パレスティナ2001 - ver.17
その1、
その2、
その3、
その4、
その5、
その6、
その7、
その8、
その9、
その10、
その11、
その12、
その13、
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その18、
その19、
その20、
その21、
その22、
その23、
その24、
その25、
その26、
その27、
その28、
その29
英語教育
今日はクリニックの日。9時45分ころ行ったら、
「ずいぶん遅いわね」とDr.アラジャに指摘された。
この間はこの時間にはまだ来てなかったじゃないかと思ったが、この辺、なかなか加減が難しい。
今日も朝から患者は来ているが、大半は風邪や喘息である。
一息ついて、例によって朝食の時間。私以外は皆自宅でも朝食を食べてきているので、正確に言うと、
お茶の時間のようなものだ。
このとき、いつもいろいろと話をする。
今日は、Dr.アラジャが
「日本ではメディカルスクールの講義は何語でするの?」と聞くので
「もちろん日本語だよ」と答えると。
「アラブのメディカルスクールでは英語で講義をするのよ」という。
彼女はリビアの大学を出たのだが、メディカルスクールの授業はすべて英語で行われるそうで、
教師と学生のディスカッションも英語だそうだ。
もちろん教科書もすべて英語である。
これはDr.Awadも同じことを言っておりトルコでも同じである。
ただし、学生間で普通に話しをするときはアラビア語である。
これは、他の学部ではどうなのかというと、工学や薬学、看護などの理系のカレッジでも講義の一部は英語だそうだ。
ただ、そこではアラビア語の講義もあるらしい。
では、彼らは英語を何時から勉強し始めるかというと、
これは小学校に入るとすぐに英語の授業があるという。
そして、その授業は英語で行われるそうだ。
英語の授業中に教師は一言もアラビア語を話さないそうである。もちろん教師もアラブ人である。
なるほど、これで、アラブの医師が皆良く英語を話せる理由が分かった。
そして、彼らがアラブのメディカルスクールを出たあと、
ヨーロッパなどの大学に行ってレジデントをしたり、スペシャリティーを取るケースが多いのもこれでうなずける。
語学に関しては、障害がほとんどないのである。
また、ロシア出身の医師が英語が話せないという理由も判明した。
英語で講義をやっていないからである。
そういえば、彼らの持っている教科書はロシア語である。
そして、彼らアラブの医大出身の医師がロシアや旧ソ連の国の医大出身の医師を一段低く見ている理由もおそらくこのためだろう。
しかし、日本人医師は人のことは言えない。英会話力はアラブ人より確実に劣っている。
かくして、英語教育に関しては、日本はアラブから相当遅れているといわざるを得ない。
写真左上:クリニックの診察の様子
写真右下:クリニックのスタッフ。左からファヘット、薬剤師のアビット、カアリ
写真左下:クリニックの看護助手アミーラ(左)とDr.アラジャ(右)
パレスティナ医療保険事情
夕食時、Dr.Alaaと話した。
彼はロシアの医大をでて、Shifaで二年働き、今はAlQudsで麻酔科医として働いているという。
彼の家はもともとテルアビブに近いところにあり、1948年に戦争になったときに、彼の親は難民となりガザに来たそうだ。
実はそういった人々がガザの人口の80%を占める。
私は、かねがね疑問に思っている事を聞いてみた。
「パレスティナの貧しい人たちは、病気になったとき、皆病院に行けるのか?」
すると、彼はパレスティナの医療保険事情についていろいろ説明してくれた。
まず、パレスティナの人間には二種類いる。難民とそうでない人達である。
前述のようにガザでは基本的には、80%が難民である。
難民にはUNの保険がある。そして、それはUNのクリニックしか使えないが基本的に外来診療は無料である。
また、UNの保険では、UNの病院やShifaなどの政府の病院に入院すると90%は保険からでて、10%を自分で払うことになる。
一方、難民でない人たちはUNの保険はもらえないので、政府の保険になる。
政府の保険だと、保健省のクリニックやPRCSのクリニックなどでは、診察が1シェケル。紹介状なども1シェケルである。
3歳以下の子供では、薬はどれでも一種類に付き1シェケル、それ以上の年だと3シェケルだそうだ。
