パレスティナ2001 - ver.5

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ガザ旧市街




今日は航空券の関係で、ガザの旧市街に行った。 今までいろいろな用はすべて新市街で事足りていたので、今回始めての旧市街であった。 行く途中のタクシーの運転手が、
「日本は豊かな国なんだろ?パレスティナは貧しく、若者には仕事がない。」
とぼやいているので、素朴な疑問をぶつけてみた。
「貧しいといいながら、物は沢山あるし、いい車に乗っている人間もいるではないか? 失業しているものは日本にだっているぞ。」
すると、彼がいうには
「リッチなのはauthorityに関係したものたちだ。一般人は生活に困っている。」
とのことだ。 確かに貧富の差が結構あるような印象は私も持っていた。 PRCSの病院の問題もそうだが、PLOにはやはり問題があるようである。 ハマスのような過激派が市民に支持されている背景には、 PLOのauthorityと民衆の生活のギャップに対する不満もあるのではないかと想像された。
旧市街はいわゆるアラブ特有のごみごみした感じで迷路のようになっている。 車も一方通行で渋滞し、大変な状況になっている。
スークは商人と買い物客でごった返しており、ちょうど上野のアメ横のような感じである。 食料、衣類、日用雑貨とありとあらゆるものを売っている。 いや叩き売っているといったほうが正しい。
まさに年末商戦たけなわなのだろうか? それともラマダン商戦ともいうのだろうか? ラマダン明けには3日ほど全イスラム圏的に休みになるそうだ。そして、その間はパーティーである。
ラマダン明けは今度の金曜か土曜とのことで、 これは月の満ち欠けによるそうなので、微妙なのだそうだ。
通りにはアラブ特有の水売り商人がいたが(写真右)彼は実は水ではなくコーラを量り売りしていた。 ラマダンだからカロリーのあるものにしたのだろうか?
また、例によって、このごった返している中でもロバは活躍していた。(写真左) パレスティナ人はまだまだ元気である。 アラブ人の底力はあなどれない。



アラブ人考その1


アラブ人は基本的に仕事をしない。

これはセントラルドグマである。 また、時間にルーズである。しかし、一応仕事場には来る。 で何をするかというと、とりあえずおしゃべりをしている。 そして、時折合間に仕事をするのである。少なくとも、ここのPRCSのスタッフはそうである。
最近は、そういった生活パターンが分かってきて、 外科外来の看護婦や、コンピュータルームのスタッフ、PRCSのボランティアグループの連中などと、 よくおしゃべりをしながらアラビア語を勉強している。 彼らはとにかくしゃべることは好きだから、私がアラビア語を勉強していると知るやいなや、 矢継ぎ早に「これはアラビア語でXXという」とか、何でもかんでもいろいろ教えてくれる。
それはそれでありがたいのだが、短時間に沢山の言葉を覚えさせられるので、 頭がパンクしてしまって結局あまり覚えていない。
とりあえず、帰るまでに、片言のアラビア語は出来るようにするのが目標である。

アラブ人の語学力というと、これは平均的日本人よりは英語の話せる割合が高い。 タクシー運転手でも(というと差別になるが)片言の英語は話せる。 医者の場合、ほぼ英語は話せるが、出身の医学校により、そのレベルが違う。 PRCSにはロシアの医学校をでた医者が結構多いのだが、彼らはロシア語は完璧だそうだが、英語は一般人レベルである。 これ以外の国の出身の場合、通常もっと流暢に英語を話す。 うわさによると、ロシアの医学校はレベルに問題があるとのことで、ちょっとできの悪い医者が多いのかもしれない。 また、婦人科にナイジェリア出身の女医さんがいるが、彼女の場合、英語は話すがフランス語のほうが得意だそうである。
しかし、工事現場の作業員からも、"Hello! How are you?"と声がかかるので、この辺は基本的に国民性によるところが多いとも思う。

