パレスティナ2002 - 番外編
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その26、
その27、
その28、
アンネフランクの家
アムステルダムには午前中に到着。空港から電車でアムステルダム中央駅に向かった。
日本への飛行機のトランジットの関係でアムステルダムに滞在することとなった。
宿は、アムステルダム中央駅の近くにとる。安宿だが、41Euro である。物価は極めて高い。
というか、普通の先進国並みなだけなのだが、安い物価になれた感覚から言うと、トンでもない金額に感じる。
せっかく来たのだから、時間がある限り観光もしてみようということで、とりあえず、
今回の中東の総決算もかねて、アンネフランクの家に行ってみることにした。
そう、ここオランダはユダヤ人にとっては重要な国なのである。
アンネフランクの家は、本来は父親であるオットーフランクの会社の社屋であり、
その建物は現在そのまま博物館になっている。
入っていくと、順路に従って、アンネの日記の記述とともに、展示物が並んでいる。
隠れ家は、8人もの人間が隠れ住んでいただけあって、日本人の感覚でいうと、そんなに狭いわけではない。
しかし、ほぼ丸二年間、ここから一歩も出られなかったという幽閉状態がいかばかりかというのは想像に難くない。
ここの展示で、ネルソンマンデラが、
「ロッペン島に投獄された仲間のなかにはアンネフランクの日記を読んで随分元気づけられた者もいた。」
と書いていたが、これは皮肉にも、現在のパレスティナの状況と重ね合わせることが出来る。
アラファトは昨年暮れから、ラマラの議長府に事実上幽閉されて身動きできない状態である。
現在も議長府の目の前に、イスラエルの戦車が待機している状態である。
とても民主国家の交渉術とは思えない方策である。
パレスティナ人もガザ地区、西岸地区計300万の人々が事実上、その地から他国に出ることは不可能である。
こういった自由を束縛する力をイスラエル政府は有しており、現にそれは実行されている。
ユダヤ人は以前自分達がされたことを、現在パレスティナ人にしている。
これをどう理解すればよいのだろうか?
安宿でイスラエル人旅行者に会った。もちろんユダヤ人である。
彼に現在のパレスティナ問題をどう思うか聞いてみた。
彼はシャロンを完全に支持するという。曰く
「パレスティナ人はパレスティナは自分達の土地だからユダヤ人は出て行けという。やつらはユダヤ人を皆殺すつもりだ。
でも我々は強い。アラファトはラマラに釘付けだ。ざまあ見ろだ。」
昨年暮れにアラファトが出した、武装闘争中止の勧告はここに来て完全に実効性を失い、
各過激派はイスラエルとの全面対決姿勢を鮮明にしてきた。
残念ながら、こういった繰り返しは今に始まったことではない。
先週、パーティでのパレスティナ人の乱射事件がおきた。先日は、エルサレムでまた乱射事件が起きた。
紛争はエスカレートする気配を見せている。
しかし、イスラエル軍はこれ以前に、ハマスの幹部の爆殺や、入植地近辺でのパレスティナ人の射殺を繰り返している。
そして、先日はパレスティナ放送局の破壊に及んだ。
この武力闘争の繰り返しの中で、イスラエルとパレスティナに決定的な違いがある。
それは、イスラエル人の自由は束縛されていないが、パレスティナ人の自由は束縛され続けているということである。
アンネの日記がイスラエルにとって、単にユダヤを迫害するものへの抗議を意味するものなのか、
広く一般の人権問題としてとらえるものなのか、是非聞いてみたい。
写真上:アムステルダム駅
写真中:運河ツアー
写真下:麻薬販売店