これは慢性疾患の場合にも適用されるので、当然みな限界いっぱいの二週間分をもらって帰っていく。
大人であれば、日数にかかわらず、一種類の薬に付き3シェケルであるからである。
病院については、Shifaなどの政府の病院に入院すると診療費はすべて無料である。
ただし政府の保険ではUNのクリニック、病院にはかかれない。
しかし、これではUNの保険の人達は重傷になったときに困るので、実は難民でもほとんど政府の保険に入っているのだそうだ。
保険料は一月50シェケルである。
難民といっても50年前になった人達であるので、いろんな人がいるわけである。
こういうことであるから、当然のことながら保険の効かないプライベート病院には誰も紹介してもらいたいとは思わない。
難民は無料でかかれるUNのクリニックがあるから、当然保健省のクリニックやPRCSのクリニックには来ない。
これが、PRCSのクリニックに患者がさほど来ない最大の理由になっている。
Dr.Alaaはこんどの日曜日、Shifaに麻酔をかけに行くそうで、ちょうどそのとき私も当直だから、そのとき彼と相談して、
日程をきめてUNのClinicに行くことにした。
Dr.Elen
今日から4日間、キプロスからDr.Elenという外科医がきて、AlQuds病院でボランティアで小児外科の手術をするということで、
朝からいつもになく外来には患者がいっぱいであった。
Dr.Elenはキプロスの医大の小児外科の教授だそうで、専門が尿道下裂や間性、停留睾丸といった泌尿生殖器の手術である。
いままでも何度か来ていて、年に1-2回定期的にこういった形で手術を行っているらしい。
今日の午前中は手術患者の選別であり、外来にはあらかじめ連絡のあった60人ほどの患者とその家族が来ていて、
その中から手術が必要な患者を診察して決めていく作業をしている。
そして、4日間でおよそ20例くらいの手術が予定された。
この手術は主に子供を対象にしているので定期的なフォローアップが必要であり、
その辺はこちらの医師と連絡を取ってうまくやっているらしい。
ボランティアとしてはMDM (medecins du monde:世界の医療団)というNGOのミッションであるようで、
材料などはそちらのほうから持参して来ていて手術はすべて無料で行われる。
PRCSで対応している医師はDr.Mohamed、Dr.Khairi、Dr.Faizといった私のなじみの顔であり、
私も混ぜてもらう形でちょっと手伝うことにした。
ただし手術自体は特殊な手術なので、私には周囲で手伝うことくらいしかできない。
この日は、Shifaの当直の時間になり、手術には参加せずに二日目から手伝うことにした。
翌日、Shifaから戻って、AlQudの手術室に行くと、1件目の手術はもう始まっていて、
尿道下裂の手術で尿管延長のために膀胱上皮の採取が終了したところであった。
その後の尿管吻合の手術を外回りで手伝い、2例目の途中で、一時抜けて、連日で当直があるため部屋で仮眠をとり、
最後の5例目の手術のときに手術室に戻り、少し手伝ってから、またShifaに行った。
その翌日は、午前中はクリニックの日であり、午後早々にAlQudに戻った。
Dr.Elenの手術は最終日はハンユニスに行く関係上、今日しか手伝えない。この日の午後は、尿道下裂術後の瘻孔閉鎖で、
唇の上皮を移植して、閉鎖するという術式である。
このときは唇側の粘膜採取を手伝い、採取後の縫合などを担当した。
この日は、ちょうどパレスティナテレビが取材に来ていて、Dr.Elenは子供とともにカメラに収まっていた。
本来、予定が立て込んでなければ、もっと手伝えたのだが、ちょうどShifaでも、だんだん知り合いが増え、
仕事の場が広がってきたところなので、対応し切れなかったのが残念である。
しかし、このやり方は確かに正解で、こちらの医師は、通常の手術などは十分自分達でこなせる力を持っているので、
こういった特殊な領域に絞って、材料持参で専門家を送るというやり方は、パレスティナでは一番効果的かもしれない。
ShifaのDr.Ahmad Kandelの話では、彼らは今ERCPをやって、総胆管結石の症例に内視鏡的に対応したいという希望があるようで、
現在エジプトやギリシャのあたりに勉強に行く計画がある。
まだ道具がないので出来ないが、このあたりだったら、日本の方から道具と専門家を派遣することは可能である。
ということで、パレスティナではこういった形の医療援助が良いのではないかと思った。