パレスティナ2001 - ver.13

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*:例によって、一部刺激の強い内容、写真を含んでいますことをおことわりしておきます。


またまた長いShifaの一日



今日は週に一回のER当番日のため、朝からShifaに行って働いた。
朝は、例によって回診から始まった。
昨日入院した患者は、交通外傷による子供の骨盤骨折で、保存的にみている。 もともとひどい骨折ではなく特に問題はないようだ(写真左)。
このあたり、どのあたりの外傷までが外科の領域なのかどうかはあいまいである。

他には、また新しい糖尿病性の壊疽の患者が数人入っていて、ほとんどが足趾の切断後なのだが、 切断した部分の感染のコントロールが不良な患者が何人もいる。 今日も一人、デブリードメントをした(写真左)。


病棟内での処置は日本では通常消毒用のカートがあり、そこにありとあらゆる物が乗っているのだが、 こちらのカートはいたってシンプルで、台のうえには消毒液のみがおいてあり、 下に滅菌ガーゼが一回分だけ小分けにされて紙にくるまれている(写真右)。 消毒用のセットにはさみやピンセットの類が入っていて、メスの刃はあるが、メスのホルダーは使わず手で持って切る。 この辺Alqudsと同じである。
もともと、感染創の処置なので、清潔にはこだわる必要がないといえばそのとおりである。
その後、外科のトップであるDr.AhamedとNo.2のDr.Salaは病棟に残し、私はERに行った。
ちなみに、Dr.Salaはポーランドで15年外科医をして、パレスティナに来て7年目、PhDを持ち、 肝臓外科のスペシャリストらしいが、パレスティナでは肝癌などの症例はほとんどなく、 せいぜい肝外傷での修復をするくらいだと言う。日本は症例が多く、技術も高いということを聞いているらしく、 「是非日本にいって勉強したい。」と私に言うのだが、私に言われてもどうしようもない。
外科の中ではDr.Mohamedが40才でNo.3なのだが、実質上彼が診療一般を取り仕切っている。 他のDr (Dr.AliとDr.Awad)も世代的にはDr.Mohamedに近く、この若手グループが実働部隊である。
今日の午前中のER当番はDr.Aliで彼はDr.Mohamedとユーゴで一緒に勉強した仲なのだそうである(写真左)。

今日のERは先週の休日の日中より、ひどい外傷は少ないが、やはり次から次と打撲から、 脱臼やらの外傷系の患者が来る。
整形のDrはいるのだが、外傷をすべて整形の医者に頼むのは不可能なので、 基本的に一般外科医も頭部、四肢、体幹の外傷患者をすべて見て、レントゲンをとり、 骨折などの時にのみ脳外科医や整形外科医を呼ぶ。 脱臼の整復もとりあえず試みてみて無理なときに整形外科医を呼ぶという形である。
その他、泌尿器科、耳鼻科領域でもすべて、初めはそのとき空いている医師がとりあえず見るというのがルールである。 従って、他科のプライマリーケアの知識がかなり要求される。
通常の日本の外科では、消化器癌の患者が多いのだが、当然このERではそういった患者は全くいない。 よって、末期癌の患者とか、手術後の腸閉塞といった日本の外科的な救急症例がくることはない。 腹痛は内科でみて、手術の必要がありそうなもの(ほとんど急性虫垂炎)だけ送られてくるので、 大抵、手術が必要かどうか微妙な症例であることが多い。
今日の午前中は、結局、急性虫垂炎が2人、乳房炎からひどい膿瘍になった女性が1人外科に入院した。 また、橈骨動脈の血栓症疑いの患者が送られてきたがこれは血管外科に頼みそのまま緊急手術になった。 乳房炎の膿瘍ドレナージも手術室で全身麻酔下で行われた。

患者が途切れないので、なかなか昼食が取れなかったが、2時過ぎにようやくDr.Awadにswitchして、昼食を食べに行く。 Dr.Aliに言わせると、今日は暇なほうだそうである。
昼食時、ここのスタッフの一人と話をした。 彼は、Shifaでの胸部の外傷について調べたそうなのだが、一年間に銃創だけでなんと250例あったそうである。 ものすごい数である。まとめて報告したらしいが、そういった症例はここには山ほどあるそうだ。
昼食後、またERに戻ってきて、仕事を続ける。糖尿病性壊疽の患者が一人入院しただけで、日中は前回のような重傷患者は来なかった。
Dr.Awadは「暇なうちに少しでもいいから寝ておけ。夜は寝れない。」という。 やはり、このまま終わるはずがないようだ。
そのうち、午前に入院した、急性虫垂炎が二人とも手術になるということになった。 段取りも悪いせいもあるし、予定手術が立て込んであることもあり、その日に入った患者の手術は大抵夜になる。
夜7時からようやくDr.Mohamedと私で1例目の虫垂切除の手術を始めた。 そして夜8時頃、手術が終わるやいなや、今、なにか大きな衝突があり外傷が沢山来ているからすぐ来るように とERから呼ばれた。
行ってみると、沢山の負傷したパレスティナ警察の警官がERに寝ている。 聞くと、どうやらハマスとパレスティナ警察の間でもめごとが起きたらしい。 幸い、ハマスは投石などで、戦ったらしく、警官も打撲やせいぜい骨折くらいの軽症の患者が多い。 例によってテレビ局も来ている。
しかし、不思議なことに、ERのメンバーは皆ナースコーナーに待機したままで動いていない。 どうしてかというと、警察官の負傷者に関しては、Military Hospitalの管轄で基本的にはMilitary Hospitalの医師が見るらしい。 しかも、先日のイスラエル軍の攻撃で病院は破壊されているので、医師はこちらに来て見るのだそうだ。 また、こちらに送られてきたのは、Shifaであれば重傷でもすぐ対処できるというのもその理由の一つである。 よって、重傷者がいたり、Military Hospitalの医師では手に負えない患者がいたときはShifaの医師が手伝うのだそうだ。
およそ、2-30人の警官が次々と運ばれてきたが、幸い重傷はいなく、9時頃、騒動も一段落したかに思われた。

