パレスティナ2002 - ver.20

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緊急内視鏡


今日もShifaに行って、ERのDutyをした。今日はDr.Fathiが一緒である。
外科病棟に行くとDr.Awadがいた。聞くと、彼のおじさんが喀血で内科に入院したとのことである。 おじさんといっても36歳であり、Dr.Awadとさほど年は変わらない(写真右)。大家族ならではの現象である。
ちなみに、写真を見れば分かるが、この食事が病院の夕食すべてである。お世辞にも栄養が十分とは言えない。
Dr.Awadがおじさんを見舞いに行くついでに、内科に行って、病棟を案内してもらい、内科の救急にも行った。
日本では通常、圧倒的に内科のほうが患者数が多いが、ここでは救急は内科より外科のほうが多いのだそうだ。 建物も外科のほうが大きい。ここでは外傷が多いというのもその一因であるが、他には患者が単なる風邪くらいではセンター病院であるShifaには来ないということもある。

内科から帰ってきて、ちょっとDr.Awadと話をしたとき、ここの医師の給料の話になった。 ここの医師の月給は通常500US$だが、Dr.Awadのように、ここ2年間に新しくShifaに就職した若手医師は、 1000NIS(250US$)に抑えられているそうだ。 しかも、彼らの給料は昨年(2001年)の9月以降まったく支払われていないらしい。
その説明として、PAには今お金がないので、新しくDonationが来次第支払う、ということになっている。
しかし今年(2002年)以降働く意思のない場合は自由に他の職場に言ってよいという通達があったそうである。 つまり、退職を勧められているというわけである。
しかし、他に行っても思うように就職できるわけではないので、彼らは今支払われるあてが不明な給料を期待して、 半ばボランティアで働いているということである。もちろん彼らには自分のクリニックもない。
私は彼らの多くが救急で働いており、その仕事量も知っているだけに、 PRCSのような仕事のない病院の医師が給料をもらっているなかで、彼らが無給で働いている事実に愕然とした。
その他の医師の給料も2000年のインティファーダ以降、一律10%カットされているそうである。 これは医師に限らず、PAの職員全員であるそうだ。
私がPRCSと関係があるのを知っている彼らは
「Shifaで我々はこれだけ沢山の患者をみて、Dutyもこなしている。我々はPRCSの病院に患者がいないことも知っている。 お前達は明らかに援助する相手を間違っている。」と指摘する。
そして、PAの体質にも釘を刺して
「援助するなら、直接現場の個人にするか、もしくは現物でせよ。決してAuthorityに金を渡すような援助はするな」ともいっている。
多くの日本のODAは一部は確かに役立っているところもあるが、一部はPA上層部のためにのみ使われ、 本来援助の必要としている人達に届いていないということを彼らはよく知っている。

午後6時過ぎ、ソケイヘルニア嵌頓の疑いで緊急手術をするということで、手術室に行った。 見ると、左ソケイ部に拳二個分ほどの腫瘤が見える。 用手的に還納が不可能ということで、全身麻酔下で手術となった。 開けてみると、実は巨大に拡張していたのは、嵌頓した腸管ではなく巨大な陰嚢水腫であることが判明した。 しかし、これだけ巨大だといずれにせよ手術適応ではあった。 これも、術前超音波をしていたら確定診断できたかもしれない。

この手術が終わると同時に、隣の部屋で、外傷による手指の腱断裂の手術が整形外科で始まった。 ERで見かけた患者である。 およそ3指ほどの修復が必要なようである。後学のために見学をした(写真)。

しばらくすると、Dr.Fathiが内科に呼ばれたという。 行ってみると、転落による脊損で第11胸椎レベル以下の麻痺のある23才の男性患者が下血していて、 出血のコントロールがつかないという。
見ると、出血はフレッシュで下部の腸管からの出血が疑われた。 内視鏡だ、血管造影だ、アンギオCTだ、なんだといろいろ彼らは言っていて、意見を求められたので、 「日本では通常内視鏡で止血を試みる」と言った。ここは実は私の専門領域である。
これが採用されたかどうかは知らないが、とにかく、まず緊急内視鏡で出血位置を同定しようということになった。 そして、「内視鏡なら私も日本で沢山やっているし止血の経験もある」とも言ってみたが、 やはり彼らとしても常勤の内視鏡医を無視するわけにもいかないので、結局常勤の内視鏡医を呼んでやることになった。
ここの内視鏡は日本で使われている電子スコープではなくて、昔ながらのファイバースコープである。 しかもモニターがないので、カメラを覗いて見るしかない。光源、カメラはオリンパスのもので、これらは日本政府のDonationである。
スタッフには日本に来て勉強したものもいるので、最新の処置や器具について知識だけはあるのだが、 道具がここではポリペクトミー用のスネアがあるだけで、止血用のクリップはなく、もちろんAPCなどの止血装置もない。 よって、治療内視鏡は非常に制限され、事実上内視鏡的止血は出来ない。 つまり、診断をするだけということになる。
そして、緊急内視鏡が始まった。まず念のために上部の内視鏡をやったが、こちらは全く問題ない。
次に、下部の内視鏡である。前処置が不良であることもあり、出血点がなかなか同定されないが、 どうもS状結腸まで行くと、出血がおさまっているということで、直腸からの出血であるようだ。 明らかな動脈性の出血はなさそうで、染み出てくるような出血のようである。
ここにはAPCなどの凝固装置はないので、そうなると、あとは圧迫するしかなく、いろいろディスカッションのあった後、 手術室で、硬性鏡でみて、パッキングをするということになり、そのまま手術室に行った。