ちなみに、私は日本人で目立つこともあり、この病院でも大分顔が広くなった。

その結果、病院の隣にあるホテルから外科外来にいくのに、まず、コンピュータルームに顔をだし少し話しをしてから、 PRCSのオフィスに行き種々のアレンジを頼みながら少し話をして、 プレジデントルームに行きインターネットをやりながら話をして、ホテルを出ると工事の人たちから声がかかり、、 そこから地下にいって、救急外来のレジデントと話をして、検査室の人と話をして、レントゲンルームでまた話をして、階段を上り、 1階の受付の女の子に挨拶をしてから、Directorに挨拶をしてちょっと話をして、2階に上がって、婦人科の受付の人と女医さんと話をしてから、 図書室の人に挨拶して、外科外来に行く。外科外来に行ったら行ったで、ナースがてぐすねひいて待っている。 もちろん、途中であった医者達とはその都度シェイクハンドである。

もう、大変なものである。



Shifa病院(再)


今日はまたShifa病院に行った。 今日は手術日であり、朝から3件の予定手術があったのだが、そのうち2件がキャンセルになってしまい、 結局1件になってしまった。
理由は、1件は高度の肥満で気管内挿管が不能で延期になり、もう1件は胆石で紹介されてきたが、 こちらで調べたら胆石がなかったということである。
残りの1件は帝王切開後の腹壁ヘルニアで、こちらは何事もなく終わった。 手術自体は日本と同様の器具を使い、Drainやaspiration bagも同様のもので、きちんとしている。 医者はいろんな国でトレーニングされてきた者の集まりなので、ここの外科のトップであるDr. Ahmadがコントロールをして、 教育をしているとのことで、原則的には2年働かないとメジャーサージャリーの術者はやらせないのだそうだ。
Dr.Ahmad自身はエジプトの医学校をでて、ポーランドでPhDをとり、 フランスでGastrointestinal Surgeryのスペシャリティーを取ったという多彩な経歴がある。
通常の場合手術日は一日4-5件の待機手術があるが、ラマダン中は3件に絞っているそうだ。 というのはラマダン中は、医師も患者も手術をしたがらないし、基本的にどこの職場も午後3時過ぎには仕事が終了してしまうからである。 しかし、緊急手術に関しては、もちろんいつでも行うそうである。
Dr. Ahmadの今の興味の中心は腹腔鏡下の手術で、胆嚢摘出はすでにやっていて、 虫垂切除、ヘルニア根治術などもやりたいようである。 しかし、こういったレベルになると、残念ながら私には教えられないし、 日本でもスペシャリストは限られるので、彼らの望みは非常に高度な次元にある。
しかし、そういった手術が本当にこのパレスティナで必要かどうかは疑問があると、 Dr.Ahmadのいないところで別のドクターが話してくれた。 というのは、腹腔鏡下の手術はコストが高く、貧しいパレスティナ人にとっては、 通常の開腹手術の方が良いのだというのが彼の意見であった。

Dr.Ahmadに案内されて、外科病棟にも行ってきた。
ちなみに病棟は宗教的な問題があり、男性病棟と女性病棟は階が別である。
そこでは、イスラエル兵に臀部と背中を撃たれて、小腸と直腸の穿孔をきたし、 緊急手術で小腸切除と人工肛門増設を施行した患者がいた。(写真左)
元来元気な患者であるので、手術3日後から食事を開始し、一ヵ月後に人工肛門を落とすそうである。
また、直腸癌で手術した女性患者もいたが、日本と違い、癌患者の手術は少ないそうである。 しかし、今日のヘルニアの患者といい、この直腸癌の患者といい、いずれも高度肥満で、糖尿病もあり、 手術は相当大変そうである。
また、女性の肥満が多いこともあるが、ここでは胆石患者が非常に多い。
一般に、欧米では日本より肥満の割合が高いが、アラブ人がどの程度の肥満の割合なのかは不明である。
私は、イスラム圏の女性は宗教的に体型が分からないような服を着るので、 逆に体型を気にせず肥満が多いのではないかという説を唱えている。本当かどうかは分からない。
しかし、アラブのおばさんには妊娠しているんではないかと思われるほどの高度肥満の女性が結構いる。
まあ、アラブは子沢山で外科外来の看護婦さんも10人兄弟だといっていたし、私も6人は子供がほしいわ、 とも言っていたので、本当に妊娠しているのかもしれないが。
一般外科の手術は、虫垂炎とヘルニアと胆石が上位を占め、その後に銃創などの外傷が次ぐようである。 しかし、ここでは小児外科、形成外科と心血管外科は独立してあり、それぞれ、症例を結構こなしているとのことである。