パレスティナ2001 - ver.16

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F-16


今日は、クリニックの日である。 クリニックにはいつも歩いていくのだが、その途中、F16が飛んでいくのが見えた。 思わず写真を撮ったのが左である。
写真を良く見ると、青い空のなかに、薄く白く3本見える航跡がF16のものである。 これが空爆の時は縦横無尽に飛び回る。 独特のジェット音ももう耳についている。 また、どこかで何かあったのかもしれない。

クリニックは朝9時からということだったが、ちょっと遅れて9時30分ころについた。 大分私もアラブ時間になってきて、遅れちゃったかなと思いながら、入っていくと、 Drアラジャはまだ来ていない。
なるほど、まだまだ私はアラブ時間にはなっていないようだ。
そうこうするうちアラジャは45分遅れて来た。

朝の恒例、朝食タイムでフールとファラーフェルを食べて、仕事を開始する。
今日も患者は10数人だが、始めのうちに一斉にくるので、最初の一時間は結構忙しい。 私が外科医であることもあり、アラジャが内科的な患者や問診をして、 処置の必要な患者は私が処置をするというコンビネーションで仕事をすすめた。
結構外科的な患者も来て、小児の鼠径ヘルニアや外耳炎、切創、皮膚炎などが来た。 しかし、とにかく子供が多く、来る患者来る患者子供を抱いたお母さんばかりで、 小児科のようである。 しかも、アラジャ自身も自分の子供を連れてきて、診察室になかで遊ばせているので、 妙な状況である。
患者は、風邪が多いが、なかには、癲癇のフォローやShifaで心臓の人工弁の手術をしたあとのフォローなんていう患者もいて、種々雑多であった。 ここの仕事も思ったほど単純でなく、アラジャもGPとはいえ、結構優秀である。

仕事が暇になると、外に出る。すると、天気もよく、海が広がっていて良い気分である。 私は、忙しいShifaも良いが、こういう仕事場も結構好きである。
午後1時すぎ、仕事が終わり、AlQudsに向かった。途中、またF16 が飛んでいった。 そして、なにやらミサイルが落ちたような音が遠くで聞こえた。 また、アタックがあったのだろうか?ちょっと気になる。


医療スタンダード


AlQuds病院に帰った。すると、救急外来に急患が来ている。 私は何故か、いつもこういう場面にタイミングよく遭遇する。
聞くと、一人は痙攣、もう一人は交通外傷の子供である。 痙攣の子はShifaに転送だそうだ。 外傷の子は腹部は圧痛はあるが、柔らかく、レントゲン上も消化管穿孔はなさそうである。 そして、脾臓の損傷などをチェックするため超音波をやるという。 それはいいのだが、超音波をとるために患者をわざわざ救急車でShifaに送るという。 というのは、RadiologistはShifaにしかいないからだそうだ。
「そんなばかな、超音波の機械はここにもあったじゃないか」というと、
「あれは婦人科用だ」という。
「緊急なんだから関係ないだろう」というと、
「我々には経験がない」ということである。
「超音波なんて簡単なんだから俺がやってやる。超音波は日本では沢山やっている」といっても、
「我々はradiologistのofficial reportが必要なのであり、お前がやって、 出血のあるなしが分かってもだめなのだ。」とのことだ。
超音波は日本ではスタンダードなテクニックであり、内科の医者はもちろん、 外科の医者も当たり前のようにやっているが、ここパレスティナでは放射線科医しかやらない。 一つには機械が高価で普及していないせいもある。
しかし、緊急患者の出血の有無を調べるための超音波をわざわざ遠くの病院に運ぶというナンセンスさはいかんともしがたい。 しかも、いくら私が言っても自分達で超音波を施行するという考えは浮かばないようだ。
日本のスタンダードがおかしいのか、こちらのスタンダードがおかしいのか、それは不明であるが、 医療常識の大きな違いを感じた一件であった。

