天皇や南朝に最後まで味方した、武

  将 である。 

     1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    新田 義貞は、 足利尊氏方の軍と戦い、 13

  38年閏7月に、 藤島(ふじしま)の戦いで敗死す

  る。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 楠木 正成。

     楠木 正成 (くすのき まさしげ)は、河内(か

  わち)の豪族で、 後醍醐天皇に味方し、建武政

  権(1333〜36年)の樹立に協力し、 後醍醐天

  に最後まで味方した、武将 である。 

    楠木 正季 (くすのき まさすえ)は、 楠木 正

  の弟で、 楠木 正成を支える。

    楠木 正成は、 足利尊氏方の軍と戦い、13

  36年(建武3年)5月に、 湊川(みなとがわ)の

  戦いで敗死する。

    1336年8月に、 足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 護良親王。

    護良親王 (もりよし・もりなが しんのう) は、

  後醍醐天皇の皇子で、 後醍醐天皇に味方し、

  武政権(1333〜36年)の樹立に協力し、建武時

  代に、征夷大将軍となる。 

    護良親王の別名は、 大塔宮 (おうとうのみ

  や)である。

     しかし、建武政権樹立後、護良親王(大塔宮)

  は、 後醍醐天皇に疎(うと)まれ、 足利氏に身

  柄を預けられ、軟禁される。

     護良親王(大塔宮)は、 1335年(建武2年)

  7月に、軟禁先の鎌倉で、足利尊氏の実弟の足利

  直義(ただよし)に殺害される。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 北畠 親房。

     北畠 親房 (きたばたけ ちかふさ)は、公家・

  大納言で、 後醍醐天皇に味方し、建武政権(13

  33〜36年)の樹立に協力し、 後醍醐天皇や南

  朝に味方した公家である。

    1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

■ 北畠 顕家。

     北畠 顕家 (きたばたけ あきいえ)は、公家・

  大納言・北畠親房(ちかふさ)の男子であり、 

  醍醐天皇に味方し、建武政権(1333〜36年)の

  樹立に協力し、 後醍醐天皇や南朝に最後まで味

  方した武将 である。

     1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ

  う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336

  年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝

  が成立する。

    北畠 顕家は、 足利尊氏方の軍と戦い、133

  8年5月に、石津(いしづ)の戦いで敗死する。

    1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜

  1392年)の征夷大将軍に就任する。

    1339年8月に、南朝(1336〜1392年)

  後醍醐天皇が没す。

 

 

◆ 建武の新政  簡略年表。

■ 1331年  ◆ 光厳(こうごん)天皇(持明院統(じみょ

          ういんとう)、鎌倉幕府擁立)方の暦年号

          元徳  3年。

          ◆ 後醍醐(ごだいご)天皇(大覚寺統(だ 

          いかくじとう))方の暦年号

           元徳  3

          ( 1月  1日ー 8月 8日)

           元弘 (げんこう) 元年 

          ( 8月 9日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1331年5月に、 元弘の変(げんこうの

          へん、1331年5月〜1332年3月)が、起

          こる。

          ● 1331年8月に、 後醍醐天皇が笠置寺

          (かさぎでら、山城・笠置山の寺)に行幸(ぎ

          ょうこう)する。

          ● 1331年9月に、 楠木正成(くすのきま

          さしげ)が、挙兵する。 

            1331年9月に、鎌倉幕府は、持明院統

          (じみょういんとう)の光厳(こうごん)天皇を

          擁立し即位させる。

■ 1332年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          元徳  4年

          ( 1月 1日ー 4月27日)

           正慶 (しょうきょう、しょうけい) 元年 

          ( 4月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  2年

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1332年3月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)に配流される。

■ 1333年  ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)

          方の暦年号

          正慶 2年

          ( 1月1日ー 5月25日)

          鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  3年

          ● 1333年2月に、 後醍醐天皇が隠岐

          (おき)から脱出する。

          ● 1333年5月に、 足利尊氏(足利高氏) 