そこに、
「今、ジャバリヤでハマスとパレスティナ警察が銃撃戦をやったらしく、腹部銃創が来るらしい」
という連絡があった。
にわかにあわただしくなる。
まもなく、救急車が到着する、例によってストレッチャーはERのICUに直行である(写真左)。 すでにラインは2本入ってきている。 銃創は下腹部に一箇所だが、どうも消化管穿孔を起こしているようだ。 血尿はなく、尿路系は大丈夫そうである。
血圧は保たれており、胸部は問題ない。大出血はとりあえずなさそうである。
とにかく、出来る検査をして、手術室直行となった。
すると、すぐもう一人ICUに搬送された。今度は肩の銃創である(写真右)。 左の背中から腋下に弾丸が貫通している。 聴診上左肺のエア入りは良好で、気胸はなさそうである。 左上肢の動きも末梢の動脈の拍動も問題ない。表面を貫通しただけのようである。 こちらもデブリードメントのために手術室に行くことになった。

手術室では他のメンバーにより2例目の虫垂切除は終了しており、 もうすでに手術室の準備はOKであった。
バタバタと緊急手術が始まる。

レントゲンでは骨盤腔内に弾丸が残っているのがはっきり分かる(写真左)。貧血はそれほどではない。
さすがに、こういった緊急のケースには外科のトップであるDr.Ahamedが登場した。 そして、Dr.AhamedとDr.Mohamed、私の3人で手術を開始した。
開腹すると、S状結腸に小さな損傷があるのと、小腸に大きな穿孔があった。 他の消化管には問題なさそうである。
弾丸は破片が一個取り出されたが、残りの弾丸は不明である(写真右)。 おそらく腹腔外にとどまっているようで、そういった場合は問題が起きない限りあえて取り出さないそうだ。 結局の小腸部分切除とS状結腸の修復、そしてその口側で人工肛門を作って手術を終えた(写真中)。
ドレーンは弾丸の入射口から入れた。
手術は結局夜中の12時半に終了した。
隣の手術室では、整形外科の医師が下肢の銃創の手術をしていた。 みると12-3才くらいの子供である。骨折はないが、レントゲンを見ると弾丸の破片が沢山残っている。 こちらもデブリードメントである。
私がERで見た肩の銃創患者の処置は、この患者の前に、もうすでに終わったようだ。
その後病棟に行くと、ERからまた新たな虫垂炎の患者が二人入院している。 見に行くと、結構腹部には所見があり、昼間だったら手術をしたかもしれないが、今晩は何とか様子を見れそうである。 実際、とてもこれから手術をするような気にはなれない。
ということで、保存的に様子をみることになった。
そして、一連の作業が終わってすでに2時過ぎになった。
ここでようやく仕事が一段落し、仮眠を取ろうとした矢先、ERにこれから妊婦の腹痛で、十二指腸潰瘍の既往があり、 消化管穿孔の疑いがある患者が来るということになった。 まあ、よくこんなに次から次と救急患者が来るのか感心してしまう。
しかも、その患者を待っているうちにも、またまた虫垂炎疑いの患者が二人来た。 一人は胃腸炎のようで、もう入院は入院。幸い緊急手術は回避できた。今日はやたら虫垂炎が多い。
ここの手術場の手術簿をみると、今月初めから20日までに虫垂切除は21件あった。 ほぼ一日一件あることになる。よって一年では300件以上ということにある。 おそらく今の日本の病院でこれだけの数やっているところは少ないのではないだろうか。 手術の適応はやや甘いが、それでも来た患者を何でもかんでも皆やるわけではない。 とにかく絶対数が多いのである。病院に行くのを出来るだけ回避しようとして、結局ひどくなってから来るということもあるのかもしれない。
また、この日の全科での手術件数は大小緊急もあわせて25件であった。 麻酔科医はきちんといて、虫垂切除など日本では腰椎麻酔になるような手術でも 全身麻酔でやることが多い。 ただし、これだけ忙しいなかでも皆きちんとお祈りだけはかかさない(写真左)。