翌日はShifaの日。朝病棟に行き、回診をする。また新たな糖尿の患者が入っていた。 よくいるものだと感心する。
今日は手術日で、朝から4件。腹腔鏡下の胆嚢摘出と開腹での胆嚢摘出。 ソケイヘルニアと頚部のう胞摘出である。
腹腔鏡下の胆嚢摘出はDr.Ahmadが行った。機械は日本の機械でそれもそのはず、 日本からのDonationだそうだ。
腹腔鏡下胆摘自体は症例経験も豊富で、手技も欧米で学んできているので、 しっかりしている。1時間弱で終了した。特に、問題ない。
次の症例は、60才の女性で例によって高度の肥満である。とってもやりにくそうな体型なのだが、 この年でコスメティックなことを気にしてもしかたがないだろうということで、 開腹になったそうである。私も手術に入って手伝った。
ものすごい肥満であり、技術の差が出る手術だが、小切開で手際よく手術を終えた。 この2件の手術を見る限り、胆摘に関しては彼らは技術的にまったく問題ないことが分かった。
二例目の手術前に隣で、炎症性の十二指腸狭窄で胃空腸のバイパス術をやっていた。 聞くと、別のグループの外科医だが、この病院でもっともうまい外科医だそうで、 この病院で唯一、膵頭十二指腸切除術という消化器外科でもっとも難しい手術の一つをこなせる外科医だそうだ。 彼はドイツで医者になったそうである。年齢はおよそ50歳は超えていそうだ。 ちょっと話をした。
そのなかで、彼は、
「私はいままでおよそ150例の胃切除をやっている。お前はどのくらいやったことがあるのだ。」と自信満々でいうので、
「大体50-60例くらいだ。」というとちょっと驚いた様子である。
というのは日本では胃癌が多く、胃切除はスタンダードな手術で、一人の外科医が1年で2-30例の胃切除をするのは良くあることである。 よって、2-3年外科医をやると50例くらいの手術数にはすぐなる。 逆に日本で言えば50才くらいで膵頭十二指腸切除術を手がけているような外科医であれば150例では少ないほうである。
しかし、彼らに言わせると、胃癌は非常に稀な癌で、癌による胃切除も珍しい手術なのである。 よって、彼の胃切除には潰瘍からの出血などの緊急の手術が多く含まれている。 そういう症例で150例やったということになると、これは逆にものすごい症例数である。
いままで、私の経歴を言うと、「どんな手術をやったことがあるのだ」と聞かれるので、 「虫垂切除やヘルニアや胃切除や、、、」というと、彼らは大抵、「胃切除」というところで感心する。 こいつは若いけれど「胃切除」をやっているらしい。という感じである。
日本では、2年目の外科医が「胃切除」をやっているので実は大したことはないのだが、 ところ変わればという感じだ。

ヘルニアはひどいヘルニアだったが、Bassiniという古典的な手術で終了し、 頚部腫瘤生検もなんてことなく終わった。 ここで、実はこの頚部腫瘤は術前診断では甲状頚のう胞だったのだが、切ってみてリンパ節と分かった。 術後、
「術前に超音波はやったのか?」と聞くと、
「やっていない」とのこと。
「超音波をやればのう胞と誤診することはないだろう」というと、
「それはそうかもしれないが、radiologistは3人しかいないので、こういった症例まで超音波にはまわせない」という。
「自分達でやればいいだろう。のう胞とリンパ節なんて鑑別は簡単だ」といっても、
「超音波はradiologistの仕事で外科医の仕事ではない」と譲らない。
やはりここでも、意識の違いがはっきりあった。 このとき聞いたDr.Aliはユーゴスラビア出身。別のトルコ出身のDr.Awadに同じことを言うと、
「確かにトルコでは、外科医が術前診断までやって、pathologistとradiologistとカンファをやって手術をしている。 しかし、ここはパレスティナであり、そういった国とはメンタリティが違う。 スペシャリストである外科医はradiologistの仕事はしないのだ。 たとえ外科医が診断したとしても、そのreportは誰も信用しない。」とのことだった。
これは、その国のやり方ということらしい。 パレスティナの医療のスタンダードは主にどこの国に由来するのかと聞くと、 古い医師は主にエジプトで勉強しているとのことである。
私は日本のやり方をここで押し付けるために来たのではないので、それ以上何もいわなかったが、 このあたりはパレスティナと日本での外科医の仕事の大きな違いの一つであった。