          が、京(都)にある鎌倉幕府六波羅探題

          (ろくはらたんだい)を攻め滅ぼす。 

          ● 1333年5月に、 新田義貞(にったよし

          さだ)が、鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅ぼす。

          ● 1333年6月に、 後醍醐天皇が、京(都)

          に戻り、建武政権(1333〜36年)を樹立す

          る (建武の新政(1333〜36年)を始める)。

          ● 1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し

          (京(都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんど

          ほう)、記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょ

          うがた)を設置する。

          ● 1333年9月に、 後醍醐天皇は、雑訴

          決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(むし

          ゃどころ)を設置する。

■ 1334年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号

          元弘  4年

          ( 1月 1日ー 1月28日)

           建武 (けんむ) 元年 

          ( 1月29日ー12月29日または30日)

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ● 1334年11月に、 足利尊氏を敵視する、

          護良親王(もりよししんのう)が鎌倉に配流(は

          いる)される。

■ 1335年  ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。

          建武  2年。

          ● 1335年7月に、 中先代の乱(なかせ

          んだいのらん)が起こる。 乱中に、足利尊

          氏の実弟の足利直義(ただよし)が、 護良

          親王(もりよししんのう)を殺害する。

          ● 1335年11月に、 足利尊氏が、建武

          政権(1333〜36年) に反する。 

■ 1336年  ◆ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうご

          ん・こうみょう)天皇系統)方 の暦年号。

          建武  3年。

          ● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

          ◆ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)

          方 の暦年号

          建武  3年

          ( 1月  1日ー 2月28日)

           延元 (えんげん) 元年 

          ( 2月29日ー12月29日または30日)

          ● 1336年5月に、足利尊氏は、湊川(み

          なとがわ)の戦いで、勝利を得る。

             足利尊氏に敵対する、楠木正成(くす

          のきまさしげ)が、 湊川(みなとがわ)の戦

          いで敗死する。

          ● 1336年8月に、 足利尊氏は、持明院

          統の光明(こうみょう)天皇を擁立する。

          ● 1336年11月に、 足利尊氏は、建武

          式目を制定する。

          ● 1336年12月に、 後醍醐天皇が、吉

          野に潜幸する (南北朝分立)。

■ 1337年  ◆ 北朝(持明院統 方の暦年号。

          建武  4年。

          ◆ 南朝(大覚寺統) 方の暦年号

           延元  2年。

■ 1338年  ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。

          建武  5年

          ( 1月 1日ー 8月27日)

           暦応 (りゃくおう、れきおう) 元年 

          ( 8月28日ー12月29日または30日)

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  3年。

           ● 1338年5月に、 足利尊氏に敵対する、

          北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、石津(い

          しづ)の戦いで敗死する。

           ● 1338年7月に、 足利尊氏に敵対す

          る、新田義貞(にったよしさだ)が、藤島(ふじ

          しま)の戦いで敗死する。

           ● 1338年8月に、 足利尊氏が、北朝の

          征夷大将軍に就任し、 室町幕府(足利幕

          府)の初 代将軍となる。

■ 1339年  ◆ 北朝(持明院統)方 の暦年号。

          暦応  2年。

          ◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号

           延元  4年。

           ● 1339年8月に、 後醍醐天皇が、崩御

          (ほうぎょ)する(死去する)。

 

 

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  利尊氏 南北朝の扉を開く!? 』 

   (NHK2014年3月13日・本放送テレビ・

   ドキュメンタリー番組)。

 

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● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画 は、史実(歴史上の事実) 

  と 架空の出来事 が 混じって描かれていま

  す。 また、 現代風にアレンジしてあります。

 

■ 『 太平記 (たいへいき) 』 

   (NHK1991年大河ドラマ)。

● 日本の鎌倉時代末期、 建武時代、 室町時代

  初期を描いたドラマ 。 

● 足利尊氏の生涯 と 尊氏の鎌倉幕府倒幕、 

  建武政府との対立、 室町幕府の創立と基礎確

  立 を描いた テレビドラマ です。

 

   

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