そして、その妊婦の急性腹症が来た。 彼らの話では、産婦人科医の見立てだからおそらく穿孔ではないのではないかといっていたが、調べてみるとそのとおりで、 腹痛はあるが、穿孔はなさそうである。というわけで一件落着した。そしてようやく朝4時過ぎ就寝した。
ちなみに、パレスティナでは産婦人医は「婦人科医」ではなく、「産科医」であるそうで、 婦人科医としては出来が悪くその診断は信用できないらしい。ただし産科医としてはひたすらお産を取り続けるらしい。 Dr.Awadの奥さんは産婦人科医だそうだが、最高一晩で20人取り上げたそうだ。 彼らが言うにはイスラエルのドクターがパレスティナで働いていたとき、 一晩で110人のお産を取り上げて狂って自殺したという話があるそうである。
本当かどうかは知らないが、とにかく、お産の数が多く、そのため産婦人科医はサラリーが良いので、 儲からない外科医を辞めて産科医になろうかなんて話も、冗談でしていた。 日本では少子化なので、およそ考えられないことである。

翌朝、8時過ぎに起きて、回診をした。幸い、昨日の手術患者は朝から皆元気である。 虫垂切除の患者など、朝一番からシャキシャキ歩いている。
今日は金曜で本来は休日である。昨日の夜のDutyも終わったのだが、昨日入院させた糖尿病の患者の感染がひどい。 どうも、緊急で切断をする必要がある。 基本的に入院患者の責任は入院させた医師のグループが見ることになっている。 よって、もし、この患者の手術をすることになると、 休日であって当番の外科医のグループがいても、我々が手術をするのが原則だそうだ。
その辺マネージメントを始めて、手術場のほうからはOKがでた。
ということで、再び緊急手術である。
前にも言ったが、この病院では糖尿病患者の足の切断は外科医がやる。 もちろん、糖尿病自体は内科医が見るのだが、壊疽を起こすような患者だから、当然糖尿のコントロールは出来ていない。 それはこちらの内科の医師が悪いのではなく、患者が病院にきちんとかからないためだそうである。 その理由には社会的な問題も当然あると思われる。 日本ではさすがにここよりは皆きちんと病院に行くだろうから、 こういった手術の頻度はおそらくパレスティナのほうが日本より数倍多いのではないかと思われる。
そういう患者であるから、他科は見たがらない。 よって、整形外科も血管外科も手を出さず、どうやら一般外科が押し付けられた形になっているそうだ。 もちろん、彼らは彼らで、外傷患者が山のようにいるので、仕事は沢山あり、さぼっているわけではない。

手術場で手術を待っている最中に突然、銃声が何発も聞こえた。かなり近い。おそらく病院の敷地内である。 何かと思って見に行くと、よくテレビで見るように、数十人の群集がおそらく死体と思われるものにパレスティナの旗をかけて担ぎ、 院内からシュプレヒコールをあげながら出て行った。銃声はデモンストレーションのためのもののようだ。
聞くと、昨日の銃撃戦で、ハマス側の子供が一人死んだそうだ。その死体を病院に引き取りにきた群衆らしい。 対イスラエルだけではなく、パレスティナ人の間でもなにやら怪しげな雰囲気が出来はじめている。 恐ろしい話である。

手術は中足骨以下の切断でさほど時間もかからず終了(写真右)。しかし、糖尿病の場合はこれから感染との戦いとなる。
終了したのが、すでにお昼。長い長いShifaの勤務が終了した。
しかし、ここの外科当直の仕事量は尋常ではない。
木曜日の当直というのは、休日前であるため、具合の悪い患者が不安になって休み前に病院に来たり、 Clinicの医者が紹介してきたりするので、患者数は他の曜日より多いそうだ。この辺は日本と状況がおなじである。 当然Dr.Mohamedたちは明日も勤務で休みはない。(もちろん私もそうである)
アラブ人は皆怠け者だと思っていたが、少なくとも彼らに関する限り、そうではない。 考えを改めることにした。

金曜の夕方。Shifaで消耗した体力回復にホテルで休んでいたら、すぐ近くで銃声が聞こえてきた。 おそらく警察署だと思われる。早速救急車が出動した。
なにか起きたのかと、とにかく救急外来にいくと、まもなく救急車が戻ってきた。 どうも救急隊員がPsychic traumaになって帰ってきたようだ。(写真右) いつものとおり、全身検索ののち、酸素をやって、DIVをして、ジアゼパムを注射して終了。 患者は大したことはなかったが、ちょっと治安の悪化が著しい。
パレスティナ内でもめているのがちょっと危険である。

しかし、この仕事、初めはずいぶんと楽だったが、最近正直ちょっときつくなってきた。