直腸の硬性鏡は現在日本ではほとんど行われていないが、彼らに言わせると、直腸の病変の場合、 通常の内視鏡よりも処置が出来る分優れているそうだ。 確かに、ここの病院の大腸内視鏡では道具がないので止血操作は出来ない。
硬性鏡で覗き、S状結腸まで達すると、まず多量の通常便が出てきた。 これでは観察にならないので、浣腸を施行する。そして、浣腸が終わると、なんと自然に出血が止まってきた。
どうも、脊損により、高度の便秘になっていて、直腸が拡張したことが、出血の原因だったようである。 ということで、一件落着し、そのままフォローとなった。

この一連の経過で感じたのは、彼らは彼らの与えられた環境で、工夫して、ベターな選択をしているということである。 私が日本で覚えた止血のテクニックは道具があれば有効だが、そうでないここでは役に立たない。 彼らはそういったテクニックの存在は知っているが、道具がないので、そのなかで次善の方法を考えている。
彼らの医療レベルはそういった意味では決して低くはない。
もちろん、この一連の流れに関しては翌日のモーニングレポートの時間にまた喧々諤々の議論になったのは言うまでもない。
ちなみに、前回議論になった、頭部銃創の少年はイスラエルに送られた後、脳死になって帰ってきたそうである。 予想されたことだったが、厳しい現実である。

この出血騒ぎは10時頃終わった。 そして、病棟に行くと、また虫垂炎が一人入院していた。しかもこれは確実に手術が必要である。
この時点からまた手術のアレンジを始めた。
そして、手術室に行くと、今度は、上腕の動脈塞栓症でこれから血管外科で血栓除去をやるという。 これは一般外科の守備範囲ではないのだが、ちょうど時間もあったので、これも後学のために見ておいた。 本当に今日は多彩な症例が緊急手術になっている。 ここの手術室は毎晩常に稼動している。

そして虫垂切除の方は11時過ぎから始まった。今夜は、内視鏡の時以外はほとんど手術室にこもりっぱなしである。 結局、2件の手術をやり、1件の止血にかかわったことになる。 そして、手術が終わり、病棟の患者をもう一度見てから、3時頃就寝となった。

翌朝、十二指腸潰瘍による幽門狭窄の患者が入院した。緊急手術の予定をする。そして、手術室に連絡をとって待っていた。

そのとき、先日(12月30日)のイスラエルのアタックの話がでた。 このときイスラエル軍が6人のパレスティナ人を殺害したのだが、6人のうち3人は武器を携帯していたそうだが、 残りの3人は、単に鳥を追いかけていただけなのだそうだ。17-8才の少年たちである。
そして、本日、彼らの死体が戻って来て、病理解剖がShifaでおこなわれているという。 見に行くかとDr.Awadが言うので、見に行ってきた。
ちなみに、病理解剖はここの医師であれば誰でも見ることはできるそうである。

行く途中は親戚やら友人と思われる大勢の関係者が建物を取り囲み騒然となっている。 その中を何とか中に入っていく。
実は死んだのはDr.Awadの近所の人らしく、Dr.Awadは家族もよく知っているらしい。 だからこそ、彼は見に来ようと思ったらしい。
解剖室に入ったら、そのときちょうど解剖中であった。 見ると体中の多くの箇所に不自然なやけどのあとがある。 病理医が言うに、これは単に、銃で撃たれて死んだのではなく、拷問をされてから殺されたとしか考えられないそうだ。
真実であれば、大変むごいことである。全く言葉を失った。 そして、彼らは、写真を撮って、この死体の状況を伝えてくれという。
写真は撮った。しかし、さすがにそれはここでは公表するのを差し控えておく。
しかし、想像を絶することがパレスティアでは行われているようだ。

結局、この後、RTAの緊急手術が2件入り、本来緊急でない幽門狭窄は延期となった。 ということで、今日も長い当直が終わった。