Dr.Awad


今日は仕事が終わったあと、Dr.Awadが「うちに来て食事でもどうだ」というので、 ありがたく招かれることにした。というのは、ラマダンが明けて以来、ホテルの食事が急にプアになり、 困っていたところだったからである。
Dr.Awadはガザの北に住んでいる。 Dr.Awadの実家は彼のフラットのすぐ近くにあるのだが、何せ兄弟が多く、 彼は実家で住むのは無理なので、フラットを借りて住んでいるそうだ。 ちなみに、彼にはトルコで結婚した婦人科医の奥さんと二人の子供がいる。 なぜ子供は二人なのかというと、奥さんが仕事をしているから二人以上は無理なのだ、 とのことであった。
フラットは家賃が一ヶ月150US$だそうだが、べらぼうに広い。 部屋は大きな部屋が3部屋である。中には写真のような高そうなソファがいくつもある。 ちなみに彼の月収は500US$。奥さんも働いているので、パレスティナではおそらくかなり裕福な家庭である。 トルコのときは月800US$ずつ二人で稼いていたが、子供一人に500US$かかるので、 貯金は月に400US$しか出来なかったといっていた。 日本では私のほうがはるかに稼いでいるのだが、生活レベルは決して高いとは言えない。 特に住宅事情は、日本のほうが相当劣悪である。
食事の時間になった。メニューはマクルーバというアラブ料理だそうだ。(写真) 豆と肉が入って炒めたご飯にチキンが乗っている。これは日本人には会う味覚であり、お勧めである。 十分食べさせてもらった。

その後、何故か海に行こうということになり、奥さんと子供もつれて、パレスティナの海に行った。冬なので、結構寒く、周囲にも誰もいないのだが、夏などは、この海外で夜をその明かすこともあるという。海の方では漁船のライトが見える。ガザでも漁業は行われているそうだが、もちろん近海だけで、遠洋漁業はイスラエルに認められていない。
海岸で、またいろいろ話した。
彼はガザ出身、奥さんは西岸出身でトルコの大学で出会ってトルコで結婚したそうだ。 しかし、パレスティナに帰ってきて、彼は西岸の、奥さんはガザの滞在のpermissionが降りないそうだ。 今は二人でガザに住んでいるが、奥さんはガザには不法滞在ということになっており、 西岸の実家には帰れるが、一度帰るとガザには戻って来れない。 そのpermissionを申請するにはagentのrecommendationがいるのだが、 permissionがもらえるかどうかは、そのagent次第であり、 申請者がイスラエルに対してどういう考えを持っているかというようなことで決まるそうだ。 近くにいるagentは彼のことをよく知っているそうであり、permissionは下りないだろうという。 実際、パレスティナに帰ってすぐの時に夫婦が半年以上バラバラで暮らしたことがあったらしい。
彼はトルコの永住権も持っているのだが、
「自分はパレスティナ人であり、ここは我々の土地だ。だから、他の国で暮らすことは考えていない。」とのことだ。

また、彼は、今時間のあるときにトルコの外科のボードと、エジプトの泌尿器科のボードの試験を受ける勉強をしているそうだ。
というのは、彼はトルコで初め泌尿器科の研修をしており、 本来泌尿器科医を目指しているのだそうだ。
今は外科で働いているが、スペシャリティがないので、泌尿器科のスペシャリティをとり、 もっと良いポストを狙うとのことである。
パレスティナでは質はともかく、医師の人数は多く、 良いポストにつくにはスペシャリティが必要なのだそうだ。 ちなみに、そういったスペシャリティを認定するための学会はパレスティナでは存在していないので、 現在の時点では、他国で取得するしかない。
彼は「自分はトルコでアメリカ式の教育を受けているので、 ロシアやユーゴスラビアなどのレベルの低い教育を受けてきた医師とは違う」といい、 自信を持っていた。
ここでは医師も過当競争である。就職難という意味では医師も例外でない。